2014/10/13 鈴木邦男

鶴岡で佐高信さんと。教育問題講演会。

①2度目の鶴岡。どちらも衝撃的でした

佐高信さんと。鶴岡。10/3 佐高信さんと。鶴岡。10/3

「鶴岡で講演会をやるから一緒に行ってよ」と佐高信さんに言われた。「あっ、いいですよ」と答えた。3ヶ月ほど前だ。

佐高さんは東北では「佐高塾」という講演会を自分でやっているし、他から呼ばれて講演することも多い。そのどっちかだろう。

10月3日(金)午後1時40分東京発の上越新幹線に乗る。佐高さんも乗り込んできた。

あっ、一緒の新幹線で行くのか。「山形県の鶴岡に行くのに、どうして僕らは新潟に向かっているんですか?」と聞いたら、山形新幹線はかえって不便だし、時間がかかると言う。

テーマは「日本の教育と政治」 テーマは「日本の教育と政治」

15時17分に新潟に着き、羽越本線の特急に乗り換える。15時32分新潟発の秋田行きだ。17時17分に鶴岡に着く。

だから、全体で4時間もかかった。大阪や神戸に行く方がずっと早い。「飛行機だと1時間もかからないんだけどね」と佐高さん。

でも台風が来そうだし、そうなると飛ばない。それで、新幹線+在来線特急になった。

「そうだ。あの時は飛行機でしたね」と言った。

もう6年ほど前だ。衆議院議員だった加藤紘一さんの家が放火された。

講演後のサイン会 講演後のサイン会

加藤さんは地元が鶴岡だし、ここが選挙区だ。家族が住んでいる。90を過ぎたお母さんもいる。

その家を放火された。靖国問題などについての加藤さんの発言が許せない。「国賊だ!」「非国民だ!」と怒った右翼の人に放火れた。

その問題について、加藤さんを含め、「緊急討論集会」が鶴岡で開かれた。加藤紘一さん、佐高信さん、早野透さん、小森陽一さん、そして私だ。

「右翼が放火したんじゃないか。なんで右翼を呼ぶんだ」と地元では反撥が強かったらしい。当然だ。

教職員の皆さんがたと 教職員の皆さんがたと

「いや、鈴木さんはテロを否定している。冷静な討論が出来ると思う」と加藤さんが説得してくれて、この討論集会は実現した。

もの凄い人が集まった。警察のガードも厳しかった。右からも左からも抗議された集会だった。

放火事件の直後、私は山形新聞に取材されて、それが記事になっていた。

「加藤さんの政治姿勢や発言に対して反対ならば、言論でやるべきだ。加藤さんだって受けて立つだろう。それなのに、家族が住む家に火をつけるのは絶対にまずい」と言った。

人を傷つけたり、家に火をつけるのは悪い。当然のことだ。「それに、“八紘一宇”に火をつけちゃダメでしょう」と言った。

会場になった映画館 会場になった映画館

加藤さんのお父さんは実は、石原莞爾の又いとこだ。思想にも共鳴していた。それで息子に、「八紘一宇」から取って「紘一」と付けた。その話を聞いていて、言ったのだ。

その新聞を加藤さんが読んで、「おう、話が出来る右翼もいるんだ。来てもらおう」となったのだ。

でも、どんな人間か分からないし、地元でも大反対があった。それを押して呼んでくれた。勇気のある人だ。

それと、私もかなり覚悟をして行った。実は、同じ日、東京では「国賊・加藤紘一邸焼き討ち支援集会」が行われていたのだ。それに、多くの右翼が集まっている。

それなのに「国賊」の故郷・鶴岡で一緒に集会に出る奴がいる。「許せん!」「こいつも国賊だ!」…となった。全く孤立無援だ。

②県教組・高教組の主催だったんだ

鳥料理店で打ち上げ会 鳥料理店で打ち上げ会

「あの時は緊張しましたね」と佐高さんに言った。「帰りも飛行機だったの?」。と佐高さん。

いや、帰りは宮城県の塩釜に行ったのだ。仙台に住んでいたが、家の墓は塩釜にある。

翌日は親の法事で昼までに塩釜まで行かなくてはならない。列車やバスを調べても、皆、便が悪い。

「じゃ、私が車で送りましょう」と地元の人が送ってくれた。

ありがたい。鶴岡から月山を越えて塩釜に行った。時間もかかったが、それが一番早いという。本当にありがたかった。

「だから、列車で鶴岡に行くのは初めてなんですよ」と佐高さんに言った。

新潟までは結構、来ている。先月も「大杉栄メモリアル」で新発田まで来ました、と言ったら、「その新発田を通って行くんだよ」。

翌日の「山形新聞」に載りました 翌日の「山形新聞」に載りました

エッ、そうなのか。新潟から秋田行きの羽越本線・特急に乗ったら、2つ目が新発田だった。ここまでは何回も来たことがある。このあとは初めてだ。

その初めての体験が素晴らしかった。新発田から鶴岡までの景色が凄いのだ。

荒々しい日本海に沿って、特急は走る。ウワー、凄い!と、ついつい見とれてしまった。

それにグリーン車にはわざわざ、「展望スペース」が、作られている。

1台まるまる「展望車」にするわけではないが、全体の何分の一かを、「展望スペース」にしている。海に正対しながら、見る、楽しむ。それが、1時間半だ。

今までは新発田までしか来なかった。実は、その先が凄い風景だ。それを知らなかったのだ。

「荘内新聞」にも載ってました 「荘内新聞」にも載ってました

17時17分。鶴岡駅に着く。迎えの人が来ていた。「鶴岡は初めてですか?」「2度目ですけど、列車で来て鶴岡駅で降りたのは初めてです」と言った。

車で会場に向かう。市の公会堂とか、ホテルかと思ったら、違う。

「鶴岡まちなかキネマ」と大きな看板が出ている建物の前で降りる。まさか、映画を見るわけじゃないだろう。じゃ、ここが会場なのか。

入ったら、驚いた。大きく看板が出ている。

〈「市民と共に考える教育講演会」。
【講師】佐高信×鈴木邦男
【演題】「日本の教育と政治」〉
列車から見た日本海 列車から見た日本海

えっ、教育についての講演会だったのか。と、初めて知った。

佐高さんが、政治・経済の時局問題について講演し、その前に前座で私が10分ほど喋るのかと思っていた。

「何言ってんですか。2人で1時間半、対談をやるんですよ」と佐高さん。

この時、初めて今回の集会のチラシをもらう。

主催を見て、又もや驚いた。「山形県教職点組合 田川地区支部」となっている。県教組と高教組だ。つまり、日教組の集会なのだ。

そうか。日教組が呼んでくれたのか。ありがたい。と思った。

先生方と打ち合わせをして、「鶴岡まちなかキネマ」の人にも紹介される。

もう鶴岡の近くですね もう鶴岡の近くですね

鶴岡で一番大きな映画館で、ここには4つのスクリーンがある。そのうちの一番大きな部屋だ。普段はロードショーをやってるが、この日は特別に講演会に貸してくれたのだ。

「じゃ、人が入らなかったら、映画を上映するんですか」と聞いたら、「それはいいですね」と笑っていた。

しかし、そんな心配をすることもなく、満員になった。

午後7時から始まる。佐高さんと1時間半、話をする。

朝日の誤報問題から始まり、ヘイトスピーチ、すぐに相手を「国賊!」「反日!」と批判する空気、改憲問題などについて話す。

「それにしても今日は、日教組が主催なんですね。昔は、抗議や妨害に行ったこともあります。すみません」と謝った。

③9年前は、日教組委員長と対談したんだ

南洲神社で。10/4 南洲神社で。10/4

今でも、黒い右翼の街宣車には、「日教組打倒!」と大きく書かれたものもある。

かつては日教組は右翼にとっての「主要敵」だった。日教組大会があると全国の右翼が抗議に殺到した。何百台という街宣車が集まった。

オリンピックは「民族の祭典」であり、「参加することに意義がある」と言われた。日教組大会への抗議は、「(右翼)民族派の祭典」であり、「参加することに意義がある」と言われた。

それだけの強力な組織と思われていたんだ、日教組は。今は、街宣車のボディに消し忘れた「日教組打倒」はあったとしても、実際の反対運動は、ない。

むしろ淋しいことだ。頑張ってもらいたい。

「徳の交わり」の銅像で 「徳の交わり」の銅像で

今は、時代が変わった。数年前にも、新潟の日教組に呼ばれて話をした。それに何と、日教組の委員長と対談したのだ。

その話をしたら、鶴岡の人たちも皆、ビックリしていた。朝日新聞社で発行していた『論座』の2005年6月号だ。今からもう9年前か。

それに、今はこの『論座』もない。今、本棚から取り出してみたが、表紙にこう出ている。

〈史上初の対談。
日教組委員長と右翼。
森越康雄×鈴木邦男〉
「徳の交わり」の絵本も買いました 「徳の交わり」の絵本も買いました

この号のメインの特集は「クール!に論じる。憲法改正」だったが、〈日教組vs右翼〉の方が評判を呼び、話題になった。

「日教組と右翼」は、14頁の対談で、二段組みだ。かなりの長さだ。タイトルは、

〈日教組vs右翼。
この対談は革命的だ!〉

リードはこう書かれている。

〈対極にいた二人が初めて一対一で向き合った。教育を語り、「君が代」「日の丸」を語り、憲法や自衛隊を語り合った。そしていま、58年続いた「vs」の関係の中から、「&」を築こうと一歩を踏み出した〉
「土門拳記念館」で 「土門拳記念館」で

そうなのか。「58年間の対立」だったのか。初めての対談か。誰も考えなかったのか、「対談」をさせようと…。

もしかしたら、話があっても、「周り」が止めたのだろう。

又、お互い、「そんな奴らと話し合いなど成り立つはずがない」と初めから思っていたのだ。

又、会っただけでも、「裏切り者!」「許さん!」という雰囲気もあっただろう。

森越さんとはそんな話もした。本当に「革命的!」だったと思う。

この対談は、朝日新聞社で行われた。極秘裡に行われた。

わざわざ人工湖を造ったそうです わざわざ人工湖を造ったそうです

その前に、『論座』の人と、日教組の本部を訪ねて、打ち合わせをした。

「ほう、ここが日教組の本部ですか」と私は、キョロキョロと見回していた。

そして、「ここに入った右翼は私が初めてですか? 58年間で」と聞いた。「そうです」と言うと思ったら、「正式に招待されて入った右翼は初めてです」と言う。

エッ? じゃ、「正式に招待されないで入った人はいたの?」「はい。いきなりピストルを撃って入ってきたり…」。

大変だ。そんな襲撃があったんだ。「これがその時の傷です」と、足を見せてくれた人もいた。ピストルの弾が当たったのだ。

「すみませんでした」と、つい謝ってしまった。

④保守化、後戻り…にどう抗するか

荘内神社で 荘内神社で

この『論座』の対談は、反響も大きかった。危険を冒して対談し、かなり踏み込んだ話が出来たと思った。

しかし、お互い、内部からの反論・突き上げも多かったようだ。

いつまでも「天敵」にしておいた方がいいと思う人たちがいるのだ。警察も含めて…。

この対談は、〈革命的〉であるにもかかわらず、私のどの単行本にも入ってない。

2年ほど前、私の「対談集」を出そうという話があって「これも入れましょう」と言っておいたのだが。話が進んでないな。

藤沢周平記念館で 藤沢周平記念館で

ここで鶴岡に話は戻る。映画館で行われた佐高信さんとの対談だ。

佐高さんは、この鶴岡の隣り、酒田の出身だ。「実は、私も日教組の活動家だったんですよ」と佐高さん。

そうか、学校の先生だったとは聞いていたけど、日教組の活動家だったのか。

庄内農業高校と酒田工業高校で教えていた。合計5年いた。

そして、よんどころない事情で故郷を後にして、上京。業界紙に勤め、その後、ジャーナリストとして独立。有名になる。今は『週刊金曜日』の発行人だ。

「故郷に錦」を飾ったんだ。地元では絶大な人気がある。その秘密などについても聞いた。

大宝館です 大宝館です

又、この日のテーマは、「日本の教育と政治」なので、「日の丸」「君が代」「愛国心」の押し付けの話。学校教育では何を教えるのか…についても話し合った。

又、最近、言論の自由が危機的状況だ。何か言うとすぐに「国賊だ!」「反日だ!」とレッテルを貼って、その人間そのものを潰そうとする。酷い話だ。

そして、朝日の誤報問題と、その後の異常なバッシングについて話し合った。

「朝日の言ってることは全て嘘だ。従軍慰安婦はいなかった。南京大虐殺もなかった。日本は正義の戦争をしたんだ」という声が世を覆っている。「朝日は謝っただけでは済まない!」とも言う。

カソリック教会 カソリック教会

じゃ、どうすればいいのか。「朝日は廃刊しろ!」というのだろう。廃刊したら、もっと「言論の自由」はなくなってしまう。

又、そんな冷え切った言論状況に対し、あまり言及しているマスコミはない。

新聞、週刊誌は、取り上げないで、逃げるか。あるいは、この時とばかり、「朝日バッシング」に加わり、「日本は悪いことは何一つしてない」「正義の戦争だった」というキャンペーンに加わるか。

どちらにしろ、だらしがない。

と思っていたら、『週刊朝日』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などは、「自由な言論」目指して頑張っていた。月刊『創』も、この問題を特集していた。

高山樗牛の碑が 高山樗牛の碑が

それから、『東京新聞』も特集してましたね。と言った。

実は、今朝、新幹線に乗る前に、たまたま、『東京新聞』を買ったら出ていたのだ。

だから、鶴岡でも紹介した。『東京新聞』 (10月3日)の「こちら特報部」だ。〈朝日バッシング、深層を読む〉と題し、かなり詳しく現状を報告している。

こういう見出しが並ぶ。

〈「売国」「反日」見出しは売れる。
「戦争受け入れる下地づくり」
新たな「戦前」の序章?〉

⑤すぐキレて、「反日!」と叫ぶ人が増えた

だだちゃ豆アイスクリーム だだちゃ豆アイスクリーム

今の状況をズバリと指摘している。今、朝日新聞に対するバッシングが盛んだ。朝日の、この記事はおかしい。ここはダメだ…というのではない。いきなり、「国賊!」「反日!」だ。

こんな汚い罵声がネットの世界だけでなく、活字メディアでも「市民権」を得つつある、とリードでは言う。

敵を排撃するためには、あらん限りの罵詈雑言を浴びせる。これではまるで戦前・戦中の言論統制だと言う。こうも言う。

〈「嫌韓本」で一線を越えた出版界には、もはや矜持もタブーもないのかもしれない。安倍政権が「戦争できる国」へ突き進む中、「売国奴」呼ばわりの横行は、あらたな「戦前」の序章ではないのか〉
夜の鶴岡駅です 夜の鶴岡駅です

そして、青木理氏、前田朗氏、百田尚樹氏…などの発言を紹介している。

あっ、私の発言も紹介されていた。

〈愛国者気取りで「売国」「国辱」などと口汚く他者をののしるのは「エセ愛国者」だと断じる〉

愛国心があるというのなら、「日本のこんなとこが好きです」と謙虚に言ったらいい。

「俺は愛国者だ! でもこいつらは愛国心がない」と言って、必ず他人を口汚く罵る。これでは「愛国心」ではないと思う。

松元ヒロさん、志の輔さん、(1人おいて)有田さん 松元ヒロさん、志の輔さん、(1人おいて)有田さん

テレビ討論会の影響かもしれないが、「大声で怒鳴り」「口汚く相手を罵る」。そのことでしか、「自分の正しさ」を証明出来ないと思っている人が多い。違うだろうと思う。

相手を罵倒しなくても、あるいは、心の中で思っているだけでもいい。「心」なんだから、それでいい。「愛国心」は。と思う。

鶴岡では、そんな話を佐高さんとした。1時間半はアッという間に過ぎ、会場からの質問も受けて、9時に終わる。

終わって、近くの居酒屋で、日教組の先生方と打ち上げ。大いに飲み、大いに話しました。

翌日は、地元の人が、鶴岡、酒田を案内してくれる。南洲神社、土門拳記念館、荘内神社、藤沢周平記念館…などを見て、夜の特急で帰りました。

【だいありー】

「アエラ」(10/13号)
「アエラ」(10/13号)
矢島一夫さんと対談 矢島一夫さんと対談
  1. 10月6日(月)週刊「アエラ」(10月13日号)発売。私の原稿が載ってました。プチ鹿島さんの『教養としてのプロレス』(双葉新書)の書評です。
     プロレスを見ることで学んだ、人生を生きる上での教養について書いてます。単なるプロレスの「見方」ではないのです。
     たとえば、プチさんは、なぜオウム真理教に入らなかったか。「それはプロレスがあったからだ」と言います。
矢島さんの本 矢島さんの本
〈純粋で硬直化している頭には「タメ」がなく一気に過激に変貌する。純粋と傲慢は紙一重なのである〉

なるほど、それは言えますね。プロレス好きな人は、オウムにも連合赤軍にも入りません。プロレス観戦は最強の「護身術」になる。面白いし、教えられる本です。

午前中、原稿。

愚安亭遊佐さんと。10/7 愚安亭遊佐さんと。10/7

午後1時、喫茶店「ミヤマ」の会議室。『紙の爆弾』の対談。矢島一夫さん(73才)と対談する。

強盗殺人で刑務所に40年も入っていた。さらに少年時代は少年院、少年刑務所に10年ほど入っていた。シャバにいる時間の方が圧倒的に短い。凄まじい人生を聞いた。

そして、人間はこんなに変われるのか。と驚くほど変わった。どうしたら人間を更正させられるのか。その方法は…といった話を聞く。驚きの連続だった。

田原さんを囲んで。文化放送で 田原さんを囲んで。文化放送で
  1. 10月7日(火)午前中、原稿。
     午後1時半、文化放送に行く。「田原総一朗 オフレコ!」に出る。
     この日は収録で、10日(金)の夜8時から放送。朝日誤報問題とメディアの使命について。
     田原さん、下村満子さん(元『朝日ジャーナル』編集長)、そして私。司会は鈴木純子アナ。2時間、語り合った。
     田原さんは今年4月の誕生日で80才を迎えたという。元気だ。
     そういえば、『80歳を過ぎても徹夜で議論できるワケ』(角川oneテーマ21)という本も出ていた。凄い本だ。今読んでます。
大竹まことさんと 大竹まことさんと

番組が終わって帰ろうとしたら、大竹まことさんに会った。これから夕方の番組なのだ。少し、話をしました。

それから新宿3丁目に。「新宿SPACE雑遊」に行く。愚安亭遊佐さんの独り芝居「人生一発勝負」を見る。

よかった。感動的なお芝居だった。本人のお母さんをモデルにして作った壮絶な人生の芝居だ。終わって、近くの居酒屋で一緒に飲みました。

  1. 10月8日(水)午前中、原稿。
     午後、打ち合わせ。
     7時、一水会フォーラム。ホテルサンルート。講師は篠原浩一郎さん(元全学連中央執行委員)。演題は「人物から学ぶ=唐牛健太郎、田中清玄、田岡一雄、今里広記を語る=」。
講演する篠原浩一郎さん 講演する篠原浩一郎さん

実に興味深い話だった。60年安保のリーダー唐牛さんの話から始まり、企業人、山口組、右翼フィクサーが登場し、激動の戦後史を語る。とても興味深い話でした。

終わって、近くの居酒屋で二次会。全学連副委員長だった小島さんや、元『文芸春秋』編集長の堤堯さんなども来てくれて、「あの時はこうだった」と、秘められた事件史を語ってくれる。

  1. 110月9日(木)午前中、図書館。
     午後、河合塾コスモ。
     3時、「現代文要約」。
大盛況でした 大盛況でした

5時「読書ゼミ」。斉藤先生が選んだ中島敦の本『弟子』と、そのテープを聞き、勉強。中島敦はいいですね。私も全部読まなくっちゃと思いました。

  1. 10月10日(金)午前中、原稿。
     午後1時、椎野礼仁さんと高田馬場で待ち合わせ。それから、京王線で1時間。高沢皓司さん(作家)が入院している病院に見舞いに行く。
     高沢さんはベストセラー『宿命』(新潮社)を書いた人だ。北朝鮮、よど号のことを書いている。前に、その後の話を聞き、『紙の爆弾』に載せた。
篠原さんを囲んで 篠原さんを囲んで

これも又、衝撃的な話だったので、「病気見舞い」のついでに、又、取材させてもらった。凄い話が聞けました。

それから新宿に戻り、6時半、外国の政治家。記者の人たちとの話し合いの会に出る。
 10時近くに終わる。急いでロフトプラスワンに行く。「金正日の料理人」藤本健二さんが出ている。まだやっていた。間に合った。久しぶりに会う。
 そのあと、椎野礼仁さんと担当編集者が来ていたので、皆でゴールデン街と「猫目」に行く。そこで飲み、騒ぎ、喧嘩した。

  1. 10月11日(土)午前中、原稿。午後1時、四谷区民ホール。〈響かせあおう 死刑廃止の声2014〉の集会に出る。超満員だった。
     「死刑がつくる冤罪」について、弁士が話す。青木理さん(ジャーナリスト)、西嶋勝彦さん(袴田事件弁護団長)、袴田秀子さん(袴田巖さんの姉)などが話す。全国から多くの人が来てました。
     終わって、デモ。そして二次会へ。
     この日、サプライズがあった。何と、袴田巖さんが来て、挨拶したのだ。皆、驚き、感動していた。
二次会で 二次会で
  1. 10月12日(日)朝6時45分羽田発の飛行機で旭川へ。8時25分着。柏艪舎の仕事をする。
     それから、「三浦綾子文学記念館」に行く。「第6回三浦綾子祭」に出ました。それから、お墓参りをしました。
     又、柏艪舎の仕事をして、19時35分旭川発の飛行機で、東京に戻りました。21時30分着。
「東京新聞」10/3付
「東京新聞」10/3付

【写真説明】

佐高信さんと。鶴岡。10/3

①10月3日(金)、鶴岡で佐高信さんと対談しました。

テーマは「日本の教育と政治」

②県教組、高教組主催で、「市民と共に考える教育講演会」です。鶴岡まちなかキネマでやりました。

講演後のサイン会

③講演の後です。佐高信さんとの対談本『左翼・右翼がわかる!』(金曜日)のサイン会をやりました。

教職員の皆さんがたと

④教職員の皆さんと。

会場になった映画館

⑤これが会場になった映画館です。「鶴岡まちなかキネマ」です。4つも映画館が入ってます。最も大きな所でやりました。

鳥料理店で打ち上げ会

⑥打ち上げ会です。鳥料理店です。

翌日の「山形新聞」に載りました

⑦翌日(10月4日)の「山形新聞」に大きく出てました。〈愛国心や郷土愛を考える〉と。

「荘内新聞」にも載ってました

⑧これは「荘内日報」です。こちらは、〈日本の教育と政治語る〉と出てました。

列車から見た日本海

⑨新潟から羽越本線で鶴岡まで来るところは、とても景色がいいんですね。雄大な日本海を見ながら来ました。

もう鶴岡の近くですね

⑩列車の「展望コーナー」からずっと見てました。

南洲神社で。10/4

⑪10月3日(金)は、鶴岡に泊まりました。翌4日(土)は、地元の人が鶴岡や酒田を案内してくれました。
 ここは酒田にある南洲神社です。酒田の人は皆、西郷を尊敬し、神社まで建てたのです。

「徳の交わり」の銅像で

⑫「徳の交わり」の銅像の前で。西郷隆盛と菅実秀です。戊辰戦争後の薩摩の温かい「戦後処理」に感動したのです、酒田は。そして魂の交流が始まります。

「徳の交わり」の絵本も買いました

⑬絵本も買ってきました。神社の中や記念館も案内してもらいました。

「土門拳記念館」で

⑭「土門拳記念館」に行きました。広いです。立派です。世界的カメラマンです。

わざわざ人工湖を造ったそうです

⑮湖の隣りにこの「土門拳記念館」を造ったのだと思ったら、違ってました。わざわざ人工湖を造ったのだそうです。凄い規模です。

荘内神社で

⑯「荘内神社」も行きました。

藤沢周平記念館で

⑰その隣りには「藤沢周平記念館」がありました。私も随分読んだつもりですが、まだまだあります。「全集」に挑戦しなくては。

大宝館です

⑱その隣りにあった大宝館です。

カソリック教会

⑲これも美しい建物でした。鶴岡カソリック教会です。アートな町です、鶴岡は。

高山樗牛の碑が

⑳高山樗牛の碑もありました。私も昔は、随分と読みました。

だだちゃ豆アイスクリーム

㉑鶴岡は高級枝豆の「だだちゃ豆」が有名です。「だだちゃ豆アイスクリーム」をホテルで売ってました。鈴木吉維さんの『芹沢光治良研究』を読みながら、だだちゃ豆アイスを食べました。

夜の鶴岡駅です

㉒夜の鶴岡駅です。正面にアーチがあって、上に米をかついだ人の銅像が。

松元ヒロさん、志の輔さん、(1人おいて)有田さん

㉓10月5日(日)3時、松元ヒロさんのライブ「松元ヒロ ひとり立ち」を見に行きました。紀伊国屋ホールです。面白かったです。
 楽屋に挨拶に行ったら、立川志の輔さん、有田芳生さんに会いました。久しぶりでした。

田原さんを囲んで。文化放送で

㉔10月7日(火)文化放送。「田原総一朗 オフレコ!」に出ました。(左から)久利一さん、下村満子さん、鈴木、田原総一朗さん、鈴木純子アナと。

大竹まことさんと

㉕文化放送で、大竹まことさんに会ったので、しばらく話し込みました。

「アエラ」(10/13号)

㉖「アエラ」(10月13日号)に書きました。プチ鹿島さんの『教養としてのプロレス』(双葉新書)の書評です。
 この写真もいいですね。本をリングの上に立ててます。小さなリングを作ったんでしょう。撮影用に。凝ってます。

「東京新聞」10/3付

㉗「東京新聞」10月3日付に載ってました。「こちら特報部」で、〈朝日バッシング、深層を読む〉です。これはなかなかいい記事です。読ませます。私も取材されました。

愚安亭遊佐さんと。10/7

㉘10月7日(火)文化放送のあと、新宿に行って愚安亭遊佐さんの独り芝居「人生一発勝負」を見ました。感動的な舞台でした。終わって、飲みに行きました。

矢島一夫さんと対談

㉙『紙の爆弾』の対談です。10月6日(月)、「ミヤマ」の会議室で。矢島一夫さんと。

矢島さんの本

㉚矢島さんは獄中でもの凄く勉強し、2冊の本を出してます。『独房から人民へ』です。

講演する篠原浩一郎さん

㉛10月8日(水)一水会フォーラムです。篠原浩一郎さん(元全学連中央執行委員)が講演してくれました。

大盛況でした

㉜大盛況でした。

篠原さんを囲んで

㉝篠原さんを囲んで。(左から)木村三浩氏、篠原浩一郎氏(元全学連中央執行委員)、小島弘さん、鈴木。

二次会で

㉞二次会で、(左から)堤堯さん、小島さん、木村三浩氏、鈴木、篠原浩一郎さん。

【お知らせ】

  1. 10月13日(月・祝)「鈴木邦男の名古屋塾」第1回。〈原発を考えるシンポジウム〉。パネラーは、三上元さん(湖西市市長)。樫村愛子さん(愛知大学教授)。鈴木邦男です。参加費1000円。申し込みは、080(5702)8405(岩井)まで。
  2. 10月15日(水)18時。文京区民センター3階。緊急シンポ「朝日バッシングとジャーナリズムの危機」。
    発言者:青木理、森達也、永田浩三他多数
    進行:篠田博之(『創』編集長)
  3. 10月17日(金)大学で講演です。
10/21(火)上祐史浩さんと 10/21(火)上祐史浩さんと
  1. 10月21日(火)午後6時、「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。ゲストは上祐史浩さん。テーマは「いま、語るべきこと」。申し込みは柏艪舎へ。011(219)1211です。
  2. 10月24日(金)〜26日(日)劇団「再生」の公演。読書劇『岸上大作全集全一巻』。秋葉原アトリエACT&B。なお、初日の24日(金)は、上演前に、高木尋士氏と鈴木邦男のプレトークがあります。
  3. 10月25日(土)名古屋で講演。
  4. 11月5日(水)午後7時。ネイキッドロフト。衝撃の映画「リーベン・クイズ(日本鬼子)」のDVD発売を記念して、トークがあります。「日中15年戦争。元皇軍兵士の告白」とサブタイトルが付いてます。実に衝撃的な映像です。私は映画パンフレットで、松井監督と対談しています。それも入っています。
     この日のネイキッドロフトでは、映画(ダイジェスト)上映します。その後、松井稔監督、原一男さん(「ゆきゆきて神軍」の監督)。そして私の3人でトークをやります。早めに申し込んだらいいでしょう。
  5. 11月8日(土)西宮の浅野健一ゼミは、ゲストが矢谷暢一郎さんです。私も聞きに行こうと思ってます。
  6. 11月16日(日)森田必勝氏の地元・四日市で映画とトークの集い。午後6時開場・午後6時30分開演。四日市文化会館で、「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」(若松孝二監督)の上映。その後、森田治さん(必勝氏のお兄さん)と鈴木邦男のトークがあります。
  7. 11月18日(火)飛松塾。
  8. 11月19日(水)奈良市で講演。(桜井市から変更になりました)。
  9. 11月24日(月)野分祭。
  10. 11月25日(火)憂国忌。午後6時、星陵会館2階大ホール。
  11. 12月6日(土)盛岡で佐高信さんと講演します。
  12. 1月20日(火)札幌時計台シンポジウム。ゲストは逢坂誠二さんで、「北海道のこれからを考える」。