韓国に行ってきました。ソウル大学で講演しました。
3月18日(水)、ソウル大学国際大学院2階GLルームで、午後4時から6時まで講演。そして活発な質疑応答が行われました。満員でした。
大学院生が中心で、他に学部生、教授、助教授、職員。それに、名古屋大学から交流で来ていた学生、教授もおりました。
地元の新聞、ネットニュースでも紹介され、新聞社の人たちも大勢来てました。
今までも多くの日本の学者、政治家を呼んでソウル大学では講演会をやってます。前回は桝添都知事が来てました。〈第180回 日本専門家招請セミナー特別講演〉です。
今回の私の演題はこれです。
〈私はなぜヘイトスピーチを嫌うのか。日本の右翼がみる日本のネット右翼〉
衝撃的なテーマです。日韓両国の間には大きな溝がある。誤解がある。一方的な決めつけがある。
そして、「売れればいい」という無責任なメディアによって〈憎悪〉〈対立〉が煽られている。
これは異常だ。「韓国は皆が反日だ」「子供の頃から反日教育をやっている」と日本では報道される。
意図的、煽動的にそんな情報ばかりが流される。
それを「真に受けて」日本の書店では「嫌韓本」が新刊書コーナーにうず高く積まれている。ヘイトスピーチのデモも行われている。
保守系の新聞・雑誌は、これでもか、これでもか…とばかりに韓国批判、韓国罵倒の特集だ。週刊誌、日刊紙もそうだ。
又、そんなものを読んで、「気分がスッキリした」と言う日本人もいる。
情けない。劣化する日本人だ。
でも、こんなものは一部だ。そのことを言いたいと思った。
ヘイトスピーチデモをやり、韓国を差別・罵倒している主体は「日本の右翼」だ、と思ってる人も多いだろう。
だが、それは違う。右翼の人たちは、そんな卑劣なデモに皆、反対している。そのことも、しっかり伝えようと思った。
それと同時に、韓国での「反日デモ」「反日教育」についても聞いてみたいと思った。
力不足ではあるが、自分としては必死に努力した。多くの人たちと話し合い、質問し、さらに、いろんなところを見て歩いた。怒濤の3日間だった。
3月19日(木)夜9時30分、羽田に着いた時、本当にホッとした。使命を果たした。これで、固い扉を少しでも開けることが出来た。
さあ、これから日韓の民間交流・話し合い(歴史認識を含めた話し合い)が出来ると思った。
行く前は、不安だった。果たして行けるのかどうか。うまく講演・話し合いが出来るのか、どうか。不安で一杯だった。
でも、逃げてはいけない。どんな、「ミッション・インポシブル」でも、全力で挑戦しようと思った。
やってみて、撥ね返されてもいい。失敗してもいい。全力でぶつかろう。「これは無理だ。出来そうにないよ」と思って、逃げたら終わりだ。
そう思って、行ってきた。
当日、大学では立派な「講師紹介・資料集」が全員に手渡されていた。日韓問題について、私が書いたり、話したりした新聞、雑誌のコピーも入っている。
「愛国」について語った「朝日新聞」(12年9月19日)。「過熱する『憎悪』。日本おとしめるデモ」について話した「毎日新聞」(13年6月21日)。それに最近、春香クリスティーンさんを相手に語った「右翼とは何か」も参考資料として入っている。
これは春香さんの『ナショナリズムについてとことん考えてみたら』(PHP新書)で、私が話した部分だ。こんな見出しがついている。
「『右翼』の定義から歴史的な変遷までを学ぶ」
「いまの日本は『右傾化』していない!?」
「『愛国者』が日本人らしくない態度をとる皮肉」
「ネット上では誰もが複数のパーソナリティをもてる」
…その他、沢山の資料が作られ、それが立派な「書類ケース」に入って、一人一人に渡される。豪華な資料集だ。本当にありがたい。
この資料の中に、「講演の概要」が出ている。こういう話をする予定ですよ、ということだ。
これは分かりやすいので紹介しよう。表は韓国語、裏は日本語で書かれていた。
〈過激なヘイトスピーチを繰り返す人たちや、ネット右翼などの情報が海外メディアで頻繁にとりあげられるが、それは一部の人間で、ほとんどの日本人は友好的。みなさんと仲良くしたいと願っています。日本と韓国は決して敵ではありません。40年間、日本の右翼運動を牽引してきた立場から語る、日本のメディアの現状や愛国心についてお話しします〉
今回、韓国に行くんだ、という話をしたら、友人たちに言われた。「大丈夫ですか。“日本人は許せない”と襲撃されるんじゃないですか」「卵をぶつけられますよ」…と。
そんなに酷くはないだろうが、まあ、覚悟の上だ。卵をぶつけられようと、殴りかかられようと、甘んじて受けようと思った。かなり悲壮な覚悟だ。
でも、そんなことは全くなかった。日本人と知っても皆、友好的だ。
タクシーの運転手や店の人たち、街で会う人たちも実に友好的だ。「うちの娘は京都大学に留学している」「息子は早稲田に行ってる」と自慢げに言う人もいた。
でも、テレビ、新聞では「反日」を煽っている。じゃ、本屋に行ってみようと、探して行った。
学生街にあるリブロは大きな書店だ。三島由紀夫や村上春樹、宮部みゆき、松本清張などの小説が沢山ある。
「反日本(はんにちぼん)はありませんか?」と聞いてみた。
日本なら、どこの書店でも「反中」「嫌韓」の本が新刊書コーナーに平積みになっている。だから、韓国でも、それに対抗して「反日本(はんにちぼん)」が平積みされていると思ったのだ。
ところが、ない。全くない。「なぜそんな本を出す必要があるんですか?」と逆に聞かれる。
そうだよな、日本では「必要」もないのに嫌韓本を沢山出している。
韓国がダメなこれだけの理由、韓国は10年以内に潰れる、韓国はもう終わった国だ、…といった本だ。『韓国人にはなぜ、心がないのか』という本もあった。余りに酷い本だと思った。
「こんなに酷い本が日本では沢山出てます。これに反対する本は出ないのですか」と再度聞いた。「そんなことをやって何が面白いのですか」と言う。
それに決定的なことを言われた。「今さら日本の侵略、帝国主義を批判した本を出しても誰も買いません。誰も読みません。だって韓国人なら皆、知ってることですから」。
あっ、そうなのか、と思いましたね。大人だ。その点、日本人は子供だ。
実は、私は韓国は2度目だ。前は30年前に来た。バリバリの右翼をやっていた頃だ。
日本の右翼は皆、韓国支持で、随分と来ていた。そうしたムードに私は反対だった。
右翼の人たちは言っていた。中国、ソ連の共産主義に対抗するために、日・韓・台湾・アメリカなどの自由主義諸国は連帯し、固く協力しなくてはダメだ、という。
そんなことで、韓国の議員や軍人も会ってくれたし、大歓迎された。
私は右翼の大先生、先輩たちと来ていた。予定には「安重根記念館」も入っている。
でも、この人は日本の伊藤博文を暗殺した人じゃないか。その人を讃え、記念する建物が「安重根記念館」だ。そこに行って我々は何をするのか。抗議するのか?
右翼の先生は私に言った。「鈴木君、それは狭い考え方だ。伊藤博文が殺された、ということは日本人として気持ちのいいものではない。心中、複雑だ。ただ、安重根はここでは英雄だ。愛国者だ。だから我々も、日本から来た愛国者として、ここの愛国者にも礼を尽くそう」と言う。
驚いた。そんなに簡単に恨みを水に流していいのか。と思った。正直言って、この時は分からなかった。「右翼の先生はそう言っても、日本人が殺されてるんじゃないか」と。
もう一つ、紹介しよう。当時、日韓関係がもの凄く友好的だったし、余りに近すぎて、これは癒着じゃないのか。と疑問を起こしたほどだ。
日韓はとてもうまくいってたし、仲がよすぎた。
しかし、その時でも、もう竹島の問題はあった。小さな島だ。でも大きな問題だ。
日本の親韓国的な人も、あえてこの問題は触れない。その時、大日本愛国党の赤尾敏さんはこう言っていた。
〈ソ連、中共に対抗するために、日米韓台の連帯が大切だ。共産主義の侵略から自由主義国家を守るための戦いだ。特に日韓の連帯は大切だ。だが、竹島の問題がある。一体どちらが大切だ。日韓友好か竹島か。勿論、日韓友好の方が大切だ。その前には竹島の問題など大したことではない。もし、どうしても日韓友好に竹島問題が邪魔ならば、竹島なんかダイナマイトで爆破してしまえ〉
凄いことを言うと思った。今だったら、こんなことを言ったら殺される。当時だって危ない発言だ。赤尾さんだから言えた。
それに今、「日韓友好か、島か?」と問われたら、皆、「島が大切だ」と言うだろう。「領土はたとえ1mmたりとも譲れない」と言う。又、「島(領土)を守るためなら戦争も辞さない」と言う。
竹島の問題にしろ、安重根の問題にしろ、昔は私も分からなかった。右翼の先生方の発言に反撥していた。「日韓癒着ではないか」「反共が全てなのか」「ナショナリズムがない」と、反撥した。
しかし今、空疎なナショナリズム、言葉だけの「愛国者」が急増している。その時に、考え込んだ。昔の右翼の人たちの奥深さを。
そうした先生方の言葉を反芻しながら、安重根記念館に行った。
「あれっ?ここだっけ。記憶にないな」と思った。
後で聞いたが、10年ほど前に、建て替えられていた。大きく立派になっていた。
前の建物の写真もあった。あっ、ここだったのか。あの時は、人が沢山いた。
しかし、今回は少ない。もう歴史の彼方なのかもしれない。
しかし、中は立派だった。安重根のことは、知ってるつもりだったが、余り知らなかったのだ。とても勉強になった。
日本語の本も売ってたので何冊か買ってきた。今、読んでいる。
30年前、(前の)安重根記念館を訪れ、右翼の先生に教えられたことにショックを受けて、考えた。
その後、韓国で作られた映画「安重根」を見た。さらに、北朝鮮で作られた映画「安重根」も日本で上映された。見た。
物静かな学究的な人で、書も立派だし、書いた文章も立派だ。「学究的な生活をしてたのに、やむにやまれず立ち上がったのだろう」と思った。
ソウル大学でも、その時の話をした。韓国製の映画「安重根」は皆、見ているのだろうが。北朝鮮製の映画「安重根」を見た人はいない。私だけだ。そんな話をした。
ただ、今回、30年ぶりに安重根記念館に行き、館の人に話を聞き、本を読んで、又、考えることがあった。
静かな学究的な人が、韓国の危機に臨んで決起したと思ったが、元々、結構激しい人のようだった。
又、キリスト教に入信していたのだ。そのことについても本人が詳しく書いている。
学究的な努力の人でありながら、でも、国を救うためには、思いつめ、激しい行動に出る。吉田松陰に似てるとこもある、と思った。
ソウル大学では、そんな話から入った。又、戦争記念館にも行ったし、そこでの話もした。
日本では韓国がどう思われているのか。ヘイトスピーチの実態はどうなのか。…についても詳しく話をした。
一般の人たちは、日韓両国民とも、仲良くしたいと思っている。そのことを強調した。
一部の偏見や、「売らんかな」の出版社。そして、安全圏にいて、憎悪を煽る人々。本当に少数の人々だ。
ただ、憎しみの声は大きく見えるし、憎しみの方がニュースになりやすい。
今回のように、名古屋大学からも交流で来てるし、友好の集まりは多数あるが、それはニュースにならない。喧嘩、憎悪だけがニュースになる。
でも、こうした地道な友好の集い、そして冷静に日韓関係を話し合う場を作っていきたい。
激論したっていい。喧嘩したっていい。少なくとも戦争に訴えるよりはいい。価値観、立場は違っても、〈話し合いの場〉は作れるはずだ。そう感じた。
ソウル大学では、いろんな質問が出た。私も考え込んだ場面もあった。
又、朴教授の研究室で話したこと。街で感じたこと。戦争記念館、景福宮で感じたこと。…など沢山ある。1回では書き切れないので、次回にも書こう。
ソウル大学での講演は日本では、ヤフーニュースなどでも随分と出ていた。韓国でもネットや新聞でも取り上げられていた。
今回、私をソウル大学に呼んでくれたのは、ソウル大学教授朴喆煕(パク・チョルヒ)先生です。
実は去年、東京でお会いしました。山口二郎さん(当時、北大教授。今は法政大教授)から電話があって、「ぜひ会ってみて下さい」と言われて、東京のホテルで会いました。
若いし、とても熱心に日本のことを勉強している先生でした。日韓の歴史認識や、慰安婦問題、創氏改名の問題などもズバズバと聞きました。
こっちの方が一方的に質問した感じでした。一つ一つ、丁寧に答えてくれました。とても勉強になりました。
朴先生は日本でも本を出してます。『代議士のつくられ方=小選挙区の選挙戦略=』(文春新書)という本です。
平沢勝栄さんにスポットを当てて、どうやって代議士が生まれるかをレポートしてます。驚きました。深いです。又、見る視点が違います。
平沢さんとはよく会ってるし、よく知ってるつもりでしたが、私の方が浅いと思いました。
この先生は深い。日本を見る目が深いし、広い。「もし機会があったら、ソウルで講演して下さい」と先生は言う。
1年かけて、先生は、そのことを根回しし、準備してくれたのだ。
本当にありがとうございました。私ごときを呼んでいただき、感謝感激です。又、先生のスタッフの皆様、先生方、さらに、名古屋大学の皆さん、ありがとうございました。では続きは来週。
5時から、街へ出る。学生街で、賑やかだ。椎野さんの昔の友達と会う。編集の仕事をしてるという。お酒を飲み、食事を食べる。「プデチゲ」を食べる。プデとは軍隊、部隊の意味。そこで作った料理だ。野外食だが、とてもおいしかったです。
それから街を見ました。
早めに帰って、寝ました。
10時半。バスと地下鉄を乗り継いで、安重根記念館へ。
それから、ソウルタワーに行って登る。見晴らしがいい。日本人の旅行客もいる。礼仁さんはすぐ友達になる。
「ピョンヤンに行かない?」と誘ってるのだろう。そんなことはないか。でも、最近6回も北朝鮮に行ってるから、誰と話してても、「ピョンヤンが」「ピョンヤンが」と言う。ソウルなのに間違えているんだ。困る。
それから、「戦争記念館」に行く。そして、3時頃ホテルに戻る。
3時半、朴先生が車で迎えに来てくれた。
そして会場へ。ソウル大学の構内なのだが、もの凄く広い。バスか車で行くしかない。
4時に着き、先生の研究室で打ち合わせ。
4時20分から会館ホールで講演。1時間講演し、残り1時間、質疑応答。
「さすがソウル大学の学生はレベルが高いですね。鈴木さんもタジタジでしたね」と椎野さん。思ってもみない質問が出たりして、考え込みました。又、学生や先生たちから逆に、私が教えられたことも多いです。
終わって、先生のスタッフと打ち上げ。ホッとしました。ありがとうございました。
それから食事をして、刑務所の博物館に行く。「独立と民主の現場!」と銘打っている。「西大門刑務所歴史館」だ。実にリアルで、怖いくらいだ。
そして、景福宮を見る。皇帝のいたところだ。王宮だ。広い。長い。閔妃(みんぴ)が、襲撃した日本人に殺された所も見た。
それから急いで、金浦空港に。19時35分発。
ホッとして、ちょっと眠ったら、もう羽田だった21時40分羽田着。よかった、よかった。
家に帰って、すぐ寝ました。
韓国の話をしました。今年、筑波大学を定年退職した筑波大教授の藤堂良明さんが来てたので、いろいろな話を聞きました。藤堂藩の殿様の子孫だそうです。いいですね。ファミリー・ヒストリーのある人は。
午後4時発のこだまに乗って静岡へ。元連合赤軍の植垣康博さんがやってるスナック「バロン」へ行く。
足立正生さんが講師で、「イスラム国」について話す。勉強になりました。岩井さんたちも一緒。蜷川正大さん、山平重樹さんも来てました。私もソウル大の話をしました。
最終の新幹線で帰りました。
⑨終わって、焼き肉屋さんで、打ち上げです。ホッとしました。ビールがうまかった。料理もおいしかったです。
「鈴木さんは東京のどこ?」と聞かれ、「墨田区だ、スミダ」と答えました。「違いますよ。中野区です」と礼仁さん。そこへ炭火が来ました。炭火で焼くんです。「おう!炭だ。スミダ!」と言ったら、受けました。ホッ。
⑰ソウルタワーです。山の頂上に建っているんです。よく建てたもんです。日本では無理でしょう。韓国は地震がないから、出来るんです。安重根記念館を出たら、見えたので、歩いて行きました。展望台からの見晴らしが素晴らしかったです。
㉒(ここからは日本のことです。ソウルに行く前です)
3月14日(土)、「マガ9学校」に行きました。神田のYWCAカフマンホール。雨宮処凛さん(左)と浜矩子さん(同志社大学大学院教授)の対談です。〈「奪い合い」から「シェア」する社会へ=貧困・経済問題を考える〉。
㉖ニコライ堂で。お茶の水は、橋をはさんで、湯島聖堂とニコライ堂があります。だから2つの聖堂を結ぶ橋という意味で、「聖(ひじり)橋」と言うんです。
中国の儒教とロシア正教の教会。この2つがいいですね。神道でも、仏教でもない。日本人の心の広さ、謙虚さを感じます。
㉗カレー事件の集会。3月14日(土)は、デモクラTVに出て、湯島聖堂、ニコライ堂を見て、それから、「マガ9学校」に行って、6時から、「カレー事件」の集会です。文京区民センターです。「和歌山カレー事件、噂の真相。東京報告集会」。
(左から)佐藤優さん。河合潤さん。神田香織さん。私。安田好弘弁護士。5人で、事件のことを語り合いました。
㉛佐藤優さんと。もの凄く本を読み、もの凄く原稿を書いてます。「もう本を読む必要はないでしょう。知らないことはないでしょう」と聞いたら、「そんなことはないです。知らないことばかりです」と佐藤さん。とても謙虚です。