今日、10月27日(月)、全国書店で発売になります。孫崎享さんと私の対談本です。『いま語らねばならない 戦前史の真相』(現代書館・1600円)です。
孫崎さんは元外交官で、『戦後史の正体』(創元社)は大ベストセラーになりました。
私たちは戦後史を全く知らなかった。誤解してきた。と思い知らされました。
誰が対米自立派で、誰が対米追随派だったのか。全く違ったこと、正反対のことを教えられ、信じ込まされてきた。
この本を読んだ時の衝撃は本当に驚くべきものでした。
その後、次々と本を出し、テレビにも出演し、最近は小説まで書いてます。『小説 外務省』(現代書館)です。日本の見方、日米関係の捉え方に、〈革命〉を起こした人です。
この孫崎さんの胸を借りて、力の限り闘ってみました。それが、この『いま語らねばならない 戦前史の真相』です。
1年以上前から対談の企画は進んでました。
屈服的な〈戦後〉を作ったのは何か。なぜ、あのような無謀な戦争を戦ったのか。圧倒的に不利な状況でも日本は、雄々しく戦ったのだ。正義の戦争だった。よく戦った。…と追憶に浸っているだけではダメだろう。
自己中心的な思い出だけに浸り、〈被害〉だけを言い立てる。それで〈戦争〉を総括した気になっている。
それだけだと、又、同じ状況になったら、同じ〈選択〉をするかもしれない。最近の政治状況を見ていると、そんな気がします。
だから、孫崎さんに聞いてみたのです。
では、日本はどこで失敗したのか。なぜアメリカと戦ったのか。何が原因だったのか…と。
戦前の短い時間軸ではなく、黒船以降の日本が開国してからの長い時間を論じました。長い〈戦前史〉です。本の帯には書かれています。
〈黒船(1853)から敗戦(1945)まで、この国の歩みは日本人をどう変えたのか?〉
そうです。〈100年史〉を論じ尽くしたのです。
孫崎さんとは、文化放送などで何度か話しています。しかし本格的な対談は初めてです。
それも、1年かけて、何度も何度も、長時間、話し込み、激論もしました。
期せずして私たち2人は同じ年です。アメリカに対する敵対心と同時に、子供の頃は、アメリカに対する親近感も強く持っていました。
「アメリカ型民主主義」を理想とする教育の中で育ちました。テレビも映画も歌も…。アメリカ文化に憧れて育ってきました。
その2人が、大学に入り、社会に出て、アメリカに対峙することになります。「愛国」「憂国」の闘いです。
孫崎さんは外交官として、「公」の面での闘いです。私は右翼運動として、いわば、「私」の愛国運動です。
それは、平行線なのか、対立するのか。私の体験の全てをぶつけて孫崎さんに聞いてみました。
かなりユニークな本になったと思います。ぜひ読んでみて下さい。
今週は、主要な目次だけを紹介しましょう。こんな見出しです。
序章 同じ年に生まれて
第一章 明治維新再考
第二章 大正・一等国の隘路と煩悶
第三章 対米開戦の日本人=勝算なき対戦の教訓とは=
第四章 戦前史から何を学ぶべきか
2人の自由な対談だ。いや、むしろ孫崎さんに私が疑問をぶつけ、教えてもらった本だ。
そして、2人の自由な話し合いだけに終わらない。現代書館の有能な編集者がいた。
2人の対談のための資料を提供し、対談の行く道を指し示すナビゲーターだ。吉田秀登さんで、この人の力が大きい。
「この時代、こんな問題、事件がありました。それが大きなターニングポイントになったと思うが、どうですか」「この時、こんな資料もありますが…」と、厖大な資料を提供してくれる。
私たちも新たな発見があり、必死に考える。〈戦前史100年〉を考えたのだ。
このナビゲーターの力は大きかったし、他の対談本とは全く違うものになったと思う。
この本については又、来週、触れよう。
そうだ。司会者、ナビゲーターの重要性は、札幌時計台でも感じた。ゲストの上祐史浩さんが強調してたのだ。
10月21日(火)「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」で上祐さんと対談した。長時間、話し、そして会場からの質問に上祐さんは丁寧に答えてくれた。
上祐さんとは今まで、何度か対談している。ロフトプラスワン、ネイキッドロフト、阿佐ヶ谷ロフト、西宮ゼミ、飛松塾…と。会うたびに、新鮮な驚きがあり、発見がある。
「今までの対談の中で今日が一番よかったですね」と上祐さんは言う。「それは、司会がよかったからです」と言う。
司会は中尾則幸さんだ。元テレビプロデューサーであり、元国会議員です。自分が主役で喋ってきたのに、「時計台」では司会に徹している。申し訳ない。
そのプロ司会者の存在によって今回のトークはグンとよくなったと上祐さんは言う。
2人だけだと話していても、自分たちの興味のあるところだけを中心に話す。「外からの視点」を忘れがちだ。そういうことなんだろう。
時として、2人の個人的思い出だけに流れようとする所を、分け入って、〈流れ〉を強力に変えていく。又、「皆は、こういう点を聞きたいのだ」「この点はどうか」と、方向を戻し、軌道に乗せる。
そうか、この司会の存在が大きかったのか。司会の中尾さんだって驚いていた。
中尾さんだって、初めて上祐さんに会うのだし、個人的な興味で、聞いてみたいことがある。
ただ、それだけでは3人の私的な話し合いになる。だから、敢えて、外に出て、「外部からの眼」を入れる。
又、回収した質問の中から、流れに沿って、適宜な質問を選び出して、ぶつけてくる。そのタイミングがいい。
上祐さんは、「いま、語るべきこと」というテーマで話し、その後すぐに質問に応じる。質問に答えながら、私も上祐さんに聞く。
上祐さんのゲスト出演はかなり前から決まっていた。しかし、こんな状況になるとは思わなかった。
北大生が「イスラム国」に行って戦おうとして、出国する直前に警察に止められた。他にもこうした人が何人も北海道にいるのだろう。
又、北海道ではアレフが急激に伸びている、という。オウム真理教崩壊後、麻原の教えを継ぐ形で「アレフ」が出来た。
又、上祐さんたちは麻原との縁を一切断ち切って「ひかりの輪」を作った。宗教団体ではなく、哲学の学びの場だと言っている。
「アレフ」は、オウムを引き継いだ形なのに、若い入信者が増えているという。北海道でも増えている。又、在特会のデモなども行われている。
〈宗教〉や〈正義〉を求める人が増えている。こんな時、こんな北海道だからこそ、語る意味があると上祐さんは言っていた。
「正義」「愛」「真面目さ」…これは、人間としてのいい徳目だ。
しかし、自分たちの小さな集団の中にだけ目が向き、そこで〈団結〉を目指す。
正義感、真面目さ。いいことだ。だから、こんないいことをしている自分、その団体について、時として傲慢になる。
暴走することもあるし、オウムのように、犯罪に走ることもある。
だから、「正義」「愛」「真面目さ」には気をつけなくてはダメだ。
「そうですね。常に謙虚であるべきですよね」と上祐さんは言う。
そうですね。それと、「他者の眼」「客観的な眼」か必要なのではないか。
そして、プロレスの話になって、プチ鹿島さんは『教養としてのプロレス』(双葉新書)を出した。とても面白いし、「啓蒙」の書でもある。
その書評を私は書いた。『週刊アエラ』(10月13日号)で。オウムについても、この本ではかなり深入りして、触れている。
そして、人間の「余裕」「真面目さ」について、考えたのだ。
「アエラ」の書評では、この本について、こう紹介していた。
〈プロレスを見ることは、生きる知恵を学ぶことである。プロレス観戦から学んだ人生を、歩むための教養を、余すところなく披瀝する超実戦的思想書〉
本当に、これは「啓蒙書」であり「思想書」だ。
プチ鹿島さんは、若い。オウム事件の時、友人たちが随分と入った。本人も入ろうかと思った。
でも入らなかった。それは何だったのか。自問自答して、結論はこうだ。
〈それは、プロレスがあったからだ。私は熱心なプロレスファンだった〉
私も長い間、プロレスファンだった。だから、これは分かる。もしかしたら、「最大の防禦」だ。
〈純粋で硬直化している頭には「タメ」がなく、一気に過激に変貌する。純粋と傲慢は紙一重なのである〉
上祐さんを含め、オウムに入信した人たちは優秀で真面目な人が多い。
東大、京大などで麻原が講演会をやると超満員となった。理科系の優秀な学生もドッと入信した。
でもプチ鹿島さんは、プロレスがあったからオウムに入らなかった。
プロレス好きは、「防衛術」であり、「自衛」になるのだろう。
確かに、プロレスが好きな人はオウムに入らないし、連合赤軍にも入らない。
プロレスは決して全てがシュート(真剣勝負)ではないし、だからプロレスファンは、いつも馬鹿にされてきた。「へー、あんな八百長が好きなのか」と。軽蔑され、差別されてきた。
「お笑い」もそうだ。落語や漫才の好きな人は、オウムにも連合赤軍にも行かない。
それよりも、プロレス、お笑いが好きという人は、「心の余裕」「タメ」があるから、そんな「不自由な熱狂」には入らないのだ。
今、気が付いたが、プロレスは、ある意味、「お笑い」に似ている。あるいは「お笑い」なのか。
「八百長だ」と言われるものすら愛する心の余裕。寛容さがあるから、「正義」「愛」を疑ってかかる。
又、「外からの眼」で見ることも出来る。
もし、オウムや連合赤軍に間違って入ったら、どうなる。
プロレスやお笑い、ギャグなどは全く通じない。冗談を言ったり、ギャグを飛ばしたりしたら、「不真面目だ!」「修行が足りない!」と言って、袋叩きにされるだろう。
いや、その前に、こういう人たちは絶対に入らない。
では、そうした「謙虚さ」や「外からの眼」はどうしたら身に着けることが出来るのだろう。プロレスを見ることかもしれない。
この本は、一見、内容が軽そうに見えながら、かなり重いテーマを扱っている。この話を、札幌で上祐さんとした。
「その本では、上祐さんのことを触れてますよね。プチさんと話したことがあるんですか」と聞いたら、ロフトプラスワンで一緒に話したことがあるという。
「でも、プチさんだって、信じ込んでたものがあったんですよ。アントニオ猪木は最強だし、彼の試合は全て本当だと信じていたそうです。でもある日、どうも違うようだ、と思ったと言いますよ」
そうなのか。確かにそんな「猪木信者」は多い。私もかつてそうだった。
でも、「猪木神話」が崩れたからといって、自殺する人はいない。世を恨んでテロや犯罪に走ったりする人もいない。(そこが、オウムとは決定的に違う)。又、「裏切られ」ても、又、プロレスファンに戻って来る。
UWFが出来た時は、「これこそ本当の真剣勝負だ!」と思った人が多かった。私もそう思い、全国の試合を見て回った。札幌、徳島にも行った。
でも、100%の〈真剣勝負〉ではなかった。「PRIDE」などに出て、他の格闘家にコロコロと負けた。
「プロレス最強伝説」は、本当に「伝説」だったのだ。
しかし、何度、裏切られ、何度、絶望しても、又、プロレスファンの世界に帰ってくる。
何ともいじらしい。健気だ。そして、絶望し、裏切られたと思っても、他を恨まない。「これは社会が悪いからだ」と逆恨みして犯罪に走ったりしない。この格闘家が悪いのだ、と思い、テロに走ることもない。信じやすい自分を恨むだけだ。自己処罰するだけだ。自虐的だ。
これは偉いことだ。犯罪に走る、左右の「翼」くんたち、宗教団体よりは、ずっといい。
「愛」や「正義」や「真面目さ」が悪いわけではない。それは、いいことだ。
だが、これは人間に不当に自信を与える。時として、これは〈暴走〉する。
だから上祐さんのように、人々は「謙虚」にならなくてはダメだ。又、「外からの眼」を持たなくてはならない。
そうした話を、かなり突っ込んでやった。
そうだ、プチ鹿島さんも入れて、上祐さんと3人で、話し合ってもいいな。この前、ロフトに行った時も、「ぜひ、プチ鹿島さんと又、やって下さい」と言われた。
そうだ。私も以前、プチ鹿島さんと話をしたらしい。それを思い出した。やはり、3人で、「愛と正義とオウム真理教」をやるか。「いま語らねばならない 愛と正義とオウム」だ。
18時、「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。初め私が20分ほど話し、そのあと上祐さんの講演40分。「いま、語るべきこと」。
そのあと、すぐに質問を受ける。質問を受けながら2人で話す。今までの形とは、ガラリと変わった形だ。これがよかった。
会場は超満員。私は上祐さんとは何度も対談している。でも、「今日が一番よかったですね。それは司会の中尾さんがよかったからです」と上祐さん。どうしても我々2人だけだと、なかなか、うまく話しが広がらないという。
そうなのか。今までとはかなり違った話が出来たように思う。
終わって、打ち上げ。
8時から芝居。感動的だった。とてもよかった。考えさせられた。
家に帰って、朝まで仕事。
この日、25日(土)は会場が安城学園高校。沢山の講演、式典、展示、歌、踊り、吹奏楽団演奏…などがある。メインは午後3時からの菊池桃子さんの記念講演だ。
菊池さんは、女優、タレントで、現在は2児の母。そして戸板女子短大客員教授だ。講演は「学び続ける喜びを、あなたも」。とてもよかったです。高校の大講堂が一杯でした。
又、この記念講演の始まる前は、他にもいろんな講演や歌などがある。午前の部で私も講演する。午前11時から、講演「愛国者の憂鬱」だ。1時間ほど話し、その後、質疑応答。
高校で喋るなんて生まれて初めてだ。この高校は全校生徒が1500人もいる。そのうち8割は女子だ。そこで講演したのだ。緊張した。
生徒、父兄が聞きに来た。又、ジャナ専(日本ジャーナリスト専門学校)で私に教わったという生徒も来てくれた。嬉しかった。
そのあと、昼食を取り、展示物を見、生徒の「波風劇場」を見る。そして、菊池桃子さんの講演を聞く。
午後6時半から、市内の居酒屋で、先生・父兄の打ち上げ会。いろんな話を聞けた。よく、これだけのことを出来るものだと感心しました。
夜8時、中座して、安城駅へ。名古屋に行き、そこから新幹線。最終で帰りました。
⑨10月18日(土)午後2時から、「三浦綾子召天15周年記念集会」に参列しました。三浦さんの元秘書の宮嶋裕子さんの話。メディアプロデューサーの森重ツル子さん。三浦綾子記念文学館特別研究員の森下辰衛さんなどのお話がありました。場所は「お茶の水キリストの教会」でした。
⑩その後、ニコライ堂に行きました。正式には、「日本ハリストス正教会教団復活大聖堂」といいます。夜だから、外から見るだけでもと思ったら、中に入れました。そしたら、礼拝が始まりました。「公祈祷」といいます。
ロシア正教の祈祷に初めて列席しました。夕方6時から2時間。隣りを見たら、見たことのある人が…。「あっ、鈴木さん。どうして?」。「いや、見学しに来たら、始まったので。君は?」と話を聞きました。昔、学校で教えていた生徒でした。
㉑SAW代表の麻生秀孝さんには昔から、いろいろと教えてもらってます。道場で、トレーニングを受けたこともありますし、取材して、お話を聞いたことも何度もあります。隣りの大きい人は仙台から来た元おすもうさんです。
㉗でも、僕らが学生の頃は、右からも左からも「一番嫌われた言葉が“保守”だったんです」と私。左は革命だから、当然だ。でも、右だって、「こんな腐った日本をそのまま守るのではない。右からの変革をするんだ!」と言ってました。「保守」なんか冗談じゃないと。
㉘“保守”するというのなら、この日本の3千年の歴史を守り、その失敗を反省し、いいところを引き継いでいくことでしょう。ところが、ここ100年の“日本”だけを守り、排外主義に走るのでは、本当の保守とは言えないだろう。
3千年の歴史の中で、最も大事なのは、「寛容」性と「優しさ」です。それこそが、日本精神であり、それを「保守」すべきでしょう。ところが、こうした日本のいいところを打ち捨てて、せいぜい100年くらいの〈日本〉だけを守ろうとしている。それは違うでしょうと言いました。
㉙元総理大臣の野田佳彦さんと会いました。10月22日(水)。前に全生庵の勉強会でお会いしてましたが、この日は、10人ほどの食事会。ゆっくりお話を聞けました。野田さんは高校の時から柔道をやってますし、柔道や合気道の話で盛り上がりました。大学の体育では合気道をやって、とても役に立ったと言ってました。