そうか、「アメリカの不満」は、アメリカ映画によく表れているのか。
「日米のヒーロー映画を見れば、日米の国民の本心や願望、潜在意識が分かる」と内田樹さんは言います。
今まで4回ほど時間をとってもらい対談しましたが、最後は8月21日(木)に、大阪の映画館を借り切って対談しました。
映画をちょっと見て、あとは2人で映画についての対談です。いや、映画を通して見る日米文化論ですね。
全共闘が全盛の60年代後半は東映のヤクザ映画が全盛で、デモの前には右も左も、ヤクザ映画を見て、鶴田浩二や高倉健になったつもりで、「明日は決戦だ!」と自分を鼓舞したんですよ。
ヘルメットの内側には藤純子の写真を貼り付けていた学生もいたんです。
左翼の人たちは本名を名乗らず、「ペンネーム」(コードネーム)を使っていた人も多く、中には「鶴田健」なんて名乗ってた人もいたんです。赤軍派の人ですが。
自分の家には電話がないから、時間を決めて喫茶店に電話してもらい連絡を取るんです。呼び出してもらうのですが、「お客さんの、ツルタ・ケンさん。お電話です」なんて呼ばれると客が皆、見るそうです。かえって目立ってしまいますよね。仮名の意味がない。
よく、深夜、朝まで上映してる映画館がありました。映画では、耐えに耐えて、ついに鶴田や健さんが、立ち上がり、「敵」に殴り込みに行く場面になると、「異議なーし!」なんて声がかかりました。おっ、左翼も随分と見に来てるんだな、と分かりました。
そうした〈勢い〉のあった60年代が終わり、70年には、「よど号」ハイジャック事件、三島事件があり、世の中に衝撃を与えます。
しかし、1972年の連合赤軍事件、1974年の連続企業爆破事件…と、暗い闘いの時代に入ります。学生運動も終わったと言われ、残っているのも、虚無的、絶望的な雰囲気に囚われます。
東映の「仁義なき戦い」シリーズが始まるのは1973年です。時代に合ってます。又、テレビで「木枯らし紋次郎」が始まるのは1972年です。「政治の季節が終わって、学生もニヒルになってきた時代だから、紋次郎は受けたのです」と、主演の中村敦夫さんは言ってました。去年、『サンデー毎日』で対談した時です。
大阪の第七劇場で、「仁義なき戦い」を少し見ながら、確かにそうだな、と思いました。
それに、今、見直すと、小さな科白(せりふ)一つ、一つに重い意味があり、「哲学」があります。そんなことを感じました。
内田樹さんは映画についての本も沢山あります。『映画の構造分析=ハリウッド映画で学べる現代思想=』(晶文社)。『うほほいシネクラブ=現場の映画論』(文春新書)などです。
8月21日(木)に会った時は、『街場のアメリカ論』(文春文庫)で書かれた〈日米ヒーロー論〉を初めに聞きました。そこから、厖大な映画の話をしてもらいました。
今まで私なんかは、アメリカ映画を見るにしても、ただ、漠然と、ボーッして見てました。
ところが、映画の中に、実は、アメリカのというか、アメリカ人の不満や怒りや憂いがぶち込まれているのだと、内田さんは言います。
そんな風に見たことはなかったので驚きました。特に、アメコミ映画にはアメリカの欲望が無反省的に露出していると言います。
アメコミ映画こそは、「アメリカの無意識」を知る上では格好の材料だと言います。
そして、こう実証します。
〈私の見るところ、アメコミのスーパーヒーロー物語は、ある設定を共有しています。それは、「理解されない」ということです〉
えっ、皆、「理解され」、熱狂的に支持されてるのではないか。と私は思いましたが、そんな見方は浅いんですね。内田さんは言います。
〈主人公は例外なく特殊な能力を持つ白人男性です。ところが、クラーク・ケント(スーパーマン)も、ブルース・ウエイン(バットマン)も、ピーター・パーカー(スパイダーマン)も、そのスーパーな本性を見せることを禁じられ、市民的な偽装生活を送ることを余儀なくされています。彼らはこの二面性の乖離(かいり)に苦しんでいる。これが第一の条件。スーパーヒーローとして活躍するのだけれど、どういうわけか必ず誤解されて、メディアからバッシングを受ける。これが第二の条件。
必ずそうなんです。ヒーローは必死に頑張っているんだけれど、ちょっと手加減を誤ると、人々から、「なんて乱暴な人なの」と罵られる。それどころか、うっかりすると、「社会秩序を乱しているのは、おまえが退治している悪者たちではなく、むしろおまえの方だ」という、いわれなき非難さえ受けるようになる。そう言われてヒーローががっくりするという場面が必ずあります。必ず、ある〉
そうですね。他人の言葉に、傷つきますよね。
〈同じ話をよくもこれだけ飽きずにやるよな、とあきれるほど、このワンパターンが繰り返されます。これは国際社会の中でのアメリカ人のセルフ・イメージなんかじゃないかな、と私は思ってます〉
ほう。そうなのか。そういえば、スーパーマンもスパイダーマンも暗いよな。ジメジメと悩んだりする。助けてやってるのに人々は感謝しない。そこを見なさいよ、と言い、さらに内田さんは、こう言います。
〈要するに、「ヒーローに少しは感謝したらどうかね。キミたち」というのがアメリカの言いたいことなんです。でも、そんなことは外交の場では言えない。本音ではあるけれど、あまりに幼児的な欲求であることがアメリカ人自身にもわかっているからさすがに恥ずかしくて口には出せない。(中略)だから、内心では「もっと感謝しろ」とは思っていても、口に出しては言えない。その抑圧された欲望が物語を迂回して、スーパーヒーローのこうむる無理解と受難という説話原型に繰り返し回帰してくる。たぶんそうじゃないかと思います〉
そうなのか! と納得がいきましたね。
私なんて、ただ、面白がっていただけだ。強いのに、悩むことなんかないだろうと思ってましたが、アメリカの〈無意識〉がここには出ていたんですね。
〈このストーリー・パターンにアメリカの人たちは「スーパーマン」が登場した1938年から70年間固着してきたわけです。とりわけ、マーベラス・コミックスのヒーローたちが銀幕に簇生(そうせい)してきたのは90年代以降です。それは「世界の警察官」アメリカが、世界に平和をもたらすよりはむしろ不和と戦争をもたらしているのではないか、というアメリカへの冷たい視線が国際社会で支配的になってきた時期と重なります〉
そうなのか。内田さんは超多忙なのに、映画は月に30本も見るといいます。
仕事が終わって、寝る前に1本ずつ見るんだそうです。それも大作とか話題作といわれるものだけではなく、B級映画、C級映画もよく見てます。
そして、〈アメリカの本心〉が表れている、と言います。
では、日本はどうなんでしょう。
〈戦後の日本型アニメ・ヒーローはアメリカの場合と同じく、ほとんど同じ説話原型を繰り返しています。恥ずかしい位に同じ話。どんな話だかわかりますか?〉
えっ、分かりませんよ。早く教えて下さいよ、と思っちゃいますよね。
〈それは、「無垢な子供しか操縦できない巨大ロボット」という物語です。この物語の原型は横山光輝の『鉄人28号』(1956—)と手塚治虫の『魔神ガロン』(1959—62年)から始まります。旧日本軍の秘密兵器、鋼鉄の怪物である鉄人28号を操縦できるのは半ズボンをはいた金田正太郎少年だけです。巨大で凶暴な「ガロン」は心臓の中に「ビック」と名乗る少年を収蔵しています。ガロンもまたビックの無垢な心に支配さるときにのみ「正しく」機能します〉
この2作の作りだした説話原型は日本人の琴線に触れたのだ、と内田さんは言います。
そうだったのか。そして、これに続いて無数の「巨大ロボットもの」「モビル・スーツもの」が登場します。『マジンガーZ』『機動戦士ガンダム』『機動警察パトレイバー』『新世紀エヴァンゲリオン』…と。
そして、今いった同じ物語構造を共有していると言います。
〈それは巨大でメカニカルな「モンスター」は無垢な「心」が入っているときだけ正しく機能し、「心」を失うと暴走してしまう、というものです。これって「何の話」でしょう。ここには戦後日本人が幻想的な仕方で処理しなければならなかった二つの「ねじれ」が入り交じっているように思われます〉
えっ! そんなに大きな政治的なことが言われてるんですか。と驚いてしまいました。
映画を見ても、漫画を見ても、内田さんの視点は違います。その奥を見ます。それの表す日本の、そして世界のありさまを見ています。
じゃ、「二つのねじれ」って何なんだろう。
〈二つの「ねじれ」とは、ひとつは日本の「呪い」であるところの自衛隊(軍国主義的なもの)と憲法9条(戦後民主主義的なもの)の「ねじれ」。もうひとつはアメリカと日本の「ねじれ」です。それを物語的に解決するのが「巨大ロボット」説話群なのです〉
ウッ! 凄い話だ。こんな壮大な話なのか。第1の「ねじれ」はですね、「モンスター」は軍国主義の記号で、「少年」は戦後民主主義の記号。そして、詳しく具体例をもって説明します。
長くなるのでそれは、ぜひ、この本を買って読んでみて下さい。
第2の「ねじれは、日米関係です。「モンスター」は駐留米軍。あるいは「アメリカの核の傘」です。「少年」は自衛隊だと言います。
でも「少年」が「モンスター」を動かしているのでしょうか。内田さんは言います。
〈駐留米軍は脱着自在の「モビル・スーツ」にほかならず、その心臓部、操縦主体はあくまで「少年」でなければならない。この物語はアメリカの実質的な軍事的支配下にあることの屈辱感を解消するために要請されたものだと私は思います〉
そうだったのか。いつまでもアメリカの勝手にさせないぞ、という「反米愛国」の熱い思いが漫画には表れていたのか。これも知りませんでした。
日米安保は、「圧倒的な軍事力」を持つ「モンスター」が「無垢で非力な少年」によって操縦されるという絵柄が浮き出してくる。と内田さんは言います。
そして急いで付け加えます。
〈これはもちろん日米関係の現実を少しも映し出すものではありません。でも、日本人の欲望はこんなふうに漫画を迂回して60年にわたって執拗に表象されてきたのです〉
これは凄い話だ。政治や左右の思想運動以前に、漫画の世界で、「日本自立」「反米愛国」の大きなマグマが動き出していたのだ。そして国民の心情を通し、日本の政治を変えようとしていたのだ。
これは単なる「妄想」でも、「漫画の深読み」でもない。ちゃんと「証拠」があることだと、内田さんは言います。
まず、『鉄人28号』と『魔神ガロン』の連載開始は、1950年代。防衛庁が設置され、保安隊、警備隊がそれぞれ陸上自衛隊、海上自衛隊と改称されて、日本の再軍備が本格化したのが1954年。無防備の敗戦国から、とりあえず、ある程度の軍事力を持つ日本になった。
勿論、アメリカ軍と自衛隊の戦力の差は大きい。問題にならない。鉄人28号と金田少年が携行する小口径のピストル位の圧倒的な差がある。
でも、その「差」だけを見てはならない。戦力についての「かかわり方の差」と見るべきだ。そして、日本の自立への国民的無意識の欲求・叫びをそこに見る、と内田さんは言うのです。
これには圧倒されますね。皆さんも、ぜひ『街場のアメリカ論』を読んでみて下さい。
この本だけでなく、オリンピック、憂国、憲法、ユダヤ問題…などについて書いた本にも、全て圧倒されます。
内田さんは年に20冊ほど本を出しています。今まで書いた本は200冊位になるでしょう。本人は、「いや、その半分位です」と言いますが、対談や文庫を入れると200冊にはなるはずです。
私は内田本を「全巻読破」しようと決意してますが、道は遠いです。読んだのは40冊ほどですから、全体の2割位しか読んでません。
それに、内田さんは、年20冊のペースで本を出しますから、「差」は埋まりません。「鉄人28号」と金田少年のピストルの差です。でも、ひたむきに純真に読み続けたいですね。
8月21日に大阪・第七劇場で対談した時にも言いましたが、内田さんは200冊の全てが全力投球です。
普通なら、「これは、ちょっとリラックスして」とか、「対談だから、手を抜いて」ということがありますが、内田さんの本には、それが1冊もないんです。全てが「真剣勝負」であり、「全力投球」なのです。これは、内田さんが武道の先生であることも関係するのかもしれません。
現代日本最高の、そして最強の思想家です。その思想家と、何度も対談させてもらい、合気道の稽古もつけてもらいました。幸せです。
鹿砦社から、いずれ本になると思います。これは楽しみですし、光栄なことです。
〈地域から始めるエネルギー転換〉
〈超高齢化時代と世田谷型「地域包括」〉
〈地域分権と「住民参加と協働」の道〉
…など。実務派区長の大胆な提言と実行力には目を見張ります。
パーティは、広いホールが超満員だった。国会議員だって、これほど人が集まらない。世田谷区は人口が88万人。いくつかの県よりも人口が多いし、大きい。又、次々と斬新なことを実行している。沢山の人たちと会った。
代官山の有名な美容室「boy Attic」で。終業後に、映画を上映する。「ユーラシアを探して」の上映が1時間半。そして、真也君とトークをした。
真也君は、ニューヨークで美術館のキュレーター(学芸員)をしていた。その時、私をニューヨークに呼んでくれた。憲法24条を書いたベアテさんたちと共に、憲法についてのシンポジウムをやった。
そこに私も出たのだ。
真也君はその時、弱冠27才。その後、日本でも美術展をやった。今は、ドイツの大学で教えている。
去年、ユーラシア大陸を横断し、映画を撮った。それを編集して、この日、上映したのだ。「鈴木さんが『ヤマトタケル』(現代書館)で書いた“白鳥伝説”がユーラシア大陸にもいくつもあるんです。そんな話をしましょう」という。
面白かったし、考えさせられた。かなり突っ込んだ話になった。急に催したのに、50人も来て、2人の話を熱心に聞いてくれました。
終わって、皆と話しました。石川さんには初めて会いました。感激でした。いろんな話を聞きました。
①保坂展人さん(世田谷区長)の出版記念会が9月3日(水)開かれました。午後7時より、新宿・京王プラザホテル5階「コンコードボールルーム」で。凄い人でした。左が保坂さん。祝辞を述べているのは松尾貴史さん。
②保坂展人さんと。私はかなり前からのお付き合いです。社民党議員になる前の、市民運動家だった頃からの付き合いです。私も、舞台に上げられたので、昔からの付き合いの話をしました。「又、国会に」なんてことよりも、この人は「ぜひ、総理に」と思いますね。それほどの大人物です。
③塩村文夏さん(東京都議会議員)と会いました。「セクハラ野次騒動」では大変でした。でも苦難、試練にもまれ、ますますビッグに、ますます美しくなりました。数年前、私が文化放送に出てた時、脚本を書いてたのが塩村さんです。本当にお世話になりました。
月刊『創』(9・10月号)では、塩村さんがその頃の話をしてました。「時の人」だけに、多くの人からカメラを向けられてました。「まあ、かわいい!」と。「次は国政選挙ですね。頑張って下さい」と声をかける人も。「いえいえ、考えていません」と塩村さん。むしろ、いつかは都知事か首相になってもらいたいですね。
そこに、松尾貴史さんが現れて、「じゃ、今度、この3人でロフトでトークしましょうよ」「いいですね、ぜひ」と塩村さん。だから、近々、実現するかもしれません。「でも、ロフトなんて知らないでしょう」と私が塩村さんに聞いたら、「何言ってんですか。鈴木さんの話を聞きに行きましたよ。文化放送の人たちと」。そうだっけ。すみません。ありがとうございました。
⑦阿部知子さんと。「私、鈴木さんと初めて会ったのがイラクなのよ」。えっ、知らなかった。開戦直前、2003年2月に私はイラクに行った。その時、行ってたのか。阿部さんは医師として3回もイラクに行ったそうです。今度、その話を、ゆっくり聞きたいです。
⑨パーティが終わって、歩いて新宿駅へ。ヨドバシカメラに寄って、出たところで、バッタリと田母神俊雄さんに会いました。「何やってんの。ヨドバシカメラで?」「FAXのインクフィルムを買ってたんですよ」「今どき、FAXなんか使ってるんだ」。そこへ、お供の人たちが駆け付けた。「あっ、この人は大丈夫。昔からの友達だし、同郷の人だから」と説明。
2人とも福島県郡山出身なんですよ。「今度、政党をつくるので、よろしく」。「総理大臣を目指すんですよね」。頑張って下さい。保坂さん、塩村さん、田母神さん…と、総理候補に3人も会ったな、この日は。
⑭昔の写真を皆、持ってくるんですね。私も接写させてもらいました。これは小学校5年の私ですね。後ろから2列目。左から2人目です。あどけない少年です。10年後、左翼と殴り合いをしたり、警察に捕まったり。ということはこの時、知るよしもありません。
⑮小学校6年の時。卒業式のあと、「記念だから」と、仲間たちと写真館に行って、記念撮影をしたんですね。マセた小学生ですね。お金も高かったでしょうに。後ろの右が私です。左は、今、カメラマンをやってる田村君です。
㉗「横尾忠則現代美術館」を見て、そのあと2時から芝居を見ました。神戸市灘区の「イカロスの森」で。「水道筋喜劇 ポッピングアワー」です。面白かったです。終わって、お芝居をやった人たちと。右は美術監督の吉本千穂さんです。
㉘そのあと、飛松五男さん、風見愛さん、中谷さんらが合流し、新大阪で飲みました。私の「100才生誕」を祝って。飛松さん、忙しいところ、すみません。中谷さんは、「三浦綾子を読んでます。全巻読む覚悟です」と言ってました。いいことです。偉いです。