スローガン、標語、威勢のいい言葉…。そんなもので現実が変わることがある。
一つ一つは、フィクションなのだが、集合体になると、「時代の空気」になる。
そして、フィクションがリアリティを変える。ヘイトスピーチやヘイト本の氾濫だって、そうかもしれない。
憎悪は憎悪を呼び、「時代の空気」になり、〈国策〉にもなる。
日露戦争の時、小村寿太郎は命懸けで講和をまとめた。国内では「勝った!」「勝った!」と戦勝気分で、提灯行列だ。
ところが、大勝利のはずなのに領土も取れない。莫大な賠償金も取れない。
「だったら戦争を続けろ!」「小村は腰抜けだ!」「売国奴だ!」と全国で怒りの声が上がった。日比谷暴動事件まで起こった。
しかし、政治家や軍人は知っていた。これは「大勝利」ではないし、本当に「勝利」だったかも怪しいと。
アメリカの仲介もあり、「勝利」の体裁を取った。今、まとめるしかない。
「大勝利なのに何だ!」と、新聞に煽られた国民に何と批判されてもいい。たとえ「売国奴」と罵られ、殺されようとも構わない。
小村はそう覚悟した。歴史に長く、「売国奴」と書かれてもいい。殺されてもいい。そう思った。
「売国奴」になる覚悟を持った人間だけが、本当の「愛国者」なのだ。
あの時、「時代の空気」の中で、小村が「愛国者」になろうとしたら、日本はどうなっていたか。戦争を続けていたらどうなったのか。仲介に入る国をも相手に戦ったか。世界を相手に戦ったか。
スローガンや標語や「時代の空気」だけで突き進んだら、亡国の道しかない。
敢えて講和を結び、国民皆が反対した。帰国の時は誰も迎えないかもしれない。
しかし、自分だけは温かく迎えようと、伊藤博文は言った。
政治家や外交官、軍人の中では、分かっていた人が多かった。今、講和するしかないと。冷静に〈現実〉を見つめる眼があったのだ。
「狂乱の愛国心」ではなく、「冷静な愛国心」を持つ人がいた。
民間人の中にも、〈現実〉に気付いた人がいたはずだ。しかし、「時代の空気」の前には、吹き消された。
「あの大国・ロシアに日本は勝ったのだ!」「領土を取れ!賠償を取れ!」との声が満ちあふれた。
今から考えたら、「情報がなかったからだ」という意見もある。しかし、当時、テレビ、ネットがあって、いろんな情報があったら、偏った「時代の空気」を変えられただろうか。
変えられなかっただろう。いや、逆になっただろう。さらに、勇ましい声が溢れかえっただろう。
「国賊小村を殺せ!」となり、血気にはやって、実行する人間も出ただろう。
一つの神話がある。いや、巨大な神話だ。戦争はいつも権力者が自分たちの邪な野心や欲望で起こすという。
大統領、国王、独裁者…。ともかく、悪い権力者が、自分の利益、自分の都合だけで勝手に戦争を始める。
善良な人民は常に犠牲になる。反対する人間は逮捕され、あるいは殺される。
反対の声を上げる人民を弾圧し、押し潰し、その血でもって地ならしをして、戦争に進む。善良な人民に銃を押し付け、戦地に駆り立て、戦争をするのだ。
…と、学校でもそう習った。「人民は正しい」「戦争を欲する悪い権力者がいる」「反対の声を上げたマスコミは徹底的に弾圧された!」…と。左翼的な人民史観もこれだ。
しかし、これは嘘なのだ。こんな嘘が長い間、信じられてきた。
これだって、フィクションが現実を変えてきた実例だ。
東條英機のお孫さん(由布子さん)には何度か会った。テレビで一緒に出たこともある。
戦争前、東條のもとには国民からもの凄い数の手紙が来たという。
支持、激励ではない。批判、脅迫だ。「なぜ戦争に踏み切らないのだ!」「早く戦争をしろ!」「アメリカと戦うしかないだろう!」…と。
そして、逡巡している東條に対し、「臆病者め!」「売国奴だ!」「非国民だ!」という激しい攻撃、脅迫だ。
軍や政治家よりも、民衆の方がずっと過激だし、戦争を欲したのだ。
小村のように「売国奴になってもいい」とは、東條は思わなかった。国民の声に応え、「愛国者」になった。
真珠湾攻撃の一報に、国民がどれほど熱狂し、湧き立ったか。
他人事ではない。その場にいたら、我々だって、皆、万歳をし、歓喜の涙を流しただろう。
「時代の空気」というフィクションが常にリアルな〈時代の現実〉を動かしているのかもしれない。
でも、日露戦争の時は、「売国奴になってもいい」「殺されてもいい」という小村寿太郎たちがいたので、日本は救われた。軍人や政治家や外交官には〈現実〉が見えていたからだ。
「大勝利」というフィクションに踊り、熱狂していた一般国民とは違う。「自分たちは新聞に煽られる国民とは違う。戦争の現実を見ているのだ」という思いもあった。
でも何故、〈現実〉を見、〈現実〉を知っているはずの軍人や政治家、外交官までが、その後、「時代の空気」に染まっていくのか。
そして、ロシアよりももっと巨大なアメリカとの戦争に突入していくのか。
大国ロシアとは、かろうじて「勝った」。
勝ったという体裁は取ってるが、内情は大変だった。国民には言えないが、その悲惨な現実を軍人や政治家は知っている。だったら二度と同じようなことは出来ない。そう思っていたはずだ。
それなのにロシア以上に強大なアメリカとの戦争に突入した。〈現実〉を知ってるはずの軍人、政治家、外交官が何故、愚かな道を選択したのか。それが分からなかった。
だから、元外交官の孫崎享さんに思い切って聞いたんだ。
「フィクションが余りに強くなると、〈現実〉を知ってる人間たちの方も、次第に影響を受けてくるんです」と孫崎さんは言っていた。
つまり、「かろうじて勝った」体験を持ってる自分たちは〈現実〉を知ってる。自分たちはリアリストだ。そう確信してるのに、段々とフィクションに影響されてくるという。
それに、フィクションは、自分たちを評価し、優しく慰め、認めてくれる。
「あんな大国を相手に大勝出来たのは日本の軍人が優秀だからだ」「それに日本は神国だ。元寇の時だって、神風が吹いて日本は大勝した」…と。
そればかりを聞いてるうちに、「うーん、そうかな」「もしかしたら」…と思うようになる。
批判、罵倒ではないから、スーッと心の中に入ってくる。そして、段々と信じるようになる。
フィクションが現実を動かし、そして、「又、やってやろう」と思う。元寇の時も、日露戦争の時も日本は勝った。正義の国だからだ。神も助けてくれる。…と思う。
この「自信」は、さらに「驕り」「高ぶり」になる。
今までは、「日本は野蛮国と思われないようにしよう」と思い、「世界の眼」を気にしていた。
卑怯な事をしてはならない。野蛮な国と思われてはならない。そう思い、戦争時の戦争法規を守り、捕虜は虐待しない。
もし、そんな不心得な者があったら、きつく罰した。日清・日露戦争までは日本に従軍慰安婦は1人もいなかったという。これは千田夏光さんに聞いた。
又、ロシア軍の捕虜を日本に連れて来て、全国に捕虜収容所を作った。もの凄い厚遇だった。捕虜なのに、外出は自由だったというし。これでは、捕虜ではない。「外国人ゲスト」だ。
「野蛮国と思われたくない」「西洋列強のような一等国になりたい」…という背伸びだった。こうした「背伸び」はいいことだ。どこまでも謙虚である。
でも、日露戦争で父や兄を殺された人もいる。自由に街を歩いているロシア兵を見たら、襲いかかって殺すのではないか。
でも、そんなことはなかった。国家が徹底的に啓蒙教育をしたからだ。「降伏した兵たちはもはや敵ではない。我々は武士道に則って、彼らを遇しよう」と。
又、それを聞いて、従った国民も偉かった。
さらに、ロシアで捕まり、捕虜になる日本兵もいたが、ロシアでも、厚遇したという。
さらに日本の新聞も、「誰々さんはロシアで収容所に入ってます」と伝えた。
全力を尽くして戦い、その上で力尽きて捕虜になった。恥ではない。大変でした、ご苦労さまでした、と新聞も激励して近況を伝えた。帰ってきたら、皆が温かく迎えたという。これは知らなかった。
大東亜戦争の時は、「捕虜になるくらいなら、自決しろ!」と言われた。
又、帰ってきても、捕虜だったことを隠し口を閉ざしている。「一家の恥だ」と家族からも冷たくされた。
この〈大変化〉は何故起きたのか。日本が日露戦争に勝ったからだ。いや、大勝したと思い、思い上がったからだ。一等国になったんだ。アメリカなんか何するものか…と思ったからだ。
「狂気」が支配していた。「冷静」ではない。
日清・日露までは、「日本は遅れた国だ」という意識があった。少々自虐的なのかもしれない。
そして世界の文明国に追いつくためにと背伸びした。これはいいことだ。
だが、日露戦争で〈大勝利〉と煽られ、日本の国民はそう思った。
それどころか、「冷静な愛国心」を持ってるはずの軍人、政治家、外交官にも影響されてしまう。
元外交官の孫崎さんはそう言っていた。これは『いま語らねばならない 戦前史の真相』(現代書館)に書いてある。これは全く知らなかったことなので、驚いた。
又、明治維新前後の〈攘夷テロ〉についてだ。無闇に外国人を殺すテロはただ野蛮なだけで、許せないと思っていた。
ところが孫崎さんは、そうした「攘夷の激走」があったので開国が出来たと言う。
「開国」も堂々とすることが出来たという。
つまり、血なまぐさい攘夷のテロが続いたので、諸外国も、「日本をなめてはダメだ」と思い知らされた。それが、後に対等に近い条約を結ぶことになる。
又、新政府軍も幕府軍も、決して、イギリス、フランスの力を借りて、国内で内戦をやろうとはしなかった。その点は偉かった。
…と、そんな話を孫崎さんから教えられた。蒙を啓かれた。
11月9日(日)の「サンケイ新聞」に、『いま語らねばならない 戦前史の真相』(現代書館)の書評が出ていた。早い。
〈まさに組み合わせの妙。「ハト派」の元外交官と新右翼の論客。昭和18年生まれというほかには共通点がなさそうな2人による対話集だ。テーマは戦前の日本政治史だが、〈新しい事実を提示するつもりはない。歴史という土俵の上で各々の価値観、物の見方を紹介することが目的〉と孫崎氏〉
うまくまとめて書評している。さて、後半だ。
〈近代日本の成立過程をたどりながら、問答を交わし、さまざまな事象の背景となる思考や社会構造の変化を確認していく。鈴木氏は〈憂国というよりも自虐的・反日的な気分になっていた。それが孫崎さんと話して変わった〉とあとがきに記している〉
そうなんですね。これが、さっき書いた「攘夷派のテロ」などについてです。
今まで否定的に見てたのに、孫崎さんは、「いや、これがあったので、その後の開国がうまくいったのだ」と肯定的に捉えてる。
他にもそういうシーンがいくつかあった。私は時として「自虐的・反日的」になっていたが、孫崎さんに教えられ、見方が変わった。
これは大きな変化だったと思う。詳しくは本文を読んでほしい。
そして、12月14日(日)の紀伊国屋ホールでのトークの時には、さらにそのことを聞いてみたいと思う。
「戦前史」はまだまだ謎が多い。その真相を求めて、話し合ってみたいと思う。
おかげでいい本が出来ました。どこの書店に行っても、新刊コーナーに平積みされています。売れてるようです。
だから紀伊国屋ホールから、「刊行記念トークをやりませんか」とお話があったそうです。ありがたいです。
11日は、事務的な打ち合わせを終え、それから近くのお店で、祝杯。いやー、おいしかったです。かなり飲みました。酔いました。
午後から河合塾コスモ。
3時、「現代文要約」。
5時、「読書ゼミ」。今日は斉藤先生の選んだ本、丸山眞男の『日本の思想』(岩波新書)を読む。これは岩波書店の中では最も評判が高いし、最も売れた本だ。学生時代、私は丸山の本を随分と読んだ。
又、丸山の弟の丸山邦男は評論家で、『現代の眼』などにも原稿を書いていた。私もよく会っていた。「うちは賢兄愚弟だよ」とよく自嘲的に言っていた。
①11月9日(日)午後1時、市ヶ谷の私学会館で、『デジタル記念館 慰安婦問題
アジア女性基金」出版記念会が行われました。
大変な苦労をして、慰安婦問題についての「償い」をしようとしました。この「基金」に関わった人々が集まりました。村山富市さん、石原信雄さん、下村満子さん、和田春樹さん、大沼保昭さんを初め、多くの人が集まりました。
⑥これがその本です。村山富市、和田春樹編『デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金』(青灯社)。〈河野談話に基づく謝罪と償いの努力。1995〜2007〉。〈かつてアジアの全域に日本軍の慰安婦とされた多くの女性たちがいた。政府と国民の努力は受け入れられたのか〉。と本の帯には書かれています。貴重な記録です。
⑱11月9日(日)午前11時、岡田敦さんの写真展、「MOTHER」を見に行きました。新宿BEAM JAPAN6階です。この本を出版した柏艪舎の可知さんも上京してました。
2月の札幌時計台では、この岡田さんとトークします。人間が生まれる瞬間を撮り続けた写真展で、話題を呼んでます。
⑲会場には石原慎太郎さんからのお祝いのメッセージが届けられてました。凄いですね。どこで知り合ったんですか、と聞いたら、「同級生です」と岡田さん。
えっ!じゃ、岡田さんは80才を過ぎてんの? どう見ても、30代か、せいぜい40代にしか見えない。「いえ、都知事と同姓同名なんです。本当に同級生なんです」。そうなのか。じゃ、私にも紹介してもらいたい。
㉔11月13日(木)、ポレポレ東中野で、見て来ました。実に感動的な映画でした。綿井健陽さんが、イラク戦争が始まってから10年間、イラクに行き続け、撮り続けたドキュメントです。是非、1人でも多くの人に見てもらいたいと思いました。