死刑反対の集会に出た。この1週間に3回も出た。それも皆、国際的な集会だったし、衝撃的だった。考えさせられた。
「死刑廃止」は世界の趨勢だ。先進国の中では、死刑を存置しているのは日本とアメリカの一部の州だけだ。
日本では、「死刑がないと凶悪犯罪が増える」と思っている。そう思ってる人が多く、世論調査をやっても、80%以上の人が「死刑は必要だ」と言う。
「国民の圧倒的多数がそう思ってるのなら仕方ないだろう。国民の多数の考えに従うのが民主主義なんだし」と言われるかもしれない。
では、死刑を廃止した国々は、国民の「廃止」声が多くなって、それで廃止したのだろうか。
そんなことはない。フランスでもイタリアでもフィリピンでも、国民の圧倒的多数は「死刑存置派」なのだ。
「死刑がなくなったら不安だ」「凶悪犯罪が増える」「死刑が、平和な社会を守っている」「凶悪犯罪の抑止力になっている」。そう思ってる人が多かったのだ。
ところが、政府は死刑を廃止した。「国民の声」「世論」に逆らって、死刑を廃止した。
イタリアの人、フランスの人の話を聞くと、「これは世論調査や多数決で決めることではない」という確信があるのだ。
つまり、「国民の命を守る」のが国家の第一のやることである。たとえ多数決でも国民の命を奪えない。という確信だ。
これは、「マガジン9」にも書いたことだが、繰り返して書こう。
人権の問題は、まず政府が率先してやるべきだ。それが国家の役目だ。そう思っている。
イギリスは1969年に死刑を廃止したが、その時の世論調査では81%が死刑存置派、死刑支持派なのだ。圧倒的多数が、「死刑は必要だ」と言っていた。
でも政府はその声に逆らって、「死刑廃止」を決めた。
フランスは1981年に死刑を廃止した。この時、国民の声は67%が死刑支持なのだ。
フィリピンは2006年に死刑を廃止した。世論調査では80%が死刑支持派だった。
なぜ、こんなことが出来たのだろう。
極端に言ったら、首相(大統領)と法務大臣の「独断」でやったのだ。
「人の命を守るのが国家の役目だ」「人権問題は何事にも先行する」と思ってやったのだ。
日本ではとても出来ない。もしやろうとしたら、「ファッショだ!」「独裁だ!」「国民の声を無視していいのか!」となるだろう。暴動になるかもしれない。
しかし、イギリス、イタリアなどは「断行」した。そしてその後、問題が起こってない。
もし、「死刑があるから凶悪犯罪は抑止出来ている」というのが本当ならば、死刑を廃止した国々では、凶悪犯罪が急増し、国家は大混乱になっているはずだ。
しかし、そんなことはない。逆なのだ。
だから、イギリス、フランス、フィリピンでは、国民が納得している。
世界各国で死刑を廃止して犯罪が増えたという国はない。実情は逆なのだ。
日弁連のパンフによれば…。
〈アメリカ合衆国では死刑廃止州よりも存置州の方が殺人事件の発生率が高いというデータがあります〉
これには驚いた。何故なのか。もしかしたら、国家の殺人行為(=死刑)があるから、民間の殺人を呼び寄せるのかもしれない。
さらにこう書かれている。
〈そもそも、死刑は生命を剥奪する刑罰であり、国家刑罰権に基づく重大かつ深刻な人権侵害であることに目を向けなければなりません。フランスをはじめ、世界の死刑廃止国の多くも世論調査の多数を待たずに死刑廃止に踏み切っています〉
どんなことがあっても、「国民の命」を守る。外国で危険に遭ったら守る。国内でも、たとえどんな思想を持ってる人であっても、人間の命を守る。これは当然のことだ。これをやるために人々は国家をつくったのだ。そういった確信がある。
日弁連はさらに言う。
〈これは、各国政府が犯罪者といえども生命を奪うことは人権尊重の観点から許されないとの決意から廃止に踏み切ったことを示すものであり、基本的人権の尊重を国の基本理念とする国家にあっては、国民世論をその方向に導いていくという決意の表れであると評価できるものです〉
フランスでは1981年に死刑を廃止した。その当時のバダンテール法相が日本に来て講演したことがある。私も聞きに行った。
「国民の命を守るのが政府の役目であり、人権の問題は政府が率先してやるべきことだ」という。
世界は「死刑廃止」の方向に向かって進んでいる。でも、日本じゃ無理だと思った。これは日本とは関係のない「ヨーロッパの話」だと思っていたのだ。
ところが、バダンテールさんは、「何よりもこれは日本人の問題である」と言ったのだ。これは衝撃的だった。
〈日本はかつて、世界で最も先がけて、死刑を廃止した国でした。平安時代には日本は350年間も死刑を廃止していたのです〉。
こう言って、日本を持ち上げる。よく日本の歴史を勉強している。
〈でも、その先進的な日本が今は、逆に死刑存置国になっています。そして、「死刑を存置する最後の国」になるかもしれません。これでいいのでしょうか〉
と警告を発するのだ。これには、ガーンと頭を殴られたような衝撃を感じた。
平安時代は死刑にするとその霊が祟って、大地震、大火などを引き起こす。だから、殺さないで「島流し」などにした。「迷信」に基づいて死刑を廃止していた。
ところが、武士の世の中になると、合理主義のもとに死刑は復活し、今まで続いている。
死刑のあるのは、先進国の中では日本とアメリカの一部の州だけになっている。世界で初めて死刑を廃止した国だった日本。その日本が今や、「死刑のある最後の国」になろうとしている。恥ずかしい話だ。
「でも、死刑を廃止したら凶悪犯罪が増える!」「お前は、被害者遺族の気持ちが分からないのか!」という声が聞こえる。すぐ、そんな感情的な議論になる。
では、世界の現状はどうなっているのか。冷静に、そのことを考える集会に出たのだ。
一つ目は、10月22日(木)に行われた。午前9時半から1時まで、衆議院第一議員会館・国際会議室で行われた。
〈共に死刑を考える国際シンポジウム。いのちなきところ正義なし 2015〉と題した集会だ。超満員だった。
イタリア議会のマリオ・マラッツィーティさんを初め、イタリアから来た人も多い。
又、アメリカ在住のカメラマン・トシ・カザマさんは、アメリカ、台湾などの死刑囚や、刑場を撮影し、死刑の残酷さを訴えている。
その話を聞いて、日本からは亀井静香さんや、元法相の2人を初め、国会議員が何人も出て発言した。
さらに「袴田事件」の袴田巌さんのお姉さん・秀子さんが発言した。
又、弟を殺されながらも死刑反対の運動を行っている原田正治さんの発言もあった。
この国際シンポジウムはこの日だけで終わらず、2日後にもう一度あった。
いわば第2部だ。10月24日(土)、午後1時から5時まで、イタリア文化会館のアニェッリホールで行われた。
ここでは、日本の「冤罪死刑事件の報告」がなされた。帝銀事件、袴田事件、飯塚事件、菊池事件、福岡事件…などだ。
帝銀事件では平沢さんが獄死した。冤罪だと言われ、死刑は実行されなかった。中で死ぬのを待っていたのだ。そんな気がする。
最近では、「名張ぶどう酒事件」の奥西さんがいる。
死刑を宣告されたが、ずっと再審を請求していた。国家は死刑を執行出来ない。もしかしたら冤罪ではないか。と思うからだ。
そして獄死した。こんな形で「解決」しようとしてるのか。残酷な話だ。
さらに、福岡事件など。すでに死刑は執行されたが、冤罪の可能性が高いという。
じゃ、無実の人間を国家は殺したことになる。殺人行為だ。国家が犯罪者になる。
この福岡事件は古川龍樹さんが報告していた。今回の2日間の国際シンポジウムの主催者の1人だ。肩書きは、「生命山シュバイツァー寺」と書かれている。2日間の集会の「閉会の挨拶」もこの人がやっていた。
この「シュバイツァー寺」って何だろう。と思って本人に聞いた。
「初めまして」と名刺を渡したら、「鈴木さんとは会うのは3度目ですよ」と言われた。
そして、「シュバイツァー寺」のことを詳しく話してくれた。
熊本にあるお寺だ。何とか宗とかいう系列に属していない。独立したお寺だ。「密林の聖者」シュバイツァー博士の遺髪をもらい受けて造った寺だという。龍樹さんのお父さんが造った。
すべての命を守ることに生涯を捧げたシュバイツァーは、人が人を殺すこと。国家が人を殺すことに反対だった。
その愛の思想を受け継いでいきたいと、シュバイツァー寺を造ったという。
「シュバイツァー博士のお孫さんが来て講演するんです」とパンフレットをくれた。
えっ、お孫さんが!と驚いた。それで行った。10月29日(木)の午後6時からだった。場所は神田のYMCAアジア青少年センター(9F)国際ホールだ。
〈シュバイツァー博士没後50年。「生命への畏敬」100年。記念講演会。=博士のご令孫クリスティ アーネ・エンゲル女子を迎えて=〉
実に感動的な話だった。シュバイツァー博士のことは子供の頃から知っていたし、教科書でも習っていた。
そのお孫さんにお会いでき、お話を聞けるなんて、全く思ってもなかったことなので、とても感動した。
古川さんに紹介してもらった。いろいろとお話を聞いた。そして一緒に写真も撮った。
凄い集会だったな、と思う。死刑反対の3回にわたる国際集会だ。袴田事件の袴田巌さんのお姉さん・秀子さんともお話をした。そして原田正治さんとも。
実は、原田さんのことを今回は詳しく書こうと思ったのだ。紙面がないので又、ゆっくり書こう。今度、対談をして本を作ろうと思っている。
それだけ凄い人なのだ。22日と24日の2日間は報告していた。
弟を殺されながら、それでも犯人と向き合い、最後は「死刑を執行しないでくれ。生きて罪を償わせてくれ」と上申書を出した。
さらに死刑反対運動にも参加した。まるで神のような人だと思った。
私らでは、とてもできない。その話を聞きたい。
死刑反対の署名を集めているとき、文句を言ってきた人がいる。「バカヤロー、死刑をなくしたら、凶悪事件が激増するぞ! お前らには被害者遺族の気持ちが分からんのか!」と。
署名している人が原田さんを指して、「この人が被害者遺族です」。
文句を言ってきた人は、慌てた。「あっ、電車が来る。行かなくっちゃ」と慌てて逃げた。
この原田さんの存在が、その発言が、最も説得力がある。「死刑反対」に最も「説得力」を与えている。
5年ほど前に原田さんと知り合った。こんないい人はいない。いつもニコニコしている。
一緒に広島に行って講演会をしたこともある。光市事件で死刑を宣告された人にも一緒に面会に行った。
いつも、多くのことを教えられている。なぜ、そこまで変われたのか。
そして今、体調を崩している。九州からわざわざ出てきた。弟を殺された事件。
又、なぜ、死刑反対に踏み切れたのか。さらに、死刑反対運動の中で感じたことなども聞いてみたい。
〈からだは、呟く。ことばは、裂ける。影が、動き始める。phrasey dance〉
と書かれている。「道の記憶のように、カラダとコトバが出会う。田中泯が踊る。石原淋が、宮沢りえが踊る。松岡正剛が語る。衣装は山本耀司だ。素晴らしい。思想的なコラボだ。
終わって、松岡さんたちに挨拶した。田中泯さん、山本耀司さんとは初対面。でも山本さんは昔、「朝日ジャーナル」の「若者たちの神々」で出ていた。30年前だ。山本さんの出た号の1ヶ月後に私が出た。その話をした。懐かしかった。
松岡さんは、『紙の爆弾』の私の連載を読んでくれてた。「がんばってるね。面白いよ」と。「じゃ、松岡さんもお願いします」とお願いしました。
少ない「情報」の中から、何を見ていたのか。又、大東亜戦争の時は、あり余る「情報」の中で、本質を見失い、「精神論」に堕した。そんなことを痛感した。
この「幕末展」は12月27日までだ。ぜひ見たらいい。駒込駅から徒歩8分だ。tel 03-3942-0280。この日は、ゆっくりと見た。貴重な資料ばかりで、目を奪われた。
午後からは、学校の予定だが、今日は、お休み。だから東洋文庫の後は、近くの六義園に行く。
初めて見た。広大な庭園だ。昔は柳沢吉保のものだったが、明治になって岩崎弥太郎が買い、その後、都に寄付した。和歌山の美しさを再現してるという。初めて知った。
そのあと、足を伸ばして旧古河庭園を見る。建物も美しい。そして庭のバラも美しい。
6時半、神田の「YMCAアジア青少年センター」に行く。
〈シュバイツァー博士没後50年。「生命への畏敬100年。記念講演会」。「博士のご令孫のクリスティアーネ・エンゲル女史を迎えて」。これも貴重な講演だ。ぜ行かなくちゃと思った。お孫さんに会って話を聞けるなんて感激でした。
主催は、「生命山シュバイツァー寺」。シュバイツァーの遺髪をもらい受け、寺を建てている。これも凄い話だ。
古川龍樹さんのお父さんは、教誨師をしていて、無実の「福岡事件」の再審に尽力していた。しかし、人々に伝わらない。ところがある〈事件〉で、この一家が全国に知られ、〈事件〉も知られることになる。
殺人犯が弁護士を装って古川さんの家に来て、金をだまし取ろうとした。小さな娘が「ニセ弁護士」だと見破って、警察に通報した。古川さんのお母さんの日記をもとにして、「毎日新聞」に連載されている。
それを見て驚いた。これ知ってる!『復讐するは我にあり』だよ。本も読んだ。映画も見た。この人が捕まったのは古川さんの家だったのか!
古川龍樹さんに聞いたら、「姉が見破ったんです」と言う。凄いな。ドラマチックな人生だ。一家だ。
そしてお父さんは、シュバイツァー寺を造った。そして今日は、博士のお孫さんを日本に呼んで、話してもらう。直接、お孫さんに話を聞いて、感激した。感動した。終わって、一緒に写真を撮ってもらった。
(この3日後、11月1日(日)、さらに驚くべきことがあった。『復讐するは我にあり』の作者・佐木隆三さんが亡くなった。こんな偶然があるのか。私も前に対談してたのに…)
㉛12月27日まで、「幕末展」をやってます。東洋文庫ミュージアム(駒込から徒歩8分)です。ポスターにはこう書かれてます。
〈幕末の英雄たちはどのような情報源から世界を知り、日本の未来を考えたのでしょうか。東洋文庫が所蔵する選りすぐりの史料から、胸を熱くする幕末史の魅力を再発見していきましょう!〉
現物の資料が沢山ありました。タイムスリップして見てる感じがしました。
㉝YMCAアジア青少年センターで。
〈シュバイツァー博士没後50年。「生命への畏怖」100年。記念講演会=博士のご令孫のクリスティアーネ・エンゲル女史を迎えて=〉
主催者の古川龍樹さん(生命山シュバイツァー寺)が挨拶しています。