週末は、いろんなイベントや集会、勉強会などが集中している。地方に出かけることも多い。
そこで考え、勉強する。新幹線や電車の中で本を読む。「本を読み、人と会う」。
これが未知との出会いであり、自分をつくることだ。吉田松陰はそう言っていた。
この2つが「新しい発見」になり、「古い自分」を破壊してくれるのだ。
6月27日(土)は、横浜の石川町に行った。かながわ労働プラザだ。「九条を守る神奈川県高校教職員の会」で講演した。
憲法と集団的自衛権について話し、高校の先生たちと考えた。
この2週間前の6月12日(金)は浦和だったな。「九条の会さいたま」で憲法の話をした。
「九条の会」「九条連」…など、憲法擁護の団体ばかりだ。私が行くのは。改憲派の人からは全く呼ばれない。
6月28日(日)は、午後7時から、ネイキッドロフトに行った。武田砂鉄さんのトークだ。私もゲストとして出た。
武田さんは大手出版社の編集者だった。私もお世話になった。
何冊か本を出してもらった。とても優秀な編集者だった。
ところが、思うところがあって、会社を辞め、フリーに。
フリーの編集者になるのかと思ったら、いきなり作家になった。いきなり本を出した。
その出版記念のトークライブだった。『紋切型社会=言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)がその本だ。
面白かったし、実に衝撃的な本だ。新聞や週刊誌でも随分と取り上げられている。
今の出版界だけでなく、政治や我々の日常の生活、表現についても鋭く言及している。
作家はすぐに編集者にはなれない。しかし、優秀な編集者はすぐに作家になれるんだ。そう思った。妬ましいと思った。
ともかく、「古い自分」を打ち破り、勉強しなくちゃーと思った週末だった。
では、その前の週末だ。6月19日(金)。夜6時半。作家の船戸与一さんを偲ぶ会。
船戸さんは冒険小説を書き、「ゴルゴ13」の脚本も書いている。
長大・壮大な『満州国演義』を書き上げ、次は〈天皇論〉を書こうとした。
「そのために、初めに鈴木さんと対談しよう」と言われていた。私なんかでいいんですかね、と思いながら、承知した。
「退院したらすぐにやろう」と言ってたが、出来なかった。
この偲ぶ会では、映画監督の崔洋一さん、作家の森詠さんなどに会った。
次の日、6月20日(土)は忙しかった。
午後2時から早稲田大学で、イルカ問題についてのシンポジウムに出た。私もパネラーとして発言した。
「マスコミが報道しなかったイルカ問題の真実」。和歌山県太地町のイルカの「追い込み漁」は「残酷だ」と世界中から批判されていた。
最近、世界の動物園・水族館が加盟するWAZAが、声明を発表した。
「これは残酷である。世界の水族館はここで捕れたイルカを買わないように」と。
日本の動物園・水族館が加盟するJAZAは、これに反撥。「WAZAを脱退しよう!」という声もあったが、結局は、残った。
そして、太地町のイルカは買わないと決定した。そ
の大騒動を受けて、これからのイルカ問題。イルカと人間はどうあるべきかを考えるシンポジウムだ。
私は、心ならずもイルカ問題に巻き込まれた。
映画「ザ・コーヴ」をめぐって「これは反日映画だ! 上映するな!」と叫ぶ人々と闘い、殴られた。
又、イルカ・ウォッチに行き、さらに、ダイビングの特訓を受けて、海でイルカと共に泳ぐミッションにも参加した。
ロクに泳げないのに、命がけで飛び込み、イルカと泳いだ。あの時の体験は強烈だった。
このシンポジウムを途中で退席し、新宿2丁目に行った。
男と男が抱き合う大きな看板があった。「エイズの定期検診を受けましょう」と書かれている。
そういえば、男と男が手をつないで歩いている。抱き合っている。そんな街の一角にある店だった。
「Ryu’s Bar道楽亭」という店だ。Barなのに、寄席っぽい名前だ。
実は、そうなのだ。落語を主にして、いろんなトークをやるBarなのだ。そこで定期的に、快楽亭ブラックさんの毒演会をやっている。「快楽亭ブラックin道楽亭」だ。
この日は、私が呼ばれたのだ。午後5時半開場。6時、開演。
その日のポスターには、こう書かれている。
〈快楽亭ブラック毒演会in道楽亭。
特別企画。鈴木邦男氏と時事放談〉。
さらに、こう説明されている。
〈6月の道楽亭でのブラック師の会は毒演会。前座はブラ坊さん。師匠は落語二席。合間に一水会顧問の鈴木邦男氏とこってり大人向けのトークライブ。内容については口外無用。書き込み禁止。それをお約束いただける方のみご来場ください〉
なんか秘密の会合のようだ。「地下落語」かな。
でも、新宿2丁目の真ん中。Barだが、超満員。凄い。
そこで、ブラ坊さんの前座。
次にブラックさんのこってりと濃い、妖艶な落語が二席。
それから2人のトーク。
寄席の舞台をどかして、イスで向かい合う。
助かった。柔道で傷めた膝が痛くて正座出来ない。どうしようと思ってたので…。
ブラックさんとは随分昔からの知り合いだ。竹中労さんの紹介じゃないのかな。
「いや、その時は、私を見かけただけでしょう。ちゃんと話したのは、ゴールデン街です」と詳しく話す。全く、覚えてない。あの時は名前が違っていた。立川平成さんかな。立川レフチェンコだったかな。名前がよく変わっていく。
スマホで検索しよう。こう出ていた。
〈立川談志の命により、2代目快楽亭ブラックを襲名するまで、16回の改名をしたことでも知られている。しかし、借金が元で落語立川流Aコースを自主退会(破門はまぬがれている)。離婚(3回)を経験しており、娘と息子がいる〉
そうか。息子さんは昔よく会っていた。打ち上げの時も連れてきていた。
まだ小学校に入る前だった。大人とばかり遊んでるから、子供の友達がいない。
時々、外で子供を見ると、「あれっ、おかしいね。子供がいるよ」。
「お前だって子供のくせに」と談之助さんに言われてた。
その子はどうしてんだろう。
そしたら、お客さんが教えてくれた。早大の政経に入ったという。じゃ、もの凄く頭がいいんだ。凄いね。
でも離婚した元妻のとこにいるようだ。娘さんもそうなのか。
テレビに出て、タレント活動をしてると言ってたが、落語仲間がテレビを見てる時、娘さんが出た。
「おっ、かわいいじゃねえか」「でも、もう少し胸があったらいいのに」と無責任なことを言う。
「仕方ねーだろう。ずっとチチなし子だったんだから…」。
そうだ。三島由紀夫の映画が大森であって、見に行った時だ。
バッタリ、ブラックさんと会った。
何人かいて、足のきれいな女性がいた。
「うわー、きれいな足ですね」
「じゃ、1本あげましょうか」(自分のものでもないのに無責任に言うんですな、こいつは)。
ブラックさん、「そんな、スルメじゃないんだから」。と、落語みたいな話をしてましたっけ。落語家と。
でもこの日は、「こってり大人の時事放談」だ。
だから憲法改正と集団的自衛権の話をしました。
そうだ。トークの前の寄席で、「差別」の話をしてたな。
これは本に出るからいいだろう。小林健治さんの『部落解放同盟「糾弾」史=メディアと差別表現=』(ちくま新書)だ。
「ここに私が出てるんです。糾弾されました」と言って。「あっ、あの本だ!」と思いましたね。
つい最近、著者の小林さんにもらったばかりだ。
そうだ。「創」主催のシンポジウム「ヘイトスピーチとナショナリズム」の打ち上げの時だ。
途中までしか読んでないが、ブラックさんのことも出てたのか。
これはこの世界では有名な話だ。差別落語をやったんですね。濃い、仲間内の集まりで。
ところが、それをテープに録ってた人がいた。
そして、解放同盟に流したらしい。凄いことをする人だ。
この本の12ページに出ています、と言って朗読する。
〈被差別者を笑うのは芸ではない—1989年「“超”放送禁止落語会」〉
という見出しだ。これに出たのは、立川平成、立川談之助、立川志らく…の計6名。このトップに出ている「立川平成」が今のブラックさんだ。
小林さんは、こう書いている。
〈落語家の名前を見てもわかるように、落語協会を脱退(1983年)した。立川談志一門に属している噺家が多い。立川談志師匠の型破りの行動を芸の観点から継承するのではなく、社会的弱者・マイノリティなど、被差別者を笑いのネタにし、差別意識を扇動することによって、醜悪な笑いを誘い出すという、芸とはおよそ程遠い内容で、言語道断の許し難い差別発言のオンパレードであり、入場者70名とはいえ、超満員の観客の差別意識をくすぐり大爆笑を生み出すなど、ファッショ的な暴挙といっても過言ではない〉
そして責任者の談之助氏と会い、抗議を行った。
翌日、談之助氏より、9月21日の「会」の中止、今回出演した演者全員に、同盟の抗議の内容を伝え、全員が同盟の要請に応えるとの連絡があったという。
話し合いの中で、談之助氏たちは、少々抵抗したらしいが、それは空しかったようだ。
〈演者らが、「主旨は反権力であり、権力に屈服したマスコミ媒体を批判することを意図している」といくら詭弁(きべん)を弄しようとも、絶対に許されるものではない。こうした事件に対応する場合、内容が部落差別にとどまらず、韓国・朝鮮人差別、障害者差別、女性差別、人種差別など、ありとあらゆる差別を含んでおり、関係者各団体に連絡を取り、共同して、糾弾闘争を取り組む必要がある〉
これは小林さんの方が正論だ。両者とも知ってるだけに、平和的に解決してよかったと思う。
もっともっと殺気立った大人数での「糾弾」があったのかと勝手に思っていたからだ。そういう我々の無知を正してくれる本だ。
その点で、今までで一番、分かりやすいし、読みやすい本だと思う。
「大衆団体の意義と社会運動」「糾弾とは何か」「無知によって再生産される差別、「『つい、うっかり』に潜む差別」「想像力の貧困」「新時代の差別事件」…などの章があり、とても勉強になった。
又、大学の偉い先生方でも、「つい、うっかり」や「見逃す」ことがあるんだと思った。「想像力の貧困」なのかもしれない。
1982年、「世界の名著59。マリノフスキー」『西太平洋の遠洋航海者』(中央公論社)の中にもあったという。訳語に関わる差別問題で。私も「世界の名著」は全巻読破したが、あったような気がした。
又、司馬遼太郎『竜馬がゆく』の中でもあったという。
又、『人類の知的遺産・トインビー編』(講談社)にもあった。
さらに、筒井康隆氏の断筆宣言への経過など、一連の事件を思い出した。
「言論の自由と差別」をめぐる問題として、これは皆が読み、考えるべきことだと思った。
〈反差別運動の再生へ。怒りの抗議、「糾弾」の意義を問いなおす〉
と、本の帯には書かれている。ヘイトスピーチ、レイシズムが大手を振って歩いている現在、噛みしめるべき言葉だと思った。
小林健治さん、それに快楽亭ブラックさんとは、又、会った時、いろいろと聞いてみたい。
又、道楽亭では毎日のように寄席をやっている。又、聞きに行ってみたい。
この日も、ご夫婦で来ていた。凄い寛容なご夫婦だ。普通ならストーカーが来たら、追い返す。あるいは警察を呼ぶ。「どうして家に入れたの?」「可愛かったから」「なおさら追い返しますよ。奥さんなら」。
まあ、そんな出会いから始まって今では、家族同士のお付き合い。凄いですね。三味線の講座も勉強になりました。素晴らしかったです。「グレートジャーニー」と「グレートストーカー」でした。
⑯6月20日(土)午後2時から、早稲田大学で、〈緊急報告「マスコミが報道しなかったイルカ問題の真実=追い込み漁と日本動物園水族館協会の決断」〉。第2部のシンポジウムに私も出ました。右は「海・イルカ・人」の板野正人さん。これが終わってから、新宿に行き、快楽亭ブラックさんと対談したのです。
⑳6月19日(金)船戸与一さん(作家)を偲ぶ会で。映画監督の崔洋一さんと。久しぶりでした。「僕のこと忘れてたでしょう。さっき手振ったけど、気が付かなかったよ」。「すみません。目が悪くて見えなかったんですよ」と謝りました。
㉖右が塚原さん。その隣りが、「グレートジャーニー」の関野さん。左は、パキスタン料理店のオーナーです。家高さんは関野さんの熱烈なファン。早い話がストーカー。グァテマラまで追って行ったそうです。そのあと、チベットで偶然、再会。日本に帰ってきて家まで押しかけたそうです。でも、そんなストーカーの家高さんの主催する会に関野さん夫妻が来るんです。偉いです。