「グレートジャーニー」の関野吉晴さんに3日続けて会った。
4月26日(日)は、ポレポレ東中野で関野さんとトーク。
27日(月)は、関野さんと島田雅彦さん(作家)のトークを聞きに行った。
さらに4月30日(木)にも行き、会田誠さん(美術家)と会った。
今、ポレポレ東中野では水本博之監督の「縄文号とパクール号の航海」を上映している。
この映画は、「グレートジャーニー」の関野吉晴さんが挑戦した前代未聞の大航海のドキュメントだ。
関野さんは探検家だ。人類の発生史を徒歩で遡行するという壮大な探検行「グレートジャーニー」に挑み、テレビで放映した。日本中の皆がテレビの前に釘付けになった。
こんな旅があったのか、と驚いた。歩く、どこまでも歩く。時には自転車や犬ゾリに乗るが、全て、「人力」だ。車は一切使わない。舟も、自分で漕ぐ。〈自力〉で地球を回る。
「グレートジャーニー」を終えた関野さんは、全国から引っ張りだこだった。マスコミの取材に追われ、全国で講演した。
河合塾でも受験生に講演した。関野さんの友人・牧野剛先生(現代文)が呼んでくれた。超満員だったし、話は実に刺激的だった。
15年ほど前だと思う。牧野さんに紹介され、話をした。
単に未知の大地を探検する、というだけではない。人類はどこから生まれ、どこへ向かったか、そのルーツを探し、自分も歩く。その中で多くの発見がある。
突き当たった疑問もある。考え、悩みながら、旅を続ける。
関野さんは、その後、武蔵野美術大学の教授になる。私も何度か呼ばれて話をした。
関野さんは実は医者だ。世界を回るという大望を抱いた頃から、医者を目指して勉強した。
旅の途中で病人を診ることもある。又、自分の怪我なら自分で手術し、縫い、包帯を巻く。探検家にとって、医者の「免許」は、最も役に立つ。
もう一つ、関野さんの資格・特技だ。実は、空手をやっていた。
世界中を回るのだ。イザという時は身を守るために習ったのか。「それほど深い考えはなかったんです」と本人は言う。
ただ、そこで凄い出会いがあった。同じ道場に三島由紀夫が通っていたんだ。
組手などもやった。三島はボディビルをやり、肉体は鍛えていた。マッチョだ。上半身は、ムキムキだ。
だが、下半身は痩せていたし、弱々しそうだった。「蹴ったなら、三島を倒せると思った」。
ただ、自由組手ではないから、勝手なことは出来ない。こう来たら、こう受ける。という型稽古をやってたのだ。
でも、それを破って、「三島の足を払ったらよかったのに」と言った。「三島に勝った男」として、歴史に名前が残ったのに。
「型稽古ですから、とてもそれは出来ません」と関野さんは言う。真面目な人なんだ。
関野さんとは3日間、かなり突っ込んで喋った。
その時、船戸与一さん(作家)の話になった。4月22日に亡くなった。「ついこの前、電話で話したばかりですよ」と言う。
「入院してる。重いようだ」という話は聞いていた。出版社の人から聞いた。
「鈴木さんに会いたがっていたよ。見舞いに行こう」と言われていた。「治ったら、又、対談して、本にしましょうよ」と、その人は言う。
そうだ。船戸さんには何回か会ってるが、一度、月刊誌で対談した。その連載対談をまとめた本も出た。
「たしか、関野さんも一緒に出てたんじゃないの」と聞いた。
「船戸さんとは雑誌で対談しましたが、多分、同じ本でしょう」と言う。「何か、物騒なタイトルの本でしたね」と言う。
そうだった。でも、正確には思い出せない。
家に帰って、本棚を探した。あった。船戸与一トーク・セッション『諸士乱想』(KKベストセラーズ)だ。
1994年6月10日、初版発行だ。20年前だ。月刊「ザ・ベストマガジン」の’92年11月号から’94年4月号に連載した対談をまとめたのだ。
18人と対談している。探検家、格闘家、小説家…など、行動する人、危ない人が多い。
しかし、忙しい中、よく、これだけの人たちと毎月、対談をやったものだ。
関野吉晴さんとも、対談していた。「探検と医療とチャレンジと」と題して。(’93年5月)となっている。
その次は、作家の北方謙三さん(’93年6月)。それから、内藤陳さん(’93年7月)。中村敦夫さん(’93年8月)と続き。その後が、私だった。(’93年9月)だ。
タイトルは「標的なき時代と新右翼」。私は「第14セッション」だ。
この後は、辺見庸、大沢在昌、若松孝二、牧野剛と続く。牧野さんがラストだ。
関野さんは「第10セッション」で、その前はこんな人たちだ。張本勲、原田芳雄、長倉洋海、ファイティング原田、森雞二、前田哲男、大藪春彦、黒田征太郎、荒勢だ。
確かに、クセのある、そして闘っている人たちだ。まさに『諸士乱想』だ。
本の帯には、こう書かれている。
〈面白きことも無き世を面白く。闊達自在に生きる男たち〉
船戸さんは早大探検部出身で、世界を放浪し、本も沢山書いた。直木賞作家でもある。4月23日付の産経新聞にも「船戸与一氏が死去」と大きく出ていた。
〈「砂のクロニクル」などの冒険小説で知られる直木賞作家の船戸与一(ふなど・よいち、本名、原田建司=はらだ・けんし)氏が22日、胸腺がんのため死去した。71才〉
71才か。若かったんだ。私と同じ年か。いや、1才若いんだ。
〈昭和19年、山口県下関市生まれ。早大法学部卒業後、出版社勤務を経て54年に「非合法員」で作家デビュー。早大探検部時代から世界各国を放浪して歩いた体験を生かし、海外を舞台にしたスケールの大きな冒険小説に定評があった。人気漫画「ゴルゴ13」の脚本も手がけた〉
最後の「ゴルゴ13」の話は有名だ。「ゴルゴ13」は多くの作家、探検家、学者…などが集まり、原作を書いている。
だから、国際情勢などの「背景」が実に詳しいし、正確だ。「ゴルゴ13」で「国際政治を学んだ」と言う学生が多かった。
又、船戸さんは小説や漫画の原作だけでなく、硬派な評論やルポもやっている。
『諸士乱想』の筆者プロフィールには、こう書かれている。
〈ふなどよいち 1944年、山口県生まれ。早稲田大学法学部卒。豊浦志朗名で『叛アメリカ史』(現・筑摩文庫)等の評論、ルポを。外浦吾郎名で劇画の原作を書く。’79年『非合法員』で作家としてデビュー〉
えっ、こんなに沢山の名前があるんだ。
私らが一番知ってるのは、船戸与一だ。
その他、豊浦志朗。『叛アメリカ史』は私も読んだ。そのあと、吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞、山本周五郎賞…を受ける。名前も劇画の原作では外浦吾郎か。
大変だね。3つも名前を持って。混乱しなかったのだろうか。それに本名もある。原田建司だ。
ペンネームが3つ。本名が1つ。計4つの名前だ。『諸士乱想』のプロフィールには、こんなことも書かれている。
〈早大探検部の第3期生。「45までに全世界を見る」という夢を果たすべく、世界中を彷徨し、数々の作品として結実させている〉
探検家としては関野さんの大先輩だ。それなのに、船戸さんは、自分よりずっと若い、後輩の関野さんを絶賛する。
本の対談の前口上で、こう書いている。
〈おそらく日本で自他ともに許す探検家というのは関野吉晴の他にはいないだろう。それは溢れんばかりの好奇心だけではなく、体力と知力と経験の三つを併せ持ってはじめて可能な存在なのだ。若くなくてはやれないし、若過ぎても無理だ。彼は今年の暮れから人類の発生史を徒歩で遡行するという7年がかりの壮大な探検行にチャレンジする〉
これが、「グレートジャーニー」だ。チャレンジは大成功だった。
この文は、それを始める前だが、船戸さんは、こう言っている。
〈成功すればこれは探検史上に燦然と輝くはずだ。同時に関野吉晴は医者である。密林のなかの疾病。心霊医療、異域の死生観。アマゾン川やオリノコ州で裸で暮らす人びとと近代医学はどこでどう切り結び、いかなる地平で手を取りあったのか?このような問いに経験則から答えられるのは日本では彼ひとりなのだ〉
そうか、「諸士」を見つけ出す目があるんだ、この船戸さんには。
そして、なぜこの人と話をするのか、その「前口上」がいい。
私と対談した時も、天皇制や改憲ではなく、〈標的なき時代と新右翼〉だ。
ソ連も崩壊し、〈敵〉がなくなった。それでも運動をするのは何のためか。
早稲田では、このままでは日本に革命が起きる。日本の文化が、いや日本が失われる。そういう危機感をもって左翼と闘った。
しかし、今、そういう「大きな敵」はない。どうするのだ、と言う。
〈いまやソヴィエトが消えうせただけでなく、プラグマチズムだけが説得力を持つような時代にはいって来ている。世俗によってがっちりと包囲される観念の存在が危うくなってきたのだ。こんな時代に新右翼は牙を持ちつづけられるのか?鈴木邦男の温厚さはずばりとそれを口にしないが、語られたのはこのテーゼをめぐってである〉
ウーン、難しいテーマだ。その難問に向かって悩み、苦しみながら、答えている。
20年も前の対談なのに、(いや、だからこそなのか)。今の時代を見透しているし、示唆的だ。
関野さんとの対談も、若松さん、牧野さんとの対談も。この本はもう一度、復刊したらいい。あるいは文庫にするとか。
ともかく、凄い対談集だ。超一級のトーク・セッションだ。そんな中に、私も入れてもらって幸せだった。
家でこの本を探してる時、「あれっ?」と思った。
「書籍企画書」が出てきた。『闘争の決算』とタイトルが書かれている。若松孝二監督との対談だ。
そうか。2人で対談し、本を作ろうとしていたんだ。監督の突然の死で、この本の計画もなくなった。
それにしても、随分と立派な企画書だ。「企画意図。なぜこのふたりなのか」が書かれている。
〈一見、若松孝二さんは左翼的なクリエイターであり、鈴木邦男さんは右翼的なアクティビストだという印象を持たれる人も多いと思います〉
という。でも、同じく宮城県出身だ。そして「反権力」だ。
監督は、2008年に『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』を公開した。70年代の左翼運動に落とし前をつけた。
「そして次回作の題材にしたのは、山口二矢でした」という。1960年に、社会党の浅沼稲次郎委員長を刺殺した17才の山口二矢だ。
〈この非常に純度の高いテロリズムは、右や左のイデオロギーを越えたものとして、同時代の活動家に大きな影響を与えました〉
という。私は山口二矢と同じ年だった。だからこそ、あの時、テレビで見た衝撃は忘れられない。
若松監督もそうだという。だから、「連赤の次は山口二矢だ!」と言っていた。
ただ、途中から、企画は変更になって、三島由紀夫になった。「まず、三島を撮って、その次に山口二矢をやる」と言っていた。
その「予告編のように、三島映画の中では、まず山口二矢が出てくる。見た人は憶えているだろう。
三島も又、山口二矢に大きな衝撃を受け、影響されているのだ。
さて、この若松監督との対談を企画したのは(株)ユークラフトの中島泰司さんだ。優秀な編集者だ。監督も私も大いに乗り気だった。残念だ。
山口二矢をテーマにした映画は幻に終わったが、山口二矢を軸にしたこの対談『闘争の決算』も幻に終わった。目の付け所はいいのに。
「企画意図」では中島さんはこう書く。
〈山口二矢という小年を軸に、また、その後に起きた市ヶ谷自衛隊での三島由紀夫の事件など、激動の60年代から70年代を中心にこれまでに若松さんと鈴木さんがおこなってきた活動。ともに国家権力に立ち向かい、逮捕や拘留を経験し、それでも萎縮することなく闘い続けてきたそれぞれの原動力について。さらに、テロリズムとは何か。右翼と左翼に違いはあるのか。それぞれのやり方で、闘争を続けてきたおふたりだからこそ発せられる言葉。そうした言葉を書籍の形にしたいと思っています〉
そして、〈目次〉まで出来ていた。
第1章 山口二矢が原点だった
第2章 三島事件の衝撃
第3章 敵はどこにいる?
第4章 国家権力とのケンカの仕方
第5章 自分流のテロリズム
第6章 若い世代への絶望と希望
さらに、こんな人々を入れて、鼎談をしましょうと、名前も挙がっている。
ここまで完璧な〈地図〉が出来ていたのに、残念だ。
じゃ、中島さんを相手に私だけが喋って、この本を作ってみるか。
あるいは、若松監督とは何度も会ってるし、言葉も頭の中にインプットされている。今までの本などからも引いて、「対談」を作るとか。
うん、出来ないことはないな。「秘かに対談してたんですよ。そのテープが見つかりました」。とか言って。でも、ここで〈計画〉を発表しちゃったからダメなのか。
それにしても勿体ない。なんか、いい手はないですかね、中島さん。
最後に、やはり悔しい報告だ。元赤軍派議長・塩見孝也さんの闘い(清瀬市議選)は、残念ながら、ダメでした。
又、「大杉栄メモリアル」の主催者・斉藤徹夫さんも、(新潟県)新発田市議選に出てましたが、惜しくも落選です。
世田谷区長の保坂展人さんは当選でした。
塩見、斉藤両氏も、これで落ち込まないで、闘い続けて下さい。たとえ敗れたとはいえ、挑戦し、闘う勇気は貴いし、偉いと思います。私も又、協力します。
終わってから、三宅さんにさらに話を聞きました。
それから他の雑誌の打ち合わせ。
そして午後5時、参議院議員会館へ行く。1階ロビーで、山口二郎さん、宇都宮健児さんたちに会う。
今日は元朝日の植村さんの支援集会だ。「それに出るんでしょう」と聞かれた。
「いや、福島みずほさんとの対談です」。5時から9時まで福島さんと話し込む。
それから東中野へ。ポレポレ東中野で、水本監督の「縄文号とパクール号の航海」が上映されている。
私は前日26日(日)にトークに出たが、今日のトークは島田雅彦さん(作家)。これは聞きに行かなくちゃと行った。
2人は外で話していた。「どうしたの?」と島田さん。「話を聞きに来たんです」。「そんなにヒマなの?」。「久しぶりに島田さんに会いたくて来たのに…」。
10時から11時近くまで2人のトーク。なかなか、アカデミックな話をしていた。
終わって、「ビールでも飲もうよ」と島田さん。東中野は少しは知ってるので、いろいろ案内したんですが。「華の舞」も「養老の滝」もダメ。「チェーン店は嫌なんだ。1人で頑張ってやってる店しか入らない」。
それで、何と、私の家のそばまで来ちゃいました。そして飲みました。
夜、ポレポレ東中野に行く。「縄文号とパクール号の航海」のトークを聞く。今日は、美術家の会田誠さんが出演している。会田さんにはぜひ会いたいと思っていたので行った。三島由紀夫が好きで、随分と影響を受けたという。
三島由紀夫の異色の論文をまとめた『日本人養成講座』(平凡社)という本がある。その本の帯は会田誠さんが書いている。
〈めちゃくちゃ頑固なのに、めちゃくちゃ先が見えていた。そーとー珍しい人だと思いますよ、三島さん…〉
又、この本の「解説」は三潴末雄さんが書いてるが、タイトルがこうだ。
「創造力の煮えたぎる日本へ=わたしのなかの三島由紀夫と会田誠」。三潴さんはギャラリーをやっていて会田さんの絵を扱っている。
私は三潴さんとは昔からの知り合いだ。実は、お父さんも知っている。お父さんは高崎経済大学の教授で、かなり強烈な右派の先生だった。学生時代は何度かお会いしたことがある。
会田誠さんとは、そんな話をしました。
終わってから、スタッフ皆と飲みに行く。
ゲストトークがあるのは今日まで。明日からは夜9時〜11時の上映のみ。そして、地方でも上映される。
会田誠さんは、三島由紀夫が好きだし、影響を受けてるという。その話で盛り上がった。夜の12時過ぎまで、皆で飲みました。
「アッ、電車がなくなる」と皆、あわてて帰りました。私だけは、歩いて帰れるので、落ち着いていましたが。
⑭ここで、話題はガラリと変わって、元赤軍派議長・塩見孝也さんの選挙戦です。清瀬市議選に出て、頑張りましたが、惜敗しました。これは、塩見さんの選挙事務所です。自らの「経歴」「過去」を隠すことなく、出してます。塩見さんの左はロフトプラスワンの平野悠さんです。選挙事務所に堂々と、ゲバラの絵が。さらに、「獄中20年」の垂れ幕が。
㉝4月29日(水・祝)。午後6時半から、代官山のライブハウス「晴れたら空に豆まいて」で。一水会の木村三浩氏、蓮池透さん、桃江メロンさん、椎野礼仁さん、そして私が出席しました。現在の政治、憲法。 ウクライナ問題などについて話しました。