最悪の事態を迎えた。湯川さんに続き、後藤さんも「イスラム国」に殺害された。
「最悪の事態」はさらに続いている。「イスラム国」は、続いて、ヨルダン人パイロットも殺害した。ヨルダンは即座に報復。ヨルダンに捕らえられていた女性死刑囚を処刑した。
「人質交換」が交渉されていたが、それも全て消滅した。「これからも日本人を殺害する」と「イスラム国」は宣言。
安倍首相は、「言語道断だ。卑劣な行為は許せない」と言い、さらに、「必ず罪を償わせる」と言う。
どんな事態を迎えても「テロには屈しない」と言う。
日本は、いや世界は、未曾有の「敵」との対決を迫られた。
「日本人人質を救出するためにはあらゆる手を尽くす」と安倍首相は言いながらも、最後は、「国」のためには犠牲になってくれ。と言わんばかりの選択だったと思う。
又、その選択を「当然だ」「勇気がある」と支持する国民も多いのだ。
これからは、「邦人救出のためには自衛隊の派遣も考える」「やはり9条がダメなのだ。強い国をつくるために憲法改正を」…と、続く。
かつてハイジャック事件が起きた時、当時の福田首相は、「人命は地球よりも重い」と言って、犯人たちの要求を呑んだ。日本に捕らえられていた赤軍派などの犯人たちを釈放した。
「弱腰だ」「テロリストに屈した」と批判も大きかったが、今となっては、その交渉・その選択しかなかったのかもしれない。
「弱腰」と罵倒されることは覚悟して、「国民」を救おうとした。要求に従って大金も渡し、刑務所にいる人間も釈放した。
その人間が、さらにテロ活動をやるし、「大金」はその資金となる。テロを拡大させた。
それよりは、「どんな犠牲があっても、犯人に屈するべきではなかった」と思った人々もいる。安倍首相たちもそう思ったのだろう。
「前の過ち」を再び犯さないように。そういう固い決意のもとに、今回は、テロリストとは交渉しない。屈しない。各国と連帯して闘う。…という覚悟があった。まずそれがあった。
福田首相の「失敗」は繰り返さない。国家の威信は守る。という態度を貫いた。
その固い決意が伝わったからだろう。「イスラム国」は「交渉出来ない」と見て、湯川さん、後藤さんを殺害し、そのことをネットで発表した。
2月2日(月)付の「北海道新聞」を読んだ。この日午後、札幌にいたからだ。
日本人人質2人が殺された最悪の事態だった。第5面には「各国、残虐な犯行非難」「過激派拡大、打つ手なし」と出ていた。
そして、3人の識者による緊急座談会が目についた。
孫崎享さん(元外務省国際情報局長)、柳沢協二さん(元内閣官房副長官補)、田中浩一郎さん(日本エネルギー経済研究所常務理事)の3人だ。〈過激派「イスラム国」を名乗る犯人の狙い。事件の教訓は何か〉について語っている。
全体を読む前に、「見出し」が目に付いた。3氏の主張が鮮明に出ていた。
「首相、緊迫理解せず演説(孫崎氏)」
「邦人の保護には限度(田中氏)」
「人道復興支援、堅持を(柳沢氏)」
孫崎さんは他の2人とは違う。長い間、外国で大使をやってきた体験に裏付けられたものがある。こう言う。
〈一番理解しなければいけないのは、後藤健二さんがイスラム国に害を与えたからというのではなく、日本人であったから殺害された可能性が強いことだ。かつてはなかったことだ。日本というブランドは中東の人々からも愛されていた〉
〈安倍首相はイスラム国周辺の中東諸国への資金提供は人道支援と説明しているが、カイロでの演説では、「ISILと闘う周辺各国」に対する支援と述べ、イスラム国と闘う姿勢を明確に打ち出した〉
かなり強い姿勢だ。その「人道支援」をイスラム国に逆手に取られ、人質になっていた日本人2人の命を盾に、大金を要求された。
人道支援といいながら、これは我々を殺す金だ。だったら同じだけの金を我々にも出せというわけだ。
安倍首相は断固として拒否した。「あくまでも人道支援であって、戦争に協力する金ではない」と言い、「テロリストには屈しない」と言った。
我々も、初め、安倍さんの声明は、あくまでも人道支援だと思った。この時、(2人が人質になってることは知らずに)、日本として出来る「人道支援」をしたのだと思っていた。
安倍さんの声明のあと、「2人の人質がいた」ことを我々は知った。
だが、安倍さんはその時、もう知っていたのだ。それも去年から知っていた。国民には教えなかったが。
それにもかかわらず、「イスラム国と闘う姿勢」を明確に打ち出したのだ。そのことを踏まえて孫崎さんは言っているのだ。
さらに言う。
〈フランスの風刺週刊誌テロが起き、イスラム社会と西側諸国の対立がここ数年で最も緊迫した時期に、このような発言をすれば何らかの危険な動きが起こりうると考えるべきだ。イスラム社会と西側社会の緊張を十分に理解していなかった〉
人質を取られて、日本人の生命が危うい。ということを十分に知りながらも、それよりも「テロには屈しない」「イスラム国と闘う」と決意を固め、発言したのだ。
かつては福田首相を初め、「人命尊重」と言い、そのもとに「テロリストに屈服し」、「国家の威信」を失墜させてきた。そんな首相にはならない。「国を守る」。
そのためには、国民の犠牲も覚悟してもらうし、「痛み」も覚悟してもらう。そう思ったのだろう。ここまで決断した首相は多分、戦後初めてだろう。
孫崎さんの発言を続ける。
〈日本政府は、犯人がどんなに凶悪でも人質解放を最優先にしてきたが、今回は身代金要求の時点で、真剣に対応した節は見えなかった。昨年11月に後藤さんも拘束されていたことを知っていたのだから、水面下で交渉できたはずだが、熱心にやった形跡はないように思う〉
そして、こう言う。その後の政府の対応、事態の変化を予測している。
〈事件をきっかけに、自衛隊の海外展開、集団的自衛権の行使を実施しやすい法整備を進めていくのではないか。それは首相声明の「テロリストに罪を償わせるために国際社会と連帯していく」という部分に表れている。そうなると、海外の日本人、日本企業の脅威が増していく。軽々にイスラム社会への武力行使につながる行動をすべきではない〉
長年、外交官をして世界を回って、国際状況の厳しさを体感してるだけに、的を射た発言だと思う。
しかし、「だらしがない」「腰抜けめ」と批判する人もいるだろう。
「イスラム国なんて犯罪者なんだから、他の国々と連帯し、やっつけるべきだ」「これは悪に対する正義の戦争だ。逃げてはならない」と言う人々がいる。多い。「そうだ、そうだ!」と支持する人々も多い。
「どうやって助け出すのか」「どう交渉するか」よりも、「断固として闘え!」「自衛隊を出せ!」と強硬なことを言う人に拍手する。
それで、気分がスッキリするのだろう。でも、個々人の気分がスッキリしても、何の解決にもならない。
我々は今、映画やテレビドラマを見てるのではない。現実に直面しているのだ。
しかし、現実は余りに衝撃的で、残酷だから、まるで、映画かドラマのように錯覚して、「やっつけろ!」「屈するな!」と掛け声をかけるのだろう。
「これは現実だ。ドラマではない!」と孫崎さんは言っても、かえって、「何だ弱腰め!」「愛国心がない!」と罵倒される。去年、ネットテレビに出た時も、「共産主義者め!」「売国奴!」と書き込みされていた。
(何もしないで、過激なことを言う)口先だけの「愛国者」が持てはやされている。愚かな国だ。
4月には、この孫崎さんと、ここ札幌時計台で討論をやる。今回の事件を含め、孫崎さんに詳しく聞いてみたいと思う。
2月3日(火)の時計台シンポジウムの時は、そんな話をした。そんな予告をした。
「あれっ、札幌はこの前も来たばかりだろう」と思う人もいるだろう。
そうなんだ。1月20日(火)に来て、逢坂さんと対談した。それから2週間後に又、札幌だ。
原則として、札幌時計台シンポは、2ヶ月に一遍、やっている。ところが、講師、会場の都合などで、今回のように、2ヶ月続くこともある。
又、冬の間は、飛行機が吹雪のために欠航になることがある。1月20日(火)の時も、前日に入った。今回も、2月2日(月)に入った。
そして、「北海道新聞」を買って読んだ。孫崎さんの言う通りだと思った。
2月2日(月)は、札幌は猛吹雪だった。「着陸出来ない」とのことで、羽田からの出発が随分と遅れた。でも、飛んだ。
札幌に着いて、主催する柏艪舎の人たちと会って、打ち合わせをした。
その時、「そうだ、5日から雪まつりで、もう随分と出来てますよ。見てきたらどうですか」と言われ、見た。
5日(木)から始まり、4日(水)は前夜祭だ。この日、2日(月)は、もう出来た雪像が多い。又、最後の仕上げをしている雪像もある。そこを見てきた。
巨大な雪像が並んでいる。「雪像づくり」というが、まるで、ビルの建築現場だ。自衛隊の人や、ボランティアの人たちが頑張っている。
それから、テレビ塔に上り、雪まつり会場を上から見た。さらに、大倉山シャンテに行った。
翌、2月3日(水)は、北海道立近代美術館に行く。
今回の時計台シンポのゲスト・岡田敦さん(写真家)の作品が展示されている。それを見に行ったのだ。
岡田さんとは、「表現の自由はどこまで許されるか?」というテーマで話すのだ。
こう言うと、今回の「イスラム国」やフランスのテロなどの話がメインと思われるかもしれない。
しかし、相当早い段階で決まったテーマで〈「表現の自由」か「猥褻」か〉ということを写真家として語ってもらおうというものだ。
というのは、岡田さんの作品は随分と話題になり、賛否両論の声があった。
だって、リストカット(自傷行為)をした人々50人に取材し、写真展を開き、本にする。(それが『I am』だ)。
さらには、出産シーンを撮った『Mother』。余りに衝撃的だったし、「これはもう、芸術ではない、猥褻だ!」と言う人もいた。
柏艪舎の山本代表は、「断固として出版する」と言ってくれたが、印刷所、製本所は断った。「猥褻物」として手入れ、逮捕されることを恐れたのだ。
山本代表は何度も会い、「確約書」を入れる。「これは芸術として立派なものであり、出版社として誇りに思っている。万一、問題が起きた時は、全ての責任を負う」…と。
本は出来たが、警察に押収され、お金も入らない。そんな事態になったら大変だ、という心配もあったのだろう。
そんな事も含めて、全ての責任を負うと確約書を入れた。
さらに、伊東秀子さんを初めとして弁護士にも意見を聞いた。
伊東さんは、元衆議院議員で、この時計台シンポでもゲストで来てくれたことがある。恵庭事件などの冤罪事件にも取り組んでいる。
「これは、猥褻ではない。芸術的な写真だ。日本の弁護士は皆、そう言うはずだ。問題が起こったら、私が弁護士として裁判を闘う」と言ってくれた。
それで、本は出たし、写真展も行われている。この問題を通じて、「猥褻」と「芸術」、そして「表現とは何か」「どこまで許されるか」について話し合った。
初めは、岡田さんがスライドを使って、写真を見せる。
確かにショッキングな写真だ。でも、それを直に見て、話を聞き、私も疑問に思ったことを聞き、教えてもらった。会場からも沢山の質問が出た。
又、伊東弁護士、山本代表からも詳しい報告があった。とても勉強になり、教えられるシンポジウムになった。
さらにこの前には、写真展、美術展をいくつも見たし、「雪まつり」も事前に見た。実り多い札幌行きだった。
坂本一亀さんは、坂本龍一さん(作曲家)の父親だ。三島由紀夫、高橋和巳、小田実を育てた。小檜山さんの育ての親でもあったんだ。
午後5時、柏艪舎に行く。岡田さんと打ち合わせ。
6時、札幌時計台ホール。テーマは「表現の自由はどこまで許されるか?」。
岡田さんは、自傷行為をする青年たちの姿を撮った「I am」で大評判になり、木村伊兵衛写真賞を受賞した。この賞は写真家にとっての「芥川賞」のようなものだ。今まで40人ほどしかいない。写真界のトップを極めたと言ってもいい。
しかし、その後の写真集「Mother」では、反対・批判が多く、写真展が断られ、写真集出版も出来ない。柏艪舎から出したが、印刷所、製本所から、「出来ない」と言われた。
そんな困難を経て、やっと出版された。その体験を通し、「表現の自由」「表現の限界」などについて、話し合った。
この日は、伊東秀子さん(弁護士)も来てくれて、「これは、猥褻ではない。もし裁判になったら、断固、弁護士として闘います」と言う。心強い限りだ。
終わって、居酒屋で打ち上げ。
㉕1月31日(土)から3月22日(日)。北海道立近代美術館で行われてます。〈北海道発:8人の写真と映像=もうひとつの眺(なが)め=〉。
この8人の中に岡田敦さんが入ってます。素晴らしい写真展でした。この写真は岡田さんのコーナーです。