これは便利だ。いい資料になるでしょう。
だって、護憲派、改憲派の両方を紹介している。代表的な論客、政治家、活動家の発言が入っている。
今までこういう本はなかった。両派から思われ、あるいは批判され。途方に暮れてるのでしょう。憲法は。それを『迷子の日本国憲法』と表現している。
先週も「お知らせ」で紹介しましたが、これは面白い企画だし、画期的だと思います。
森村誠一編著『迷子の日本国憲法=ただ一つの国から、ただの国へ』(徳間書店)だ。
安倍晋三、石破茂、吉永小百合、渡部昇一、黒柳徹子、山田洋次、さだまさし…などが登場している。それぞれの改憲論、護憲論を展開している。
その中に、私までが入っている。申し訳ありません。
又、自民党の改憲案や、大手各新聞の憲法をめぐる「社説」も出ている。これは貴重だ。
今まで私は、憲法についての対談や討論会の時は、新聞の切り抜きや、自民の改憲案などを持って行くから、かなり荷物になる。これは大変だ。この本、1冊あればいい。
実に便利だ。護憲・改憲論の「全て」がここに入っている。又、憲法改正をめぐる議論の年表も入っているから大助かりだ。
この本の帯にはこう書かれている。
〈誰もがみな当事者なのだから! 岐路に立つ日本。護憲派の森村誠一が、各界著名人から大手新聞の論調まで、護憲派、改憲派、それぞれの意見を選択。あなたはどちらに未来を賭ける?〉
いいですね、このスタンスは。どちらかに偏って、「これこそが正義だ!」と叫ぶ本が多い中、これは「生の材料」を提供し、「さあどうする」と言うのだ。読者を、キチンと「主権者」扱いしている。
これはいい。今までの改憲論、護憲論は、(今でもそうだが)、「自分たちこそが正しい。相手は100%、間違ってる!」と決めつけているだけだ。「結論」は俺が知っている。それを教えてやる。君らはそれをただ受け取れ!と言ってるようだ。
新聞だって、そんな傾向がある。慰安婦や南京大虐殺にしても、「これが正しい」「だから、信じろ」と言う。
「いろんな材料や証拠はあるんだが、皆はとてもそんな厖大なものを読む時間も能力もないだろう。だから、私らが読んでまとめてあげた。その結論がこれだ」…と、「結論」だけを示される。
好意的に言えば、優しく噛み砕いて、教えてくれるわけだ。又、これは、「読者を信用していない」ということにもなる。
生のままの材料を見せたら、読者は混乱するだろう。読み方だって分からないだろう。だから私らプロが読んで整理し、その結果を皆に教えてあげてるんですよ。…というものばかりだった。
本だってそうだ。改憲か護憲か初めから決まっている。そういう本ばかりだ。
集会だってそうだ。皆でじっくり論じてみたら、あらら、こっちになりました。なんていう集会はない。
〈「護憲」か「改憲」か決まってるのは当たり前だろう。でなかったら、不安で、どっちの集会に行っていいのか分からない〉。そう言う人も多いのだろう。
しかし、それでは、何らの進歩もない。進化もない。
一人一人は何も考えない。「君らが考えることはないんだよ。私たちが考えてやりますから」と言われて、ただ、「動員人数」になってるだけではないか。
それが、これまでの左右の運動だったし、又、新聞もそうだった。
憲法、原発、戦争犯罪、安保、核…などについては、新聞ごとに「主張」が決まっている。自分たちの〈正義〉は決まっている。
あとは、それをどう読者に説明していくか。又、自分たちの「結論」「正義」に合う証拠をどう集めていくか。そういう勝負になる。
でも、それでは、ジャーナリズムではない。「運動家の論理」だ。
今回の朝日の誤報問題もそこで起きている。それは僕らだってやってきたことだし、他人事ではない。
たとえば、20才前に、僕は「改憲論者」になった。右翼学生運動の中で、そういう「結論」を得た。
そして「諸悪の根元=日本国憲法」と言ってきた。
全ての日本の悪の元凶は、この憲法だと言ったのだ。政治がダメなのも、経済がダメなのも、犯罪が多いのも、離婚が多いのも、子供の学力が伸びないのも…。悪いことは全てこの「占領憲法」があるせいだ。これを改めなければダメだ。と言ってきた。
今となっては、かなり大げさなスローガンだったと思うが、当時は、そのまま信じていた。人間が純粋だったのだ。
又、慰安婦や南京大虐殺も全て嘘だと思っていた。左翼が作り上げた「幻想」であり、「嘘」だと思っていた。
我々の先祖を冒涜する奴らは許せないと思った。日本の兵隊さんは、皆、〈神兵〉だと思っていた。
今のネット右翼や保守と同じことを考えていたのだ。40年以上前は、同じ考えの人だけで集まり、毎日、「そうだ!」「そうだ!」と言い合っていた。それはそれなりに楽しかった。
ただ、他の本を読んで、疑問も生まれる時もある。しかし、仲間にも先輩にも聞けない。「信念がぐらついたのか!」「反日分子にそそのかされたのか!」と怒鳴られる。内心思っていても言えないのだ。
それから、40年以上経ち、今は、言える。内心の疑問も言える。
又、言ってそれで、「そんなことで迷うなんて非国民だ!」「反日だ!」と言われても平気だ。歴史のたとえ暗部でも見つめる勇気はあるつもりだ。
我々はただ、いろんな証拠や、いろんな材料を提供するだけでいいのかもしれない。その上で、皆の頭で考えて下さい。と言うべきだろう。
朝日新聞だって、原発の「吉田調書」にしろ、慰安婦の「吉田証言」にしろ、疑問があったら、それも併記して読者に考えてもらおう。という選択肢もあったはずだ。
でも、「時代の空気」の中で、「これは正義だ」と思った。特に慰安婦問題はそうだ。又、その正義を伝えるのが新聞の役割だ、と思った。
本当は、もっともっと検証すべきだったのに、甘くなった。自分たちは「正義」であり、少し位、誇張してもかまわない、そんな気になったのだろう。
又、当時だって、少々、「疑問」に思った人もいた。その人たちの「異論」も併記するとか、すればよかった。
でもそんなことをしたら、我々の正義、主張のトーンが弱くなる。そう思ったのだろう。
「検証された正しさ」ではなく、「正しいのだから、もっと大きく強力に訴えなくては…」と思ったのだ。
でも、それは「ジャーナリズムの姿勢」ではない。「運動家の理屈」だ。
今、朝日を批判し、バッシングする保守派の雑誌、新聞は勢いがいい。まるで鬼の首を取ったように朝日を叩きまくっている。
「朝日は廃刊にしろ!」と言い、「教科書からも慰安婦という言葉を全て削除しろ!」と言っている。「慰安婦はいなかった」という論調ばかりになっている。
そして、正確ではない、いい加減な記事も氾濫している。「朝日を叩くことは正義だ」とばかりになっている。大げさでも、誇張でもいい、朝日を叩けば…という感じだ。
しかし、こうした「検証」なき朝日叩きは、30年後には、「あっ、あれは嘘ばかりだった」「あれは酷すぎた」と叩かれる時が来るだろう。
今、「冷静になって考えよう」と言う雑誌がない。これは嘆かわしいことだ。
あっ、そうか。「週刊金曜日」(10月3日号)が、少し言ってるか。〈異常に興奮するメディア、沈黙するメディア。朝日バッシングと『慰安婦』問題〉の特集だ。
今、これくらいじゃないのかな、客観的に考えてみようというのは。
あと、月刊「創」が中心になって10月15日(水)に緊急シンポ「朝日バッシングとジャーナリズムの危機」(午後6時半。文京区民センター3階)をやるそうだ。いいことだ。
さて、ここでもう一度、話は戻ります。『迷子の日本国憲法』です。
結論を決めずに、両方の立場を聞いてみる。見てみる。それで、「うん、こっちの方がいいのかな」と思う。これはいいことだと思う。朝日問題でも、そうした方向に行けばいいと思う。
そうだ。「朝日誤報問題」で、『週刊金曜日』と『創』シンポ、はいい。と言ったけど、『サンデー毎日』(10月12日号)もいい。〈朝日バッシング「5大問題」〉をやっている。
まず「正義ありき」で、検証が甘くなったのではないか。政府の「非公開情報」にも問題が…と5人が語っている。
うん、そうだよな。特にまず「正義ありき」の姿勢だったのは間違いのもとだ。と思って読み進んでいたら、アッと思った。
何と私の名前が出ていた。そうか。そういえば、取材されたな。ここに出したのか、と驚いた。
では、〈朝日バッシング5大問題〉を紹介しよう。
うん、これは冷静に、出来るだけ多くの、異なった意見を紹介し、読者に考えてもらう。それが使命だったはずだ。
それなのに、いつの頃からか、「これが正しい」がまず先頭に来て、「なぜならば…」という証拠を集めた新聞の作りになってしまった。それでは左右の政治機関紙と同じではないか。
そうか、昔は過激な左右の党派がいて、暴れていた。又、偏った紙面づくりをして、「こいつこそは敵だ!やっつけろ!」という論陣を張っていた。
その時なら、マスメディアも、「こうなっちゃダメだよね。我々は、先に結論を出すことはやめよう。自分だけが正義だ、なんて思い上がるのはやめよう」と思ったはずだ。
ところが今、過激な政治党派はない。党派の機関紙もない。そうすると、マスメディアが彼らに近づいた。
皆、左右のどちらかに偏向し、「主張」「正義」を声高に言う。マスメディアが過激な政党機関紙化しているのだ。
かつての残忍な連合赤軍はなくなったが、その代わり、日本全体が、人の揚げ足を取り、怒鳴り合い、潰し合う「連合赤軍化」してきている。そんな気がする。
左右の(いい所もあったはずなのに)、いい主張は忘れられて、〈悪い点〉ばかりが、受け継がれている。そんな気がする。
「迷子」になっているのは憲法だけではない。〈日本〉そのものが「迷子」になっているのだ。
そうだ。この後、「東京新聞」(10月3日)でも、いい特集をしていた。「こちら特報部 朝日バッシング。深層を読む」だ。
スーパー、コンビニの攻勢の中で、百貨店がどうやって立ち直り、営業成績をあげてゆくのか。必要なのは「人間力」だといいます。
商売とは関係ないと思われがちですが、人間の勉強、努力だといいます。そのために、歴史や文学、哲学の本を読んで勉強している。と言います。これには驚きました。学校の先生や、ジャーナリストよりも努力して勉強してるんですね。
終わってから、大西さんと話して、その辺のことをさらに教えてもらいました。大西さんの前には「5分間スピーチ」がありました。
この日は、クロマティックハーモニカ&フルート奏者の山下伶さん。ただのハーモニカではない。初めて聞きました。その説明をしてくれました。
終わって、新聞社の人と打ち合わせ。午後4時に青林工藝舎に行く。末井さんと久しぶりに会って、いろんな話をしました。
昼、河合塾コスモ。自習室で勉強。
3時、「現代文要約」。
5時、「読書ゼミ」。椎野礼仁さんが書いた『テレビに映る北朝鮮の98%は嘘である』(講談社+α新書)を読む。
いかに北朝鮮は知られていないか。誤解されているか。それが分かる本だ。又、わざと誤解されるようなこともやってるのだ、北朝鮮は。その中で、「よど号」の話もした。
⑨ある劇場で。「消火器」ではなく、「消人器」と書かれてます。じゃ、何が入っているのかと思って、扉を開けようとしたら劇団員に止められました。「ダメ! サリンが入っているから」。バカな。でも、本当に「消人器」なんでしょうか。「火」の点がとれただけでしょうか。不思議です。
⑪9月22日(月)「月蝕歌劇団」の「ナチスと地球空洞説。カルガリ博士〜葛飾北斎とその娘・お栄編」を見ました。面白かったです。そのあと打ち上げで飲みました。寺脇研さん、高取英さん、中森明夫さんたちがおります。
⑯日の丸の右の方には乃木将軍の木像があります。その前で、郡邦敏さんと。この勉強会の世話人です。
私の『反逆の作法』(河出書房新社)を読んでくれて、フェイスブックに紹介してくれました。私が影響を受けた人として、谷口雅春先生や大森知義先生(「生長の家学生道場」道場長だった人)のことを書きました。それで、紹介してくれたんだそうです。
そしたら、「布清信(ぬの・きよのぶ)という人から問い合わせがありました。本を紹介してくれたのはありがたいが、あんたは誰だ! 鈴木さんと知り合いか?」と。「そうです。生学連の後輩です」と答えたそうです。布君には、この本を大森先生のご自宅に届けてもらったのです。石川県七尾市です。
今は、お孫さんの代ですが、お仏壇に供えて下さったそうです。「近々、お墓参りに行きます」と布君に言ってありました。そんな時に、フェイスブックにこの本が出てたので驚いたんでしょう。
⑱乃木大将の木像の右隣りには、こんな額が。この言葉がいいですね。
〈頭は低く(礼儀)。眼は高く(理想・志)。心は広く(思いやり)〉
いいですね。これに尽きてますね。もしかしたら乃木大将の言葉かと思って聞いたら、違ってました。ここでは子供用の剣道教室もやっていて、そこの剣道の先生の言葉だそうです。でも、いい言葉です。
㉕ペペさんが産経新聞(4月18日)の「きょうの人」欄に出てました。刑務所コンサートをしている人です。西宮ゼミなどでも何度か会いましたし、歌ってくれました。今までの刑務所コンサートの苦労が認められ、保護司に任命されたそうです。頑張ってますね。