あれっ、去年の今頃もこんなことがあったな。と思い出した。
台風に怯え、翻弄され、それでも立ち向かって行った。台風で新幹線が遅れに遅れている中、静岡に行ったんだ。去年は。袴田事件の支援集会で。
その袴田巖さんは再審が決定し、出てきた。そして、10月11日(土)、四谷区民ホールでお会いした。死刑反対に集会に、突然、出席し、挨拶したのだ。
感動しましたね。お姉さんと一緒に壇上から挨拶した。実にしっかりしている。演説している。皆、感動して聞いていた。
去年、静岡に行った時は、今日の状況は予測出来なかった。
ただ、台風の中、無理して行ってよかったと思った。
台風の中、やっとのことで東京に帰り、次の日は新潟県の新発田に行ったのだ。(まだ、去年の話ですよ)。
新潟までは、何とか行けたけど、それから先の在来線は止まっている。バスもない。タクシーは1万円以上かかるが、そのタクシーもない。
もうダメか、と思っていた時、やっと遅れに遅れていた在来線が動き出した。それに乗って、新発田になんとか辿り着いた。「大杉栄メモリアル」に出て、森まゆみさん(作家)の話を聞いた。
そうか。「自分の仕事」ではなく、「勉強」のために、静岡に行き、新発田に行ったんだ。大変な思いをして。
そして、これからは今年の話だ。10月11日(土)は袴田巖さんにお会いした。
翌12日(日)は旭川、13日(月)は名古屋だった。両方とも日帰りだ。
名古屋までの日帰りはよくあるが、旭川に日帰りする人は他にいないだろう。それも、自分の「仕事」ではなく、「勉強」のためにだ。
まず旭川だ。旭川にある「三浦綾子記念文学館」では、10月6日(月)から12日(日)まで、「第6回三浦綾子祭」をやっていた。
私は三浦作品は随分と読んでいる。「全集」を読破しようと挑戦している。前にも、この文学館には来ている。
綾子さんは亡くなったが、夫の三浦光世さんは健在で、記念館の館長をしている。90才だが、時々、記念館にも来るという。前に私が来た時は、おられなかった。
この「三浦綾子祭」の最終日には、光世さんがお見えになるという。
ぜひお会いしたいので、旭川に行きます、と連絡した。
次の日は名古屋があるので、日帰りだ。
翌日、旭川から名古屋に行く手もあるが、台風が近づいている。飛行機が飛ばないかもしれない。この日のうちに東京に帰っておいて、翌日、朝早く名古屋に向かおう。そういう計画だった。
札幌の柏艪舎の人が、案内してくれるという。仕事でもないのに申し訳ない。
羽田発6時45分の飛行機だ。家を4時半に出たら地下鉄はまだ動いてない。高田馬場までタクシーで行き、そこから山手線、モノレールだ。
早朝というより、夜中という感じだ。朝3時に起きたが、ほとんと寝てない。
旭川には8時25分に着く。迎えの柏艪舎の人たちと、車でまず、富良野に向かう。札幌から旭川に来て、旭川駅でレンタカーを借りたという。
私は免許を書き換えたばかりだから、「途中で私が運転を交替しますよ」と言ったのだが、「鈴木さんは、いいです」。腕を信用されてない。
まず、初めに富良野市を目指す。「北の国から」で有名になった所だ。初夏だと、ラベンダーで有名だ。
でも今日は、三浦綾子だ。前に『塩狩峠』の事故現場に行って見たが、今日は『泥流地帯』のモデルになった所に行く。
大正時代の十勝岳噴火の大災害、そして復興に向けての人々の不屈の物語だ。
米作りはもうダメだ、と村を去る人も多い。でも、とどまって、復興に向けた戦いをする人々もいる。実に感動的な小説だ。
1時間ほど走ると、『泥流地帯』の碑が見える。そしてその傍の「上富良野町開拓記念館」を見る。
『泥流地帯』に出てくるが、復興の先頭に立って頑張った吉田貞次郎村長の旧宅を再現したものだ。家の様子が再現されてるし、又、十勝岳噴火の現場写真など、貴重な資料が展示されている。
そのあと、「上富良野市郷土館」を見た。
それから、旭川に向かう。三浦綾子記念文学館に行く。2回目だ。
館長で、綾子さんの旦那さんの三浦光世さんが今日は来られると聞いていた。ぜひお会いしたいと思い、会館に連絡しておいた。
光世さんは90才。三浦綾子さんのことをいろいろと聞いてみたい。それで、日帰りで旭川に来たのだ。
ところが、「残念ですが、今日は風邪をひきました」という。何とも残念だ。
中を見て、今日の講演を聞いて、そして、出た。
記念館の後ろは大きな林だ。外国の樹木が北海道で育つかどうかを見るために、巨大な木々が植えられている。
そのずっと先に川があり、そこで陽子は自殺するのだ。小説『氷点』ではそうなっている。
ところが一命を取りとめて、自分の〈過去〉を探す。それが『続・氷点』だ。
本も読んだし、テレビにもなって見た。映画にも何度もなった。名作だ。これで三浦綾子は一躍文壇に知られた。
そのあと、『塩狩峠』『母』『銃口』『泥流地帯』…と、次々と発表している。100冊近いだろう。
私はまだその三分の一も読んでない。「全集」をなんとか読破しようと思っている。今年中には無理だが、来年には読破出来るだろう。
それと、井上靖だな。井上靖の全集も読まなくちゃ、と思った。旭川が生んだ2人の大作家だ。三浦綾子と井上靖は。
井上靖文学館にも行きました。大きくて、立派です。
井上靖は旭川で生まれたが、すぐに静岡に引っ越している。
自伝的小説三部作『しろばんば』『夏草冬涛』『北の海』の舞台は幼少期の天城湯ヶ島、中学時代の三島、沼津、第四高等学校時代の金沢だ。
記念館の資料で見たが、沼津中学(沼津東高校)では、文学に目覚めるきっかけとなる友人たちと出会う。
そして詩作を始め、京都帝国大学を卒業してからは、大阪毎日新聞社に入社。1950(昭和25)年に小説『闘牛』で第22回芥川賞を受賞。43才で文壇デビュー。
以後、現代小説、歴史小説、エッセイ、自伝的小説…などの厖大な小説を書く。
シルクロード西域を取材した作品、詩集なども多く、幅広く、その軌跡は「山脈」と讃えられている、という。
「山脈」か。凄いなー。映画化された作品も多い。「人間の本質を優しくとらえた井上文学は、時を超えて愛され続けています」と書かれていた。
そうか。井上靖も「全集」に挑戦しなくっちゃ、と思った。けっこう読んでるはずだが…。
ちょっと思い出してみよう。『氷壁』『風林火山』『天平の甍』『蒼き狼』『しろばんば』『続しろばんば』『おろしや国酔夢譚』『北の海』『孔子』…などは読んだ。でも、まだまだある。ウーン、大変だな。「全集」を読むのは。
じゃ、時間を決めて、しっかりと読書するようにしよう。そう思いながら、旭川から最終の飛行機で東京に帰りました。
翌日、10月13日(月・祝)は朝、名古屋へ向かう。新幹線は動いてるのだろうか。不安だったが大丈夫だった。ホッとする。
午後2時から、〈原発を考えるシンポジウム〉。「第1回 鈴木邦男の名古屋塾」と銘打っている。記念すべき第1回だ。
しかし、今年最大の台風が直撃するという。だから、この集会は、「強行するか」「中止にするか」ギリギリまで迷った。
しかし、やってよかった。来れない人も多かったが、それでも台風の中、多くの人が来てくれた。
三上元さん(湖西市長)は、何かあったら、「市長不在」で問題になる。だから、台風の時は外に出られません。と言っていた。
市長さんは来れない。樫村さんも在来線が不通になったら来れない。3人のパネラーのうち2人もいない。
中止にすべきか。又、強行しても、皆、「早く帰らなくちゃ」と落ち着かないだろう…と考えた。
「メールや電話で出席申し込みした人には、すぐ返事をしますから、中止にしましょう」という声もあった。
それしかないかな、と思ったが、敢えて強行した。
パネラーはいない。参加者もいない。でも、何かで見て来てくれる人がいるかもしれない。たった1人かもしれない。
それでも、1人のためにやるべきだろう。それが集会を開催した人間の責任だろう。そう思って決行した。
午後1時から受付をした。誰も来ないだろうな、と思っていたが、次々と人が来る。
「来れない」と言っていた三上市長さんも来てくれた。「大丈夫ですか」と、こっちの方が心配になる。
又、国会議員の近藤昭一さん、市会議員のさいとうまことさんも来てくれた。全く申し訳ない。
唐牛健太郎さん(60年、全学連委員長)のいとこの村瀬さんも来てくれた。
今、佐野眞一さんが、唐牛健太郎さんの評伝を作ろうとしている。村瀬さんのことも紹介しておいた。いい本が出来るだろう。
60年安保の英雄だ。その伝説は、かなり知られているが、本当の詳しいことはよく知らない。それを明かしてくれるだろう。
ともかく、台風の中、駆け付けてくれた多くの人たちには感謝感激だ。
そして最も驚いたのは、河合塾の牧野剛先生が来てくれたことだ。
先生は河合塾のカリスマ講師だし、実は、私を河合塾に入れてくれた人だ。大恩人だ。
私は河合塾の講師をやってるが、それ以前に「牧野先生の生徒」だ。
現代文要約では、自分も生徒と一緒になって、授業を受け、要約を書き、先生に厳しく直してもらった。
「オレは文章なんて書けなかったんだ」「本の読み方も知らなかったんだ」と思った。基本的なことから、教えられた。
その特訓を受けたおかげで、今、こうして原稿を書いていられる。勿論、今でも教えを受けている。
ところが牧野先生は体調を崩されて、今、リハビリ中だ。又、お見舞いに行かなくちゃと思っていた。
ところが何と、先生が来てくれた。「大丈夫ですか」と聞いてしまった。
「ちょっと様子を見に来ただけだから、すぐに帰るよ」と言う。
じゃ、初めにちょっと挨拶して下さいよと言ったら、「いいよ、後ろで聞いてるから」と固辞される。
でも、会がスタートし、議論が白熱すると、先生も興奮したのだろう。「ハイ!」と手を上げて、マイクを握る。
昔は全共闘で戦った先生だ。又、選挙にも何度も出てる。マイクを持つと、全く違う。
ちょっと挨拶、という感じかと思ったら、大演説になった。
原発のこと、今の日本の政治状況のこと。問題は右とか左ではない。今、戦うテーマは何か。…について、語る。
大演説で、アジ演説だ。元気だ。元気一杯だ。
ありがたいです。マイクで喋ることが、最大のリハビリになるかもしれない。
じゃ、これからも、どんどんやってもらったらいいだろう。
牧野先生が来てくれただけでも、今回の集まりを決行した意味があったと思う。
又、三上さん、近藤さん、さいとうさんを初めかなり、突っ込んだ話が出来た。
現職の立場で、脱原発を戦っている三上さんの戦いの現況、課題なども話してもらった。
又、参加者も自由に発言してもらい、いろんな問題について語り合った。
マスコミの問題、慰安婦、戦争責任…そして、左右の運動、市民運動の在り方なども話し合った。
普段はそんな話を余りすることがないが、この日は私も、かなり踏み込んで、個人的な思いを語ったように思う。
それも、外の台風のせいかもしれない。こんな時だから、こんな時に敢えて来てくれた人々だから、という安心感や期待感もあったのだろう。と自己分析した。
終わってからも、近くの居酒屋で話し合った。
「そろそろ、帰った方がいいんじゃないですか」「新幹線は動いているかな」と心配してくれる人も…。
「ダメなら泊まったらいいでしょう。ホテルはまだ空いてるようですから」と岩井氏も調べてくれた。どうしても走ってなかったら、泊まります。
「でも、明日はモーニングバードに出るんだから」と言った。
明日は、東京を台風が直撃だ。テレビ朝日まで行けるのだろうか。「昼には台風は東京を過ぎるようですから、午後なら大丈夫です。午後2時にテレ朝に来て下さい」と言われていた。
ともかく、8時の新幹線に乗る。
驚いた。ガラガラだ。東京に帰る人は、とっくに皆、帰っているんだ。台風はこれから東京に向かう。敢えて台風の方向に行く人はいないんだ。
1車両に1人しかいなかった。貸し切り状態だ。と感動しているうちに、眠ってしまった。
疲れていたんだよな。前日は旭川に日帰り、この日は名古屋に日帰りだったし。
かなりバテたけど、多くの人たちに会えたし、勉強になった。得るものが多かった。
行くところ、行くところ台風で、台風に脅され、翻弄されながら動いていた。「嵐を呼ぶ男」だよと言われたが、別に私が呼んだわけじゃない。
でも、台風の季節になると、どうしてこうも行事が多いんだろう。これも不思議だ。おわり。
パネラーの樫村愛子さん(愛知大学教授)は在来線が不通になるので、来れなかった。湖西市長の三上元さんも、来れないだろうな。と思っていたら、来てくれた。
それに、衆議院議員(民主)の近藤昭一さん、市会議員のさいとうまことさん、唐牛さんのいとこの村瀬さん…なども来てくれた。
それに驚いたことに、河合塾の牧野剛先生も、リハビリ中なのに、駆け付けてくれた。感謝感激です。
三上さんと私が初めに話し、あとは皆で話し合う。とてもいいシンポジウムになりました。
そのあと、近くの居酒屋へ。「ウワー、避難勧告が出てるよ」とスマホを見ながら、皆で飲みました。
「新幹線は大丈夫かな」と心配しつつ、駅へ行く。動いてました。8時の新幹線に乗り、無事、東京に着きました。ガラガラでした。台風なので、皆、諦めたのでしょう。
①10月11日(土)午後1時より。四谷区民ホール。
〈世界死刑廃止デー企画。
響かせあおう 死刑廃止の声 2014〉。
その集会に突然、袴田巖さんが登場し、挨拶しました。皆、驚いてました。「今朝、起きたら、東京に行く!」と言い出して静岡から新幹線に乗ったそうです。お姉さん(隣り)もビックリしてました。そして、巖さん、実に堂々と、しっかり話してました。大演説です。
②マスコミに取り囲まれて、「新幹線速かったでしょう」「どの季節が好きですか?」と質問。巖さん、「そんなことより、日本の経済問題だ」「国家が人間を殺す資格はない。生かし、殺すのが出来るのは神様だけだ」と。巖さんの答えの方が、レベルが高いんです。
③控え室でお二人にお会いしました。「いつもこんなに話すんですか?」と聞いたら、家では喋らないそうです。「じゃ、テレビを見てるんですか?」「今のテレビは下らない。見るものはない」と言って、ビデオ(時代劇)ばっかり見てます、と言う。
⑦青木理さん(右)と。中央は、あゆみさん。「あれっ、似た人が司会をやってるよ」と思って近くに行ったら、「あゆみ」ちゃんでした。柔道3段の猛者です。私は講道館で初めて会いました。「青木さんと闘ってみたら?」と言ったら、「ダメです。僕は弱いですから」と青木さん。
⑧死刑囚や獄中者から、沢山の作品が出品されてました。絵画、詩、小説などです。カレー事件の林眞須美さんの作品もありました。絵画です。それと、「獄中からの叫び」も。「人殺し! それはアナタよ。裁判官」。「人殺しを裁いている」と言うが、アンタの方が人殺しよ。と言ってるんですね。
⑨10月12日(日)旭川に行って来ました。日帰りで。三浦綾子記念文学館で、「第6回 三浦綾子祭」をやってました。10月6日(月)〜12日(日)。この日は、館長の三浦光世さん(綾子さんの旦那さん)がお話をされるというので、聞きに行きました。ところが、風邪をひいて、来られませんでした。この文学館は2度目です。
⑪1926年(大正15年)、十勝岳噴火による大災害が起きた所です。その大災害と、そこからの復興の物語を三浦綾子さんは『泥流地帯』に書きました。実に、痛恨の、そして感動的な小説です。『氷点』『銃口』『母』『塩狩峠』などと並ぶ、三浦さんの代表作です。上富良野にこの碑が建ってます。
⑫上富良野町開拓記念館で。この建物は、十勝岳噴火災害からの復興を成し遂げた当時の村長・吉田貞次郎の住宅を解体復元したものです。『泥流地帯』にも、この村長さんのことは書かれてます。もう復興はムリだ、村を捨てろという声が多い中、とどまって、復興の先頭に立って戦いました。
⑬記念館の内部です。大噴火の当時の写真や資料が展示されています。又、吉田村長の家の復元も。入館は無料で、村の人たちがボランティアで説明・案内しくれました。冬の間は閉館です。「今日が最後です」と言います。春まで、閉館です。
⑭それから、「上富良野町郷土館」に行きました。ここも入館は無料です。大正8年に建設された旧上富良野村役場庁舎をモデルにして建設されました。開拓当時の衣食住、農機具が展示されてます。そして十勝岳噴火の記録も。館内には、こう書かれてました。
〈明治30年4月、三重県の田中常次郎一行8名が草分に入地し、一本の楡(にれ)の木の下で野宿しました。明治32年には鉄道が開通したこともあって、上富良野町は急速に開拓が進みました。しかし、大正15年の十勝岳爆発により、その復興は第2の開拓の歴史であるといわれるような苦難の日夜でした。この災害を乗り越えて今の上富良野町があります〉
⑮12日(日)は、朝一番の飛行機で旭川に行きました。柏艪舎の人たちと合流し、富良野に向かい、『泥流地帯』の碑、上富良野町開拓記念館、そして上富良野町郷土館を見ました。それから旭川に向かい、三浦綾子記念文学館に行き、そのあと、「井上靖記念館」に行きました。旭川は、国民的大作家を2人も生んでいるんです。井上靖も私は好きで、『しろばんば』『
闘牛』『氷壁』『敦煌』『風林火山』…などを読んでます。
井上靖は柔道をやっていて、高校時代は柔道部の主将だったんです。中国を初めハードな外国取材も随分と敢行しています。柔道で鍛えた体力があったからでしょう。
学芸員の人が案内してくれました。『しろばんば』に出てくるおいしいお菓子を食べましたよ、と言ったら、「あっ、豊橋のお菓子屋さんでしょう」と。凄いですね。さすがは学芸員さんです。〈『しろばんば』で紹介されたお菓子です〉と店に貼り出してたので買いました。実際、井上靖が子供の時に食べていたものです。前に豊橋市で三上元さんと講演した時に、見つけて、買って、食べたのです。
⑯10月13日(月・祝)。名古屋市教育館2階大ホールで。〈原発を考えるシンポジウム〉です。〈第1回 鈴木邦男の名古屋塾〉と銘打ってます。
岩井正和さんや牛嶋さんたちのご尽力のおかげで、開催出来ました。湖西市長の三上元さん、愛知大学教授の樫村愛子さん、そして私の3人がパネラーです。
でも、台風直撃です。「これはムリです。中止にしましょう」という話になりましたが、「たとえ1人でも来たら、やりましょう。私と岩井さんだけでもやりましょう」と私も言って、強行しました。
三上さんも無理を押して来てくれました。在来線がストップするとのことで、樫村さんは来られませんでした。元刑事の北芝健さんも来る予定でしたが、来られませんでした。でも、台風の中、多くの人が来てくれ、感動しました。三上さんも市長として脱原発を決意した経過。これからの運動の展望などについて語ってくれました。
⑰市会議員のさいとうまことさん。衆議院議員の近藤昭一さん(左)も来てくれ、シンポジウムに参加してくれました。右は三上元さんです。さいとうさんは、「前に一緒にトークイベントをしました」と言ってました。「連合赤軍の人もいましたよ」。あっ、そうか。植垣さんも出てたんだ。芝居小屋みたいな所でやったんだ。「じゃ、又、やりましょう」と言いました。
㉒村瀬敏子さんも来てくれました。60年安保を戦った全学連委員長・唐牛健太郎さんのいとこです。豊橋で三上さんと講演会をした時に初めて会いました。「私のいとこのことを書いて下さって、ありがとうございます」と言われたんです。
「いとこって誰ですか?」「唐牛健太郎です」。いやー、驚きましたね。あの時は。今回も、このブログを見て来てくれたんです。ブログの果たす役割は大きいですね。
㉓10月10日(金)。午後2時。高沢皓司さん(作家・中央)のお見舞いに行きました。高沢さんはベストセラー『宿命=「よど号」亡命者たちの秘密工作』(新潮文庫)を書いた人です。椎野礼仁さん(左)と行きました。礼仁さんは最近、『テレビに映る北朝鮮の98%は嘘である』(講談社+α新書)を書いて、売れてます。この日、高沢さんに贈呈してました。
㉔高沢さんは、よど号関係、北朝鮮関係の厖大な本や資料を、全て、ハワイ大学に寄贈しました。それを整理して、ハワイ大学から『高沢文庫・日本の社会運動資料』が刊行されてます。全50巻以上になるそうで、今、1、2巻が出ました。「1、2巻をあげるよ。鈴木さんの本も出てるよ」と言ってました。とにかく詳しい資料です。驚きです。
㉕10月10日(金)。高沢さんの見舞いを終え、東京に帰り、6時半から、外国人記者たちとの会食。その後、遅れて、ロフトプラスワンに行きました。「金正日の料理人」藤本健二さんが出てました。久しぶりに会いました。
㉘この後、礼仁さんたちとゴールデン街に行きました。「汀」に行きました。壁や天井に若松孝二、足立正生監督の映画のポスターが貼られています。前にこの店のことが映画で紹介されてました。それで、ぜひ行ってみたいと思ってたのです。ママさんも以前は映画に出てました。