学者の集まりである「学会」で講演するなんて生まれて初めてだ。
今まで右翼・左翼・アナーキスト・市民運動・大学・高校・専門学校…と、いろんな所で話し、討論したが、「学会」は初めてだ。
それも、「日本生物地理学会」だ。その会長の森中定治さんと話し合うのだ。
この学会については(私が無知な為に)知らなかった。どんな学会なんだろう。
それに、学問的な研究集会に何故、こんな人(私だ)を呼び、こんなシンポジウムをやるのか。分からない。
当日、森中さんが説明してたが、日本生物地理学会が生まれたのは1928年(昭和3年)だ。87年前だ。
そして、70年前から学会年次大会が開かれている。その学会の中で、一般社会向けのシンポジウムをやってきた。
立教大学のタッカーホールという1000名入る場所でやっている。もう10年になる。
日本生物地理学会年次大会は、4月11日(土)と12日(日)の2日間にわたって行われた。
12日(日)の方が、メインの「学会年次大会」だ。朝の9時半から17時まで、びっちりと学問的研究発表や講演・シンポジウムが行われる。
その前日(11日)のシンポジウムは、一般社会の人に分かってもらおうと、他業界、他分野の人を呼んで行う公開シンポジウムだ。
だから、メインの12日(日)は、専門的な研究発表ばかりだ。
プログラムをもらったので、見たら、こんなテーマで研究報告、シンポジウムが行われている。
○「インドネシア産ネズミ類(齧歯目:ネズミ群)に寄生する蟯虫類syphacia属の動物地理学的な特徴」
○「海域のベンスト群集にみる多様性とその構造」
○シンポジウム「昆虫を操作する寄生者たち=分子メカニズムから生態系に与える影響まで=」
○「ショウジョウバエのオス殺しの謎に迫る」
○「バキュロウイルスによる巧みな寄生制御戦略」
…と、こういう研究発表が一日中行われるのだ。難しそうだ。
でも、中には面白そうなものもある。「ショウジョウバエのオス殺しの謎」なんて推理小説のようだ。「天敵がいなくなり、生態系が崩れて、ネトウヨが大量発生した」と言ってた人もいたし。
又、真面目に働き暮らしいている人に「寄生」してるのが左右の運動家ではないか。と言う人もいる。
この日本生物地理学会を知ったのは今回が初めてだが、ここの会長の森中定治さんと会ったのも初めてだ。
いや、1ヶ月前に、初めて会って、「この会に出て下さい」と言われた。「いや、その前に、私は鈴木さんの講演を聞きに行ってるんです」と言われた。だから、この回で3回目だ。
当日もらった「講演要旨集」には森中さんのプロフィールが出ていた。
〈1949年三重県四日市市生。生物学者(農学博士)。日本生物地理学会会長。綾瀬川を愛する会副代表。趣味:声楽(テノール)。定年後始め2013年、2014年声楽コンクールにて2度入賞。民間企業に勤めるも、ライフワークの生物学を生かし、チョウを材料とした分子生物学研究にて、2003年、名古屋大学で博士号取得〉
そして、ここからが、今回のシンポジウムのことが出てくる。
〈2003年より日本生物地理学会会長に就任。学会と一般社会をつなぐ試みとしてミニシンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか?」を継続して企画実施。人間とは何か、人間社会のあり方について様々な学識者と対話し、生物学と哲学が深く結びつき、人間の行動(生き様)の原点をなすことを学んできた。共著に『埼玉蝶の世界』埼玉新聞社(1984)、『チョウの生物学』東京大学出版会(2005)、『現代を生きる安藤昌益』お茶の水書房(2013)、『熱帯アジアのチョウ』北隆館(2015)、『ふしぎのお話・365』誠文堂新光社(2005)他、単著に『プルトニウム消滅!脱原発の新思考』展望社(2012)。〉
最後の本は私ももらって読んだ。それに安藤昌益の本も読んだ。
そうか。森中さんの本だったのか。と今、気がついた。
しかし、「埼玉蝶」って何だろう。蝶は日本中、いや世界中にいるのに、「埼玉」だけに特別の蝶がいるのか。
そういえば、『埼玉化する日本』という本があった。特色のない、どこにでもある都市(埼玉)のようになってるんだそうな。日本全体が。
埼玉蝶もそうなのか。独自性がなく、東京になりたいがなれず、その反撥と不満で酒ばかり飲んでいる。
いけない。これでは、「埼玉・夜の蝶の世界」になっちゃう。
話を戻す。日本生物地理学会は87年前に生まれたが、その経過について、森中さんが、このパンフの初めに説明していた。
〈昭和3年(1928年)、日本生物地理学会は、山階芳麿博士、黒田長禮博士ら当時の著名な鳥類学者の協力において、鳥類学者の蜂須賀正氏博士と東京大学教授で生物地理学の第一人者であった渡瀬庄三郎教授によって設立されました。蜂須賀正氏博士は、平成15年(2003年)に行われた生誕百年記念シンポジウムにおいて“型破りの人”との評がなされました。その言葉のとおり、自己の信念と哲学に基づいて時代を駆け抜けた人でありました。渡瀬庄三郎教授は、区系生物地理学における旧北区と東洋区の境界を示す“渡瀬線”によって著名であり、特定外来生物として最近問題になるジャワマングースを移入しましたが、当時困っていた野鼠やハブの被害を防ぐために生物学の知識を社会に役立てようと積極的に行動した強いパワーの持ち主でありました。日本生物地理学会創設者のこのような人となりを考え、学問を専門家の枠に留まることなく、人類社会に活かすことができればと思います。この一つの意思表示として、生物学に関する研究発表やシンポジウムの他に、この一般公開市民シンポジウムを継続して開催してきました〉
そうだったのか。特定外来生物をただ排除するだけでなく、その異分子を使って、国内の巨悪を撃とうということでしょう。
少なくとも、単なる生物学的“攘夷”ではありません。
異分子でもあり危険分子でもある「右翼」を呼んでみようと思ったのも、生物学者としての興味、関心かもしれません。
森中氏は言います。
〈私自身は、自分をずっと左派と考えてきました。どうすれば人間社会がよくなるか、経済的弱者の立場に立って貧富の格差が少しでも埋まり、皆が平和に、テロや戦争のない人類社会を創りたいと念じてきました。こういう望みを持つことを左派的と考え、右派の知り合いも一人もおらず、また右派系のシンポジウムや集会に出ることもありませんでした。原発については、明確に反原発で…〉
ところが、ある時、この異端な種(右翼)に会うんですね。マングースに会うんです。
〈数年前に、右翼の団体として最も著名な一つである一水会顧問の鈴木邦男氏が原発に反対であると聞き、その講演会が行われるとあって非常に驚きました。というのは、右翼は皆原発推進だと思い込んでいたからです。その講演が終わって、中国を“シナ”と呼称する人がいるが、貴方はどう思うかという質問が会場から出ました。鈴木氏の返答に、私は驚嘆しました。私が考えていたのとは全く違った異次元の返答をされたからです。このとき以来、右派をそれなりに冷静に見るようになりました〉
その後、電話が来て、高田馬場で会ったんだと思います。
〈一水会顧問である鈴木邦男氏のことを左派の人達のなかで話したところ、「我々が考えるステレオタイプの右翼には見えない」と言われました。つまり右派のなかでも、他人に同調していない、いわば“右派の異端者”といってよいのではないかと思います〉
そして、「異端」として、目をつけてくれた。〈右派の異端者〉と〈左派の異端者〉の討論をやろうと言われたのだ。
〈私は、鈴木邦男さんと話して、今回の市民シンポジウムの内容を、貧富の格差・経済学、国防・憲法、原発・エネルギー、核兵器の分野で広く話しをすることで合意しました。日本人がこれからどう生きていくか、その生き様を二人の異端者が話します。今回は、講演者の他に論評者や沢山の著名なゲストをお迎えしています。おいで下さった皆様には、リラックスして存分にお話をお聴きいただき、今回の市民シンポジウムのもつ意味を、噛みしめて考えてみていただければと思います〉
そうですね。「異端者」だからこそ、自由に話し合えるのでしょう。
左右の大きな団体の人、「正統派」の人では、こうはいきません。自分たちの団体の「考え」だけを言う。自分の頭で考えることはできない。
それに、5人の論評者、5人のゲストがいる。こちらの方が著名な人々だ。
我々2人よりも、この人たちが壇上でシンポジウムをした方がよかったのではないか。そう思える人々だ。
では、当日の進行だ。日本生物地理学会(The Biogeographical Society of Japan)の第70回年次大会だ。
4月11日(土)は、市民シンポジウム「次世代にどのような社会を贈るのか」。
今年のテーマは、〈対論:右派の異端者、左派の異端者〉だ。「貧富格差、経済、国防、憲法、原発、エネルギーを踏まえ日本人、人類の生き様を語る」。
会場は池袋の立教大学のタッカーホールだ。1000名入る大ホールだ。学会ということで、毎年借りている。10年間ここでやっている。
でも、今年は、「大丈夫ですか?」と大学側から聞かれたようだ。
どうも生物地理学会のシンポジウムにふさわしくない。荒れるんじゃないか。右翼が殴り込みに来るんじゃないか…と心配したようだ。幸いにも、それはなかった。
シンポジウムは12時半から始まるので、12時までに来てくれと森中さんに言われていた。
「私が案内します」と週刊金曜日の赤岩さん(立教出身)が言ってくれたので、午前11時に池袋駅で待ち合わせ。椎野さんたちと一緒に行く。
途中、食堂で名物・オムライスを食べる。食べながら椎野さんが娘に電話している。「今、立教大学に来てるんだよ」と。
娘さんは立教を出たそうだ。「アンジェリカのお母さんですか?」「それは別の娘」。沢山いるらしい。娘や孫が。
12時に、タッカーホールに着く。森中さんに会う。
「これから打ち合わせですか」と聞いたら、「ないです」。森中さんは忙しいし、話していられない。
12時半、開始。森中さんが「趣旨説明」。
それから司会の三中信宏さん(日本生物地理学会副会長)による「進行説明・講演者・論評者・ゲストの紹介」。
1時から1時40分。まず「右派の異端者」鈴木邦男の講演。それから、40分。「左派の異端者」森中定治さんの講演。その後、2人で討論する。
…のだと思っていたが違う。変わったようだ。大物の論評者、ゲストが沢山いるし、ぜひ、話してほしいと思ったからだろう。
2人の異端者の話を聞いて、まず、田原総一朗さんが話す(2:20〜2:40)。
そして、一般参加者からの質問に、2人の異端者が答える。
事前に配られた「質問用紙」が回収されて、その中から、いくつかの質問に答えるのだ。
「昔、過激な右翼をやってた時は、誰を殺したいと思ってましたか」「なぜ、他の右翼は原発賛成なんですか」「右翼はどこから金を集めているんですか」…と。
そのいくつかに答えました。
3時50分から5時5分。「二人の異端者の話を聞いてのコメント」(論評者、各15分)。
伊東 乾(作曲・指揮者)
岩田 温(拓殖大学日本文化研究所)
野尻英一(自治医科大学准教授・哲学)
満田夏花(環境団体理事)
村岡 到(NPO邦人日本針路研究所理事長)
皆様から、貴重なお話を頂きました。
村岡さんは前から知っている。「ベーシック・インカム」について、まだ騒がれる前から聞いていたし、教えられていた。
続いて5時5分から6時25分。二人の異端者の話を聞いてのゲストのコメント。(各20分以内)
伊藤 誠(日本学士院会員・東京大学名誉教授)
宇都宮健児(弁護士・元日本弁護士連合会会長)
紺野大介(創業支援推進機構(ETT)理事長、中国精華大学・北京大学招聘教授)
竹田茂夫(法政大学教授)
そして、6時半。クロージングアドレス。上田恵介(立教大学教授)。
凄く、内容の濃いシンポジウムだった。
12時半から6時半まで、6時間だ。でも、その長さを感じなかった。こんな濃いシンポジウムを毎年やってるんだ。驚きだ。
去年は、テーマが「対論! 人類は原発をどうするのか?」だったと、森中さんが報告していた。
小出裕章さん(京都大学原子炉実験所)を呼んでやった。小出さん、森中さんの話しを聞いて、まず加藤登紀子さん(歌手)が話しをする。そして、論評者・ゲストの話がある。
自民党議員、元NHKプロデューサー、東大、長崎大の教授、原子力市民委員会委員、スウェーデン社会研究所所長などだ。これも凄い。
森中さんが小出さんに会って、「ぜひシンポジウムに出て下さい」とお願いした時、小出さんから「三つの条件」を出されたという。
これが面白い。去年の「講演要旨」に森中さんは書いている。
〈ところが小出先生は、1.敵地 2.現地 3.若者というご希望を出され、原発あるいは原子炉の維持・推進論者との対論を望まれました。私は、小出先生が真っ先に“敵地”と要望されたことに心魅かれました。というのは、これが民主主義の根幹に触れると考えるからです〉
これは凄い。なかなか言えない。凄い人だと思いました。
〈小出先生の心の中には、同じような考えの人のなかで演説するのではなく、異なる考え方をする人と対論したい。双方の考え方の違いをより深く理解し、より望ましい解決方法をともに見いだしたいという民主主義の原点があると、私には感じられました。自分が正しいと信じる言論(考え)だけをもって敵地に入っていくのです。これは大変勇気のいることです〉
なかなか、これだけの覚悟を持った人はいません。皆、自分を支持してくれる「ホーム」で話をしたいと思う。
右派なら右派だけでまとまって、「韓国はけしからん! 中国、韓国と戦争しろ!」「そうだ、そうだ!」で終わる。
左派ならば、「政府が悪い! 俺たちだけが正しい!」「そうだ、そうだ!」で終わる。
それで気分がよくなって、満足する。同じだ。
「そんなものでは何も生まれない!」と小出さんは言う。たった一人で「敵地」で話す。そんな覚悟がなくてはダメだと。
かつて、三島由紀夫はたった一人で東大全共闘の集会に乗り込んで、闘った。今なら、とてもそんな勇気のある人はいない。
東大の林健太郎は全共闘に監禁されて、何日も「大衆団交」に付き合わされた。
職員が、「機動隊を呼びましょう」とメモを差し入れたら、「心配無用。ただ今、学生を教育中」とメモを返して寄越した。
自分は監禁され、糾弾されているのではない。一人で、学生たちを「教育」してるんだ、と。
凄いですね。当時はそうした〈覚悟〉を持った学者、政治家、作家がいた。
村松剛さんは、左翼学生に家を焼かれたが、全く動揺せずに闘った。
愛国心、天皇、改憲…と言っただけで、左翼学生に糾弾され、暴力を振るわれた。
そんな時代に、生命をかけて闘った人たちがいた。その人たちに教えてもらい、私は幸せだったと思う。
今、安全圏にいて、「俺こそ愛国者だ!」と絶叫している人々とは全く違う。人間が違う。覚悟が違う。
そんな昔のことを思い出した。三島や小出さんのような勇気はないが、でも、私たちは敵地・アウェイでこそ闘うべきだろう。そこでこそ〈言論〉の質が問われる。それに私には、もう「ホーム」はないのだし…。そのことを教えられた。
竹中労が言ってたが、「人は弱いから群れるのではない。群れるから弱いのだ」。それを痛感した。
立教大学での討論の内容については、又、ゆっくり書いてみよう。
【訂正と謝罪】先週の「主張」に誤りがありました。松岡氏が逮捕されたのは警察にではなく、「検察に逮捕」だそうです。又、「紙の爆弾」10周年当日に配った「紙の爆弾」創刊号は、「増刷」したのではなく、在庫として残っていたものを配付したそうです。以上、訂正し、謝罪いたします。
「赤色エレジー」で大ヒットを飛ばし、大正アナーキストの絶望的な闘いを描いた映画「シュトルム・ウント・ドランクッ」でも出演した。甘粕の役で出ていた。
又、近々封切られる「ビリギャル」にも出演している。
監督の土井裕泰さんもこの日、来ていた。
又、祈祷師のびびこさんも来ていた。女優の高橋咲さんにも会いました。
午後1時から新発田生涯学習センター。「斉藤てつお後援会オープニング集会」。新発田市議選に出る斉藤さんを励ます集会だ。
第1部は、そうだみつのりさんの歌。よかった。
第2部は講演会。「新発田が変わる、日本が変わる」と題して、私が講演する。
それから新潟に行く。18:30から、「クロスバルにいがた映像ホール」で対談。「右でもなく、左でもなく」。佐々木寛さん(日本平和学会会長。新潟国際情報大学教授)と話をする。刺激的で、楽しい対談だった。
新潟泊。