2015/01/26 鈴木邦男

猛吹雪の中で、逢坂さんと話し、考えた

①「時計台シンポ」は中止か?と思ったが

講演する逢坂誠二さん 講演する逢坂誠二さん

大変な事件が起こった。

日本人ジャーナリストが2人、「イスラム国」に捕らえられ、身代金を要求された。解放のためあらゆる手を尽くすと安倍首相は言う。

前に、イスラム国へ行こうとした学生が止められ、その仲介人の人が警察に調べられた。中田さん、常岡さんたちだ。

この2人も、「交渉に当たる用意がある」と言っている。このパイプも含め、積極的に使って、交渉すべきだろう。

まずは人質の奪還・解放だ。そのために全力を尽くすべきだ。「テロとの闘い」は、その後のことだ。

ずっとテレビやネットを見ていたので、頭が朦朧としている。朝、目が覚めたら、外は雪だ。もの凄い吹雪だ。

「あっ!ヤバイ。今日、札幌に行かなきゃ」と思ったのだ。

さらにマズイ事に、東京—札幌間は、全て運休だ。飛んでない。

1/20。札幌時計台ホールです 1/20。札幌時計台ホールです

1月20日(火)の朝だ。どうしよう。手がない。今日は札幌で時計台シンポジウムだ。

こんな時、「瞬間移動」が出来たらよかったのに。そう思ったら…。あれっ?どうしてだろう。外を見た。あっ、札幌だ。吹雪いている。

テレビをつけると、「飛行機は全て運休」だという。列車やバスも止まっている。

大変だ、大変だ。でも私は札幌にいる。「瞬間移動」したのか。

いや、札幌に来ているようだ。そうだ、前日から「待機」させられていたんだ。

「冬の北海道は天候が不順で飛行機が飛ばないことがあります。だから、1月は1日早く来て、待機して下さい」と柏艪舎から言われていたのだ。

そんな事までする必要があるのか。と思ったが、言われる通りにした。

私も挨拶 私も挨拶

驚いた。それがドンピシャリと当たった。前の日に来ておいて、よかった。

今回のゲストは逢坂誠二さんだ。函館に住んでる。列車で札幌まで来るという。3時間ほどかかる。じゃ、逢坂さんも来られなかったら、どうしよう。

それに、こんな吹雪の日に、時計台に来てくれる人がいるのだろう。「列車も運休してるし、『来れない』という電話が随分とありました」と柏艪舎の可知さんは言う。

大変だ。私だけは来たが、あと、誰も来てない。そうなかったら困る。どうしよう、どうしよう。…と心配しちゃいました。

でも、杞憂でした。逢坂さんは来てくれました。人も沢山集まりました。参議院議員の徳永エリさんも来てくれました。

②ニセコ町長を3期。そして国政に

2人でトーク 2人でトーク

ここで、逢坂誠二さんのことだ。

「おおさか・せいじ」と読む。「大阪」ではない。「逢坂」だ。珍しい。

坂に逢うと言うが、この「坂」は何なんだろう。『古事記』に出てくる坂なのか。神に出会う坂ではないのか。

生まれはニセコ町だ。ニセコの名前なのか。でも、お父さんは青森県出身だという。

そこで納得がいった。青森はミステリアスな県だ。

なんせ、「キリストの墓」があるし、「キリスト祭り」もある。

又、ピラミッドもある。死者が集まる「恐山」もある。

文学者も多い。太宰治、寺山修司。そして美術館も多い。

巨大な犬があったり、巨大なオバちゃんの像があったり。三内円山もある。海猫の集まる島もある。不思議一杯の県だ。

吹雪にも関わらず多くの人が 吹雪にも関わらず多くの人が

だから、神の「坂」もあるだろう。そこに集まって、逢う人たちもいるんだろう。

…と、逢坂さんに会った時、説明してあげました。「ほう、そんないわれのある名前だったんですか」と驚いていた。

この日のために、私は逢坂さんの本を随分と読んだ。10冊以上、著書があるが、6冊は読んだ。

一番新しい本の「著者紹介」を見てみよう。「衆議院議員。元ニセコ町長」と書かれている。昭和34年生まれ。今、55才か。若いですね。

子供の頃は天文学をやりたかったという。いつも空を見上げていた少年だったのだ。

でも、それでは生活出来ない。就職もない。とお父さんに言われ、北海道大学薬学部に入る。

外は凄い吹雪でした 外は凄い吹雪でした

卒業後、北海道ニセコ町役場勤務。総務課財政係長などを経て、平成6年11月から17年8月までニセコ町長(3期)。

当時、日本で一番若い町長だった。町役場のトップまで登りつめて町長選に出たわけではない。係長だ。それで辞めて町長選に出た。「誰も当選すると思ってませんでした」と言う。

でも、あらゆる所で演説し、ニセコ創生を訴えた。2期目、3期目は無投票で、ニセコを「世界のニセコ」にした。

もう誰も対立候補として出ようという人がいない。絶対的人気・絶対的信頼があったのだ。

そして、町長3期目の途中で、民主党から声がかかり、町長を辞めて、衆院選に出る。そして当選。

これも凄い。国会議員で、元知事という人はいるが、(元市長もいるかもしれない)。でも、「元町長」というのは他にいない。

「雪で行けません」と言う人も多かったのです 「雪で行けません」と言う人も多かったのです

それに、現職の町長が、途中で辞めて衆議院議員になったという例は他にない。それだけ、「全国区」の町長として有名だったのだ。

「ニセコ町」は人口5000人弱。でも、ホテル、温泉などの「宿泊出来る人数」は軽く6000人を超える。

海外からの観光客も年間10万人を超える。「世界のニセコ」だ。

「ニセコ」とカタカナで書く。元は「狩太村」だった。今も狩太神社はある。それを「ニセコ」に変えた。

そして、スキー、観光の「ニセコ」として、世界にも有名な町にした。

カタカナの町名は、滋賀県の「マキノ町」に続いて全国で2番目だという。

③世界の「ニセコ」にした

終わって、逢坂さんと 終わって、逢坂さんと

さて、ニセコ町長時代の逢坂さんだ。毎朝5時に役場に出勤して、「町長日記」を書く。それをブログにして全職員に見せる。

又、全国初の自治基本条例の制定や情報公開などで注目を集める。「情報公開と参加」がモットーだ。

平成17年。衆議院議員に初当選。内閣総理大臣補佐官(地域主権、地域活性化、地方行政担当)、総務大臣政務官として地域主権改革をリードしてきた。

この頃、テレビにもよく登場していたので、憶えている人も多いだろう。

逢坂誠二さんの本だが、私は6冊読んだ。以下だ。

徳永エリさんも来てくれました 徳永エリさんも来てくれました
  1. 『町長室日記=逢坂誠二の眼』(柏艪舎)
  2. 『町長室日記=完結編』(柏艪舎)
  3. 『逢坂誠二の決断』(共同文化社)
  4. 『わたしたちのまちの憲法』(日本経済評論社)
  5. 『自治体のカタチはこう変わる』(ぎょうせい)

あれっ、5冊だ。もう1冊は、探して見つけたら書こう。どれも素晴らしい本だし、教えられた。

2004年に、柏艪舎の山本社長がニセコ町長だった逢坂さんを訪ねて、本を書いてもらった。それが『町長室日記』だ。

打ち上げ会で 打ち上げ会で

初対面で逢坂さんは決断した。10年前のこの出会いがあって、時計台シンポジウムになるわけだ。

それに2003年のイラク戦争について、かなり触れている。

私も、関心があり、発言し、行動した。1999年の日の丸・君が代の法制化の時は、私も随分と書いたし、発言した。

2003年は、実際にイラクに行った。その頃を思い出しながら、話をした。

『逢坂誠二の決断』では、私も知っている人々と対談している。

坂本龍一さんとは「〈9.11以降〉の世界の危機と希望」。

香山リカさんとは「当たり前のことを当たり前にできるリーダー論」。

橋爪大三郎さんとは「東京だけではない。地方にもエンジンがある」。

田中康夫さん、橋本大二郎さんとも対談している。

④高橋和巳、柴田翔も愛読している

逢坂さんと 逢坂さんと

「坂本龍一さんとは私も対談して本を作りました」と言ったら、「あっ、読みました」と言っていた。

でも私のは大音楽家に対し、こっちは小学生のような質問をしている。

でも、坂本vs逢坂対談は二人ともレベルが高いし、話も高尚だ。

又、香山リカさんとの対談では、若き日の反逆・反体制的な気分に触れて、逢坂さんは、こんなことを言っている。

〈ありました。私もだから背伸びしていて、高橋和巳と柴田翔とか樺美智子を読みました。私が小学校高学年か中学校の頃に流行ったのは、高野悦子の『二十歳の原点』です。ああいうものを読んでいると、何か「体制」というものをすごく感じることがあります〉
元スッチーのいとこです 元スッチーのいとこです

この辺を読んで、嬉しくなりましたね。

「じゃ、今度、高橋和巳、柴田翔、高野悦子…といったことだけで対談しましようよ」と思わず言ってしまいました。「いいですね」と言ってました。ぜひ、実現したい。

それにしても、小学校か中学で高野悦子を読むとは凄い。凄すぎる。これじゃ、ついてくる友達がいないんじゃないのかな。と思っちゃいました。

『町長室日記』の表紙には「本書の内容」としてこう書かれていた。柏艪舎の山本社長が書いたのだろう。

〈逢坂誠二ニセコ町長の「町長室日記」は、1997年以降、2004年7月現在まで実に1400回を数えている。四季の別なく毎朝5時50分ごろに町長室入りしてから新聞8紙に目を通し、日記を書いて全職員に発信し、自分のホームページにも公開する。逢坂町長は、職員に「より一歩でも、たとえ一センチでも成長してもらいたい」という強い思いをもって、この営為を続けてきた〉
高須基仁さんの新年会。1/16(金) 高須基仁さんの新年会。1/16(金)

この本が出たのが2004年8月14日。そして、「完結編」が出たのが、2007年2月1日だ。「日記」もさらに書き継がれている。

〈逢坂誠二・元ニセコ町長の「町長室日記」は、1997年11月以来、2005年8月に辞職するまで実に1697回を数えた。この日記は、ニセコから世界を見据えた視点、本質を捉えた思考から、インターネット上で多くの読者を獲得した。(アクセス数は100万件を突破)。衆議院議員に就任した現在も、日記の公開は続いている〉

時計台シンポジウムでは、いろんなことを聞いた。又、会場からも、いろんな質問が出た。

ニセコ町長時代の話。国会議員になってからの話。民主党の将来。排外主義的な日本の現状について…などだ。

その中で、一番印象的な話を紹介しておこう。

「伝説のグラビアアイドル」ホーン・ユキさん 「伝説のグラビアアイドル」ホーン・ユキさん

中学・高校の社会科で、私たちは「民主主義」について習ってきた。昔、アテネや、最近ではスイスの州などでも行われてるというが、本来の民主主義は住民が全員参加して討議して決めるものだ。それを「直接民主主義」という。

何百人とか千人くらいなら、皆が一堂に集まって、話し合うことが出来る。「全員参加」「情報公開」だ。

でも、人はどんどん増えるし、決めることも多くなる。だから、「直接民主主義」にかわって、「間接民主主義」になった。今、世界のどこの国でもそうだ。

つまり、一人一人の住民は自分たちの声を代弁してくれる者(議員)を選ぶだけだ。あとは、この選ばれた代議士が政治をやる。

これが「間接民主主義」だ。本当は「直接民主主義」がいいのだが、人も多いし、仕事も多いので、「次善の策」として、「間接民主主義」を選択したのだ。そう教わった。

⑤「直接民主主義」を実現出来たのでは?

ホーン・ユキさんと ホーン・ユキさんと

でも、それでは、まだるっこしい。ということで、いろんなところで「住民投票」を要求する声が出、実施されている。たとえ一部でも「直接民主主義」を求める声だ。

そこで、私はヒラめいた。思った。

そうだ。人口5千人弱のニセコ町なら、完全なる「直接民主主義」が実行出来るのではないか。

アテネや、ジュネーブでやってたように、全住民を一ヶ所に集めて、討論し、採決して決める。これこそ民主主義の原点ではないのか。「夢の民主主義」ではないのか。

「確かに、やれるかもしれませんね。完全な“直接民主主義”が」と逢坂さんは言う。

初代『薔薇族』編集長・伊藤文学さんと 初代『薔薇族』編集長・伊藤文学さんと

ただ、5千人の住人が、毎日、集まって会議をするわけにはいかない。

それに、全員が集まって、短時間で決着をつけようとすると、感情的な意見に引きずられる。そんな危険性があるという。

つまり、テレビの討論番組の巨大化したものになる。激しい意見、過激な意見が勝つ。その傾向がある。

その点、「間接民主主義」は、そうした暴走に対して、ブレーキをかけ、チェックする役目を果たす。というのだ。我に返って、冷静に考える時間を与えてくれる。という訳だろう。

「皆の意見」を「直に」聞く。それがいいと思われがちだが、ちょっと待てよという〈時間〉も必要だ。

そうか。私は、そのことについて考えたことはなかったので、「なるほど」と思った。

文学さんと高須さんの「文学談義」 文学さんと高須さんの「文学談義」

これは「言論の自由」についても言える。昔は、「間接・言論の自由」だった。マスコミしか、本当の「言論機関」はない。個人が投書しても、載せてくれるかどうかはマスコミの側の問題だ。

だから、「我々の側には言論の自由はない」と思った左右の活動家は、「街宣車で激しく訴える」「直接行動に訴える」…といったことをする。

それによって、自分たちの「主張」を国民に届かせようとする。

だが今は、ネットも出来た。ツイッター、フェイスブックもある。

たとえどんな過激な意見でも、差別的な意見でも、自由に発表出来る。「間接・言論の自由」ではなく、「直接・言論の自由」になった。

「マッカーサー・ロード」が… 「マッカーサー・ロード」が…

ただ、それによって、言論の質が向上したか。逆だ。差別的な言論、罵詈雑言が溢れた。そんな下劣なことを「言論の自由」だと思う愚かな人々も増えた。

又、そんな差別的なことを書く人に対し、昔は、「そこまで言ったら終わりだ」「やめろ」という自制心があった。今はない。

むしろ、「本音で言っている」「勇気がある」「いいね、いいね」と拍手する人も多い。嘆かわしい状況だ。

「言論」の質は劣化したし、「民主主義」も劣化している。ネットなどのツールの進化に人間の理性が付いていけないのかもしれない。…と、いろんなことを考えた。

猛吹雪の中で、時計台ホールで話し合い、そして考えた。多くのことを学んだ。

【だいありー】

「週刊アエラ」(1/26号) 「週刊アエラ」(1/26号)
  1. 1月19日(月)羽田発午前11時の飛行機で札幌へ。
     「時計台シンポジウム」は翌日だが、「冬は天候が悪くなると飛行機が飛ばない。だから、1日前に入ってほしい」と主催者の柏艪舎から言われていた。それで1日前に行ったのだ。
     昼、柏艪舎の山本社長、可知さんと打ち合わせ。
     夜は、これからの講演会について、他の人たちと相談。
  2. 1月20日(火)朝から凄い雪だ。猛吹雪だ。飛行機は全て運休。
     柏艪舎の予測は当たった。もし、今日の飛行機だったら、来れなかった。
     昼、仕事の打ち合わせ。
     夜5時、札幌時計台に行く。地方から聞きに来る予定の人が、「行けません」と次々と電話。車で来る予定の人も来れない。
     ウワー、この広い会場に10人位かもしれない。でも、やりましょう。
     ゲストの逢坂さんも心配だ。函館に住んでいる。仕事の関係で、5時半頃、札幌に着くという。でも、列車が動くのだろうか。心配だった。
     でも、列車は普通通りに着いた。定刻6時からスタート。
     それに、この吹雪の中、多くの人たちが聞きに来てくれた。雪で予約をキャンセルした人も多かったが、当日券で来た人も多く、時計台ホールは満員だった。奇跡に近い。
     逢坂さん、私、司会の中尾さんもこれには感動した。興奮した。
     6時、まず私が挨拶。そして逢坂さんが1時間、講演。実に感動的な話だった。
     それから10分の休憩の後、2人でトーク。ニセコ町長だった頃の話。人口5千人足らずの町を「世界のニセコ」にした。その工夫、苦労話。さらに3期目の時に、町長を辞任して、衆議院選挙に立候補して当選。町長と国政との違い。などについても話してもらった。
     又、愛国心、ヘイトスピーチ。民主主義の本質などについても聞きました。
     その後、質疑応答。そして、サイン会。
     驚いたことに、参議院議員の徳永エリさん(民主党)が来ていました。「わざわざ、この吹雪の中を」とお礼を言いました。感動です。
     徳永さんは、有田芳生さんたちと共に国会の院内集会で、「ヘイトスピーチ反対」の集まりをやり、発起人になってました。そこで私は何度かお会いしてます。
     札幌が地元だとは知ってましたが、まさか来てくれるとは。
    この後、スタッフの皆と打ち上げ。ホッとしました。こんな悪天候のもとでも、大成功でした。
『サイゾー』(2月号) 『サイゾー』(2月号)
  1. 1月21日(水)今日は、昨日とは打って変わって、晴れ。いい天気だ。
     札幌発12時の飛行機で東京に帰る。
     一旦、家に帰って、仕事。
     夜、打ち合わせ。
     札幌2泊で大変だったが、無事、講演会も成功で、よかった。
  2. 1月22日(木)午前中、取材。
     午後から河合塾コスモ。今日から新学期が始まる。自習室で勉強し、3時、「現代文要約」の授業。
     5時、「読書ゼミ」。今日は斉藤先生の選んだ本を皆で読む。三浦哲郎の『忍ぶ川』(新潮文庫)。とてもいい本だ。感動的だし、名文だ。私も三浦作品は好きで随分と読んだ。今度、「全集」に挑戦してみよう。
「週刊読書人」(1/9号) 「週刊読書人」(1/9号)
  1. 1月23日(金)午前中、原稿。
     午後、取材。打ち合わせ。
     7時、ネイキッドロフトに行く。〈ブラックジャック制作秘話〉。
     宮崎克さん(作家)。吉本浩二さん(漫画家)。石坂啓さん(漫画家)が出て、手塚漫画の制作秘話を話してくれる。
     手塚さんの息子さん、娘さんも特別出演。驚きのサプライズでした。
     「私は手塚治虫さんと会って、一緒に酒を飲んだことがあるんですよ」と話しました。
     かなり昔だ。竹中労さん主催のパーティで、すぐ隣りに手塚さんがいて、驚いた。いろいろ話を聞きました。ちゃんと写真を撮っておけばよかった、と悔やまれます。
     終わって、石坂さんたちと、近くの店で飲みました。気が付いたら午前3時でした。慌てて帰りました。
  2. 1月24日(土)午前中、原稿。
     午後1時、日本青年館。「川上徹さんのお別れ会」。
     川上さんは元・日本共産党の学生運動(全学連)をしていた。ところが党と衝突して、除名される。その時の体験を書いた『査問』は凄い本だった。衝撃を受けた。
     その後、川上さんは同時代社を作って、出版活動をする。私も書かせてもらったことがある。
     共産党時代、全学連の話を聞いて、私も川上さんについての本を書こうと思ってた。
     川上さんは、「それよりも辻井喬さんと鈴木さんの対談本を作りましょうよ」と言う。それで準備していた。
     辻井さんは堤清二として西武デパートの仕事をしながら、作家「辻井喬」として活躍していた。三島由紀夫とも懇意だったし、「楯の会」の制服も作っている。
     三島の話、文学の話も聞きたい。それで、辻井さんの本は随分と読んだ。私の本も辻井さんに読んでもらった。
     ところが、対談の直前に、辻井さんは入院。「退院したら、やりましょう」と言ってたが、亡くなられた。
     その「お別れ会」で松本健一さんに会った。「今度、ゆっくり話しましょうよ」「北一輝について対談したいですね」と話していた。その松本さんも亡くなった。
     さらに、辻井さんとの対談を企画した川上徹さんも亡くなった。残念だ。
     沢山の人が参列していた。遅くまで、川上さんの思い出を語り合った。
     又、有田芳生さんに会いました。「逢坂さん、徳永さんに会いました」と話しました。
  3. 1月25日(日)午前中、原稿。
     昼、雑誌の座談会。
     夜、打ち合わせ、取材。

【写真説明】

講演する逢坂誠二さん

①講演する逢坂誠二さん(衆議院議員)。元ニセコ町長。「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」で。1月20日(火)。「北海道のこれからを考える」と題し、逢坂さんが講演。

1/20。札幌時計台ホールです

②逢坂さんと鈴木。左は司会の中尾則幸さん。

私も挨拶

③初めに私が挨拶しました。

2人でトーク

④私の挨拶のあと、逢坂さんの講演。そして、2人でトーク。

吹雪にも関わらず多くの人が

⑤この日は猛吹雪で、飛行機が飛ばない。列車、バスも運休が続出。予約していた人からも、「行けません」という電話が沢山ありました。でも、こんなに多くの人が来てくれました。

外は凄い吹雪でした

⑥外は凄い吹雪でした。

「雪で行けません」と言う人も多かったのです

⑦朝から一日中、猛吹雪でした。

終わって、逢坂さんと

⑧トークが終わって、逢坂さんと。

徳永エリさんも来てくれました

⑨徳永エリさん(参議院議員)も、聞きに来てくれました。国会の院内集会で前に会いました。ヘイトスピーチ反対の集会で、有田芳生さんたちと発起人になってました。

打ち上げ会で

⑩打ち上げ会場で。逢坂さん。柏艪舎の山本社長や、北海道新聞の人たちもいます。

逢坂さんと

⑪逢坂さんとお酒を飲みながら、又、お話をしました。

元スッチーのいとこです

⑫元スッチーのいとこです。あっ、いとこの娘さんだったかな。札幌に住んでます。来てくれました。

高須基仁さんの新年会。1/16(金)

⑬1月16日(金)銀座のライブハウス「まじかな」で高須基仁さんの新年会が行われました。右が高須さん、中央が、ホーン・ユキさん。

「伝説のグラビアアイドル」ホーン・ユキさん

⑭ホーン・ユキさんは、「伝説のグラビアアイドル」です。童話の朗読をしてくれました。

ホーン・ユキさんと

⑮ホーン・ユキさんと。

初代『薔薇族』編集長・伊藤文学さんと

⑯初代『薔薇族』編集長の伊藤文学さんと。83才です。伝説的な人です。

文学さんと高須さんの「文学談義」

⑰伊藤文学さんを相手に、高須さんが真面目に文学談義をしています。

「マッカーサー・ロード」が…

⑱終戦直後、虎ノ門—新橋間の道路は、マッカーサーが通ったので、「マッカーサー・ロード」と言われてました。今、再び、この名前が復活しました。

「週刊アエラ」(1/26号)

⑲「週刊アエラ」(1月26日号)発売。中村文則の『教団X』(集英社)の書評を書きました。ここ10年で最高の本でした。600ページ近くあります。必死で読みました。凄い迫力です。そして、考えさせられました。

『サイゾー』(2月号)

⑳『サイゾー』(2月号)は特集が〈人気マンガの危ない裏話〉。凄いです。力を入れた特集です。「反戦マンガが超えた一線」「右翼化するエンタメ」と「天皇をめぐる表現問題」。ギリギリのところまで取材し、問題提起しています。勇気ある特集です。

「週刊読書人」(1/9号)

㉑「週刊読書人」(1月9日号)に書きました。猪瀬直樹さんの『さようならと言ってなかった=わが愛、わが罪=』(マガジンハウス)の書評です。とても感動的な本でした。あの失意の時に、よくこれだけの〈文学〉が書けたと思います。「作家・猪瀬直樹」が帰ってきた!と思いました。

2/18。八重洲ブックセンター

㉒2月18日(水)午後6時半より、八重洲ブックセンター本店・8階ギャラリー。孫崎享さんとの対談本『いま語らねばならない戦前史の真相』(現代書館)の刊行記念トークです。テーマは〈70年目の積極的平和論〉です。参加申し込みは八重洲ブックセンターへ。03(3281)8201。

【お知らせ】

第1回「前田ゼミ」に出ます 第1回「前田ゼミ」に出ます
  1. 2月3日(火)札幌時計台シンポジウム。ゲストは岡田敦さん(写真家)。テーマは「表現の自由について=芸術とは何か? 猥褻とは何か?」
     岡田敦さんは、木村伊兵衛写真賞受賞者で、2014年の北海道文化奨励賞を受賞した写真家です。『Mother』(柏艪舎刊)で撮影した出産シーンは芸術なのか、猥褻なのかも含め、自己規制が増える昨今の表現の自由、言論の自由について語ってもらいます。
  2. 2月8日(日)午後2時、「前田日明ゼミin西宮」がスタートします。第1回目のゲストは鈴木邦男です。テーマは、「誠の愛国者とは=現代日本社会を読み解く」。
2/18。八重洲ブックセンター 2/18。八重洲ブックセンター
  1. 2月18日(水)午後7時。一水会フォーラム。講師は下村満子さん(評論家・元『朝日ジャーナル』編集長)。
  2. 2月18日(水)午後6時半。孫崎享さんと対談です。『いま語らねばならない戦前史の真相』(現代書館)刊行記念トークです。この日は、八重洲ブックセンター本店・8階ギャラリーです。お申し込みは、電話03(3281)8201です。(このトークは前から決まってたんですが、一水会フォーラムと重なってますね。フォーラムには遅れて参加するつもりです)。
「右派の異端者。左派の異端者」 「右派の異端者。左派の異端者」
  1. 4月11日(土)午後1時、日本生物地理学会主催の大シンポジウムが開かれます。立教大学のタッカーホール。「次世代にどのような社会を贈るのか」。今年のテーマは〈対談! 右派の異端者。左派の異端者〉です。
     左派の異端者=森中定治さん(日本生物地理学会会長)と私の対談です。他にゲストとして、田原総一朗さん、宇都宮健児さん、紺野大介さんなどが出ます。このシンポジウムは10年前からやってるそうです。立教大学の千人入るタッカーホールでやってます。
  2. 4月21日(火)札幌時計台シンポジウム。講師は孫崎享さんです。
  3. ちょっと先ですが、毎年恒例の「生誕祭」を8月2日(日)に行います。阿佐ヶ谷ロフトで、午後1時から4時まで。今年はどんなゲストが出て、どんな集まりになるのでしょうか。私も楽しみです。