「私はカミュは好きで随分と影響を受けています。全集も読破しました」と言った。
6月13日(土)、渋谷の〔シアター〕イメージ・フォーラムだ。今、映画「涙するまで、生きる」が上映されている。
重厚で、感動的な映画だ。原作は『異邦人』『反抗的人間』で知られるノーベル文学賞作家・アルベール・カミュの短編集『転落・追放と王国』の一編・『客』だ。日本でも累計40万部を超えるベストセラーだという。
「40万部」には驚いた。映画のパンフレットにも書かれているし、13日(土)にトークした「太秦」(うずまさ。映画配給会社)の小林三四郎さんも言っていた。
カミュが熱狂的に読まれた時代があったのだ。
「その時、日本人の知的・精神的レベルは今より何倍も高かったと思います」と私は言った。
小林さんは、この映画を上映する前、書店や古本屋をかなり回ったという。
しかし、カミュ、サルトル、ボーヴォワールは全くない。フランス文学がないんです。…と言う。
サルトルも読まれないのか。愕然とした。
「政治の貧困や行き詰まりを救うのは文学だ。それなのに…」と思いました。
大きな本屋に行ったら、カミュの本が、かろうじて数冊あった。『革命か反抗か=カミュ・サルトル論争』(新潮文庫)を買ってきて、今、再読している。
かつては同志であっサルトルと、革命の問題を巡って離反する。
行き過ぎがあろうと、暴力を使おうとも、でも革命を認め評価するサルトル。それに対し暴力革命を否定するカミュ。
我々が学生の頃は、圧倒的にサルトルが読まれていた。
革命を評価するのは当然だ。それを躊躇するのは学生じゃない。青年じゃない。と思われた。
「カミュは生ぬるいよな」「中途半端だよ」と批判する学生も多かった。
しかし、カミュの方が正しかったのだ。今、それが分かる。
『革命か反抗か』の表紙には、こう書かれている。
〈歴史を絶対視するマルクス主義を批判し、暴力革命を否定し、人間性を侵すすべてのものに“ノン”と言い続けることを説いたカミュ。彼の長編評論『反抗的人間』の発表をきっかけにして起きたサルトルとの激しい論争を全文収録。カミュ、サルトル二人の思想の相違点を知るとともに、現代における人間の尊厳、自由について考えさせる必読の書〉
確かにそうだ。現代に生きる全ての人々に読んでもらいたい本だ。特に、思想運動、市民運動をやっている人々には…。
私は、三島由紀夫、高橋和己は好きで随分と影響を受けている。『三島由紀夫と高橋和己=学ぶべきものはすべてこの二人に学んだ』という文をかつて「週刊金曜日」に書いたことがある。
これは今、『70年代=若者が「若者」だった時代』(金曜日)の中に収められている。実は、この三島と高橋、そして、カミュなのだ。
カミュについては、私が1970年代頃に出した本にはかなり書いている。
『時代の幽閉者たちに』『現代攘夷の思想』『証言・昭和維新運動』…などだ。
最後の本は今、『BEKIRAの淵』(皓星社)と題名を変えて復刊されている。
血盟団事件に参加して井上準之助(元蔵相)を射殺した小沼正氏に話を聞いた時だ。
昭和7年の3月の事件だ。
この1ヶ月後には、財界の重鎮・団琢磨が菱沼五郎(21才・血盟団)によって射殺された。
小沼正氏は決行時、22才。逮捕され、獄中生活を経て、雑誌経営をしていた。その時に会って話を聞いたのだ。
小沼、菱沼2人とも相手に近づき、ほとんど密着して撃っている。離れてはピストルは当たらないからだ。
その場で、警察に射殺されることを覚悟していた。
しかし襲ったのは警察よりも、近くにいた一般民衆だった。リンチされ、棒で殴られ、失神した。
その話を聞いて、思い出した。ロシア革命前夜のテロリストの話を。
ツアーや貴族を狙ったテロリストは、まず民衆にリンチされる。
テロリストは思わず叫ぶ。「馬鹿! 君たちのためにやったんだぞ!」と。
又、貴族を殺そうとして馬車を待ち構えている。
しかし、馬車の中に子供がいたのを見て、急遽、テロを中止する。
止めるのも危険だ。それでも止める。日本のテロリストと似ていると思った。
小沼氏と会った時も、カミュの話をした。
小沼氏は悩みに悩んだ挙げ句に決行する。
菱沼は、狙いに行く車が途中でパンクしてくれないかと祈ったという。
裁判で木島完之弁護人は言っている。「パンクすることすら祈ったと言うことは如何に菱沼君が、団を殺さずして革命を成就する方法もがなと肝胆を砕いた菱沼君の人間の優しさが出ています」と言っている。
殺人は勿論悪い。だが抑圧され、追いつめられ、他に手段がないと思いテロに走る若者たち。
又、そう思わせる時代があったことも事実だ。
その時も、これだけ迷い、悩んだのだ。
カミュはロシアのそんなテロリストを『正義の人びと』『心優しき殺人者たち』と呼んでいる。
カミュのことは『腹腹時計と〈狼〉』でも書いた。
私は昔、若い頃は、戦前の右翼テロリストに憧れ、「テロの有効性」を信じていた。テロやクーデターは必要だと思っていた。
しかし、その後、変わった。そしてテロリストにはならなかった。
それは、カミュを読んでいたからかもしれない。と、今になって思う。
小沼正、カミュについて書いた『BEKIRAの淵』を6月13日(土)、イメージ・フォーラムでトークした時、小林さんにあげた。
私の好きな、カミュが、こうして映画で甦る。本当に嬉しい。
「ありがとうございます」とお礼を言いました。
そうだ。ここ、イメージ・フォーラムは、3年前、私がネトウヨたちに襲われ、殴られた所だ。
「あっ、映画『コーヴ』の時でしたね」と小林さん。
そうだ。日本のイルカ漁を批判した映画「コーヴ」が上映され、それに反対する人々が押しかけ、映画は上映中止か。と思われた。
私は単身、乗り込んで、対決した。「妨害はやめろ!」と言った。
「これは反日映画だ!」「許せない!」と言うなら、かえって人々に見せたらいい。
そうしたら皆、君たちの主張に賛同するだろう。大いに見せるべきだ。見せないで、「俺たちだけが見て、“反日”と判断した」というのはおかしい。と言った。
又、ここでマイクを使って演説出来るのなら、私にも喋らせろ。ここで公開討論をやろう! と要求した。
ところが、彼らは聞く耳を持たない。「ウルセー、反日め!」「北朝鮮に帰れ!」と言う。
そして、ハンドマイクで思い切り、殴られた。
血がタラタラと流れた。
傍にいた男が、「血が出てますよ」と言ってティッシュをくれた。「どうも、ありがとう」と礼を言った。
しかし、何と、そいつは公安だった。
暴力行為を現認しながら、何もしない。
でも、訴える気はしない。
その時、私は殴りかかろうと思ったが、そうしたら、私だけが逮捕されるだろう。そう思ってやめた。相手は警察と一体となってやっているのだし。
だから、こっちは殴られっ放しの、泣き寝入りだ。
「だらしがねえ」「それでも男か」と批判する人もいた。
しかし、耐えた。あの時だって、多分、カミュを読んでいたから耐えられたんだろう。と思った。
ちょっと、話は外れる。
1970年3月、「よど号」ハイジャックがあった時だ。
聖路加病院の日野原重明さんが偶然乗っていて、人質になった。
犯人たちは、「読みたい人がいたら」と本を配った。マルクス主義、赤軍派の主張などだ。
その中に、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』があった。日野原さんはそれを借りた。
そして、犯人に聞いた。
「君たちはこれを読んだの」
「当然ですよ」。
日野原さんは呟いた。「そうかな。ちゃんと読んでたら、こんなことをするはずがない」と。犯人には聞こえなかったようだ。
これは、数年前に日野原さんと会った時に聞いたのだ。
そうか、政治の暴走を止めるのは文学かもしれないと思った。
連合赤軍の人々だって、カミュを読んでたら、あんなことはやらなかった。オウムの人々も…。
と思ったが、どうだろうか。連赤の植垣さんや、教祖の三女・アーチャリーに会った時に聞いてみよう。
『革命か反抗か』(新潮文庫)の訳をした佐藤朔が最後に「あとがき」で、こんなことを書いていた。カミュには、「絶対者の否定」と「人間の生命の尊重」という観念が根底にあると。
絶対者を否定した思想家は多いが、それに代わるイデオロギー的な「絶対者」を作り上げた。
カミュは、それも否定する。カミュはこう思ったのだ。
〈マルキシストはイデオロギーを絶対視して、唯物史観をまもって、歴史に奉仕していると見なしている。その結果、彼らは革命的手段を用いて恐怖政治を行い、地上に神の王国を建設しようと目ざし、そこに彼らのいう歴史の目的をおいている。そしてこの目的の達成のためにはどんな犠牲もいとわず、革命によるニヒリズムと恐怖政治を正当化する、といって非難する。これはイデオロギーの神格化であり、歴史主義の絶対性に服従することだからである。そして、カミュは歴史を否定するのではなくて、予言的な歴史主義への隷属を非難するのだ、と繰返し説いている〉
右翼や左翼といった政治党派だけではない。
今や、国家そのものが、「この道しかない」「戦争も辞さずに」…と、大声を上げている。
憲法を改正し、自衛隊を国軍にして、海外に出し、「殺し、殺される」普通の軍隊にして、それによって、「普通の国」になろうとしている。カミュを読んでほしいと思う。
佐藤朔の「あとがき」を続ける。
〈カミュが革命的手段による恐怖政治を非難するのは、「反抗は原則的に死に反対する」(反抗的人間)という根本的な態度からきている。かれはいつも自殺、殺人、死刑などという人間を人為的に死にいたらしめるものを原則的に反対するので、戦争、内乱、革命のために、人間が多量に生命を失うことに、当然反対する。だから明日の人類や国家の幸福と平和のために今日、何万、何十万の人たちの死の犠牲もやむをえないとする全体主義的思想に組することはできない。この点では、コミュニズムでもファシズムでも同じであると考えている〉
「革命」と「反抗」とは全然違うという。
カミュの全集は、もう出ていないだろう。
しかし、文庫はまだ手に入る。『異邦人』『シーシュポスの神話』『ペスト』などは有名だ。
又、私が好きな『反抗的人間』『正義の人々』『心優しき殺人者たち』も、出ているはずだ。
又、アマゾンかネットの古本屋だと、カミュの「全集」も買えるだろう。ぜひ買ってみたらいい。
こんな本があったのかと思う。驚くべき変化が起こる。人間が変わる。
佐藤朔の「あとがき」はこんな文章で終わっている。
〈カミュは反抗的態度を、革命的手段よりも人間の尺度にあった方法であると思い、革命によって一挙に征服をなしとげるのではなく、反抗をたえ間なく繰返すことによって徐々に勝利を求めようとする。革命の「颱風(ぐふう)の有効性」によるか、反抗の「樹液の有効性」をとるか。それはそれぞれの立場によって異なるというより、しかたがあるまい〉
この『革命か反抗か』は、昭和44年11月30日発行だ。三島事件の1年前だ。そして、平成27年3月30日、37刷が出ていた。
まだまだ、カミュを読んでる人がいるじゃないか。と、ホッとした。
では最後に、この映画のことだ。
カミュ原作の「涙するまで、生きる」だが、1954年、フランスからの独立運動が高まるアルジェリアが舞台だ。
元軍人の教師・ダリュのもとに、殺人の容疑をかけられたアラブ人のモハメドが連行されてくる。
裁判にかけるため、山を越えた町にモハメドを送り届けるよう憲兵に命じられ、ダリュはやむを得ずモハメドを連れて町に向かう。
復讐のためモハメドの命を狙う者たちの襲撃、反乱軍(ゲリラ)とフランス軍の争いに巻き込まれ、共に危険を乗り越える間に、2人の間には友情が芽生え始めるが…。
大きな戦争の中に起きた小さな戦争だが、もっと憎しみが募る。
〈その戦いに正義という答えはあるのか…人生観を揺さぶる感動の物語〉
と書かれている。この原作はカミュの出生と、その後の事件にも根差している。
フランス人入植者の父を持ち、アルジェリアで生まれ育ったカミュは、フランスとアルジェリアに停戦を呼びかけるが、裏切り者と罵られ、以来、口を閉ざしてしまった。
その直後に発表された作品だ。内田樹さんは、そのことを踏まえて、こんな映画評を書いていた。
〈カミュ最大の悲劇は、自分が生まれた土地から「異邦人」として追放された経験である。生まれ故郷が異郷である人間の底なしの孤独。にもかかわらずその土地に「根」を下すことへの一筋の希望。この映画はその孤独と希望のせめぎ合いをみごとに映像化しているのだ〉
極限状況に落とし込まれた時、人間はどう行動するのか。ナショナリズム、闘争、虐殺、友情…と。
名越康文氏(精神科医)は言う。
〈銃弾の矢面に立たされた時、人間の何が変わり、何が変わらないのか。この映画でしか表せない戦争の本質だ〉
あとは、実際に映画館で見てもらうしかない。そして、カミュの世界を全身で感じてほしい。
さらに、『異邦人』『シーシュポスの神話』『反抗的人間』『革命か反抗か』『正義の人々』『心優しき殺人者たち』を読んでほしい。
古い本ではない。まさしく、「今」の問題を扱っている。
そして、今、どうしたらいいか、考えさせ、答えを与えてくれるだろう。
それから、阿佐ヶ谷に行く。才谷遼さん製作・監督の「セシウムと少女」を見る。これは文句なしに素晴らしい作品だ。思い切った映像の冒険もあり、楽しめる。
3時、「現代文要約」。
5時、「読書ゼミ」。今週は、この本を読む。高橋源一郎さんの『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)。
今、評判になってるし、売れてるので読んでみました。特に若い人たち向けに書いたのでしょう。なかなか、いい本でした。来年からは18才投票権があるというし、タイムリーな本だと思いました。
6時、船戸与一さんを偲ぶ会。神保町で。船戸さんとはよく会ってたし、対談集にも出ています。天皇論を出すので対談をしようと言われてたのですが、実現出来ませんでした。
①6月13日(土)。渋谷の映画館「イメージ・フォーラム」で、カミュにつて語りました。今、アルベール・カミュ原作の映画「涙するまで、生きる」が上映されてます。重厚で、とてもいい映画です。
私は学生時代からカミュは好きで、全集も読破しました。この映画を配給した「太秦」の小林三四郎さんと、対談しました。第1回目の上映が終わったあとに、午後2時20から。
この映画の監督は、ダヴィド・オールホッフェン。主演は、ヴィゴ・モーテンセン。カミュの『転落・追放と王国』(新潮文庫)所収の「客」が原作になってます。
④カミュの代表作といえば、これでしょう。『異邦人』(新潮文庫)てす。
主人公ムルソーは、人を殺し、動機について「太陽のせい」と答える。判決は死刑だが、自分は幸福であると確信し、処刑の日に大勢の見物人が憎悪の叫びをあげて迎えてくれることだけを望む。不条理、そして、〈現代〉を予知しているようでもある。
昭和29年9月30日、「新潮文庫」で発刊。平成26年6月5日。128刷。凄いですね。百二十八刷です。
⑤『革命か反抗か=カミュ・サルトル論争』(新潮文庫)。平成20年3月29日に39刷です。これは学生時代、左右を問わず、皆、読んでました。サルトルやカミュも読まない学生は「学生じゃない!」と思われてました。「カミュを読んだことのない人間は人間じゃない。そんな人とは話さない」と言ってた人もいました。私だったかな。
⑥トークが終わって、外に出たところです。小林さんと。この「イメージ・フォーラム」は3年前、「ザ・コーヴ」が上映され、大騒乱になった劇場です。私は、ネトウヨに取り囲まれて、ハンドマイクで殴られ、血だらけになりました。
6月11日(木)、文京シビックで行われた集会「ヘイトスピーチとナショナリズム」では、その時の映像が流されてました。だから、「イメージ・フォーラム」というと、条件反射で、「イルカ。殴られた。流血」と思い出します。そんなイメージです。さて、これからは、まず、カミュを思い出すでしょう。
イメージを変えます。
⑩「父母を連れて、一家3人で聞きに来ました」という人もいて、感激しました。6月9日の札幌では、新選組のひ孫と対談しましたが、奥さん、奥さんのお父さんも来てました。嬉しいですね。昔、過激な運動をした頃は、皆、「家には内緒で来てます」「友達に知られたら恥ずかしい」と言ってましたが、今は、違います。ご家族一緒に来れるんですね。 時代が変わりました。
⑪これがポスターです。立派です。「九条の会さいたま」の結成10周年記念なんですね。「九条の会」は、全国にあります。いろんな分野ごとに、教職員や宗教者、ライターなども。以前、「念仏者九条の会」に呼ばれました。仏教者の会です。
私も、「右翼人九条の会」を作ろうかな。これじゃ、どっちからも攻撃されるな。「自衛官九条の会」とか、「公安警察九条の会」なんてないのかな。作ったら面白いのに。
⑬6月13日(土)。「渋谷イメージ・フォーラム」のトークが終わってから、早稲田奉仕園に行きました。東アジア反日武装戦線〈狼〉についての集会です。
この前もテレビドキュメントをやってましたね。私は、1975年に、『腹腹時計と〈狼〉』(三一新書)を出したし、ずっと関心を持ってきました。この日の集会は超満員でした。
「東アジア反日武装戦線と私たちの来た道、行く道」「第5回、〈狼〉の誕生」。5年連続で行われ、今年は第3回です。
⑳「ひとりひとりの戦場」を見て、そのあと阿佐ヶ谷に行き、「セシウムと少女」を見ました。才谷遼さんが監督しました。面白かったです。凄い作品だと思いました。今までになかった映像体験でした。それで、監督にメモを渡してくれるように頼みました。