これは画期的な集まりだ。歴史的なシンポジウムだったと思う。そこに参加出来て光栄だと思う。
11月28日(金)に韓国中央会館(民団本部)で行われた〈第7回 日韓社会文化シンポジウム〉だ。
今年のテーマは、「日本社会の構造的変化と日韓関係」だった。午後1時から7時過ぎまで、6時間以上の大シンポジウムだ。
多くの人が集まった。ここに来た人たちは幸せだった。
この歴史の変わり目を体感出来たし、「対立」から「協調」「話し合い」を求める人々の、命懸けの模索、試みを聞くことが出来たからだ。
勿体ないと思った。テレビで生中継したらいい。あるいはネットで中継したらいい。日韓両国で同時中継し、そこで話し合ってもいい。
この「日韓社会文化シンポジウム」は「第7回」になっている。
今まではどこで開かれていたんですか、と聞いたら、「1年ずつ日本と韓国とで交替で開催してる」と言う。
じゃ、来年は韓国か。ぜひ行きたい。「旅費は自分で出しますから、ぜひ参加させて下さい」とお願いした。日本でやる時も、東京以外でもやっていたのだろう。
ともかく、日韓両国民が、このように直に話し合う機会をどんどん持つべきだ。
直接に話し合うことで、お互いの言い分も分かるし、誤解も解ける。
逆に、激論になり、喧嘩になることもある。
それでもいい。その中から、対話、共存の道を探る。困難かもしれないが、素晴らしいことだ。
「安全圏」にいて、対立・憎悪だけを煽っている方が楽なのだ。
そして、「俺は闘っている!」「私こそ愛国者だ!」と叫ぶ。そんな自己満足な本も売れている。
でも、それは本当は闘っていない。相手国にではなく、自分の後ろにいる自国民に向かって、吠えているだけだ。「どうだ。俺はこんなに闘っているんだ。凄いだろう!」と。
そして、「いいね、いいね」と拍手する人々がいる。情けない話だ。
しかし、奇妙な話だ。「天敵」もいない「安全圏」にいて、「中国・韓国をやっつけろ!」「出ていけ!」と叫ぶことは誰でも出来る。軽い気持ちで、叫べる。
指先ひとつで、ツイッターに、ネットに書き込める。何ら覚悟も責任感もなく、野次馬的に「発信」出来る。
それに比べて、「対立を乗り越えよう」「仲良くしよう」と言うことは勇気がいる。
何を言われるか分からない。「売国奴め!」「反日分子め!」と罵倒される。ネットで炎上する。
そんな時に、この「日韓社会文化シンポジウム」は開かれた。勇気がある。蛮勇だ。
場所は民団の本部だ。私も緊張した。生まれて初めて入る。入る時に厳しいチェックがあると思ったが何もなかった。
「でも、会場が民団本部というのでは、一般の人が来づらいんじゃないのか。せめて文京区民センターとか、文京シビックとか。普通の所にしたらよかったのに」と言う人もいた。韓国の人がそう言っていた。「これだけの人が集まる所は他になくて。いろいろ当たったんですが…」と言っていた。
主催は韓国人研究者フォーラム。韓国東北アジア歴史財団。後援は、民団中央本部。大韓民国在外同胞財団。
パネラーも韓国人の人が多い。日本人は私も含めて、ほんの数人だ。聞いている人も、韓国の人がほとんどだ。
出来たら韓国の言葉でやりたかったのかもしれないが、それは一切ない。同時通訳もない。「全て、日本語でやります」と書かれている。
又、ほとんどの人が韓国の人だから、「韓日社会文化シンポジウム」にしてもいいはずなのに、「日韓」と言っている。討論の時も、皆、「日韓」と使っていた。随分と気を使っているんだ、と思った。
先週も紹介したが、開会の挨拶、報告、シンポジウムのパネラーは、ほとんどが韓国の大学教授、研究者だ。ソウル大学、高麗大学、横浜国大、北九州大学、立教大学…などで教えている教授だ。
全体で、日本人は3人。基調講演をする加藤典洋さん(文芸評論家)。伊藤智永さん(毎日新聞編集委員)。そして私だ。
司会の人が言ってくれた。「鈴木さんは長い間、右翼運動をしてきましたが、ヘイトスピーチをするような人たちとは全く違います。あれは愛国心ではない。単なる憎悪であり、排外主義だ、と言っております。鈴木さんは、何とか対話・共存の道を探そうと努力しています」。
ありがたい紹介だ。そして、朝日新聞や東京新聞に載った私の発言を紹介してくれた。「天敵がいなくなり、生態系が崩れた」「右派の暴走が始まった」…と。
昔は、「天敵」がいた。右派に対しては左派がいた。
「愛国心なんかいらない。そんなものがあるから、人民を国家に収斂し、戦争が起きるんだ」「国旗や国歌を強調するから排外主義になるんだ」と言う人々がいた。「非武装中立」「自衛隊解体」を叫ぶ人もいた。
しかし、今はいない。又、差別的なことを言う人間には、それを指摘し、糾弾する人々がいた。今はいない。いても力が弱い。
だから、「韓国人、自殺しろ!」「朝鮮人、死ね!」などと書いたプラカードを立て、行進する人々も出る。
ヘイトスピーチだ。それを警察も許可している。
ネットなどでも、ヘイト、差別は満ち満ちている。
少し前までならば、「そこまで言ったらおしまいだ」「人間としての品格がない」として注意された。又、皆の中に、言うのをためらうという〈自制心〉もあった。
今は、それがない。何でも書ける。言える。
それを見て、「勇気がある!」「本音で言ってる!」と賛同する人もいる。嘆かわしい。
「おいおい、そこまで言ったら、終わりだよ」「品格を持てよ」と注意する人もいない。差別されている人々に対しての思いやりの心もない。
小さな、小さな「仲間」だけに閉じ籠もり、少しでも考えが違ったら、大袈裟に、「反日だ!」「売国奴だ!」と騒ぎ立てる。
右翼運動を40年間もやってきた私でさえ、最近は「反日だ!」「売国奴だ!」と言われる。おかしな社会だ。
簡単に相手を決めつける。罵倒する。これは多分、左翼運動の常套手段ではなかったか。
「こいつは敵だ! こいつを殺せ!」と、ターゲットを絞り、憎しみを集中させる。そのことによって、〈内部〉をまとめ、強固にしようとする。
「仲良くしよう」「違いを認めて共存しよう」というのは常識的なことだから、「運動のスローガン」にはならない。
どんな小さな違いでも、「これは決定的な違いだ」と言い立て、「反革命だ!」と言う。右派ならば、「反日分子をやっつけろ!」「売国奴を葬れ!」と憎しみを集中させる。
それによって自分たちの組織はまとまる。
又、こんな左右のヘイト団体が活発にやっていた頃は一般の人々や政治家などは、「ああはなるまい」と反省出来た。他山の石だ。
「私たちは、あんな酷い団体ではありません。憎しみを利用して運動を伸ばそうとは思いません」と言えた。それで、一般社会も健全に保ちえた。
ところが今は、左右の運動団体や、新聞、出版社、テレビ、さらに政治家までが、この「憎悪の力」を利用する。
極左がいなくなり、その「手口」だけを利用している。
「敵は在日ですよ! 彼らが特権を持ってるから、我々はいくら働いてもダメなんです」と言う人々がいる。
「我々自民党がこんなに頑張っても、皆さんの生活が楽にならなかったのは、憲法のせいなんです。これを変えましょう」と自民党は言う。
又、自公マスコミ連合軍は言う。「中国、韓国が悪いんです。一方的に日本を侵略しようとしてます。だから、憲法改正し、強固な国軍を作りましょう。それが皆さんの安心につながるのです」…と絶叫している。
左翼は罵倒し、毛嫌いしてるのに、その「左翼の手法」だけは、ちゃっかりと使っている。
左翼を潰して、自らが「左翼」になっているのだ。
自民党のやり口がうまい、という点もある。
又、それを批判しきれない、リベラル勢力、左翼が無力だということもある。
だから、若者たちも、いや、国民全体も、物事の本質が分からない。
「現実」を見ているようで、自民、マスコミの作り上げた「フィクション」の世界を見ている。
中国・韓国が日本に攻めてきている。
今にも戦争が始まる。やられる前にやり返せ。「倍返しだ」「10倍返しだ」と叫ぶ人もいる。
「ここは我々の国なのに、勝手によその人間が入ってきて、特権をむさぼっている。許せない! 追い返せ!」と叫ぶ。
「この美しい日本を愛するのが当然なのに、文句ばかり言ってる奴がいる。こいつらは売国奴だ! 反日だ! 日本から叩き出せ!」と叫ぶ人がいる。
本屋に行くと、そんなヘイト本ばかりが山積みになっている。又、売れている。
そんな卑しい本を読んで、「気分がスッキリした!」と思う人が多いのだ。
嘆かわしい。文化の下流志向だ。
本も読まず、携帯やツイッター、ゲームばかりしてる人が増えている。
「日韓社会文化シンポジウム」で基調講演をした加藤典洋さんは、こう言っていた。
〈大学で学生に原爆投下をどう思うかと聞いた。学生は、「戦争が早く終わってよかったと思います」と答えた。驚いた。それはアメリカが使っている「嘘」だ。大学生になって、そんなことも分からないのか、と怒鳴った。学級崩壊になった〉
ヘエ−、そんなことを言う学生がいたのか。アメリカはアメリカ国民向けに、そんなことを言った。これ以上アメリカの若者を日本に投入し、死ぬ必要はなくなった。
でも日本人にとってはたまらない。
それに、「新型爆弾」を試してみたかったのだ。アメリは、弱り果てた日本に対し、全く必要もないのに、原爆を投下したのだ。
そんなことも知らずに、「戦争が早く終わってよかったです」はないだろう。
「亡くなった人々への悲しみも同情もない。あの戦争のことを全く知らないのだ。
映画「リーベンクイズ(日本鬼子)」を撮った松井稔監督のことを思い出して、私も発言した。
日本の元兵士たち14人を集めて、その「証言」をとった映画だ。捕虜を殺した。民間人を殺した。犯した。…と、自らの「犯罪」を告白する。
14年前に作った映画で、最近、DVDになった。それを記念して11月にネイキッドロフトで私は松井監督と対談した。
「最近大学で、この映画を上映した時は、ショックを受けました」と言う。
上映後、学生が質問をした。「どうして周りの人たちは止めなかったんですか?」。
馬鹿か、こいつは!と思ったという。
狂乱状態の戦場だ。皆が、やっている。そんなことを全く知らず、全体は冷静な社会で、1人だけが、突出して、「犯罪」をやった。と思ったらしい。冷静な日本人が大勢いるはずなのに、どうして、止めなかったんですか、と。
「戦争」がどんなものか知らない。いや理解しようという気持ちもないのだろう。
だから日米戦争についても、「昔は民主主義がなかったし、マスコミも健全に機能してなかったから、無謀な戦争に突入したのだ」などと思ってる人が多い。
今の我々は、民主主義社会に生きているから、独裁者に強制されて戦争に駆り立てられることはない。
マスコミだってある。ネットもある。ツイッターもある。これだけ〈情報〉があるのだから、戦争に駆り立てられることはない。嘘の情報を見抜くことが出来る。…そう思っている。思いたがっている。
今の方が、もっと軽々と容易に戦争に突入するだろう。
又、「島を守るためなら戦争も辞さずだ!」「中国・韓国の無法には自衛隊でやっつけろ!」「それでもダメなら国軍だ!」と叫んでいる。マスコミも、右派文化人も…。
今は「戦後」ではなく、「戦前」なのかもしれない。
そんな「狂乱の愛国心」の中、冷静になって話し合おうと、企画されたのが、「日韓社会文化シンポジウム」だ。
長時間だったが、とても勉強になった。参加者も皆、そう言っていた。
テレビ中継はダメだったが、じゃ、あの記録を単行本かパンフレットにまとめてもらいたい。
何度も言うように、これは「歴史的シンポジウム」だし、本にする価値はある。
もう一つ思い出したことがある。
自民党の議員が言っていた。「韓国はけしからん。テロリストを顕彰している!」と。
伊藤博文を殺した安重根のことだ。25年前、右翼の人たちと韓国に行った時のことを思い出した。
皆で、「安重根記念館」に行った。
右翼の先生が言っていた。「伊藤博文を殺されたのだから、日本人としては気持ちが複雑だろう。でも、韓国では安重根は救国の英雄なのだ。我々も、慰霊しよう」と。
今、考えると、凄いと思った。今の自民党議員などとは違う。相手国のナショナリズムをきちんと理解しているのだ。
又、自民党の議員は、脱原発で官邸前に集まったデモ隊の人たちを見て、「テロリスト」だと言った。酷い話だ。
国民は文句があったら投票して、議員を選べ。それが「民主主義の手続き」だ。それ以外のデモなどは、民主主義に反するテロだ! と言ってるのだ。
酷い話だ。反対意見など聞く気もないのだ。
日本が、そして国民全体がヘイトスピーチ化してる現状で、「日韓社会文化シンポジウム」が開かれた意義は大きいと思う。
5時、「読書ゼミ」。今週は私が選んだ本。森田良行の『基礎日本語』(全3巻。角川書店)を読む。
辞書なんだが、「引く」ことはない。多分ない。「読む」辞書だ。
私は、3巻、読破した。なぜ、「引く」ことはないのか。だって、当然の言葉ばかりが並んでいる。
たとえば、「歩く」。これを延々と7ページも説明している。ちょっと出来ない。難しい。さらに、「残る」と「余る」の違いについて、10ページも書いている。
「辞書」じゃないな。「哲学書」のようだ。やさしい言葉こそが難しい。そうだ。「右」について10ページ、「左」にいて10ページ、書いている。これも難しい。