高校の先生方を前にして講演をした。いいのかな、偉そうに。
高校時代は(今も)劣等生だった私が、こんなことをして。…と恥じ入りながら話しましたよ。
6月27日(土)午後5時半からだ。石川町にある「かながわ労働プラザ」4階だ。
案内状には、「4階5・6・7会議室」と書かれている。
不思議だ。この3つの会議室のどれかでやる。だから探してくれ。ということかと思った。変わった案内状だ。
でも違うのだ。会場に来て分かった。5・6・7の三つの会議室をぶち抜いて、会場を作っているのだ。だから、やたらと広い。
そこに、大勢の人たちが詰めかけている。現役の高校教師が中心だ。中には退職した人もいる。20代の青年もいる。平成生まれだという。さらに、お母さんに連れられた赤ん坊もいる。
2才から85才まで、年齢も幅広い。
この日の講演会は「九条を守る神奈川高校教職員の会」が主催。
〈鈴木邦男さん講演会。夏の学習会〉
そして講演のテーマが、
〈右翼の立場から安倍政権を考える〉
と出ている。これも、ちょっと恥ずかしい。
だって、「お前なんかもう右翼じゃない!」「右翼を名乗るな!」と右翼の人たちから言われている。
だから、「右翼の立場から」じゃないな。長い間、「右翼運動をやってきた立場」から、個人として考えるんだ。そう断って話を始めた。
それに、案内状を見ると、「右翼の立場から…」の前に大きく、「九条を守る」と書かれている。
あれっ、今日のテーマは「九条を守る」だったのか。九条の理念は大切だし、それでもいいか。と思っていたら、どうも、これは主催者の名前のようだ。
「九条を守る神奈川高校教職員の会」と大きく書いてるのだ。その前半、「九条を守る」だけをさらに大きく書いてるので、あたかもこれが講演テーマのように思える。
それでもいいか。九条の理念は大切なんだし、と思って話し始めた。
私は学生時代から右翼学生運動をやってきた。
闘いのメインテーマは「憲法改正」だった。これを改正しない限り、日本の再生・自立はないと思った。「諸悪の根元・日本国憲法」と言っていた。
占領中にアメリカによって押し付けられた憲法だ。占領軍は「日本弱体化」のために、1週間でこの憲法を作り、日本に押し付けた。
特に、24条なんかは22才の女性が作った。女子大生のレポートじゃあるまいし、日本をなめている。そう思った。
「諸悪の根元」ということは、あらゆる悪がこの憲法から生まれてる。ということだ。
9条のせいで自衛の軍備も持てない。歴史・伝統も否定された。家族制度も破壊された。だから、子供の犯罪も増えた。大人の権威もなくなったし、教育崩壊も起きている。外交も経済も、うまくいかない。
そうだ。全ての原因は憲法だ。日本を弱体化し、日本人を骨抜きにするために占領軍によって作られ、押し付けられたのが憲法だ。
日本の全ての悪は、ここから発する。これさえ打倒し、改めたら日本は良い国になる。素晴らしい国になる。そう思って、闘ったのだ。
「諸悪の根元・日本国憲法」という言い方は、論理ではない。スローガンだ。デモのプラカードだ。それを大きな「政治スローガン」にしていたのだ。
でも何十年後かに考えたが、〈これは行き過ぎだよな〉と。
「諸悪の根元」というのならば、もし憲法が改正されたら、「諸悪」はなくなり、全てうまくゆくことになる。
家庭崩壊はなくなり、離婚はなくなり、犯罪もなくなる。人のものを盗ったり、人を殺す人もいなくなる。そう言ってきた。
でも、冷静に考えたら分かるが、これはオーバーだし、言い過ぎだ。こんなはずはない。
憲法改正したら、一億の国民の心が瞬時に変わり、皆、「善人」になってしまう。そんなことはない。
そうか。運動のスローガンとはいえ、随分といい加減なことを言ってきたもんだ。と思った。
改憲したって何も変わらないかもしれない。でももう一度、この憲法を見直してみよう。
それで、「改めることはない」と皆が言ったら、それはもう、立派な日本国憲法だ。いや、「ここは直した方がいい」「ここはこうしよう」という点があったら直したらいい。じっくりと時間をかけて、やったらいい。
ところが今は、混乱に乗じて、勢いに乗って一気に変えようとしている。これは危ないと思う。その危なさを感じたから、慶應の小林節先生も言っているのだ。
又、改正するならば、少なくとも今の憲法よりも、もっと民主的で、もっと進歩的なものにすべきだ。
何なら民間の試案を出してもらってもいい。今の憲法を作る時、どうしても「占領軍の押し付け」だけが強調される。
それはあったが、他に、日本人の民間の試案もあった。占領軍はそれを参考にしたという話もある。
又、確かに、占領中の「押し付け」は酷い話だが、だったら、それを超える内容の改憲をしなくてはならない。でなかったら、改憲する必要はない。
ところが、自衛隊を軍隊にする。強力な軍隊を持つ。さらに軍隊が動きやすいようにする。そのため国民の表現、集会…の自由が制限されていったら大変だ。
そしてアメリカと一緒に戦争に行く。
これだったら、「アメリカの傭兵」になってしまう。
24条を書いたベアテさんとは何度も会ったし、ニューヨークでも討論をした。
ベアテさんは子供時代、日本にいた。だから、貧しい日本の女性、その生活をよく見ている。
だから、「世界一民主的な条項を作ろう」と思った。
私はベアテさんから、憲法を作った人々の「苦労」を聞いた。
又、アメリカでも出来なかった民主的な条項を作ろうとした。
又、こうも思ったという。第二次世界大戦は最後の戦争だ。これからは大戦はない。だからまず日本が軍隊を放棄し、世界の先駆けとなり、モデルケースになる。
(善意に解釈すれば)そういう夢と希望を持っていた。しかし、いくら夢や理想や希望を持っていたとしても、占領中に日本に押し付けたことには「疚しさ」を感じなかったのだろうか。
ベアテさんに遠慮がちに聞いたことがある。どうも感じなかったようだ。それだけ自分たちの「改憲案」には自信を持っていたのだろう。
だったら、それだけの夢や情熱を持って作った憲法を改めるというのなら、それ以上の夢や愛や情熱を持ってやらなければならない。
ところが、「押し付けだからダメだ」「日本を取り戻す」という掛け声だけで「元に戻す」という。それだけではダメだろう。そう思う。〈強い日本〉を作ろうとして、軍事力を強大にしたら、国民の権利や自由、人権は抑圧される。
だから、何回も言ってるが、「自由のない自主憲法よりは、自由のある押し付け憲法」の方がいい。国民のために憲法があるのだ。憲法のために国民があるのではない。
ベアテさんは、とても純粋な人だった。日本人のために、よかれと思って憲法を作ったのだと信じて疑わない。
特に自らが作った24条は、その確信を持っている。
私も、この条文は素晴らしいと思っている。たとえ、改憲したとしても残すべき条項だと思う。
当時、女性の権利を認め、アメリでも、カでも出来なかった民主的な条項を作った。「日本の人たちも大いに喜んで受け入れたと聞いてます」と言う。
確かにそういう人もいただろう。ベアテさんの印象、思いは、もっと大きい。
「日本人が24条を評価し、喜んだと聞いてます。その証拠に、“24条をたたえる歌”まで出来て、全国で歌われたんでしょう」と言う。
エッ?と思った。そんなことは知らない。
でも、ベアテさんは自信を持って言う。日本における「歴史的事実」のように言う。
しかし、その歌が分からない。護憲派の人たちに随分、聞いたけど、分からない。だから、「鈴木さん、探して下さい」と言う。
改憲派の私に頼むのか!と思ったけど、必死に探した。何十人、何百人と聞いた。図書館で調べた。
そして、やっと分かって、ベアテさんに渡した。
ここで話は現在に戻り、6月27日(土)の「九条を守る教職員の会」だ。
「今日は皆様に、この歴史的な歌を聞いてもらいます!」と言った。会場がざわめいた。えっ、そんな歌があったのか、と。
「ちなみに、24条の歌があると知ってた人は?」と言うと一人もいない。他の護憲派の集会で聞いてもいなかった。
じゃ、日本で私だけか。知ってるのは。
それで、会場の設備を借りて、私のもってきたCDをかけた。守屋浩の「憲法24条知ってるかい?」という歌だ。かなりコミックだが、24条の精神をよく表している。
もう40年以上も前の歌だ。まだ子供の結婚に親が反対することがあった。見合いも多い。好きになった男女が、結婚しようとしたら、親が反対する。
そんな古い父親や母親に意見をする。「婚姻は、両性の合意のみに基づいて…」という条文を見せて、親の承諾なしに出来る。「お父さんたら、知らないの? 憲法24条を!」という歌だ。古い父母に意見をし、教え諭すのだ。
よく聞くと、なかなかいい歌だ。でも、こんなに大勢人が集まってるのに、誰一人知らない。どこの会場でもそうだった。
じゃ、まったく、流行らなかった歌なのだろうか。不思議だ。
「押し付け憲法だ」と言われていたから、マスコミも自粛して流さなかったのか。謎だ。これは、「九条の会」のテーマソングにしてもいいだろう、と私は言いました。
この日の私の講演では、この歌が一番受けた。
それと質疑応答で感心したことがある。
「私は自分のことを左翼だと思ってます。右翼の鈴木さんから見て、左翼の運動の悪い点、ここがダメだという点があったら教えて下さい」と言う。随分と謙虚な人だ。普通、こんな質問は出ない。「自分たちの欠点を教えて下さい」なんて言う人はいない。
だって、ここにいる皆を批判してくれ、ということだ。主催者に喧嘩を売っているようなものだ。
こんなビックリする質問が出ること自体、この集まりが、オープンで寛容だということだ。
だから私も真剣に答えました。左だけでなく、右の人々も、又、宗教をやってる人、市民運動をやってる人にもいえることだが、と断って答えた。
「自分たちは正義だ」と思い、人々が集まる。それは悪いことではない。
それを多くの人々に知ってもらおうと運動をする。その時に、どうしても「焦り」が生まれる。
もっと強硬な手段をとったらいいのではないか。もっと、手っ取り早いやり方をした方がいいのではないか、と。「非合法手段への誘惑」だ。これは、絶対に拒否しなくてはダメだ。
さらに、「正義」だと思う人々が集まると、内部で「冷静な眼」がなくなる時がある。それは気を付けないといけない。
常に「第三者の眼」「客観的な眼」を持っておく。それが必要だ。
同じ考えの人たちといると、楽しい。「そうだ、そうだ!」「敵はやっつけろ!」と言う。自分が大きくなった気がする。
でも、「同じ考え」の中では、より強硬な意見の方が主力を占める。リードする。
そして、「客観的な眼」がなくなる。暴走する。これは一番気を付けなくてはならない。
私は、自分の失敗の中からそれを学んだ。又、高橋和巳やカミュを読み、考える中から得られたことも多い。
さらには、考えの違う多くの人々と話し合って考え、教えられてきたことだ。そんなことを話した。自由で開かれた会だったので話せたのだ。とても楽しく話が出来た。ありがとうございました。
⑩講道館で稽古をしている福田君(学生)も来てくれました。「鈴木さんのブログを見て来ました」と言ってました。彼が憲法や政治に関心があるとは思いませんでした。講道館の人とは柔道や格闘技の話しかしないので。でも、大学で法学をやってるそうです。知りませんでした。
⑪6月28日(日)7:00p.m.。ネイキッドロフト。武田砂鉄さん(中央)の出版記念会トークです。手に持ってるのが、その本で、『紋切型社会=言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社)です。左は椎野礼仁さんです。
⑬第2部は、私も入って、「作家の仕事」と「編集者の仕事」について詳しく聞きました。2人とも難しい言葉を使うので、半分くらい分からない。「エクセルって何?」「オワコンって何?」と聞いたら、「そんなことも知らないの」と馬鹿にされました。
⑳家で書類の整理をしてたら、こんな新聞が出て来ました。右系の「国民新聞」ですね。「鈴木邦男(一水会代表)」と書かれてるから、私が代表の頃ですね。かなり前です。「平成6年6月28日」と出てます。「在日外国人参政権問題」で「売国発言」をしたんですな。昔から、こんな売国発言をして、皆から批判されてるんですね。いっそのこと、『鈴木邦男売国発言集』でも作ろうかな。