正月はほとんど家にいて仕事をしていた。
年末もそうだ。近所の神社にちょっと出かけた位で、あとはずっと、引きこもりだ。
7日(木)に、白井聡さんと対談した。仕事始めだ。「永続敗戦論と原発」だ。
「白井さんの話を聞いてみたい」という人が何人も聞きに来た。
遅れてる原稿を取りに来た出版社の人もいる。
「困りますね。年末に書く予定だったのに」
「すみません。サボってるわけじゃなくて、頑張ってるけどできないんです。無能なんですよ」。
でも必死でやります。と〆切を延長してもらいました。
「忙しいのに本ばっかり読んでるからじゃないの」とも言われました。
ウーン、それはあるな。「時間がない。時間がない」と焦っているときほど、何故か読める。
「こんなことしてる場合じゃないだろう。仕事やれよ!」と、もう一人の自分は怒鳴り散らしている。
だが、「本読み」のもう一人の自分は本にしがみつく。
暇があるから本が読めるのではない。
例えば、結婚しているサラリーマンが、特別に年休一週間もらえたとする。
「よし、本を読もう」と計画する人はまずいない。「どっか行こうよ」「ディズニーシーに連れて行け」と奥さんや子供にせがまれる。
「いや、お前らとは遊ばない。一週間、一人で本を読む」と言ったら、家庭崩壊だ。
だから、読書は時間のある時にはできない。朝起きてすぐに読む。又、寝る前に読む。電車の中で読む。…といったコマ切れの時間の方が読める。集中できる。
12月は忙しかった。名古屋で快楽亭ブラックさんと「二人会」をやった。
大阪や浦安に行ったり、鳩山由紀夫さん、木村三浩氏と座談会をやった。
竹中労についてネイキッドロフトで話をした。
ロフトラジオに2回出た。
辻元清美さんの議員生活20年のパーティに出た。
他にも6つ、パーティに出た。
又、忘年会は沢山あった。マガ9、安田弁護士、高須基仁さん、一水会…と、11件、出た。
「ザ・ニュース・ペーパー」や「大川興業」も見に行った。
姜尚中さんの話を聞きに行った。
映画「天皇と軍隊」のトークに出た。
他に学校はあるし、月刊『創』『紙の爆弾』『マガジン9』『レコンキスタ』『月刊タイムス』などの連載もある。単発の原稿もあるし、単行本も書いている。
発狂しそうだ。全てが、遅れてる。
でも、そんな時でも本を読んでるんだよね、この人は。
「今、そんなことしてる場合じゃないだろう」「まず仕事を片付けてから、ゆっくり本を読めよ」と言うんだが、分かっちゃいながら、やめられない。
忙しくて、メシを食うのも忘れて、仕事してる。どうしても疲れ、眠くなったら、2、3時間寝る。
寝る前に、ちょっと本を読む。でも面白くて、やめられなくなる。
そんなことが結構あって、ついつい本を読む。
仕事で外に出て、電車の中で、夢中になり、下りる駅を忘れる。どこでもいいから、ホームに降りて、椅子に座って続きを読む。
トークや対談には遅れる。「電車が遅れまして」と嘘をついてるが、実は、ほとんど、本を読んでるんだ。
対談なんかするよりも、こうして本を読んでる方が大事だ。こっちを優先しよう。と思うときもある。
でも、そうしたら、〈仕事〉は全てなくなる。社会人としてのルールを守り、約束を守っていきたい。
自分の中の「もう一人」は、そんなもの全て壊していいんだ。「好きに読むんだ!」と、叫ぶ。病的な「読書依存症」の私がいる。「二人の私」に気を使いながら、生きてるんだ。
殺人的な忙しさの12月だった。でも、かえって本が読めた。「手帳の高橋」に何を読んだかをメモしている。
手帳を見たら、何と12月は47冊も読んでいる。今年最高だ。あっ、「去年最高」だ。ここ4、5年でも、最高だろう。
福田和也さんは、月に100冊読むという。私だって、100冊を達成した月もある。あの時は、途中から、全ての仕事をキャンセルし、本を読みまくり、人類至上の記録に挑戦した。
よし、ついでだから、去年の「読書記録」を紹介しよう。
カッコの中は読破した数だ。
1月(31冊)。2月(31冊)。3月(33冊)。4月(52冊)。5月(52冊)。6月(38冊)。7月(34冊)。8月(46冊)。9月(41冊)。10月(46冊)。11月(31冊)。12月(47冊)。
全部で482冊だ。去年1年でこれだけ読んだ。それを12月で割る。40.1冊だ。去年の月平均だ。今までの「読書史」の中でもいい成績だ。
「月30冊」をノルマにしてるが、全ての月がこれを実現しているわけではない。
過去には、30冊を達成できない月もいくつもある。
その時は、他の月で頑張って、「月平均」を出し、それで取り戻している。
去年は、どの月も「30冊」を達成してるが、それ以上に月に40冊」以上の月が7ヶ月もある。
この7月は、「特別優秀月」だ。私の中の「最優秀賞」だ。いずれ表彰したいと思う。自分で自分を表彰するのだ。
12月に、どんな本を読んだのかをスマホで見てたら、(再)という印のものもある。
前に読んでたが、必要になって再び読んだ。そういう本だ。例えば三島の『命売ります』などだ。
1月14日(木)に銀座TACTで「三島由紀夫生誕祭」をやる。
三島が自決した11月25日の前後には全国で、多くの慰霊・追悼の集会が行われている。だから皆知っている。
でも、誕生日となると三島ファンでも知らない。私も知らなかった。
その生誕祭を、横山郁代さん、御手洗志帆さんたちが中心になって数年前からやっている。
今年は、第1部が〈「命売ります」座談会〉だ。ゲストは3人。椎根和さん(「平凡パンチの三島由紀夫」)。横山郁代さん(「三島由紀夫の来た夏」)。鈴木邦男だ。
第2部は〈三島映画を語ろう!「11.25自決の日。三島由紀夫と若者たち」〉。女が語る!?映画「11.25自決の日」。御手洗志帆×瀧澤亜希子ほか。なかなか意欲的な企画だ。
それで第1部のゲストになってる我々には、「事前に読んできて下さい」とメールが来た。三島の『命売ります』だ。
勿論、読んでいる。何せ、『決定版・三島由紀夫全集』(講談社、42冊)を読破したんだし。
でも内容はもう忘れた部分もあるだろう。読み直ししようと思って本を買って、電車の中で読んだ。
驚いた。全く初めての本だ。そんなはずはない、と思いながら必死に読んだ。以前に読んだ記憶はない。
まあいいや。でも、「新しい小説」を読んだのだ。それだけ三島がうまいのだ。
名前と題名を隠して、この本だけを読まされたら、私は三島だとは分からない。
それに、一般の人が描く「三島作品」とは大いに違う。思想的・哲学的なことを口走ったりはしない。
それこそ、命をかけてやってる時に、哲学やジョークは必要ない。そんな感じだ。
この「三島生誕祭」の案内状には、この本について、こう書かれている。
〈2015年。生誕90年。没45年)突然のブレイク!三島由紀夫の極上エンタメ小説〉
ちくま文庫の『命売ります』(680円)のカバーも派手だ。こう書かれている。
〈隠れた傑作小説発見! 想像よりも数十倍オモシロイ。もっとはやく教えてほしかった!〉
〈読んだ人のほとんどか「みごと!」と唸る三島由紀夫の極上エンタメ小説。イメージを裏切る読みやすさでラスト10頁の衝撃的どんでん返しまで一気読み。スリリング&ロマンティック! これを読まずして三島を語るべからず〉
さらにカバー裏には。
〈「こんな面白い作品、ほっといていい訳ない」
「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」と言った代表作もすごいけど、いまの気分はコレでしょう〉
そして、この『命売ります』の内容を一部紹介している。
〈目覚めたのは病院だった。まだ生きていた。必要とも思えない命。これを売ろうと新聞広告に出したところ…。危険な目にあううちに、ふいに恐怖の念におそわれたのだ。死にたくない。---三島の考える死とは?〉
なかなか面白い。ヘエー、三島はこんな小説も書いてたのか。と驚く。
冒険小説、エンタメ小説であり、時には「007」を思わせるようなアクションがあり、大活劇でもある。皆さんも、ぜひ読んで下さい。
そして1月14日(木)には、「三島由紀夫生誕祭」で会いましょう。
『命売ります』(ちくま文庫)の裏扉を見てたら、〈ちくま文庫から〉という紹介がある。
文庫で「全集」も出している。これは凄い。例えば「夏目漱石全集」(全10巻)。「太宰治全集」(全10巻)。「内田百閒集成」(全24巻)…などだ。漱石、太宰などは他の出版社の全集を読んでいる。
でも、内田百閒は全集を読んでない。じゃ、このちくま文庫で全集を読もう、と思いました。
それにしても、突然の『命売ります』ブームだ。
本屋はどこでも平積みされている。
今まで、三島など全く読まない人間でも、「これは面白かったです」と言っている。
しかし、一体誰なんだろう。この本のブームに火をつけたのは。
三島の代表作「金閣寺」などはちょっと難しい。その点、この本などはいい。わかりやすいし。だから、この小説を読んだ人は、他の三島作品を読むだろう。
そうだ。私のお薦めは、平凡社から出ている、三島由紀夫の『日本人養成講座』だ。これは、編集がうまい。
今〈日本人とは何か〉を考えるとしたら、こうした作品だろう、と三島の全作品の中から選んで、分類した。5つの章だ。
Ⅰ ニッポン人のための日本入学
Ⅱ 日本語練習講座
Ⅲ サムライの心得
Ⅳ エロスの政治について
Ⅴ おわり方の美学
このⅤでは、あの「愛国心」も入っている。
それにⅣでは、「心中論」「二・二六事件と私」が入っている。
Ⅰには、「お茶漬けナショナリズム」「アメリカ人の日本神話」が入っている。
これは、よくぞやってくれたと感謝したい。
それと、前にも紹介したが、三島の対談集『尚武のこころ』(日本教文社)だ。「三島全集」を読めば全ては入ってるが、その中でも、これは!と思う対談が入っている。
昭和45年(1970年)9月25日に初版が出た。三島もこれは嬉しかっただろう。
だが、この2ヶ月後、三島事件が起きる。三島は自決する。それでこの本も売れた。
12月5日には第5版まで出ている。この対談集をまとめた時、三島は「あとがき」を書いている。8月21日だ。事件の3ヶ月前だ。
最後にこう書いている。
〈私は自分のものの考え方には頑固であっても、相手の思想に対して不遜であったことはないといふ自信がある。これが自由といふものの源泉だと私には思はれる。世間からは、いろいろな偏見で見られてゐる対談者も(もちろん私を含めて)、この本の中では、明るい光の下の広場(アゴラ)に会して、お互ひに自由な対話を楽しんだ、といふ事が、読者にわかっていただけるとよいと思ふ〉
そうか。「相手の思想に対して不遜であったことはない」という言葉は、凄い。
今のテレビ、週刊誌などの対論・激論は皆、不遜な、思い上がった潰し合いだ。
「こんな奴とは喋りたくない」と思っても、金のためには同席し、喧嘩してみせる。初めから相手の話を聞くつもりはなく、ただ、罵倒する。そんなのが多い。
その方が「見てる人」が喜ぶと思う。視聴者を馬鹿にしているのだ。
同じく「あとがき」では三島は、こんなことを書いている。
この本で対談した人についてだ。
〈対談の相手方の思想傾向は千差万別であるが、右顧左眄して物を言ふやうな人が、対談者の中に一人もゐなかったといふことは、私の倖せでもあり、名誉でもあったと思ふ。敬意を抱くことができない人と対談したところで仕方がない。私はこれら対談相手の諸子から、実に多くのことを教へられた〉
そうですね。「敬意の抱くことのできない人」と対談しても仕方ないだろうと三島は言う。そんな連中と激論し、罵倒し客に見せている論客ばかりではないか。
「敬意を抱くことのできない人」との対談には一切出ないと内田樹さんも言っていた。
でも三島は、東大全共闘と激論してるじゃないか。と言う人もいる。私もそう思っていた。
ところが違う。両方とも、「敬意」を抱き、認めていたからできたのだ。
三島に全共闘を認め、うっかり、「共闘しよう」と言いかねない自分に歯止めをかけるために、「君たちが一言、天皇と言ってくれれば、共闘できる」と言った。
踏めない踏み絵を出して、自らの誘惑と闘ったのだ。
「いい敵」のまま、別れたかったのだ。
東大全共闘も三島を「いい敵」として認めていた。
いや、あの時、三島と論争した芥正彦氏はテレビに出た時、こう言っていた。
三島を「敵」の代表として呼んだのではない。右も左も、知識人、文化人には骨のある奴は一人もいなかった。「ただ三島だけがいたのだ」と。
そうか。〈敵〉という概念も超えていたのか。三島と東大全共闘の激論は、いろんな出版社から出ている。読んでみたらいいだろう。
ところで、今まで紹介してきた三島の対談集『尚武のこころ』だ。三島が敬意を持って対談した人々だ。
三島最後の対談集に出た、ということで、この人々も輝いた。凄い人たちばかりだ。凄い対談だ。「対談の教科書」になるだろう。
最後は、その目次だけを紹介して終わりにしよう。
『尚武のこころ』目次
天に代わりて 小汀利得
サムライ 中山正敏
刺客と組長 鶴田浩二
大いなる過渡期の論理 高橋和巳
守るべきものの価値 石原慎太郎
現代における右翼と左翼 林房雄
二・二六将校と全学連学生との断絶 堤清二
剣か花か 野坂昭如
尚武の心と憤怒の抒情 村上一郎
エロスは抵抗の拠点になり得るか 寺山修司
あとがき
では又、来週。
⑳松岡圭祐『ジェームズ・ボンドは来ない』(角川文庫)。これは面白い。実話を基にしている。 瀬戸内海にある、アートな島「直島」に一昨年、行った。ここで007のロケが行われる、とポスターが貼ってあった。ところが来ない。何があったのか。そのことを書いた本だ。