「昼も夜も完売です。当日券はありません」と貼り紙が。
残念、じゃ帰ろうか。と思っていたら、「あっ、鈴木さん」と上映委員会の荒川さんに呼び止められた。
「何してるんですか」「券がないんで帰ろうかと思って」と言ったら。「何言ってるんですか、シンポジウムのパネラーでしょうが!」。
それで中に入れてくれた。
8月23日(土)、文京シビックホールの小ホールだ。映画「ジョン・ラーベ=南京のシンドラー」の上映とシンポジウムが行われた。
この映画は実にいい映画で、世界中で上映され高い評価を受けている。
2009年の「ドイツ映画賞」では最優秀映画作品賞など4冠を獲得する快挙を収めている。
しかし、日本では、ずっと上映されなかった。
2009年にドイツ、フランス、中国合作による劇映画として公開されたが、日本だけは上映されない。
映画の中に、〈南京〉が入っているからだ。どんな形でも、南京、南京事件が入っていたら、皆、萎縮する。配給会社も映画館もビビる。
「右翼やネトウヨに襲われる。抗議が押しかける。嫌がらせの電話やメールが殺到する」…と、条件反射的に思うようだ。
「南京! 南京!」「アイリス・チャン」…などもそうだ。〈南京〉に触れた映画は全て、〈タブー〉にされてきた。
中には、勇気を持って上映した映画館もあったが、スクリーンを斬られるという事件が起こっている。こうなると、皆、手を引いてしまう。
映画「靖国」もそうだった。靖国神社を冒涜している。南京のことも出ている。といって、映画館が街宣車によって攻撃され、上映中止になってしまった。
「右傾化の時代」の中で、その流れに少しでも批判的なものは皆、力ずくで潰されている。
又、その流れに萎縮して、皆、声をあげない。抵抗しない。
だから、文京シビックでの「ジョン・ラーベ」上映会も、本当に出来るのか、心配だった。
会場を街宣車やネトウヨが取り囲んでいるんじゃないのか。それで、「上映中止」になるんじゃないのか。…と心配した。
しかし、それは杞憂だった。会場は超満員。昼、夜、券は完売し、当日券もない。上映会のスタッフは嬉しい悲鳴をあげていた。
この上映をやったのは、「南京・史実を守る映画祭」実行委員会だ。実に勇気がある。偉い。
その委員会が作られた背景を説明しよう。
南京事件(1937年)から70周年となった2007年前後に、世界各地でこの事件をテーマにした大型の劇映画がいくつも制作された。
『ジョン・ラーベ』(独・仏・中)、『アイリス・チャン』(カナダ)、『チルドレン・オブ・ホアンシー』(豪・中・独)。
…これらの作品は、いまだに日本において商業的に公開されたことがない。
又、いろんな賞を受賞し、国際的にも注目された陸川監督の『南京! 南京!』も公開を望む声が多かった。
そんな中で、こうした映画をみたい! その上で、話し合おう! という動きが生まれ、「南京・史実を守る映画祭」実行委員会が生まれた。
2009年に第1回「南京・史実を守る映画祭」を開催した。蛮勇だ。
それも何と、「南京映画」を一挙、4本も上映したのだ。1本だって大変なのに、何と4本だ。『Nanking』『アイリス・チャン』『南京・閉ざされた記憶』『チルドレン・オブ・ホアンシー』の4本だ。
その時のシンポジウムに私も呼ばれた。正直、怖かった。絶対に襲われるよ。
南京映画1本だって大変だし、上映出来ないのに、4本も一挙上映だ。街宣車やネトウヨが集まり、「とても上映出来ません」となって中止になるだろう。と思った。
ところが、この実行委員会は、敢然と闘う。
その準備・闘い方も凄い。地元の警察とも話し合いをした。
その上で、「街宣車が来たらどうする」「一般客としてで中に入り、上映中に立ち上がって叫んだらどうするか」「スクリーンを斬られたらどうする」…と、対策を立てる。いや、スクリーンを斬るために舞台に駆け寄ってきたら、どうする。と、その阻止策も考える。
これには驚いた。前列3列を関係者席にして、「暴漢」が近くで見れないようにする。舞台のところには、駈けのぼる階段があるが、外しておく。よじ登ろうとしたら、すぐには上がれないように、本や鉢を置く。その間に「暴漢」を捉える。
又、あとで「俺は何もしてない」「暴力を振るわれた」と言われないように、ちゃんとビデオを撮る。
又、弁護士の腕章を巻いた人々(実際の弁護士だ)が会場に10人もいて、「現場」に立ち会って、「証言」する。
凄い。これだけの準備をして、迎え撃った。多分、その「万全の態勢」を察知したのだろう。襲撃はなかった。朝のうちに街宣車が数台来て、抗議して帰っただけだった。
そうか。こうすれば妨害に負けずに上映出来るんだ、という、いい見本を示した集会になった。
さらに、2011年には陸川監督を招いて、『南京! 南京!』の上映会もやった。
この時も万全な準備で、混乱もなく上映・シンポジウムは行われた。大したものだと思う。
そして、今回の『ジョン・ラーベ』だ。この物語は実話だ。実に感動的な話だ。この映画の主人公、ジョン・ラーベは「上映実行委員会」の人々と同じように、勇気ある人物だ。
1937年12月…。日中戦争の最中の中華民国の首都南京。
迫り来る日本軍を前に南京に留まった欧米人たちが南京城内に安全地帯を作り、無辜の市民を守ろうと立ち上がった。
そのリーダーは、不屈の精神を持ったドイツ人、ジョン・ラーベだった。
ジョン・ラーベ研究家の永田喜嗣さんによれば、ジョン・ラーベは「正義の人」だが、空気の読めない人だったという。だからこそ、あんなことが出来たのだろう。
ドイツに帰った後、「南京では、こんな酷いことがされてる」と映写会を開いたり、講演したりする。
〈同盟国・日本〉ではあるが、悪いものは悪い。それはヒトラーも理解してくれると思った。そんなところが、認識のなさだ。空気の読めないところだ。
しかし、(当然のように)、ジョン・ラーベは逮捕され、調べられる。
撮影したフィルムは全て回収され、それからは、左遷、軟禁と続く。死ぬまで不遇だった。
しかし、死後、彼の残した日記をもとに証言が出版され、日本でも出ている。
こんな勇気ある人のことは、今まで知らなかった。
シンドラーは知ってたし、「日本のシンドラー」と呼ばれた杉原千畝さんのことも知っている。
でも南京でこんなにして、命がけで人々の命を救った人のことは知らなかった。
そうか。私らが習った歴史は、米英などの「勝った国々」の歴史だし、彼らの理屈だ。そこには偉大な人、軍人は沢山いた。
しかし敗戦国のドイツ、イタリア、日本では、いない。「悪い国」なんだから、「いい人間」が出るはずがない。そう思うのだろう。
日本でも戦争に抵抗した人はいたし、それ故に弾圧された人もいた。
ドイツでは、もっとはっきりと反対し、闘った人々がいた。反ナチ運動がいくつもあり、弾圧された。又、ドイツ人の気概を示す史実がいくつもある。
たとえば敗戦後日本人は60万人もシベリアの収容所に送られた。1割の6万人はそこで命を落とした。
日本人の中では、〈民主化運動〉が起こる。日本の天皇主義、国家主義に反対し、「スターリン万歳」と叫んだりした。
捕虜の気持ちは皆、そうかと思ったら、日本だけらしい。
シベリアの収容所にはドイツ、イタリアの捕虜もいた。彼らは、日本兵の騒ぎを見たが、決して模倣することはなかった。冷ややかに見ていたのだろう。
では、文京シビックホール小ホールの話だ。
8月23日(土)の12:00開場、12:30から「ジョン・ラーベ」の第1回上映会。
これが終わってから、15:10より「シンポジウム」だ。17:00近くまで、かなり長くやった。
パネラーは3人だ。永田浩三さん、永田喜嗣さん、そして私だ。
浩三さんは、前に慰安婦の写真本発刊記念トークで一緒に出た。喜嗣さんは初対面。
2人の永田さんも「初めまして」と名刺交換している。同じ永田だし、顔も似ている。
「本当は親子じゃないの? 自分たちも知らないだけで」と言ったら、「そうですかね」と2人とも言っていた。
司会は熊谷伸一郎さん(岩波書店『世界』編集部)。そして、初めに挨拶したのが荒川さん。スケートは好きだが、荒川静香さんではない。
2人の永田さんの紹介だ。永田浩三さんはNHKで番組制作局ディレクター、プロデューサーなどを歴任。現在、武蔵大学社会学部メディア社会学科教授。
永田喜嗣さんは、ジョン・ラーベ研究家。日本で一番、ジョン・ラーベのことを知っている。大阪府立大学人間社会学研究科大学院生だ。博士後期課程。
ジョン・ラーベの残された日記をもとに書かれたドイツ語の本、日本で出た文庫本(絶版)を持って来て、紹介していた。
ラーベの持っていた写真や映像はナチスによって取り上げられ焼却された。「同盟国・日本」の残虐行為を発表してはならないというのだ。
そして、死ぬまで、不遇だった。ただ、日記が残されていたので、死後、それを基に本が出、映画も作られた。
ナチス党員の中にも、こんなに良心的で、正義感が強く、勇気のある人がいたのかと、我々も驚く。
私は大学と大学院でドイツ語をとって、勉強したが、今はさっぱりダメだ。とてもラーベの日記を原文では読めない。絶版になった日本語の方を取り寄せて読んでみよう。
シンポジウムは、何よりも私が勉強になった。
南京のこと、ナチのこと、そして、ジョン・ラーベのこと。私なんて全く知らなかったので、2人から教えてもらった。
この後、休憩の後、第2回目の上映が始まる。午後5時から上映だ。
そして、20時10分から第2回目のトーク。金平茂紀さんと私だ。
金平さんはTBS「筑紫哲也NEWS23」の担当デスク、ワシントン支局長などを経て、11年より「報道特集」キャスターだ。
なぜ、〈南京〉はタブーになっているのか。この映画が5年も日本で上映されなかった背景について語ってくれる。
荒川さんは、「金平さんと鈴木さんだけですから、自由にやって下さい」と言う。
永田浩三さんは仕事があって帰られた。
ところが、永田喜嗣さんは、「私は残りますので、聞かせてもらいます」。
えっ、勿体ない。それで、急遽、喜嗣さんにも出てもらって、3人でトークをした。
司会がいないから、私が司会代わりだ。というより、私の聞きたいことを2人に聞いて教えてもらったのだ。
南京事件、ナチスだけでなく、世界史の勉強になった。
又、あんな状況の中で、我々はジョン・ラーベのように生きられるか、そんな勇気があるだろうか、と、考えさせられた。
トークが終わったのは9時過ぎ。客席を見渡したら、知ってる人が何人もいる。
コメディアンの松元ヒロさんがいる。女優の木内みどりさんがいる。作家の池田香代子さんがいる。
うわー、この人たちにも出てもらいたかった。と思った。お客さんも豪華な映画会でしたよ。
「ジョン・ラーベ」の上映会は、これからも、全国で行われるという。ぜひ、見て下さい。
最後の出棺の時は、「故人の希望でしたので、皆で“インターナショナル”を歌って送って下さい」。エッ?と思った。でも皆、歌っている。何も見ないで、凄い人たちだ。私も歌った。
教育関係者、教会関係者、運動関係者…の人々がいるが、皆、「運動」で結びついてるようだ。羨ましい。
①8月23日(土)。文京シビックホール小ホールで「ジョン・ラーベ=南京のシンドラー」の上映とシンポジウムの会が行われました。昼夜2回です。これは昼の部です。
12時半から映画上映。そのあと3時10分から4時40分までシンポジウム。(左から)司会の熊谷伸一郎さん、永田浩三さん、鈴木、永田喜嗣さんです。
永田浩三さんは元NHKプロデューサーで、現在、武蔵大学教授。永田喜嗣さんはジョン・ラーベ研究家。大阪府立大学大学院生。
③「ジョン・ラーベ」。主演は、ウルリッヒ・トゥクール。日本人俳優も出ています。香川照之、杉本哲太、柄本明、ARATA。好演です。それに、こうした映画に出るとは、勇気がありますし、役者の覚悟が問われます。
ARATAさんは、この後、若松監督の「11.25自決の日」に出て、三島由紀夫の役をやります。この映画から、名前を「井浦新」にしました。
⑨スタッフの中には、面白いTシャツを着てた人がいました。メキシコに行った時に買ってきたもので、ゲリラが描かれています。メキシコでは人気があるそうです。「EZLN」と書かれています。 「サパティスタ民族解放戦線」の略だそうです。
⑫ジョン・ラーベ」上映会の前日、小樽。小樽は小林多喜二、伊藤整、石川啄木。そして新選組の永倉新八などがいたところです。
この日は、天狗山のシマリス館に行きました。シマリスが放し飼いにされてます。私は餌をやってます。
⑮埼玉県羽生市です。日本基督教団羽生の森教会で行われました。小田原さんたちがここに建てた教会です。予備校関係の人。教会関係の人。そして、革命運動関係の人たちが全国から駆け付け、教会に入り切れませんでした。
㉑この東京都美術館では、他の階で、いろんな展示が行われてます。2階の「第4公募展示室」では、「第61回 新美術協会展」が行われてました。井脇ノブ子さんから案内をもらってたので、見ました。
何と、井脇さんも絵を2点、出展してました。その絵の前で。私の右隣りが井脇ノブ子さん。その右が、新美術協会の人。そして川条しかさん(前衆議院議員)。
㉓もう一つの作品、「小樽の思い出」。井脇さんは小学校の時から絵をやってたといいます。一緒に右派の学生運動をやってた時は、全く知りませんでした。凄い才能です。
他にも、柔道初段、そして、算盤7段だそうです。驚きです。