久しぶりの「全集挑戦」だ。よし、やってやるぞ!と、メラメラと闘志が燃えた。
読書の醍醐味は、「全集読み」に尽きる。全集を読んでこそ、「本を読んだ!」という実感と手応えが感じられる。
だから、『大杉栄全集』(ぱる出版。全12巻)を買った! 箱入りの豪華な本だ。
1冊が500頁近い。値段もいい。1巻から7巻が6800円だ。8巻から12巻までは8000円。全部で10万円弱だ。全巻買うと大幅に安くなる。思い切って買った。
大杉栄の本は今まで随分と読んでいる。単行本、文庫本。又、「日本の名著」やちくまなどの思想大系の中の1巻として、読んでいる。
だから大杉の代表的なもの(たとえば『自叙伝』など)は、読んでいる。何度も何度も読んでいる。
それが主な著作で、他にはあまり無いのかと思っていた。
何しろ、大杉は「行動の人」だし、若くして権力に殺されている。家にいて、じっくりと著作するという時間はとれなかったのだろう。と勝手に思っていた。
ところが、この全集を見て、ビックリした。こんなにも沢山、本を書いていたのだ。いろんな分野にわたって書いている。又、ファーブル「昆虫記」の翻訳などもある。これは楽しみだ。
大杉については、多くの人が書いている。竹中労『大杉栄』を初め、飛矢崎雅也さん、栗原康さん、中森明夫さんなど。アナキズム研究家の人たちの本も多い。
でも、一般的には、大杉は「行動の人」であり、「権力に虐殺された人」としてのイメージの方が強い。
手元にある『辞林21』(三省堂)には、こう書かれている。
〈おおすぎさかえ【大杉栄】(1885—1923)社会運動家。香川県生まれ。アナーキストとしてアナ・ボル論争に参加。大正期の労働運動に大きな影響を与えた。関東大震災の際、妻伊藤野枝らとともに憲兵大尉甘粕正彦らに虐殺された〉
アナーキストであり、過激に闘い、39才の若さで殺された。
大杉の著作の紹介はない。学者や評論家ではないし、まず主義の人、行動の人だ。そう思われているようだ。
今、大杉関係の本をパラパラと繰ってみた。中央公論社から出ていた「日本の名著」の46巻に、「大杉栄」がある。昭和44年11月10日発行だ。三島事件の1年前だ。
ここには大杉の代表的な著作が入っている。『自叙伝』『日本脱出記』『僕は精神が好きだ』。他の思想全集の中でも、大杉といえばこの三つが挙げられる。
だから、この三つさえ読めばいいのか。他にないのだろうと、思ってしまう。又、この三つは、よく読まれている。
私も、何度も読んだ。それで大杉を分かったような気がしていた。
ところが、「それは間違いだ!」と多田道太郎は言う。「日本の名著・大杉栄」の責任編集者だ。
「はじめに」で、こう言う。
〈無知の読者が、望ましい最良の読者である〉。
エッ?と思った。読み違いじゃないのか。目を凝らして見たが、同じだ。意味が分からない。46年前に読んだ時も、その意味が分からなくて、線を引いてある。
じゃ、大杉の代表作を何冊か読み、分かった気になってる人。又、ちょっと本を読んで大杉の闘いも知った気になっている人。そういう人が「最良の読者」なのだろう。
大杉は権力に虐殺された。生きてる時も、自由奔放で、トラブルを起こし、女に刺されている(葉山事件)。
それは知ってる人が多いが、大杉その人を、その思想を知ってる人は少ない。
多田は言う。
〈大杉栄の名は葉山事件(1916年)や甘粕事件(1923)によって今だに世人に記憶されている。彼がどんな「名著」を書いたか知らない人でさえ、その名は知っている。しかたがないことだが、困ったことだ。その知っているということの基盤には、偏見と独断と党派的利害にかためられた「世論」の歴史があるからだ。思想史や文学史の専門家でさえ、しばしばそういう知りかたをしている。無知の読者が、望ましい最良の読者である〉
と言っても、大杉には会えない。残された大杉の著作を読むしかない。
しかし、大杉の旧い同志・和田栄太郎は言っている。
〈書き残されたものから論理的に大杉栄像を導き出そうとすると、往々にして誤ることが多い。書かれたものの裏側を読みとるようにしなければいけない〉
だから、読者は、まず大杉の本文にあたってその「裏側を読みとってほしい」と言う。
多田は言う。
〈活字の表側をすべるというのは、それだけ偏見のなめらかなレールに乗ったということである。私の解説は、彼の著作の「裏側」にそうて、大杉の内面の展開をたどろうとしたものだが、どこまで「裏側」にゆけたか、心もとない。とにかく、繰り返していえば、無知の読者が大杉の最良の読者である〉
よし、では「無知な読者」になろう。そして、ぱる出版の「大杉栄全集」を読もう。全く知らなかった大杉栄に出会えるだろう。
大杉の同志・和田は大杉の文の表面だけを追ってはダメだ。論理だけを追ってはダメだと言う。
権力の凄まじい弾圧の中で書かれた著作だ。普通に書けなかったこともあるだろう。
又、大杉の文は論理よりも感情に訴えるものが多い。
さらに、短い言葉でズバリと本質を衝いたものも多い。大杉は、キャッチコピーの天才なのだ。
大杉といえば、自由を愛し、自由を求め続けた人。というイメージが強い。
「僕は精神が好きだ」の中で、自由について大杉はこう言っている。
〈僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると、たいがいはいやになる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ〉
〈この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。少なくともかわいい。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわり大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々いやになる〉
エッ、社会主義、無政府主義も嫌いなのか。他人から貼り付けられたレッテル だからか。「…主義」になった途端に精神の自由を失う人間を余りに多く見てきたからか。
そして大杉はこう言う。
〈僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。
思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そしてさらにまた動機にも自由あれ〉
最後の言葉は余りに有名だ。では、この「自由」は、どこで一番初めに願望されたのか。
父親が新潟県の新発田に転任になり、10年、そこにいた。大杉栄が5才から15才までだ。
大杉は『自叙伝』でも書いている。
〈僕も十五までそこで育った。したがって僕の故郷というのはほとんどこの新発田であり、そして僕の思い出もほとんどこの新発田に始まるのだ〉
その後、折にふれては、どこにいても新発田を思い出した。そこが「故郷」であり、「原点」だ。
幼年学校で、「下士どもの犬のような嗅ぎまわり」に耐えられなくなったとき、大杉は「自由」を思った。
『自叙伝』に書いている。
〈僕ははじめて新発田の自由な空を想った。まだほんの子供の時、学校の先生からも遁れ、父や母の目からも遁れて、終日練兵場で遊び暮らしたことを思った。僕は自由を欲しだしたのだ〉
大杉にとっての故郷は新発田だった。
又、〈自由〉を考える時、いつも新発田を思い出していた。「新発田の自由な空を思って」と言う。
新発田の「自由な空」が大杉の思想を作り、行動を作ったのだ。
だから、その大杉の故郷・新発田では毎年9月に、「大杉栄メモリアル」が行われている。
今年は作家の中森明夫さんが講師で話をした。私も聞きに行った。
以前に何度か私も講演した。大杉がよく遊んでいた公園のいちょうの木。通っていた学校。通っていた書店などは今も残っている。大杉はここで生きている。
この「大杉栄メモリアル」を主宰している斉藤徹夫さんから、『大杉栄全集』の話を聞いた。
今年の集会では受付で売れらていた。「これはいいですよ」と斉藤さんは絶賛していた。
凄い、と思った。今まで知らなかった大杉の著作も沢山入っている。
でも高いな。でも読んでみたいな。…と迷った。悩んだ末に、「よし買おう!」と思った。
私は大杉の本を読み、大杉について、いろいろと書いてきた。
しかし、「全集」を読まないと、「大杉を読んだ」とは言えない。
大杉の「ほんの一部分」(たとえそれが「代表作」といわれるものでも)しか読まないで、大杉を語るなんて、傲慢だと思った。
だから、まず、全集を読んでみる。もしかしたら、「代表作」は別のものかもしれない。全12巻を、これから、じっくりと読む。
そして、考えたことを、その都度、書いていこう。
全集を読んだ人、読んでる人と対談してもいい。そんなことを考えている。
「大杉栄全集」に挑戦するにあたっての「選手宣誓」だね、今回は。
先週、書いたけど、昼間たかし氏(ライター)の出版記念トークに出た。
ロフトだ。『コミックばかり読まないで』(イーストプレス)だ。
読む前は、軽い本かと思った。コミックの表現規制に反撥した本で、表現の自由について書いた本かと思った。
勿論、それもある。だが、深い。そして広い。ロフトの闘いの歴史が書かれている。
又、ライターにとって何が大切か、そんなことが書かれている。
彼は竹中労を尊敬している。昼間氏のこの本こそ、竹中の『ルポライター事始』のようなものだと思って、焦った。彼の書くものに、その才能に、焦った。
私も竹中労を尊敬し、その手法を学んできたと思う。『竹中労』(河出書房新社)という本も書いた。
それなのに昼間氏の方が、グンと竹中に近づいている。
負けられない。と思った。じゃ、竹中が尊敬する大杉栄の全集を読もう!と思ったのだ。竹中の、そのルーツに飛び込んでみよう…と思った。
又、「全集読み」は私にとって、大切にしてきたことだ。根本だ。これがあったので、(小さいながら)自分の考え、思想をつくってこれたと思う。
5年前に彩流社から出した本がある。『鈴木邦男の読書術』だ。ここには「全集読み」について、かなり詳しく、具体的に書いている。この本の第2章「大作を読み通す読書術」がそれだ。
そこの小見出しだけを紹介してみよう。
「決定版 三島由紀夫全集(全44巻)を読破した!」
「探し続けて40年。読破した大河小説『人生劇場』全11巻!」
「私の原点は司馬遼太郎の『燃えよ剣』だ!」
「『新潮現代文学』(全80巻)を読破した!」
「中里介山の『大菩薩峠』全41巻を読まにゃ」
…まさに、戦いの記録だ。
さらに、第3章は「読書戦争・ちくま編」だ。平成の読書王・高木尋士氏と読書対談をした。ちくまで出していた思想全集を読んでの対談だ。
①まずは、初めに『戦後日本思想大系』(全16巻)を読んでみよう。
②次は頑張って『現代日本思想大系』(全35巻)を読んでみよう。
③これからの課題だね。『近代日本思想大系』(全36巻)は。
そして、こう続く。
④芹沢光治良の『人間の運命』(全14巻)で「刷り込み」と「脱却」を知る。
⑤活動家の必読書だよ。立花隆の『天皇と東大』は。
⑥何のために本を読むか。
この④の部分をさらに進めて、今月、高木氏と再び「読書対談」をする予定だ。
芹沢の『人間の運命』(全14巻)と、谷口雅春先生の『生命の実相』(全40巻)。それに高橋和巳の『邪宗門』の計55冊をテキストにして宗教についての話をするのだ。
そうだ。〈大杉栄全集〉も読破したら、高木氏にも読んでもらい対談しよう。
読書についての本は今まで何冊も書いてきた。この彩流社の本は、それらの「総終版」だ。
その第4章には、何と、私の初めての読書本も入っている。『行動派のための読書術』だ。
本の中に、かつての本が1冊全て入っている。この構成も面白い。
こんな見出しがある。
1.ノルマを決めて読む
2.併読する
3.全集ものを読む
4.テーマ別に読む
5.メシは食わなくとも本は読む
6.いい友人を持つ
…と続く。ここで言う「いい友人」とは、要は「本を読んでる人」のことだ。
一般的に言って「いい人」でも、本を読まない人は価値がない。ネコと同じだ、と思っているようだ。
他に、「ビラ、パンフなどは読まない」とある。たとえ「本」のような体裁をとっていても、左右の「宣伝・アジ」を目的とした本は、「本」ではない。読む必要はない。と言ってるようだ。
「金があったらともかく本を買う」「いらない本は思い切って捨てる」「無償の行為こそが実を結ぶ」…と。
随分と前に書いた本だし、極端な読書論だ。でも、この頃から、「全集を読もう」と心がけていたんだ。
私の人生・考え方を支えてきたのは、それなんだね。それだけだ。つまり、私という人間は、いろんな「全集」で出来ているんだ。
そして今、「大杉栄全集」に立ち向かう。
先週の金曜日(10月2日)、大阪のよみうりテレビでお会いした。「そこまで言って委員会」の収録を終えて帰ろうとした時、バッタリ会った。次の収録に出るとのことだった。
「来週、お世話になります。忙しいとき、すみません」と言いました。
それにしても、勇気がある人だ。安保法案に反対してる人の集会に、一人で乗り込んで来て、話す。考えは違っても、「話し合える人」だし、日本のことを憂えている。そこには違いはない。
井脇ノブ子さんも出品している。元気の出る絵だ。久しぶりに話しました。
それから、学校へ。
3時、「現代文要約」。
5時、「読書ゼミ」。今週は澤地和夫さんの本を読む。『殺意の時=元警察官・死刑囚の告白』(彩流社)。
腕のいい警部で、部下にも慕われていた。警察を辞めて、新宿に店を出した。
部下たちは皆、保証人になったり、金を出したりしてくれた。店は繁盛した。
しかし、途中から、客が来ない。時代も悪かった。高利貸しから金を借り、矢のような催促。どうしようもなくなって、強盗殺人をやる。
私は、何回か面会に行った。裁判にも行った。「そんなに金に困っていたのなら、自己破産するとか、逃げたらいいでしょう」と言ったら、「鈴木さん、そんな悪いことは出来ません!」と言う。人を殺すよりはいいだろう。
でも、自分を慕って金を出し、保証人になってくれた部下を裏切ることは出来ない。それだけを考えて、考えて、とうとう強盗に入り、そして、人を殺してしまう。
いい人なんだろう。いい人だからこそ、追いつめられた。日本版『罪と罰』とも言われた事件だ。
その本を読みながら、「善意が犯す犯罪」について考えた。
午後3時、生涯学習センターに集合。それからバスで秋の宮山荘へ。秋田県立湯沢中学校の同窓会だ。
中学生だった時、もう57年前じゃないか。でも皆、面影があるんだね。懐かしかったです。
夜、遅くまで、皆と飲み、話し合いました。
第2部、詩と音楽の夕べ。出演・小室等さん。こむろゆいさん(歌手)。道浦母都子さん(歌人)。佐々木幹郎さん(詩人)。発起人の代表として、山本義隆さんも来ていました。椎野さん、金廣志さんも。
そして二次会に行きました。さらに道浦さん、辻恵さんに誘われて三次会に行き、3時まで飲みました。
⑥元法務大臣2人が登壇して語りました。「法務大臣にできたこと・できなかったこと」。左が杉浦正健さん。2005年10月〜2006年9月、法務大臣。右が平岡秀夫さん。2011年9月〜2012年1月、法務大臣。二人とも在任中、死刑執行命令にはサインしなかった。現在、二人とも弁護士。
⑱「ヒゲの隊長」佐藤正久さん(自民党)。右は、福山哲郎さん(民主党)。10月2日(金)。大阪・読売テレビで。私は、「そこまで言って委員会」に出て、帰ろうとしたら、二人にお会いしました。これから2本目の収録に出ると言ってました。安保法制についてです。鴻池さんもそれに出ると言ってました。
⑲10月4日(日)午後1時から、明治大学で、シンポジウム。「日中友好外交の道を探る」を聞きに行きました。満員で立ってる人も沢山いました。外では右翼の街宣車が何十台も抗議に来て、機動隊ともみ合ってました。鳩山さんが来るので、抗議に来たのでしょう。特別報告をする鳩山由紀夫さん。