急に熱くなった。猛暑日が続いている。夜も気温が下がらず熱帯夜だ。
そんな中、〈「あの時、日本は熱かった!戦後社会運動史」徹底検証スペシャル〉に出た。大阪読売テレビの「そこまで言って委員会NP」だ。7月10日(金)収録だった。
「あの時、日本は熱かった!」と言っても、今だって熱いよ!と思ったけど、〈熱い〉の内容が違う。あの頃は、一人一人の国民の心が熱かった。燃えていた。そして世の中を動かしていたのだ。
この企画を聞いた時から面白いと思ったし、期待した。
「委員会」は久しぶりの出演だ。ただ、一般のパネラーとは別に司会者の横にゲスト席があり、そこに座る。
元日本共産党No.4の筆坂秀世さんと私がゲストなんだ。
なんせ「社会運動史」を語るのだ。「左右の活動家」だった2人をゲストに…ということらしい。
普段はあまり喋れないが、ゲスト席だと、いつもよりはかなり喋れる。
司会の辛坊さんの横にゲストの2人が座る。「右は鈴木さん、左は筆坂さん」と。
ところが、開始早々、席替えをされた。「今は鈴木さんは左ですし、筆坂さんは右ですから」と言う。
私は。よく「左傾」してる、「もう左翼だ!」と言われるから分かるが、筆坂さんは今も左翼だろう。と思ったら、最近、こんな本を出した。
『日本共産党と中韓=左から右へ大転換してわかったこと=』(ワニブックスPLUS新書)。
今年の6月25日に出して、もう第2版だ。売れている。
それにしても、サブタイトルには、はっきりと「左から右へ大転換してわかったこと」と書かれている。
「右へ大転換」したのかよ。マズイよ。左へ戻ってくれよ、と思った。それにしても何故?
この本には写真入りで、帯がついている。そこにも大きく、こう書かれている。
「元・日本共産党No.4が保守派になったら驚いた!」。
ゲッ!保守派なの? これには私も驚いた。「右転換」であり、「保守派」なのか。
一体どうしたんだろう。テレビ本番中も、「保守派として私は…」と言う。
困ったな。じゃ、今度、「なぜ右旋回し、保守派になったのか」を聞いてみたい。『紙の爆弾』で対談しましょうよ、と筆坂さんに言いました。
そうだ。筆坂さんとは前に対談して本を出している。8年前だ。
タイトルも挑発的だし、左翼的だ。『私たち、日本共産党の味方です』(情報センター出版局)だ。これはいい本だと思った。
筆坂さんは2003年の「不祥事」を契機に議員辞職する。2005年7月に日本共産党を離党する。
2006年には『日本共産党』(新潮新書)を発表。今まで語られてこなかった日本共産党の内実を明らかにしたと反響を呼び、11万部を超えるベストセラーとなった。
考え方の違いや、党内闘争があって、〈事件〉を作られ、日本共産党を追われた。
その直後に出した本だから、共産党への恨み辛みに満ちた本だと思った。共産党への批判、罵倒に満ちた「反共本」だと思った。
ところが、そんな所は一切ない。むしろ、末端の党員がいかに真面目に活動をしているか。それが愛を持って語られている。本当に驚いた。
自分は党を追われたのに、筆坂さんは共産党への愛を失っていない。凄いと思った。
それで、ぜひ対談したいと思い、実現したのが『私たち、日本共産党の味方です』だ。
味方と言われた共産党も迷惑だったろうが、でも共産党への愛と期待に満ちている本だ。
見出しを見ても、こんなのがある。
「共産党は日本型組織の縮図である」
「ガマン強さの美徳が残る党大会」
「それでも共産党は必要である」。
…そして、極め付きは、これだ。
「共産党員こそ真の愛国者である」。
これは凄いね。でも、日米安保、集団安保に反対し、自主独立を追求している。
又、選挙のポスターにはいつも富士山が出ている。それに、「日本共産党」と「日本」が付いている。
他の政党にはあまりない。「自民党」だって、前に「日本」はないし。
筆坂さんが出した『日本共産党』を読んだ人は、皆、驚いたはずだ。
共産党の「真の顔」を知りたい。スキャンダルが知りたい。そう思って買っても、そんな下劣な欲望には応えてくれない。
逆に、いかに共産党は中国、ソ連などの社会主義国からの圧力と闘ってきたか、が書かれている。全く知らなかった。
又、一般の党員はどれだけ真剣に、一生懸命に闘っているのか。…が書かれている。
「もしかして、党を除名されて追放された」というのも〈作戦〉なのかもしれない。
追われた人間が党のことを書く。となったら、皆、買う。そして、共産党や党員の真面目さ、真剣さが分かる。
「そうか。国民に、より深く共産党を理解してもらうための一大謀略だったのではないか」と私は、思わず叫んでしまった。
「そこまで言って委員会」の収録は、7月10日(金)午後3時から5時。
そのあと、ネット放映のための収録をやる。筆坂さんとの対談だ。
「右と左が入れ替わった」と言われる。それ以上に、筆坂さんの共産党への熱い思いがある。
罵倒しない。下品な批判もしない。党のやり方のここは悪い、ここは誤解される…と、ズバズバと言う。
と同時に、「こうやったらさらに素晴らしくなる」「こうしたら再建できる」と温かいアドバイスをする。期待の大きさだ。
この人は、共産党以上に共産党だ。「俺の方こそ、本物の共産党だ!」と言う自負もあっただろう。「革新」だし、「革命」だ。
ところが今は、「右」になり、「保守」だと言う。淋しい。
と思っていたが、「委員会」では、かつての活動を思い出したのか、右傾化する中で、社会運動の必要性を説いていた。
7月10日収録の「そこまで言って委員会NP」は、〈シリーズ戦後70年企画〉の一つとして、収録された。これまでにも、いくつか「戦後70年」を問う企画があったようだ。
そして、この日は、〈「あの時、日本は熱かった!戦後社会運動史」徹底検証スペシャル〉だ。
左と右の「社会運動」をやってきた二人をゲストに呼んで、激論は始まる。
「社会運動史」だから、局が用意した解説映像も出る。それが詳しいし、分かりやすい。そのまま「戦後史」の教科書として使える。
この「戦後社会運動史」は、さらに、4つに分けられて、解説が入り、それをどう見るかの闘論が始まる。4つのコーナーだが、こうだ。
①第1章「学生運動とはなんだったのか?」
②第2章「労働運動が“格差”を生んだ!」
③第3章「市民運動と“プロ市民”」
④第4章「女性解放運動で男女平等は実現したのか?」
この切り口もいいし、分類も面白い。
各コーナーの解説映像がある。学生運動では、全共闘、よど号、連合赤軍…などが出る。
そして、パネラー、ゲストが、これらの運動に「共感できるか?」「できないか?」と問われ、ボタンを押す。
私は4つとも全て、「共感できる」とした。いろんな失敗や、反省点はあったとしても、行動した時の夢や動機は認めるし、偉いと思う。
学生運動は当時の学生が皆、参加したように思われるかもしれないが、実際は、ほんのわずかで、1割か2割だ。
その中に、日共系、反日共系(=新左翼)、さらには右翼もいて、闘っていた。
でも、圧倒的に多くの人はノンポリで、一般学生だ。
だから、(たとえ左であろうと)、運動してた人は、(今から見ると)同じ時代を闘った「戦友」のような感じがする。そんな話をした。
「委員会」に出たのは久しぶりだ、と言った。
前に出たのは数年前だ。たかじんさんが元気に司会をやってた時で、「たかじんのそこまで言って委員会」だった。
たかじんさん、三宅先生、宮崎哲哉さん、勝谷誠彦さんがいた。それに、橋下徹さんも出ていた。
今は、たかじんさんも、三宅先生もいない。前からのレギュラーでは、桂ざこばさん、田嶋陽子さんだけだった。
この日のパネラーは、こうだった。加藤清隆さん。長谷川幸洋さん。須田慎一郎さん。井上和彦さん。竹田恒泰さん。川田裕美さん。そして司会は辛坊治郎さんと、渡辺真理さんだった。
たかじんさんが亡くなって、辛坊さんが司会になった。番組名も、「辛坊治郎のしんぼうたまらん」になるのかと思ってたが、違っていた。
それに、学生運動、労働運動などの映像を通してみる〈戦後70年〉を勉強できて、とてもよかった。と思った。
この日は、3時から5時まで収録で、その後、ネットテレビの取材を受けて、筆坂さんと対談。
そして、急いで新大阪駅に行き、東京に帰る。
今晩は一水会フォーラムなので、遅れても出ようと思ったが、高田馬場に着いたら10時近かった。
それで二次会の会場へ行って、講師の柳澤協二さんたちと会って、話をした。
収録は7月10日(金)で、放送は7月12日(日)だ。
12日は、私は又もや大阪だ。鹿砦社弾圧10周年の大会だ。
10年前の大弾圧では大変だった。しかし、不屈の闘志で頑張った。〈鹿砦社弾圧10周年。復活の集い〉だ。午後2時から、西宮のCafeインティライミで。
この日は、10年前の事件を報じるサンテレビのビデオも上映されるという。そのため、大型テレビに、準備のための映像が流れている。
2時に開始だが、その直前まで、今日の番組を流している。
あれっ!と思った。「そこまで言って委員会」が流れている。
今日西宮で私も喋る。その前に、2日前に収録した「委員会」が出るのか。実にグッドタイミングだ。と思った。
ところが、出ている人が違う。ケビン・メアーさん。金美齢さん。飯島勲さんがいる。
あれっ、違うな、と思ったら、気が付いた。
7月10日(金)は2本分収録だった。1本目は北朝鮮問題で、12時半から始まり、2時半までだ。そして3時から5時までが我々だ。
第1回目の収録分は7月12日(日)に放送。2回目の分は7月19日(日)に放送するようだ。
では、〈鹿砦社弾圧10周年。復活の集い〉の報告だ。
7月12日(日)午後2時、開始。会場のCafeインティライミは超満員だ。
10年前の2005年7月12日、大弾圧事件は起こった。神戸地検特別刑事部による「名誉毀損」に名を借りた言論弾圧事件だ。
鹿砦社代表・松岡利康氏は逮捕され、192日間の長期勾留。まさに地獄だった。
普通なら、それで会社は潰れている。ところが、不屈の精神で耐え、再起した。
又、雑誌の記事で、「名誉毀損で逮捕」は異例だ。多くの人々が批判し、鹿砦社支援に立ち上がった。
それからちょうど10年。まず、『紙の爆弾』編集長の中川志大氏が開会の挨拶。
そして、当時の事件を報道したサンテレビの5本分のビデオが上映される。
これは初めて見たし、貴重だった。松岡氏の逮捕。そして、「保釈直後のインタビュー」なども上映。いかに異常・異例な事件であるかが分かる。
「これは言論弾圧だ!」と松岡氏は言う。その通りだ。
この後、青木理さん(ジャーナリスト)の記念講演。「検察はこの10年で変わったのか」。検察の動向に詳しい青木さんならではの話だった。
「結論から言うと何も変わってない。もっと巧妙になっている」と言う。
確かに、いろんな方面から「検察批判」の声が上がり、「可視化」も一部実現されようとしている。
しかし、「証拠改竄」などを批判されると、「検察の職務熱心なあまりだ」と言い、そうならないように検察の捜査権限を強化しなくては…。という方向に持って行こうとしている。
一連の不祥事を逆手にとって、今度は「新たな武器」を手にしたのだ。と言う。それが、盗聴、司法取引などだ。
そして、具体的に検察の力の強化、巧妙化の例をあげて批判する。
青木さんの記念講演は40分。
このあと、私のコメントが15分。「鹿砦社との長い付き合いと弾圧。そして復活について」。
その後、青木さんと私のトークがある。
検察の強化について私から、いろいろと質問し、教えてもらった。
取り調べの「可視化」だって、一部だけの可視化は、かなり危険だ。
取り調べる側はプロだ。どんな人間でも「自白」させられると豪語している。
会場にいた元兵庫県警刑事の飛松五男さんも、「そうですわ。どんな人だって自白させられます」と言う。
ここで重要なところだが、冤罪で「自白」する時も、感極まって、泣き出し、鼻水を垂らし、そして「自白」する。
その部分だけを「可視化」し、証拠として出されたら、見た人は皆、「納得」する。
「やはり、真犯人だから、泣きながら自白したんだ」と。
これでは、かえって冤罪を作ることになる。
又、「痴漢」などは、否認していたら、新聞には名前入りで書かれるし、会社はクビ。家族は崩壊だ。冤罪であっても、裁判の前に、社会的制裁が下される。
「だから、認めなさい。認めて、謝罪し、示談にしたら、新聞には発表しませんよ」と言う。
たとえ、やってなくても、認めて、謝罪し、何十万かのお金を払えば、公表されない。
そうだったらと、認める人が多い。又、弁護士も、そう勧める人がいる。
つまり、圧倒的に多くの人は、泣き寝入りして、金を払っているのだ。「やってない!」と裁判で闘っている人は、例外中の例外なのだ。
警察、検察、裁判所の力が余りに強い。逮捕されたら終わりだ。逮捕されたら90%以上が有罪になる。闘っても無駄だ。という無力感も生まれる。
そんな中で、10年間、鹿砦社はよく闘った。これからの人々の闘いにも大きな励ましになる。青木さんとそんな話をした。
2人のトークが終わって、鹿砦社代表・松岡氏からのお礼の挨拶。
そして、休憩の後、第2部が始まる。机を並べ替えて、懇親会だ。
さらに、場所を移して、二次会。
西宮冷蔵の水谷洋一さんの主催だ。ありがとうございます。
全国から集まった人々が次々と意見を発表し、激励の言葉をかける。
私は午後7時半に中座して、新大阪駅へ。そして東京へ帰りました。
今月は、10日(金)、12日(日)と、2回も大阪に来た。
20日(月)には、カレー事件の集会があるし、又、来る。そのあともあるかもしれない。
大阪には、毎週のように来てるよな、と思った。
この2冊の衝撃的な本を出した意図、今後の展望について聞く。
それから何と、占さんが全裸になって、板坂さんの「この後」を占う。
果たして、吉と出るか凶と出るか。それは、次号の『紙の爆弾』を見てほしい。
終わって、居酒屋「土風炉」に行って、飲みました。
広いホールが満員だった。福島みずほさん、亀井静香さん、阿部知子さん、多摩市長の阿部さん、元広島市長の秋葉さん…などが激励の挨拶。パンタさんや「制服向上委員会」のギャルたちも。
安倍さんを批判する歌をうたったと一部のマスコミから叩かれている。
「ネトウヨからも脅迫状が来てる」という。ネトウヨから脅されてるなんて、私と同じだ。「同志ですよ」と言いました。
㉚大阪のジュンク堂の難波店では今まで何度か書店トークをしています。店長さんはユニークな人で、意欲的な企画をやってます。朝日新聞(7月8日)には、「嫌中韓の本に投じる一石」「書店〈反ヘイト〉常設」と出てました。これは凄いですね。勇気あることです。今度又、行ってみたいと思います。