フランスのオランド大統領が、「これは戦争だ」と議会で演説していた。フランスは決してテロに屈しない。闘う!と宣言した。
聞いていた議員は全員立ち上がって、大統領に拍手した。
そして、突然、皆が国歌を歌いだす。大統領も歌う。「自然の流れ」の中で、感極まって一人が歌い出すと、それにつれて皆も歌い出す。
あっ、こんな光景を私も前に見たな、と思った。
2003年だ。フランスの国民戦線30周年記念大会に招待されて、一水会の木村代表と2人で、フランスのニースに行った。
ルペン党首(今の党首のお父さん)が2時間以上の大演説をしていた時だ。大熱弁だ。話してる途中で、感極まって、国歌を歌い出す。
その瞬間、全員が立ち上がり、斉唱する。勿論、私も歌った。そして、座席の前にあったフランスの国旗の小旗を打ち振った。
檀上と客席は一体となる。実に感動的だ。凄い!と思った。
日本では、こんなことはない。右翼の集会でもない。右翼のリーダーが演説していて、急に「君が代」を歌い出すことはない。
安倍首相が国会で演説をしていて、そこで突然「君が代」を歌うこともない。
国歌はそんな時に歌うものではない。はしたない。という感情があるのだろう。
「国民儀礼」として、演説の前に行う「儀式」なのだ。演説(主張)と「儀式」は厳然として分かれている。相互乗り入れは絶対にない。
2003年、ニースでは感動した。「こんなやり方もあるのか」と驚いた。
と同時に、「日本では無理だろうな」と思った。日本では、堅苦しく考えるからか。演説の途中で歌をうたうなんて(たとえ国歌でも)、不謹慎であり、不真面目だと思われるのだろう。
では、三島ならどうか。いや、三島でもやらなかったし、どんな場合でもやらなかっただろう。
三島は市ヶ谷で演説し、その後、天皇陛下萬歳をやり、そのあと自決した。
演説の前後に、あるいは演説中に、天皇陛下萬歳を言うのはいい。しかし、国歌はダメなのだ。そのことを三島に聞いてみたかった。
11月14日(土)、貴重な「三島体験」をした。いや、追体験か。
自決の1年前、1969年(昭和44年)5月12日、東大全共闘に呼ばれて三島は東大に行き、激論を闘わせた。
その「現場」に我々はいるのだ。そこで、「国際三島シンポジウム」に参加している。
檀上では、46年前の「全共闘vs三島」のビデオが流されている。
そして、何と、三島と激論した東大生の芥正彦氏がここに現れ、「解説」をする。当時の思い出、三島との闘いについて語る。
さらには、ドナルド・キーンさんが出て演説する。
又、平野啓一郎さんが演説する。
凄い。夢のようだ。何と贅沢なシンポジウムか。
この日は、ちょっと早く着いたので、壇上に上がってみた。机の前に立つ。会場を見渡す。まるで、三島になったような気分だ。
ここに三島は単身乗り込んで、闘ったのか。46年前の大演説会を思い出していた。東京大学駒場キャンパス講堂(900番教室)が、そこだ。
この900番教室こそが、「全共闘vs三島」の戦った場所だ。戦場だ。
こんな機会でもないと入れない。ありがたかった。それにしても、これだけの国際的なシンポジウムをよくやったもんだと思う。「生誕90年、没後45年。国際三島由紀夫シンポジウム2015」だ。
外国からも講師を呼んで3日間にわたって行われた。11月14日(土)が900番教室。15日(日)が東大駒場キャンパス18号館ホール。22日(日)が青山学院アスタジオ地下多目的ホールだ。
それぞれ、錚々たる講師が来て、演説し、討論する。
私は第1回目しか出れなかった。でも、この日が最高だと思った。
会場もいいし、講師もいい。又、昼食の時は、講師と一緒に私も誘われて、昼食会に出た。そこで、ドナルド・キーンさんや平野啓一郎さんともお話が出来た。感激した。
11月14日(土)のプログラムから紹介しよう。
900番教室は満員だった。ネットで事前登録制だし、入れなかった人も多かったようだ。私は、やっとのことでネットで申込みが出来た。
午前10時開会だ。余裕をもって早めに行ったら、受付のところで、井上隆史さんに会った。
三島研究の権威で、私もよく教えてもらっている。私の本『遺魂』の中でも、井上さんに教えられたことが書かれている。今、白百合女子大学の教授だ。
この人のおかげで、前の方の「関係者席」に座らせてもらったし、関係者だけの昼食会にも参加させてもらった。感謝したい。
10:10、開会挨拶。田尻芳樹(東京大学) 基調講演 司会・佐藤秀明
①松本徹(三島由紀夫文学館館長):東西の古典を踏まえて
②イルメラ 日地谷=キルシュネライト(ベルリン自由大学):「世界文学」を視野に入れて
③ドナルド・キーン:三島由紀夫と私
(昼食12:00〜13:20)
13:20 特別講演 司会・佐藤秀明、井上隆史
①平野啓一郎:行動までの距離
②芥 正彦:原爆/天皇。そして三島由紀夫と東大全共闘
(休憩14:50〜15:00)
③高橋睦郎:ありし、あらまほしかりし三島由紀夫
(休憩16:30〜16:40)
16:40 パネルディスカッション 21世紀文学としての「豊饒の海」
司会・田尻秀樹
スーザン・J・ネイピア(タフツ大学):近代との対決-三島由紀夫と宮崎駿における美学と怒り
四方田犬彦(比較文化・映画研究家):『天人五衰』ふたたび
デニス・ウォシュバーン(ダートマス大学):最初のポスト・モダニスト?三島由紀夫における崇高の美学
井上隆史(白百合女子大学):全体小説と世界文学
今、書き写してみても、凄いシンポジウムだと思う。2日目、3日目もそうだ。凄い。よく、これだけの規模の、質の高い集まりがやれたものだと感心した。
私は第1日目しか出れなかった。それも、14:30頃に中座した。池袋での高木さんの勉強会があったので…。
檀上には、外国人の参加者にも分かるように、こう書かれている。
「International MISHIMA Symposium 2015」。
どの講演も素晴らしかった。必死にメモを取りながら聞いた。学生に戻ったような気持で、聞いた。
一番衝撃的なのは「東大全共闘vs三島」だ。2時間半、激論した。
当時、ビデオはなくて、ただTBSが「映画」として全て撮っている。だから時々、同局のニュースなどでは流す。
ただし、10分とか20分だ。2時間半の全てを放送することはない。
ただ、活字にはなっている。三島全集にも出てるし、この討論だけでも単行本になり、文庫本になっている。
あの激論から46年の今。同じ教室で、あの闘いのビデオを見ている。
言ってる言葉も難しい。特に全共闘だ。抽象的だし、訳が分からない。普通の講師なら、怒って帰る。
三島は何と忍耐強いのかと思った。全く、訳の分からない質問にも、キチンと付き合っている。
ただ、難解で抽象的な議論の中に、パッと、一か所でも、輝くものがある。その1点だけを求めて三島は、じっと我慢して話し合ったのかもしれない。
この日、流されたビデオの中では、芥氏が執拗に三島に問いかける。「全共闘C」というのが芥氏だ。
あっ、そうだ。「三島vs芥」の部分は、当日配付された袋に入っていた。とにかく凄い人だと思う。
〈全共闘C あなたの場合、一つの志向があるでしょう。遊戯の場合は、他志向からは生まれない行動です。ゲームの場合、少なくとも他志向がある程度ありますしね。あなたはゲームをデマゴーグに変えようとしているわけですけども、日本がなければ存在しない人間。
三島 それはぼくだ(笑。拍手)〉
さらに、「解放区」についても激論する。
〈全共闘C 空間には時間もなければ関係もないわけですから、歪められるとか…。本来の形が出てきたというところで、彼が自然に戻ったとおそらく幼稚な言葉で言ったのじゃないかと思う。(中略)
三島 なるほど、なるほど。そうするとだね、それが持続するしかないということは、それの本質的な問題ではないわけ?
全共闘C 時間がないのだから、持続という概念自体おかしいのじゃないですか。
三島 そうすると、それが三分間しか持続しなくてもあるいは一週間あるいは十日間持続しても、その間の本質的な差は、全然次元としての差すらないですか?
全共闘C たとえば、あなたの作品と、現実のずっと何万年というのと比べろと言ったって、これはナンセンスでしょう。おそらく。
三島 ところがだね。おれの作品は何万年という時間の持続との間にある一つの持続なんだ。ぼくは空間を意図しないけれども、時間を意図している。そして解放区というのは空間を意図するものならだね、それがどこで時間に接触するかということを興味をもってだなあなたに聞きたい。〉
全共闘があれこれと吹っ掛ける議論に、三島は忍耐強く付き合っている。いや、楽しんでさえいる。「解放区」には時間があるのかと逆に問いかける。
全共闘C(芥さん)は、「いや時間じゃなくてむしろ現象形態の事物なり、空間でしょう」と答えている。
さらにこう言う。
〈だからまだ全共闘のバリケードにしろ一つの歴史の認識の一形態として、狙撃銃的な認識でなくて、散弾銃により走りながらの認識。サルトル以降の認識の形態だと思う。
三島 あれが、非常に新しい認識の形態だとすると、それにもし持続というものを加えたいという気は、全く初めから毛頭ない。そこで意思の介入する余地はないわけですか?〉
なにやら凄い話をしてるな。芥さんも真っ向から三島に向かって闘っている。一歩も引かない。
それに、「狙撃銃的な認識」とか「散弾銃による走りながらの認識」なんて、よくも考え付くものだ。
それも、その場で瞬間的に発した言葉だ。優秀な人たちだと思った。
2時間半の長い闘論についても、三島は、うんざりしたのではなく、かなり満足したのかもしれない。今は、そう思う。
この場を去る時、三島は、こう言っている。悪口にせよ、「天皇」という言葉がこれだけ発せられたことはない。ここの教室に満ちていると。
〈言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言葉がどっかにどんなふうに残るか知りませんが、私がその言葉を、言霊をとにかくここに残して私は去っていきます。そして私は諸君の熱情は信じます。これだけは信じます。ほかのもの一切信じないとしても、これだけは信じるということはわかっていただきたい〉
46年経って、その言霊があふれ、言葉が飛びかっている大教室に我々はいる。そして、このシンポジウムを聞いている。
贅沢な時間だ。素晴らしい体験だ。芥氏は46年前の三島との激闘について語り、さらに今、解説する。
あの時、芥氏は赤ん坊を連れてきていた。奥さんが働きにいって自分が面倒をみる日だった。それもある。
だが、三島の天皇・伝統に対置するためには赤ん坊だと考えたのだという。これも散弾銃的な認識論かもしれない。
終わって、芥さんと話をした。「凄いね。三島さんも。若松孝二さんなら、殴ってたよ」と言ったら、「若松とは新宿で殴り合いをしたことがある」と言っていた。
じゃ、その話も含め、「11.25自決の日」の話も含めて、三島について語ってほしい。とお願いした。だから、どこかで実現するかもしれない
。ドナルド・キーンさん、平野啓一郎さんとも、もっともっと話してみたい。「三島vs東大全共闘」は、三島は、ただ、うんざりしてただけかと思ったら、違う。
それが分かっただけでも、勉強になった。もう一度、読み直してみよう。
終わってからも、「いい映画でしたね」と映画会社の人たちと話をした。オリンピックを迎える上でも、又、戦争や、国際間の「憎しみ」「愛」を考える上でも、いいテキストになるでしょう。来年2月から、全国公開されるそうです。
第1部。19時から特別対談「スーパースター・三島由紀夫の思い出」。『平凡パンチの三島由紀夫』(新潮社)の著者・椎根和氏と『三島由紀夫の来た夏』(扶桑社)の著者・横山郁代さんの対談。なかなか興味深いお話が聞けました。
又、元「楯の会」の本多清氏(旧姓・倉持清氏)が来てくれたので、特別に挨拶をしてもらった。休憩をはさんで午後8時15分からは横山郁代さんの歌。〈三島由紀夫に捧ぐ歌=ジャズ・70年代ポップスライブ〉。
このスペシャルナイトを企画したのは御手洗志帆さん。素晴らしかったです。お疲れさまでした。
そして、加藤登紀子さんの特別ライブがあった。
前日に「40周年」をやった「インサイダー」の高野孟さんも来ていた。2日間続けて40周年だが、他にも、40周年を迎える新聞や出版社がかなりあるそうだ。
①11月14日(土)「国際三島由紀夫シンポジウム」の時です。このビデオを見ました。三島由紀夫が東大全共闘と激論した時の映像です。今から46年前です。その同じ教室、東大駒場キャンパス講堂(900番教室)で我々はこのビデオを見たのです。感動です。三島(右)と対決し、討論する東大全共闘(左)です。芥正彦さんです。
⑩11月18日(水)午後7時から。「三島由紀夫Night in 銀座」です。銀座TACTで。椎根和さんと横山郁代さんの特別対談。そして、横山さんの「三島由紀夫に捧ぐ歌」がありました。会場は満員でした。
⑫横山郁代さん。『三島由紀夫の来た夏』(扶桑社)著者。三島は毎夏、下田を訪れ、日新堂菓子店でマドレーヌを大量に購入していた。そのお菓子店の娘さんだった郁代さん。15才の時に三島に会い、三島のお茶目な一面を知る人物です。
㉕12月19日(土)午後3時より。鶴田浩二と三島由紀夫について語ります。鶴田の「傷だらけの人生」を創った白井伸幸さんと対論します。鶴田の異色の曲。鶴田と三島の対談。そこで「決起・自決」について話している。その衝撃の内幕を語ります。三島事件、そして鶴田へのマスコミの殺到…。45年経って明かされる謎は…。
来週詳しく書きますが、2冊の本の紹介です。『私の戦後70年』(北海道新聞社)が発売中です。立場の違う50人からのメッセージです。これが歴史です。私も書いてます。
もう1冊は、『ひとびとの精神史』全9巻(岩波書店)です。毎月1冊が出ています。11月25日は、第5巻「万博と沖縄返還」です。私も三島事件について書いてます。