これはあるよな。そう思って、題名に惹かれて一気に読んだ。佐藤富雄さんの『口ぐせひとつでキミは変わる=夢をかなえる言葉のスイッチ』(PHP)だ。中学生向けの本らしい。
でも大人にも言える。「人は口ぐせ通りの人生を送っている」と言います。人生が苦しいから、ついつい、暗い、絶望的な言葉を吐く。それはあるでしょう。そのうち、それが口ぐせになり、さらに苦しい現実を呼びよせる。
暗い言葉ばかり吐いてる人の周りには人も寄りつかなくなる。ますます、ネガティブな口ぐせを連発する。悪循環です。
人は皆、いろんな口ぐせを持っている。よく見ると二つのグループに分かれると佐藤さんは言います。
ひとつは、「嬉しい」「楽しい」「きっと出来るよ」というふうに、明るく前向きな言葉を口ぐせにしているグループ。
もうひとつは、その反対に、「ムカつく」「ダメだ」「出来ない」などと、否定的なことばかり言っている人のグループ。
そうだよな、と思うでしょう。その上で、佐藤さんは言います。
〈前向きな言葉が多い人たちは、いつも楽しそうだと思いませんか? 不平、不満やグチの多い人は、なにかとトラブルが多かったりしませんか? これは人間の脳にそういうしくみがあるからです。脳は本人が考えたり、口にした言葉を読みとり、その人の体で表現しようとするのです〉
そうか。ただの口ぐせに終わらない。脳が覚えて、体を動かすのだ。大変なことだ。
「まず言葉が先にある。いい言葉を使えばいい人生になる」。そう言います。
言葉は大事なんです。言葉は人を幸せにします。同時に不幸にする言葉も多いのです。
最近の〈争い事〉のほとんどは、言葉です。メールやツイッターで悪口を言われた、「ウザイ」と言われた。それでキレて、大喧嘩した大阪府議もいました。
又、メールで悪口を言われて、殴り合いになった。殺しちゃった。なんてこともあります。
電車の中でも、いきなりぶつかり、「謝れ」「謝らない」で喧嘩してる人がいます。
国際社会でも言えます。「謝れ」「それがどうした。いやだ」…と、喧嘩してることが多いのです。全ては〈言葉〉です。
ある人が言ってました。子供たちにそんなに多くのことを教える必要はない。
親切にされたら、「ありがとう」と言う。間違っていたら、「ごめんなさい」と言う。これだけ知ってれば大丈夫だと。真理かもしれません。
大人にも言えますよね。「ありがとう」と「ごめんなさい」。この二つさえ言えればいい。
そんなの簡単じゃないか、と言われるでしょう。でも、出来ない人が多いのです。
ここで謝ったら、自分の全てを否定することになる。日本の歴史を否定することになる。誇りが崩れる。…そういった理屈を言って、謝らないのです。
この佐藤さんの本には、こんなことも書かれています。
「悪口をやめるだけで世界が変わる」
自分の人生や、自分の周りが変わるだけじゃない。〈世界〉が変わると言います。
〈大人の世界でも、悪口ばかり言ってる人で、幸せそうな人はいません。会社や上司の悪口ばかり言っている人が仕事で成功することはないし、人の悪口ばかり言っている人は、だいたい、いい恋愛ができません〉
これは中学生向けの本だから、「大人の世界でも」と例を引いているのです。
国際社会でもそうですね。「この国は嫌いだ。なくなってしまえ!」と言ったら、相手国だって、すぐに反撥します。当然のことです。
本屋に行くと、新刊書のコーナーは、こうした「悪口」の本で溢れています。出版社の「口ぐせ」になってるのでしょう。それが売れるとなれば、なおさらです。ネガティブな、暗い、喧嘩を売る、「外国叩き」の本ばかりが出るのです。
中島岳志さんは近著『アジア主義』(潮出版社)で、中国、韓国に対し、一部の日本人が「いつまで謝ればいいんだ!」と「逆ギレ」していると書いてました。
この本は凄い本だし、力作です。「アエラ」(8月18日発売号)でも私は書評しました。
一部の人間だけでなく、保守派と呼ばれる人々、いや、大半の日本人が「逆ギレ」してるのでしょう。逆ギレ内閣だし、「逆ギレ国家・日本」です。
「いや、日本は悪いことはしていない。何で謝る必要がいるのだ」と言う人も今は多いのです。少しでも謝ったら、「負ける」と思っているのでしょう。
でも、それは日本の失敗や過ちを直視する勇気がないのです。
そう言うと、「失敗や過ちなどない! そんなことを言う奴は反日だ!」と怒鳴る人がいます。私なども、「反日だ!」「売国奴だ!」と言われます。
でも、人間だって、(その集合体の)国家だって、100%正しいわけではない。間違いや過ちもある。それも抱きしめて、愛おしいと思うのが本当の愛国心でしょう。
それなのに、「間違いはない」「悪いのは近隣諸国だ」とだけ言ってるのは、ただの排外主義です。愛国ではありません。
自分のことや、自国のことを反省すると、「自虐だ!」とすぐ言われます。変な話です。
この「自虐」について、與那覇潤さんが『中国化する日本=日中「文明の衝突」一千年史』(文春文庫)の中で、興味深いことを書いてました。
この本は、前に紹介しましたが、河合塾コスモで『歴史に学ぶな』という合同ゼミをするにあたって吉田剛先生から、「読んでおいて下さい」と言われて、読んだ本です。とても面白かったし、教えられました。
「自虐史観」について、こんなことを書いてます。
〈私は歴史観が「自虐的」でなくなること自体は結構なことと思いますが、どうもそういう方々に限って今度は「自慰的」になったり、「他虐的」だったりする歴史観を、新たに持ち出されるのは困ったことです〉
これは凄い。普通、「自虐」の反対は「自尊」と言われてきました。でも、これは、誉めすぎですね。又、自分で言うのも傲慢です。「自虐」の反対は「自慰」であり、「他虐」だと言います。
なるほど、この方が正しい。「日本はこんな悪いことはしてない」「日本には間違いはない」「南京大虐殺もなかった。慰安婦もいなかった。日本兵は世界で一番、道徳的な兵隊だった」…と言ってるのは、ただの「自慰史観」なんですね。「オナニー史観」です。
そして、自分は反省しないが、他国を攻撃する、「他虐史観」なんですね。そんな悪口ばかりを言うから、その反撥も来るんですよ。
そして、與那覇さんは、「ブロン効果」について説明します。
〈掌編小説の名手だった星新一の、ショートショートの好編『リオン』に登場するアイテムに、「ブロン」というものがありました。「メロン」のように大きな実がブドウのようにたくさんなる〉ように掛け合わせて作ったはずの新品種「ブロン」が、実際は、「ブドウのように小さい実がメロンのように少ししかならない」結果に終わる、というお話です。私は歴史上ときどきおこる不幸な惨事の裏には、どこかでこの「よいとこどりを狙ったはずが悪いとこどりになってしまう」という、いわば、「ブロン効果」が働いているのではないかと見ています。そして、現在の日本社会の苦境もまた、「ブロン効果」で説明できる気がします〉
それは言えますね。そうだ。ある頭のいい作家が、ある美人女優に言い寄られたそうです。「私たちが結婚したら、あなたの頭脳と私の美貌をあわせ持った素晴らしい子供が生まれると思いますよ」。
その作家は言ったそうです。「いえ、私の醜い顔と、あなたの空っぽな頭をあわせ持った子供が生まれるでしょう」。これの方があり得ます。
実際、あります。「ブロン効果」です。目的・動機と結果が逆になることは、他にもあります。こんなことも書いてます。
〈さる朝鮮研究者の方もおっしゃっていたことなのですが、どういうわけか昨今の国では、北朝鮮が嫌いな日本人ほど日本を北朝鮮にしたがる傾向がある気がします。北朝鮮でさえ核武装したのだから日本もそうしろ、経済封鎖で飢えても国家独立のためなら我慢すべき、とか。強力な外交のために報道の自由も規制しろ、政府の命令に従えない人間に人権なんか認めるな、とか。徴兵・徴農で過酷な現場に放り込んで甘ったれた国民性を叩きなおせ、とか〉
北朝鮮そのものが、「ブロンの一類型」かもしれないと言います。そして、我々日本人も、ブロン化してるのかもしれません。そして「北朝鮮化」が始まっているのです。
いや、日本は連合赤軍の〈悪い点〉だけを引きずっているから「連合赤軍化する日本だ」と言ってる人もいました。
オウムは終わってないし、「オウム化する日本だ」といも言えましょう。
先週書いたけど、「軍歌」なども、当時の人々の大きな「口ぐせ」なんでしょう。毎日毎日歌い、そのメロディーの中で生きてきたのですから。
又、戦争の標語などもそうですね。
「英米を消して、明るい世界地図」「日の丸で埋めよ倫敦(ロンドン)、紐育(ニューヨーク)」。
こんなものが、ヒットしたんですね。これも、「口ぐせ」ですよね。
「海ゆかば」という軍歌がありますが、あんな死を奨励するような歌を皆が歌っていたから、日本は負けたのだ、と言う人もいます。あれも、「口ぐせ」なんでしょう。
連合赤軍の植垣さんが、リーダーの森恒夫のことをこう言ってました。「他人の欠点を見つける天才だった」と。
どんなに立派な、戦う兵士の中にも、不十分な点を見つけ、そこを執拗に攻撃する。そうしたら、相手は、最後には、「私は反革命でした。処刑されても仕方ない人間です」と「告白」する。有能な検事と同じです。
森恒夫ほどではなくても、他人の欠点を見つける人たちは沢山います。
又、人を不愉快にさせる名人も沢山います。
この場合、言葉は「兇器」です。人を攻撃し、人を殺す兇器なのです。
言葉は人を殺す兇器にもなるし、逆に人を救う道具、薬にもなるんです。佐藤さんが言うように、「悪口をやめるだけで世界が変わる」のです。対外的にも実行してほしいです。
あっ、いけない。『戦場体験キャラバン』(彩流社)について書くつもりだったのに。これは是非読んでみて下さい。「元日本兵2500人の証言から」とサブタイトルが付いてます。
よく、これだけの人々に取材し、証言を引き出したと思います。
それに、かなり残忍な、暗い話もある。聞く人々も辛かったと思う。「落ち込んでしまって、続けられない人もいました」と言う。
8月14日(木)、池袋ジュンク堂で、この本の出版記念トークが行われた時だ。
中田順子さん、田所智子さん(戦場体験放映保存の会)と私の3人で話した時、2人が言っていた。
何度も話を聞いた人もいる。「戦友会で止められた」という人もいる。「家族から喋らないでくれと言われた」と言って断る人もいる。
それでも、2500人の人に話を聞けたのか。凄い。
〈俺の話はあれだぞ。その場で見た、聞いた話しかできねえぞ〉
と本の帯に書かれていた。元兵士たちの〈実体験〉だけを集めたのだ。
「伝聞」や「噂」になると、信憑性がない。彼らの見たものだけを喋ってもらった。
これは貴重だ。「兵士の証言は、物語を圧倒する力がある」とも書かれていた。
そうなのだ。〈物語〉ではダメなのだ。戦争映画や、テレビ、小説ではダメだ。物語にするからだ。
「悲惨な戦場にも美しい愛があった」とか、「男の勇気が試された」などという結論にしたりする。
でも、戦争一般には、愛もないし、勇気もない。その地獄絵図を語ってもらう。
その点、この本は、本物の〈証言〉だけだ。物語を作ろうとしない。〈生の証言〉がグイグイと迫ってくる。
それに、こんな厖大な資料を、よく纏め、分類したものだと思う。
8つのパートに分けて、証言を紹介している。
1.勝ち戦の話を聞く(日中戦争、真珠湾攻撃)
2.戦局の変わり目の話を聞く(ミッドウェー海戦…)
3.中国の戦場の話を聞く
4.南方の戦場の話を聞く(インパール、レイテ、ルソン)
5.孤島の戦場の話を聞く(サイパン、パラオ)
6.志願と空の戦争の話を聞く(特攻出撃)
7.沖縄戦の話を聞く(座間味島、集団自決)
8.敗戦とその後の話を聞く(満州、引き揚げ)
「キャラバンはどうでしたか?」(聞き取りボランティアによる対談)
よく、これだけのものを集めたと思う。これは、このまま、中学・高校の「教科書」にしたらいい。
そして皆で考えてほしい。戦争映画や戦争TV、小説などの〈物語〉よりも、まずこの〈真実〉〈証言〉を聞いてほしいと思った。
最後の、座談会の部分がまたいい。「なぜ戦場体験を聞いているのか」「戦争の話って暗いんでしょう」と、よく周りの人には言われる。
又、「日本人はなぜ特攻話が好きなのか」「継承って何だろう」…と、皆で話し合う。
元兵士の中には、何度も話を聞いた人もいる。
何度も話すうちに、話がうまくなる。テレビや新聞から頼まれて、紹介したりする。「特攻を1人、お願いします」とか。それで「タレント」になった人もいる、という。
又、逆に、話してくれない人もいる。
どう話を持ちかけ、話せるような状況にするか。決定的なことを言いたい。でも言っていいのか。その迷っている時をどう崩すか。取り調べをしている刑事のような気持ちになるという。じゃ、本物の刑事になれるかもしれない。
「そうですね、ただ、この聞き取りをして、会社の営業の成績が上がった人がいました」という。
皆、ボランティアだ。普段は営業をしてる人もいる。飛び込みのセールスをしてる人もいる。
元兵士の戦場体験の話を聞くうちに、じっと待つ忍耐力が出来た。又、相手が楽に話せように持ちかけることも出来る。そして、大事な証言を引き出す。
まさに、〈歴史〉と向き合っているのだ。それに比べたら、普通の営業なんかは楽だ。そう気がついた。「じゃ、それをウリにして、ボランティアを集めたらいいですよ」と私は言った。
それに、座談会を読んでいて思ったが、「上から目線」がないのが、よかった。たとえば…。
〈田所 どういう体験にも、自分もやりそうだという近さがある?
清水 ある、ある。僕は学生時代、戦争反対の運動をしてましたけど、戦時中に生きたらね、無茶苦茶に協力したと思う(笑)。真面目にサラリーマンをやるように真面目に兵隊をやると思う〉
こういう疑問や迷いを持ちながら、あの時代を追体験してるのだ。
〈歴史に学ぶ〉のではない、個人の生の〈体験〉に学んでるんだ。それを自分の体験にしているのだ。
又、こんなことも言う。
〈清水 現地調達をした話だけを聞いたら、なんて悪い人たちなんだとなるけれど、何もものが来なくて、その場に放り出されたとなると、ああ自分も同じ状況になったらやっちゃうかもなと、そういう理解が出来る。ただ単に略奪をして殺している話だけを聞けば、昔の人たちはなんて悪い人なんでしょう、となっちゃう〉
こうした悩みを持ち、迷い、疑問を持つことは、いいことだ。それを告白するのは勇気がある。
「戦争とはこういうものだ」と初めから決めつけて、それに合う話を集めるのではない。自分の「先入観」も崩される。聞き取り調査をする側の「主体」も足場を失うかもしれない。
でも、その中で、敢えて行う。それは正直だし、胸を打たれる。
田所 結論が先にありきだと、プロセスの説明に対して「言いわけしてるんじゃないよ」と批判されやすい。そこをどう跳ね返していくかは課題ですね。
中田 もうひとつ、自分で考えるプロセスも大事だよね。いろいろな体験を聞いて自分で考えて得た結論なら何であれ、それはそれで大事だと思うの。そうじゃなくて、考えるプロセスを抜きにして、自分の結論にあう体験だけをチョイスしてものごとを主張するなら、それは見方間違えてますよと言いたい。
清水 結論ありきで必要な画像をコピペしてくるのと変わらないもの
これは重要だ。元兵士の話をただ聞いて発表するだけでは不安になるのだろう。
分類し、「加害のプロセス」を示し、その中から何らかの「結論」や「教訓」を得ようとする。
そのうちに、自分の中で、その「結論」に都合のいいものだけを集め、ピックアップしようとする。
これは我々だってよく陥る「誘惑」だ。話を盛り上げよう、面白くしようとする。その時にも起こりうることだ。
その「誘惑」と闘って、一生懸命、証言を集めようとする。この姿勢は凄いと思う。
ものを書く人間の1人として、教えられることの多い本だった。戦争を考える。又、自分だったらどうしただろう。そんなことを考えさせられる。
さらに、「取材とは何か」「書く上で何が大事か」「表現するとは何か」といったことまで考えさせられた。
取材記者、ライターにとって何が大事なのかも考えさせてくれる。いろんな意味で、〈教科書〉だと思った。
対談のあと、近くの居酒屋で打ち上げ。そして最終の新幹線で帰りました。
帰って朝まで原稿。仕事が遅いので、たまっている。眠い。
永田浩三さん(元NHKプロデューサー・武蔵大学教授)。永田喜嗣さん(ジョン・ラーベ研究家・大阪府立大学)と私。
それが終わって、第2回目の映画上映。それを見て、2回目のシンポジウム(20時10分から)にも出た。金平茂紀さん、永田喜嗣さんと。とてもいい映画だし、考えさせられた。松元ヒロさん、木内みどりさん、池田香代子さんたちも聞きに来ていた。ありがたいです。
終わって、打ち上げ。
⑮司会のローバー・美々さん。高須基仁さん。高須さんも8月15日は靖国神社に行ったそうです。「家のお父さんも行きました」とローバーさん。「よく、靖国には行ってます。名前も、八紘一宇ですから」。
エッ?と思ったら、名前は八紘で、「八紘(やつひろ)」と読むのだそうな。「じゃ、今度はお父さんも連れて来て下さいよ」と言いました。来年の8月15日は、父子で司会をやってほしい。