2015/10/19 鈴木邦男

秋田県湯沢中学校の同窓会に行ってきた!

湯沢中学校の同窓会。10/9
湯沢中学校の同窓会。10/9

①秋田県湯沢中学校の同窓会。久しぶりだ

周りは杉林でした
周りは杉林でした
「院内銀山異人館」
「院内銀山異人館」
皆で校歌をうたいました 皆で校歌をうたいました

中学校の同窓会に行ってきた。秋田県立湯沢中学校だ。「昭和33年度湯沢中学校卒業生同期会」と案内状には書かれていた。

もう57年前なのかな。随分と昔だ。前世の記憶のようだ。

10月9日(金)、湯沢市の「生涯学習センター」に午後3時に集合。3時半にバスが出て、山の中の「秋の宮山荘」に行く。

そこで同窓会。そして大宴会だ。夜遅くまで話し、飲み、歌う。

翌、10日(土)は午前10時にバスが出る。湯沢市に戻り、その後、各クラス毎の昼食会。市内のホテルやレストランでやる。

私は「仕事があるので東京に戻ります」と言って、一人で湯沢駅へ。

前の日、通ってきた院内駅に書いてあった建物が気になる。「院内銀山異人館」。

みんな、元気です みんな、元気です

何だ、これは?と思った。ちょっと寄ってみよう。

でも列車はない。2時間あとだ。近いだろうと思ってタクシーに乗った。結構ある。6500円もかかった。

でも見ておきたかったし、いろんな発見があった。私のいた湯沢のすぐ傍に銀山があったなんて。

そこがシルバー・ラッシュで、全国から多くの人が集まった。魚、食糧を届ける商人。酒を届ける商人で賑わった。

この銀山景気のおかげで湯沢の酒会社も潤い、湯沢は日本有数の酒造都市になったんだ。

これは知らなかった。湯沢中学でも習わなかったよ。

でも「院内銀山異人館」の最後の「異人館」って何だ?

労働者は大勢来たし、大勢死んだ。それで外国からも呼んだのか。アジア各地から。と思ったら違うようだ。

住谷君とはよく相撲を取りました 住谷君とはよく相撲を取りました

大体、江戸時代に始まる。この銀山を発見したが、掘る技術がない。

それでドイツの技術者に来てもらい、銀の掘り方を教えてもらった。又、溜まる地下水を地上にかき出す技術も教わった。それで「異人館」なんだろう。

あっ、話が先走った。同窓会の話をするんだった。

私は何度も書いてるように、東北生まれ、東北育ちだ。「東北製」だ。

親父が税務署に勤めていたので、東北地方を転々とした。

私が生まれたのは福島県郡山市だ。でも、すぐに移る。福島市、会津若松市…と。さらに、青森県の弘前に行く。これが5才までだ。

それから秋田県に行く。幼稚園と小学1年は横手市だ。

翌日の朝食です 翌日の朝食です

小学2年、3年は秋田市だ。秋田市の保戸野小学校だ。

小学4年から中学2年までの5年間は湯沢市だ。ここが一番長い。

「故郷」というと、この秋田県での9年間を思い浮かべてしまう。

中学3年の時、仙台に転校する。仙台二中、東北学院榴ヶ岡校を出て、早大に入り、上京。「生長の家学生道場」に入り、祈り、勉強する。

そのまま宗教生活を深め、「生長の家」本部に勤めようかと考えた時もあった。宣教師のような生活だ。

それも悪くないと思っていたが、当時は、学園も街頭も荒れていた。左翼学生に反対して、「ストライキ反対」のビラを大学で撒いてたら、いきなり全共闘の学生たちに襲われた。

抗議し、理論闘争するのではない。いきなり殴りつける。倒れたら、さらに殴る、蹴る。

十分に痛めつけて、彼らが帰るときに吐いた一言。

秋田美人 秋田美人

「懲りたか! 右翼め! ペッ」。

これが「右翼との初めての出会い」だ。いや、違うな。「右翼という言葉を聞いた初め」だ。「エッ! 俺って右翼なのか?」と驚いた。

それからですね。「右翼学生」としての闘いの日々が始まったのは。

あらら。又もや話が先走りしてしまった。湯沢中学校に戻る。

親の都合で、私は中学2年まで湯沢にいて、そのあとは仙台に行く。

だから、本当は湯沢中学校の「卒業生」ではない。でも、呼んでくれる。温かい。「本当は卒業生じゃねえだろう」「右翼は帰れ!」と言う人もいない。ありがたい。

85人が参加した
85人が参加した

②真室川、及位(のぞき)、院内を通って…

湯沢に行く途中。真室川 湯沢に行く途中。真室川

湯沢に行くなら、普通は秋田新幹線で大曲に出て、そこから在来線で向かう。

前日に切符を買いに行ったら、いい時間のがない。

「じゃ、山形新幹線に乗って新庄で乗り換えてはどうですか」と駅員さんが言う。

そうすると集合時間の1時間前に着く。台風で遅れていて、早めに着く方がいい。それにした。

当日、嵐もやみ、山形新幹線は時間通りに出た。新庄から乗り換えて奥羽線に乗ると、もうそこは「湯沢中学校」御一行様。といった感じ。

「おっ! クニオでねが」「いがったな」「なんじょしてだが」「いま、来だが」「んだ、んだ。スミダ」と私も応えました。秋田弁に韓国語も入っちゃうんですな。

「及位(のぞき)」駅です 「及位(のぞき)」駅です

新庄から秋田行きで1時間。田舎だ。空が大きい。雲が大きい。沢山ある。

面白い駅名がある。「真室川」。あれっと思ったら、そうです。民謡「真室川音頭」発祥の地と書いてあった。

大きな川「真室川」もあった。今度、下りて歩いてみよう。

それから、「及位」という駅もあった。「のぞき」と仮名が振ってある。変な名前だ。

ここでは、「のぞき行為」をしても罰せられないのだろう。(そんなことはないか)。

そうだ。前に名古屋で講演した時、聞いた。滋賀県には「浮気町」という町があると。

嘘だと思ってたら、本当だった。丹羽基二『苗字の謎が面白いほどわかる本』(中経の文庫)にも出ていた。滋賀県守山市浮気町だ。

湯沢中学校があった所には… 湯沢中学校があった所には…

ここに住んでる人は恥ずかしいだろうな。「浮気公認」なんだろうか。いやいや、浮気と書いて「ふけ」と読ませる。「うわき」はダメなんだ。

「愛知県一宮市浅井町大野字浮気」という所もある。ここは「うき」と読む。「うわき」じゃなく、「うき」ふけ」だ。でも字を見た感じでは、やはり、「うわき」と思っちゃう。「浮気」出身のお母さんと「のぞき」出身のお父さんを持った子供は嫌だろうな。

そんなことを思いながら在来線に乗ってたら、院内を通った。大きく「院内銀山異人館」と書かれている。

朝鮮から強制連行して働かせていたのか、と思ったら、違う。

それは次の日、実際に見て、分かった。院内からはすぐだ。

院内は、今は湯沢市に入っている。我々がいた頃と違い、湯沢市は大きくなっている。近くの町々を町村合併で吸収して大きくなった。

私の家があった所には… 私の家があった所には…

ただ、その関係で、小学校、中学校、高校は、旧・湯沢市から離れてしまう。「大きくなった湯沢市」全体の子供たちが通えるように、と。

又、大きなスーパーなども郊外に行った。でも、その結果、旧・湯沢市の街は寂れた。駅前のメインストリートもシャッター街だ。

人がいない。道路はきれいになったが、人がいない。昔は映画館が四つもあったが今は一つもない。淋しい。文化がない。

元公民館だったところが、「生涯学習センター」になっている。

そこに3時集合だ。私らは2時に着いた。でもバスは3時半だという。

じゃ、少し散歩してきます、と言って出かけた。

この場所は元公民館だが、この隣りに湯沢東小学校、西小学校があった。

会場へ向かうバス 会場へ向かうバス

私は東小学校出身だ。子供がわんさかいて、賑やかだった。

今は二つともない。合併で広くなったので、郊外に行った。

中学校もない。その跡まで歩いていった。今は、中学の跡は「特養老人ホーム」になっている。淋しい。

その近くに私の家があった。父親が勤めていた会社の社宅だが、かなり大きかった。今はない。そのまま湯ノ原町会の会館になっている。懐かしい。

あたりは一面の畑で、冬、雪が積もると、家の中でスキーを履いて、廊下からポンと畑に降りて、スキーをやったもんだ。

すぐそばに川があって、そこで泳いだ。でも今、見ると、浅いし、水も汚い。とても泳げない。

奈良会長の挨拶 奈良会長の挨拶

そんな感慨にふけっていると、「あっ、時間だ」と思った。あわてて集合地点に戻る。

3台のバスに分乗して、秋の宮に行く。初めてだ。途中の景色もきれいだ。

杉の林、杉の森ばっかりだ。自然がいい。贅沢な気分だ。

秋の宮山荘に着く。広い。きれいだ。「あさま山荘」とか、「みやま山荘」とは大分、違う。

③50年前にタイムスリップしただよ

SUGIZOさん。大槻ケンヂさんと。10/11
SUGIZOさん。大槻ケンヂさんと。10/11
三坂知絵子さん。PANTAさんと 三坂知絵子さん。PANTAさんと

午後6時から、同窓会。そして大宴会が始まる。

同窓会長の奈良氏が挨拶する。皆で、校歌をうたう。「紫におう鳥海を、はるかのかなた…」と歌う。鳥海山のふもとなんだ。最後は、「若竹 湯沢中学校」となる。我々は若竹なんだ。すぐ、食われそうだな。

二番目は「若駒、湯沢中学校」だ。若い馬なんだね。たけり狂っていたな。

三番目は「若鳩 湯沢中学校」だ。鳩にはならんかったけど、鳩の「右の翼」になっちゃったよ。こんな歌をうたってたから。

歌によって作られた人生だ。『本当は怖い、校歌の秘密』。うん、これを書けるかも。

「あの時代は貧しかった。教科書だってお兄さん、お姉さんから譲り受けて使ってた。でも貧しさを〈不幸〉と思ったことはなかった」と、同窓会長は言う。

山崎ハコさんと 山崎ハコさんと

「不幸」という言葉を知らなかったんだ。私なんて、天皇がおられることも知らなかった。自分が日本人だということも知らなかった。

それが後に右翼になるなんて、不思議だ。

当時、湯沢中学校は9クラスあった。1クラスは50人。1学年が450人いた。今まで50人ほどが亡くなっている。

72才で生存率は90%だ。貧しくても不幸と思わなかったからだ。「これからも頑張って生きよう。もう1周、12年は生きよう! 84才まで生きよう!」と言っていた。

謙虚だ。日本人の平均寿命だって、それ以上だろう。せめて、「120才まで生きよう!」と言ったらいいのに。

この日の出席者は85名。多い方だ。地元の人が多いが、東京、神戸から来た人もいる。顔を見てすぐ分かる人。名前を聞いて分かる人。いろいろだ。

大川豊さんと。10/12 大川豊さんと。10/12

「ああ、湯沢中学校で一番美人だった人ですね」「湯沢中学の三大美人と言われたんですね」と思い出して、話しましたよ。

「おめえ、“三大美人”だってもう5、6人に言ってるよ」と同級生に注意された。「昔から、口ばっがりの男だったけど」と。

ひどい。皆に気を使って、誉めただけなのに。

「この前、テレビ見だど」という人も。最近、「そこまで言って委員会」に2回出た。又、今月は「ニュース23」にも出た。それを見てくれたようだ。

「頑張ってんね」「あれは、リハーサルするんだが?」「なんぼもらうのしゃ(いくらもらうのか)」と聞かれる。

リハーサルか。考えてもみなかった。2時間討論するんで、その前に2時間、リハーサルをする。

阿曽山大噴火さんと 阿曽山大噴火さんと

でも、それじゃ、本番の方がきっと面白くない。だから、リハーサルをやる討論番組なんて一つもない。

でも、「やってるんだろう」と思ってる人はいるんだね。

前に、ある大学で頼まれた時、「同じ時間をとってリハーサルをしたい」と主催の学生が言い出す。

「バカか!」と思った。でも、そうは言わず、「そうすると、本番が面白くなくなりますよ」と言って、たしなめた。

そんなこんなで、湯沢の夜は更けていきました。お酒も飲みました。きのこ料理も食べました。昔の友達とも話し込みました。そして寝ました。

翌日は、朝食のあと、朝10時にバスが出る。昨日と同じ「生涯学習センター」に着く。

そこから各クラス毎に市内のレストランやホテルに行って、昼食会。

森達也さんの『人間臨終考』 森達也さんの『人間臨終考』

私は、「用事があるので」と駅に向かう。

今、湯沢駅は大きく建て替えている。観光客を呼び込むつもりなのか。

でも新幹線は止まらないし、人は来ない。

理由を聞くと、エスカレーター、エレベーターを取り付ける大工事だという。老人が多いので、階段を上れないんだ。

早く東京に戻りたいが、「院内銀山異人館」が気になる。

電車はもう2時間以上もない。同じ「湯沢市内」だから近いだろうとタクシーに乗ったら、6500円もかかった。

「異人館」は大きい。客は私1人だ。銀山景気でいかに周りが潤っていたか。当時の活気ある状況が説明されている。ビデオも見た。

「ここが景気が良かったから、湯沢も潤ったんですよ」と言う。「すみません。知らなくて」と謝った。

④帰ってきて、全学連・全共闘の集まりに。

小室等さんと、こむろゆいさん
小室等さんと、こむろゆいさん
山崎博昭さんのお兄さんが挨拶。10/10 山崎博昭さんのお兄さんが挨拶。10/10

そして、列車に乗って新庄へ。そこから山形新幹線で東京へ。お疲れさまでした。

一旦、家に帰って6時に、新宿文化センターへ行く。「山崎博昭プロジェクト」の講演会に出る。

山崎博昭さんは、全学連の羽田闘争で死んだ人だ。今、そこに記念碑を建てようとしている。

博昭さんのお兄さんも来ていた。山本義隆さん、金廣志さん、椎野礼仁さんも来てました。

第1部は下重暁子さん(作家)の講演。「家族という病。国という病」。

よかった。終わって話をした。「NHKのアナウンサーの時なら出来なかったでしょう」と言ったら、「そうですよ。とても、とても」と言ってました。学生運動で亡くなった人の会になど出られない。

辻恵さん。道浦母都子さんと 辻恵さん。道浦母都子さんと

第2部は「詩と音楽の夕べ」。小室等さん、こむろゆいさん(歌手)。道浦母都子さん(歌人)。佐々木幹郎さん(詩人)。二人は自分の短歌・詩を朗読する。いいですね。

終わって二次会。道浦さんの短歌は私も随分と読んでいる。素晴らしい。

時に激しい歌がある。厳しい人かと思ったら、とても温かい人だった。

辻恵さん(弁護士・元国会議員)とも話し込んだ。「もう一軒、行きましょう」と辻さん、道浦さんに誘われて行く。

朝3時まで飲んだ。前の日は、同窓会で、あまり寝てないのに…。でも楽しかった。

そうだ。椎野礼仁さんは短歌を作っている。だから、やったらいい。短歌の朗読を。新宿文化センターで。

詩人の佐々木幹郎さん 詩人の佐々木幹郎さん

ついでに金廣志さんも詩を作って読んだらいい。「その時は伴奏をして下さい」と小室等さんに頼んだら、「いいですよ」と言っていた。

じゃ、やろう。でも、礼仁、金さんの新左翼コンビでは人が集まらないか。

今回の集まりは、参加費が2000円だった。だったら、1人2000円ずつ、あげたらいい。「お耳汚しでしょうから」と言って。100人なら20万円。1人、10万円出したらいい。

「じゃ、山谷とか新宿の公園ならもっと集まりますね」と金さん。千人でも1万人でも集まるだろう。

でも、お金が大変だ。しかし「2000円もらって短歌や詩の朗読を聞く」。いいじゃないか。

二次会で 二次会で

30年ほど昔、大阪の右翼の先生が月に1回上京して講演会をやっていた。

学生、青年が100人ほど集まる。何と、その先生は、「私のつまらない話を聞いてくれて、お耳汚しでしょうから」と、各人に2000円ずつくれる。それにカレー付きだ。

もの凄い人気で、「毎週やってほしい!」という声も出た。太っ腹な先生だったな。と思った。いい先生だった。

それと同じことを今度は左の側からやってみなよ。礼仁、金さんで。

そうだ。「大杉栄全集」も読んでますよ。新幹線で1冊、本が読めるよな。

昔、ポケットウイスキーのCMにこんなのがあった。汽車(鈍行だ)に乘って、文庫本を読んでいる。ポケットウイスキーをチビチビやりながら。夜になったら、どこか適当な駅に降りて、民宿に泊まる。そこでも本をずっと読んでいる。眠くなったら寝る。

11/10札幌時計台 11/10札幌時計台

翌日は、汽車に乗って帰る。又、文庫本をずっと読んでいる。そしてナレーションだ。「本を読むために出る旅もある」。

いいねー。昔は文化的なCMもあったんだ。ポケットウイスキーのCMだが、「本を読めよ」と言っている。

私もこれをやりたい。用事がないのに朝、新幹線に乗る。ひたすら本を読む。大杉栄全集でもいいな。

終点の博多に着いたら、さらに九州新幹線に乗り換えて鹿児島まで行く。本を読む。

鹿児島では、駅前のホテルに泊まり、本を読む。

翌日、帰ってくる。本を読むためだけに新幹線に乗るんだ。精神的には最大の贅沢だと思う。

頑張って働いて、お金が出来たら、それをやろう。おわり。

【だいありー】

これが「田んぼアート」です
これが「田んぼアート」です
このタワーから見たのです
このタワーから見たのです
ギネス認定!「田んぼアート」 ギネス認定!「田んぼアート」
  1. 10月12日(月)埼玉県の行田に「田んぼアート」を見に行った。
     青森県や、いろんな所で、この「田んぼアート」がやられてる。それは知っていたが、近くの埼玉にあったとは。
     田んぼ一面に絵を描くのだ。「これは見なくては!」と思って出かけた。
     行田市だ。遠い。でも、素晴らしい。昔からやってた他県の「田んぼアート」を押さえて、何と、ここが「ギネス世界記録」に認定されたという。
     町中に、そのポスターが貼られていた。それを見るためのタワーまで出来た。
     でも、「田んぼアートタワー」ではない。「古代蓮会館」という。古代の蓮が一面に咲く。それを見るために建てた(蓮の花は今の季節ではない)。
行田の名物!「枝豆アイス」 行田の名物!「枝豆アイス」

数年前から、「田んぼアート」が作られ、今や、それを見るために上る人の方が多い。

私も上って見た。凄い。広い田んぼに「絵」が描かれている。稲が育ってから、色をつけて絵を描いたと思った。

ところが違う。苗の時から、7種類の色の違う苗を植える。それが大きくなると稲の「絵」になる。大変な苦労をして描くのだ。これじゃギネスも認めるだろう。

それから市内循環バスに乘って忍城へ。「しのぶじょう」「にんじょう」と読むのかと思ったら違う。「おしじょう」という。あの「のぼうの城」のモデルだ。

この小説は私も読んだが、忘れていた。いいものを見ましたよ。埼玉県で。

枝豆アイスを食べてます 枝豆アイスを食べてます

それから東京に帰り、疲れたので寝る。と思っていたら、「あっ、今日は大川興業だ」と思いだして、急いで下北沢へ。

間に合った。下北沢のスズナリ。大川興業第39回公演。

だが、「お笑い」ではない。かなりシリアスなものだ。そこに鋭い時代風刺がある。

それに、全て「闇」の中で行われる。怖い。「The Light of Darkness」。暗闇演劇だ。

そこに「光」が主役として登場する。宗教的でもある。

2時間、惹きつけられた。

終わって、大川豊さん、阿曽山大噴火さんに会った。よかった。感動しましたよ。

忍城をバックに
忍城をバックに
「愚安亭遊佐ひとり芝居」 「愚安亭遊佐ひとり芝居」
  1. 10月13日(火)午前中、原稿。
     午後2時、取材。
     5時、講道館。久しぶりの柔道だ。気持ちがいい。
  2. 10月14日(水)午前中、原稿。
     午後2時、打ち合わせ。
     6時半、新宿3丁目の「SPACE雑遊」に行く。「愚安亭遊佐ひとり芝居」を見る。
     今回は、下北三部作の「百年語り」。
     2時間、ひとりだけだ。面白い。内容も深いし、〈日本の百年〉を鋭く問う芝居だ。「百年の愚行」を糾弾する。
    〈明治38年に生まれた村、今、百年を経て、消えなんとす。なぜ?〉。  近代の荒波か。資本主義か。人間の欲か。それを1人の肉体で表現する。
     終わって、打ち上げに誘われたので行きました。遅くまで話し込みました。
愚安亭遊佐さんと 愚安亭遊佐さんと
  1. 10月15日(木)午前10時半、取材。
     午後から学校。3時、「現代文要約」。
     5時、「読書ゼミ」。半藤一利さんと保阪正康さんの『賊軍の昭和史』(東洋経済新報社)を読む。なかなか、いい。「新視点から分かるあの戦争の真相」だ。
     表紙の帯にはこう書かれている。 〈薩長史観に隠された歴史の真実。“官軍”が始めた昭和の戦争を“賊軍”が終わらせた〉。
     本当だ。鈴木貫太郎、米内光政、井上成美などについて語られている。
     終わって、急いで谷中の全生庵に行く。ここでは毎月、勉強会をやっている。谷中政経塾だ。
     今月は元首相の福田康夫さん。とてもいい話だった。バランス感覚があって、アジアの平和をまず第一に考えている。他国の脅威をいたずらに煽ることはないし。
講演する福田康夫さん 講演する福田康夫さん

終わって、話しました。東京都議の塩村文夏さんも聞きに来てました。久しぶりに会いました。

  1. 10月16日(金)午前中、原稿。
     午後から図書館。
     夜、柔道。
  2. 10月17日(土)午前9時東京駅発の新幹線で静岡へ。10時5分着。
     岩井氏他3人が迎えに来てくれた。登呂遺跡を見る。
     午後から、三上元湖西市長に会う。小出さんが講演をするので「来ませんか」と誘われたのだ。
     小出裕章さんが講師だ。三上さんも挨拶していた。脱原発について。
     終わって、皆で食事しました。
     夜、遅くなりましたが、この日は名古屋に行って、駅前のホテルに泊まりました。
福田康夫さんと 福田康夫さんと
  1. 10月18日(日)岩井氏たちと合流して、NHKの講演会を聞きに行く。
     NHK文化センターで、井浦新さん(俳優)。大西信満さん(俳優)の講演がある。それを聞きに行ったのだ。「井浦氏×大西信満のシネマトーク。名古屋教室」だ。
     井浦さん、大西さんも若松映画によく出ていた。若松監督が急逝して3年。若松監督の意志を受け継いだ俳優2人が、監督との思い出や映画に対する思いを語り合う。
     司会は名古屋シネマスコーレ支配人の木全純治さん。とても感動的な話でした。
     終わって3人に挨拶しました。「えっ!名古屋まで来てくれたんですか!」と驚いてました。
塩村文夏さんと
塩村文夏さんと

【写真説明】

湯沢中学校の同窓会。10/9

①10月9日(金)、(秋田県)湯沢中学校の同窓会に行ってきました。正面には、「昭和33年度湯沢中学校卒業生同期会」と書かれています。85人が参加しました。

皆で校歌をうたいました

②「紫におう鳥海を、はるかのかなた…」と校歌を皆で歌いました。歌詞もないのに皆、歌えるんですね。私もそうでした。涙を流して歌ってる人もいました。

奈良会長の挨拶

③奈良会長の挨拶です。「ともかく貧しかった。でもそれを不幸と感じなかった」。いい話ですね。

85人が参加した

④33年度の卒業生は450人。1クラス50人で9クラスあった。そのうち85人が参加した。

みんな、元気です

⑤「もう一周、生き抜こう!」と言ってましたが、二周でも三周でも生き抜けそうです。

住谷君とはよく相撲を取りました

⑥電気屋の住谷君とは、よく相撲を取りました。今は私は柔道3段、合気道3段ですし、すぐに投げられると思って組んだのですが、なかなか倒れない。強い。腕の筋肉が凄い。「雪降ろしで鍛えられでっから」と。

翌日の朝食です

⑦翌日の朝食です。外は緑、緑です。杉林ばっかりです。いい所です。

会場へ向かうバス

⑧10月9日(金)は、午後3時に湯沢の生涯学習センターに集合し、バス3台に分乗して、会場の秋の宮山荘に向かいました。

周りは杉林でした

⑨秋の宮はどこまでも杉の林が続いてます。

秋田美人

⑩「秋田美人をつくる米」と宣伝されてました。秋田こまちです。

私の家があった所には…

⑪10月9日(金)2時に湯沢に着きました。3時集合。バスは3時半に出る。だから、市内を散歩して、昔、住んでた湯ノ原に行ってみました。昔の家はなくなり、そこは、湯ノ原町の町会館になってました。でも、周りの景色は変わりません。

湯沢中学校があった所には…

⑫ちょっと歩くと湯沢中学校です。でも、移ってしまい、その跡地には老人ホームが建ってました。何やら暗示的です。ここの中学を出て、ここの老人ホームに入る人もいるのでしょうか。ベッドで寝ていて、まだ中学生だと思うのでしょうか。隣りの山も、下の川も、橋も同じだし。「あっ、宿題をやんなくちゃ」と飛び起きたりして…。

湯沢に行く途中。真室川

⑬10月9日、山形新幹線で新庄まで行き、そこから在来線(奥羽本線)に乗り換えて湯沢に行きました。「真室川(まむろがわ)」という駅がありました。あの有名な民謡「真室川音頭」誕生の地です。今度、降りて歩いてみたいですね。

「院内銀山異人館」

⑭「院内」という駅があって、そこには「院内銀山異人館」がありました。気になって次の日、帰る前に寄ってみました。

「及位(のぞき)」駅です

⑮こんな駅もあるんですね。「及位(のぞき)」です。今度、降りて歩いてみたいです。つい、のぞきをやったりして、「のぞきで、のぞき男、逮捕」なんて新聞に出るのかな。

山崎博昭さんのお兄さんが挨拶。10/10

⑯10月10日(土)、東京へ帰ってきて、夜、新宿文化センターに行きました。「山崎博昭プロジェクト。第3回東京講演会」です。今から48年前、羽田闘争で機動隊と闘い、亡くなった山崎博昭さんのことは(右翼学生だった)我々も鮮明に覚えています。その日を記憶し、語り継ぐ集まりです。初めに、山崎さんのお兄さんが挨拶しました。

詩人の佐々木幹郎さん

⑰第1部は下重暁子さんが講演をし、第2部は「詩と音楽の夕べ」。詩人の佐々木幹郎さんが詩の朗読をしました。

小室等さんと、こむろゆいさん

⑱小室等さんとこむろゆいさんの音楽ライブです。

辻恵さん。道浦母都子さんと

⑲辻恵さん(弁護士)。道浦母都子さん(歌人)と。

二次会で

⑳二次会で。元・全学連、全共闘の人ばかりです。「元・右翼学生」は私1人です。昔なら、「右翼は帰れ!」と叩き出されたでしょう。

SUGIZOさん。大槻ケンヂさんと。10/11

㉑10月11日(日)午後6時から、恵比寿ザ・ガーデンホール。「寺山修司生誕80年記念音楽祭」。ビッグなミュージシャンが勢揃いでした。カルメン・マキ。大槻ケンヂ。近藤等則。SUGIZO。PANTA。山崎ハコ。瀬間千恵…etc。素晴らしかったです。実に感動的でした。終わって、楽屋に行きました。SUGIZOさん(LUNASEA)。大槻ケンヂさんと。「『秘伝』読みましたよ。よかったですね」と大槻さん。SUGIZOさんは、「僕も合気道を習いたいですね」と。格闘技の話で盛り上がりました。

三坂知絵子さん。PANTAさんと

㉒PANTAさん(左)と。よかったですね。女優の三坂知絵子さんも見に来てたので一緒に楽屋に行きました。

山崎ハコさんと

㉓山崎ハコさんと。この前も、松元ヒロさんのライブで会いました。

ギネス認定!「田んぼアート」

㉔翌、10月12日(月)、朝早く起きて、埼玉県行田市に行きました。ギネスに認定された「田んぼアート」です。もう一週間で、稲が刈り取られます。早く行かなくちゃと焦って行きました。「ギネス認定」のポスターが町中に貼られていました。

これが「田んぼアート」です

㉕これが田んぼアートか!と感動です。でも、これを作るのは大変なんですよね。近くのタワーから見ました。

このタワーから見たのです

㉖これがそのタワーです。この辺一帯は「古代蓮の里」というんですね。蓮の池が沢山あります。そして「古代蓮会館」があり、そこのタワーから蓮も見たし、今は、「田んぼアート」を見てるのです。

行田の名物!「枝豆アイス」

㉗埼玉県行田市のゆるキャラは「豆吉」だそうです。だから、「枝豆アイス」があるんです。

枝豆アイスを食べてます

㉘私も、「豆吉」です。だから「枝豆アイス」を食べました。おいしかったです。そうだ。行田市で「枝豆レストラン」を作ったらいい。そして、「枝豆フルコース」を出したらいい。枝豆の天ぷら、枝豆の刺身、枝豆サラダ、枝豆ごはん、そして、デザートに枝豆アイスだ。枝豆好きが全国からドッと集まりますよ。

忍城をバックに

㉙そのあと、やはり行田市名物の「忍城(おしじょう)」に行きました。「のぼうの城」のモデルになったところです。

大川豊さんと。10/12

㉚行田から東京に帰り、大川興業を見に行きました。大川豊さん(左から2人目)と劇団の方々です。大川さんとは久しぶりに会いました。2003年にはイラクに一緒に行ったし、いろんな機会に会ってます。楽しいし、勇気のある人です。又、どっかでトークをやりましょうよ。

阿曽山大噴火さんと

㉛阿曽山大噴火さんとも会いました。面白かったし、シリアスでもありました。

「愚安亭遊佐ひとり芝居」

㉜10月14日(水)午後7時から、愚安亭遊佐さんの「ひとり芝居」を見ました。下北三部作の中の「百年語り」でした。凄い芝居でした。この百年の日本の歩みを鋭く問いかけ、批判しています。それをたった1人でやるのです。

愚安亭遊佐さんと

㉝終わって、一緒に居酒屋に行きました。

森達也さんの『人間臨終考』

㉞文句なしに面白い本です。挑発的・刺激的な本です。私のことも出てきます。うまいです。「ほう、こんな取り上げ方をするのか」と感心しました。森達也さんの『人間臨終考』(小学館)です。

11/10札幌時計台

㉟次の札幌時計台シンポジウムは、11月10日(火)午後6時からです。蓮池透さんがゲストで、「拉致問題への私の提言」です。お問い合わせ、お申込みは、白艪舎(はくろしゃ)の可知へ。tel 011(219)1211です。

講演する福田康夫さん

㊱10月15日(木)元首相の福田康夫さんが全生庵で講演しました。とてもよかったです。感動しました。

福田康夫さんと

㊲福田康夫さんと。

塩村文夏さんと

㊳都議会議員の塩村文夏さんも聞きに来てました。

【お知らせ】

  1. 月刊『創』(11月号)発売中です。「安保法とメディア」の特集です。又、「オウム麻原三女独占手記」が出ています。〈一水会の「脱右翼宣言」〉も。これは私が書きました。
     月刊『紙の爆弾』(11月号)も発売中です。特集は、〈「裸の王様」安倍晋三。“無風”続投の全裏側〉。私は、「ニッポン越境問答」で、武田砂鉄さん(作家)と対談しています。
     月刊『TIMES』(11月号)も発売中です。私も書いてます。「体を張った武道家との対談。=内田樹さん、榎木孝明さんに投げ飛ばされて」だ。
  2. 森達也さんの新著『人間臨終考』(小学館)が送られてきました。「歴史人物18人に見る日本現代論」と書かれています。「鈴木さんのことも書いてるので送らせてもらいます」と小学館編集部が送ってくれた。エッ?私も「臨終」したの? と思って読んだが、「18人」には入っていない。18人は、ブッダ、アイヒマン、ベートーヴェン、江青、頭山満、坂本龍馬、ゲバラ…などだ。驚いた。面白い。18人の英雄たちは、こんな最期を迎えたのか。森さんの自由な研究・想像で描き出される日本論、世界論だ。そして何と、その18人の1人に、私がからんでいる。知らなかった。こんなことがあったのか! 圧倒的に面白い。うまい。
  3. 10月19日(月)一水会フォーラム。午後7時。ホテルサンルート高田馬場。講師は、オスマン・サンコンさん(タレント)。演題は「人間交流と外交」。
  4. 11月3日(火)週刊金曜日の創刊22周年のイベント。
  1. 11月7日(土)午後2時より。四日市文化会館第三ホール。「森田必勝氏 追悼の集い」。記念講演、宮崎正弘氏(評論家)。「三島由紀夫・森田必勝とあの時代」。
  2. 11月10日(火)午後6時。「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。ゲストは蓮池透さん。テーマは「拉致問題解決への一つの提案」。なお、来年3月1日(火)は、鳩山由紀夫さんがゲストで、「友愛と東アジア共同体構想」です。5月はアーチャリーです。
  3. 11月18日(水)午後7時。「三島由紀夫Night東京銀座」。
    (第1部)特別対談。椎根和×横山郁代。
    (第2部)三島由紀夫に捧ぐ歌。会場・銀座TACT
  4. 11月23日(月)「秋のブラック祭」。昼の部。左談次・ブラック二人会(13時)。夜の部。鈴木邦男・ブラック二人会(17時)。各部2500円。神田・らくごカフェで。
  5. 11月24日(火)三島由紀夫・森田必勝両烈士顕彰祭。午後6時半開会。ホテルサンルート高田馬場。(第1部)顕彰祭。斎主・島田康夫(譲葉神社禰宜)。(第2部)記念講演。講師・田母神俊雄氏。演題「現代日本を予見した三島の檄文の洞察力」。お問い合わせ、参加希望者は、一水会事務局へ。03(3364)2015
  6. 11月25日(水)憂国忌。午後6時より、星稜会館。村松英子さん、西尾乾二さん、ヘンリー・ストークさん、細江英公さん、玉利齋さんなどの追悼挨拶が予定されています。
  7. 11月28日(土)「三島由紀夫と若松孝二を語る」。聞き手・花田光。話し手・瀧沢亜紀子。参加費・1500円。場所・「ビリケン・カフェ」(世田谷区若林4の27の2。松陰神社そば)。
  8. 12月20日(日)午後2時より。名古屋市伏見区の長円寺会館で、快楽亭ブラックさんの落語会があります。落語のあと、ブラックさんと私のトークがあります。