11月3日(火・祝)の「週刊金曜日」創刊22周年記念集会は大盛況だった。
10日前にはチケットがソールドアウト。「何とか入れないか」という問い合わせが私にもあったが、どうにもならなかった。入れない人が大勢いた。
その2日前の11月1日(日)のJR東労組の集会も超満員だった。
「戦争法案」が通り、キナ臭い雰囲気の中で、不安を感じる人が多いのだろう。「声を上げたい」「行動したい」という人が沢山いたのだ。
時代は暗く、逆境だ。だからこそ、それに反対して声を上げる人もドッと出てきたのだ。
危機的な〈現在〉の話はここまでで、これから話は30年前に飛ぶ。
デザイナーの山本耀司さんに会った、と書いた。
10月26日(月)、渋谷のPARCO劇場だった。松岡正剛、田中泯、宮沢りえ、石原淋による舞台「影向」を見に行った時だ。
田中、宮沢、石原の踊りがあり、松岡の言葉がある。思想的な舞踏劇だ。
〈からだは、呟く。ことばは、裂ける。影が、動き始める。phrasey dance〉
と書かれている。それで、「影向(yow gow)」なのだ。素晴らしい舞台で圧倒された。
終わってから、楽屋に行って松岡正剛さんに挨拶しようとしたら、「出演者が皆、出てきますから、ここでお待ち下さい」と言われた。
しばらくして全員が出てきた。机を並べ、出演者と、「関係者」の打ち上げパーティが始まった。
私は関係者ではないが、松岡さんの知り合いだ。それだけの縁で、パーティに出させてもらった。
松岡さん、田中さん、宮沢さん、石原さんが挨拶する。そして「衣装を担当した山本耀司さんです」と司会者が言う。
あっ! と思った。「若者たちの神々」に出ていた山本さんじゃないか!
懐かしかった。初対面なのに、「懐かしい」と思い、挨拶した。
「確か、山本さんのすぐ後に私が出たんです」と言った。
「あっ、懐かしいですね」と覚えていてくれた。
「若者たちの神々」は、「朝日ジャーナル」に連載されていた目玉企画だった。
「随分昔ですよね。もう20年前になりますかね」と私。
「いや、30年前でしょう」と山本さん。
エッ? そんな昔だったのかな。家に帰って調べてみた。
山本さんの方が正しかった。山本耀司さんが出たのが1984年7月10日。私が出たのは、1984年4月10日だ。
あれっ、私の方が先に出たのか。でも、その後、単行本になった時は、山本さんの後に私が出ている。
今、本箱から探して手に取っているのが『若者たちの神々』(Part2)(朝日新聞社)だ。1985年5月15日発行だ。
サブタイトルとして、「筑紫哲也対論集」と書かれている。
カラーグラビア、カラーページがふんだんにある。それで1200円だ。安い。今なら、こんな贅沢な本を作ったら、この3倍か4倍の定価になるだろう。
30年前、「朝日ジャーナル」編集長だった筑紫哲也さんは思い切った連載を始めた。これが「若者たちの神々」だ。
謳い文句が凄い。単行本の帯には、こう書かれている。
〈単一の思想が若者の心をとらえる時代が去り、かわって乱立する生き神たち〉
凄い! 「生き神」なんだ。
自分に話があった時、戸惑った。私なんて、若者にとっての「神」じゃない。むしろ人々から馬鹿にされ、憎悪されてる対象だ。
それに右翼界で活躍してる人といったら、先輩に沢山いる。
そう言ったら、「いえ、本人も若者でなくては困ります」と言う。当時、私はギリギリの「若者」だったのだ。
この本に取り上げられている人は12人だ。30年前に、すでに「生き神」として輝いている人ばかりだ(私を除いて)。
そして30年後の今、さらに輝きを増し、各界の大御所になっている、この人々だ。
野田秀樹。村上龍。林真理子。戸川純。大竹伸朗。橋本治。三宅一生。山本耀司。鈴木邦男。山下和仁。小栗康平。中島梓。
錚々たる人々が若き「神」として登場している。〈好評のPart1に続く、「朝日ジャーナル」人気連載の単行本化!〉と書かれている。
じゃ、「Part1」はどんな人が出ているのか。この本の巻末に本の紹介があり、そこに出ていた。次の12人だ。
浅田彰。糸井重里。藤原新也。坂本龍一。ビートたけし。森田芳光。如月小春。新井素子。日比野克彦。北方謙三。島田雅彦。椎名誠。
今、小説、映画、デザイナー…の世界を代表する第一線の人々ばかりだ。
ビートたけしさんも「生き神」だったんだ。昔、「夕刻のコペルニクス」が単行本になった時、(Part2かな)、巻末で特別対談をしてもらった。あの時の感激は今も覚えている。
藤原新也さんには、この前、武田砂鉄さんのパーティで会った。
坂本龍一さんとは本を出したのに、この「神々」の話はしなかったな。
糸井さん、如月さん、北方さん、島田さんには何回か会っている。
糸井さんとはプロレス会場で会って話をした。…と、思い出した。
「若者たちの神々」は30年前、「朝日ジャーナル」で連載し、それが2冊の単行本になった。12人ずつだから、計24人だ。
…と思っていたら、違うようだ。「Part2」の巻末に、既刊の「Part1」の広告が出ていて、さらにこう書かれている。
「〈Part3〉〈Part4〉続刊予定」。エッ! さらにこの後があったのか。本箱を探したがない。調べてみよう。
では話を戻そう。山本耀司さんだ。プロフィールにはこう書かれている。
〈やまもと・ようじ ファッション・デザイナー。慶応大学法学部卒業後、文化服装学院に学び、在学中に装苑賞ほかを受賞。1981年、パリで最初のコレクションを発表。黒を基調とした新しい概念に基づくモードで川久保玲氏(コム・デ・ギャルソン)らとともに、国内外に大きな衝撃を与えた。作品は「ワイズ」「ワークショップ」など5つのブランドで商品化。先鋭的なファッション人種にファンが多い。1943年東京生まれ〉
えっ、同じ年なのかと驚いた。1943年生まれだ。
今、対論を読み直してみて、さらに驚いた。30年前だと思えない。今でも通じる問題意識で話している。時代を見通しているのだ。
16ページの対談の中の小見出しだけでも見てみよう。
〈自分の「スタイル」をつねに壊してゆきたい〉
〈わかられてたまるかという構えは崩さない〉
〈傍観者としての人生に対する憎しみと怒り〉
〈軟弱な「隠れワイズ」やカフェ人種が多すぎる〉
〈絶望のゆえに饒舌になってきたファッション〉
〈スキャンダラスでカッコいいが、未来はない〉
〈最近の日本人はちょっとのぼせすぎ〉
挑発的であり、戦闘的だ。旧いものに向かって闘ってゆく。怒りと憎しみを隠さない。
それに、この本は、筑紫さんの「インタビュー集」ではない。相手の懐に飛び込み、議論する。だから発言の量も相手と同じ位だ。
普通のインタビューなら、「なるほど」「そうですね」といった相槌を打つだけだが、これは違う。同じ分量で、やり合う。
だから、「筑紫哲也対論集」なのだ。
この人は、他の番組でもそうだ。ある時、大学に出かけてゆき、左右の行動派学生に取材していた。大学のサークル室で「取材」している。
10人近い学生と話しているが、彼らの発言のおかしな点にひっかかったのか、執拗に追及する。激論になる。
そして、とうとう相手を論破してしまった。こんな「取材者」はいない。
勿論、インタビューの域を超えている。対等な「討論」をやっているのだ。取材した「お客さん」に向かって論争を吹っ掛け、論破してしまう。
普通ならこんな「取材」は失敗だ。ボツだ。
でも筑紫さんは特別だ。〈対論〉なんだから。
だから、30年後の今、読み返してみても鋭いし、山本さんもそれに応え、さらに斬新だし、深いし思想的だ。
「価値観の多様化」なんて言われるが、そんなものは、バカな流行り言葉で内容はないと筑紫さんは挑発する。
それに対し、三島を出しながら、山本さんは言う。
〈三島由紀夫さんがロマンチシズムに憧れて言ったせりふに、絶望しているがゆえに饒舌にならざるを得ないというのがありますが、いまやその時代で、ファッションがすごく饒舌になり始めた。そのしゃべり方の機微です、いま一番受けているのは〉
そして、「それらをぶっ壊さなきゃいけない」と言う。
自分のスタイルというものをつくるのが嫌いだし、それすらも壊していきたいという。そして、
〈もちろん壊すのはすごく難しいけれど、ただ、自分だけの世界に君臨する怪物だけにはなりたくないなと思ってね。今回のテーマが、「神々」というんでしょう。「悪魔」だったら出ようかと考えてた(笑)〉
ほう、「若者たちの悪魔」か。いいねえ。
世の中に害毒を流し、若者の心を蝕み、この平和な社会を丸ごと破壊しようとしている悪魔たち。その悪の源泉をとらえる。…といった企画になるんだ。面白いじゃないか。
この「若者たちの神々」のあとは、「新時代の旗手たち」「元気印の女たち」…と続いたが、「若者たちの悪魔」、あるいは「現代の悪魔たち」もよかった。
筑紫さんも、本当はこれをやりたかったんじゃないのかな。連合赤軍の森、永田とか。でも取材出来ないか。
ぐっと近くなると、オウム真理教だよね。他にも、「少年A」の事件などもある。
山本さんの「怪物」発言を受けて、筑紫さんは、それは言えるし、本人の意図とは別に周りから、そうされてる、という。今の若者は「怒ることを忘れた」という。それは大きなエネルギーだったのに…と。
山本さんは、皆が傍観者になっている。カフェの中に座って、街を通る人を批評している。その言葉は辛辣でも、そんなものに価値があるのかと。
さらにこう言う。
〈いま、アメリカもそうだけれど、先祖返りしているでしょう。価値観が。保守化というのはあまりに普通っぽいですけど、本当に保守化していますね〉
「そうですね、文字通りの保守化ですね」と筑紫さんが応じている。まるで今の対論みたいだ。30年前に、もう言っている。見透している。エネルギーも、ボルテージも低下し、保守化する日本を語っている。
今、読み返してみると、この本はとても「新しい」。皆「熱い」。そんな全体的な熱の中で、私も、戦闘モードで話している。山本さんの1ヵ月後に出た。
まず、見出しをひろってみる。
〈いまは、体制が思想を圧殺している〉
〈軍歌ではなく、新しい変革の歌をつくりたい〉
〈いまの左翼は青年の情熱を受けとめきれない〉
〈左翼が活性化しなければ、右翼も伸びない〉
〈どこかでタガをはめなければ運動はできない〉
〈日本の革命は、常に天皇を中心にしてきた〉
〈天皇を否定する言論の自由も保障すべき〉
〈いくらでも受けて立つ 天皇制論争〉
いやー、突っ張っていたんだな。この頃は。と思っちゃいますね。
筑紫さんは、この本の「あとがき」(「対論を続けながら2」)でこうも言っている。
〈…本巻でいえば鈴木邦男氏はかねてから私のことを「インタビューではなく議論ばかり仕掛けてくるジャーナリスト」と批判してきた人物である〉。
実際その通りだ。議論を吹っ掛け、時には論破して楽しんでいる。
私だって身構えますよ。特に天皇制論争とテロの話になった時だ。
「右翼が怖いというので、天皇制論議を封じている」「だから怖くて若者は関心を持たない。それでいいのか?」と筑紫さんは言う。
それは違う。論争以前のスキャンダリズム、揚げ足取り、中傷で問題が起こったのがほとんどではないか。
右翼を挑発し、わざと暴発させて、「ほら見ろ、こんな下劣な奴らだ」と見せつける。やり方が汚い。と私は反論した。
筑紫さんは更に踏み込む。〈しかし、学者が研究をやり、天皇制に触れると、右翼からの圧力などが強く、虚心にやれないという雰囲気がある〉。
それに対し、私は、猛反論をしているんだね。
〈それはないと思います。それをやるならば、右翼がおかしい。ぼくら、理論的なものなら、いくらでも受けて立つ。逃げたことはない。藤田省三が彼の本の中でこんなことを書いていたんですね。―天皇制批判に対してテロで反撃するならば、天皇制は血塗られた刃によってしか守れないものになる。そんな天皇制に果たして価値があるのか、と。
そのとおりだろうと思いますね。ぼくは。
でも、一方でこうも思うんです。天皇を批判する人間に度胸がない、と。もし、本当に思想に命をかけるというのならば、殺されたっていいじゃないですか。それくらいの覚悟でやるべきですよ。こっちだってその覚悟でやってるんですから〉
凄いことを言ってる。これじゃ、かえって怖くなっちゃう。今だったら、とても言えない。
日の丸をバックに街宣してる写真も出てるが、日の丸が千切れている。汚れている。
我々は闘っているんだ。日の丸も闘い、雨風を受けて、汚れ、千切れ、貫禄がついてきたんだ。そう思ってるようだ。
今見ると、「国旗を大切にしてない」と思っちゃう。突っ張り過ぎてたんだと思う。30年前、熱い闘いモードの中にあったからだろう。
他の人たちも皆、闘っている。他の巻に出ている人も読んでみよう。又、新しい発見があるだろう。
最後は宇都宮健児さんの講演。閉会挨拶は北村肇さん。熱い熱い3時間でした。総合司会は松崎菊也さんでした。
5時から、場所を移して二次会。そこでも皆で、熱く語り合いました。
それから、村山富市さん、上原公子さんたちに挨拶しました。とても内容の濃い会でした。高嶋伸欣さん、菅直人さん、共産党の志位さんなどにも会いました。
又、30年ぶりに鎌倉孝夫さん(埼玉大学名誉教授)に会いました。昔、雑誌で対談をしました。
①『週刊金曜日。創刊22周年記念集会。〈戦後70年。言いたいことは山ほどある〉。大盛会でした。チケットは10日前にソールドアウト。入れない人が沢山いました。午後1時より。日本教育会館・一ツ橋ホール。開会前ですが超満員です。
㉔カルドネル・シルヴァンさん。康芳夫さん。カルドネルさんはフランス人で、今、龍谷大学国際文化学部の教授です。そして、「家畜人ヤプー」をフランス語に翻訳しました。又、西田幾多郎や大江健三郎も訳しています。康さんは伝説の怪人で、猪木vsアリ戦を企画し、(人と猿のハーフの)オリバー君を連れてきたことも。大変な人です。