朝6時に目が覚めた。よく寝た。頭がスッキリする。
すぐ仕事を始めた。あっ、新聞を読まなくちゃと思って、外に出て新聞受けを見たら、まだ来てない。
いかんなー。大雪でもないのに。なぜ遅れるんだろう。いつも5時前には来てるのに。
再び机に戻って仕事をした。2時間ほどして、新聞を取りに行ったら、まだ来てない。
よほど配達所に電話しようかと思ったが、オラも昔は新聞配達してたので、文句は言いたくない。
アレッ、それにしても外は暗いな。もう夜も明けてるのに。
又もや机に戻って仕事をした。
あれっ、10時になっても外は暗い。妙だな。
テレビをつけたら、夜の番組をやっている。おかしいな。録画したビデオを見てるのかな。
そこで、ハッと気がついた。「まさか!」と思って、いろんなとこに、メールして聞いた。
「今は朝? それとも夜?」。「今日は何日?」「ここはどこ? 私はダレ?」。
皆、冗談だと思って、「ここは猿の惑星だよ」。「今は皇紀4000年だよ」とか、いい加減なメールを返して寄越す。
中には真面目に心配してくれる人もいて、「認知症が進んだの?」「この前、神戸で内田樹さんに5メートルも投げ飛ばされたからじゃないの? 打ち所が悪くて、きっと頭の回路が狂ったんだよ」…。
後で分かったけど、私が目覚めたのは夜だったんです。
そうか、疲れ果てて、夕方、ちょっと横になったんだ。そしたら、1時間くらいで、目が覚めて、頭がスッキリしていた。
それで、充分に眠って目覚めたと思ったんだ。
でも、たった1時間だったんだね。もしかしたら20時間くらい眠り続けて、次の日の夜になってたのかと思ってた。
まあ、良かった。日付変更線を越えて、前日に戻ったような気分だ。それから起きて、ずっと仕事をしましたよ。
「しかし、よくもあんなに投げ飛ばされたもんだね」と皆に言われてます。5メートルも飛びましたよ。今年のビックリ大賞ですね。それと、寅ちゃんのゴミ屋敷ですね。
そうだ。内田樹さんと福島みずほさんが対談して本を出している。白井聡さんも内田さんと対談して本を出している。
じゃ、これから内田さんと対談する人は、「必ず、合気道の稽古に参加すること」。これを条件にしたらいい。
福島さんにも道着を着せて、5メートル、投げ飛ばす。あっ、でも受け身ができないか。じゃ、お弟子さんが向こうで抱きかかえたらいい。
皆は、誤解してるんだ。内田さんは思想家・教授であり、他に合気道も教えてると。
でも違う。合気道が主なんだ。合気道は、相手を尊重し、たとえ争いになっても、人格を否定せずに、その「武」「暴」だけを阻止する。そして敵を作らない。
この精神・哲学を人々に伝えるのが本職だ。
でもそれだけでは生活ができないので、本を書いたり、大学で教えたりしている。皆が知っている内田さんの姿は、この第二義的な面だ。
だから、内田さんと対談するのなら、まず合気道道場に出て、稽古をつけてもらう。
それなくして、内田さんの哲学や思想は分からない。これからはぜひ、そうやってほしい。
それでもいいから内田さんと対談させてほしい、という人が多いだろう。
あまりに多くなりすぎたら、そうですね、その予備の段階で私がお相手しましょう。私と「予備対戦」をし、そして内田さんに稽古をつけてもらう。
政治状況や思想・哲学の話は、その後ですよ。
この前は内田さんの自宅で第1回目の対談をし、そのあと合気道の稽古をつけてもらった。
もうすぐ第2回目の対談がある。それに向けて、本がドッサリと送られてきた。課題図書だ。必死に読んでいる。
もう既に読んだものもある。でも、もう一度読んでいる。
どれも凄いし、教えられる。その中でも、『呪いの時代』(新潮文庫)が衝撃的だった。
又、竹宮恵子さんとの対談「竹と樹のマンガ文化論』(小学館新書)が面白かった。
ヘエー、マンガって、こんなに凄い文化だったのか。と痛感した。
なぜ、これほどのものになったのか。それを日本の歴史の中から解き明かす。
知りませんでした。驚きでした。〈大丈夫。日本にはマンガがある〉〈独自の進化を遂げた理由とは?〉と表紙に書かれている。
内田さんと竹宮さんがマンガになっていて、竹宮さんが言う。
「キーワードはオープンソース」。
そうだったのか、と思いましたね。マンガの世界では、どんな新しい表現も最初に誰かが発明して、作品に定着させる。
それを見た他のマンガ家たちが、「おお、この手があったのか」と真似をする。
「真似をするな」とは誰も言わない。「これは俺の発明だ。誰も使うな。特許を取ろう」とは言わない。
「自分たちもずっと誰かの表現を真似してきたからだ」と竹宮さんは言う。
だから、内田さんも感動して、言う。
「いい話だなあ。マンガ家は技術についてはコピーライトを主張しないんだ」。
そうか。セリフの中で強調したい時は、言葉が太くなったり、昔のゲバ文字のようになったり。暗くなる時は顔にザーッと雨が降ったような線が入ったり…と、いろんな、革命的な表現方法がある。
初めて考えた人は、もの凄い苦労をして発明したのだろう。
だが、「これは俺の特許だ。誰も真似をするな」とは言わない。
「面白い」「こんな手があったのか」と思ったら、他のマンガ家がすぐに使う。ドンドン使う。
他のジャンルでは、こんなことはない。文章の世界だって、引用したら、誰のどこから引用したかを書かなくてはならない。
無断でやったら、抗議が来るし、裁判沙汰になる。
中には、オープンソースだと言う出版物もあった。国のために、正しいことを主張している。だから、いいと思ったら、勝手に転載していい。と書いてた右翼の新聞があった。
右翼にしては、珍しく文化的で、オッと思うことを書いている。
「無断転載自由」と書いてるから、それに甘えて、自分の雑誌に載せた。あたかも自分たちの主張のようにして。
ところが、ある大手の新聞社から訴えられた。「えっ、私は右翼の新聞から転載したのだ。そこに「転載自由」って書いてあったから」と言った。
ところが、その右翼の新聞は、「ある大手新聞」から無断転載してたのだ。勿論、大手新聞は「転載自由」なんて言ってない。
だから、「転載自由」と書いてるからって、信用しちゃいけない、と、訴えられた人は涙ながらに言ってましたっけ。
今、自分の書いたものはすべてオリジナルで、その上で、「転載自由」と言ってる太っ腹な人は内田さんくらいだ。
「勝手に引用していい」「これは内田が言ってることだが、と書かなくていい」という。
凄い。こんなこと、言える人は他にいない。オープンソースだ。
日本文化だってそうなんだ。漢字を中国からもらい、勝手に使い、仮名、平仮名を作り、それを皆、勝手に自由に使っている。特許もない。オープンソースだ。
でも、あらゆる場で、「これはオレの文章だ」「オレの考えたコピーだ」「オレの考えたデザインだ」と言う。
「盗用」「無断引用」は許されない。犯罪だ。となる。「盗作」だとも言われる。ドロボーなんだ。「いくらでも取っていいよ」「盗んでいいよ」と言ってるのはマンガの世界と、内田さんだけだ。
内田さんの本は多分、200冊くらいある。全部読んでやろうと思いながらも、三分の一くらいしか読んでない。読むとすぐ影響されるから、同じようなことを言い、真似して書いてるだろう。
でも文句を言われない。オープンソースだ。
『呪いの時代』は、閉ざされた、オレがオレがの現代社会にあって、オープンソースで、明るくこの社会を切り拓こうとする、稀な本だ。
今、決め付けて他人を批判する。思い切り脅迫的な言葉を吐く。まさに、言葉の暴力に溢れた社会だ。
この「呪詛の時代」と内田さんは真正面から向き合い、生き抜く叡智を語る。
本の表紙には、こう書かれている。
〈アイデンティティーの崩壊。政治の危機。対米戦略、ネット社会の病理、そして未曾有の震災…。注目の思想家・武道家が、身体に即して闘い、他者への祝福を鍵に現代を論じる、今を生きる人びとへの贈り物〉。
そうか。武道家だから言えるのだろう。
普通、憎しみの言葉に対しては、より強い憎しみの言葉を返すことで、対抗しようとする。政治家も、左右の運動家も、宗教家までもが、そうなる。
そして、広告代理店までが入り、巨大な呪いの言葉を吐き合う。
政治討論会なんて、初めから、相手を全否定だ。そんなことを言うお前は消えろ!と言わんばかりだ。
その憎しみと怨みの世界に、内田さんは割って入り、「他者への祝福」を鍵に、現代を論じる。まるでキリストのような人ではないか。
今の「呪いの時代」に対し、「せいぜい悪口だろう。ネットで書かれたって、無視したらいい」と思ってる人もいるかもしれない。
しかし、この「呪い」の言葉は、ただ、悪口を投げつけてるだけでなく、実際に人を殺しているのだ、と内田さんは言います。
〈ネット上の掲示板に繰り返し「死ね」と書かれて、それに耐えきれず自殺する人が毎年何十人(何百人)かも知れません)となくいます。もし、言葉が空を飛んで、現実に人を撃ち殺すことを「呪い」と呼ぶなら、これは間違いなく呪殺です。僕たちはもしかすると、平安時代以上に多くの人が呪殺されている時代にいきてるのかも知れません〉
そうなのか! 今は平安時代なのか。怨霊が支配する時代なんだ。怨みの言葉は、自分を離れて飛んで行き、人を殺す。
では、「呪う」この自分は実在か。本当なのか。
そうでもない。内田さんはそれを2008年6月の秋葉原・無差別殺傷事件を例に取ります。
犯人・加藤智大の犯行の動機は何か。彼が書いている劣悪な労働条件や周りの人間、環境のように思える。
しかし犯行の動機は「現実の苦しみ」ではない。そんな悪条件、苦しみの中にいる人は、何十万人、何百万人といる。でも、その全員が無差別殺人を起こすわけではない。
では何か。
〈現実ではなく、彼が自分の現実に与えた解釈が犯行を正当化したのでは〉
〈極端な話ですが、ほんとうに彼が現実の待遇や生活に不満であったのなら、彼は職場の上司を刺し、職場近くで彼が具体的に見て、その生き方を羨望している生活者たちを襲ってもよかったはずです(よくないですけど)。けれども彼はそうしなかった。それはこの殺人の主体が現実の人間ではないからです〉。
エッ? と思いますよね。「殺人」は残忍なリアルだ。でも、それをする人間は「現実の人間」ではない。リアルじゃない。
そんなはずはないだろう、と思うけど、内田さんはいいます。
〈殺人の犯人は彼が「ほんとうの私」だと思っている肥大した自尊感情そのものです。もっと尊敬されるべきであり、もっと厚遇されるべきであり、もっと愛されるべきであると思っている「私」が、その「当然私に向けられるべき敬意や愛情や配慮」の不足に対して報復した〉
ウーン、凄い。そうなのか。こう思い詰めるのは、右や左の思想運動をやってる人にも多い。私だって、思いかけたことがある。
〈加藤はある日何かを「呪った」のだと僕は思います。呪の標的となったものは具体的な誰かや何かではなく、加藤が妄想し、「『ほんとうの加藤智大』が所有しているべきもの、占めているべき地位」を不当に簒奪している「誰か」でした。そしてその「呪い」は現実の力を持ってしまい、実際に何人もの人を殺した〉
たまらないですね。自分のことを見て、思う眼は錯覚で妄想だ。世間への怨みも見当外れだ。妄想だ。
でも、その「怨み」は現実になって、現実の人間を殺す。
〈逆説的ですけど、攻撃性は現実の身体に根拠を持つ限りそれほど暴力的にはならない。攻撃性が破壊的な暴力にまで亢進するのは、それが現実の身体を離脱して「幻想」のレベルに達したときなのです〉
これも怖い。〈幻想〉であるからこそ攻撃性が爆発的に高まるんです。
自分こそが「この地球を救う者だ」「愛国者だ」と思い上がり、「それなのに何故、誰もオレを尊敬しないんだ。何故、そんな大切なオレが貧乏なんだ」と思い詰めるのも同じかもしれませんね。
左右の活動家にもよくいます。幻想的な「ほんとうの自分」を発見するのは、かえって罪なのでしょう。
それよりも、生身の、この弱い、小さな〈自分〉を見つめることが必要だと言います。
〈だから、僕たちにとって喫緊の課題は妄想的に構築された「ほんとうの私」に主体の座を明け渡さず、生身の具体的な生活のうちに深く捉えられた、あまりぱっとしない「正味の自分」をこそ主体としてあくまで維持し続けることなのです。しかし、そのぱっとしない「正味の自分」を現代日本のメディアは全力を挙げて拒否し、それを幻想的な「ほんとうの自分」と置き換えよと僕たちに促し続けている〉
幻想を捨てて、このちっぽけな自分を見るしかない。それだけだと淋しいのなら、こう言えばいいのでしょう。
結論として、こう言います。
〈呪いを解除する方法は祝福しかありません。自分の弱さや愚かさや邪悪さを含めて、自分を受け容れ、自分を抱きしめ、自分を愛すること。多くの人が誤解していることですが、僕たちの時代にこれほど利己的で攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が「自分をあまりに愛している」からではありません。逆です。自分を愛するということがどういうことかを忘れてしまったせいです。僕たちはまず、「自分を愛する」というのがどういうことかを思い出すところからもう一度始めるしかないと僕は思います〉
これは「愛国心」にも言えますね。「愛する」と言って、過去の間違いを見ようともせず、それを見る人に対しては、「売国奴!」と罵声を投げつける。
これは、歴史を直視する「勇気」がないのです。良い点も、悪い点も、間違いも全て見て、それでも、愛しいと思って抱きしめる。それこそが本当の愛国心でしょう。
尊大に、勝手に作り上げた「幻想の強国」を見るのは、錯覚ですよ。妄想です。
天皇・皇后両陛下がフィリピンからお帰りになられた。本当にありがたいことです。お疲れさまでした。平成17年のサイパン、昨年のパラオに続き、今回のフィリピンで3度目の「慰霊の旅」でした。戦争の慰霊を通し、戦争は絶対しないという〈平和日本〉の姿勢を示されている。ただただ、ありがたいと思います。
この日は、大河原雅子さん、樋口恵子さん、堂本暁子さん、杉並区長の田中良さん、世田谷区長の保坂展人さん、杉並区議のけしば誠一さん、新城セツ子さんなども来て挨拶。私も挨拶しました。
杉並は実にいろんな人がいて面白い。
⑥木村代表に紹介してもらって話をしました。ロシア大使と。「ズドラーストヴィチェ(こんにちは)と言ったら、ビックリして、「ハラーショ」(素晴らしい)と言われました。ロシアには6回行ってるし、そのうち4回はロシアの格闘技・サンボを習いに行ったんですよ、と話しました。失礼するときは、「ダスビダーニア(さようなら)」と言いました。
⑩杉並区長の田中良さん。杉並の区議会は右から左までいます。「楯の会」から元・新左翼まで…と。「楯の会」の初代学生長だった持丸博氏の奥さん、松浦芳子さんも区議で活躍してます。又、自民、民主、社民、共産、新左翼…と、あらゆる政党・党派の人がいます。いいことです。自由で…。田中さんともそんな話をしました。
⑮この人たちが終わり、そのあと、私も挨拶しました。杉並区議や日高市議の人たちと一緒に。日高市というから、「あっ、北海道から大変ですね」と言ったら、埼玉県だそうです。他にも、日高という町は、全国にいくつかあるそうです。「市はうちだけです」と。 昔は、それらの町を合わせて、「日高サミット」をやってたそうです。いいですね。