あれっ、ついこの前も北海道に来たよな。と思った。
そうだ。10日前だ。7月5日(土)だ。唐牛健太郎さん(60年安保闘争の全学連委員長)の墓前祭だった。
そして今回は、札幌時計台だ。合田一道さん(作家)と一緒に講演・トークをする。7月15日(火)の午後6時。「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」だ。テーマは、
〈「北の墓」を通して見えるもの〉。
ちょうどこの日に、合田一道さんの新刊が発売された。
私は事前に送ってもらい読んだ。『北の墓=歴史と人物を訪ねて』(上・下巻。柏艪舎)だ。
凄い。圧倒された。北海道には、こんなに多才な、素晴らしい人がいたのか。
ここで生き、闘ったのか。北海道の歴史だ。いや、日本の歴史だ。
これは教科書にして、中学、高校で教えるべきだ。こんな先人たちがいたことを教えるべきだ。そう思った。
私の知ってる人もいる。しかし、知らない人も多い。
とても勉強になった。本当にいい本を読んだ、と感動した。
合田一道さんは、元「北海道新聞」の記者で、在職中に、三浦綾子の担当をした。三浦が「北海道新聞」に「泥流地帯」を連載したが、その時の担当が合田さんだった。
5月に時計台シンポジウムで来た時は、翌日、5月21日(水)に、合田さんは旭川の三浦綾子記念館に案内してくれた。又、『塩狩峠』で書かれた現場にも案内してくれた。
私は今、三浦綾子の全集に挑戦している。だから、7月15日(火)も、『北の墓』と共に、三浦綾子のことを随分と聞いた。
合田さんは、北海道新聞在職中から、ノンフィクション作品を発表していた。1994年、退職後は札幌大学講師。そして作家だ。
『日本史の現場検証』(扶桑社)、『流氷の海に女工節が聴える』(新潮社)。『裂けた岬』(恒友社)『義経伝説推理行』(徳間書店)など多数の著作がある。
自ら著作するだけでなく、後に続く作家たちを育てる塾をやっている。「一道塾(いちどうじゅく)」と名付けている。道新文化センターのノンフィクション作家の養成塾だ。『北の墓』の「著者紹介」のところに書かれていた。
そして、「一道塾」について、こう書かれていた。
「1994年に開塾し、本著に携わった塾生は12人」。
そうか。随分と多くの人が手伝ったんだ。この本のことを前に聞いた時は、北海道で亡くなった有名な人のうち、代表的な人を5、6人に絞って書くのだろうと思った。まぁ、多くても10人くらいだろうと。
ところが本をもらって驚いた。こんなにも多くの人について書いたのか。
それに、こんなにも多くの人が北海道で活躍し、闘い、そしてここで眠っているのか。
その膨大な人々の数に驚いた。だって上巻だけで、100人以上いる。下巻もそうだ。合計で200人以上について書いている。
これは凄い。凄すぎる。それも、一人一人、出身地を訪ね、お墓を訪ね、ゆかりの場所を訪ねて、書いている。もう亡くなった人たちだが、その痕跡をたどってルポをしている。
大変な苦労だったと思う。取り上げて書いた人は200人以上。又、取材しながらも、紙数の関係で入れられなかった人もいたのだろう。
そうだ。7月5日(土)に、唐牛健太郎さんの墓前祭の時だった。参加者の1人が、こんなことを言っていた。
「昨年、作家の合田一道さんが訪ねて来ました。私が案内しました。本に書くと言ってました」。
あっ、と思った。じゃ、『北の墓』の取材じゃないか。唐牛さんのことも書いてくれてるのか。嬉しい。と思った。
家に帰ってきて、少ししたら、柏艪舎から合田さんの『北の墓』が届いた。厚い本だし、上・下の2巻だ。引き込まれるように読んだ。
唐牛さんはなかった。人が多すぎて入れられなかったのか。
でも、60年安保だけでなく、戦後日本を代表する人だ。一代の風雲児だ。外すわけはない。
じゃ、別の形で、唐牛さんのことは書くのか。
合田さんの『北の墓』に戻す。本の帯には、こう書かれている。
「今日、北海道に生きることの奇跡を思う」。
そして、こう書いている。これは上巻の帯だが。
〈黎明期から維新、明治、大正まで、北海道の歴史をささえた100人の墓と彼らの人生。北の大地に刻まれた先人の夢〉。
そして下巻は、もう100人。「昭和戦前から戦後、平成まで」だ。
〈北海道を発展させてきた100人の墓と彼らの人生。北海道に熱き命が燃える〉
よくも、これだけの人を取材し、書いたものだと思う。気の遠くなるような作業だ。
「知ってる」と思った人でも、本当のところは知らなかった。と思った。
又、知られないエピソードも多い。
有名な人では、こんな人たちだ。
「民族の誇りかけて戦う シャクシャイン」
「五千万歩を歩き日本地図作る 伊能忠敬」
「北海の海を駆けめぐる 高田屋嘉兵衛」
「世界地図にその名を残す 間宮林蔵」
「白虎隊の生き残り 飯沼貞吉(貞雄)」
「いまだ見つからない遺体 土方歳三」
「自決を図ったが死ねず 榎本武揚」
「榎本を助命した武人の情 黒田清隆」
「煩悩の間に揺れ、愛人と情死 有島武郎」
「新選組の生き残り、小樽に果つ 永倉新八」
「偽名を使い、逃げ延びた死刑囚 井上伝蔵」
「身を捨てて暴走列車を停める 長野政雄」
これだけで12人だ。さらに100人以上が書かれている。
最後の3人について説明しよう。
長野政雄は三浦綾子の『塩狩峠』のモデルになった人だ。
塩狩駅は今もあるし、列車も走っている。そこに長野の碑もある。合田さんに案内してもらい、5月に私も行ってきた。
又、そこには三浦綾子の生前の家も復元されている。お店をやっていた。そこで売っていたものも展示してある。
三浦が学校の先生をしてた頃、使った教科書もある。終戦直後、墨を塗らされた教科書も展示されていた。それをさせた先生も辛かっただろう。
その体験も、教師を辞め、作家になる原因にもなっている。
井上伝蔵は、「秩父事件」の指導者だ。この数奇な人生は、小説、映画にもなった。私も映画を見たので、印象に残っている。
又、新選組の永倉新八は有名だ。実は、この「時計台シンポジウム」を主催している柏艪舎からも永倉新八の本が出ている。
永倉新八についての本は随分と出ている。しかし、この本は貴重だ。特別だ。だって、ひ孫が書いているのだ。タイトルもズバリ。
『新選組・永倉新八のひ孫がつくった本』(柏艪舎)だ。
編著者は2人。杉村悦郎、杉村和紀さんだ。
この2人が永倉新八のひ孫だ。悦郎さんは昭和25年生まれ。企画制作会社に勤めている。永倉について何冊も本を作っている。
和紀さんは昭和42年生まれ。テレビ局のディレクター。平成16年、北海道文化放送制作のテレビ番組「新選組。永倉新八からの伝言」でディレクターを担当。
まだ若いひ孫がいて、永倉新八のことを書き、テレビ番組にしている。新選組は「遠い昔」ではないのだ。
来年は、永倉新八の没後100年だ。お墓の前で慰霊祭をやるという。「じゃ私も参列します」と言った。柏艪舎の人に。
だって、柏艪舎に勤めている女性が、このひ孫(和紀さん)の奥さんなのだ。
7月15日(火)の「時計台シンポジウム」の時も、その話をした。
「いまだ見つからない遺体 土方歳三」についても、合田さんに詳しく話してもらった。
映画やテレビだと、最期の闘いとして、馬に乗った土方がたった1人で敵の陣に突進してゆく。そして銃で撃たれ、死ぬ。死んだ土方を乗せたまま馬は疾走してゆく。
ただ、その「先」が分からない。この時点では土方は死んでいない。重傷を負っているが。
そして、どこかに逃げ延びて、再起を計っている。今も、どこかに生きている。いや、そんなことはないか。
ただ、遺体はない。この本によると、重傷を負った土方は、百姓家に運び込まれた。こう書かれている。
〈歳三は腹部を撃たれて動けなくなり、新選組以来の同志、相馬主計と島田魁が駆け寄り、左右から肩を入れて、400メートルほど後ろの松林のある民家の納屋へ運び込んだ。だが傷が深く手の施しようがない。黄昏が迫るころ、歳三は「すまん」とひと言を残して絶命した〉
これが、土方の最期だという。
では何故、遺体はないのか。見つからないのか。
見つからないようにしたのだろう。と合田さんは言う。
このような場合、敵に見つかり、辱めを受けないように、遺体を隠すのが常だ。どこかに秘かに埋葬したのだろう。
その場所は今も分からない。ミステリーを残したまま、土方は消えた。
もう1つ、対照的なのは榎本武揚だ。函館戦争の総大将だ。
土方以下、多くの人たちが死に、榎本も自決しようとする。
だが、部下に止められて、果たせなかった。
翌日、降伏する。逆賊の親分だ。当然、斬首だ。
ところが、黒田清隆は、必死に助けようとする。
国家にとって大切な男だ。これほどの男をむざむざ殺しては惜しい。国のために使うべきだ。と言う。そして、それで押し通す。
「榎本を殺すなら、まず俺を殺せ」と言い、自ら頭を丸めて、榎本の助命を訴えた。
「敵」の黒田に、そこまで言わせた榎本だ。斬首を免れた榎本は、刑務所に入るが数年で出て、政府の要人になる。
全権大使としてロシアに行き、「樺太・千島交換条約」をまとめたり、国のために尽力する。
それも、いつも危険な任務ばかりだ。「本当は斬首になってもおかしくない男だから」という政府の思いもあったのか。思い切り危ない場にいつも榎本は投入されている。
榎本本人も、すでに命は捨てている。だから、思い切って死地に飛び込み、国のために戦ったのだろう。
つまり、〈国益〉を考えたら、それは正しかった。榎本も凄いが、それを見越して、榎本を助けて使った黒田も偉い。
この2人のことは、もっともっと評価されてもいい。
しかし、今、2人の評価は低い。榎本は降伏し、敵に仕えた男だと思われている。
黒田はさらに酷い。酒乱だ、どうしようもない男だと思われている。
酒に酔って、自分の奥さんを日本刀で斬り殺したと言われている。どうも本当らしい。
今なら、すぐに逮捕だ。そして、死刑か無期だ。
ところが黒田は捕まらない。「酒乱でどうしようもないが、でも国のためには必要だ」と周りの人間たちから評価されていたのだ。
獄に入れ、殺すよりも、その国政の〈能力〉を使おうと思ったのだ。
これこそ〈国益〉だと思ったのだろう。そう思った人たちも凄い。
今なら絶対にあり得ない。小さなことでも、ともかく罰しろ。刑務所に入れろ…。となる。
小さなこと、小さな金銭問題、小さなスキャンダルで、潰れ、放逐された政治家は多い。今も多い。
そんなことで、追放するよりも、、「国のために使おう」という度量がない。
当時は、国家のことは、10人か、20人位で決めていたのだろう。だから、出来たのかもしれない。
今は一億の国民に「分かってもらおう」と思う。そうすると、こんな発想は出来ない。
「少しくらい、スキャンダルがあり、人間性に問題があっても、国のために使おう」とは言えない。
「世論」に潰される。マスコミに潰される。そして、クリーンであるが政治力のない小物政治家ばかりが残る。不幸な時代だ。
合田さんの『北の墓』からは私は、そんなことを学んだ。勿論、学び方は自由だ。皆が、読んで、考えてほしい。
『北の墓』の下巻も100人以上の人物が取り上げられていた。
こんなにも凄い人物がいたのか。志に生き、死んでいったのかと驚かされる。
特に感動した人々のことを、目次から紹介して、終わりにしよう。
「キリスト教のパイオニア 内村鑑三」
「特高警察に虐殺された革命作家 小林多喜二」
「童謡は童心の自然詩である 野口雨情」
「敗戦、新婚四日目に心中した夫婦 幸田明・美智子」
「男爵イモ」を作った男 川田龍吉」
「無国籍を貫いた大投手 ヴィクトル・スタルヒン」
「戊辰の敗者を視点に書く 子母沢寛」
「病と戦い〝涙の敢闘賞〟 名寄岩静男」
「北海道が生んだ初の横綱 千代の山雅信」
「世間を震撼させた射殺魔 永山則夫」
「信仰を背景に『氷点』執筆 三浦綾子」
「〝挽歌ブーム〟を巻き起こす 原田康子」
「生涯に二五〇〇曲吹き込む 三橋美智也」
こうして書いていったらキリがない。
下巻は、この人以外にも100人ほどの人が出ている。その墓や、関係者を訪ね歩いて、書いている。気の遠くなるような作業だ。
又、私らが子どもの頃に耳にした名前もかなりある。
スタルヒンは、大変な苦労をした大投手だ。今は、「スタルヒン球場」も出来ていて、「今日は、ここで試合があります」と合田さんは言っていた。
千代の山は懐かしいし、名寄岩も懐かしい。映画も出来た。「涙の敢闘賞=名寄岩物語」だ。だと思った。小学校4、5年の時だ。学校の先生が引率して連れて行ってくれたのだ。
それに子母沢寛だ。『新選組始末記』『父子鷹』『おとこ鷹』『勝海舟』などを書いた。
特に、『新選組始末記』だ。これが、新選組〈評価〉の原点になった。
私が大学生の時、テレビ放送された。近藤勇は中村竹弥。土方歳三は戸浦六宏だった。
又、ナレーションが素晴らしかった。芥川隆行の名調子だった。今でも覚えている。
三橋美智也も懐かしい。私が生まれて初めて聞いた「歌謡曲」「流行歌」だったのが三橋美智也の「哀愁列車」だ。
父親が好きでレコードを買ってきて、ステレオで聞いていた。それで私も自然に覚えた。
「恋愛もの」だから小学生には内容はよく分からないが、声はいいし、うまい歌手だと思っていた。
又、この本では、永山則夫のように「犯罪者」といわれる人も取り上げている。これはいい。
そして三浦綾子だ。合田さんが北海道新聞に勤めていた時に、三浦の『泥流地帯』が連載になり、その担当に合田さんがなった。
病気と闘いながら、夫に口述筆記をしてもらい、書いていた。その壮絶なる現場を合田さんは見ている。
7月15日には、その頃の話をしてもらった。
又、この本では、これでも書き切れず、やむなく外した人もいる。それを次には書いていきたいという。
さらには、〈舞台〉を北海道だけでなく、全国に広げて、書いてみたいという。
又、60年安保の頃を中心に1冊書くという。そこで樺美智子や唐牛健太郎も書きたいという。楽しみだ。
それにしても、『北の墓』は、凄い本だ。
それだけの人々が北海道に来た。そして、闘い、亡くなった。
「北海道は日本の縮図だからです」と合田さんは言う。
そして、自らが住んでいた「地名」や「神社」も連れてきた。広島、伊達、福島、白石…と、本州の地名が随分とある。「50位あります」と合田さんは言う。
それに神社も持ってきたという。さらに、獅子舞、盆踊り…などを持ってきて、大事にした。
かつての出身県にはもうないものも、北海道には残っているという。
北海道はアメリカ合衆国のようだ。全世界からいろんな人々が来て、ドイツ、フランス、イギリス…など故国の名前を付けたりした。
そうだ。ブラジルにも似ている。日本では失われた日本の文化、伝統なども北海道では生きているという。
日本中から多くの人たちがやって来て、地名を持ち、神社を持って来て、生きた。闘った。
多くの凄い人たちがいた。素晴らしい人たちがいた。
『北の墓』を読むとそれが分かる。これはぜひ、中学、高校の教科書にすべきだろう。
日本人の原点が分かる。日本人の品格、覚悟が分かる。
そして、ヘイトスピーチが横行し、偏狭な、排外主義的な本ばかりが出ている現代日本への大きな批判になる。
「目を覚ませ!」「こんな排外的な、小さな人間が日本人じゃないぞ!」と叱ってくれる。そんなことを実感した。
⑦7月16日(水)の一水会フォーラムに鳩山友紀夫さんが来てくれました。熱く語ってくれました。「由紀夫」が本名なんですが、今は(ペンネームとして)「友紀夫」と書いてます。「友愛」の思想を広めるためだといいます。
㉙「徳島新聞に載ってたよ」と山下寛さんが送ってくれました。前に共同通信で取材された記事です。どこに載るか分からなかったので、ありがたかったです。
山下さんは、元警察官で、その後、暴露・告発本を出してます。又、話を聞きたいですね。これは「徳島新聞」7月8日付です。高田馬場の「ミヤマ」会議室で取材を受け、その後、早稲田大学に行って写真を撮ったんですね。大隈講堂の前ですね。