8月15日(土)は暑かった。
例年、8月15日は暑い。そして戦争を考える日だが、今年は特に暑かった。
「戦後70年」という節目の年だ。それに前日には70年に関しての「安倍談話」が発表された。
かつての村山談話、河野談話よりも格別に長い。安倍さんは、内容的に、これを超えるものにしようと意気込んだのだろう。
「前向きだ」と評価する人も多い。
又、「いつまでも謝罪ばかりではダメだ」と思ってる人々にとっては、「これで謝罪を終わらせる」という決意を込めた「談話」だと受け取り、満足のようだ。
しかし、政治は〈言葉〉だけではない。〈行動〉であり、〈結果〉を出さなくてはならない。
村山談話、河野談話、小泉談話にさらに「安倍談話」を付け加える必要があったのだろうか。そんな気がする。
戦争に突入した当時、この世界は弱肉強食の植民地争奪の時代だった。
その中で日本は、身動きがとれず、力に頼ってその状況を打ち破ろうとした、という。
戦争に至る〈説明〉のようだが、〈弁解〉だ。この時は、うまくいかなかったが、日露戦争の時は、うまくいった。
その証拠に、多くの国々が驚き、感謝しているではないか。そんなことを言っている。
心の中でそう思うのはいいが、外国に向けて大っぴらに言うことではないだろう。敵国ロシアだってムッとする。「何を今さら言ってるんだ」という〈歴史論争〉になる。
じゃ、誰が北方領土なんか返すもんか。となる。
日本の歴史家や、他国の人々が、あの日露戦争についてプラス面を語るのはいい。
しかし政府自らが、「いい戦争だった」「他の国々も自信を持っただろう」と自画自賛するのは、どうだろうか。首相は、もっと大らかでいい。
かつては〈戦争〉という手段しかなかったが、今は違う。これからも違う。そう言ったらいいのだ。「談話」でも、そう言ってる部分があるのだし。
過去の戦争、侵略、植民地支配には、本当に謝り、反省する。
世界の国々に多大な犠牲、損害を与え、本当に申し訳ない。それを言う。それが一番大事だ。
後のことは、これから日本はこうするつもりだ、と、はっきり言ったらいい。
そして「決して戦前には戻らない」「決して昔のような軍事大国にはならない」「外国に兵を出すことはない」と明言したらいいのだ。
又、どんな理由があっても、戦争に訴えたのは悪いことだ。いろいろ弁解、弁明しないで、はっきりと謝罪し、反省したらいいのだ。
今回の談話は、弁解が多すぎる。長すぎる。
又、後世の人々に謝罪を背負わせぬ、と言う。若者への「迎合」だ。
たしかに、私だって戦争の終る直前に生まれた。戦争中に生まれたとはいえ、全く戦争を知らない。「自分は関係ない」と言いたい気にもなる。
でも、日本は過去、何をしたのか。知る必要があるし、責任もある。俺は関係ない。愚かなことだ。俺たちが生きていたら、そんな愚かな戦争はさせなかった。…と思う人もいるだろう。
しかし、それは違う。傲慢だ。戦争中に生まれてなくても、日本人である限り、「関係はある」。
又、なぜあんな戦争をしたのか。考え続ける必要がある。
私は「マガジン9」に連載をもっているので、以上のようなことを書いた。それに対し、「マガジン9」の編集者が、こう書いていた。
これはまさしくそうだと思うので、紹介しよう。
〈結局、何が言いたいのか。責任逃れをしようとしているのではないか―キーワードが盛り込まれた割には、そんな印象を与えた安倍談話だったのではないでしょうか。SEALDsのメンバーでもある大学生の本山仁士郎さんは、8月15日の「沖縄タイムス」で、安倍談話の「先の世代に背負わせない」という文書について、「僕たち世代が引き継いでいかないと、また悲劇が繰り返されてしまう」と話していました。「私たちの子や孫」にあたる世代としては、勝手に言い訳に利用されたような気がするのです〉
このSEALDsの人はすごいですね。偉いです。安倍さんよりも偉い。分かっている。この大学生の言葉こそ、世界に向かって発表してほしい。
次の世代に背負わせてはいけない、かわいそうだ、と言いながら、ただ〈利用〉しているだけだ。
これは、靖国参拝についても言える。靖国に祀られている人々に申し訳ない。その思いだけで、閣僚が参拝している。そう言う。
しかし靖国に祀られている人々は言うだろう。「自分たちを利用するな」と。
「参拝」を名目にして、中国、韓国などと揉めている。これをもって、外国を批判し、わざと「喧嘩」状態に持ち込もうと思っている。
そして言う。「ほら、参拝という当然のことをしただけなのに、中国、韓国はすぐ文句をつけてくる。又、武力に訴えるしかない。
だから、こっちも、もっと強力な軍隊を持つ必要がある。憲法も変えて、はっきりと、戦えるようにしなくては…」と言う。
靖国の英霊はたまらないだろう。日本が平和であるように、二度と戦争をしないように…という祈りを持って戦い、亡くなったのだ。
それなのに、「参拝」を利用して、再び、中国、韓国と揉めている。そして「戦争に訴えてでも」などと口走っている。
冗談じゃない。自分たちを利用して、再び戦争をするのか。そんな口実に自分たちを利用しないでくれ! そう言ってるだろう。
「談話」では、亡くなった人々を慰霊し、その人たちのおかげで今の日本がある。と、感謝しているようだ。
たしかに、戦地で亡くなった人たち、又、戦いで亡くなり、あるいは、原爆、東京大空襲で亡くなった人たち、そうした戦争で亡くなった人たちのおかげで、この日本はある。その人のおかげで、我々はこの日本に住んで、生活していられる。
でも、「我々が今住んでるのは、戦争で亡くなった人たちのおかげだ」は、そして、「我々が生きるために、あの人たちは亡くなったのだ」という、かなり傲慢な史観になりかねない。これが、いやだ、と思う。
だって、戦争の時に、最も勇敢で、最も優秀な人たちから先に死んでゆく。
特攻隊の遺書を読むと、「こんな人たちを殺してまで、続ける意味がある戦争なのか!」と思う。彼らは、「後に続く人々」を信じ、「後の世代」の人たちのために死んでいった。
しかし、はっきり言おう。この人たちの方こそが大事だったのだ。彼らこそが生きるべきだった。
「後の世代」の方こそが、死ぬべきだったのだ。極端に言うと、そんな感じさえする。
あんなに純心で、あんなに健気な人々を皆殺しにしてまで、我々に生きる価値があったのか。ないと思う。少なくとも、その「贖罪」は持つべきだ。
そして、戦争の反省、謝罪を引き継ぐべきだ。それが人間としての道だと思う。
という話を、俳優の榎木孝明さんともした。
8月20日(木)だ。武道雑誌『秘伝』で対談させてもらったのだ。
榎木さんは俳優だが、画家でもあり、又、武道の達人でもある。1ヶ月の不食を実行して話題になったが、現代を生きる「サムライ」だと思う。そのことについては来週、又、詳しく書いてみよう。
8月14日の「安倍談話」については、「むしろ出さない方がよかったのではないか」「説明や弁解が多すぎる」「はっきりと反省、謝罪を中心に言ったらよかったのではないか」と私は不満だった。
15日の戦没者追悼式では天皇陛下が「さきの大戦に対する深い反省」と言われていた。こういう言葉が盛り込まれたのは初めてだという。
天皇陛下が日本にいて下さってよかった。と思った。改憲、海外派兵に向けて、突っ走る安倍首相に対し、天皇陛下は深く憂慮されてると思う。
でも、政治的発言は許されない。憲法の中でのギリギリのお言葉を発せられてると思う。
パラオに行かれる。又、「満州事変以降の日本の歩みを反省する必要があると言われた。安倍政権の強い口調に乗せられて、「そうだ、そうだ!」「やっちまえ!」と叫んでいる国民も、もっと冷静になるべきだ。
8月15日(土)は午前中に靖国神社に行ったが、どうも静かに参拝する雰囲気ではない。
軍服を着た人々が歩き回り、突撃ラッパを吹き、絶叫している。
又、外には政治的な、過激なプロパガンタの出店が並んでいる。
「朝日新聞を廃刊に追い込もう」「安保法制賛成!」「安倍政権、がんばれ!」「占領憲法を破棄しよう!」…と。
そして、「南京大虐殺なんてなかった!」「従軍慰安婦なんていなかった!」と叫んでいる。さらに、「皇室を護る法律を作れ!」「不敬罪を復活しろ!」と言ってる人もいる。
「もはや戦後ではない」と言う人もいるが、これでは、もう「戦前」だ。中国、韓国との戦争も辞さずの覚悟で戦え!と言ってるし。
騒々しい靖国神社を後にして、「お江戸日本橋亭」に行った。8月15日を記念した落語会をやっている。
落語家の快楽亭ブラックさん。そして芸人の鳥肌実さん。居島一平さん…など、濃いメンバーだ。
鳥肌さんは久しぶりだ。自分で本物の街宣車を造り、軍服を着て、憂国の大演説をしていた。芸人としての大パフォーマンスだ。中野ゼロホールなどでも2千人の人々を前にして、吠えていた。
私も毎年、見に行っていた。凄い人だ。ファンも濃い人が多い。
ところが、ここ数年、見ない。大ホールでの演説会はないのか。あるいは、今や、一般社会の方が急速に「右傾化」していて、鳥肌実を飛び越えていってしまったのか。
「いやー、それもあるんですよ」と鳥肌さんは言っていた。
居島一平さんは、傷痍軍人の格好をしたりして、右派的な話をしていた。戦争の話をしても、「そんなことは知ってる。俺たちの方が闘っている!」とネトウヨに怒鳴られる。と言う。
やりにくい時代になった。と嘆いていた。
じゃ、そんな話を一緒にしましょうよ、と言った。
ロフトかどこかで。鳥肌実さん、居島一平さんと私で、〈時代と芸術〉でもいいし。あるいは、「時代に抵抗する芸」でもいいかな。…ということを考えた。
7時、開始。戦争中、日本人を再教育するためのGHQのフィルムが発見され、それを見せてくれた。映画関係者の山内隆治さん。そして、『アメリカ映画と占領政策』の著書のある谷川健司さん(早大教授)。そして私のトーク。司会は桃井メロンさん。
貴重なフィルムを見ながら、3人で話をする。アメリカの「選挙」などを紹介し、日本人に「民主主義」を教える。労働組合の作り方を教える。アメリカの子供野球、女子野球などについても。
ただ、占領の終わり頃になると「赤の陰謀」などという露骨なものもある。民主主義を押し付けてきたが、それが「行き過ぎ」たと思ったのか。又、占領軍の中での「方針対立」もあったのだろ
フィルムはまだまだあるというし、ぜひ第2弾、第3弾をやってほしい。
榎木さんは武道の達人だし、現代に生きる「サムライ」だ。生き方そのものが「サムライ」だ。その強さはどこから来るのか、聞いてみた。子供の時からなのか。鹿児島の風土もあるが、役者になって触れた剣の道も大きいという。
榎木さんは薩摩示現流の達人だ。さらに、ちょっと触っただけで、どんな人も倒せる。この日も、実演してくれた。『秘伝』の編集者は、コロコロと投げられる。私は2度目だ。かなり頑張ったつもりだが、簡単に投げ捨てられる。
変だ。おかしい、と思って、何度も挑戦したが、ダメだった。不思議な力だ。「気ですよ」とご本人は言うが。
映画が終わって、3時半から、監督の楠山さんとトーク。考えさせられる映画だ。
特に今、安保法制論議で揉めている政治状況だからこそ、〈戦争〉が近く感じられる。「もはや戦後ではない」と言われ、「戦後レジームを超える」と言われることもある。
じゃ、「戦後」をやめて、次の戦争への「戦前」になるのか。これではたまらない。そのためにも、あの戦争のことを、もっともっと知る必要がある。
このゼロ戦の人にしても、多分、「最後の証言」だろう。とても貴重だと思った。
⑬居島一平さんと。ロフトでは何回か一緒に出ました。居島さんとプチ鹿島さんがロフトで司会したイベントの記録が本になってます。『思わず聞いてしまいました』(スコラマガジン)です。大槻ケンヂ、村西とおる、河野太郎、上祐史浩、戸塚宏、山本太郎などが出ています。私も出ています。
⑳須藤さんの本をもらいました。『自衛隊協力映画=「今日もわれ大空にあり」から「名探偵コナン」まで』(大月書店)。
こういうことを研究してるジャンルもあるんだ。『ゴジラ』や『戦国自衛隊』が有名ですね。『亡国のイージス』『日本沈没』もそうですね。自衛隊が協力しています。
この本のサブタイトルには「名探偵コナン」が載ってます。「あっ!あの北朝鮮の工作員が出てくる回でしょう。やけにナショナルなテーマを狙っていた」と言ったら、「そうです。『名探偵コナン・絶海の探偵(プライベート・アイ)』です」と須藤さん。「しかし、よく知ってますね」「だって、コナンは全部見てますから。劇場版だけでなく、テレビ版もTSUTAYAで借りて100巻、見ました」。「スゴイ!」という会話がありました。
今、この本を読んでます。面白いです。何気なく見逃していたことですが、これだけ自衛隊は映画に協力してるんですね。