中学校の同窓会に行ってきた。秋田県立湯沢中学校だ。「昭和33年度湯沢中学校卒業生同期会」と案内状には書かれていた。
もう57年前なのかな。随分と昔だ。前世の記憶のようだ。
10月9日(金)、湯沢市の「生涯学習センター」に午後3時に集合。3時半にバスが出て、山の中の「秋の宮山荘」に行く。
そこで同窓会。そして大宴会だ。夜遅くまで話し、飲み、歌う。
翌、10日(土)は午前10時にバスが出る。湯沢市に戻り、その後、各クラス毎の昼食会。市内のホテルやレストランでやる。
私は「仕事があるので東京に戻ります」と言って、一人で湯沢駅へ。
前の日、通ってきた院内駅に書いてあった建物が気になる。「院内銀山異人館」。
何だ、これは?と思った。ちょっと寄ってみよう。
でも列車はない。2時間あとだ。近いだろうと思ってタクシーに乗った。結構ある。6500円もかかった。
でも見ておきたかったし、いろんな発見があった。私のいた湯沢のすぐ傍に銀山があったなんて。
そこがシルバー・ラッシュで、全国から多くの人が集まった。魚、食糧を届ける商人。酒を届ける商人で賑わった。
この銀山景気のおかげで湯沢の酒会社も潤い、湯沢は日本有数の酒造都市になったんだ。
これは知らなかった。湯沢中学でも習わなかったよ。
でも「院内銀山異人館」の最後の「異人館」って何だ?
労働者は大勢来たし、大勢死んだ。それで外国からも呼んだのか。アジア各地から。と思ったら違うようだ。
大体、江戸時代に始まる。この銀山を発見したが、掘る技術がない。
それでドイツの技術者に来てもらい、銀の掘り方を教えてもらった。又、溜まる地下水を地上にかき出す技術も教わった。それで「異人館」なんだろう。
あっ、話が先走った。同窓会の話をするんだった。
私は何度も書いてるように、東北生まれ、東北育ちだ。「東北製」だ。
親父が税務署に勤めていたので、東北地方を転々とした。
私が生まれたのは福島県郡山市だ。でも、すぐに移る。福島市、会津若松市…と。さらに、青森県の弘前に行く。これが5才までだ。
それから秋田県に行く。幼稚園と小学1年は横手市だ。
小学2年、3年は秋田市だ。秋田市の保戸野小学校だ。
小学4年から中学2年までの5年間は湯沢市だ。ここが一番長い。
「故郷」というと、この秋田県での9年間を思い浮かべてしまう。
中学3年の時、仙台に転校する。仙台二中、東北学院榴ヶ岡校を出て、早大に入り、上京。「生長の家学生道場」に入り、祈り、勉強する。
そのまま宗教生活を深め、「生長の家」本部に勤めようかと考えた時もあった。宣教師のような生活だ。
それも悪くないと思っていたが、当時は、学園も街頭も荒れていた。左翼学生に反対して、「ストライキ反対」のビラを大学で撒いてたら、いきなり全共闘の学生たちに襲われた。
抗議し、理論闘争するのではない。いきなり殴りつける。倒れたら、さらに殴る、蹴る。
十分に痛めつけて、彼らが帰るときに吐いた一言。
「懲りたか! 右翼め! ペッ」。
これが「右翼との初めての出会い」だ。いや、違うな。「右翼という言葉を聞いた初め」だ。「エッ! 俺って右翼なのか?」と驚いた。
それからですね。「右翼学生」としての闘いの日々が始まったのは。
あらら。又もや話が先走りしてしまった。湯沢中学校に戻る。
親の都合で、私は中学2年まで湯沢にいて、そのあとは仙台に行く。
だから、本当は湯沢中学校の「卒業生」ではない。でも、呼んでくれる。温かい。「本当は卒業生じゃねえだろう」「右翼は帰れ!」と言う人もいない。ありがたい。
湯沢に行くなら、普通は秋田新幹線で大曲に出て、そこから在来線で向かう。
前日に切符を買いに行ったら、いい時間のがない。
「じゃ、山形新幹線に乗って新庄で乗り換えてはどうですか」と駅員さんが言う。
そうすると集合時間の1時間前に着く。台風で遅れていて、早めに着く方がいい。それにした。
当日、嵐もやみ、山形新幹線は時間通りに出た。新庄から乗り換えて奥羽線に乗ると、もうそこは「湯沢中学校」御一行様。といった感じ。
「おっ! クニオでねが」「いがったな」「なんじょしてだが」「いま、来だが」「んだ、んだ。スミダ」と私も応えました。秋田弁に韓国語も入っちゃうんですな。
新庄から秋田行きで1時間。田舎だ。空が大きい。雲が大きい。沢山ある。
面白い駅名がある。「真室川」。あれっと思ったら、そうです。民謡「真室川音頭」発祥の地と書いてあった。
大きな川「真室川」もあった。今度、下りて歩いてみよう。
それから、「及位」という駅もあった。「のぞき」と仮名が振ってある。変な名前だ。
ここでは、「のぞき行為」をしても罰せられないのだろう。(そんなことはないか)。
そうだ。前に名古屋で講演した時、聞いた。滋賀県には「浮気町」という町があると。
嘘だと思ってたら、本当だった。丹羽基二『苗字の謎が面白いほどわかる本』(中経の文庫)にも出ていた。滋賀県守山市浮気町だ。
ここに住んでる人は恥ずかしいだろうな。「浮気公認」なんだろうか。いやいや、浮気と書いて「ふけ」と読ませる。「うわき」はダメなんだ。
「愛知県一宮市浅井町大野字浮気」という所もある。ここは「うき」と読む。「うわき」じゃなく、「うき」ふけ」だ。でも字を見た感じでは、やはり、「うわき」と思っちゃう。「浮気」出身のお母さんと「のぞき」出身のお父さんを持った子供は嫌だろうな。
そんなことを思いながら在来線に乗ってたら、院内を通った。大きく「院内銀山異人館」と書かれている。
朝鮮から強制連行して働かせていたのか、と思ったら、違う。
それは次の日、実際に見て、分かった。院内からはすぐだ。
院内は、今は湯沢市に入っている。我々がいた頃と違い、湯沢市は大きくなっている。近くの町々を町村合併で吸収して大きくなった。
ただ、その関係で、小学校、中学校、高校は、旧・湯沢市から離れてしまう。「大きくなった湯沢市」全体の子供たちが通えるように、と。
又、大きなスーパーなども郊外に行った。でも、その結果、旧・湯沢市の街は寂れた。駅前のメインストリートもシャッター街だ。
人がいない。道路はきれいになったが、人がいない。昔は映画館が四つもあったが今は一つもない。淋しい。文化がない。
元公民館だったところが、「生涯学習センター」になっている。
そこに3時集合だ。私らは2時に着いた。でもバスは3時半だという。
じゃ、少し散歩してきます、と言って出かけた。
この場所は元公民館だが、この隣りに湯沢東小学校、西小学校があった。
私は東小学校出身だ。子供がわんさかいて、賑やかだった。
今は二つともない。合併で広くなったので、郊外に行った。
中学校もない。その跡まで歩いていった。今は、中学の跡は「特養老人ホーム」になっている。淋しい。
その近くに私の家があった。父親が勤めていた会社の社宅だが、かなり大きかった。今はない。そのまま湯ノ原町会の会館になっている。懐かしい。
あたりは一面の畑で、冬、雪が積もると、家の中でスキーを履いて、廊下からポンと畑に降りて、スキーをやったもんだ。
すぐそばに川があって、そこで泳いだ。でも今、見ると、浅いし、水も汚い。とても泳げない。
そんな感慨にふけっていると、「あっ、時間だ」と思った。あわてて集合地点に戻る。
3台のバスに分乗して、秋の宮に行く。初めてだ。途中の景色もきれいだ。
杉の林、杉の森ばっかりだ。自然がいい。贅沢な気分だ。
秋の宮山荘に着く。広い。きれいだ。「あさま山荘」とか、「みやま山荘」とは大分、違う。
午後6時から、同窓会。そして大宴会が始まる。
同窓会長の奈良氏が挨拶する。皆で、校歌をうたう。「紫におう鳥海を、はるかのかなた…」と歌う。鳥海山のふもとなんだ。最後は、「若竹 湯沢中学校」となる。我々は若竹なんだ。すぐ、食われそうだな。
二番目は「若駒、湯沢中学校」だ。若い馬なんだね。たけり狂っていたな。
三番目は「若鳩 湯沢中学校」だ。鳩にはならんかったけど、鳩の「右の翼」になっちゃったよ。こんな歌をうたってたから。
歌によって作られた人生だ。『本当は怖い、校歌の秘密』。うん、これを書けるかも。
「あの時代は貧しかった。教科書だってお兄さん、お姉さんから譲り受けて使ってた。でも貧しさを〈不幸〉と思ったことはなかった」と、同窓会長は言う。
「不幸」という言葉を知らなかったんだ。私なんて、天皇がおられることも知らなかった。自分が日本人だということも知らなかった。
それが後に右翼になるなんて、不思議だ。
当時、湯沢中学校は9クラスあった。1クラスは50人。1学年が450人いた。今まで50人ほどが亡くなっている。
72才で生存率は90%だ。貧しくても不幸と思わなかったからだ。「これからも頑張って生きよう。もう1周、12年は生きよう! 84才まで生きよう!」と言っていた。
謙虚だ。日本人の平均寿命だって、それ以上だろう。せめて、「120才まで生きよう!」と言ったらいいのに。
この日の出席者は85名。多い方だ。地元の人が多いが、東京、神戸から来た人もいる。顔を見てすぐ分かる人。名前を聞いて分かる人。いろいろだ。
「ああ、湯沢中学校で一番美人だった人ですね」「湯沢中学の三大美人と言われたんですね」と思い出して、話しましたよ。
「おめえ、“三大美人”だってもう5、6人に言ってるよ」と同級生に注意された。「昔から、口ばっがりの男だったけど」と。
ひどい。皆に気を使って、誉めただけなのに。
「この前、テレビ見だど」という人も。最近、「そこまで言って委員会」に2回出た。又、今月は「ニュース23」にも出た。それを見てくれたようだ。
「頑張ってんね」「あれは、リハーサルするんだが?」「なんぼもらうのしゃ(いくらもらうのか)」と聞かれる。
リハーサルか。考えてもみなかった。2時間討論するんで、その前に2時間、リハーサルをする。
でも、それじゃ、本番の方がきっと面白くない。だから、リハーサルをやる討論番組なんて一つもない。
でも、「やってるんだろう」と思ってる人はいるんだね。
前に、ある大学で頼まれた時、「同じ時間をとってリハーサルをしたい」と主催の学生が言い出す。
「バカか!」と思った。でも、そうは言わず、「そうすると、本番が面白くなくなりますよ」と言って、たしなめた。
そんなこんなで、湯沢の夜は更けていきました。お酒も飲みました。きのこ料理も食べました。昔の友達とも話し込みました。そして寝ました。
翌日は、朝食のあと、朝10時にバスが出る。昨日と同じ「生涯学習センター」に着く。
そこから各クラス毎に市内のレストランやホテルに行って、昼食会。
私は、「用事があるので」と駅に向かう。
今、湯沢駅は大きく建て替えている。観光客を呼び込むつもりなのか。
でも新幹線は止まらないし、人は来ない。
理由を聞くと、エスカレーター、エレベーターを取り付ける大工事だという。老人が多いので、階段を上れないんだ。
早く東京に戻りたいが、「院内銀山異人館」が気になる。
電車はもう2時間以上もない。同じ「湯沢市内」だから近いだろうとタクシーに乗ったら、6500円もかかった。
「異人館」は大きい。客は私1人だ。銀山景気でいかに周りが潤っていたか。当時の活気ある状況が説明されている。ビデオも見た。
「ここが景気が良かったから、湯沢も潤ったんですよ」と言う。「すみません。知らなくて」と謝った。
そして、列車に乗って新庄へ。そこから山形新幹線で東京へ。お疲れさまでした。
一旦、家に帰って6時に、新宿文化センターへ行く。「山崎博昭プロジェクト」の講演会に出る。
山崎博昭さんは、全学連の羽田闘争で死んだ人だ。今、そこに記念碑を建てようとしている。
博昭さんのお兄さんも来ていた。山本義隆さん、金廣志さん、椎野礼仁さんも来てました。
第1部は下重暁子さん(作家)の講演。「家族という病。国という病」。
よかった。終わって話をした。「NHKのアナウンサーの時なら出来なかったでしょう」と言ったら、「そうですよ。とても、とても」と言ってました。学生運動で亡くなった人の会になど出られない。
第2部は「詩と音楽の夕べ」。小室等さん、こむろゆいさん(歌手)。道浦母都子さん(歌人)。佐々木幹郎さん(詩人)。二人は自分の短歌・詩を朗読する。いいですね。
終わって二次会。道浦さんの短歌は私も随分と読んでいる。素晴らしい。
時に激しい歌がある。厳しい人かと思ったら、とても温かい人だった。
辻恵さん(弁護士・元国会議員)とも話し込んだ。「もう一軒、行きましょう」と辻さん、道浦さんに誘われて行く。
朝3時まで飲んだ。前の日は、同窓会で、あまり寝てないのに…。でも楽しかった。
そうだ。椎野礼仁さんは短歌を作っている。だから、やったらいい。短歌の朗読を。新宿文化センターで。
ついでに金廣志さんも詩を作って読んだらいい。「その時は伴奏をして下さい」と小室等さんに頼んだら、「いいですよ」と言っていた。
じゃ、やろう。でも、礼仁、金さんの新左翼コンビでは人が集まらないか。
今回の集まりは、参加費が2000円だった。だったら、1人2000円ずつ、あげたらいい。「お耳汚しでしょうから」と言って。100人なら20万円。1人、10万円出したらいい。
「じゃ、山谷とか新宿の公園ならもっと集まりますね」と金さん。千人でも1万人でも集まるだろう。
でも、お金が大変だ。しかし「2000円もらって短歌や詩の朗読を聞く」。いいじゃないか。
30年ほど昔、大阪の右翼の先生が月に1回上京して講演会をやっていた。
学生、青年が100人ほど集まる。何と、その先生は、「私のつまらない話を聞いてくれて、お耳汚しでしょうから」と、各人に2000円ずつくれる。それにカレー付きだ。
もの凄い人気で、「毎週やってほしい!」という声も出た。太っ腹な先生だったな。と思った。いい先生だった。
それと同じことを今度は左の側からやってみなよ。礼仁、金さんで。
そうだ。「大杉栄全集」も読んでますよ。新幹線で1冊、本が読めるよな。
昔、ポケットウイスキーのCMにこんなのがあった。汽車(鈍行だ)に乘って、文庫本を読んでいる。ポケットウイスキーをチビチビやりながら。夜になったら、どこか適当な駅に降りて、民宿に泊まる。そこでも本をずっと読んでいる。眠くなったら寝る。
翌日は、汽車に乗って帰る。又、文庫本をずっと読んでいる。そしてナレーションだ。「本を読むために出る旅もある」。
いいねー。昔は文化的なCMもあったんだ。ポケットウイスキーのCMだが、「本を読めよ」と言っている。
私もこれをやりたい。用事がないのに朝、新幹線に乗る。ひたすら本を読む。大杉栄全集でもいいな。
終点の博多に着いたら、さらに九州新幹線に乗り換えて鹿児島まで行く。本を読む。
鹿児島では、駅前のホテルに泊まり、本を読む。
翌日、帰ってくる。本を読むためだけに新幹線に乗るんだ。精神的には最大の贅沢だと思う。
頑張って働いて、お金が出来たら、それをやろう。おわり。
数年前から、「田んぼアート」が作られ、今や、それを見るために上る人の方が多い。
私も上って見た。凄い。広い田んぼに「絵」が描かれている。稲が育ってから、色をつけて絵を描いたと思った。
ところが違う。苗の時から、7種類の色の違う苗を植える。それが大きくなると稲の「絵」になる。大変な苦労をして描くのだ。これじゃギネスも認めるだろう。
それから市内循環バスに乘って忍城へ。「しのぶじょう」「にんじょう」と読むのかと思ったら違う。「おしじょう」という。あの「のぼうの城」のモデルだ。
この小説は私も読んだが、忘れていた。いいものを見ましたよ。埼玉県で。
それから東京に帰り、疲れたので寝る。と思っていたら、「あっ、今日は大川興業だ」と思いだして、急いで下北沢へ。
間に合った。下北沢のスズナリ。大川興業第39回公演。
だが、「お笑い」ではない。かなりシリアスなものだ。そこに鋭い時代風刺がある。
それに、全て「闇」の中で行われる。怖い。「The Light of Darkness」。暗闇演劇だ。
そこに「光」が主役として登場する。宗教的でもある。
2時間、惹きつけられた。
終わって、大川豊さん、阿曽山大噴火さんに会った。よかった。感動しましたよ。
終わって、話しました。東京都議の塩村文夏さんも聞きに来てました。久しぶりに会いました。
⑪10月9日(金)2時に湯沢に着きました。3時集合。バスは3時半に出る。だから、市内を散歩して、昔、住んでた湯ノ原に行ってみました。昔の家はなくなり、そこは、湯ノ原町の町会館になってました。でも、周りの景色は変わりません。
⑫ちょっと歩くと湯沢中学校です。でも、移ってしまい、その跡地には老人ホームが建ってました。何やら暗示的です。ここの中学を出て、ここの老人ホームに入る人もいるのでしょうか。ベッドで寝ていて、まだ中学生だと思うのでしょうか。隣りの山も、下の川も、橋も同じだし。「あっ、宿題をやんなくちゃ」と飛び起きたりして…。
⑬10月9日、山形新幹線で新庄まで行き、そこから在来線(奥羽本線)に乗り換えて湯沢に行きました。「真室川(まむろがわ)」という駅がありました。あの有名な民謡「真室川音頭」誕生の地です。今度、降りて歩いてみたいですね。
⑯10月10日(土)、東京へ帰ってきて、夜、新宿文化センターに行きました。「山崎博昭プロジェクト。第3回東京講演会」です。今から48年前、羽田闘争で機動隊と闘い、亡くなった山崎博昭さんのことは(右翼学生だった)我々も鮮明に覚えています。その日を記憶し、語り継ぐ集まりです。初めに、山崎さんのお兄さんが挨拶しました。
㉑10月11日(日)午後6時から、恵比寿ザ・ガーデンホール。「寺山修司生誕80年記念音楽祭」。ビッグなミュージシャンが勢揃いでした。カルメン・マキ。大槻ケンヂ。近藤等則。SUGIZO。PANTA。山崎ハコ。瀬間千恵…etc。素晴らしかったです。実に感動的でした。終わって、楽屋に行きました。SUGIZOさん(LUNASEA)。大槻ケンヂさんと。「『秘伝』読みましたよ。よかったですね」と大槻さん。SUGIZOさんは、「僕も合気道を習いたいですね」と。格闘技の話で盛り上がりました。
㉔翌、10月12日(月)、朝早く起きて、埼玉県行田市に行きました。ギネスに認定された「田んぼアート」です。もう一週間で、稲が刈り取られます。早く行かなくちゃと焦って行きました。「ギネス認定」のポスターが町中に貼られていました。
㉘私も、「豆吉」です。だから「枝豆アイス」を食べました。おいしかったです。そうだ。行田市で「枝豆レストラン」を作ったらいい。そして、「枝豆フルコース」を出したらいい。枝豆の天ぷら、枝豆の刺身、枝豆サラダ、枝豆ごはん、そして、デザートに枝豆アイスだ。枝豆好きが全国からドッと集まりますよ。
㉚行田から東京に帰り、大川興業を見に行きました。大川豊さん(左から2人目)と劇団の方々です。大川さんとは久しぶりに会いました。2003年にはイラクに一緒に行ったし、いろんな機会に会ってます。楽しいし、勇気のある人です。又、どっかでトークをやりましょうよ。
㉜10月14日(水)午後7時から、愚安亭遊佐さんの「ひとり芝居」を見ました。下北三部作の中の「百年語り」でした。凄い芝居でした。この百年の日本の歩みを鋭く問いかけ、批判しています。それをたった1人でやるのです。
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