「次は一水会顧問の鈴木邦男さんにご挨拶をお願いいたします」というアナウンスが流れると、超満員の会場は、超ドヨめいた。「ウォー!」「ギャー!」「ゲーッ!」と。
「えっ、なんで?」「馬鹿な?」という声も聞こえる。
だって、「福島みずほ全国応援団の集い」(6月3日)だ。
社民党の地方議員、佐高信、雨宮処凛、宇都宮健児さんの中に1人、「異端」が混じっていたからだ。「なんで右翼なんかを…」「こんな奴、出すな!」という顔をしている人もいる。
でも、いいんだ。敵意や無視は慣れている。その中で、喋りましたよ。
なぜ福島みずほさんを支援するのか。今、他にいないじゃないか。これだけ信念をもって行動してる人が。
大声では言わないが、この人こそ本当に国のことを考えている、「愛国者」だ。
右だ左だと言ってる場合じゃない。この国を愛する人は共に団結しよう、と私は呼びかけました。
そして、やっと分かってくれたのか、拍手でした。
この後、居酒屋で飲み会。辛さん、保坂さん、中山千夏さんなどにも会いました。
以下の「主張」を書いたのが5月28日(木)。その次の日、福島さんの集会に行ったのですが、ここだけをまず報告しておきましょう。急に、付け加えました。
では、「本の会」講演。そして、板橋で近藤勇、土方歳三、永倉新八に会った話です。
5月29日(金)、「本の会」で話をした。会場は文京区男女平等センターだ。
「本の会」というから、読書会かと思った。トルストイやドストエフスキーの本を皆で読みながら、思ったことや疑問点などを話し合うのかと思った。でも、違った。
2時間、講演してくれという。
それに、演題が決められていた。「特定秘密保護法とわたし」だ。防衛・憲法問題を含め、今の右傾化・戦前回帰する状況についてどう思うか。そんな話をしてくれ、と言う。
承知しましたと、メールしたら、数日後、印刷された案内状が送られてきた。
「第351回 本の会例会のおしらせ」と書かれている。もう351回目なのか。凄い。1976年2月から行われているという。もう40年近くになるのだ。
この案内には、こう書かれていた。
〈言論の自由—というコトバは空気のごとく、当たり前に言われてきました。が、少しずつ息詰まってきて、やがて霧に包まれてきます。あの時が分岐点だったと後世の史家にいわれないように。発信し続ける鈴木邦男さんにお話しいただきます〉
じゃ、責任重大だ。
この時、「本の会」例会一覧が参考資料として送られてきた。
本の好きな人、出版社に勤めている人、ライターの人…などが中心になって毎月、勉強会をやってきたようだ。
第1回は、1976年2月4日。テーマは「国立国会図書館の蔵書と機能」。朝倉治彦さんが講師だ。
テーマも本についてのことが多い。「書誌学研究の方法」とか、「日本古書の世界的地位」とか、「SF出版とその周辺」「中国の出版事情」などというものがある。
面白そうだ。私も聞いてみたかった。「本州製紙江戸川工場見学」などというのもある。これはいい。出版関係に就職する大学生用のゼミのようだ。
そうだ、ジャナ専(日本ジャーナリスト専門学校)で、これをやってくれたらよかったのに、と思った。
ジャナ専は高田馬場にあった。私も5年ほど講師をやった。
とても活気のある面白い学校だったのに、今はない。
丸山実、平岡正明、丸山邦男、茶本繁正、猪野健治…といった凄いライター、評論家が講師だった。
では、この「本の会」だ。
どんな人を講師に呼んでたのかと見たら、その丸山邦男さんもいた。丸山眞男の弟だ。眞男は大学者だが、弟はルポライターだ。「フリーライターの戦後秘史」を講演していた。
他には、筑紫哲也、粕谷一希、森まゆみ…。矢崎泰久さんは2005年5月に話している。〈『話の特集』と仲間たち〉だ。
さらに、2006年9月には、鹿砦社の松岡利康氏が「言論弾圧との闘い」を話している。
そうか。それで、今年7月には、「言論弾圧10周年」の集会が西宮である。青木理さんと私が話をする。
「本の会」例会の会場の名前も変わってる。珍しい。文京区がやってるのだろうか。「男女平等センター」だ。
中に入ったら、男女平等を実現するための集会などのポスターが多い。
又、小さな図書コーナーがあるが、『青鞜』のバックナンバーや、平塚らいてう、高群逸枝などの著作集が多い。
貼り出されている新聞記事も、そんな関係のものが多い。「男女の学力、環境が左右」という記事があった。
「左右の学力、環境が左右」とも言えるね、と同行した人が言う。
左翼・右翼の学力は環境に左右(=支配)されるというのだ。「左右の学力、男女関係が左右」とも言える、と呟いてた人もいた。
さて、講演だ。2時間は喋れないので、1時間半ほど話し、あとは、質疑応答。
驚いたことに、ルポライターの猪野健治さんが聞きに来ていた。
久しぶりだ。ジャナ専で一緒だったけど、その後、余り会ってない。わざわざ埼玉から来てくれた。申し訳ないです。
今年81才だという。「あれっ、じゃ田原総一朗さんと同じですね」と言っちゃった。
80過ぎて元気に活躍してる人というと、どうしても田原さんのことを思い出す。さらに、最近は、『80才を過ぎて徹夜で討論できるワケ』という本も出してるし。
「いや、彼は私より一才下です。私が3年の時、彼は2年だったから」。
エッ?と思った。そしたら何と、同じ高校だったという。
滋賀県の彦根東高校で、猪野さんが3年の時、田原さんは2年生だったという。凄い話だ。
そして、その時、英語の先生だったのが上田哲さんだという。後、社会党の闘士になる人だ。凄い。
じゃ、『文芸春秋』の「同級生交歓」に出たらいいのに。と思ったが、上田さんはもういない。
「本の会」の例会には、猪野さんを初め、ライター、編集者、出版社勤務の人が多いようだ。私の方からも質問し、最近の出版事情、書店の情報なども聞いた。
この「本の会」の代表で、私に連絡を寄越した人は、大出俊幸さんだ。以前、新人物往来社にいたという。私も昔はよく読んでいた。
講演の後、9時過ぎから、近くの居酒屋に行って二次会。2時間ほど、楽しく飲みました。
途中で、代表の大出さんが帰る。「すみません。家が遠いもんで。失礼します」と言う。大出さんが帰った後、「遠いって言ってたけど、どこですか」と隣の人に聞いた。「千葉県流山市です」と言う。
ヘエー、新選組の近藤勇が捕まったとこですね、と言ったら、「そうです。それで、わざわざ流山に引っ越したんです」。
えっ、近藤勇ファンなのか。もらった名刺をポケットから出したら、確かに「流山市…」と書かれている。裏に所属している会も。勿論、「本の会」はある。
それに、こんなのがあった。
「新選組友の会」「流山歴史文化研究会」「戊辰役東軍殉難者慰霊祭」…。
そうか、単なる「新選組ファン」ではなく、歴史的に研究してるんだ。
「そうです。新選組の本を何冊も書いてますよ」と隣の人は言う。そうなのか。
そうだ。昔は新人物往来社にいたという。そこからも新選組の本が随分と出ている。
じゃ、新選組のことを聞きたかった。教えてもらいたかった。
それにしても、このところ、新選組には随分と縁がある。
近藤勇は流山で捕まり、板橋に護送されてきて、そこで斬首される。
後に、永倉新八はここに近藤勇の墓を建てる。さらに土方歳三などの隊士の顕彰碑を建てる。
実は、「本の会」の2日後、板橋のその場所へ行ってきたのだ。そのことは、先週のHPにも書いた。
5月31日(日)に板橋に行って、近藤勇の墓にお参りしてきたのだ。
土方歳三も、永倉新八の墓もある。そうだよな、近藤は流山で捕まってここで斬首されたんだよな。と思った。
今度、「本の会」の大出さんに会ったら、その話をしてみよう。
5月31日(日)は、板橋で近藤、土方、永倉のお参りをして、喉が渇いたので、隣の喫茶店に入って、メニューを見たら、「いさみ あんみつ」というのがあるので、それを注文した。
近藤勇にかけたのだ。あるいは近藤は甘党だったんだろうか。
6月9日(火)に札幌時計台で、永倉新八のひ孫の杉村和紀さんと話をする。
だから、岡山にある永倉新八のお墓にも行ったし、板橋のお墓にも行った。
又、10年前に作られたTV「新選組・永倉新八の伝言」を再度、見直した。
ひ孫の杉村さんが作ったのだ。とてもいい番組だった。
黒鉄ヒロシ、立川談志、浅田次郎らも出て、永倉新八について語っている。出演者も豪華だ。
この板橋のお墓では近藤の命日には多くの人が来るという。杉村さんも来ている。
そして、この喫茶店に入って、そこから墓地を見ている。きっと、「いさみあんみつ」を食べたのだろう。
このTVは、10年前に作ったんで、談志もいる。元気な時だ。元気に喋っている。これは素晴らしい。
黒鉄、浅田も皆、同時代の友人のように永倉のことを話している。
「一緒に酒を飲みたかったな」と。
そうだよな、他の隊士なら怖くて飲めない。永倉だけは、飲めるような気がする。
永倉は、近藤、土方と別れ、流山にも、会津にも、函館にも行かなかった。
そして、77才まで生きた。大正まで生きたのだ。
「土方のように戦いの中で死んだら、もっともっと人気が出たのに」と杉村さんは言う。
でも、生き永らえて、新選組のことを詳細に書き残したおかげで、「新選組再評価」はあるし、新選組ブームもある。子母澤寛、司馬遼太郎が書き、NHK大河ドラマにもなった。
今の左右の運動だって、死んでいった人たちのことを書き残した人がいた。
それによって、残るのだ。三島事件も、よど号、連合赤軍、企業爆破事件…も。
だったら、人間には2つのタイプがいるのか。「決起する人」と「記録する人」が。
でも、こう書くと、ちょっと悲しい。
人は皆、若い時は、「決起する人」を目指す。
ところが、いろんな事情で、行き遅れ、同志たちに先を越される。
やらなくちゃ、やらなくちゃと思いながらも、出来ない。
そのうち、仕事も増え、家族も増え、責任も増えてくる。
1人だけの判断で、決起・暴走出来なくなる。
それで、昔の仲間たちの「記録」をまとめる。
そのことによって自分の〈青春〉を書きとめ、甦らせる。
書きとめる方は、何とも悲しいな。
永倉新八は、あえてその道を選んだ。
本当は、土方歳三のように、若いうちに、華々しく散りたかったのだろう。近藤、沖田のように死にたかった。
しかし、77才まで生きてしまった。明治まで生きただけでなく、大正まで生きたのだ。内心、忸怩たるものがあっただろう。
昔、早稲田で右翼学生運動をしていた頃、私たちは小説を読まなかった。小説家なんて軽蔑していた。(三島は別だったが)。
「小説家は、昔の活躍した人々のことを調べて書くだけだろう。下らない」と。
「でも、何十年か経ったら、俺たちが小説になるかもしれないな」と言う学生もいた。
「そうだよな、俺たちは“書かれる人間”になるんだよ」と言った。若者らしい、傲慢な思いだ。
でも、「決起の人」になる。それをあとで「書く人」にはなりたくない。…と思っていたのだ。
でも、書く人がいて、初めて「決起の人」は歴史に残るんだろうか…。と、「書く人」は反論するだろうが、当時は、そんなことは考えてもみなかった。
では、最後に三島の言葉だ。
寺山修司と対談した時だ。『潮』(昭和45年7月号)に載っている。「エロスは抵抗の拠点たり得るか」というタイトルだ。
自決の半年前だ。自分のやるのは、〈政治〉ではない。忠義だ。と言っている。
〈ぼくは吉田松陰の「汝は功業をなせ。我は忠義をなす」という言葉が好きなんだ。ぼくはいつも石原慎太郎なんか、精神がわかるわけがないと思っているんだけど、やつは功業しようと思って政治家になったんだろ。ぼくは忠義をするつもりだから政治家にはならないよ〉
もう、吉田松陰になっている。
石原なんか相手にしていない。政治家になんか何も期待していない。
政治家になろうと思ったら、三島はすぐになれた。自民党から随分と誘われた。出たらトップ当選だ。そしていつか防衛大臣になるかしれない。
そこで、自衛隊に決起を促し、クーデターをやる。ということだって出来たはずだ。
でも三島は〈政治〉に期待しない。「功業」をやるつもりはないのだ。
非「功業」、非「政治」の誠を貫こうとした。
最後の〈行為〉は失敗と見えても、でも、忠義・誠を貫き通した。
だから、何十年、何百年経っても人々の心を打つのだ。
一見、正反対のように見えようとも、この忠義・誠は同じだ。吉田松陰も、近藤勇・土方歳三・永倉新八も。
6月9日(火)、札幌時計台ホールでは、永倉新八のひ孫と、そんな話をしてみたい。
午後、雑誌の座談会。
6時半、連合会館。「福島みずほ全国応援団の集い」。
超満員でした。かろうじて座れました。後から来た人は皆、立って聞いてました。
圧倒的に元気で、そして楽しい集まりでした。
佐高さん、宇都宮さん、千夏さん、辛さん…と多くの人が激励してました。私も挨拶しました。
終わって、居酒屋で飲みました。
①6月3日(水)、午後6時半より、お茶の水の連合会館。「福島みずほ全国応援団の集い」。来年の参議院選に向け、福島みずほさんを激励しようという集まりです。もの凄い人でした。広い会場なのに満員。座れなくて、立ってる人も大勢いました。
〈2500ページを超える本書「書評大全」は、20世紀末から21世紀初めにかけての書評から見る文化史事典でもある。どんな本が私たちの前に現れ、どう読まれたのか。私たちはこの時代に何を思考し、何によって感情を揺さぶられたのか。知性、感情がほとばしるさまと、膨大な文字で編んだ約5000編の書評は、言葉の力を信じるすべての読者に向けた記念碑であり、本の著者、書評の筆者が思考した軌跡を描くフィールドでもある。読むことの冒険に挑む人たちに、「書評大全」という広大なフィールドを縦横に歩いてほしい〉
堂々たる闘争宣言だ。そうだ、「言葉の力」を信じ、読むことの冒険に挑む我々は、買うしかない。読むしかない。ここに書いてあるように、2500ページだ。勿論、値段も高い。16,500円だ。でも、それだけの価値はある。見やすいし、検索もしやすい。キーワード索引も出てる。
〈一編の書評は一冊の本から始まる。言葉のリレー!〉
〈空前の“書評から見る文化大事典”ついに刊行〉
掲載書名約5000点。評者は1600人。〈現在の本〉のすべてがここにある。さっそく私も買った。今、この知の広大な森を闊歩している。