札幌の時計台シンポジウムは凄かった。
今までの最高の評判、入場者だった。申込者が多すぎて、とても入り切れないので、早々に断ったという。
もったいない。と言って、急遽、「じゃ、もう一日、追加してやります」とも言えない。泣く泣く、断った。
それだけ「内田樹さんを見たい!」「話を聞きたい!」という人が多かったのだ。
今回は新聞案内などは一切ない。口コミだけだ。
「北海道に内田樹さんが来るらしいよ」「凄いね。ぜひ話を聞きたい」…ということで、希望者が殺到した。
又、この日は、その前にも〈仕事〉があった。内田さんと北海道新聞を訪ねて、あの植村隆さんに会ったのだ。朝日新聞で、慰安婦を取材した植村さんだ。
真摯な取材なのに、「捏造だ!」と批判され、猛バッシングを浴びた。
今、札幌の大学に勤めているが、そこにまで攻撃が来る。又、家庭にまで攻撃が来る。その実態を詳しく聞いた。
札幌時計台も凄い盛り上がりだった。2人の著書『慨世の遠吠え』(鹿砦社)もたくさん並んでいたし、終わってサイン会でも忙しかった。
この本は、内容もスリリングだが、場所もスリリングな所でやった。ホテルの会議室。
映画館を借り切ってのトーク。そして内田さんの合気道の道場。そこで稽古をつけてもらいながらのトーク。
大変だった。でも、楽しかったし、とても勉強になった。
おかげで好評で、再版が出た。
さらに、来年は、第2弾が出る。又、合気道道場で対談をする。さらに、漫画喫茶を借り切ってのトーク。などだ。
出版社もいろんなことを考えている。
この日、時計台でも、合気道や武道の話。そして現在の政治状況。さらに我々の生活。などについて内田さんと話し合った。
福沢諭吉は言っている。「一身独立して、一国独立す」と。
一人一人が自分の頭で考え、悩み、そして立ち上がる。それなくして国が独立し、強くなることはない…と。
それなのに、今の政治は逆だ。デモや世論調査など「国民の声」は届かない。国民の側もあきらめている。
一方、「国家が強くなればいい」と思う人々が急増した。
国家が強大な軍備を持ち、中国・韓国の「脅威」に備える。そうしたら我々一人一人も強くなれると思う。
でも、これは違うだろう。と思う。内田さんにも聞いた。
そして、今の〈日本〉について考えた。
「この日のトークの記録は早く出したいですね」と柏艪舎の社長も言う。これだけでも、緊急出版で、1冊の本になる。そう考えているようだ。
又、「時計台シンポ」のこれからの予定も発表された。
11月が蓮池透さん。3月が鳩山由紀夫さん。5月がアーチャリーだ。豪華なゲストだ。さらに7月以降も今、交渉している。
飛行機の中でも、内田さんの本を必死で読んでいた。
多分、内田さんは今まで200冊ほど出版している。「全て読破しよう」と思ったがムリだ。こっちが読む以上に、どんどん出している。週に3冊も出した時もあるそうな。
来年は、内田さんと第2弾の本を出す。さらに詳しく、具体的なテーマについて話し合いたい。
今週は、火(9月29日)、水(30日)が札幌に行ったが、それからが又、忙しかった。
30日は、札幌から帰り、そのままロフトに行って昼間たかし氏の出版トーク。宮台さんとも久しぶりに会った。楽しかった。
翌、木(10月1日)は、元中国大使の丹羽さんにお会いした。
学校が終わってからは、浅沼稲次郎さんの追悼集会に出た。山口二矢に刺殺されたのは、もう55年前か。
山口二矢はこの時、17才。私も17才だった(高校2年)。
ただただ驚きだった。「同じ年の人間がなぜ、あんなことが出来るのか」と思った。
それが、右の運動に入る上でのスタートになった。
テロは支持しない。でも、明確に否定する論理もなく、ただ驚き、茫然自失としていた。
1960年の事でした。55年前か。もう「前世の記憶」のような感じだ。
浅沼さん追悼は、前にも憲政記念館でやり、私も出た。
浅沼さんは立派な政治家だった。文字通り、清貧だった。アパートに住み、近くの銭湯に行っていた。
今、こんな政治家はいない。一人もいない。「先生、お背中を流しましょう」と近所の青年が言う。
「広い背中ですね。黒板のようですね」
「じゃ、ここに政治家への不満や要望を書きなさい。私が必死になって実現する」と。
いい話ですね。大衆政治家だ。
映画の「ワンワン物語」にも出ている。声優として。犬好きだったんだ。犬を連れて散歩している写真がある。本人は着物姿だ。まるで西郷さんだ、と思った。
木曜日(10月1日)は、遅くまで集会があり、終わって家で朝まで仕事。
そして翌金曜日(10月2日)は、大阪に日帰りで行ってきた。大阪読売テレビの「そこまで言って委員会」に出た。
又、土、日も集会、勉強会に出た。超多忙な一週間だった。
それら一つ一つについて書いてみたい。考えてみたい。でも、それでは、書き切れない。
「時計台」「そこまで言って委員会」「浅沼稲次郎さん追悼集会」「死刑廃止集会」…。書きたいものは沢山ある。
しかし、ここでは、「百年の愚行」展だけについて、少し触れておきたい。
9月25日(金)。「百年の愚行」展に行った。写真展を見る。そしてトークだ。
その前に、『百年の愚行』と『続・百年の愚行』の2冊の本を読む。かなり厚い。
でも最近、大西巨人の『神聖喜劇』全5巻を読破したばかりだ。それに比べたら、読みやすい。
それにしても、この本、この写真展のタイトルが凄い。
確かに、戦争や環境破壊や、いろんな〈愚かな行為〉はあっただろう。
しかし、世界の平和を求め、世界が協力しあい、自由を求めて苦悩し、闘ってもきた面もあるはずだ。
それなのに、プラスの面は見ないで、いきなり全否定の『百年の愚行』かよ。と思った。
さらに、『続・百年の愚行』だ。そんなに断定し、決めつけていいのかな。と思った。正直そう思った。
ところが、この2冊の本を読んで、その写真に、その文章に圧倒された。打ちのめされた。
これじゃ、『百年の愚行』と決めつけられても仕方はない。と思った。
本を読み終わって、「前書き」が決して、「一方的な決めつけ」ではないと思った。為にする「断定」でもない。真実、ありのままだと思った。
「前書き」には、こう書かれている。
〈科学技術と産業が飛躍的に発達した20世紀は、「創造と革新の世紀」と呼びうるかもしれません。とはいえその一方、それは「破壊と愚行の世紀」でもありました。戦争や迫害は言うに及ばず、乱獲や乱伐、無謀な土地の開発や造成、大量生産と大量消費による自然破壊は、人類そのものの存続にまでかかわってきています〉
何の基礎知識もなく、漫然とこの本を読み始めたら、ギエッ!と思った。
そこまで言うのかよ、と思う。「反日的」な本だ。いや、「反世界的」な本だ、と思ってしまう。
まいったなー、イデオロギーが主導する偏見に満ちた本じゃないのか。そう思って、サッと読み飛ばした。
だが、1冊読み終わって、ガーンと頭を殴られたような衝撃を感じた。確かに、そうだ。これはもう「百年の愚行」だよ、と思った。
そして、もう一度、「前書き」を読んだ。これは勇気のある告発だ。勇気のある挑戦だ、と思った。
今、引用した部分のあとは、こう続く。
〈そんな現実に目を向ける必要がある、と私たちは考えました。美しかった過去を懐かしんだり、美しかるべき未来に期待したりするのももちろん結構なことでしょう。でも世紀が改まった今、私たちがどんな地点まで来てしまったのか、どんな場所に立っているのか、振り返ってみるのも悪くないと思ったのです〉
〈この企画では、総計約100点の写真を選び、1冊の写真集を編んでみました。それぞれの写真は、人類が地球環境と自分自身に対して及ぼした数々の愚行の「象徴」であり、と同時にひとつひとつがれっきとした「現実」でもあります。個々の「現実」を捉えたのは、多くは報道に携わるフォト・ジャーナリストたち。彼ら写真家と、作品を掲載したメディアに敬意を表し、オリジナル版では新聞紙を再利用した台紙に写真を貼りつけることにしました。この普及版でもその趣はいくぶん伝わるかと思います。古新聞はまた、大量消費とリサイクルの時代の象徴でもあります〉
私が読んだのは、勿論、普及版だ。『百年の愚行』『続・百年の愚行』。ともに紀伊国屋書店が出している。定価はともに2400円だ。
ところが、「オリジナル版」がある。当日、会場に展示されていたが、大きい。新聞大の大きさだ。
そこに写真が貼りつけられ、原稿が書かれている。1冊1万8千円だ。ちょっと手が出ない。
それにしても、『百年の愚行』というのは、何ともショッキングで刺激的なタイトルだ。
あれっ、何か似たタイトルがあったな。と思ったら、トークした小崎哲哉さんが教えてくれた。ガルシア・マルケスの『百年の孤独』です。あっ、
そうだ。この本を出した時はマルケスは存命で、似たタイトルを使うので、わざわざ、ことわりの手紙を出したという。
又、ぜひ、一言書いてほしいと頼んだが、病院にいて、それは無理だったという。
『百年の愚行』は英文タイトルがこう付いている。
「ONE HUNDRED YEARS OF IDIOCY」だ。文字通り、「愚かな行い」だ。
ところが、『続・百年の愚行』では、ちょっと英文タイトルを変えている。こうだ。
「ONE HUNDRED YEARS OF LUNACY」だ。「愚かな行い」では、生ぬるい。もう、そんなとこをとっくに超えている。
それにもう「 LUNACY」(狂気)だ、ということだ。なるほど、と思った。「愚行」を「 LUNACY」にした。
又、この本も読んで分かるが、まさにその通りだと思った。歌をうたってるグループで「ルナシー」というのがある。あれもそこからとったのか。「そうです」と言う。
『続・百年の愚行』の表紙にも、こう書いている。
〈戦争、差別、暴力、格差、核、環境破壊…。むしろ「狂気」と呼ぶべきかもしれない〉
又、「まえがき」には、この「愚行と狂気の時代」は、同時に「速度と効率の追求」の時代でもあったと言う。
私の好きなミヒャエル・エンデの『モモ』も取り上げている。「時間どろぼう」が「人間から生きる時間を一時間、一秒とむしりとる」という。
〈グローバル資本主義は我々に「速度」と「効率」の追求を要求してきた。その追求の果てに待っていたのがチェルノブイリやスリーマイル島や福島の悲劇だった。さらに言えば、戦争、紛争、弾圧、迫害、差別、暴力、貧困、格差、環境破壊、核など、本書で取り上げた「愚行」のほぼすべては、速度と効率の追求に由来する。その底にあるのは、我々自身の尽きもせぬ欲望である〉
これは、深い言葉だ。これをかみしめながら、さらに考えていきたい。
右派の小林節さんも、「これは人権問題だ! 許せない!」と植村さんを支援している。
実情を聞き、今後の闘いを話し合った。
それから柏艪舎に行き、打ち合わせ。そして時計台ホールへ。
6時、スタート。
〈「日本の分」について考える。
第14回 鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台〉。
ゲストは内田樹さん。テーマは「強い国家か、強い個人か」。超満員だった。会場は、立ち見も含めて150人。この倍の人たちの申し込みがあったが、入れないので断ったという。
内田さんの人気だ。一目見たい。話を聞きたいという人が多いのだ。
初め1時間、内田さんの講演。その後、2人でトーク。そして質問を受け、9時、終了。
それから打ち上げ。とても充実した会だったし、楽しかった。
本も素晴らしい出来だった。「竹中労の再来かもしれない」と思った。私も焦った。そんな話をした。
又、「ものを書く」人間の決意について。出版とは何か。コミック、表現の自由などについて皆で話し合った。
それから急いで学校へ。河合塾コスモで午後3時から「現代文要約」。
5時から「読書ゼミ」。今日は、前泊博盛さんの本、『本当は憲法より大切な日米地位協定入門』(創元社)を皆で読みました。
それからタクシーで、日比谷公会堂へ。もう始まっていた。遅れて参加する。
〈浅沼稲次郎さんを追悼し未来を語る集会=日本の民主主義の危機を考える=〉
辻元清美さん、村山富市さん、辛淑玉さん、福島みずほさんに会う。満員。とても力強い集会でした。
そのあと、家に帰って、朝まで仕事をした。
⑨時計台シンポの前に北海道新聞に行って、植村隆さんと会いました。植村さんは、こちらの学校に勤めています。ところが、かつて従軍慰安婦問題を取材したということで、本人、学校に大量の脅迫状が来ています。卑劣な連中です。その余りにも酷い実態を聞き、驚いてしまいました。
左から、内田樹さん。植村隆さん。鈴木。そして、支援する長谷川さんと神沼先生。
㉘赤木さんと鈴木。増田監督の映画「沈黙の隣人」に出演したんです。2人とも刑事になって、悪い犯人をやっつけるんです。犯人を追いかけ、捕まえます。投げ飛ばし、馬乗りになって、殴りつけました。「あっ! 本気で殴っちゃダメですよ」と監督から注意されました。
㉙10月1日(木)。6時半より。日比谷公会堂。〈浅沼稲次郎さんを追悼し未来を語る集会=日本の民主主義の危機を考える〉に出ました。村山富市さんと話しました。3月、韓国に行く前に会った時、「ぜひ戦争記念館に行きなさい」と言われたので、「行ってきました」と報告し、いろいろと話しました。