内田樹さんの胸ぐらをつかもうとした。そして左で相手の袖をつかんだら柔道の形になる。
これなら、少しは闘えるかなと思った。ところがパッと跳ね上げられ、その手首をつかんだかと思うと、逆に取る。
ギャーッと叫んだ。それだけで何も出来ない。「まいった」をする。
次は内田さんの手首を取って、半転し、バックに回ろうとした。
しかし、逆にこちらの腕を取られ、極められた。
そして、ポンポンと投げ捨てられた。こっちは受け身を取るだけで精一杯だ。
合気道の技をかけられている写真。関節を極(き)められている写真。そして投げ捨てられている写真だ。
同行した鹿砦社の福本氏が撮ってくれた。いい瞬間をよく撮ってる。特に、私が投げ捨てられる写真は、うまい。私の足だけしか残っていないが、その一瞬を捉えている。
悔しいが、圧倒的な力の差がある。これが現実だ。
この後も、何度も内田さんに立ち向かって行ったが、ことごとく、捌かれ、関節を極められ、投げ捨てられた。
又、ここの道場の畳は、柔道と比べて、固い。受け身を取るにも痛い。
その後も、「個人稽古」「個人授業」は続いた。
そのうち道場生たちが来る。午後7時からは合同練習だ。私も一緒に入れてもらった。
学生時代から合気道はやってたし、3段だ。でも、20年ほど前からは柔道だけをやっている。柔道は3段だ。どうも、体が柔道の体になり、合気道の体、動きは完全に忘れてしまった。
道場生に教えられて、ついて行くが、かなり、ぎこちない。
そして8時。アッ!新幹線に乗り遅れたらマズイ。と思って、途中で失礼する。内田さんが、わざわざ玄関まで送ってくれた。
新幹線では、倒れるように座り込んだ。ヘトヘトだ。
弁当を買って食べようと思うが、食べられない。お腹はペコペコのはずなのに、一口も食べられない。
体中が痛い。手首には、いくつか痣がついている。激しい運動をしたせいで、呼吸も苦しい。じゃ、寝ようと思ったが、寝れない。
あっ、2年前の伊豆七島の利島に行った時も、こんな厳しい気分だった。
利島で「イルカと一緒に泳ぐ」ミッションで行ったのだ。その前の週、都内のダイビング・スクールで、ダイビングの特訓を受けた。
そして利島に行き、イルカを探すがいない。帰る日に、やっとイルカを見つけて、海に飛び込んだ。
下を見た。はるか下に大きな亀が悠々と泳いでいる。まるでビルの頂上から、地下の人々を見てるようだ。怖い。そして泳いで、やっとイルカの群れに会い、一緒に泳いだ。
その後、船の人に呼ばれて、上がる。必死に船によじ登る。
あの時は「初体験」で、船に上がった時は、ブッ倒れてしまった。
胸が苦しい。腹も痛い。ゲーゲーと吐いてしまった。体中の臓器が転倒してるようだ。内田さんに投げ捨てられて、あの時の徹底的な疲労感、無力感と同じことを感じた。
でも、「ミッション・インポシブル」をやり終えた、という「達成感」「満足感」もあった。これは事実だ。
内田樹さんの〈凄さ〉を徹底的に知らされた。この人は、文字通り、「文武両道」の巨人だ。
本は、200冊ほど出している。アメリカ論、ユダヤ論、辺境論、映画論…と、どれを読んでも凄い。全く気が付かなかった視点を教えられる。
そうか、こう考えたらいいのか。これは知らなかった。という「新発見」が多い。
それに、この人はどんな本、どんな場面でも「手抜き」がない。200冊全てが〈真剣勝負〉だ。
そうか、武道の先生だからなのか。ものを書く上でも、全力勝負だ。
内田さんは、自宅に合気道の道場を作った。広い。立派な道場だ。
合気道は7段。毎日、稽古がある。忙しくて指導出来ない日は、高弟が指導する。又、子供たちだけの稽古日もある。
多くの人たちが道場に通っている。合気道を指導する時の内田さんは実に楽しそうだ。こっちの方が本当の自分だ。これをやりたいために本を書いているのだ。とでも言わんばかりだ。
内田さんの本は私はかなり読んでいる。全部読もうと挑戦しているが、四分の一も読んでない。
そんな未熟な私が、対談させてもらった。そして、もう1人。「武道家・内田樹」にも挑戦させてもらった。
両方とも、徹底的に跳ね飛ばされ、極められ、投げ捨てられた。
しかし、このチャンスを捉えて、果敢に挑み、闘った。(と思う)。
「言論人・内田樹」と対談した人は多いだろう。又、「武道家・内田樹」に習った若者も多い。
しかし、「2人の内田樹」に挑み、闘ったのは私だけだ。世界広しといえども私だけだ。
その「ミッション・インポシブル」に挑戦したのだ。今夏、最大の闘いだった。と思う。
それに7月は、車の免許〈奪還〉闘争もあった。暑い中、無謀な闘いを続けてますよ。
「高齢者」の「独居老人」にしては、驚くほどの頑張りですね。と鹿砦社の福本氏に言われた。
もう、どうとでもなれですよ。独居老人のケアで回っている民生委員には、「1人で買い物行けますか?」なんて聞かれた。又、「転ばないようにして下さいね。怪我をして寝た切りになったら大変ですから」と言われた。でも、自分では転ばないつもりなのに。
こうして内田さんには、転ばされている。技を極められ、ポンポンと投げ捨てられる。(「高齢者虐待だ!」と抗議してくれるのだろうか。民生委員は)。
しかし、7月18日(金)。この日は、永遠に記憶されるだろう。内田さんに「思想的・肉体的」に、徹底的に打ちのめされ、叩きつけられた日だ。私の「敗戦記念日」だ。
貧しい知力と貧しい体力で、無謀にも内田さんに戦いを挑み、完膚無きまでに叩きつけられ、無条件降伏をした日なのだ。長く歴史に記録されるだろう。
写真を見て、「何だ、手首の逆を取られてるだけじゃないか」と言ってた人がいた。
「もう一方の手で反撃したらいいんじゃないか」「足もあるじゃないか。反撃しろよ」「それに、逃げられるだろう」と言う人もいる。
はっきり言おう。それは全く無理だ。嘘だと思ったら、自分もやられてみたらいい。「道場破り」をやってみたらいい。
写真を見ると、私は手首の逆を取られ、手首を極められている。それだけのように見える。残った手、足で反撃出来るんだろう。と思うかもしれない。
それは素人の疑問だ。私は手首を極められてるだけではない。手首を通じ、肘が極まっている。さらに肩が極まっている。さらに腰までが極まっている。
だから、私は動けないのだ。反撃どころか、逃げ出すことも出来ない。これが武道の真髄だ。
体はヘトヘトで、全身が痛い。しかし、もの凄い体験をさせてもらった。本当に感謝感激です。
この日、7月18日(金)は、本当はここまでやる予定ではなかった。対談をし、そのあと、道場の皆さんと一緒に軽く稽古に参加する。それだけの筈だった。
7月18日(金)の東京発10時の新幹線に乗り、1時に新神戸に着く。福本氏が迎えに来てくれ、軽く昼食。そして住吉駅に行く。そこから歩いてすぐだ。内田さんの自宅だ。隣りには大きな道場が建てられている。
午後2時から5時まで、内田さんの書斎で対談。本が四方を囲み、天井まで本棚が。そして、移動式の梯子がある。それがないと上の本は届かない。「ちょっと暗かったので、天窓を作りました」という。リモコンで天窓が開く。凄い。午後5時に対談は終わる。
「5時から、道場生との稽古がありますので、鈴木さんもそこに参加して下さい」と福本氏。
「あれっ、稽古は7時からですよ。7時と17時を間違えたんじゃないの」と内田さん。
「じゃ、2時間、外に行って、又、戻ってきましょうか」「いや、その前に、道着だけを着てもらって2人で写真を」と福本氏。
それで私は持参の柔道着に着替えて、下の道場に行く。内田さんは袴を着けて、ちゃんと合気道の格好だ。
合気道を創った植芝盛平先生の写真の前で、撮影。これで終わりのはずだった。
ところが、「せっかくですから、鈴木さん、かかって行って下さい」。
エッ? そんなの無理だよ。合気道の大先生に向かっては行けない。下手をしたら、関節を折られるかもしれない。本当に寝た切りになるかもしれない。
でも、迷ってる暇はない。えーい、ままよ、やってやろうじゃないかと、突っかかって行きました。
そのたびに、極められ、投げ捨てられ、固い畳に打ち据えられました。
それが2時間ですよ。6時半頃からは一般の道場生が次々とやってくる。そして7時には全員がそろう。
まず、お掃除。それから正座して、呼吸法。これは、私たちの合気道ではやってなかったので、新鮮でした。
そして、稽古。もう〈合気道の体〉を忘れている。受け身からして違う。くるりと回り、ダメージの少ない受け身だ。皆、うまい。私だけが出来ない。
又、練習にも付いて行けない。体捌き、相手の崩しがうまくいかない。そのたびに内田さんに教えてもらう。大変でした。
そして、8時近くになり、慌てて、おいとましました。
「泊まったらいいでしょう。明日も大阪でしょう。稽古のあと、皆で飲みますから」と内田さんに言われたが、帰りました。
家に帰って、金曜中にやる仕事がある。それに、柔道着など荷物も多いし。新幹線の中で、ちょっと後悔した。一緒にお酒を飲みたかったな、と。
でも、体がガタガタだ。ここで酒を飲んだら、ぶっ倒れちゃうんじゃないのかな。と思った。
そして、疲労困憊した体をいたわりながら、やっとのことで東京に着きました。
それから家に帰って朝方まで仕事。
体は限界状況なのに、仕事は出来た。この夏、最高の「ミッション」を無事終えた、という達成感があったからだろう。その昂揚感の中で、仕事をしましたよ。
そして、ちょっと寝た。熟睡した。
翌7月19日(土)は、朝9時23分、東京発の新幹線に乗る。新大阪着11時56分。下中さんたちが迎えに来てくれた。
最近イタリアに修業に行ってたという料理研究家もいた。「私も、合気道の修行に最近、神戸に来たんですよ。あっ、昨日か」と思い出しました。
そこから地下鉄で行く。会場は「エル大阪」。そこの中の広い会場だ。
満員だった。200人以上が来ている。〈和歌山カレー事件を考える集会〉だ。
午後2時から始まる。「浪花の巨人」趙博さんの歌がトップ。それから、月刊「創」編集長の篠田博之さんの講演。さらに私の挨拶。そして、弁護団の報告だ。
とても活気があり、盛り上がった集会だった。そのあと打ち上げ。
8時頃、私は失礼して、名古屋へ。岩井氏が迎えに来てくれ、ホテルに案内してもらう。夜遅くまで、ホテルで仕事。
次の日、9月20日(日)は、9時半に岩井氏が迎えに来てくれた。
それから、名古屋市立大学へ。「愛知サマーセミナー」で講演だ。
セミナーは、19日(土)、20日(日)、21日(月)の3日間行われる。何と、2200講座がある。例年、5万人以上が聞きに来る。凄い。
こんなことを出来るのは、ここだけだ。まさしく「奇跡の空間」だ。
私は11時10分からの講演。2200講座もあるし、有名な先生ばかりが来ている。
じゃ、私のとこなんて誰も来ないんじゃないのかな。と心配してたら、300人入る大教室が満員だった。驚いた。
時間まで廊下で待ってたら、あたふたと走って来た人が、「右翼はここ?」と聞く。「そうらしいですよ」と私は答えた。「じゃ」と入ってゆく。
「右翼」だけを見に来たらしい。
講演のタイトルは、挑発的だ。「エセ愛国はなぜはびこるのか」。1時間話し、そのあと、質疑応答。終わってからも多くの人に質問されました。そして、外でサイン会。
聞いてる人は、高校生から80才の高齢者まで。女性も多い。
これは素晴らしいことだ。学生運動をやった時の後輩たちも何人か聞きに来てくれた。「子供が学校でもらったチラシに鈴木さんのことが出てたので」と言う。
又、江副さんもいた。「家はこの近くです」。さらに村瀬敏子さんも来てくれた。60年安保の全学連委員長、唐牛健太郎さんのいとこだ。前に三上元・湖西市市長と豊橋で講演した時に、聞きに来てくれたのだ。
講演後は皆で学生食堂に行く。学生食堂なんて久しぶりだ。
「サマーセミナー」には有名な講師だけでなく、一般の市民参加、そして高校生の企画参加もある。
アニメの企画なのか、コスプレした男女がいた。面白そうなので一緒に写真を撮った。
それから、控え室に戻ったら、多くの講師の先生方に出会った。なかにし礼さん、元沖縄県知事の大田昌秀さん、武田邦彦さん、女優の白石まるみさんなどだ。
「邦男ちゃん!」と若い女性に声をかけられた。
あっ、と思った。河合塾コスモ出身の仁藤夢乃さんだ。『難民高校生』を出して、売れている。学校にも大きくポスターが貼ってある。こんな所で会えるとは。
まだ20才ちょっとなのに、もう「サマーセミナー」の講師だ。凄い。
本が売れ、ボランティア活動もしている、有名人だ。「河合塾コスモ出身じゃ、私の方が邦男ちゃんより有名よ」と言われた。
そうですね。私は簡単に追い抜かれた。ちくしょう。頑張って、追いつかなくちゃ。
このあと、大田さん、なかにしさんなどの教室を覗いてみる。凄い人だった。凄い熱気だった。
夜5時からは、スタッフの飲み会があるというので、皆で参加する。
なかにしさんは、すぐ帰るという。大田さんは、今日は泊まりだというので、打ち上げ会に誘ったら快く、参加してくれた。
ここも、もの凄い人数だった。200人位が居酒屋を占拠している。高校の先生、県庁の人。いろんな人々がいる。
こうした人々のボランティアで、「愛知サマーセミナー」は行われている。ありがたい。
いろんな人々と話をした。そこに飛び込んで来た若者がいる。目がパッチリして特徴がある。「あっ、人質!」と叫んでしまいました。
10年前、イラクで人質になった3人の1人、今井紀明さんだ。
「あれ、鈴木さん、どうして」と言われた。今井さんは翌日、講演があるそうだ。高遠菜穂子さんも来るし、映画「ファルージャ」の監督も来る。
残念。皆に会いたいけど、私は、今日帰る。
今井さんを大田さんに紹介し、一緒に飲んだ。
大田さんは酒が強い。次々と、飲み干す。「鈴木さんは飲めないの?」。いや、必死で飲んでるんですよ。でも、とても追いつかない。
「鈴木さんの発言、新聞で見てるけどいいですね。いっそ、選挙に出たらいいのに」と言う。ありがたいお言葉ですが、とてもとても。
大田さんと話していると、若者が次々とやってくる。「大田さんは昭和何年生まれなんですか」と不躾に聞く若者もいた。
太田さん、「大正14年です」。えっ、そうなのか。三島由紀夫と同い年か。
でも元気だ。今でも全国を飛び回っている。これは頭が下がる。
そして、私は最終の新幹線で東京に帰りました。
東京も暑い。連日、猛暑日だし、連日、熱帯夜だ。
「熱中症にならないように気をつけて下さいよ」と年長の大田さんに言われた。
「大丈夫です。その時は民生委員を呼びますから」「すぐには来ませんよ」。そうなのかな。
というわけで、暑い7月はもうすぐ終わる。
7月は、随分と、地方に行った。2日(水)は新神戸で内田樹さんと対談。5日(土)、6日(日)は函館。唐牛健太郎さんの墓前祭。15日(火)、16日(水)は札幌時計台でシンポジウム。18日(金)は新神戸で内田さんと対談。そして、合気道の稽古。19日(土)は大阪で「カレー事件を考える集会」。20日(日)は名古屋で、「愛知サマーセミナー」の講演。27日(日)は長野。
あらら、7月は9日間も地方に行っていた。多かったですね。でも、実りある7月でしたね。
8月は2日(土)が生誕祭で、豪華なゲスト陣が出てくれる。早めに申し込んだ方がいいでしょう。さらに、サプライズゲストもあります。
8月も又、「ミッション」があるのかな。
暑い夏、皆さまも、熱中症にならないように。そして、道で転ばないように。気をつけて下さいませ。
7時半。「ミヤマ」会議室で高木尋士氏主催の「読書会」。
『古事記』を読んでいる。他にも参加者は、「全集」に挑戦している。夏目漱石全集、高橋和巳全集、開高健全集…と。いいことだ。
「内田樹さんの本を全部読みたい」と言ってる人もいた。「200冊位ありますよ。これからもまだまだ書きますよ」と言ってあげた。
でも、挑戦するのはいいことだ。「何なら合気道も習って、そっちも挑戦したら」とアドバイスしてあげました。
①7月18日(金)内田樹さんのご自宅に行きました。合気道の道場もあります。午後2時から5時まで対談。
その後、合気道の稽古に参加。門弟の人たちと一緒に、後ろにいればいいと思ってました。ところが、「合同稽古」は7時から。「じゃ、特別稽古をつけてもらいましょう」と鹿砦社の福本さんが言う。
道着に着替えて、かかって行ったら、いきなり、合気道の技をかけられました。早いし、強いです。
⑯武田邦彦さんを囲んで。左は岩井正和さん。右は村瀬敏子さんです。わざわざ聞きに来てくれました。唐牛健太郎さん(60年安保時の全学連委員長)のいとこです。
先月、三上元さん(湖西市市長)と豊橋で講演した時、聞きに来てくれ、今回で2度目です。「あっ、唐牛さんのいとこですか」と武田さんも驚いてました。
⑱「くにおちゃん!」と声をかけられました。元河合塾コスモにいた仁藤夢乃さんです。『難民高校生』(英治出版)という本も出してます。又、一般社団法人Colaboの代表です。この「愛知サマーセミナー」の講師です。
㉑「あっ、人質!」なんて叫んでしまいました。今井紀明さんです。まさかここで、会えるとは思わなかったので。「明日、講演なんですが、1日早く来ました」と言ってました。それで、大田さんに紹介しました。明日は、高遠菜穂子さん、映画「ファルージャ」の監督の伊藤めぐみさんも来ると言ってました。
㉝大杉栄をはじめとした大正アナキストたちの過激な闘い、生き方を描いた映画です。
試写を見て、圧倒されました。「シュトルム・ウント・ドランクッ」です。8月16日(土)から疾風怒濤ロードショーです。渋谷のユーロスペースです。
当時のアナキスト。いや若者たちの絶望的な気持ち。そして、何が出来るのだろうと思いつめて、テロを決行する。それが不思議な迫力と説得力をもって迫ってきます。そして、決行者のどこか滑稽な点も描かれてます。
〈嗚呼、理想よ、幻想よ。
極彩色の「ギロチン社」が、いま甦る〉と、チラシには書かれています。