今年初めての地方講演会は名古屋でした。
1月12日(月・祝)です。午後2時から名古屋市教育館。「現代日本を考えるシンポジウム」です。
前は、「鈴木邦男ゼミin名古屋」だったんですが、私の名前を付けるなんて、おこがましいし、恥ずかしい。「変えようよ」と言ってたのです。
企画・講師への折衝・準備は全て、岩井正和さんがやっているので、「岩井正和ゼミin名古屋」にしようよ、と私は強く主張してたのですが、企画会議で却下されてしまいました。それで、中立的な名前になりました。
第5回の「現代日本を考えるシンポジウム」は、ゲストが三上元さん(静岡県湖西市長)。樫村愛子さん(愛知大学教授)。
テーマは、「脱原発」「ヘイトスピーチ」。そして「右傾化日本」でした。
三上さんは、現役の市長としては極めて珍しいが、「脱原発」を宣言している。元知事や元市長で「脱原発」を言ってる人はいるが、現職の人では極めて少ない。
東京の多摩市長の阿部裕行さんも宣言してるし、2人はとても親しい。福島菊次郎さん(93才)の写真展でお会いしました。と言ったら喜んでいた。
三上さんは湖西市長として3期目。その前は、西武、そして船井総研にいた。
今回のもう一人のゲスト・樫村愛子さんは愛知大学教授だ。『ネオリベラリズムの精神分析』(光文社新書)など著書は多い。社会学が専門で、格差、貧困問題に取り組み、ヘイトスピーチについても発言している。
打ち合わせの時、「今の日本では“こみしょう”なんかが多い」と言う。「こみしょう化する日本」だと言う。
エッ? 知らない言葉だ。コミックス化かな。コミケ症候群かな。分からない。
樫村さんに聞いたら、「コミュニケーション障害」だと言う。他人と、うまく話せない。きちんと付き合えない。「あっ、私だ」と言っちゃいました。
本当は「表現」活動すべきなのに、右も左も市民運動も宗教活動も、「一方的な決意発表」だけになっている。ちゃんと聞いてもらおうという努力がない。ただの言いっ放しの「表出」になっている。「表現」ではない。これは宮台真司さんが言ってることだが。
この「表出」だけの人たちも、「コミ障」なのだろう。
午後2時から始まった「現日シンポ」(現代日本を考えるシンポジウム)は、まず3人が20分ずつ講演する。
そのあと、3人でトーク。
そして、会場の質問を受けながら全員で考える。
そうだ。地元で市民運動をやってる人たちの活動報告もあった。
又、民主党の近藤昭一さん(衆議院)も来てくれ、話してくれた。
「私も民主党候補の応援に行ってきたんですよ」と言いました。「あっ、辻元清美さんですね。ご苦労さまでした」と言われた。
そうだ。東京から、わざわざ来てくれた人もいた。寅次郎さんではない。中野区上高田5丁目のひかり荘に住んでる寅さんは、よく地方に来てくれるが、この日はいない。
元「金曜日」にいて、今は「皓星社(こうせいしゃ)」にいる白井基夫さんだ。
三上市長さんとは親しくて、又、会いたいというので、わざわざ名古屋まで来たのだ。
それと、私の原稿を取りに来た。皓星社は面白い本を出している。
竹中労(作)・かわぐちかいじ(画)の『黒旗水滸伝』などは代表的なものだ。大杉栄などを中心とする大正アナーキストの冒険絵巻だ。
私は『現代の眼』で連載されてた時から、ドキドキしながら毎月読んでいた。
その皓星社から今度、私の本が出る。40年近く前に出した『証言・昭和維新運動』の新装・増補版だ。
元々は島津書房から出て、版を重ねたが、長く絶版だった。こんないい本を勿体ない、と白井氏は言い、「新装・増補版」を作ってくれることになった。
私は、全体を読み直し、校正し、「前書き」「解説」を書く。
ただ、〆切は過ぎてるのに、出来てない。私の仕事がのろいのだ。申し訳ない。
メールで、そう言って謝ったら、「じゃ、名古屋まで取りに行くから、その日まで書いて下さい」と言う。
大変なプレッシャーだ。それで前の日から徹夜で書き、新幹線の中でも書いて、やっと3分の2を渡した。3人でトークをしながら、残りの3分の1を書こうと思ったが、それは無理だった。
そんな訳で、白井さんを紹介し、『証言・昭和維新運動』の話から、始めた。
「脱原発」「ヘイトスピーチ」…それに対する姿勢そして40年前に会った、昭和維新運動の先輩たちがいる。その時、聞き、学んだことは大きい。
その後の40年間の〈運動〉はそこから生まれている。という話をしました。ものを書く、本を読む、…という精神的な〈運動〉もそうです。
ですから、今回は「本を読むこと」について書きましょう。
「人間は易(やす)きに就きやすい」と。その先輩は言う。
「2、3人、人が集まって麻雀しようか、とか、酒飲もうかという話はすぐにまとまる。しかし、勉強しよう、とか、本を読もうという話はまとまらない」と。
確かにそうだ。「動物的欲求はすぐ実行に移されるが、「人間的欲求」は、なかなか実行に移されない。読書は最も孤独な作業であり、だからこそ最も人間的欲求なのだ。と、先輩は言う。
もう半世紀ほど前のことだ。早稲田大学に入学し、赤坂にある「生長の家学生道場」に入った。厳しい寮だった。
大森知義道場長、寮母さんが学生を指導していた。大森先生は生長の家本部講師。元海軍にいて、軍艦の艦長をしていた。
この大森先生に教育を受けた。さらに、この35人ほどの道場生で「自治会」が作られていて、毎年選挙で自治会委員長が選ばれていた。
僕が道場に入った時は川島さんという国学院の学生が自治会委員長だった。4年生だった。厳しいが、男前だし、格好いい人だった。
朝は4時50分に起きて、お祈りがある。そして読経、先生の講話などがある。
眠たいし、なかなか起きない人もいる。押し入れに隠れて寝てる人間もいる。
川島委員長は、「統制部」を作り、力ずくで皆を起こした。鉄拳制裁もした。僕などもよく殴られていた。
「鈴木! 俺はお前に期待してるんだ! お前が可愛いから殴るんだ!」と川島委員長は言う。
僕は、自分なりに必死にやってるつもりだった。でも、先輩の目からは、だらしがない。使命感のない人間に見えたようだ。本だって余り読んでないし…。
「足を開け! 歯を喰いしばれ!」と言って、殴る。まるで軍隊だ。川島さんだって映画で見た軍隊のシゴキを真似てやってたのだろう。
期待しなくていい。可愛いと思わなくていい。「だから殴らないでくれ!」と心の中で叫んだ。
宗教の寮なのに、なぜ暴力があったのか。それは、時代のせいだろう。
1960年代の半ばだ。「60年安保」は終わったが、左翼の売国奴たちは、「70年安保」を目指している。中国、ソ連の指令を受けた日本の左翼どもは、日本の革命を狙っている。今、日本が危ない。宗教者といえども、この国を守り、救うために立ち上がるのだ!と言われた。
宗教家だが、闘う。いわば、「僧兵」のような感じだった。
川島委員長は男前だし、仲代達也に似ていた。女性にだって随分ともてただろう。
しかし、女どもには一切、目をくれず、国の為に運動をしていた。
ただ、この川島さん、暴力的だし、怖いが、とても勉強家だった。
又、その感化を受けて、本を読み、勉強する雰囲気があった。
私は殴られながらも、そこから脱走しないでいた理由もそこにある。
「ここは生長の家の学生道場だ。だから谷口雅春先生のご著書を必死で読め! そして必死で祈り、運動しろ!」と川島さんに言われた。初めての夏休みの時だ。
生長の家創始者・谷口雅春先生には厖大な著書がある。その中心は『生命の実相』(全40巻)だ。
夏休み前に川島さんは言った。「これは当然読むべきだ。読んでない人間はここには要らない。だから、夏休み中に全40巻を読め!」。
1ヶ月半か2ヶ月の夏休みの間に「生命の実相」40巻を読むのだ。「とても無理だ」と思い、脱走する者もいた。
(こうしてみると、集団のリンチ、暴力があり、脱走もある。まるで連合赤軍のようだ)。
そんな〈強制〉の中で読んだ。部屋に引きこもって、読んだ。
そして夏休み中に『生命の実相』全40巻を読んだ。
内容も素晴らしいが、「全巻読破した!」という喜びが大きかった。
それと、〈自信〉だ。後々、「全集もの」に挑戦する起点・動機になる。
この2年後、私は学生道場の自治会委員長になる。
川島委員長にならって、「夏休みに全巻読め!」と厳命した。「読書の強制」だ。
本当ならば、読書は自発的にやるものだろう。
しかし、いい本に出会うキッカケが必要だ。誰かに薦められた、学校の試験に出るので読んだ、強制されて読んだ…と。大学時代は、「強制の読書」が沢山あった。
大学の試験では、自分の書いた本の中から出題する教授が多い。つまり、その先生の本を買えということだ。
又、学生道場でも、強制的に本を読まされた。
ただ厳命するだけでなく、先輩たちが範を示していた。
川島さんの次の自治会委員長は国領(くにわけ)さんだった。とても優秀な人で、読書家だった。
学生なのに、いろんな新聞に投稿して載っていた。凄い人だと思った。
この先輩の部屋には、驚いたことに、マルクス・レーニンの全集があった。毛沢東、ゲバラの本もある。
「この人たちは敵のはずだ」と私は疑問に思って聞いた。
「敵を倒すために、まず敵を学ぶんだ」と。
なるほど、と思った。しかし、私にはとても出来なかった。
他にも、本を読んでいる先輩は多かった。
古文や英文を原書で読んでる人もいた。『吉田松陰全集』を、原文で読んでる人もいた。又、徳富蘇峰の「近世日本国民史」を全巻揃えて読んでた人もいた。
食事の時間や、夜、部屋に集まった時も、国の話、運動の話、そして本の話ばかりだった。
「この本は面白かった」「これは読んだか?」という話になる。
又、各人の部屋はカギがないから勝手に入れる。
そして、他の人がどんな本を読んでるか。それが一番関心があった。
大学や学生道場での〈強制〉。それに「他人からの刺激」があってよかったと思う。それがなかったら、本好きにはならなかっただろう。
いい本は、時をおいて、何回も読むのがいい。
僕が学生道場の委員長になった時、「40巻読め!」と言った。だから、学生道場にいた時、私は2度、『生命の実相』を読んだ。
1度目は、川島さんに強制されて。2度目は、「強制」する側の人間として。
私が「強制」した、長い長い全集だ。
そして、何年か後、新聞社に勤めた。インテリばかりが溢れていた。
でも不思議だった。時代の先を行く新聞社なのに、何故か、本を読んでる人は少なかった。
何故だ! と悩んだ。このままじゃ、ただの豚になってしまう。外部からの刺激や強制はない。
それで考えたのが「自分で自分にノルマを課す」。これだった。それは今でも続けている。
今、高木さんが『生命の実相』40巻に挑戦している。もうすぐ読み終わるので、対談したいと思う。今の時代に真面目に〈宗教〉について考えるのは大事なことだと思う。
私は10年に1回は読み返している。全40巻を。だから、5回ほど読んでいる。
又、いろんな宗教的な本や、全集にも挑戦している。芹沢光治良の『人間の運命』も、読んだ人で話し合いをやりたい。
ともかく、何らかの刺激や、外からの〈強制〉があった方が読書は進むだろう。又、自分の知らない世界を知ることが出来る。
2時から、3人が20分ずつ話をし、そのあと3人で討論会。テーマは、「脱原発とヘイトスピーチ」です。この日本を覆う闇です。会場の質問も受けながら活発なシンポジウムになりました。
そのあと、ちょっと変わった飲み屋さんで二次会。マイノリティが集まる店だそうです。性的、そして政治的マイノリティも集まるのでしょう。楽しい二次会でした。
最終の新幹線で帰りました。
昼、図書館。
5時、高田馬場の喫茶店「ミヤマ」の会議室。『紙の爆弾』の対談。
『1964年のジャイアント馬場』(双葉社)を書いた柳澤健さんと対談。586ページの大作だ。圧倒的な迫力で、引き込まれて読んだ。
今まで私はプロレスの本は100冊以上読んでるが、これは文句なしに、〈No.1〉だ。
日本とアメリカのプロレスの違い。そもそもプロレスとは何か。そうした根源的なテーマをベースとして、〈馬場の時代〉を書いている。
実に深い。これは、まるで「世界史」の教科書だ。
本の表紙には、こう書かれている。
〈かつてアメリカに、マツイより、イチローより有名な日本人アスリートがいた〉。
柳澤さんは、以前、『週刊文春』『Number』に在籍し、今はフリー。著書に『1976年のアントニオ猪木』などがある。
「前に会ってますよね」と私が言ったら、「『Number』で一緒に仕事をさせてもらいました」。
そうか。リングスで闘っていたヴォルク・ハン選手に私がインタビューしたんだ。ハン選手はロシアの選手で、サンボ出身だ。技も極められた。
「でも、体のデカい曙とか小錦と闘っても勝てるんですか?」と聞いたら、「ノープロブレム。簡単だ」と言う。
まず100メートルダッシュする。相手はヘタばって、倒れる。あとは殴るなり、関節技をかけるなり、やりたい放題だ。と言う。
小さなリングを考えるが、真剣勝負にはリングなどない。フーン、そうなのかと感動した。
「ミヤマ」での対談が終わり、いつもは居酒屋「土風呂」に行くのだが、この日は鹿砦社の新年会がある。だから柳澤さんにも、「一緒に行きましょう」と誘って行った。
伊藤雅奈子さん、出版社の人もいた。伊藤さんは以前、鹿砦社で出していた月刊『プロレスファン』の編集長だった。
新年会は6時半から始まっていて、会場は満員だった。
プロレスものをよく書いている板坂剛さんもいたので、柳澤さんに紹介した。
又、「ペペ」の2人も来ていた。全国の刑務所をほとんど回って、歌っている。
椎野礼仁さんや私も挨拶しました。
そのあと、二次会「949」の方にも参加しました。
3時、河合塾コスモ。全体会議。
それから又、ホテルサンルート。7時から一水会フォーラム。講師は森田実さん(政治評論家)で、「今後の政治展望を読む」。政界の表も裏も知り尽くしている人なので、話が詳しいし、本質をついている。
又、森田さんは「60年安保」を闘った人だ。全学連委員長・唐牛健太郎などと共に闘った。その頃の話も聞いた。
この日、会場は満員。驚いたことに、ビッグな「聴衆」がいる。西部邁さん、丸山和也さんなどだ。皆、「森田さんの話を聞きたい」と、わざわざ来てくれたのだ。
だから二次会も、満員で盛況。「60年安保」や「砂川基地闘争」の話などが、話題に上っていました。
それに伝説のグラビアアイドル・ホーン・ユキさんがゲストで来てました。この2人に会えただけでも凄かったです。感動でした。