国民は平和を願い、平和的に暮らしていたのに、独裁的な政権や軍部が、強権で国民を抑圧し、戦争に駆り立てたのだ。
私たちは学校でそう教えられてきた。又、そう思おうとしてきた。
しかし、どうもこれは嘘らしい。福田恆存は45年前に、こう言っている。
〈戦後になってから戦前を回顧して、政府、軍部の弾圧によって一般国民が軍国主義的になったといふふうに教へ込む。つまり国民には罪はなかった。悪しきものは政府であり軍部であるといふふうに教へ込む政府が、学校、社会共に徹底いたしましたが、私は、戦争中青年時代を生き抜いてきた人間として言ふのですが、決してそんなことはなかったと断言できます〉
そして、更にこう言うのです。
〈国民は、政府や軍部がたとへ弾圧あるいは強制を多少促したにしても、政府、軍部が五を要求すれば国民は十くらゐ応へたといふやうに感じてゐます。これは、左翼の人達などは特別でありませうが、そうではない普通のリベラリストである私などの人間が政府や軍部から押し付けられる息苦しい圧力よりは周囲の一般国民から受ける圧力の方が不愉快であったといふ、私自らの実感が物を言ふのであります〉
これは驚いた。政府・軍部の「圧力」よりも一般国民の「圧力」の方が大きいという。
政府、軍部が、「米英をやっちまえ!」と五くらい言うと、国民は、「そうだ!」「そうだ!」となって十くらいにして応える。
まさに今の時代も同じだ。何も、政府に反対したら逮捕だ、なんてことは言わない。
批判は自由にやられているし、デモもやられている。それでも、残念ながら、「自民党しかない」「もっとやれ!」という人々が多いのだ。
「イスラム国」に日本人2人が人質になった時も、政府は「テロには屈しない」と言って、全く交渉しなかった。そして人質の2人は殺された。
でも、「2人の日本人を見殺しにした! 許せない!」という声は上がらない。政府は間接的に日本人を殺した犯罪者ではないか。
でも、「毅然としている」「偉い」と国民の大多数は自民党を擁護し、支持した。
「強い国家」を作る為ならば、少々の犠牲など構わない、と言うのだろう。政府の「悪」に対し、国民は「十」で応えたのだ。
今は亡くなったが、東条首相のお孫さんの東条由布子さんとテレビで一緒に出たことがある。
戦争前、東条首相の家には連日、段ボール10箱以上の手紙が来たという。
激励ではない。批判だし、罵倒だ。国民の声だ。
「何をやってるんだ。早く戦争をしろ!」「そんなに戦争が恐いのか!」「国賊め!」「卑怯者め!」という罵声ばっかりだと言っていた。
この「政府や軍部が五を言えば、国民は十応える」は凄い表現だ。
当時、生きてきた人間として、実際の真実な感情なんだろう。
こんなことを言う人はいないので、実に衝撃的だ。やはり福田恆存は凄いと思った。
この文章を読んだのは、今月、9月21日(月)だ。現代文化会議の佐藤松男氏からもらったコピーに出ていた。
初出は、1970年(昭和45年)5月22日に「日本学生文化会議結成大会」での記念講演だ。
これはずっと秘されていた。全集にも入ってない。『文芸春秋』(95年1月)に載ったのだ。
〈未公開論集。塹壕の時代〉
というタイトルだ。「予見と洞察に満ちた収録の講演テープ」と書かれている。
「1995年に福田恆存はこんなことを言ってたんですよ」と9月21日(月)に、佐藤松男氏が私にコピーをくれたのだ。
佐藤松男氏は私の4才下だ。学生時代からの知り合いだ。
福田恆存に学びながら、「学生文化会議」という団体を作り、勉強し活動してきた。
今も続けていて、今年は、「戦後70年を考える」という連続講演の企画をやっている。
毎月1回だ。私は、それに出ている。とても勉強になる。
9月21日(月)は、講師が前泊博盛さん(沖縄国際大学教授)で、テーマは「戦後70年―日米安保条約と地位協定」だった。
前泊さんの本は前から読んでいたし、楽しみだった。
その時、主催者の佐藤松男さんが皆に配ったのが、このコピーだったのだ。
前泊さんの話も衝撃的で、私らの知らないことばかりを教えられた。
それと共に、この福田恆存の指摘にも衝撃を受けた。
国民は、騙されて、犠牲になったのではない。積極的に戦争を支持し、煽り、政府、軍部以上に「やっちまえ!」と言ってたのだ。
でも、そんなことは皆、言わない。「国民は善良だったのに…」「平和的な国民は犠牲になって」とだけ言う。
その面もあったが、攻撃的、加害者的な面も多かったのだと、福田はズバリと言う。
又、敗戦の時の状況をこう言います。その時、生きていて現認した人間でないと言えないことですので、紹介しましょう。
〈戦争、戦争と言って非常に好戦的でありましたが、さていよいよ敗北となると、家は焼かれ自分たちは死ぬかも知れない。これで軍部が戦ふといったらとてもやりきれない。だからここで天皇の終戦の詔勅が出た時、国民は何よりだとほっとしたのであります。ですから形は天皇の詔勅といふ上からの形で出たやうなものの、これは国民の気持ちを全く反映したものなのです。つまり喜びいさんで負けたのであります(笑)〉
これは凄い。こんなことを言ったのは福田だけだ。
「国民は死ぬまで戦うと思っていたが、天皇の詔勅で、泣く泣く、戦いをやめたのだ」と歴史家は皆、書いている。
皇居前で土下座し、泣き崩れる国民の写真も大きく載っている。
でもそれは、表向きなのだ、嘘なのだ、と福田は言う。国民は「喜びいさんで負けた」と言う。
でも、そうだろうな、と納得した。
こうした庶民レベルの精神、感情が今までは表に出ていなかった。
たとえ敗けても、どこまでも「雄々しかった日本国民」という〈神話〉を作りたかった。
そして、その〈神話〉を守りたかったのかもしれない。
しかし、本当は「喜びいさんで負けた」。その証拠に…。
〈だからアメリカ軍を解放軍と呼んだのです。マッカーサーは神様だったのです。占領中もさうでしたし、帰る時にも土下座してマッカーサーを送り出した事実を思ひ浮かべるならば、敗戦とそれに引き続く占領は、日本人が民主主義的に選びとったものなのです。決して誰かが強制したものではないといふことになります〉
「強制されて」と、今でも言ってる人がいる。特に保守派、右派の人々だ。
今の民主主義はアメリカに強制的に押し付けられたものだ。
憲法もそうだ。だから今こそ、それを撥ね返し、「日本を取り戻さなくてはならない」と。995年当時は、「日本を取り戻す」という首相はいないが。
でも、「アメリカによって強制的に民主主義を与えられた」「憲法を与えられた。これは日本を弱体化するためにアメリカが強権で押し付けたものだ」と言われていた。私らもそう思っていた。
ところが福田だけは、その底の底を見ていたのだ。
「押し付けられた」と言うけど、本当かな? 自分で選びとったんじゃないのかな? 悪いのは政府や軍隊で、自分たちは常に善良で平和的だったのに、弾圧され、騙され、そして犠牲になった。…と言う。
それも嘘だろう。と福田は言うのだ。
他にこんなことを言える人はいなかった。やはり福田恆存は凄いと思う。もう一度、読み直してみようと思った。
何度か全集が出てるし、それらに挑戦してみよう。
前泊さんの講演もエキサイティングだったし、コピーで読んだ福田恆存も衝撃的だった。随分、勉強になったし、9月21日は、実に贅沢な日になったと思う。
前泊さんの本は何冊か読んでいた。『本当は憲法よりも大切な「日米地位協定入門」』(創元社)。それに、『沖縄と米軍基地』(角川oneテーマ21)などを読んでたし、衝撃を受けた。占領や沖縄について何も知らなかったと痛感した。
この日は、じっくり聞いて勉強しようと思っていた。
ところが、「あっ、鈴木さん。会いたかったんですよ」と声をかけられた。「本を読んでますし、テレ朝のニュースバードがよかったです」と言う。
講演の中でも、その話をしていた。2年前、政府が「主権回復の日」の式典をやった。しかしその日は沖縄を切り捨てた日でもある。
何が「主権回復」か。それに天皇陛下を無理にお呼びしている。
安倍さんは、その日が、沖縄を切り捨てた日だったことを知らなかった。あるいは失念していた。
あとで側近から聞き、「しまった!」と思った。
でも、遅い。後悔している。
「だから、もう来年からはやりません」と私は言った。
それを前泊さんが見てくれていた。「鈴木さんの言った通りでしたね」と講演でも言う。
それから、アメリカのこと、沖縄のことを話す。
終わってからも、誘われて、一緒に食事に行った。夜、遅くまで話し合った。
ぜひ、又、話を聞きたい。
そうだ。この前の日、9月20日(日)、19日(土)も、とても勉強になった日だった。
安保法案が強行採決され、もう日本も終わりかとガックリきたが、19~21日は3日間、深い勉強をさせてもらった。
9月20日(日)は午後1時から日比谷公会堂に行った。満員だった。
「あの戦争体験を語り継ぐ集い」だ。平均年齢90才以上の戦争体験者20人が証言する。声も大きいし、通る。
安保法案が通った直後だけあって、悲壮な決意だ。覚悟だ。
この「声」はぜひ、国会で発表してもらいたい。そして全国民に聞いてもらいたいと思った。
第2部は、「今の日本をどう考えるのか」の討論会。小熊英二さん、川村湊さん、栗原俊夫さんだった。
戦争のことを考えさせられた。どうしたら戦争を避けられるのか。一人一人が考えなくてはならない。
その前日の9月19日(土)だ。この日も、勉強、勉強の日だった。
だって大西巨人の書いた戦争大作『神聖喜劇』(全5巻。光文社文庫)を読んで、その上で、トークセッションをするのだ。
この本は、昔は断片的に読んだ。又、漫画で読んだ。
しかし、今回はトークセッションだ。覚悟を決めて読んだ。
1冊が600ページほどあり、それが5巻だ。大変だ。原稿にして4700枚だという。25年にわたって書き続けた大作だ。
急遽、事前に読んだのは私だけだ。あとの3人は昔から読んでるし、何回も読み返しているという。
いわばプロの中に、アマチュアが1人紛れ込んで闘っているようだった。でも皆、優しいから、無知な私にも丁寧に教えてくれる。
この時のパネラーだが、大西巨人の息子さんの大西赤人さん(小説家)。それに川光俊哉さん(脚本家)。斎藤秀昭さん(大正大学講師)。そして司会・進行は坂元勇仁さんだ。
午後7時から武蔵野公会堂大ホールで行われた。
第1部は、ラジオドラマ『神聖喜劇』を聴く。
第2部は、『神聖喜劇』をめぐってトークセッション。
昔、少し読んでいたが、完全に忘れていた。
5巻読んで、驚いた。ただの〈戦争文学〉ではない。
二等兵が上官に殴られ、いじめられ、だから軍隊は残酷だ。戦争は悪い。…という小説ではない。
大体、登場人物が180人もいて、皆、個性を持っている。
善人と思われる人間も間違うし、悪人と思われる人間にも意外ないい面がある。単なる「勧善懲悪」ではない。告発、リンチ、暴力があり、理不尽な社会だ。
でも、それは、〈喜劇〉とでも言うしかない。そんな感情も漂う。深い小説だ。
又、兵隊が口答えしたり、「理論闘争」もある。息子さんの赤人さんに聞いたら、(全く同じことではないが)このような「論争」は実際にあったのだという。軍隊で大西巨人はそれを体験したのだ。
又、いろんな場面で、日本の古典を思い出したりする。中国の古典や、あるいは、ドストエフスキー、チェーホフなども出てくる。
第5巻の「解説」で坪内裕三が言ってたが、「これは読書小説」だという。
面白い分類だ。こんなことを考えていた兵隊もいた。
又、大西巨人が当時、あるいは後で考えたこともある。「厖大な教養小説」でもある。
私だけが初心者で、アマチュアだから安心して、3人のプロに聞きまくった。私が贅沢な個人教授を受けている感じだった。
この日、大ホールで聴いていた観客よりも、私が一番の観客だった。
観客の中には、大西巨人研究のプロもいたし、質問も専門的だ。又、全5巻を読んでない人もいる。
でも、これだけ贅沢な〈解説〉を聞いたのだ。「面白い、ぜひ全5巻を読みます」と言ってた人が何人もいた。こういう読書感染はいいことだ。
そうだ。NPO「読書推進協会」でも作ろうかな。本当は政府がやらなきゃいけない。出版社も、「全集」や難しい本を読んだ人は表彰するとか、図書券を贈呈するとか、したらいい。
『世界の名著』100巻を読んだ人には100万円を贈呈する。『戦後日本思想大系』を全巻読んだ人には図書券100万円分をあげるとか。あるいは、「A級読書士」の称号をあげるとか。
NPOや政府がやるのには時間がかかるだろうから、私は出来るところからやってゆく。
必死に本を読んでる人は表彰し、私の持ってる本や図書券を贈呈する。そして、さらに読書するように促す。
高橋和巳の『邪宗門』を読んだ人には表彰して、本を贈呈した。
大阪の人で、影山正治さんの『維新者の信条』を読んだという人がいた。私がどこかに推薦して書いたのを読んで、古本屋で買って読んだという。
これも偉い。表彰しましょう。
持丸さんの子供は4人。由香、威明…と、三島からもらって名付けている。
持丸さんは7人兄弟。すぐ上のお姉さんが参列していた。とてもナイーブで、とても勉強の出来た子供だったという。学校ではトップだった。東大を目指したんだが落ちて早大に入ったという。
中学の時、飯田ミエさんという先生にとてもお世話になり、歴史に関心を持ち、高校では水戸学の先生の家に下宿して、徹底的に勉強をした。日本の歴史への目を開かせてくれた飯田先生に感謝し、それで娘に「ミエ」という名前を付けたという。
その時、「えっ! 知らなかった」と大声が。当の娘さんだ。この日、初めて知ったようだ。驚きですね。
他にも、天才・持丸博さんのエピソードが紹介されました。私も話しました。
司会が「では、春画展の成功を祈って乾杯!」と言ったら、会場から、「性交を祈って!」と。元気な会だ。
日本の素晴らしい芸術だし、元気の代表だ、と皆が言ってました。
「春画」展は9月20日(日)から12月23日(水・祝)まで開催。行ってみて下さい。
㉑松山千春さん。いわば応援団長です。この日は、国会が、安保法案の大詰めで、国会議員は1人も来れない。宗男さんの娘さん(鈴木貴子さん)も欠席。「だから、長く喋ってくれと言われたんです」と。何と1時間以上、1人で喋り、歌ってました。
㉘9月22日(火)午後7時より、紀伊国屋ホール。「松元ヒロ・ソロライブ」を見に行きました。面白かったです。終わって、控室を訪ねたら、山崎さん、小室さんと会いました。私の左が松元ヒロさん。その左が山崎ハコさん。小室等さん。
㉝トークセッション。石上阿希さん(国際日本文化研究センター特任教授)。浦上満さん(浦上蒼穹堂代表)。石上さんは前に大学の授業で「春画」をやったら、学生がいきなり300人も来て入りきれなかったそうです。浦上さんは、「鈴木さんと前に会ってますよ」と言われました。「浦上天主堂で?」「いや、ゴールデン街で」。