2015/11/16 鈴木邦男

四日市と札幌。衝撃の体験をした!

「森田必勝氏、追悼のつどい」11/7
「森田必勝氏、追悼のつどい」11/7

①四日市で「森田必勝氏、追悼のつどい」

挨拶する森田治さん
挨拶する森田治さん
宮崎正弘氏の講演 宮崎正弘氏の講演

今年は三島事件から45年だ。事件を想起し、三島由紀夫氏、森田必勝氏を追悼・顕彰する集いが全国が開かれる。

11月7日(土)。三重県四日市市では、「森田必勝氏、追悼のつどい」が行われた。

四日市は森田必勝氏の出身地だ。午後2時から、四日市市民文化会館・第三ホールで行われた。多くの人が集まった。東京から来た人たちも多かった。

私らは午前中に四日市に着き、森田必勝氏のお墓参りに行き、その後、必勝氏が通った海星中学・海星高校を訪ねた。

そして「追悼のつどい」に出る。この日は最終で東京に帰り、11月10日(火)、札幌に行く。

森田治さんと 森田治さんと

一転、そこは冬だった。午後6時より、「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。

ゲストは蓮池透さん。テーマは「拉致問題解決への一つの提案」。

大勢の人が集まった。「拉致問題」がテーマだけに、マスコミの人も多く、始まる前、終わってからと蓮池さんは取材記者に囲まれていた。テレビ局も来ていて、この日の夜にHBCが放送していた。

又、翌日朝はNHKが放送していた。今週は四日市、札幌を中心に書いてみよう。

まず、四日市だ。三島、森田両氏が自決した11月25日とその前は、全国で多くの追悼・顕彰の集まりが行われている。憂国忌、野分祭、さらに東京、福岡などで行われている。

必勝氏と 必勝氏と

今年は事件から45年。そして戦後70年だ。その節目ということで、政治的に限らず、文学的な催しも多い。

ここ四日市での集まりは、今年で3回目だ。一昨年は、宮崎正弘氏、森田治さん(森田必勝氏のお兄さん)、私の3人が話をした。

昨年は、若松孝二監督の映画「11.25自決の日=三島由紀夫と若者たち」の上映が行われ、その後、満島真之介さんが登場した。

この映画で、「森田必勝」役で出た人だ。予定にも入ってなかったことなので、客席がどよめいていた。

一昨年も昨年も、「今年一回だけ」と思って行われた。

だから、これから定期的に続けるかどうかも決まってない。ただ。11月25日の前には全国から必勝氏のお墓参りに来る人が多い。だから、「『追悼のつどい』もやろう」ということで始まった。

宮崎正弘氏、森田治さんと 宮崎正弘氏、森田治さんと

今年は、評論家の宮崎正弘氏の記念講演だった。演題は「三島由紀夫・森田必勝とあの時代」。

宮崎氏は、早大で必勝氏と一緒に運動していた同志だった。学生運動を辞めてからは著作活動に専念し、実に200冊の本を書いている。特に中国問題には詳しい。

「いや、そんなに書いてませんよ。190冊です」と本人は言う。いろんな分野のものを書き、最近は中国問題でベストセラーを書いている。

又、事件の後、森田必勝氏の遺稿が発表された。『わが思想と行動』(日新報道)だ。

森田必勝氏のお墓参り 森田必勝氏のお墓参り

これは必勝氏の日記、行動記録、そして学生時代に書いた論文などをまとめたものだ。必勝氏を知る上では第一級の資料だ。

これを作ったのが宮崎正弘氏だ。事件の直後、宮崎氏は四日市の森田必勝氏家に飛び、出版の話をする。そして、必勝氏の日記を全て見せてもらう。四日間、泊まり込み、重要な部分は全て書き写した。

当時はコンビニもコピーもない。一つ一つ、ノートに書き写したのだ。大変な作業だ。そのおかげで私らも必勝氏の素顔に、又、内面に触れることが出来る。

②ミッションスクールのことを話し合いたかった

必勝氏の母校・海星高校で
必勝氏の母校・海星高校で
岩井さんたちと 岩井さんたちと

この本を読んで、初めて知ったこともあった。

「エッ!必勝氏はミッションを出たのか!」という驚きもそうだった。海星中学・海星高校と6年間もミッションスクールに通ったのだ。

実は私も高校はミッションだった。東北学院榴ヶ岡高校だ。でも、そんな高校時代の話なんか、したことはなかった。2人とも、「あまり言いたくない」と思っていたのだろう。

必勝氏は、クリスチャンだったお兄さんの薦めで海星中学・海星高校に入ったという。

私は県立二高を落ちて、仕方なく行ったのだ。それに私は、高校3年の時、教師を殴り、一度は退学になった。

必勝氏は、ここで手を洗ってました 必勝氏は、ここで手を洗ってました

その後、教会に毎日通い、「懺悔の生活」をして、半年後、奇跡的に復学を許され、1年遅れて卒業した。いやな思い出ばかりの高校だ。

だから、〈過去〉に触れられたくなかった。

又、高校のことを聞きつけて、何度か、からかわれたことが多い。「ヘエー、ミッション出てるのか。右翼のくせに」と。

又、「ミッションって、女しかいないんだろう?」と聞く人もいる。だから、自分からは言わないことにしていた。

必勝氏にも、そんな体験があったのかもしれない。だから、お互い、言わなかったし、相手がミッション出身とは知らなかった。

知っていたら、いろんな話が出来たのに、と残念だ。

この池も鯉も見てました この池も鯉も見てました

だからという訳でもないが、四日市に行った時は、必ず必勝氏の母校を訪ねている。

校門の外から見ているだけでもいいのだが、不審者と思われないように、挨拶している。

「たかじんで見てますよ。ぜひ中を見て下さい」と案内してくれる先生もいる。

去年は、校長先生がいて、案内してくれた。今年は、図書館にいた先生が、案内してくれた。

「まさかつさんのことはとても尊敬しています」と言う。

そして、『わが思想と行動』を持ってきた。又、他の人が書いた必勝氏の本も読んでるという。嬉しかった。

この道を通って学校へ この道を通って学校へ

「学内を見せてもらうのは3回目だが、初めて来た時は不安だった。「あの事件には触れてほしくない」と拒絶されるのではないか。そう思っていたのだ。

だって、三島事件は、一般的には有名だ。しかし、「事件」だし、社会的には「犯罪」だ。

三島、森田氏は自決したが、一緒に行った「楯の会」の3人は逮捕され、裁判を受け、その後、刑務所に送られている。三島、森田氏も生きていたら、刑務所に入れられた。

だから、出身校としても、触れないでおきたい。そう思ってるのかもしれない。と、勝手に思っていた。

ここに座って応援してました
ここに座って応援してました

③必勝氏を愛し、誇りに思っている

ここも昔からありました ここも昔からありました

ところが違うのだ。3回行ったが、どの先生も、「まさかつさん」のことが好きなんだ。自分たちの学校の先輩として尊敬しているのだ。それを皆、口にする。

今年、学内を案内してくれた先生は、さらに詳しく話してくれる。学校の成り立ち。

さらに、又、この学校は新しく増築した部分が多い。「ここは1970年には、まだなかったところです」「あっ、ここはありました。まさかつさんが使ったはずです」と教えてくれる。

手洗い場、自転車置き場、近くの用水路と、そばの道。「ここを通って学校に来たんです」と。

「この校舎は昔からありました。1年は1階、2年は2階、3年は3階でした」。「まさかつさんも、ここで勉強しました。3階から見ると下の池がよく見えますね。この大きな鯉も当時からいたはずです。まさかつさんを覚えているのでしょう」と言う。

11/6。近藤昭一さんと 11/6。近藤昭一さんと

うーん、懐かしい、と私まで、懐かしくなった。

必勝氏がいた時に、一度、野球部は甲子園に行った。その時、「まさかつさんは生徒会長ですから甲子園に応援に行ったはずです」…と。今まで知らなかった高校の話をしてくれる。

お墓参りをし、学校を見て、そのあと、文化会館に行く。

広い会場はどんどん埋まっていく。昔、一緒に運動してた人。「楯の会」で一緒だった人も来てくれた。「憂国忌」を主催する三島研や日学同の人たちも東京から大勢で来てくれた。

必勝氏のお兄さんの森田治さんがまず挨拶をする。

そして、宮崎氏の講演だ。学生時代の話、必勝氏の活動について語る。又、事件後、必勝氏の『わが思想と行動』をまとめて出版した苦労話などを。

名古屋の居酒屋で 名古屋の居酒屋で

森田必勝氏は、昭和20年7月25日生まれだ。敗戦の20日前だ。でも両親は、日本の勝利を信じ、勝ってほしいと祈りを込めて「必勝(まさかつ)」と名付けた。そのことは知っていた。

でも、「いや、2つの案があったんです」と宮崎氏は言う。「『必勝』と名付けるか、『和平』と名付けるか」…と。

エッ! そうだったのか。「和平」だったら、右翼学生にならなかっただろう。我々も知り合いにならなかった。

だから、「『必勝』と名付けられた時から、彼の人生は決まったのです」と宮崎氏は言う。

その後、喫茶店で その後、喫茶店で

その他、我々の知らなかった大学でのエピソード、闘いを紹介する。

とてもいい話だった。又、東京から来た元「楯の会」の人たちも思い出を語る。

中には、お母さんが防衛庁に勤めていた、という人もいた。

「総監室に乱入し、自決した」とニュースが流れた。後ろ姿がテレビに写り、「うちの息子に違いない!」とお母さんはビックリしたという。(本当は違ったんだが、そう思わせるものがあったのか)。

名古屋ボストン美術館で
名古屋ボストン美術館で

④再び「必勝氏」に会った!

11/10。札幌時計台ホール
11/10。札幌時計台ホール
蓮池さんとのトーク
蓮池さんとのトーク
講演する蓮池透さん 講演する蓮池透さん

そうだ。この日、受付では、来た人に名前を書いてもらった。

「あっ! 同じ名前なんですか!」と大きな声が聞こえた。

何があったんだと飛んで行ったら、「高橋必勝」と書かれている。

まさか。でも、ここに来るくらいだから…。聞いたみた。

「森田必勝さんにあやかって付けたんですか」「そうです」と言う。

お母さんのお腹に入っていた時、三島事件は起きた。両親は感動し、「この子は必勝と名付けよう!」と思った。翌1971年生まれだ。

本当に「必勝」と名付けられた。偉い父母だ。

それに勇気がある。いくら感動したのでも、「事件」だし、警察からすると「犯罪」だ。その人間の名前を付けるなんて…。子供は悩むだろう。学校では、冷やかされるだろう。

終了後、2人で 終了後、2人で

そう思ったが、違う。それだけ、四日市の人々は優しいのだ。必勝氏を信じ、尊敬している。そう思った。

森田治さんの家には必勝氏の写真が飾られている。そして庭には、必勝氏の銅像が建てられてる。

「あの銅像はぜひ、四日市駅前に移してもらいたい」と宮崎氏が言っていた。「異議ナーシ!」と応える人も多かった。

四日市では、とてもいい集まりになった。又、昔の活動仲間にも沢山会った。

それから11月10日(火)だ。「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」だ。

ゲストは蓮池透さんだ。テーマは、「拉致問題解決への一つの提案」だ。

蓮池さんの対話集『拉致2』 蓮池さんの対話集『拉致2』

何故、救出が遅れているのか。蓮池さんは、問題点をズバリと言う。何が救出のネックになっているのかも、指摘する。会場の皆は、「エッ? そうなのか」と疑問に思う。私だって蓮池さんと会うまでは分からなかった。北朝鮮の首領さまが認めて、返還を言っている。だから、すぐに実現するだろうと思っていたが、実現しない。

私は、単行本と雑誌で一回ずつ、蓮池さんと対談している。その他、ニコ生などでも対談した。

単行本は、『拉致2』(かもがわ出版)だ。実にいい本だ。蓮池さんが森達也さん、池田香代子さん、そして私と対談している。

じゃ、4人の座談会か、と思うかもしれないが違う。一人一人と対談したのだ。だから、4人と話し、4つのブロックに分かれている。

〈第一章〉は「国家という怪物と拉致問題」(池田香代子氏との対談)

1.ゆがんだ軌道に乗っていく
2.民主党政権で拉致問題は変わるか
3.拉致問題と「個人と国家」

⑤さらに突っ込んで蓮池さんに聞いた

東京から来た寅ちゃんも 東京から来た寅ちゃんも

〈第二章〉は、「右も左もいっしょにやればいい」(鈴木邦男との対談)

1.違和感のなかで
2.「一時帰国」と拉致家族
3.北朝鮮とどう話し合うか

〈第三章〉は、「『拉致』解決への道を探る」(森達也氏との対談)

1.硬直状態を何とか打破したい
2.「拉致」の周辺にある北朝鮮の問題
3.北東アジアの危機を救うべき方法を考えよう
打ち上げ会で 打ち上げ会で

3人とも、必死になって、本書で語っている。

この本の帯には、「複眼的な対話から、解決策が見えてくる!」と書かれている。

その通りだ。時計台に行く前に、まずこの本を読み返し、その時の問題点を思い出しながら、再び蓮池さんに聞いた。

あの時とは蓮池さんは「立場」も変わり、今は、もっと自由だ。だから、思い切った発言もある。その意味では、かなり深く入り込んだ話になった。

そして、「我々一人一人は何をしたらいいのか」という会場からの質問にも、具体的なやり方をいくつか挙げていた

。多分、そうした斬新な方法論が今まで提示されてなかったからだろう。

東京、和歌山から来た人も 東京、和歌山から来た人も

又、今までずっと「家族会」の事務局長をやってきた蓮池さんの言葉だけに説得力がある。

抽象的な話はしない。具体的な話を、次々とする。

又、人名も出して、はっきりと断言する。拉致問題を解決するのには、これしかないと勇気をもって提言する。

この日は多くのマスコミ人も来て取材していた。そして、この日の夜のHBCのニュース、翌朝のNHKのニュースでも大きく放送していた。

こんなことは今までなかった。それだけ、この問題は、焦眉の課題だろうということだ。そして、身近な危機なのだ。そう痛感した。

【だいありー】

高橋夫妻も(右) 高橋夫妻も(右)
  1. 11月9日(月)午前中、原稿。
     午後2時、出版社の人と打ち合わせ。
     5時、喫茶店「ミヤマ」会議室。月刊『紙の爆弾』で、足立正生さん(監督)と対談。
     来年春上映の映画「断食芸人」の試写を見たが、文句なしに素晴らしい。面白い。その映画について聞いた。苦労話、そして、大きく脱皮出来た秘密について聞いた。
     終わって、「土風炉」で飲む。
  1. 11月10日(火)午前11時、羽田発のANAに乗る。
      12時35分、千歳着。札幌で柏艪舎の人と打ち合わせ。食事。蓮池透さんは5時近くに到着。
足立正生監督と対談。11/9 足立正生監督と対談。11/9

6時から、札幌時計台ホールで講演。私が開会の挨拶をし、まず蓮池さんが1時間、講演。「拉致問題解決への一つの提案」。そしてトーク。又、会場からの質問を受ける。テレビ局をはじめ、取材の人も多かった。

このあと、近くの居酒屋で打ち上げ会。和歌山から下中さん。東京から寅さんが来てくれた。蓮池さんを囲んで、遅くまで話が盛り上がりました。

  1. 11月11日(水)12時、千歳発のANAで帰る予定だったが、機に不具合があって、検査中とのこと。その後、欠航になり、12時半の便に振り替えさせられた。蓮池さんも一緒のようだった。
足立監督 足立監督

時間は遅れたものの、東京に無事に着く。家に帰って、たまってた仕事をする。

  1. 11月12日(木)午前11時、打ち合わせ。
      午後から、河合塾コスモ。
      3時、「現代文要約」。5時、「読書ゼミ」。栗原康さんの『現代暴力論=「あばれる力」を取り戻す』(角川新書)を読む。
      本の帯には、こう書かれている。
〈いま、最注目の政治学者が、日本の“隷従の空気”を破壊する!〉。

そして、

そのあと、「土風炉」で そのあと、「土風炉」で
〈気分はもう、焼き打ち〉

凄い。「焼き打ち」か。この人は、『大杉栄伝』で、第5回「いける本大賞」を受賞した。新発田の「大杉栄メモリアル」でも講演してくれた。私も聞いた。優秀な若手学者だ。この本を生徒と読んで考える。

  1. 11月13日(金)午前中、原稿。
      午後1時、新宿。地方から上京した人と会い、打ち合わせ。
      5時、雑誌の座談会。
  1. 11月14日(土)午前10時、「国際三島由紀夫シンポジウム2015」に参加する。ドナルド・キーンさんの講演を聞く。
私が殴られた瞬間! 私が殴られた瞬間!

そのあと、平野啓一郎さん、芥正彦さんの講演を聞く。とても刺激的だし、素晴らしかった。

午後の部が終わり、3人に挨拶して、いろいろと話した。夜の部も聞きたかったが、先約があって池袋へ。

高木尋士さんが主催する「読書会」に出る。この日は特別ゲストも参加していた。『イスラエル』(岩波新書)を書いて話題を読んでいる臼杵陽さんだ。とても勉強になりました。アーチャリーも来てました。

  1. 11月15日(日)午前11時、本駒込駅の光源寺に行く。高橋京子さん(見沢知廉氏のお母さん)の三回忌の法要。多くの人が集まりました。
     夜は雑誌の座談会。

【写真説明】

「森田必勝氏、追悼のつどい」11/7

①11月7日(土)午後2時より、四日市市民文化会館。第三ホール。「森田必勝氏、追悼のつどい」。全国から多くの人が集まりました。

宮崎正弘氏の講演

②宮崎正弘氏(評論家)の記念講演。「三島由紀夫・森田必勝とあの時代」

挨拶する森田治さん

③必勝氏のお兄さん。森田治さんの挨拶。

森田治さんと

④森田治さんと。

必勝氏と

⑤同じ名前なんですね、驚きました。「必勝」氏です。森田治さんに言ったら、知ってました。「そうです。弟です」と言ってました。

宮崎正弘氏、森田治さんと

⑥直会(なおらい)で。宮崎正弘氏、森田治さんと、

森田必勝氏のお墓参り

⑦この「追悼のつどい」の前に、行ってきました。森田必勝氏のお墓参りです。

岩井さんたちと

⑧名古屋の岩井さん。和歌山の下中さんも来てくれました。

必勝氏の母校・海星高校で

⑨その後、必勝氏の母校・海星高校を訪ねました。正門を入ったところです。

必勝氏は、ここで手を洗ってました

⑩ここは50年前からあるそうです。必勝氏もここで手を洗い、水を飲んでました。

ここに座って応援してました

⑪体育館も昔からありました。生徒会長として、ここに座り、上から見てました。

この池も鯉も見てました

⑫三階の教室から、この池を見てました。この鯉も覚えているでしょう。

この道を通って学校へ

⑬水路のある道です。この道を通って必勝氏は高校に通いました。

ここも昔からありました

⑭この自転車置き場も昔のままです。必勝氏は近いので、歩いて通ってました。

11/6。近藤昭一さんと

⑮この前の日、11月6日(金)は名古屋に行きました。民主党の国会議員・近藤昭一さんと会いました。

名古屋の居酒屋で

⑯岩井さんや、近藤さんの秘書もいます。居酒屋です。

その後、喫茶店で

⑰その後、喫茶店でコーヒーを飲みました。

名古屋ボストン美術館で

⑱この日は、大学で授業を聞き、その後、名古屋ボストン美術館でルネッサンスの絵を見ました。そして夜、近藤さんと会ったのです。

11/10。札幌時計台ホール

⑲11月10日(火)午後6時より。「鈴木邦男シンポジウムin札幌時計台」。ゲストは蓮池透さんです。

講演する蓮池透さん

⑳講演する蓮池透さん。「拉致問題解決への一つの提案」。

蓮池さんとのトーク

㉑そのあと、蓮池さんとのトーク。

終了後、2人で

㉒終わって、記念撮影。

蓮池さんの対話集『拉致2』

㉓蓮池さんの対談集の『拉致2=左右の垣根を超える対談集=』(かもがわ出版)。蓮池さんが、森達也、池田香代子、鈴木邦男と対談しています。
〈複眼的な対話から解決策が見えてくる!〉と、帯には書かれています。

東京から来た寅ちゃんも

㉔東京から来た寅ちゃんもいます。札幌、姫路、大阪…と、いろんな所に出没です。本当は東京(それも私の家の近く)に住んでるらしいのですが、東京で会ったことはありません。

打ち上げ会で

㉕打ち上げ会で。

東京、和歌山から来た人も

㉖寅さん(東京から来た)。下中さん(和歌山から来た人)。それに、元東京の人。

高橋夫妻も(右)

㉗前に東京にいて、今は札幌にいる高橋夫妻(右)。そして寅ちゃん、下中さん。

足立正生監督と対談。11/9

㉘11月9日(月)足立正生監督と対談。『紙の爆弾』。「ミヤマ」で。

足立監督

㉙足立監督。平早カメラマンが撮りました。

そのあと、「土風炉」で

㉚この後、居酒屋「土風炉」で、飲みました。

私が殴られた瞬間!

㉛月刊『創』12月号。グラビアに出てました。ハンドマイク(左にある)で、私は思い切り殴られたんです。警察官は大勢いるのに、犯人を止めない。捕まえない。

12/19(土)の「音楽寺子屋」

㉜12月19日(土)「傷だらけの人生」を作った白井伸幸さん(元ビクターレコード・ディレクター)と対論します。衝撃の話が聞けると思います。

【お知らせ】

  1. 11月16日(月)、この日発売の週刊「アエラ」に原稿を書いてます。書評です。
  2. 11月18日(水)午後7時。「三島由紀夫Night東京銀座」。
    (第1部)特別対談。椎根和×横山郁代。
    (第2部)三島由紀夫に捧ぐ歌。会場・銀座TACT
  3. 11月23日(月)「秋のブラック祭」。昼の部。左談次・ブラック二人会(13時)。夜の部。鈴木邦男・ブラック二人会(17時)。各部2500円。神田・らくごカフェで。
  4. 11月24日(火)三島由紀夫・森田必勝両烈士顕彰祭。午後6時半開会。ホテルサンルート高田馬場。(第1部)顕彰祭。斎主・島田康夫(譲葉神社禰宜)。(第2部)記念講演。講師・田母神俊雄氏。演題「現代日本を予見した三島の檄文の洞察力」。お問い合わせ、参加希望者は、一水会事務局へ。03(3364)2015
  5. 11月25日(水)憂国忌。午後6時より、星稜会館。村松英子さん、西尾幹二さん、ヘンリー・ストークさん、細江英公さん、玉利齋さんなどの追悼挨拶が予定されています。
  6. 11月28日(土)「三島由紀夫と若松孝二を語る」。聞き手・花田光。話し手・瀧沢亜紀子。参加費・1500円。場所・「ビリケン・カフェ」(世田谷区若林4の27の2。松陰神社そば)。
  7. 12月13日(日)「天皇と軍隊」特別上映会。14時15分から。浦和浦安市民プラザWAVE101。中ホール。上映後、鈴木邦男のトークイベントがあります。一般・学生、999円。
  1. 12月19日(土)。午後3時。〈音楽寺子屋。年末スペシャル。三島由紀夫自決から45年。鶴田浩二「傷だらけの人生」から45年〉。二つの事件はなぜ起こり、どう関連していたのか。白井伸幸(「傷だらけの人生」を創った男)と鈴木邦男が対論する。驚きの事実が明かされる。入場料1500円。ところ。学び舎遊人。(千代田区西神田2-4-1 東方学会新館)。主催・ユージンプランニング。申し込みは、tel 03-3239-1906。
  2. 12月20日(日)午後2時より。名古屋市伏見区の長円寺会館で、快楽亭ブラックさんの落語会があります。落語のあと、ブラックさんと私のトークがあります。
  3. 12月29日(火)「竹中労について徹底的に語り合う会」。パネラーは、武田砂鉄(作家)。昼間たかし。鈴木邦男他。午後1時から、ネイキッドロフトで。 詳細