この一週間は、全国を駆け回っていた。おかげで本も随分と読めた。
新幹線や飛行機の中では本ばかり読んでたので。釈徹宗さんの『なりきり・すてる・ととのえる』(PHP新書)を読んでたら、その後、本人にバッタリ会った。そんな奇跡的な出来事もあった。
4月17日(金)は早朝、東京駅から新潟へ。そして新発田に。午前中に着く。
新発田で毎年、「大杉栄メモリアル」を主催している斎藤徹さんが今度、新発田市議選に出る。その応援を兼ねて、集会や応援演説、そして、シンポジウムに出る。
その斎藤さんが迎えに来てくれた。
会場に行く前に、万松堂書店に寄る。新発田最大の書店だ。そして歴史がある。何せ、大杉栄がよく来ていた。
中は広い。社会科学の本が沢山ある。ここだったら一日いても退屈しない。本を探して一日中、書店にいる。というのもいいね。
たとえば岩波の本は返本できないから膨大な量がある。岩波文庫・新書なんて、全部あるんじゃないだろうか。今度、来た時に、ゆっくり見てみたい。
それから会場に行く。この日は午後1時から、「斉藤てつお後援会オープニング集会」。新発田市生涯学習センターで。
第1部は、そうだみつのりさんの歌だ。社会風刺、体制批判の歌だ。なかなかいい。面白い。
歌のあとは、第2部。講演会。私が新発田とのかかわり、大杉栄、蕗谷虹児、今村均…とのかかわり。などについて話す。テーマは「新発田が変わる、日本が変わる」。
新発田は大倉喜八郎、堀部安兵衛、今村均の出身地として有名だ。
アナーキスト・大杉栄。画家・蕗谷虹児など作家、芸術家なども多い。自由を求め、夢と希望を人々に与えた。
斉藤さんは毎年、「大杉栄メモリアル」を主催し、全国から多くの作家、大学教授などを呼んで講演会、映画会をやってきた。
私も斉藤さんに教えられて、〈自由の町〉新発田を知った。
又、斉藤さんに紹介されて、今村均将軍の息子さんに会った。又、蕗谷虹児の息子さんにも会った。
今、日本は、どんどん「内向き」「閉鎖的」「排外主義的」な国になっている。隣国を挑発し、〈敵〉をつくることによって、「だから防衛力の強化を」「だから憲法改正を」と叫んでいる政府。
日本人が外国で被害に遭い、人質になっても、助けようとしない政府。見殺しにされてしまう国民も、「そうだ、そうだ」と支持してしまう。
薄情な国だ。薄情な国民だ。
どんなことがあっても国民を守ろうとするのが国家であり、政府だろう。
それなのに、それをやってない。「国家の威信」を保つためなら、国民なんか犠牲にするのだ。
そんな不自由な国だからこそ、新発田の「自由な空」を全国民に知ってもらいたい。
新発田の青い大空。そこに湧出し、いろんな姿を見せる雲。いろんな〈物語〉を見せてくれる。そして、雪を頂いた山々。美しい。
それらを見続けていた大杉は言った。「新発田の空は自由にする」と。
自由な大杉の思想も、ここの美しい風景、空が作り上げたのだろう。
その「自由の空気」を日本中に吹かせたい。大杉栄をテーマに、シンポジウムをやってもいい。
たとえば、大杉栄について書いた作家は何十人もいる。その人たちを呼んで、大講演会をやるのもいい。司馬遼太郎ならば、作品からとった「菜の花忌」をやっている。
多くの作家が集まって、シンポジウムをやり、何千人という人が聴いている。
さらに、外国人でも大杉を研究し、アナキズムを研究している人たちもいる。その人たちも呼んだらいい。
それに、「大杉栄記念館」をまず、造るべきだ。講演では私は、そんな話をした。
そして質疑応答があり、それから、新発田駅へ。次は6時から新潟市で講演があるからだ。
新発田駅に行く途中で、瑞雲寺に寄る。
ここは、田宮高麿さんのお墓がある。1970年3月に、「よど号」をハイジャックして北朝鮮に渡った9人の赤軍派メンバーの代表だ。私は、新発田に来た時は、必ず寄っている。
そうだ。「よど号」グループを支援する集会が東京や関西で行われている。じゃ、今度、新発田でやったらいい。
皆で、お墓参りをし、そのあと、集会だ。アラブの「ハイジャックの女王」ライラ・ハレドさんを呼んで、「ハイジャック・サミット」を開いてもいい。
そうすると、「ハイジャックとアナキズムの町」になっちゃう。私は面白いと思うけど、市民が反撥するかな。
午後6時半から、「クロスパルにいがた」の映像ホールで講演会。佐々木寛さんとトークだ。
佐々木さんは日本平和学会会長だ。そして、新潟国際情報大学の教授だ。
「日本平和学会」は、1000人以上の、学者、教授たちが集まって作ったという。
そうだ。4月11日(土)には、「日本生物地理学会」の会長である森中定治さんと一緒に講演した。4月に「学会」会長と2人も話した。
「平和学」について、私もよく分からないので、質問した。今まで知らなかったことも教えられたし、楽しかった。
終わって、サイン会。そして、打ち上げ。
驚いたことに、「独り芝居」の愚安亭遊佐さんが来ていた。二次会にも誘って皆に紹介した。私が紹介するまでもなく、「あっ、愚安亭さんだ!」と気が付いてた人も多い。「芝居観ました。感動しました!」と言っていた。
二次会が終わり、この日は新潟市で泊まる。
翌4月18日(土)は、午前11時、新発田に着く。斉藤さんと、市内を回る。
もう桜は終わりだ。新発田城址を見る。大杉栄が子供の時に遊びに来ていたイチョウの木がある。堀部安兵衛の銅像を見た。
午後2時から、新発田市西公園公会堂で、座談会。そして、この日は新発田に泊まる。
4月19日(日)今日は選挙の告示だ。8時半から市議選候補者が選管から書類を受け取る。
さらに、掲示板の何番にポスターを貼るか。その抽選が行われた。「おっ!ラッキー7だ」と斉藤候補は喜んでいた。ポスターを貼る人は各地区別に頼んでいて、貼っている。
斉藤候補と我々は、さっそく演説を始める。
まず、駅前からやる。そして、市内、郊外と…。
他の候補者の車とも行き交い、「○○候補、頑張って下さい!」とエールを贈る。
普段は静かな新発田の町も、この時ばかりは賑やかで騒々しい。
午前中一杯、応援演説をして、午後、東京へ帰る。
やたらと仕事がたまっていた。留守電、FAXは、満杯になっていて、新しいFAXは入らない。メールで寄越したり、あるいは郵便の速達で送ってくる人もいた。
夜、遅くまで仕事した。
翌、4月20日(月)。午前中、必死で仕事をし、1時の新幹線に乗って、新大阪へ。
4時6分着。下中氏が迎えに来てくれた。地下鉄に乗って難波へ。大阪ジュンク堂難波店に着く。
6時から、書店トークだ。『慨世の遠吠え』(鹿砦社)の出版記念トークだ。
5時に着いたので、書店を見て回る。私の本も随分とある。
店長は元劇団で芝居をやっていた。本も何冊も出している、名物店長だ。最近の本の話をする。
普通、「書店トーク」といったら、書店の他の階の部屋でやる。
でも、難波店は一つのフロアーだけだ。だから、通路のスペースに囲いをして、トークをする。
本を探している人も、「あれっ、何かな」と立ち止まり、のぞいてくれる。
内田樹さんとの話は、最近の自民党、憲法改正…などについて。
又、平尾さんと「ラグビーと合気道」について語っていた本を読んだ。それが面白かったので、聞いた。
ラグビー、サッカー、テニス、ゴルフ…とイギリス発祥のスポーツは多い。だからといって、「我が国のスポーツだ。国技だ。だから負けるな!」という小さな気持ちはない。
皆、世界のスポーツになった。それだけで満足なのだろう。
それに、ラグビーにしろ、サッカーにしろ、「エリート」がやった。そこで学ぶ。
自分のポジションを一生懸命にやり、さらに、全体が「一つの身体」のように動く。
又、人間の気持ちが、相手や全体の「気持ち」を動かすこともできる。
それは戦争にも使えるし、企業活動にも、又、大英帝国の全世界にある植民地経営にも役立ったという。
又、内田さんと釈徹宗さんの本も最近読んだので、それについても内田さんに聞いた。
そしたら、「釈さんなら、そこにいますよ」と言う。
ビックリした。内田さんの話を聞きに来てたのだ。
「あっ、今日のサプライズゲストですね。じゃ、一緒に話しましょう」と思ったんだが、アッという間にトークは終わり。質疑応答があって、終わりました。
釈さんにも入ってもらおうと思ったのに、できなかった。すみません。
それからサイン会。ここに来た人が全員並ぶ。中には私の昔の本を持って来た人もいて、感激でした。
そのあと、釈さんも含めて打ち上げ会。そこで話しました。
この日は遅くまで、皆と話し合い、それから、梅田に出て、ホテルに泊まる。
翌、4月21日(火)は、バスで伊丹まで行き、9時発の飛行機で札幌に向かう。
新千歳から電車に乗り、札幌駅で柏艪舎の可知さんと待ち合わせ。「もう10分ほどで孫崎さんも来るので、待ちましょう」と言う。
そこへ、「やあ、お待たせ」と言って孫崎さんが現れる。
それから、レストランで食事。柏艪舎の山本社長も合流。
「凄い申し込みですよ。今までで一番多いんじゃないですかね」と言う。
一旦休憩し、5時、柏艪舎に集合し、時計台ホールへ。
本当に、超満員だった。壇上で話していても、圧倒される。こんなに人が入るのかと驚いた。
孫崎さんは、次々と本を出し、講演も全国でやっている。ついこの前も札幌で反TPPの集会に呼ばれて話したという。1800人も集まったという。凄い。
今、『日米開戦の正体』を書いたので4月末には出るでしょう、と言う。
他に、取材、対談、講演会…と仕事が多い。「大変ですね」と言ったら、「でも、鈴木さんとの対談が一番多いです」と言う。私が忙しくさせているのかな。
そうか。最近では八重洲ブックセンターでやった。紀伊国屋ホールでは450人の講演をやった。
ニコ生では、「よど号」グループと電話で繋いで、対談をした。他にもロフトやら、西宮など、いろんな所でトークをしている。
「鈴木さんとは一番気が合うからかな。それに同じ年だし」。
そうかもしれない。講演会が終わってから気が付いたけど、元衆議院議員の伊東秀子さんも来ていた。
伊東さんは社会党だったし、テレビの「朝生」によく出ていた。私も何度かご一緒させてもらった。
キチンと論理的にものを言う人だと思った。「きっと、次の委員長になるだろう」と思っていたが、その後、北海道に帰り、何度か選挙に出て、今は、弁護士だ。恵庭事件などを手がけている。
二次会の時は、孫崎さんと3人で、かなり話し込んだ。「鈴木さんの本の中では、札幌の講演をまとめた本が一番いい」と伊東さんは言う。
嬉しいですね。柏艪舎のおかげです。
時計台シンポジウムでは、現今の日本の政治について主に語った。
孫崎さんと伊東さん、私は同じ年だ。だから子供時代は、同じようなテレビを見て育った。
「パパは何でも知っている」とか「ママ、こっち向いて」…とか。アメリカのテレビドラマだ。小学校、中学校の時は、よく見ていた。そして感心した。
「アメリカは凄い。子供を抑圧しない。親は、ちゃんと子供の意見も聞いている。これが『民主主義か』」と思った。
高校で右傾化した時でも、しかし、「アメリカは民主的だ」と思っていた。「テレビが民主主義の教育機関でしたから」と言う。
今はアメリカに批判的なことを言っても、子供時代は、「アメリカの民主的な家庭」を見ていた。毎日、毎日。
日本の家庭はまだまだ古い。「それではダメだ」と日本人に教えるための、「生きた教材」だったのだ。
でも、日本の親たちはどうしたんだろう。そんなテレビに腹が立ち、ムッとして見ていたのか。あるいは、日本の子供たちのように、「これはいい!」と見たのか。
いや、そんな親はいなかったろう、と思っていたら、内田樹さんが前日、言っていた。
「私の家では、父親が、アメリカのホームドラマに感動した」と言う。
内田さんのお父さんはえらく感動し、「よし、明日から我が家もアメリカ的な民主主義を取り入れよう」と言う。
そして、家庭内で、しょっちゅう、会議を開き、子供にも、キチンと意見を言わせた。
驚いた。そんな家庭があるのか。子供だけでなく、親もアメリカのテレビに感動し、自分の家でも実行しようとしたなんて。私は初めて聞いた。「奇跡の家」だ。それだけで本にしてもいい。
「面白そうですね」と孫崎さん。「私も、そんな例は知りませんね」と言う。
じゃ、内田さんの家だけか。あるいは内田さんのいた地方だけか。
次回は。じゃ、内田、孫崎さんとは、お互い、家族・子供・教育の話をしよう。
5時、「読書ゼミ」。旬だから、これを選びました。古賀茂明『国家の暴走』(角川oneテーマ21新書)。
恵観さんの講演は真言密教の話。加持祈祷が宗教者だけでなく、戦国武将や、国家間にも、いかに使われてきたか。知らなかった世界の話を聞けた。
又、ナオトの生活、闘いに密着し、カメラを回す中村監督も凄い。現代日本の第一級のドキュメンタリーだと思った。
中村監督とのトークのあと、ホテルグランドヒル市ヶ谷に行く。「現代文化会議」の講座に出る。
全7回の講座で、全体のテーマは、〈“戦後70年に問う—戦争・占領・憲法・講和・安保・領土”〉。
この日は第1回目で、午後1時半から、秦郁彦氏(現代史家)の「太平洋戦争の起源」。講義(2時間)とシンポジウム(1時間)。
とても濃い内容だった。その後、秦さんや、「現代文化会議」の佐藤松男さんたちと話をした。
夜は8時から10時まで、ポレポレ東中野で映画「縄文号とパクール号の航海」(水本博之監督)を見、そのあとのトークに出る。水本監督と、映画に出演した関野吉晴さん、そして私だ。
この映画は、「グレートジャーニー」関野吉晴さんが行った前代未聞の大航海の記録だ。自然、人間、国家…についても考えさせられる。命懸けの冒険を通して、訴えてくるものは大きい。今日は朝と夜。2回も映画トークをやった。こんなことは初めてだ。
⑦私の親類の人たちも来てくれました。右は、私のいとこの上谷俊夫さん。函館で市議会議員をしてました。左は上谷誠司さんご夫妻。俊夫さんのお兄さんの子供です。誠司さんは、ついこの間まで岩見沢の副市長をしてました。奥さんは元スッチーです。
⑧宮沢賢治のご子孫の方も来てくれました。(右から2人目)賢治の妹が「私のおばあさんです」。いいですね。じゃ、賢治の童話や詩を読んでいても、〈自分〉と同じだと感じるのでしょう。同じことを悩み、それを理解しようとします。大変です。とも言ってました。左は私の生学連の時の後輩の大島さんです。
⑨右は、和歌山から来てくれた下中さん。「久しぶり」と言ったら、「昨夜、大阪で会ったじゃないですか」と言われました。
そうだ。内田樹さんとの書店トークにも来てくれたんだ。あっ、大阪駅にも迎えに来てくれたんだ。その隣りは、モンゴルから来てくれた高橋さん夫妻。いや、北海道人だったかな。「鈴木さんと同じ宮城出身ですよ」と言われました。高橋君行きつけのギョウザ屋さんで。
⑪時計台シンポの前の日です。4月20日(月)夜6時から、大阪ジュンク堂難波店で、内田樹さんとのトークです。『慨世の遠吠え』(鹿砦社)の出版記念です。内田さん、鹿砦社の皆さんのおかげで売れてます。「増刷が決まりました!」と発表してました。ありがたいです。
⑬内田樹さん、難波店店長の福嶋聡さん、鹿砦社の松岡社長。福島さんは、元、演劇をやってました。そして、書店論を何冊も書いてます。「名物店長」です。
難波店はフロアー面積が日本一広い。だから店員には、ローラースケートをはかせて、スイスイ走らせよう。と考えたことがあるそうです。ぜひ、実行してほしい。
今、テレビでやっている「書店ガール」を見てたら、ここの店と似ている。「ここで撮影してるんじゃないの?」と聞いたら。同じジュンク堂です。「似てるけど違います。東京にある店です」と教えてくれました。
⑯「鈴木さんの昔の本ですが…」とプロレス本を持ってきた人がいました。1995年6月28日にサインしてます。20年前ですね。「プロレスこそ最強」と書いてます。その時は、そう信じてたんでしょうね。でも何の本だったかな。『格闘プロレスの探究』かな。やはり鹿砦社の本だ。
⑲大阪(4月20日)、札幌(4月21日)の前の週ですね。4月17日(金)〜19日(日)は新潟と新発田に行ってました。
「大杉栄メモリアル」を主催している斉藤てつおさんが市議選に出るとのことで、応援に行きました。
4月17日(金)は、新発田で午後1時から「斉藤てつお後援会オープニング集会」。私も話しました。「新発田が変わる、日本が変わる」。
㉓新発田の「後援会オープニング集会」のあとは、新潟に行きました。6時半から、「クロスパルにいがた・映像ホール」で。佐々木寛さんと対談。
佐々木さんは、日本平和学会会長。新潟国際情報大学教授。テーマは、「右でもなく、左でもなく」。2時間、話し込み、そのあと質疑応答。