明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。今年は激動の年になるでしょう。激動の年にしましょう。
その決意を込めて元旦は成田山に行ってきました。
それにしても、年末は忙しかったですね。原稿はあるし、本を作らにゃならんし、校正、取材はあるし。
それに夜は毎日、忘年会です。一晩に忘年会が3回なんて日もありました。
又、凄い本を読みました。久々に震えがきました。
それに、凄いイベントにもいくつも出ました。
では、年末一番、凄かったイベントを一つだけ紹介しましょう。
12月27日(土)、「福島菊次郎 全写真展・講演会」に行ってきました。
実に感動的な写真展でした。そして感動的な講演会でした。福島菊次郎さんは93才の反骨の写真家です。
パルテノン多摩の市民ギャラリーで、全写真が展示されました。又、講演会は「93才のラストメッセージ」と銘打たれてました。
今、住んでるのは山口県ですが、東京での講演はこれが最後と予告しています。
新聞でも大きく取り上げられ、全国から多くの人たちが駆け付けました。
午後1時から開始。12時入場。その前から整理券を配っていました。
椎野礼仁さんたち御一行(私もその中に)は、午前11時に着いて、整理券をもらいました。300番近い。でも、1500席もあるという。
とても満員にはならないと思ってましたが、12時を少し過ぎた頃にはもう超満員でした。それだけ福島さんを見たいのです。写真も見たいし、話も聞きたいのです。
11時に整理券をもらって、まず写真展を見ました。
原爆、戦争、学生運動、自衛隊、原発…と、全作品が並んでいます。写真集は何冊か買ってますが、そこには入ってないものも多く、圧倒されました。
戦争や原爆・原発、三里塚、公害、自衛隊、学生運動…などを撮って反骨の写真家と言われるが、〈生活〉そのものが闘いだ。たとえば、年表の一部を見てみよう。
〈1961年にプロとして活動開始。妻と別れ、3人の子どもを連れて上京する。昭和の激動期に三里塚闘争、ベトナム反戦市民運動、全共闘運動、自衛隊と兵器産業、公害問題、若者の風俗、福祉問題、環境問題など、多岐にわたる現場を取材。総合雑誌グラビアに3300点を発表。天皇の戦争責任、自衛隊の違憲性を問い続け、防衛庁を欺いて隠された兵器産業や自衛隊の軍事演習を撮影して発表し、暴漢に襲われて重傷を負い、不審火で家を焼かれる〉
この最後の行が凄い。長谷川三郎監督のドキュメンタリー「ニッポンの嘘=報道写真家 福島菊次郎90歳」という映画にも、この自衛隊・防衛庁との闘いが描かれている。この映画は2012年に上映された。だから「福島菊次郎90歳」だ。
自衛隊の許可を得て、撮影しているシーンが出てくる。
許可を得る時は、誓約書を書く。兵器の機密に関することは発表しない…と。戦車や戦闘機の鉄板の厚さがいくらか。それが分かるような撮影はしない。分かると「敵」国に知られてしまい、日本の国防力を削ぐ。というわけだ。
又、写真を発表する時は、事前に見せる…と。「はい、はい」と誓約書にサインする。
ところが、あらゆる所を写す。カメラを構えている時は、一緒にいる自衛官は、どこを写しているか注意する。
ところが、撮り終わり、カメラをダラリと手に持つ。構えてないから、「写してないのだ」と思う。ところが、その姿勢のままで、(見ないで)シャッターを押す。勘でカメラを向けて、秘かに撮っているのだ。そして、勝手に写真を発表する。
これには防衛庁は激怒した。福島さんを呼びつけて、訴えると脅す。
福島さんは平然としている。そして、こう言い放つ。
「私の写真の撮り方が約束違反だという。しかし、自衛隊そのものが憲法との約束を破って作られたものではないか」「どうぞ訴えてくれ。そこで憲法論争をしよう!」と。
防衛庁は黙って、引き下がるしかなかった。凄い。防衛庁、自衛隊をやり込めたのだ。「問題が不正なものであれば、それを撮るためには、法律を破っても構わない」と言う。なかなか言えない。
でも、これを撮ったせいなのか分からないが、暴漢に襲われ重傷を負う。又、家を焼かれる。
家やアパートを焼かれた人は私も何人も知っている。でも、皆、独身だ。あるいは独居老人だ。
福島さんは家族がいる。子供がいる。「子供に何かあったら大変だ」と思う。普通なら、やめる。「娘の通学路を知ってるんだぞ!」と電話で脅されて、政治的発言をやめた人もいる。脅迫する人間は卑劣だ。
ただ、こうした脅迫なら、発言をやめても仕方はない。「子供はどうなってもいい。俺は正義の行動をするのだ」と考える人は、なかなかいない。
しかし、福島さんは、このあり得ない行動をする。子供がいながら、脅迫、暴力に屈しないで闘い続けてきた。これは凄い。
福島さんは今まで何回か東京に来ている。映画が出来た2012年、13年にも来ている。
私は月刊『創』の篠田さんと一緒に会いに行った。写真展は見て感動したし、ぜひ、その不屈の闘志はどこから来るか、聞いてみたいと思った。
『創』で対談をしたいと私は言った。「いいですよ」と福島さんは言う。それで時間を決めて再度、会いに行った。
そしたら、態度が急変している。「絶対に嫌だ」と言う。
昔、右翼に襲撃されて、写真展をメチャクチャにされた。だから、右翼とは対談したくない、と言う。突然、過去の記憶がフラッシュ・バックしたのだろう。
しかし、私はその右翼とは全く関係ない。それなのに、「右翼」というだけで同じにされる。日本中の右翼の〈原罪〉を私は負わされている。理不尽な話だ。
対談は拒否されたが、会うのは構わないようで、何度も写真展を見に行き、話はしている。今回、パンフレットに原稿を頼まれたので、そのことを書いた。
何なら、「誓約書」を書きます。山口まで行きます。だから秘密裡にでも対談しましょう。「公表しません」と誓約書を書きますからと言ってるが…。まだ、うんという返事はもらってない。
講演会のあと、パーティがあったので、それに出たら、挨拶してくれという。
パンフには書いてるし、挨拶はするし。一見すると、「とても仲良し」に見える。でも、「対談」は拒否されているのだ。
福島さんは、25才で敗戦を迎える。それから、戦争、国家へ疑問を持ち、反骨写真家となって、国家を糾弾する。
だが、25才までは「軍国青年」だった。アーサー・ビナードさんは、その頃の福島さんについて触れていた。今の福島さんが、「軍国青年」だった過去の福島さんを撮ったら、面白かったでしょうね、と。
なるほど、面白い発想をする人だ。
それで、アッと思ったことがある。
写真展の中には、例外的に「右翼」を撮ったものがあった。
三島事件直後の右翼。街宣をする右翼。「憂国忌」に集まる若者…これは珍しい。と思った。
だから、パーティの時、私は福島さんに聞いた。
「あれは、25才までの自分だと思って撮ったんじゃないですか」と。軍国青年だった過去の自分を見るようだ。そう思って撮ったのではないか。
「ウーン、それはあるかもしれませんね」と福島さんは言っていた。
会場では実に多くの人たちと会った。
「あっ、田中美津さんだよ!」と教えてくれる人がいて、挨拶に行った。
日本の女性運動の草分けだ。田原総一朗さんのビデオにも出ていた。「生けるレジェンド(伝説)」だ。
私のことなんか知らないだろうが、挨拶だけはしておきたい、と思って近づいたら、「あら、鈴木さん、久しぶり」と言われた。エッ、昔、会ってるんですか、とこっちが驚いた。今度、ゆっくり話を聞かせてもらいたい。
札幌の市民運動家の女性にも会った。一見、高校生に見えるが、どうも30過ぎてるようだ。
去年、私を札幌に呼んでくれた人だ。天皇制の勉強会をやっていて、私は講演した。
前の夜、札幌から飛行機で来て、羽田空港で夜を明かして、早朝、パルテノン多摩に来たという。凄い。
他にも関西、四国、九州から来た人もいた。沖縄の人もいた。
そして、長谷川三郎監督とも会った。「あの時はありがとうございました」と言われた。
2012年、『ニッポンの嘘=報道写真家 福島菊次郎90歳』が完成し、全国で上映された。
その時、銀座の映画館でトークを頼まれ、話をした。
実に衝撃的な映画だったし、こんなに過激に闘っている90才がいるのに、我々はこのままでいいのかと言った。何よりも自分自身に対して、そう言った。
長谷川さんはどうして映画を撮るようになったのかを、この時、聞いた。
「実はテレビのドキュメンタリーをずっと撮ってたんです」と言う。
そうだったのか。それから映画を撮るようになったのか。と聞いていた。
ところが次の一言で、ビックリして、ひっくり返りそうになった。
「テレビで初めてドキュメンタリーを撮ったのは、実は一水会なんです」。
エッ! 完全に忘れていた。
16年ほど前らしい。私は一水会代表だった。木村氏や日野氏たちが現場の責任者だった。
その時、1人の在日の青年が入ってきた。「愛国運動をやりたい」と言って。真剣に勉強し、活動している。
在日であること、日本人であることを考え、先輩たちとも話し合う。そして、活動し、街宣車の上に立って演説するまでの過程を描いている。
「初めてのおつかい」じゃないな。「初めての街宣」までの活動家の歩みだ。あとでDVDを見て、思い出した。
実にいいドキュメンタリーだ。一水会も、そして右翼のほとんども、排外主義ではない。一緒に民族主義を考えている。一緒に愛国運動をやっている。
「ヘイトスピーチが右翼だと誤解されている今、これも上映したらいいですよね」と言いました。
福島さんの映画や、他のドキュメンタリーも入れて、「長谷川三郎映画上映会」をやったらいいだろう。
それにしても、パルテノン多摩は凄い。ここを管轄する多摩市長も来ていた。広大なスペースだ。
いろんな建物がある。レストラン、ホテル、図書館、それにキティちゃんの建物も。夜は、一面がライトアップされて、きれいだった。
この市民ギャラリーに福島さんの全写真を展示してくれた。12月22日(月)から27日(土)までだ。
反骨のアナーキスト・牧田吉明さんの写真もあった。早大で敵だった革マルの高島さんのもある。
2人とも亡くなったが、いい人だった。「昔の戦友」のような気がする。
そういう戦友たちの写真を撮り、記録してくれて、ありがたいですと、福島さんにお礼を言いました。
これだけ厖大な写真は、ぜひ、どこかに「記念館」を造って展示してほしい。日本の戦後をみようと思ったら、そこに行けばいい。ぜひ、多摩でやってもらいたいものだ。
そうだ。福島さんの講演会の前、主催者が挨拶していた。どうも喋り方が学生運動家っぽい。もしかしたら、運動をやってた人かもしれない。
そんな人をも抱え、又、パルテノン多摩で「反骨の写真家」の展示をやり講演会をや。多摩市は大したものだ。「本当にありがとうございます」と多摩市長の阿部さんに言った。
後で聞いたら、湖西市長の三上元さんとも親しいという。嬉しいですね。「1月に、名古屋で一緒に講演するんですよ」と言いました。
この日、渡されたパンフレットには私の文章も入っている。もう一つ、チラシをもらったが、そこに出ている文章がいい。
〈反骨の報道写真家・福島菊次郎さん(93歳)の真実の記録と不屈の精神が多摩に集結!
不穏な時代に抗する、その魂の軌跡に学び、真の市民世紀の創造へ、いま!〉
いいですね。高らかに謳い上げている。さあ、私たちも続きましょう。不屈の精神、福島菊次郎さんに続いて、立ち上がりましょう。
会場が広くて声が聞こえないというので、ハンドマイクで挨拶をさせられた。「全学の学友諸君! 我々は…」と言いそうになった。学生運動を思い出してしまった。
そして、最終で帰りました。お疲れさまでした。
そうだ、最近、問題になった映画があったな。アメリカ人が北朝鮮に行って金正恩を暗殺しようとする、という映画だ。一度は中止になったが、上映するようだ。
以前、(映画の世界で)、北朝鮮に攻められ、占領されたことへの「復讐」なのか。
でも、どちらもアメリカが作った映画だよ。国の名も、指導者の名も実在の名前だし、あまりに生々し過ぎると思うよ。
他にも面白いDVDがあって、ついつい見ちゃった。いけないな。原稿の〆切が沢山あるのに。
人、人、人でした。それに遠かったです。でも、苦労して行った甲斐がありました。いや、あるでしょう。
⑥これがこの日のチラシです。「殺すな!殺されるな!」と書かれています。全写真展は12月22日(月)から27日(土)まで。
27日は、講演会〈90才のラストメッセージ〉が行われました。写真展に先立ち、12月6日(土)は別の会場で、福島さんを描いた映画が上映されました。長谷川三郎監督のドキュメンタリーで、『ニッポンの嘘=報道写真家 福島菊次郎90歳』です。
⑧「あっ!田中美津さんだ!」と声を上げてる人がいました。女性活動家として有名な人です。本やテレビで私も知っています。「生きた伝説」です。
「紹介して下さい」と編集者に頼んで近寄りました。「あっ!鈴木さん。久しぶり」と美津さんに言われました。「エッ!昔、会ってたんですか?」「よく会ってたわよ」。ウーン、そうだったのか。竹中労さんか。小沢遼子さんか。誰かのパーティか。デモか。どこで会ったのでしょうか。
「今度、ゆっくり話を聞かせて下さい」とお願いしました。
⑩パルテノン多摩の市民ギャラリー特別展示室では福島菊次郎さんの全写真展が行われました。もの凄い数です。中には、自衛隊や右翼、右傾化日本…を撮ったものがありました。これは新宿駅のホームに集結した自衛隊です。むき出しで機関銃を持ってます。今なら考えられませんね。
⑫「ある挫折 牧田吉明」もありました。アナーキストで、爆弾を作ってました。写真を見ても分かるように、いい男です。「息子はそっくりだ」と呟いていた人がいました。知ってるのでしょう。息子は、出版社に勤めてます。
そうだ、この写真展のことを知らせてやりゃよかった。でも、ここに出てるとは知らなかったし。
⑯午後4時に講演は終わり、パーティは6時から。その2時間の休憩時間に、もう一度、写真展を見て、その後、外に行って、パルテノン多摩のライトアップされた街を見ました。
女優の木内みどりさんや、椎野さんたちと。キティちゃんの館がありました。その前で。
⑰福島さんのパーティを中座して、赤坂に行きました。安田好弘弁護士、神田香織さんの忘年会に行きました。安田さんの事務所で。もの凄い人で、全く身動きがとれません。私たちが着いたのは9時半頃。終わり頃でしたが、まだまだ人で溢れてました。
(左から)鈴木。安田さん。神田さん。保坂展人さん(世田谷区長)。五島昌子さん(長年、土井たか子さんの秘書だった人です)。
⑲森達也さんと。女性を抱きしめてます。でも、彼女、柔道3段なんですよ。投げ飛ばされますよ。
森達也さんは映画「A」「A2」を撮ってます。オウムを取材し、荒木さんにも長時間、インタビューしています。「A」はオウム、麻原、荒木…を示しています。
㉔3つ目の忘年会は、高須基仁さんの「Mots’忘年会」です。新橋のインド・ネパールレストラン「ドゥルガ」でした。着いたのは9時半。もう終わり頃ですが、主役級はまだ残ってました。
着いたらすぐに挨拶をさせられました。店は大きいし、肉声では聞こえないというので、ハンドマイクで、挨拶です。学生運動を思い出しました。懐かしいです。
㉙塩見孝也さん(元赤軍派議長)の本が話題になってます。『革命バカ一代 駐車場日記=たかが駐車場、されど駐車場』(鹿砦社)です。
〈全国のシルバー世代、全共闘世代に送る熱いメッセージ〉と書かれています。今年4月には清瀬市議選に挑戦します。
㉚4月11日(土)のビッグイベントです。立教大学・タッカーホールで、午後1時から。市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」。
対談「右派の異端者、左翼の異端者」では、森中定治さんと私が対談します。そのあと、ゲストを入れて、シンポジウムです。ゲストは、宇都宮健児さん。紺野大介さん。田原総一朗さん。他に、伊東乾さんたちの「論評者」が加わります。
㉜初詣を済まして帰る時、おしゃれな犬を見かけました。暖かそうな豪華な服を着てました。カッコいいサングラスも掛けてます。耳にはピアスもしています。まるっきり、人間のギャルですね。「撮っていい?」と犬に断って、撮りました。