上祐史浩さん(ひかりの輪代表)と話してる時だった。10月21日(火)、札幌時計台だ。
「いま、語るべきこと」と題し、上祐さんが講演し、その後、会場の質問を受けながら、2人で話をした。
「こんな本が出たんですが、知ってますか」と上祐さんに見せた。プチ鹿島著『教養としてのプロレス』(双葉新書)だ。
これは面白かったので私は、『週刊アエラ』(10月13日号)で書評した。
「これがアエラのコピーです」と上祐さんに渡した。書評のタイトルは、〈プロレスにあって、オウムにないもの〉だ。
ある意味、オウムへの「防止法」になる本だ。又、「危険な宗教」から身を守る方法にもなっている。
事実、プチさんはオウムが盛んだった時、周りの人たちで、どんどん、オウムに入る人がいた。東大、京大など優秀な人から、こぞってオウムに入った。
じゃ、自分はなぜオウムに入らなかったんだろう。自問する。その答がこれだ。
〈それは、プロレスがあったからだ。私は熱心なプロレスファンだった〉
これはありますね。
〈純粋で硬直化している頭には「タメ」がなく、一気に過激に変貌する。純粋と傲慢は紙一重なのである〉
そうですね。「純粋」「正義」で突っ走ると、そうなる。
個人が「純粋」であり、「正義」「信仰」を持つのはいいことだ。
その「いいこと」が多数集まり、集団、団体を作り、この「いいこと」を集団の力で、もっと早く実行し、理想の社会を実現しようとする。
そうなった時、時として、集団は暴走する。
「正義」「愛」「信仰」などのプラスの価値を持った人々が集団化したら、より暴走する。〈十字軍〉になる。
当然のことだし、正義だから、誰も止められない。
むしろ、悪人が集まり、悪の集団を作った時よりも、この善人、正義の人びとの集団の方が強く、狂暴になる。そして誰も止められない。
オウムだってそうだ。左翼運動もそうだ。右翼の運動もそうだった。
映画監督の森達也さんが、こんなことを言っていた。「主語が複数になると、述語が暴走する」。
〈I〉ならば、普通に出来るのに、「We」になると、「我々…ねばならぬ」になってしまう。暴走する。
その点、プロレスを見ている人は、いろんな角度から、いろんな見方が出来る。ウソと本音。清濁も併せのむ寛容性がある。
だから、オウムにも、連合赤軍にも行かない。
声高に「正義」や「愛」「純粋」を叫ぶ人々の前に出ても、〈果たしてどうだろう〉という〈半信半疑力〉が発揮される。
プロレスファンは、「待てよ」と思うし。又、「違う立場」や「違う考え」を認め、楽しめる。プチさんはそう言う。
そうか、そういう「深い学問」なのだ。
「これだけが正しい。これを信じる人が多くなれば世の中は確実によくなる!」と思った人たちだ。オウムの人たちは。
ブチさんは、この本の中で、プロレスがあったのでオウムに入らなかった、と言っている。
札幌で上祐さんに話したら、「両方とも言えます」と言う。
「でも、プチ鹿島さんは、『実は自分はアントニオ猪木を信じていた』と言ってましたよ」と言う。
そうか。ロフトプラスワンで2人は話し合ったのか。それで、プチさんは、この本で書いていたのか。
プチさんは、「猪木信者だった。猪木は世界一強い。これは本物だ」と思っていた。「信仰」だ。
ところが、どうも違うのではないかと思う時が来る。
猪木も、「他と同じプロレス」をやっていたのではないか。「裏切られた!」と思う。そう言ったという。
でも、裏切られたからといって、プロレス信者はテロをやらないし、暴力革命にも走らない。そこがオウムと違う。と私は思う。
「その時の2人の対談は何かに載ってるんですか?」と聞いたら、「本になってますよ。その本には鈴木さんも出てますよ」と言う。
エッ?そんな! それで、家に帰って探してみた。あった!その本が。本当だった。
私もプチさんと対談していた。それが、この本だ。『思わず聞いちゃいました』(スコラマガジン)だ。2年前に出ている。
〈サブカルチャーの聖地・新宿ロフトプラスワン発!!
人気トークライブを待望&禁断の完全活字化!〉
と表紙に書かれている。
「よくわかんないけど、この人たち…
ヤバい気がする!」
という小向美奈子さん(AV女優)の驚愕のコメントも入っている。
13人のヤバい人たちも登場している。ヤバいゲストを迎える、プチ鹿島、居島一平の両氏が思わず聞いちゃうんだよね。
ヤバい人たちは、登場順にこんな人たちだ。
村西とおる、鈴木邦男、大槻ケンヂ、河野太郎、勝谷誠彦、重村智計、上祐史浩、鳥肌実、吉田豪、宮嶋茂樹、戸塚宏、久田将義、山本太郎。
凄いメンバーだ。この人たちを全部呼んだのか。
それに私は2番目だ。じゃ、始まってすぐに出たのかな。
本を見たら、2010年3月10日(水)となっている。それに、〈第1回収録。第1部ゲスト・村西とおる。第2部ゲスト・鈴木邦男〉となっている。
つまり、第1回目に出てるわけだ。ちゃんと写真も出てるから、本当だ。
写真の下にはこんな私の言葉も入っている。
〈右翼・左翼がお笑いを嫌いなんじゃなくて、お笑いを観に行くような余裕のある人は右翼とか左翼にならないの〉
そうですね。それと、プロレスですね。
もっとはっきり言いましょう。お笑いやプロレスを観に行くような心の余裕がある人は、オウムや右翼や左翼には行かないんです。…ということですね。
「でも、お前はプロレス好きのくせに右翼になったじゃないか」と言われるかもしれない。それはそうだ。
でも、どこか、ヤケッパチな運動にならなかったのは「プロレス好き」だったおかげだろう。
又、「お笑い」は右翼運動をやってかなり経ってから聞きに行くようになった。
学生の頃は落語なんて聞いたことがなかった。サンケイ新聞に勤めていた時もそうだ。一水会を作って、かなり経ってからだ。ブラックさん、昇太さん、志の輔さんたちと知り合ってからだろう。
そして、落語や漫才を聞いていて、自分のことを対象化出来るようになった。「外から見る」ことが出来るようになった。
俺たちは命をかけてやってると思ってる。でも、外から見たら、案外と、「お笑い」かもしれないな。と、「外部からの眼」で、時々、見れるようになったのだ。
つまり、お笑い(落語)とプロレスがあったので、オウムや連合赤軍のように、「人を殺しても…」という極端な所へ走らなかったのだろう。そう思った。
10月26日(日)に立川志の輔さんの落語を聞いて、特にそう思った。
とても感動的な落語だった。ただ笑っているだけではない。これはもう〈芸術〉だ。志の輔さんのような天才の芸術に出会って幸せだと思った。
終わって、楽屋を訪ねたら、そこでバッタリ、古舘伊知郎さんに会った。
今は、ニュース番組のアナウンサーだが、元々は、プロレスの実況中継をやっていた。
古舘さんの中継でプロレスが好きになった人も多かったと思う。その表現、形容の仕方がユニークだった。
前田日明が出てきた時は、「七色のスープレックスをひっさげて出現しました」。そして何と。「黒髪のロベスピエールと言われています!」。おいおい、と思うような表現だ。
世界史の中の革命家にしています。今、ここで行われているのは、単なるプロレスの試合ではない。と思わせる。
維新軍がいて革命軍がいて、それがぶつかる。まさに、世界史の中の大戦争が行われ、我々はそれを目撃している。そう思わせるのだ。
これは凄い。古舘さんは、それを弁舌だけでやってしまうのだ。だから、夢中になりましたね、私らも。
その時の体験を直接、当人に言いましたよ。
そして、言いました。過激な右翼の運動を長くやりましたが、今まで死なずに、又、人を殺さずにやってこれたのは、「落語とプロレス」があったからですよ、と。志の輔さんと古舘さんのおかげです。と礼を言いました。
そうだ。古舘さんに会った前の日は名古屋だった。10月25日(土)だ。実に感動的なイベントだった。
そのレポートは10月29日(水)アップの「マガジン9」にも書いた。
生まれて初めてでした。高校で講演したなんて。感動しましたし、緊張しましたね。
私は高校は仙台のミッションスクールだ。先生には反抗しまくり、問題児だった。でも今は、いい思い出だ。
「いつか鈴木さんを呼んで話を聞きたいですね」と学校の先生は言ってくれる。「ぜひお願いします」と言ってた。「ようこそ、先輩」になるだろう。
楽しみにしてますが、なかなか実現しない。そのうち、愛知県の高校で実現しちゃった。これも嬉しい。
今年7月に「愛知サマーセミナー」に行った。去年から2回目だ。
愛知県の高校が集まってやる一大イベントだ。なんせ2000の講座があるし、参加者は6万人だ。とても東京では出来ない。奇跡の学生イベントだ。
今年の7月、そこで講演した時、「今度はぜひ、うちの高校にも来て下さい」と言われた。安城学園高校の先生に。
「いいですよ」と言ったが、「本当かな」「私なんかを呼んで大丈夫かな」と思った。
ところが、実現したのだ。それも、ここの学園祭かと思ったら、もっと大きなイベントだった。いわば、「愛知サマーセミナー」の地区版だ。
〈ふれ愛ときめき西三河フェスティバルin安城〉と銘打っている。凄いですね。「地域別県民文化大祭典2014」と書かれている。
メイン講演は、タレントの菊池桃子さん。その前に前座の講演がいくつかあって、その一つが私だ。…と思っていた。
ところが違う。もっともっと大きなイベントだ。
生徒の歌、ダンスなどがある。「波風劇場」がある。そして講演だって、33もある。生徒の展示、模擬店も多い。又、自衛隊が出張してきて、「南極の氷」を触らせてくれた。(勿論、私も触りました)。
さらに、いろんな〈体験コーナー〉がある。
たとえば〈名鉄の本物の運転士さんと「電車でGo!」で対決!〉。
又、〈ちびっこおたのしみ・フェラーリ試乗会!〉
これは凄い、面白い、と思い、私はこれに乗りましたよ。
生徒が何ヶ月もかけて作った模型のフェラーリだ。それに私は乗り込みました。そして、スタートさせました。いやー、興奮しましたね。
そうだ。生徒だけでなく、教職員、それに父母も多い。
父母が積極的に参加して、自分たちで模擬店を出したりしている。
イベントの全てが終わってから、6時半から打ち上げがあった。驚いたことに半分以上が父母だ。こんなに献身的な父母はちょっといない。
自分の子供だけでなく、学校全体のこと、地域のことを考えているんだ。偉いですね。
このフェスティバルのチラシを見たら、その辺を強調していた。
〈私学の生徒・父母・教職員と、市民のみなさんとともにつくる。ふれ愛ときめき西三河フェスティバルin安城〉
これが正式の名前だ。これは素晴らしい。自分たちの周り、地域のことを考え、その延長上に、「国を愛する」ということはあるのだ。
いや、こういう地域の繋がりさえはれば、何も敢えて「愛国心」なんて言う必要はないのだ。
〈愛郷心〉だけでいい。それさえあれば、全体として見たら〈愛国心〉になる。
それなのに、家族からは嫌われ、学校からも地域からも嫌われ。いや、オレは国と結びついている「愛国者だ!」と言う人がいる。
私も昔はそうだった。家族や地域は、分かってくれないが、「国家は分かってくれる」と思うのだ。それで、俺は愛国者だと思うのだ。今じゃ、それは、違うだろう、と思うけど。
安城学園高校では、そんな話をした。そして、生徒からも活発な質問がありました。高校生や父母も聞きに来てくれた。
そして、昔、私がジャナ専で教えた生徒も来てくれた。嬉しかったですね。
と今、これを書いてる時、宅急便が届いた。おっ、本のチラシだ。孫崎享さんと私の『いま語らねばならない戦前史の真相』(現代書館)の宣伝チラシだ。
〈現代書館 最新情報〉と銘打ち、こう書いている。
〈「冷静な愛国心」が「狂気の愛国心」の前で立ちすくむ今、〈戦前〉を再解釈!〉
これは凄い。挑発的なコピーだ。でも、その通りですよね。
ただの排外主義なのに、「俺は愛国者だ!」と絶叫する人が多い。
又、「愛国者」には、実績も、資格も、試験もない。「俺は愛国者だ!」と言ったら、それで〈愛国者〉になる。おかしいだろう。
でも、そんなことを言ったら反撃がくる。それを恐れて、皆、声を立てない。いかんだろう。
「狂気の愛国心」に対し、「それは違う!」と声を上げたんだ。孫崎さんと私は。
本屋でも売れてるようだ。12月14日(日)には紀伊国屋ホールで出版記念トークをやる。これからが戦いだ。頑張らなくちゃ。
地元の人たちが茨城の美術館や歴史博物館、文学館を案内してくれました。市から派遣された案内人が案内・説明してくれました。とても勉強になりました。
どうしてあのような危ない小説を載せたのか。十分な議論をし、十分な準備をして、あの小説を載せたのか。
ところが、案外、簡単に決まったようでした。当時は60年安保の直後ですし、左翼的なムードが強かったからか。あるいは右翼に対する見方が甘かったのか。この掲載直後に、右翼のテロが起こりました。そのあたりの話を詳しく聞きました。
歴史的な貴重な証言だったと思います。月刊『論座』に載りました。
〈東京大行進2014。TOKYO NO HATE—差別のない世界を、子どもたちへ〉。
2時間デモをしました。疲れました。
⑲10月24日(金)秋葉原アトリエACT&B。劇団「再生」のお芝居を観ました。「岸上大作全集全一巻」。素晴らしかったです。思想劇でした。詩人にして革命家です。寺山修司との交友と葛藤。そして、自死。激動の生涯を描いてます。