5月27日(水)夕方、アーチャリーに会った。
会った瞬間、分からなかった。昔、テレビで見ていた「三女・アーチャリー」の面影はない。大きくなっている。美しくなっている。
又、最近、本を出している。顔も出している。だから分かるはずだと思ったが、それとも違う。
まさか代理人じゃないよな、と思ったら、傍にいた平田君が、「アーチャリーです」と言って紹介してくれる。
「初めまして、鈴木です」と言って名刺を渡した。「松本麗華です」と言って、可愛い似顔絵入りの名刺をくれた。これはいいですね、と思わず叫んだ。
「それにしても、よく対談を受けてくれましたね。本当にありがとうございました」と私は礼を言いました。
正直な気持ちだ。万が一にも引き受けてもらえないと思っていたからだ。
松本麗華さんの本、『止まった時計=麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記』(講談社)は出て、すぐに読んだ。一気に読んだ。感動した。
その話を平田君にしたら、「じゃ、会ってみませんか」と言う。
平田竜二君は、故・見沢知廉氏(作家)の弟子だ。長野に住みながら、作家を目指して勉強している。
その平田君が何故、そんなことを言うのか不思議だった。もしかしたら、ツイッターかフェイスブックで、麗華さんと話をしたのかもしれない。
でも対談を申し込めるはずはないし、相手も引き受けるはずはない。勝手にそう思っていた。万に一つの可能性もない。「右翼となんか話したくない」と言うに決まっている。そう思っていた。
ところが何と、「アーチャリーは鈴木さんと話してもいい、と言ってますよ」と平田君は言う。ホントかよ、とビックリした。
「和光大学の時に、シンポジウムに何度も鈴木さんが出てくれた」ことを覚えていた。という。
又、「鈴木さんの『公安警察の手口』も読んでるそうですよ」と平田君は言う。それで、あっ本当に会えるかもしれない、と思った。
和光大学の件というのはこうだ。彼女は和光大学を受験し、合格した。
ところがそのあとで「麻原彰晃の三女」だと分かり、大学は入学を取り消した。
それはないだろうと大学内外の人々が集まって、抗議の集会をやった。
私も、何度も行った。そのことを言ってるのだ。
勿論、その時はアーチャリーには会ってないし、その後も、会うことはないと思っていた。
ところが、平田君のおかげで、奇跡的に会えたのだ。感動的だった。
「『止まった時計』よかったですね」と本の感想から始めた。
父親と娘の愛情物語だ。どんなに環境が変わっても、父親を慕い、愛している娘がいる。それが素直に出ていて、よかった。
また、あのような地獄の日々、地獄の体験を経ながら、どうしてこのように明るく、ハツラツとし、美しい女性に育ったのか、不思議だった。
三女として生まれ、愛されて育ったから、優しい子に育ったのか。
でも、優しさだけでは、折れることがある。
一方、強い人はいる。他人のことは全く考えず、自分のことだけを考え、他人には冷淡である。そのことで「強く」なってる人がいる。
だが優しさの中に強さを持ってる人は、なかなかいない。
でも、アーチャリーは持っている。そんな気がする。
今まで地獄の体験を生き抜いてきて、それでも他人への優しさを持っている。奇跡だ。それはどこから来るのだろう。
又、オウム真理教とは何だったのか。あの事件を今、どう思っているのか。矢継ぎ早に聞いた。
あれも聞きたい、これも聞きたいと焦った。
本を読んで、厳しい修行をしながらも、それは内部の世界のことであり、外部の人と会う時は、ちゃんとそのルールに従い、話す。
それが、いつ頃から異常な行動に進んだのか。選挙なのか。警察の弾圧があったからか。そこを聞いた。
又、サリン事件は麻原教組の命令なのか。あるいは、幹部が何度も言ってきて、最後に教祖が許可したのか。いや、それもなかったのか。その辺のことを詳しく聞いた。
そして、しつこく聞いた。3時間近く、聞いた。今の状況も。これからの行動も…。
新しく聞く話も多かった。私のオウム観もかなりかわったように思う。
この対談が出るのが、『紙の爆弾』の8月号に載る。7月5日発売だ。6月5日発売の7月号は内田樹さんとの対談が載る。
「じゃ、7月5日発売日までは、この対談のことは発表しないでおきましょうか」と私は言った。「いや、大丈夫ですよ、私も書きますから」と麗華さんは言う。
和光大学の入学のことで、私はどうも臆病になっていた。「分かりました。じゃ、写真も出ますよ」と言って、このHPの発表になったわけだ。
とても教えられることの多かった対談だ。そして、新しい発見が沢山あった。
対談の話は又、書こう。この対談のことは、書いちゃいけないだろう、と思ったので、この「主張」では別のことを書いていた。
いや、別のことじゃないかな。竹田青嗣の本を読んでいて、「宗教は、物語をつくる」と書かれていて、あっ、そうだと、中村文則の小説『教団X』を思い出した。さらに、オウム真理教のことを思っていたのだ。
だから、そのことを書く。順番が逆になっているのだが…。
この日、アーチャリーに会うまでずっと、この本を読んでいた。竹田青嗣さんの『中学生からの哲学「超」入門=自分の意志を持つということ』(ちくまプリマー新書)だ。
〈宗教は「物語」で世界を説明する〉という。そうだ。キリスト教も仏教もイスラム教もそうだ。新興宗教もそうだ。
それに対し、哲学は、「よりよい原理に交換可能な言語ゲーム」だという。
なるほど、〈物語〉を提供するのではない。「言語ゲーム」なのか。
宗教と哲学。似ているようで、違う。その違いは何か。よく分からないが、違う。と思っていたが、そういうことだったのか。
しかし、中学生向けの本に、これは書かれていたのだ。
他にも、中学生向けのシリーズは、いいものが沢山ある。「よりみちパン!セ」シリーズ。「17才の世渡り術」…と。これらは図書館に置けるし、中学校の図書館にも置ける。
それに中学生は一番、本を読んでいるのかもしれない。又、大人向けのこうした本は今、あまりない。中学生がターゲットにされている。
竹田はさらにこう言います。「宗教は、基本的に、共同体の知恵だといえよう」。
共同体とは皆が同じ言葉を語り、同じような生活様式を持ち、皆が協力し合う必要があるような生活の世界。典型的には村落の共同体です。と言う。
だからこそ、なぜ、この共同体が生まれたのか。これからどこに行くか。その〈物語〉が必要なのだという。
このようにして世界は生まれた。このようにして人間は罪を犯した。このように人間は神を持っていた…という〈物語〉を読んで、我々はそれを信じ、学ぶのだ。
ただ、時として、それは「権威のゲーム」になっていく傾向があるという。
今年の初め、中村文則の『教団X』(集英社)を読み、週刊「アエラ」(1月26日号)に書評を書いた。
書評のタイトルは、〈「物語」を作ってたどり着くところ〉だ。ここでも、宗教は〈物語〉を作ることだと書かれている。
この小説は、オウム真理教事件にヒントを得て、書かれたようだ。この「教団X」が暴走する前。アマチュア思索家と名乗る松尾は、こんな説法をする。斬新で魅力的な説法だ。
〈地球が誕生して以来、そこにあったあらゆる原子は消滅していない。人が死んでも煙の中で空中に拡散し、再び誰かの身体の構成物になる。そして脳が生まれる。では「個(私)」として何の存在意義があるのか。それは、ここで「物語」を作るためだ。人間だけが物語を作ることができる—〉
そうなのか、と思った。この地球上に、バラバラに生まれた人間。
その一つ一つに、何の意味があるのか。人間はアリではないから「意味」や「理由」を見つけようとする。それがないと生きていけない。
その意味や理由を示してくれるのが〈物語〉だ。
宗教が物語を与えてくれた。いや、その物語のことを、初め、宗教と呼んだのかもしれない。
『教団X』は、この松尾の説法には満足できない人間たちが飛び出し、過激なものになり、そして武装する物語だ。
かつて、高橋和巳の『邪宗門』があったが、それと並び称されるべき宗教小説だと思う。
宗教は〈物語を作るから、その物語に縛られて、自分が身動きできなくなる恐れもある。オウムなどはそうだったのかもしれない。…という話を、アーチャリーとした。
竹田青嗣の本では、中学生に向けて、「宗教」と「哲学」と「科学」の違いについて語る。
「方法」「主テーマ」について表になっている。
「方法」だが、宗教は、今言ったように「物語」だ。哲学は「概念、原理」だ。別のところで、「哲学は、よりよい原理に交換可能な言語ゲーム」と言ってたし。
では科学は。哲学とちょっと似ているが、違う。「概念、原理」(仮説・実験・検証)」だという。なるほど。
こうも説明している。
〈哲学と科学は、方法は基本的に同じです。でも、いまでは、哲学はとくに人間と社会を問題にし、科学は、自然世界を相手にする。もう少し言うと、哲学は、人間や社会の「本質」を問題にし、科学は自然世界の「事実」を捉えようとする〉
では又、「表」に戻る。
宗教、哲学、科学の「主テーマ」だ。
宗教は、「世界と私の存在意味。人間の生の意味。聖・俗の区分」。
哲学は「自然、人間、社会、認識、形而上学」。
科学は「自然(自然科学)、社会、文科(人文科学)」だという。
なるほど、こんなふうに区分し、教えてくれる先生はいなかった。竹田のこの本は、最高の教科書だ。
そうか。哲学は「よりよい原理に交換可能な言語ゲーム」か。
ニーチェは、「神は死んだ」と言った。これも「言語ゲーム」なのか。宗教ならば、壮大な物語を作り、それを信じさせる。
うん、そうも言えるな。そう考えたら、分かりやすい。と思わせるのだろう。
分からない世の中に1本、補助線を引いてみる。そうすると、分かってくる。
そうか、何を考えてるか分からない集団でも、その人々に「左翼」「新左翼」「新右翼」と名前を付けてみる。
そうすると、何か、分かった気になる。「交換可能な言語ゲーム」だ。
学生時代、キルケゴールの本を読んでいた。『死にいたる病』『不安の概念』などを読んだ。
その中で、解説者が「こわさ」について書いていた。
恐怖と不安は、両方とも「こわさ」のように思えるが、全く違うという。
山の中に1本の吊り橋があるとする。不安定で、渡るのは大変危険だ。慎重に渡る。この時、橋が崩れるのではないか。「綱は大丈夫なのかな…」と思う。それは「恐怖」だ。
もう一つの「こわさ」がある。吊り橋を歩いているうちに、自分がそこから飛び降りるかもしれない。これは自分に対するこわさである。これが「不安」だ。
なるほどと思った。恐怖は、「外側のこわさ」。自分を取り巻く環境のこわさだ。
ところが不安は、自分自身に対するこわさだ。実存的なこわさだ。
そんなことを考えていたら、あっ、この竹田青嗣さんとは前に対談したな、と思い出した。
本棚を探したら、あった。雑誌『まとりた』で対談したのだ。
この『まとりた』は実にいい雑誌だった。だが今はない。
私は、いろんな人たちと対談させてもらった。とても刺激的な対談だった。
竹田青嗣さんと対談した号は、『まとりた』vol.14。2002年8月10日号だ。もう13年も前か。
このvol.14の特集は、〈「非国」民論〉。凄い。この「巻頭特別対談」が竹田さんと私だ。
〈右翼と左翼、在日問題、天皇制、資本主義の可能性をめぐって〉
そして、
〈思想を死なせないために〉。
これはタイトルのようだ。今、読み返してみても、スリリングで刺激的な対談だ。何と35 pageの対談だ。
さらに、「本文を読み解くキーワード」が付いている。編集部が作ってくれた。6pageにわたっている。2人の対談の中に出て来た言葉を「解説」してくれる。
たとえばこんな言葉だ。
映画「光の雨」。「楯の会」。竹中労。遠藤誠。構造主義。『トカトントン』。赤報隊。(政治的)プラトニズム。パラダイム。スコラ論議。『陽水の快楽』。『竹青』…。
これは編集部の松本麻子さんが書いてくれた。とても勉強になるし、この「キーワード」だけで、2つの大論文になっている。
蛇足ながら、最後の『陽水の快楽』は大学入試にも出た竹田の論文だ。結構難解だ。
ええっ!井上陽水をこんなふうに論じるのか、難しいと思った。では、松本さんの「キーワード」解説だ。
〈『陽水の快楽』…竹田青嗣が文芸誌に書いた初めての長編評論(『文芸』1985年6月号)。
「美、ロマン、エロスをどのように考えるかというモチーフは、音楽作品に流し込んでこそもっともふさわしい」と考え、ミュージシャン井上陽水の曲を通してその主題を展開している。「誰でも青春の時期に“運命的”と思えるような作家との出会いというものを持っているはずだ。チェーホフ、太宰、陽水、フッサールという“作家”たちが、わたしにとっての〈神〉だった」(『陽水の快楽』「あとがき」より)〉
この『陽水の快楽』は、かなり難しい文だ。そして大学入試でも出たから、現代文のテキストには必ず出ている。
だからこんな文を書く竹田さんはきっと気難しいんだろうな、と思っていた。
ところが違っていた。実に人当たりがよくて、やさしく話してくれる。今、読んでも教えられることが多い。
そうだ、この対談は、私の単行本には入っていない。ぜひ、入れたい。
又、『まとりた』は若松孝二さんや、いろんな人と対談している。この雑誌だけでも、1冊の本が出来るだろう。
そして、今、アーチャリーも、きっと、気難しいんだろうな。宗教的に難解なことを言い出すんじゃないのかな、と勝手に思っていた。
ところが違っていた。とても、明るく、ハキハキとしている。そして、キチンと話してくれる。
又、〈組織の長〉としての父親の苦悩、難しさも説明してくれる。
「鈴木さんも、今までの運動の中で、父と同じことを考え、悩んだことがあるはずです」と言う。
そうか、オウム問題は特殊な、もう終わってしまった問題ではなく、普遍的なテーマなのかと思った。
そのことについては又、考えてみたい。対談が出てからでも、ゆっくりと考えてみたい。松本麗華さん、本当にありがとうございました。感激しました。感動しました。とてもとても教えられ、勉強になりました。
⑫5月20日(水)。上野の東京文化会館大ホールに行きました。「国立モスクワ音楽劇場バレエ」を見ました。一水会・木村三浩代表と共に招待されのです。ブルメイステル版『エスメラルダ』(全3幕)を見ました。素晴らしい舞台でした。この後、東京文化会館大ホールで、「ロシア文化フェスティバル2015 in Japan」のオープニングセレモニー&パーティが行われました。「日露修好160周年記念」「ロシア文化フェスティバル in Japan 第10回記念」です。ロシアと日本の政治家、音楽家、バレエ関係者が挨拶してました。
⑭在新潟ロシア連邦領事館総領事のセーセネフ・セルゲイさんと。私は、ロシアには5回行ってます。そのうち3回はサンボ(ロシアの格闘技)を習うためにハバロフスクに行きました。新潟から飛行機で行きました。と、当時の話をしました。
⑮鳩山由紀夫さんは、バレエの開幕の時も挨拶してました。クリミア訪問では随分と叩いているマスコミもありました。でも、「アメリカ側の見方」だけでなく、現地に行って、実際の現状を見るべきです。その報告は重要だし、貴重だと思います。頑張って下さい、と言いました。
⑲その翌日、5月21日(木)、六本木ヒルズで。「日本・ロシアフォーラム」が行われました。毎日新聞社とロシア新聞社の共催です。経済、産業、スポーツ、地域間協力などについて。パネルディスカッションが行われました。午前10時から午後6時までです。
私も聞きたかったのですが、学校があったので、終わってから行きました。フォーラムは終わっていて、両国の代表者による講演の後の「懇親パーティ」にだけ出ました。六本木ヒルズ51階のクラブルームです。夜景がとてもきれいでした。木村代表、ロシアの記者の人と。
㉑この後、新宿にある「懺悔の神様」の店に行きました。「女無BAR」です。20年近く前ですね。たけしの「オレたちひょうきん族」の中で、「懺悔の部屋」に入ると、上から水をかけられる、という場面がありました。あの時、「懺悔の神様」として出てたのがブッチー武者さんです。その人のお店です。
㉔「オレたちひょうきん族」の頃の写真。その後、いろんな人が訪ねて来た時の写真。などが並んでました。今も「懺悔」の部屋です。そうだ。トイレに行く時、「そこは懺悔の部屋になって、トイレの水を流すと上から水がかかるんですよ」と言ってた人がいた。だから、こわごわ入って、トイレの水を流した。急いで逃げてきました。「上から水」はなかったです。