超満員だった。「凄いねー」「よく、集まったな」と皆が話している。「今、一番勢いのある雑誌じゃないのかな」と話している人もいる。
〈月刊「紙の爆弾」創刊10周年の集い〉が行われた。4月7日(火)午後6時30分から。場所は、神田の「スペース・たんぽぽ」だった。
10年。大変だった。よく頑張った。それを知っているから、こうして多くの人たちが来たのだ。
決して順風満帆ではなかった。だって創刊してすぐ、警察の大弾圧に遭い、発行者が逮捕されたのだ。
普通なら、それで本は潰れる。しかし、頑張った。よく立ち直ったものだと思う。
この不当弾圧があったので、かえって、「負けられない!」と思ったという。この辺のことは、集会の案内状に書いてあるので、紹介する。
〈平素は「紙の爆弾」にご支援・ご協力賜り、ありがとうございます。本誌は2015年4月7日発売の5月号にて、ついに創刊10周年を迎えることとなりました。雑誌制作経験のない、まさにゼロからの創刊、そして直後に「名誉毀損」に名を借りた言論弾圧事件、代表の松岡は逮捕され長期勾留、会社は壊滅的打撃を蒙りましたが、皆様方のご支援によりなんとか再起できました。売り上げの点でも決して順調とはいえない10年間でしたが、少しずつ内容が充実し、いまの「紙の爆弾」の形ができたのは、みなさまのご助力のおかげです。とはいえ、まだまだ進化中の本誌です。雑誌不況という言葉すら古くなった現在、「こういう雑誌が必要だ」というポジティブなアドバイスが、これからも「紙の爆弾」を加速させていきます。なにとぞよろしくお願いします〉
そして集会の案内・プログラムが書かれています。
〈「紙の爆弾」創刊10周年記念の集会〉は午後6時30分、始まりました。司会は椎野礼仁さん。
初めに、「紙の爆弾」編集長・中川志大さんより開会挨拶。10年間の不撓不屈の闘いが報告されます。
そして、記念講演。ミサオ・レッドウルフさん(首都圏反原発連合)。「3.11から4年。反原発運動とメディアの役割、『紙の爆弾』への叱咤激励」
そして、鹿砦社代表・松岡利康氏のお礼のご挨拶。10年の苦しい、しかし、やりがいのある闘いについて報告しました。
「これで終わりか」と思ったことが何度もあったでしょう。しかし、負けるもんかと頑張ってきました。まさに奇跡的な復活です。
「紙の爆弾」が創刊して、すぐに、「名誉毀損」に名を借りた不当弾圧がありました。それでも、不死鳥の如く、立ち上がりました。今では、完全に「不当弾圧」だったことが証明されています。
この日、配られた、新しい「紙の爆弾」(15年5月号)には、松岡氏が、この集会についての決意を書いてます。
〈「紙の爆弾」創刊10周年をともに祝い、次の10年に向かって走り続けよう!〉
その中で、あの不当弾圧した人たちの「その後」について触れてます。
〈ところで、他人の不幸を喜ぶわけではありませんが、私たちに対する弾圧に加担した人たちに、まさに「因果応報」というような出来事が起きてきたことも、折に触れお知らせしてきたところです。弾圧を指揮した、当時の神戸地検特別刑事部長・大坪弘道検事は、のちに大阪地検特捜部長に栄転後しばらくして、厚労省郵便不正事件にて証拠隠滅に加担したとされ逮捕、懲戒免職となっていますし、私に直接手錠を掛けた主任検事の宮本健志検事は、こちらも栄転先の徳島地検次席検事の際、深夜泥酔し、一般人の車を毀損したとして平検事に降格—戒告処分を受けています〉
もともとが悪徳検事だったのですね。
そして「名誉毀損」逮捕事件の引き金を引いたパチスロ大手の旧アルゼ(現ユニバーサルエンターテインメント)は、フィリピンカジノ計画について国税局の調査が入り、香港の反汚職当局が調べを始め、米FBIの捜査も継続しているという。
10年前の弾圧の構図が分かってきたのです。松岡氏は言います。
〈本当に悪いのは誰か? 早晩答えは出るでしょうが、願わくば、7.12弾圧10周年までには出てほしいものです〉
4月7日は「紙の爆弾」創刊10周年ですが、10年前、4月に創刊し、その3ヶ月後に不当逮捕されたのです。
だから、今年の7月12日には、逮捕から10周年。逮捕地の西宮で記念の集まりを持つそうです。私も行くつもりです。
この日発売になった「紙の爆弾」の最新号(5月号)は、特集が〈安倍政権に反対すべき「七つの理由」〉。充実してるし、力が入っている。
又、〈「古舘伊知郎降板」「宮根誠司起用」の全真相=テレ朝「報道ステーション=」も読ませる。
さらに、〈警視庁が必死に隠蔽「取調室で容疑者死亡」の裏側に隠された“真実”〉など驚愕の記事が満載だ。
私の連載「ニッポン越境問答」も、「創刊10周年」を記念して超ビッグなゲストが登場している。昭和最大のベストセラー、『愛と死をみつめて』の河野實さんだ。
マコ(河野實)とミコの病院での出会い、闘病。そして、ミコの死…。この2人の往復書簡は、『愛と死をみつめて』として本になり、大ベストセラーになる。
さらに、ラジオドラマ化、テレビドラマ化、映画化、レコード化と。その全てが、記録破りの大ヒットになった。一大社会現象になった。
その後、マコはどうしていたのか。
中大を中退して東京写真専門学校を経て、雑誌『経済界』などの記者として活躍。現在は野菜作りとカメラ漬けの日々だという。
あの〈歴史〉になった本の出版と、あの大ブームについて詳しく聞いた。意外な話も多く、驚いたし、感動した。「10周年記念」になったと思う。
それに、驚いたことに、10年前の「創刊号」があった。
一部だけ見本として置いてあったと思ったら、違う。
何と、全員に配る。ということは、「創刊号」を、わざわざ、増刷して、配ったのだ。凄いことをする。2005年5月号だ。
凄い企画が並ぶ。
〈三井住友銀行は“マフィア・バンク”〉
〈これで「言論の自由」を守れるのか!メディアのウミを絞り出す〉
〈“ポスト小泉”でいいのか!地元では不人気の安倍晋三の素顔〉
…と。
最も驚いたのは巻頭の宣言だ。
〈創刊にあたって--〈ペンのテロリスト〉宣言〉
だ。これにはギョッ!とする。「紙の爆弾」という雑誌名だけでも衝撃的なのに、さらに、「テロリスト」だ。
〈いまやジャーナリズムは死滅したといわれます。世の中の巨悪やタブーに対してずいぶんと臆病になり、本来ならば「強きを挫き、弱きを助ける」という使命を持ったジャーナリズムは、あろうことか「強きを助け、弱きを挫く」というケースに出くわすのも少なくありません〉
こういう絶望的な状況にあって、あえて創刊した。
この1年前には、岡留安則氏率いる『噂の真相』があった。しかし、休刊になり、その時代も終わった。
その〈スキャンダリズム〉の精神は、自分たちなりに受け継ごうという決意を持って、「紙の爆弾」は創刊する。
〈私たち鹿砦社は、俗に「暴露本出版社」などと口汚く揶揄されてきました。今、私たちは満を持して、その「暴露」のターゲットを、芸能から政・官・財・社会問題全般にわたる世の中の全てのタブー、権威・権力・金力・巨悪に向けんとしています〉
激しい闘争宣言だ。
〈いまや死に瀕したジャーナリズムの彼方から、私たちは、みずからをあえて、〈ペンのテロリスト〉として、愚直にタブーや巨悪に挑みます。私たちの出版活動に対して、ある社会的犯罪企業から「ペンの暴力」などと非難されたことがありますが、タブーや巨悪に対して、私たちは力一杯「ペンの暴力」を行使します。金力や権力を持つ者らの社会的犯罪(これこそ“暴力”そのものだ!)に対して、私たちの武器は「ペンの暴力」しかありませんから〉
凄い決意です。命懸けの覚悟です。「ペンの暴力」だ、「ペンのテロリスト」だと宣言している。こんなにも激しい宣言だったんだ。
続いて、こう言っている。
〈逆説的に言えば、巨悪に対しては、時に“極悪”でもって立ち向かわなければなりませんし、“過激派”であり、“武闘派”であらねばなりません。私たちは、私たちの想いに協力してくれる方々とは“極悪同盟”を結成するにやぶさかではありませんし、また“最過激派”“最武闘派”であることを厭いません。ペンという武器を取り、返り血を恐れず闘わん!〉
武闘宣言であり、革命宣言だ。
それに、偉いのは、「宣言」にとどまらず、それを実際に実行してきたことだ。
この直後、権力の大弾圧を喰らい、不当逮捕・長期勾留される。
出てきてからも、泣き言を一切言わず、闘い続ける。他の人なら、とても出来ないことだ。頭が下がる。
この「紙の爆弾」は一頁一頁が、「爆弾」だ。そして「ペンのテロリスト」としての覚悟があふれている。
ページをめくっていて、アッと思った。創出版の広告がある。何と、松崎明さんと私の対談本『鬼の闘論=いでよ変革者』(創出版)だ。
そうか、10年前にこの本が出たのか。
松崎さんは、JR東労組元委員長。〈左右両極の論客だった2人が現状を憂え、変革を説いた!〉と書かれている。
松崎さんは、元は革マル派のNo.2だった。その後、辞めて、労働運動に専念する。
亡くなられたが、とてもスケールの大きな人だった。覚悟の人だった。もっともっと話を聞いておきたかった。残念だ。
話を戻そう。4月7日(火)の「紙の爆弾」創刊10周年記念の集いだ。
レッドウルフさんの記念講演、松岡社長の挨拶が終わり、休憩。第2部の懇親会に移る。
何と、初めの「乾杯の音頭」は私だった。
鹿砦社とは長い付き合いだ。「紙の爆弾」が始まる20年も前からだろう。
本も随分と出してもらった。『がんばれ!新左翼』『宗教なんて恐くない』など多数ある。それに一水会の機関紙「レコンキスタ」の縮刷版も出してもらった。
実に歴史的に貴重な資料だ。
鹿砦社とは付き合いが一番長いので、私が乾杯の音頭をさせられたようだ。
そのあと、参加者の祝辞が続く。マッド・アマノさん。ペペさん。浅野健一さん。他、多くの人が祝辞を述べる。
そして、9時頃終わる。そのあとさらに三次会に流れました。
【だいありー】の方にも書きましたが、翌4月8日(水)は一水会フォーラム。
木村三浩代表がロシア、クリミアの報告をしました。
鳩山元首相も同行したので、「一体、何があったのだ」とマスコミも、多数、来てました。
その次の日、4月9日(木)と10日(金)は、2日続けて、代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」に行きました。
この店も随分ときれいになり、内容も充実している。
9日(木)は、音楽家のジム・オルークさんのライブ。
若松監督の映画「実録・連合赤軍」の音楽を担当した人です。日本のファンも多く、満員でした。オルークさんとも、終わって話をしました。
又、10日(金)は、詩人の谷川俊太郎さんが来るとのことで、聞きに行きました。
やはり超満員。畳をしいて、200人も入った。谷川さんの詩の朗読も素晴らしかったし、息子さんのピアノも素晴らしかった。
翌、11日(土)は立教大学で大シンポジウムがありました。
「紙の爆弾」「一水会」「ジム・オルーク」「谷川俊太郎」「立教大学」…と、ビッグな集会、ライブが続いた1週間だった。
集会の中で、日本の現状について話をした。改憲をし、自衛隊を軍隊にし、外国に出そうとしている政府。
ある人が言ってたが、今、自衛隊に対し、「戦争準備」をさせてるという。
「まさか!」とは思うが、少しでも〈形〉を作りたい人はいる。
そして、自衛隊が血を流さず、人も殺さず、死なず…だったことに、コンプレックスを感じる人がいる。
「外国並みに」戦争に参加し、人が死んだり、殺したり。そのことによって「普通の軍隊」になれるし、「普通の国家」になれると思ってる人がいる。とんでもない話だ。
そして、どこに行っても、今回の天皇皇后両陛下のパラオご訪問の話になる。
右であれ左であれ、皆、感動し、感謝している。
日本に天皇陛下・皇后陛下がいて下さってよかった、と皆思っている。
「慰霊の旅」をされ、敵味方なく、犠牲者の碑に祈りを捧げられる。
「太平洋に浮かぶ美しい島々で、このような悲しい歴史があったことを、私どもは決して忘れてはならないと思います」と、天皇陛下は出発にあたり、言われた。
このお言葉は我々も真摯に受け止める必要がある。
天皇陛下は今年の年頭の感想で、こう言われた。
〈この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくこと〉の大切さを言われていた。
そして、二度と不幸な戦争を起こしてはならない。過去の失敗も、悪い点も見つめ、その上で、〈歴史〉をはっきりと見るべきだろう。
「悪いことはない」「失敗もない」といって目を背けることではダメだ。それは、日本の歴史を見る「勇気」がないのだ。
過去を振り返り、反省し、そして二度と戦争が起こらないようにする。それこそが最大の、そして緊急の事だろう。
⑪浅野健一さん。ミサオ・レッドウルフさんと。2人とも頑張ってます。闘ってます。
浅野さんの名刺には、「肩書き」として、こう書かれていました。〈同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻教授(地位係争中)〉。係争中か。凄いですね。
㉗4月9日(木)、ポレポレ東中野で、この映画を見ました。水本監督が来てたので挨拶しました。
4月26日(日)の夜の回(午後8時〜10時)が終わった後に、水本監督、それに関野吉晴さん、そして私のトークをやります。
㉘4月9日(木)午後6時半から、代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて 」で。『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の音楽を担当したジム・オルークさんのライブがあると聞いたので、行きました。ギターを演奏するオルークさんです。
㉚終わって、ジム・オルークさんに挨拶しました。「若松孝二監督と鈴木さんのトークを聞きましたよ」と言ってました。新宿ピカデリーですね。
若松監督の映画が大好きで、「ぜひ、音楽をやらせて下さい」と言ったら、「じゃ、まず日本語を勉強しろ」と言われ、必死で勉強したそうです。
そして、夢が叶い、「連合赤軍」と「海燕ホテルブルー」などの音楽を担当しました。「亡くなったのは本当に残念です」と言ってました。
㉛オルークさん、石橋英子さんと。左は熱狂的な若松ファンで、「連合赤軍」も「三島」も20回ずつ見たそうです。本名は分かりませんが、蛇の指輪をいつもしてるので、皆に「蛇田さん」と言われてます。「でも蛇年じゃないんです。羊年です。年女です」と。じゃ私と同じだ。同じ羊か。若く見える。
㉝歌手のあがた森魚さん。映画監督の金子遊さん。編集者の椎野礼仁さんと。あがたさんは「赤色エレジー」がヒットしました。又、最近、大正アナキストの革命運動を描いた映画「シュトルム・ウント・ドランクッ」に出てました。「そうです。甘粕役で出たのです」と。
㉞4月20日(月)大阪・ジュンク堂書店難波店で、内田樹さんとトークです。『慨世の遠吠え』(鹿砦社)の出版記念トークです。お申し込みは、大阪・ジュンク堂書店難波店へ。Tel:06(4396)4741です。