8月20日(木)。俳優の榎木孝明さんに会った。
榎木さんは「1ヵ月の不食」を実行し、随分と話題になった。テレビでも連日、取り上げられていた。
不思議な人だ。不思議な力を持った人だ。俳優だが、画家でもあり、又、武道家でもある。
さらに、生き方そのものが「サムライ」だと思う。私は尊敬している。
月刊『秘伝』では、そんな不思議な力を持つ榎木さんを取り上げる。「ぜひ鈴木さんにインタビュアーになってほしい」と言う。
ありがたい。嬉しいですよ、と二つ返事で引き受けた。
榎木さんと初めて会ったのは3年ほど前だ。
時代劇の復興を願う人々が、京都に集まり、「銀幕維新の会」を作った。その立ち上げに私も参加した。
昔の運動仲間の花房東洋氏が、ここの立ち上げに参加していて、私も呼んでくれたのだ。
映画人以外にも、多くの人が来ていた。政治家もいたし、作家もいた。
珍しいところでは、一色正春さんもいた。尖閣で中国船が日本の海上保安庁の船に体当たりをした。船長は逮捕された。
そのビデオはずっと秘匿されていたが、勇気ある人によって公開され、大騒動になった。
それを公開し、その後、海上保安庁を辞めたのが一色正春さんだ。
体もデカイし、意気軒高だ。
このパーティが終わった後、花房氏に二次会に誘われた。榎木さんと一色さんも一緒だ。
あるスナックに入った。そこで、榎木さんと、武道の話になり、「じゃ、ちょっとやってみましょう」と言って、スナックの少し空いたとこに行く。
スタッフの何人かに思い切り、手をつかませて、それを外し、投げ捨てる。
ヘエー、こんなことをするのか。武道をやっているのかと驚いた。
そのうち、「鈴木さんも出たらどうなの」「鈴木さんは柔道3段、合気道3段だし、そんなに簡単にかからないでしょう」と花房氏。
私もそう思っていた。素人相手だから、簡単にかかるんだ。私だって、素人相手なら、合気道の技もいくらでもかけられる、と思っていた。それで前に出た。
ところが、いくら頑張っても、倒される。ポンポンと投げ捨てられる。
衝撃だった。一体、これは何だろう。と思った。
次に一色正春さんが出る。体が大きいし、元海上保安庁で中国船とも闘った人だ。「自分は技にかからないよ」と自信に満ちている。
でもダメだった。ポンポンと投げ倒される。
榎木さんは凄い人だと思った。
一体、この技は何だ。後で知ったが、榎木さんは、鹿児島県出身だ。そして、剣術の薩摩示現流を学んでいる。達人だ。
じゃ、それの中に、こういう術があるのか。あるいは武術家の甲野善紀さんとも親しい。きっと甲野さんから教えてもらったのだろう。
甲野さんには、このあと何回か会う機会があっので聞いてみた。「先生が教えたんですか」と。
「いや、榎木さんは元々、示現流をやってた達人ですから」と言う。
剣術は、剣だけではない。戦場で、鍔迫り合いになった時は、体をぶつけたり、足をかけたりして倒すこともある。
示現流には、相手の足を斬る戦法もあるという。竹刀の試合とは違うのだ。生死を懸けた闘いでは、なんでもありだったのだろう。
その中で、相手の手首をとり、一瞬にして投げ飛ばす技もあったのだろうか。
榎木さんに聞いたら、「違います」と言う。示現流の技ではないという。
3年前、榎木さんに投げ捨てられた時のことは、このHPにも書いてある。写真も出ている。
それ以来ずっと考えていた。あの投げ技(というか術)は一体、何だろうと。
そして、ネットなどで探すうちに、凄いエピソードを発見した。
榎木さんは、劇団四季を経て、連続テレビ小説「ロマンス」主演でテレビデビュー。俳優としても知られ、時代劇にも出る。
その時、剣道を本当にやってないとダメだと思い、故郷の「薩摩示現流」を習う。そして達人になる。
90年には角川映画「天と地と」で上杉謙信役をやり、ブレークした。
信仰を持ちながら、修羅の如くに闘う。「これは自分だ」と思ったという。
さらに、テレビの「浅見光彦シリーズ」で大人気となる。
「これも自分だ」と思った。30代のルポライター・浅見光彦が主人公だ。
地方に取材に行くと、事件に出くわす。闘い、そして、その謎を解く。
とても面白いし、私もずっと見ていた。
ところが、突然、役を降りた。
しばらくすると、光彦の兄の「警視庁の幹部」役で復帰した。
テレビ局の内部の編成替えかと思っていた。
ところが、これは榎木さん自身が言い出して、「降ろしてくれ」と言ったのだという。「主人公のイメージからは自分は年を取った。だから、降りた方がいいと思う」と言ったのだ。
でも、榎木さんは若い。「30代後半」の役でも十分にできる。誰も疑問に思わない。
もし、どうしても通じなかったら、主人公の「浅見」を40代か50代にしたらいい。
普通なら、そうする。「自己主張」する。「自分から降ろしてくれ」などと言う人はいない。
日本の演劇史上、初めてだろう。テレビ関係者、原作者も皆、反対した。「榎木さんあっての浅見シリーズだ」「やめたら困る」と。
でも、榎木さんの決意は変わらない。「退く時は退くべきだ」と言う。サムライだ。でも、後に、「兄」役で復活した。
それにしても、どうしてこんなことが出来るのか。普通なら、自分が得た「役」は絶対に手放さない。
「もう、やめてくれ」と言われても、抵抗する。自分から降りた人は、他に一人もいない。
ともかく凄い人だなーと思っていた。又、会って話をしたいと思っていた。
そしたら今年、京都で又、「銀幕維新の会」が、あるという。
5月18日(月)だ。今度は、もっと具体的な話になっている。浅田次郎原作の『輪違屋糸里』を映画にするという。
その発表会があるという。きっと榎木さんも来るだろう。楽しみだ。ワクワクして、京都に行った。
来ていた。テーブルは少し離れていた。休憩の時に挨拶に行かなくちゃ、と思っていた。
そしたら、榎木さんの方から、近づいて、「やあ鈴木さん。きっと会えると思ってましたよ。『秘伝』読みました。よかったですね」と言う。
エッ、『秘伝』を読んでいるんですか、と驚いた。
『秘伝』は、「富木合気道」の特集をやった。そこに私も出て話をした。それを読んでくれてるんだ。やはり、本格的な武道家だ。『秘伝』を読んでるなんて。と思った。
東京に帰ってきて、『秘伝』の編集者に話した。とても喜んでいた。
「榎木さんは凄い人ですね。サムライの心を持って生きてるんですよ」という話をした。
『合気道については、実は、『反逆の作法』(河出書房新社)で前に書いた。富木先生、大庭先生について書いた。私の合気道の恩師だ。
それを読んでくれて、『秘伝』は取材に来たのだ。
元になった『反逆の作法』を榎木さんに送った。
そしたら、お礼の葉書をもらった。絵も描かれている。
そして、「今、不食をやってます」と書かれていた。
エッ?「不食」って何だ。と思った。断食のようなものかな。
でも、榎木さんは太ってないし、腹も出てない。身長は180cmあって、スマートだし、本当にいい男だ。ダイエットなんかする必要がない。おかしいな、と思った。
そしたら、急にテレビで取り上げられ、本人も出演する。「1ヶ月の不食を実行して」と。
不食が終わったあと、いきなりワインを飲んだり、食事をしたりしている。凄い人だ。
多分、これは精神的なものだろう、と思った。
別に、ダイエットの必要はない。体重を落とす必要はない。体重を落としたら、もっと精神的に見えてくるものがある。
そんな思想的・哲学的な理由でやった「不食」ではないのか。
それに、どうして、そこまで「強く」なれるのか。疑問だ。
不食の間、仕事はちゃんとやっている。奥さんと一緒にスーパーの食品売り場に行って買い物にも付き合っている。
よく平気でいたものだ。もし私なら、たとえ1日か2日の不食でも耐えられない。
ましてや、食品売り場に行ったら、その辺のものを手当たり次第に取って、ガツガツ食っちゃう。
私だけじゃない。百人中百人がそうするだろう。ましてや1ヶ月も不食するなんて、無理だ。たとえ2日か3日でも無理だ。
8月20日(木)に会った時、聞いた。大体、「1週間も不食したら、人間は死んじゃうんじゃないですか」と。
「それは、世の中の『常識』にとらわれているからです」。
エッ、そうなの。「世の中には全く食べなくても生きている人がいくらでもいます」。
エッ、いるんですか。私の周りの人たちは、ガツガツ食い、ガブガブ飲んでますよ。
「じゃ、眠らなくてもいいんですか?」「そうです」。
よく地震などで、生き埋めになった人がいる。72時間が限度ですね。その間に助け出さなくては、とテレビのアナウンサーは言っている。
しかし、インドなどでは、1週間も2週間も生き埋めになって、それでも助け出された人がいる。
その人たちは「72時間が限度」という〈知識〉がなかったから助かったんです。と言う。
〈知識〉(=常識)を知らなかったから、生きていけた。それを知っていたら、「あっ、72時間過ぎた。ダメだ」となってしまう。
ウーン、そうなのか。
それから、「浅見光彦シリーズ」降板事件についても聞いた。
でも、「引き際」は誰だってあるでしょう、と言う。
考えないですよ。皆。やっとつかんだ役だ。チャンスだ。絶対に手放すものか、としがみつく。
又、誰も、「イメージと違う」と文句を言う人はいない。自分だけが、「もう違うかな」と思い、降りたんだ。もったいない話だ。
でも逆に言えば、それだけ自分に対し、「自信」があったのかもしれない。その点を聞いてみた。
又、なぜ、そこまで精神的に強くなれるのかも聞いてみた。
それは9月上旬発売の『秘伝』を見てもらいたい。
そうだ。大事なことを忘れてた。又もや、実技指導を受けたのだ。
今回は、不食をはじめ榎木さんの精神的強さの秘密を探る。そのためのインタビューだと聞いていた。
じゃ、どこかのホテルで机を挟んで、椅子に座って話すんだろうと思った。
ところが、会場に着いて驚いた。畳の部屋だ。「ヤバイ!」と思った。
すると、榎木さんは、さっさと着替える。稽古着と、袴姿になる。そして日本刀を取り出す。
「鈴木さんは稽古着、持って来なかったんですか?」。「持ってないですよ。お話を聞くだけですから」。
初め、『秘伝』の撮影が始まる。刀を持ってポーズをとってもらう。
『秘伝』のグラビアを飾るのだろう。あれこれと注文がうるさい。「もう、斬っちゃえば?」と私は無責任に声をかけた。
それから、机を出して対談かと思ったら、「せっかくだから」と、例の技の実演だ。
最初は編集者を相手に、ポンポンと投げ飛ばす。
「じゃ、鈴木さんも」と言われた、
立ち上がる。よーし、この前(3年前)のようにはいかないぞ。私もいろいろと「対処法」を考えた。
ところが、又もや簡単に投げ捨てられる。
おかしい。私は、講道館で練習をし、内田樹さん、甲野さんにも投げ捨てられ、そこから学んだはずだ。
でも、私は全く進歩してない。3年前に榎木さんに投げ捨てられた時よりも、もっともっと私は弱くなっている。
それに、榎木さんは、さらに凄い技を見せてくれる。
私の体を外から支配するのだ。
「はい、鈴木さんに気を入れます」と、離れたまま、指で、サッと空を切る。
「気が入りましたから、私がいくら押しても鈴木さんは動きません」。
あらら、不思議だ。私は動かない。強くなってる。
「じゃ、今度は気を飛ばします」と言って指で横にサッと払う。
「もう気が飛んでいきました。ほら、私が指でちょっと突いただけでも、鈴木さんは倒れるでしょう」。
そして突く。本当だ。倒れた。いくら頑張ってもダメだ。頭が混乱した。この技は何だ!
さらに、「私の腕を持って押して下さい」。
両手で固く押さえる。
「これじゃ、力と力です。動きません」と榎木さん。
「私が脱力します。すると、鈴木さんは、簡単に倒れます」と言う。
実際、その通りになった。榎木さんが脱力しただけで、私は、ポンポンと投げ飛ばされる。
編集者も何人も立ち向かうがダメだ。広い部屋なのに、部屋の隅まで投げ飛ばされる。
「鈴木さん、壁のとこにいて受け止めて下さい」と言われて、受け止めた。
凄いスピードだ。部屋の隅から隅まで投げ飛ばされる。受け止める私まで飛ばされる。凄い。不思議だ。
柔道や合気道なら、分かりやすいし、合理的に説明する。
関節技でも支点、力点、作用点…と、まるで物理のように教えてくれる。
分かりやすいし、納得する。今は出来なくても、〈説明〉は分かる。
もっと練習し、もっと力が付いたら自分も出来ると思わせる。そういう説得力がある。
ところが、榎木さんの技は、不思議だ。「合理性」や「説明」を超えている。分からない。
「相手の力の方向を変えるのかな」「腕の力に頼らずに、体全体のねじる力で動かすのかな」…とか。いろいろ考えているが、分からない。
「いや、〈気〉ですよ」と榎木さんは言う。榎木さんは、この力を使って、介護への応用も指導している。
ウーン、分からない。又、会って話を聞いてみたい。投げ捨てられながら、私も必死に考えた。この人の秘密を探ってみたい。
上祐さん、アーチャリーとも話して、オウム問題について、考えてきた。それらを含めて考えてみた。この合同授業では、かなり突っ込んだ話になった。
後半、生徒も参加して話し合った。夏休みの中の〈特別ゼミ〉だったが、とても有意義だったし、勉強になった。
終わって、吉田先生、フェロー、生徒と、近くのお店で食事をしました。
加藤紘一さんがずっとやってきた「だだちゃ豆パーティ」だ。
加藤紘一さんが病気になり、去年の10月、娘さんの鮎子さんを「励ます会」をやった。
その2ヶ月後、総選挙。鮎子さんは急遽、立候補して、見事、当選。そして今回は、「だだちゃ豆パーティ」を主宰した。
自民党の谷垣禎一幹事長。野田聖子さんらが挨拶。
鮎子さんは、前に野田さんの秘書をしていた。鮎子さん、旦那さんも頑張っている。
かつて、加藤紘一さんの鶴岡の自宅が右翼の人に焼き討ちにあったことがある。私は、「これはいけない」と新聞にコメントして、右翼からは攻撃された。「同志が命を懸けて抗議してるのに、何事だ!」と。
しかし、加藤さんのお父さんは石原莞爾のいとこだ。それで「八紘一宇」からとって、「紘一」という名にした。「八紘一宇」に火をつけるのはよくない。と私は言った。
又、鶴岡で開かれたシンポジウムには私も出席した。この日は、東京では、右翼の人たちが、「国賊加藤紘一邸焼打ち支援集会」をやっていた。「同じ日に、国賊の支援に行くとは何事か!」と怒鳴られた。
それ以来の加藤さんとの付き合いだ。病に倒れられたのは残念だ。でも、その志をついで娘さんが頑張っている。
政治家や、マスコミの人など、多くの人に会いました。パーティの終わりの頃、防衛大臣の中谷元さんが駆け付けた。
「あっ、鈴木さん」と覚えていてくれた。「加藤さんと一緒に食事をしましたね」と。「又、いろいろとご意見をお聞きしたいです」。
謙虚な人だ。国会でも大変だ。考えはいろいろ違っても、国のためを考えて頑張っている。
打ち合わせのあと、7時からプレトーク。劇団「再生」代表の高木尋士さん、アーチャリー、そして私。
アーチャリーは「再生」の芝居は初めて見るとのこと。見沢知廉氏には関心があって、本を4冊も読みましたという。『囚人狂時代』『母と息子の囚人狂時代』『調律の帝国』などだ。
オウム事件とからめながら、見沢氏の事件、思想について語る。
このあと芝居。〈見沢知廉没後10年。高橋京子三回忌記念公演〉。『天皇ごっこ〜母と息子の囚人狂時代〜』。
とてもよかった。素晴らしい舞台だった。見沢氏も、生き延びて、もっともっと書いてほしかった。三島賞、芥川賞を取ってもらいたかった。残念だ。
㉑挨拶する加藤鮎子さん。だだちゃ豆は、枝豆の中でも最も高級で、おいしいものです。加藤紘一さんがずっとこの「だだちゃ豆の会」をやってましたが、病気療養のため、今年は娘さんの加藤鮎子さん(衆議院議員)が主宰していました。
㉓ホテルの広い部屋に、山と積まれただだちゃ豆です。これを皆で、ひたすら食べるのです。この他は、白いおにぎり、シャケの切り身、なめこ汁です。シンプルで、とてもおいしいです。私はだだちゃ豆を170ヶ食べました。なめこ汁は2杯、飲みました。おいしかったです。お土産もだだちゃ豆でした。
㉚今、河合塾コスモは夏休み中です。でも、吉田剛先生(英語)と「合同授業」をやりました。8月24日(月)15:00からです。5A教室です。テーマは、「宗教って何だろう」。
吉田先生はカソリックの信者です。私も「生長の家」をやってました。果たして、宗教は必要なのか。どうしたら、危ない宗教から身を守れるのか。生徒を含め、そうした問題を話し合いました。
㉞あらら、私も出てました。時効になった事件。逃げ切った「犯罪」について話してます。いつか、きちんと書いておかないと。と思ってるようです。「肩書」は、「元一水会顧問」でもいいのですが、ここでは「元右翼活動家」になってます。