自民党圧勝だった。自公で3分の2強だ。大方の予想通りだった。
だが投票率は戦後最低。50%ちょっとだった。
「どうせ自民が圧勝するだろう」「どうせ批判勢力はないのだから」と、棄権した人が多かったのだ。
12月14日(日)投開票の衆院選だ。これで「安倍首相長期政権地固め」と産経新聞(15日付)の見出しには躍っていた。〈手にした「推進力」で難題実現を〉と政治部長の有本隆志氏は書いている。
アベノミクス、集団的自衛権、TPP…。その先に憲法改正がある。今回の圧勝は、改憲に向かっての大きな「推進力」になるだろう。
15日には、京都「正論」懇話会の第45回講演会が開かれたと、産経新聞(16日付)に出ていた。自民圧勝の翌日だ。
文芸批評家で、都留文科大学教授の新保祐司氏が「保守の反撃と安倍政権への期待」と題して講演した。講演要旨が紹介されていたが、なかなかいい。考えさせられた。
まず、朝日問題について言う。
〈今年、文化的な面でも大きな権威を持っていた朝日新聞の没落が始まった〉
〈戦後、朝日新聞などが作り上げてきた進歩的知識人という偽の偶像に、多くの人が疑いを持ち始めたことは非常に大きい〉
そして次だ。ここには、「そうだ!」と思わず膝を打った。新保氏はこう言っている。
〈反撃する保守にも品格が必要。むやみに愛国や防衛などというのではなく、日本の歴史や伝統といった教養を持っていることだ、と強調した。
また、「保守の反撃は、国民による文化運動、精神運動として盛り上げなければならない」と呼びかけ、「それは安倍晋三政権の目指す憲法改正への援護射撃にもなる」と語った〉
この、「反撃する保守にも品格が必要」には大賛成だ。
〈勝ち〉に驕り、少しでも考えの違う人間には「売国奴!」「非国民!」「国賊!」といったレッテルを貼り罵倒する人間。朝日新聞に書いてる人間への脅迫など。さらに、ヘイトスピーチのデモなど…。品格のない反撃が多い。
「愛国心に根差していれば何でも出来る」と思い上がっている人も多い。まさに「愛国無罪」だ。
そうした「熱狂的」な「反撃」は危ない。
薄っぺらな歴史認識で、「日本は全く悪くない」「自衛の戦争だった」「悪いのは中国、韓国だ」…と言って、他人・他国にだけ罪をなすりつける独善的な考え方ではダメだ。歴史や伝統を学び、それに基づいた〈教養〉が必要なのだ。
又、12月19日(金)付の産経新聞には「平民宰相・原敬」のことが大きく取り上げられていた。
私は12月6日(土)に岩手に行き、元・日教組委員長の森越康雄さんと対談した。
対談は2時から始まるが、午前中に森越さんが「原敬記念館」を案内してくれた。
原敬の生家も残されているし、厖大な資料も展示されている。感銘を受けたし、『原敬日記』も読んでみようと思った。
さて、産経新聞(12月15日付)だが、見出しはこうだ。
〈数におごらず「公利」に駆ける〉。
安倍政権に対し、「勝利に驕るな」と言っているのだろう。
大正9年5月の総選挙で与党・政友会は獲得議席が定数の約6割を占める大勝利を収めた。
その1ヶ月後の臨時党大会で、首相(政友会総裁)の原敬はこう講演した。
〈要するに、我党(わがとう)は徒(いたずら)に絶対多数を得たるを喜ぶものに非ず。此(この)多数の力に依て、政策を実行し民心の安定を図り、以て国家に貢献するを得ることこそ喜ぶべきものなり〉
「絶対多数」をとったことが嬉しいのではない。それによって、国家に貢献出来ることが嬉しい。というのだ。いわば、〈奉仕〉の喜びだ。
「1世紀に近い時を経たいまも色あせない警鐘であろう」と産経では書いていた。
盛岡で「原敬記念館」に行き、館長さんにも紹介してもらい、話を聞いた。
「平民宰相」といわれるから、元々、平民の出なのかと思っていた。
ところが、家は元々家老の家系だ。由緒正しい家系だ。ところが、その士族の身分を返上し、自ら平民になったのだ。
これは凄い話だ。自分から「特権」を捨てている。いや、もう特権はないのかもしれない。
しかし、元は家老だ。藩を支えてきたのだ、というルーツは、政治家にとっては大きなプラスだ。
それなのに自ら、そのルーツを捨てた。それで「平民宰相」と呼ばれたという。
産経新聞では、原敬の写真も出ているが、「原敬記念館提供」と書かれていた。
〈岩手県出身の「平民宰相」である原については近年、再評価が進んでいる〉
として、伊藤之雄(京大大学院法学研究科教授)の言葉を紹介している。
伊藤氏は編著『原敬と政党政治の研究』などがある。その中で、原は「私」を排し、「公利」を追求した高潔な政治家であることを説き明かした。
伊藤氏には、「では今と比べてどうか」と産経の記者は聞く。
〈ではその原がもしいま存命ならば、どう国のかじを取ってゆくのだろうか。伊藤教授は語る。
「今回の総選挙で、自公の連立政権は強い支持がないまま大勝しました。これは現象的にみれば、原が暗殺されたあとの1920年代後半から30年代にかけて、政党政治が混乱し、国民の信用を失っていった状況に似ているところがあります」〉
〈数〉に驕ったら、そうなると言う。次いで伊藤氏は言う。
〈原が生きていればそうはならなかった。また、もしいま彼が存命ならば、外交面では国際協調を基本とし、内政面のさまざまな問題についても、『一発逆転』をねらうのではなく、少しずつ着実に解決してゆくことでしょう〉
「一発逆転」とは、憲法改正のことかな。安倍さんも原敬を見習ってほしい。
そうだ。衆院選の投票の日。紀伊国屋ホールで孫崎さんと対談をしていた。
投票は午前中に済ませ、午後1時に紀伊国屋ホールに行った。
打ち合わせをする。2時から、孫崎享さんと僕の対談。それに、岩上安身さんが司会で参加する。
壇上に立って、驚いた。広い会場が満員だった。500名入る会場が満員になっていた。
『いま語らねばならない 戦前史の真相』(現代書館)の刊行記念トークだ。
ポスターやチラシには、こう書かれている。
〈2014-2015 ニッポンの分かれ道〉
このトークが決まったのは、かなり前だ。まさかこの日が投票日になるとは思わない。
でも、先見の明があるんだ。トークの日が、投票の日になり、「ニッポンの分かれ道」になることを予測している。現代書館が考えたのだろう。たいしたものだ。
このトークのチラシの他に、本そのもののチラシも作られた。そのキャッチ・コピーも凄い。
〈「冷静な愛国心」が「狂気の愛国心」の前で立ちすくむ今、〈戦前〉を再解釈!〉
そうですね。愛国心の品格が問われているのだ。「数に驕るな」と言った原敬にも通じる。
チラシには、さらに、こう書かれている。
〈孫崎享氏が語る国際関係史と、鈴木邦男氏が再検討する日本人の精神史がスリリングに交差し単なる戦前史を超え、まったく新しい見地からの日本人論として結実!〉
本当にスリリングな対談になった。
いや、長い間、外交官で、〈国家〉を背負って国際舞台で闘ってきた孫崎さんに僕が話を聞き、教えてもらったのだ。いわば、個人的に教授してもらった。そんな感じだった。
今まで知らなかったこともあるし、全く思い違いしていて、それを指摘されたこともある。
話を聞き、質問する時に、又、激しく討論する中で、思わぬ「化学変化」も生じた。
「僕もそうなんですよ。とても教えられました」と岩上さんが言う。紀伊国屋での打ち合わせの時だ。
岩上さんの持ってる本を見たら、ビックリ仰天だった。ビッチリと付箋を挟んでいる。横にも、上、下にも、100以上の付箋が貼られている。ほとんど全ての頁に貼られている。
「読んだばかりだから、今はこの本について、お二人よりも詳しいですよ」と言う。そうだろう。
午後2時、トークが始まった。現代書館の吉田さんが挨拶。そして、我々3人のトークだ。
広いホールが満員だ。今まで、このホールには何十回となく来ている。百回以上かもしれない。「見る側」として、客席からだ。お芝居、落語、講演会などだ。
でも今日は、舞台から客席を見る。緊張したし、感動した。
トークの時間は2時間。白熱したトークになった。
そして、アッという間に終わった。という実感だった。
明治維新の時、徳川幕府はフランスの力を借りたら、勝てただろう。でも、借りなかった。薩長も、イギリスの力を借りなかった。
それでは西欧の代理戦争になるし、植民地になってしまう。お互いが、日本の独立を考えて、外国の力は借りなかった。
そんなに情報はないのに、世界の情勢を知っていたのだ。
又、武士が勝利したのに、その武士を廃止した。チョンマゲ、帯刀、仇討ち、切腹…など、「武士道」は全て破棄された。完全な「自己否定」だ。よく、それだけのことが出来たもんだ。
又、日露戦争の話も聞いた。新聞は「勝った!」「勝った!」と大喜び。国民は提灯行列をやり、喜び、興奮した。
でも、賠償金も領土も取れない。「だったら、戦争をもっと続けろ!」「ここで講和するとは何事だ。腰抜けめ!」「非国民め!」と小村寿太郎(外相)たちは突き上げられた。
しかし、小村は「狂気の愛国心」の煽動には乗らなかった。そんな話もした。売国奴と言われてもいい。殺されてもいい。それだけの覚悟を持って講和に臨んだのだ。
この日は、東京だけでなく、地方からも駆け付けた人がいた。名古屋、大阪、和歌山などからも来てくれた。ありがたい。
又、高野孟さんや「創」の篠田さんも来てくれた。ありがたい。
孫崎さんとは、まだまだ話したいことがある。聞きたいことがある。
日清・日露までは、「世界の眼」を気にして、品格ある国家たらんとしたのに、なぜ「日露に勝った」後は、政治家も軍人も劣化していったのか。
マスコミや、それに煽られた人々とは違い、世界の中で戦っていた彼らだ。政治家や外交官、軍人だ。リアリティが分かっていた。
それなのにロシアよりもっと強大な敵・アメリカと戦ったのか。どこから、リアリティを喪失したのか。
マスコミや国民の願望という、「狂気の愛国心」に「冷静な愛国心」が押し潰されていったのだ。
その辺の事情を、外交官としてどう学び、どう感じてきたのか。又、外交で最も失われたのは何か。次のテーマだ。
「それは又、この紀伊国屋ホールでやりましょう」と岩上さんは言っていた。
この日、投票日で自公は圧勝するでしょう。でも、いろんな歪みが出てくる。
又、改憲に進もうとするのか。その時は又、民意を聞こうとするのか。
ともかく、半年以内に又、大きな「揺さぶり」かありますと岩上さん。「だから、その時に又、やりましょう。きっと紀伊国屋からもオファーがありますよ」と。
そうなるといいですね。それに、「4月21日に又、孫崎さんとトークがありますよ」と言った。札幌時計台ホールでやる。
このトークの後、ロビーでサイン会。
『いま語らねばならない 戦前史の真相』を100冊持って来たが、全部売れてしまった。慌てて、紀伊国屋に並んでるのを急遽、かき集めてきて、それにサイン。
他に孫崎さんの『小説・外務省』や私の『ヤマトタケル』もある。150人ほどにサインした。フーッ、大変だった。でも、ホッとした。
夜、家に帰ったら衆院選の開票情報が伝えられていた。
何気なく見ていたら、関西の結果が出ていた。辻元清美さんがもう「当選」と出ていた。
よかった。ホッとした。もしダメで、「お前が応援に来たからだ」なんて言われたら大変だ。
北海道の松木ケンコーさんも入った。
又、民主党の代表・海江田さんは落ちてしまった。自民も集中砲火を浴びせた。量で徹底的に潰しにかかった。
まさに〈戦争〉なんだ、これは。と思いましたね。ニッポンの分かれ道にいると痛感した。とても長く、忙しい、12月14日(日)でした。
そうだ。翌日、聞いたら、読書会の場所が変わってたらしい。だめじゃないか。ちゃんと場所も教えなくちゃ。
それにしても、中野図書館だけで「30冊ノルマ」を達成出来るのか。じゃ、もう本代はかからない。そうもいかないか。どうしても早く読みたい本はあるし。
じゃ、月のノルマを40冊にしようか。でも、キツイかな。来年1月4日の高木さんとの「読書対談」の時に、相談してみよう。
夜7時、銀座の博品館に行く。「ザ・ニュース・ペーパー」の公演を見る。スタッフに、辻元さんの応援に行ったんですか。偉いですね」と言われた。えっ、個人情報の秘密なのに。「『夕刊フジ』に載ってましたよ」
そうか。マスコミの人に取り巻かれて取材されたよな。あの時、「どうして右翼の鈴木さんが左翼の辻元さんの応援に来てるんですか?」と聞かれた。辻元さんも受かったし、ホッとしてますよ。
「ザ・ニュース・ペーパー」も面白かった。政治ネタで辛辣だし、過激で、ここまでやっていいのかと、ハラハラする。
終わって、皆とそんな話をした。「いや、鈴木さんの人生こそ、ザ・ニュース・ペーパーですよ」と言われた。そうかな。たしかに、自分でもハラハラして心配になる。
ともかく、面倒くさいので、「分かりました。協力します」と言った。その打ち合わせを、長々とやる。
終わって塩見さんが勤めている駐車場を皆で見学。
そして、夜遅く帰った。
㉗驚きました。田中角栄の息子さんに会えるなんて。
そういえば、以前、週刊誌に出てましたね。田中京さんです。京は珍しい名前ですね。日本の京。中心なんでしょうか。それにスケールの大きい名前です。万、億、兆…そのあとが京です。
今度、ゆっくりお話を聞きたいです。