「言論の自由」は大切だ。
かつては、間接「言論の自由」だった。
自分(たち)の考え・主張を伝えようと思ったら、新聞や雑誌に投書するしかなかった。
採用されるかどうかは、向こう側が決める。過激な意見、偏見に満ちた意見、差別的な考えは絶対に採用されない。
じゃ、自分でチラシを作り、街頭で配る。ハンドマイクで道をゆく人々に訴える。これは人々に直に届く。
でも、圧倒的に少数だ。左右の人々は、自分たちで金を出し合って新聞を作る。それだって「届く範囲」は限られている。
その点、街宣車は「大きな発明」だった。駅前で大音量で訴えることが出来る。左翼の大人数のデモに対する右翼の対抗手段でもあった。
たとえば、(かつて左翼が全盛の時代の話だが)、左翼が何千人、何万人と集めてデモをする。これは訴える力が大きい。
それに対抗して右翼がデモをやろうとしても、10人か20人じゃサマにならない。「おっさんの散歩」になってしまう。
でも、その20人が1台ずつ街宣車を運転したら、壮観だ。迫力があるし、脅威だ。
軍歌を鳴らし、大音量で演説する。抗議する。抗議された政治家や企業は震え上がる。
さらに効果の大きいのが、「直接行動」だ。反日だと思われる政治家を襲う。日教組や共産党を襲う。
当然、捕まるし、新聞、テレビにも大々的に出る。あくまでも犯罪だ。
でも、「何故そんなことをしたのか」の理由も出る。それで、「自分たちの考えていることが人々に伝わった」と思う。これも間接「言論の自由」だからだ。
我々の主張は、直接、国民には届かない。どこかの〈媒体〉を通してしか届かない。その媒体、手段、方法を探して、躍起になっていたのだ。
それが今までの右翼や左翼の運動だった。
ところが今は違う。ネットがある。直接、国民全てに訴えることが出来る。もう、直接「言論の自由」だ。
ブログ、ツイッター、フェイスブックなどで、国民全員に瞬時に語りかけ、訴えることが出来る。凄い進歩だ。
どんな過激な考え、偏見、差別的な考えも発表出来る。国民一人一人が「魔法の力」を得たのだ。
間接「言論の自由」から直接「言論の自由」へ。大きな進歩だ。自由な〈言論〉は保障された。
でも、この守るべき「言論」の質は向上したのか。どうも、そんなことはない。
読んで幸せになった。励まされた。生きる希望が湧いた…というプラスの〈言論〉は少ない。
逆に、人を批判し、罵倒し、脅迫する〈言論〉が急増している。
「言論の自由」といいながら、守るべき〈言論〉の質は、どんどん劣化しているのだ。
他人を口汚く罵倒する。差別する。そんな言葉が満ち満ちている。「面白ければいい」とばかりに、書き込む。
昔なら、たとえ酒場のヨタ話でも、「よしなよ」「そこまで言ったらおしまいだ」と、たしなめる人がいた。又、「これは言い過ぎだった」と思う自制心があった。
ところが今はない。ブレーキの壊れた自動車だ。見る側も劣化している。
差別用語を羅列し、口汚く罵っても、かえって「本音を言っている」「勇気がある」と思う人々がいる。「いいね、いいね」と囃し立てる人がいる。
一国の代表者を暗殺する映画を作り、それに反対する意見にはムキになって反論し、「言論・表現の自由を守れ!」と訴える。
又、宗教的指導者を批判・揶揄し、それが「言論・表現の自由」だと言う。
勿論、言論には言論で闘うべきだ。どんな不快な言論にも、「暴力」を使うことは許されない。
だが、「守るべき言論」の質が余りに劣化している。
「言論の自由」を主張するデモに出ながらも、内心「えっ、こんな下劣なものを守るために、命までかけてるのか」と戸惑い、疑問に思う人も出る。当然の反応だ。
それに、まるで映画でも見るように面白がって見て、無責任に書き込む人々がいる。
そして、「強いこと」「右がかったこと」を言えば、正しいと思い、自分が偉くなったように錯覚する。
日本人の同胞がゲリラに捕まり、殺害されたのに、同情するどころか、「テロに屈するな!」「妥協するな!」と言い、「死を覚悟して行ったんだろう」「自己責任だ」と批判する。
まず助けようとして、あらゆる手を尽くすべきだろう。あらゆるチャンネルを使って交渉すべきだろう。全ては、人質を救出してからだ。
ところが、「交渉するな」と言い、「人質になった写真は操作されたものだ」と、したり顔で述べる人もいる。だったら、なおさら危ない。
それに捕まってることは事実だ。救出を考えないで、そんな「写真」談義をしている時間はない。
又、ネットでは、人質とゲリラの例の写真を真似て、「イスラム国ごっこ」をして写真に撮り、投稿してる人間もいる。悪ふざけも極まれりだ。
又、テレビでも、犯人が指定した時間を示し、「カウントダウン」する局もあった。まるで映画かゲームのように便乗して、悪ふざけをしている。
政治家も、与野党問わず、失言し、あわてて取り消している。
安倍首相は、NHKで「自衛隊派遣」まで示唆した。戦争をしている国に行って、一方の側に金を出して加担したと思われ、今度は、自衛隊まで口にした。慎重さがない。
〈安倍首相の驕りと不見識が悲劇を生んだ〉〈日本をテロの連鎖に引きずり込む安倍の大暴走〉…と、「日刊ゲンダイ」(1月27日)は批判していた。
「安倍政権の絶望的無力」を衝き、こうも言う。
〈湯川さん殺害、安倍錯乱〉
〈安倍内閣のままなら、国民皆殺しの恐怖〉
ここまで言うのか!と思いながら読んじゃった。さらに言う。
〈日頃国民の安心と安全を守るとか大見得切っているこの無能無策政権の本当の正体〉
〈安倍政権は勇ましいこともいうが、テロにからきし弱いのが実情。北朝鮮問題も同じ。国際情勢に対してマトモな情報ひとつ収集できず事件が起きても正当な対応は何もできない、こんな政府を国民は放置傍観していてはダメだ〉
何とも厳しい。昔なら安倍内閣打倒だ。「国民の命も守れない政府は、いらない!」となるだろう。
しかし、安倍内閣を打倒しても、その後はない。もっと弱い人間だ。ましてや野党など全く頼りにならない。今は安倍しかない、と皆、思っている。
そんな国民の〈絶望的な〉〈他にないからという〉信頼感を感じ取っているのだ。
だから、この「国難」「危機」をも利用して、「だから集団的自衛権だ」「テロリストとの全面戦争だ」「憲法を改正し、強力な国防軍を!」と訴えている。
又、劇場化し、バーチャルリアリティ化している日本の人々も、「そうだ、そうだ」「いいね、いいね」と引きずられる。「命より大切なものがあるんだ!」と勇ましいことを言う人々もいる。
いや、命こそが一番大事だ。と思っても、そう言いかねるような状況だ。
でも、国家が国民の命を守らないのなら、国家なんていらない。バラバラの個人がいればいいだけだ。
皆、勝手に生き、勝手に「自己責任」で動いたらいい。国家もいらないし、税金も必要ない。
そうならずに、わざわざ、国家を作り、そこに住む人の法律を作り、税金を払うのは何のためだ。一人一人の命を「国家」が守るためだ。守れないのならば、議員も国家も税金も必要ない。
国家というものが先ずあって、そこに国民が生まれたのではない。国民一人一人がまずいたのだ。その命と自由を守るために、(いやだけど)、国家を作ったのだ。
国民があって、そのあと、国家があるのだ。そのことを忘れてはならない。
この問題は札幌に行って又、じっくり考えよう。
あっ、忙しい。もう出かけなくちゃ。明日(2月3日)、札幌時計台シンポジウムだけど、又、1日前に行って待機しなくてはならない。
だから、今、2月2日(月)から羽田に行く。明日は、岡田さんと、「猥褻と表現の自由」について話す。
「表現の自由」は難しい問題だ。天皇、靖国、イルカ漁…などについて私も巻き込まれ、あるいは自分から進んで、「表現の自由」の問題を考えた。それらの体験を思い出しながら、考えてみよう。
2月は他にもあったな。8日(日)は西宮で前田日明さんと「誠の愛国者とは」というトークだ。
ヘイトスピーチや排外主義。そして表現・言論の自由について話すことになるだろう。
21日(土)は新潟県新発田だ。「大杉栄メモリアル」だ。最近は、毎年行っている。今年も聞きに行こうと思ってた。そこの責任者の斉藤さんが市議選に出るというし、その発表もある。
だから、「今年も行きますよ」とメールしたら、「案内状」が送られてきた。何と私が記念講演になっていた。面倒くさいから、「打診」「お願い」も含めて、「案内」に統一したのだろう。
じゃ、頑張ってやりましょう。近くの人は来て下さいよ。平田君とか、岩井さんとか。下中さんとか。
そうだ。中村文則の『教団X』(集英社)を読んだという人から感想が送られてきた。前から中村文則が好きで読んでたらしい。
私が「週刊アエラ」に書評を書いたのを読んで、「よし、読まなくちゃ!」と買ったという。
これは厚い。567ページもある。1800円だ。こんな厚い本は、読むのが大変だろう。
2週間位読み続けて、ギブアップしたのかと思ったら、何と、「面白くて2日で読みました」と言う。凄い。日本最速ですよ。
私なんて、年末から年始にかけて、「足かけ2年」もかかって、やっと読了した。
しかし、偉いですね。2日で読んだなんて。こんな向上心のある、勉強家の人は、国家が表彰すべきですよ。
あるいは、勤めてる会社が特別に「読書ボーナス」を出すとか。そうとでもしないと、日本は、ますます「読書劣国」になってしまう。
位牌のようなもの(携帯)を持って、ピコピコやってる人間だけが増えている。これじゃ、日本が滅ぶよ。
私も、いろんな人に、この本を読めと勧めている。読んだら人間が変わる。新生する。
私にメールをくれた女性も、「ウツ」「ギャンブル依存症」「アル中」が治り、今、爽やかに新生し、会社でも、「明るくなったね」と皆に言われ、仕事もバリバリやってるそうだ。
「読書が人間を変えるのです」「読書だけが人間を成長させるのです」。吉田松陰もそう言っている。テレビなんかは見なくていい。読書しましょう。
次は、奥泉光の『石の来歴』(文春文庫)がいいでしょう。『教団X』を読んだ人は皆、これも読んでますよと、私は勧めてあげた。
そうだ。上祐さんや徐さんにも勧めてあげなくっちゃ。もう読んだかな。
『教団X』のカバーには、こう書かれている。
〈謎のカルト教団と革命の予感〉。
でもオウムをイメージした小説というわけではない。そこを突き抜けている。
〈自分の元から去った女性は、公安から身を隠すカルト教団の中へ消えた。絶対的な悪の教組と4人の男女の運命が絡まり合い、やがて教団は暴走し、この国を根幹から揺さぶり始める。神とは何か。運命とは何か。絶対的な闇とは、光とは何か〉
中村文則自身も、「これは現時点での、僕の全てです」と書いている。それがよく分かる。
今までは、「暴走する宗教」を取り上げた小説としては村上春樹の『1Q84』が話題になっていた。圧倒的な迫力だった。その前ならば、高橋和巳の『邪宗門』だ。
昔、「朝日ジャーナル」に連載されていた時から私は愛読していた。最近、河出書房新社から復刊されたようだ。
この先行2大宗教小説に勝るとも劣らないのが『教団X』だ。
こうした力作を読むと、本当に読書っていいものだと分かる。松陰が言うように「読書こそが人間を成長させる」ということも実感するだろう。
じゃ、今度、この3大小説を読んで、座談会をやろうか。高木さんや、レーニンさんたちと。
そうだ、その前に、芹沢光治良の『人間の運命』を全巻読んだ人だけの座談会をやらなくちゃならんな。
又、もうすぐ『生命の実相』全40巻を読み終わるという高木さんとも〈宗教と人生と芸術〉について話をしなくっちゃ。
プチ鹿島『教養としてのプロレス』出版記念トークライブ。出演はプチ鹿島さん、ゲストは棚橋弘至さん(新日本プロレス。IWGPチャンピオン)。面白かった。
休憩時間に、楽屋で3人で話した。前に私は、プチ鹿島さんとロフトでトークしたことがある。又、鹿島さんの『教養としてのプロレス』(双葉新書)を「週刊アエラ」で書評した。素晴らしい本だった。
それで、今回のライブを見に来た。棚橋さんは前から会いたいと思っていた。いい男だし、体もデカい。それに、なかなかインテリだ。
3人で、プロレスの社会性、影響力について話をした。政治、文学、芸能、著述…などで、プロレスの影響を受けた人は多い。「人生に必要なことは全てプロレスから学んだ」と言う人もいる。
プチ鹿島さんの『教養としてのプロレス』も、そんな社会性のある本だ。プロレスの効用、全ての人にとっての、生きる上での「受け身」を教えている。
プロレスファンには、オウムや連合赤軍に走った人はいない。人生の「余裕」を与えるし、人生を豊かにする。元オウム幹部の上祐さんとも鹿島さんは対談している。
じゃ、今度、上祐さん、それに連合赤軍の植垣さんも加えて、皆で、トークをしましょうよ、と私は提案しました。
448 野崎昭弘『詭弁論理学』
560 祖父江孝男『文化人類学入門』
1704 竹内洋『教養主義の没落』
じゃ、この3冊も読み返してみよう。
『アーロン収容所』を書いた会田雄次さんは、京大教授として有名だが、若い時、戦争に従軍し、イギリス軍の捕虜となりアーロン収容所に入れられた。そこでの強制労働の日々に感じたことを書いている。そして、「西欧という怪物の正体」を暴露してゆく。たとえば、
〈イギリスの女兵士は、なぜ日本軍捕虜の面前で全裸のまま平然としていられるのか〉
〈英軍は、なぜ家畜同様の食物を捕虜に与えて平然としていられるのか〉
どうも、「同じ人間」とは見ていなかったようだ。
普通、人がいたら、女性は裸で着替えはしない。でも、犬や猫の前でなら、平気で裸になる。それと同じなのかもしれない。我々が気が付かない〈西欧〉について書いている。
それと、会田雄次さんは、1916年(大正5年)生まれ。1997年9月、亡くなられた。今生きていたら98才だ。
実は、私は大学時代に何度もお会いした。右派学生だったので、会田先生には講演をしてもらったりした。京都に行った時は、何度も、ご馳走してもらった。とても優しい先生だった。生徒たちにもそんな思い出を話した。
①1月24日(土)午後1時、日本青年館。「川上徹さんとのお別れの会」。若い時、日本共産党に入り、日共系の全学連の委員長になりました。そして、学生運動をやります。でも、党と衝突し、辞めたのです。その後は、同時代社を作り、出版活動をしてました。
辻井喬さん(堤清二さん)と私の対談本を同時代社から作る予定で進めてましたが、辻井さんが亡くなられ、今度は川上さんが亡くなられました。まだ若いのに、残念です。
⑨1月23日(金)、午後7時から、ネイキッドロフト。『ブラック・ジャック制作秘夜』。
取材して「秘話」を書いた人。それを漫画にした人。取材された手塚治虫さんのスタッフの皆さんなど、沢山の人が来てました。
⑮お店の人やお客さんたちと。左は石坂啓さんの妹さんですね。私は学校でお世話になってます。右は石坂啓さんの息子さんです。何と、ネイキッドロフトに勤めているのです。「よく勤まっているね。えらいねー」と言いました。