9月9日(火)の札幌時計台ホールは超満員でした。そして熱かったです。
ゲストは高遠菜穂子さん。イラク支援ボランティアです。10年前にイラクで「人質」になった人です。
テーマは、「イラクから学ぶ=“対テロ戦争”とは何なのか?」。これは最も「今日的」なテーマだ。
イラク戦争は10年前に終わったのではない。今も現地では戦争が続いている。死者が出ている。
10年前、アメリカは戦争を仕掛け、イラクを「解放した」と言っている。
しかし、高遠さんの話を聞いて思った。「解放」された後の方が、もっと混乱し、疲弊し、殺戮が増えている。
高遠さんの話を聞き、悲惨な現在のイラクの映像を見て、時計台に来た人も皆、そう思ったようだ。
高遠さんは、2004年4月、イラクで現地武装勢力に拘束された。
今井さん、郡山さんと3人だ。9日間も「人質」として拘束されていた。何度も、死を覚悟した。
「今でもその時のことは思い出したくない」と言う。過酷な体験だ。
だが、解放され、日本に帰ると、すさまじいバッシングが待っていた。
「自己責任」だ。「(拘束は)自作自演ではないか」といった酷いものだった。3人の生い立ち、家族のことまで書き立て、だからこんな危険な「活動家」が生まれた。と週刊誌も書き立てた。
「非国民!」と罵倒、脅迫の手紙も来た。
拘束・人質事件の被害者なのに、まるで「加害者」「犯人」であるかのように書き立て、バッシングされた。
日本のマスコミも酷い。又、それを信じて、3人の元には脅迫状が随分と来たのだ。
勿論、支援、励ましの手紙やメールも随分とあった。だが、そのことはマスコミでは伝えられない。
高遠さんは事件後、PTSDに陥り、今井さんは、5年の間、対人恐怖症に苦しんだ。郡山さんも苦しんだ。
それは最近上映された衝撃の話題作「ファルージャ」でも生々しく描かれていた。9月9日、札幌時計台ホールに来た人にも、この映画を見て来た人が多かった。
この映画「ファルージャ」は、「イラク戦争日本人人質事件…そして」と書かれている。
10年前の人質事件だけではない。「そして」なのだ。その後の10年も戦争は続いているし、3人へのバッシングも続いている。
よく、これだけの映画を撮ったと思う。高遠さん、今井さんらが出演している。
監督は伊藤めぐみさん。現在、テレビ番組制作会社でADとして働く28歳だ。
イラク戦争当時は高校生だった。10年前に初めて社会に対し何かしたいと思い、高校生ながらデモに参加した。
人質事件で世間からバッシングが巻き起こったことに関しても違和感を感じ続けたという。その違和感・疑問が元になり、この映画が作られた。
〈テレビでは観られない、タブーに挑んだ!!〉
〈2004年、イラク戦争「日本人人質事件」の当事者の現在を捉えたドキュメンタリー〉
と書かれている。10年後にして初めて作られたのだ。日本人は10年前の戦争をもう忘れている。
しかし、イラクで戦争は今も続き、日々、人が死んでいる。映画のラストで、そうナレーションが流れた。
その「戦争」に、日本も加担したのだ。我々も加害者だ。
「いや、自衛隊は、人道支援で行ったのだ」「武器は持たないし、戦闘には参加してない」と言う人がいる。
しかし、それは「弁解」にはならないと高遠さんは言う。「イラクでは、“自衛隊”といっても、“軍隊”との違いが分からない」。
それはそうだろう。アメリカ軍と一緒に行ったのだ。「軍隊」と思われても仕方はない。
あの時、イラクは大量破壊兵器を持っている。だから、アメリカは自衛の為に、先制攻撃を加えるのだと言った。これはテロ国家を封じ込める「対テロ戦争」なのだと。
ところが、大量破壊兵器はなかった。だから、アメリカによる「侵略戦争」だったのだ、これは。
日本は武器は持たないというものの、「侵略戦争」に加担したことは事実だ。
今、安倍政権は憲法を改正し、自衛隊を「国軍」にしようとしている。又、「集団的自衛権」を認めた。
そうなると、これからは、「アメリカの戦争」に参戦することになる。これは危ない話だ。あの10年前の事件が〈教訓〉として生かされてないのだ。
あの時、何て思いやりのない国になったのか。と思ったが、それは今も同じだ。
いや、不寛容な、思いやりのない現状は今の方が酷いのかもしれない。書店に行けば、「嫌韓本」「反中本」が新刊コーナーに溢れている。
又、新大久保を初め、全国で、「韓国人死ね!」と声を上げる「ヘイトスピーチ」デモが行われている。オリンピックを開催するのに、「外国人出ていけ!」はないだろう。
排外主義的な動き、空気はさらに強まっている。又、「不寛容」「排外主義」を、〈愛国〉と思い、勘違いしている人々が多い。情けない話だ。高遠さんたちにも、「非国民!」という罵倒、手紙が来たという。
映画「ファルージャ」のチラシには、こう書かれている。
〈先天異常児、国内紛争—まだ戦争が終わっていない国イラク。そして、それぞれのその後〉
高遠さんたちが「人質」になったのは2004年4月だ。
実は、私はその1年前。つまり開戦直前のイラクに行った。2003年2月だ。
アメリカの開戦が秒読み状態になった時に、アメリカへの抗議の声を上げようと、イラクへ行ったのだ。
木村三浩氏を代表とする一水会では、ずっと「イラク支援」をし、反米闘争を戦っていた。木村氏はこの時までに、20回以上、イラクに行っている。
開戦直前は、一水会だけでなく、多くの人々に呼びかけて参加してもらった。
右翼の人もいるが、逆に元赤軍派議長の塩見孝也さんも行った。明治天皇の玄孫、竹田恒泰さんも行った。歌手のパンタさん、作家の雨宮処凛さんも行った。又、お笑いの「大川興業」の大川豊総裁も行った。全部で36人ほどだ。
さらに現地バグダッドに行って驚いたが、他のグループも、いくつも日本から来ていた。ピースボート、ジャミーラさんたちのグループ等だ。
開戦直前で、外務省からは「行くな」と言われたのを振り切って来た人々だ。全員で350人ほどが日本から来ていた。
又、ヨーロッパや世界各地からも支援者が来ていた。全体で4千人ほどだった。
この中には、さらにイラクに留まり、「人間の盾」になって人もいた。
「開戦直前」だが、まだ戦争は始まってない。我々は、イラクで連日、アメリカへの抗議集会やデモに出、又、会議に出た。
街は軍隊ばかりで、ピリピリしてると思った。しかし、そんな緊張感はない。1人で出歩いても大丈夫だし、夜中に出歩いても大丈夫だった。
その後、イラク戦争が始まる。そして、「解放」された。しかし、今はかえってイラクは混乱し、殺戮が続いている。これが「解放」なのか?
2003年にイラクに行った時は、イラクは独裁国家で、暗い国家だと思っていた。
ところが、現地に行って驚いた。明るい。自由だ。確かに、フセインの悪口を言う自由はなかったかもしれない。だが、それ以外の自由は全てある。買い物、生命の自由もある。
その後、「解放」された。確かに、フセインの悪口を言う自由はある。しかし、それ以外の「自由」はなくなった。食糧もない。安全もない。
果たしてこれが「解放」なのか。高遠さんの話を聞き、撮ってきたビデオを見て、そのことをさらに感じた。
イラクの現状は余りに残酷だった。直視出来ないほどだった。
それなのに、イラクは「解放」されたと思い、自衛隊は「人道支援」で行ったと思い、イラクの人々からも感謝されてると思っている。全くの勘違いなのだ。
「それまでは親日的な国だったのに、自衛隊が行ってから、ガラリと変わりました」と高遠さんは言う。
2003年に私らがイラクに行った時の写真を見せたら、「今は、こんなきれいな街並みではありません」と言う。
街の中にはフセインの写真、肖像画が大きく取り上げられていた。そんな写真を見て、「今、こうしたポスターには全て銃弾が撃ち込まれてます」。そうなのか。
「フセイン美術館」なんてものあって、フセインの写真や肖像画だけを集めていた。あそこも真っ先に壊されただろう。
私らが行った時は、開戦直前だが、まだ平和だった。人々も明るかったし、騒々しかった。
世界中から多くの人々が来ていて、デモをしたり、集会をしていた。戦争直前の、「つかの間の平和」だったのだろう。
この直後、戦争になり、イラクは破壊と殺戮の場となった。
又、アメリカと一緒になってやってきた日本の自衛隊に対しても、敵意が向けられた。むしろ「親日」的な人々の多かったイラクなのに、急に、「日本憎し」になった。
そんな中でも、高遠さんたちはボランティアでイラクに渡った。そして、現地の武装勢力に捕まってしまった。
さらに、解放された後も、日本でバッシングを浴びた。何とも冷たい日本だ。不寛容な日本だ。
高遠さんたちは「非国民!」と言われ、苦しんだ。人間不信になり、PTSDになり、時には家に引きこもった。
しかし、家族や多くの人たちに支えられて、立ち直った。さらに、驚くことに、高遠さんは再びイラクに向かう。凄い人だ。
あれだけの体験をし、死ぬような体験をしたのに、それでもなお、イラクへ行く。
実は、9月9日(火)の時計台シンポも、高遠さんはイラクから帰ってきた直後だった。
「おととい深夜、イラクから帰ってきました」と高遠さんは言っていた。「それからちょっと仮眠をとって、昨日は、岩上さんのテレビ、集会に出て、終わってから、今日、札幌に着きました」と言う。
本当に大変だ。弟さんが千歳に迎えに行き、時計台まで連れて来てくれたという。
「これからどこへ行くの」と車を運転してた弟さんは聞く。「時計台で、鈴木邦男さんとトークだよ」。エッ!と弟さんは驚いた。「今、鈴木さんの本を読んでたところだよ」。
ありがたいですね。1歳違いの弟さんは、実にお姉さん思いだ。小学校からずっと一緒で、強いお姉さんを近くで見てきた。そして今は、支えている。
人質になり、釈放された時も、弟さんがドバイまで迎えに行った。その時の感動的な話も聞いた。
今井さん、郡山さんも家族の支えがあって、あの「バッシングの嵐」を耐えて来た。
マスコミも酷いし、それを鵜呑みにして、バッシングし、脅迫する人々も酷い。優しさ、寛容さのない日本になったのだ。情けない。
この状況は今も続いている。そう思ったので、高遠さんに、いろんなことを聞いた。
終わってからも、夜、遅くまで話し合った。翌日は、「朝7時の飛行機で小松に行く」と言ってた。
「あっ、そうだ。山本太郎さんがよろしく言ってました」と伝えた。
前日、札幌のかでる会館で、私は「天皇制を考える集会」に呼ばれて話してきた。
そしたら同じ会館の1階大ホールで脱原発の集会をやっていた。何と、山本太郎さんと広瀬隆さんが講師だった。
だから、こっちが終わってから、挨拶に行ったのだ。「明日は旭川で、これから広瀬隆さんとずっと一緒に北海道を回るんです」と言っていた。
私は、「明日は高遠さんとトークです」と言ったら、「よろしく言って下さい。ぜひお会いしたいです」と言っていた。
翌、9日(火)は、高遠さんと時計台でトーク。
10日(水)に帰京。
翌11日(木)は夜8時から、テレビ朝日(BS)の収録。朝日新聞の誤報問題についてだ。
ところが、午後7時半から、朝日新聞社長の緊急記者会見があった。原発の吉田調書、慰安婦問題で訂正し、謝罪。第三者委員会を作ると発表。その処理をしたら、辞任も…と言った。
だから、トークも、当初の計画を大幅に変更して、始まった。
始まりは、9時過ぎになった。田原総一朗さん、早野透さんと私だ。静かに、トークは進む。
まさに劇的な展開だ。田原さんも驚いていた。では、その件に関しては、又、書きましょう。
それにしても、この1週間はハードだったし、忙しかった。又、いろんな人に会え、いろんな〈現場〉に立ち会った。スリリングだった。
9月5日(金)は、渡辺真也君の映画を見て、トークをした。
6日(土)は、映画「SAYAMA」上映とトークに行った。狭山事件の石川一雄さんに初めてお会いした。
とても元気だった。そして、「走っている」という。今でも毎朝5km走ってるという。
菅家さん、桜井さん、杉山さん…など冤罪被害者に会った。志布志事件の川畑さんにも会った。「SAYAMA」の監督・金聖雄さんとも話し込んだ。
翌7日(日)は見沢知廉のお母さんの法要だ。宮台真司さん、山平重樹さん、大浦監督も来てくれた。
8日(月)は札幌。「天皇制を考える」シンポジウム。別の部屋で集会をしている山本太郎さん、広瀬隆さんと会った。
9日(火)は札幌時計台にて高遠さんとトーク。
10日(水)に帰京。
11日(木)はBS朝日で田原総一朗さん、早野透さんと話す。その直前に朝日社長の緊急記者会見だ。劇的な、歴史的現場に立ち会ったという気がした。
12日(金)は柔道に行き、13日(土)は新潟県新発田でやっている「大杉栄メモリアル」に出た。
14日(日)は田宮高麿さんのお墓参りに行き、そして、忙しい、その中で、原稿を書き、校正をやり、打ち合わせ、対談をやったり。それに「読書のノルマ」をこなさなくてはならない。これも果敢に挑戦している。さらに、時間を見つけて柔道にも行っている。
そのおかげで、この夏も乗り切れたのかもしれない。では又、来週。
元・東京にいた高橋君が、「1階で山本太郎さんが講演してますよ」というので、挨拶に行く。
1階大ホールで、脱原発の集会をやっている。そこで、山本太郎さんと広瀬隆さんが講師で来ていた。これから何日か、北海道を回るという。
それから10階に戻り、皆で、打ち上げに行く。近くの「すもう茶屋」で、ちゃんこを頂きました。
高橋君は皆に、「モンゴルの方ですか?」「元・おすもうさん?」と聞かれてました。
今日の集会では、いろんな人がいて、中には、学生運動で捕まって、札幌刑務所に入ってたという人も。「そこでKさんと一緒だったんです。釧路で鈴木さんとご一緒だったそうで」。
エッ!驚いた。昔、暴れていた頃、私は釧路で逮捕された。1ヶ月、警察にぶち込まれていた。同じ房に、恐喝、泥棒、ヤクザ…などがいて、その中の1人がK氏だ。「いやー、懐かしいね。今度、一緒に会いましょう」と言いました。
夜、遅くまで飲んで、ホテルに帰って仕事。
加藤は羊年だから、『羊の歌』か。じゃ、私も、書いてみようかな。なかなか深い本だった。
7時15分、車で六本木のテレビ朝日へ。BS朝日の「激論!クロスファイア」の収録。例の朝日の原発や慰安婦に関する「誤報」問題について。
8時から打ち合わせ。8時半から収録だったが、急遽、7時半から朝日の社長が記者会見。
それを見て、9時過ぎから、収録。田原総一朗さん、早野透さん、村上祐子アナ。そして私。人数が少ないので、じっくりと話が出来た。放映は13日(土)の朝10時から。
⑳9月6日(土)映画「SAYAMA」上映。その後、“獄友”思いっきりトーク。(左から)司会の金聖雄監督。石川一雄さん(狭山事件)。菅家利和さん(足利事件)。杉山卓男さん(布川事件)。桜井昌司さん(布川事件)。
㉖9月5日(金)渡辺真也君と。ユーラシア大陸を横断し、自ら撮った映画を上映。その後、一緒にトークしました。
真也君は今、ドイツの大学で教えています。7年前、ベアテさんたちと憲法についてのシンポジウムをニューヨークでやった。私もニューヨークに呼んでくれた。