毎年恒例になっている劇団再生の高木さんとの「読書対談」です。「昭和の読書王鈴木邦男」と「平成の読書王高木尋士」の対決です。
毎年、前年に何冊読んだか、各自のノルマは達成したのか、今年のノルマは何か、一年間の読書で何を考えたか、などを話し合ってきた対談です。
でも、今年は少し違います。はっきりとテーマを決めて語り合いました。
今回取り上げる本は、三冊です。三冊と言っても、三冊じゃありません。『生命の實相』は40巻、『人間の運命』は14巻、『邪宗門』は分厚い文庫で2冊です。これだけで、56冊です。
この三つを読んでる人は、僕と高木さんくらいしかいないでしょう! だから、これらを読んだ上で宗教とは一体なんなのか、ということを話し合ってみたいと思っています。
この対談には、松本麗華さん(アーチャリー)も参加してくれました。それでは始まりです!
鈴木まずは、昨年の総括からですね。僕は、452冊読みました。月平均にして、40.1冊ですね。忙しいのに良く読んだと思います。忙しくても、地方に出かけたり、新幹線に乗ったり、そういう時間を利用して読めますね!
高木ぼくは、402冊でした。月平均で33.5冊です。ノルマは、400冊でしたから、ギリギリ達成しました。ここ数年、現代の軽い小説ばかり読んでいたので、昨年は意識的に骨太の本に取り組んだりしました。
鈴木骨太っていうのは?
高木例えば、ドストエフスキーや埴谷雄高ですね。その他、全集では『人類の知的遺産』などです。そういった本は読むのにやっぱり時間がかかりますよ。
鈴木高木さんは、これまでたくさんの全集を読破してきてるけど、やっぱり全集はいいでしょう!
高木鈴木さんに勧められ、読んできましたが、世界を征服していく感覚は独特ですね。
鈴木そうですよ。世界を征服していくんですよ。それが読書の醍醐味であり、全集を読むことの意味です。武力で世界を征服した人間は歴史上一人もいないけれども、読書では、それができるんです。
高木ぼくもそう思います。鈴木さんとは何度も「全集読み」に関して対談をしてきましたが、今日のテーマは、「宗教」です。テーマ対談として、これまで「公安について」、「北一輝とは何者か」ということをやってきましたね。
鈴木そうですね。それも全て「読書」を通して、です。だから今回も「宗教」の是非を問う訳ではなく、「読書を通しての宗教」です。さて、今日とりあげるのは、三冊です。
『生命の實相』は、生長の家の聖典で全40巻です。これは、生長の家の人はみんな読みます。僕は、何回も読みました。文学としても面白い。生長の家以外の人はどう思うのか興味があります。
『人間の運命』は、芹沢光治良という世界的に有名な作家の小説です。今は残念ながら、あまり読まれてないようですね。芹沢光治良は、お父さんが天理教徒で財産を全部天理教に捧げてしまうんです。そして、一家が貧乏になっていくのに、それでも幸せだ、というのです。そんな体験から、書かれています。
『邪宗門』(高橋和巳)は、大本という国家に弾圧された宗教がモデルになっています。生長の家総裁の谷口雅春先生は以前大本にいました。それもあって僕も興味がありました。
高木ぼくは、鈴木さんにすすめられるまで、『人間の運命』も『生命の實相』も知りませんでした。鈴木さんのような子供の頃の宗教体験もありません。ぼくにとっての宗教は、本の中のものであり、テレビで見るものであり、人から聞くものでした。だから、『人間の運命』も『生命の實相』も興味深く読みました。
鈴木『人間の運命』の著者芹沢光治良ですが、僕が若い頃に中村武彦という右翼の先生が、「鈴木君、芹沢光治良って知ってる?」って聞いたんですね。僕は全く知らなかったんです。「高名な文学者で、90歳を超えても書いてる。家のそばの欅の木とも話が出来るんだ」と教えてくれました。
それを聞いて若い私は、(90歳になったら人間と植物の違いもわからなくなるだろうし、そういうこともあるでしょ)って思ったんです。言えなかったけどね。それからかなり時間が経って、全巻揃えて読みました。
高木鈴木さんは子どもの頃の宗教体験があるから、僕とは感じ方が違うと思うのですが。
鈴木そうですね。僕は、生長の家の運動の中でいろんな人を見てきました。絶対の真理を求めながら素晴らしくなっていく人もいたし、宗教に入ったがためにダメになった人もいました。そういう経験を思い出しながら読みました。
高木具体的にはどうでしょう?
鈴木今の宗教にも言えるんですけど、キリストやお釈迦さまは、自分たちのために教団を作れとか、会費をとって人を集めろ、なんて言ってないんです。そういう体系を創ったのは、その後の人間たちなんです。
『人間の運命』でもそれを考えました。とにかく献金しろ、献金しないと救われないと言うんです。自分だけ真理を知って幸せなのはエゴイズムだから、それを人に教えなくちゃいけないと、全く知らない家を一軒一軒回って布教する。それで初めて救われると言う。貧乏な人は自分の娘を売って、そのお金を献金する。
そんなことが神の心にかなっているのかな、と疑問に思います。献金を受ける神様も、実際は神様がお金を受け取ることはないけど、神様だって「やめろ」と言うでしょう。献金するという事と信仰という事は違うんじゃないかと思いました。この本は、そういうところから宗教を考えています。だから宗教に興味がない人でも読めるし、世界に誇る文学になっていると思います。
高木芹沢光治良は世界的にも認められていて、ペンクラブの会長だったし、ノーベル賞の候補にもなってますね。
鈴木でも、ノーベル賞はもらえなかったし、今はあまり知られてない。それは宗教が絡んでるからなのかな?
高木どうでしょう。文豪トルストイは候補になりながら、宗教批判とその政治観でとることができなかったと言われていますね。
芹沢光治良は、『人間の運命』を書くとき、他の仕事は全部断ったそうです。5年か6年かけてこれを書くためだけに生きて、死んでいった。92歳の生涯ですが、子どもの頃の宗教的トラウマがその晩年まで影を落としています。これは、自伝みたいな話なんですよね。父親があるとき、天理教に入信してしまう。そうすると、病気が治ったり、川で溺れて前後不覚になった時も祈ったら生きかえったという経験をして、父親が完全に天理教にはまっちゃうわけです。そして、天理教では献金しなさいと言う。そうすると家も何もかも売って献金してしまう。一家離散し、祖父母に育てられる。親戚も天理教徒です。父親は伝道師です。でも、勉強して進学するんですね。
鈴木優秀なんですよね。
高木一高から帝大ですね。その後、今でいう農林水産省、昔でいう農商務省に入省します。そして、そこも辞めて、フランス留学をしています。結核に冒されたりしますが、帰国後、作家として活躍します。『人間の運命』も芹沢光治良の人生を追うように進みます。天理教から逃れられないというシーンがたくさん出てきます。兄がいて、兄弟で天理教について話し合うシーンがあったりして、考えさせられますね。
鈴木高木さんは、どのくらいで読んだの?
高木 14巻ですから、一か月で充分に読めますよ。
高木『人間の運命』は多くの人に読んでほしいと思いますが、現在の小説やテレビ・映画のようにキャラの立った登場人物がいて、話がどんどん展開して解決に向かっていくような話じゃないんですね。一人の人間を克明に追った大河ドラマです。
鈴木ぼくは、そういう点で面白く読みましたよ。それは、やっぱり、生長の家という宗教体験が僕にはあったからですよね。
高木そう思います。自分で体験したことと言うのは、読書において大きな比重を占めますから。宗教体験についてですが、鈴木さんは、どうして生長の家だったのですか?
鈴木母親が生長の家だったからね。生長の家の人たちはみんなそうなんだよ。親に勧められてなるんですよ。
高木天理教や創価学会なんかもそうですよね。
鈴木でも、天理教やオウム真理教とかは、親の考えというよりも自分の問題で入信する人が多いでしょう。自分で考えて、これじゃダメだ、世の中を変えたいと思って主体的に入ってくる。生長の家はみんな受け身だし、親に勧められて入っちゃうくらいだから、親孝行で素直なんですよ。僕も。(笑)
高木僕は、宗教体験っていうのは特にないんですよ。うちは仏教です。年始には神社に行くし、葬式はお寺さん。クリスマスも盛大にやりました。
鈴木それはそれでいいんじゃないですか。今は、仏教でも子供がキリスト教系の幼稚園に行ったり、クリスマスはお寺の中でやったりするんだって。
高木そういう無節操さというか、寛容さというのは、本当に日本らしいと思います。
鈴木そうですよ。他にこんな国はありませんよ。
高木『人間の運命』で言えば、主人公が小さい時に父親が天理教に入信して、家まで失くしているという強烈な宗教体験がありますよね。
鈴木僕はそこまでではないけど、子供の頃は薬を飲んだことがなかったな。親は死ぬまで薬を飲まなかったし、病院にも行かなかった。
高木それは・・・、どうしてですか?
鈴木祈れば治るって。
高木えっ?
鈴木枕元で生長の家のお経を唱えるんです。それで治ると。だから一度も病院に連れて行かれたことはない。頭が痛いのは目上の人に感謝してないからだって言われるんです。具合が悪くて寝てるのに、枕元でうるさいから、「もう治った!」って言って、外に飛び出したりしてましよ。大きな病気じゃなかったんでしょう。それで案外治っちゃったりしてるんですよ。(笑)
高木本当ですか・・・?
鈴木ただ、小学生の時、めちゃめちゃ腹が痛くなって。母親は祈れば治るって言ってたけど、周りの人たちが見るに見かねて病院に連れて行ってくれたんです。そしたら盲腸で、あと一日遅れてたら死ぬところだったって。(笑)
高木鈴木さん、それ、相当な宗教体験ですよ。『人間の運命』並みですよ。
鈴木そういう体験があって良かったと思います。
高木でも周りの人が何も言わなければ・・・
鈴木死んでましたね。(笑)
高木それは、だいぶマズイですよ。母親は、熱心な信者だったんですね。
鈴木でも狂信的に人を誘ったりはしてなかったよ。献金もしていたけど、金額は大したことはなかったし。とにかく、みんな本を読んでいました。生長の家の本は常に読んでいました。
高木その頃の読書体験は貴重ですね。
鈴木思い返せば、良かったと思います。でも、病気が治ったとか、そんな体験談を聞いたりするのは、あまり好きじゃありませんでしたよ。自分が信仰をもつと思いあがっちゃう人がいるんです。例えば、乗り物が事故にあって、自分が助かると、自分は信仰があるから助かった、みたいなこと言うんです。それは間違いだよね。信仰者なら、自分が犠牲になってみんなを救いたかった、って思うべきじゃないかって思うんだよね。
高木『人間の運命』にも、そのモチーフが出てきますよね。天理教の信仰があるからうまくいく、うまくいかないのは心がけが悪いからだ、と親に言われ続けて、呪縛され続ける。どうやって宗教から脱却して自分の人生を切り拓くか、という一人の青年の物語です。
高木『生命の實相』を書いた谷口雅春総裁は、もとは大本にいました。国からの弾圧である「第一次大本事件」の後に、生長の家を創った人です。この人は全ての宗教を取り入れて、一つの聖典にしようとした。「万教帰一」ですね。
鈴木だから、キリスト教や仏教や神道の話も出てきます。
高木日本人と宗教って水と油みたいなもので、馴染まない部分がすごくあると思います。日本人が宗教を認識すると事件が起こるんですよ。曖昧なままなら、争いは起こらないのに、「宗教」という言葉を使ってしまうがために他を排斥していく。自分たちを守ろうとして、争いが起こる。
鈴木それは外部からの弾圧に対して過剰に身を守ろうとする、ってことがあるだろうね。宗教に過剰に頼ろうとするんですよ。宮本武蔵が、「神仏は敬して頼らない」って言ってるじゃないですか。ぼくはそれがいいと思うんですよね。
高木「頼る」というのは、あらためて考えさせられますね。
鈴木その文脈で言うと、印象深いのは、以前『朝まで生テレビ』でオウム真理教と幸福の科学が討論したでしょう。それを見ると、オウムの方がきちんと修行しているし、立派だって思えたんだよね。それに比べるて、幸福の科学は修行も論理的展開も薄い。田原総一朗さんも、番組のプロデューサーもそう言ってましたよ。
高木そのとき、坂本弁護士一家の事件は、もうニュースになってたんですよね。
鈴木もちろんなっていました。でも、あの場にいた人たちはみんな、こんなに必死に修行している人たちが殺人なんかするはずがないと思いましたよ。宗教的な深さは圧倒的にオウムの方が上だった。
でも実際は、そうやって真剣に修行をしてた人たちが、殺人もしてたし、サリンも撒いた。
一方で幸福の科学は、いい加減な宗教に見えても今でもちゃんとある。選挙に何回も出てる。供託金なんかものすごい額でしょ。国家に貢献してるよね。考えてみたら宗教ってどれだけ緻密でしっかりしたものか、どれだけ修行してるかじゃなくて、人に迷惑をかけない、健康で正しい生活をして、人にやさしく出来れば、それでいいんじゃないかと思うよね。
宗教の深さとかは、文学として読めばいい。大きな集団の中で、暗黙条項として世の中を変えよう、なんていうのは却って危ないと思うよ。
高木そうですね。一度宗教を信じると、信じない人が悪になってしまう。身近にいればいるほど、その悪人ぶりが強くなっていきます。
鈴木右翼と左翼にもそういうとこがあるよね。運動体となった場合、みんなで仲良くしましょう、では組織が伸びないんです。他を打倒しなくちゃいけない、敵はこいつだ、と憎しみと闘争心で内部の結束を強くしようとする。そっちの方が運動理論としては効果があるんですよ。
高木主語が「我々は」になると過激になっていきますね。
鈴木森達也さんも言ってたね。「主語が複数になると述語が暴走する」って。
高木「我々は」と言うと妥協しちゃいけなくなるし、間違いを認めることが出来なくなってしまう。その集まりが宗教ですよね。
鈴木今、認められている宗教や思想運動は、自分が金持ちになりたいからってやってるわけじゃない。キリスト教も仏教も、みんなの幸せや平和を願っている。行く道が違うだけだという考え方です。
高木そういう考え方は、非常にシンプルで分かりやすいですね。その手段が違うだけで、今は戦争してるわけです。
鈴木この道しかないと思い込むと、目的よりも手段が大切になってくるんです。
高木天理教も大本も創価学会も、自分たちの教義を主張するために他を排斥しようとする。その是非は別として、それが宗教の一つの構造になっています。その点、生長の家は、全てを認めるから戦争にならない。
鈴木学生運動の後輩や同級生たちから、「鈴木は裏切り者だ」って非難されることが多いけど、ある時、生長の家の学生道場にいた人から「いや、鈴木さんのやってることは万教帰一ですよ」と言われたんです。左翼も右翼も行くところは同じだと。それは生長の家の教えを受けたからだと。嬉しかったですね。
高木鈴木さんは、生長の家の教育をかなり受けたんですか。
鈴木受けてますね。今は教団との接点はないけど、本は読んでます。『生命の實相』40巻は10年に一度ずつ読んでいます。最初に読んだのは生長の家の学生道場で先輩から言われたときですね。夏休みに40巻読めと。
高木夏休みですか。(笑)
鈴木だから一日一冊読んだ。でも読んでみんなで語りあうことはないんです。聖典だから、先生が教えてくれるので、我々が疑問を持ったりは出来なかったですね。
でも今は、30代、40代、50代と読むたびに新しい発見があります。読むときは、その都度買い求めています。線をひいたりして新しい気持ちで読めないから。
もっと一般の人にも読んで欲しいですね。「自伝篇」とか「教育篇」とか、新潮文庫とかで出版されれば、もっと多くの人に感動を与えるんじゃないかと思うんだよね。
高木そうですね。分冊して、文庫にして売ればいいんですよ。そうしたら手に取りやすいので読者も増えると思います。
鈴木『生命の實相』は、9巻の自伝篇が一番売れてるんですよ。そこには、人間として未熟だったり、失敗したことが、赤裸々に書いてある。恋に恋して、本当には好きでもない女性と家出しようとしたり、とか! だから大学生のとき、生長の家の先生に聞いたんですよ。「谷口先生だってこれだけ苦労されてるんだから、我々だって真理を悟るためにはこうやって女性問題で悩んだりしなくちゃいけないんでしょう」って。
そしたら「鈴木君、それは違うよ。それはもう谷口先生がされたんだから、回り道する必要はない」って、言われました。(えー、ぼくも回り道したいー)って思うよね。(笑)
高木ルターの『告白』、福沢諭吉の『福翁自伝』、パスカルの『パンセ』も失敗談があって、読むとなんかホッとするんですよね。こんな偉い人がこんなめちゃくちゃなことをやってる。自分も大丈夫か、って思ったりします。自分に置き換えられると理解も進むし、面白いと思うんですよ。それが読書の一つの楽しみとも言えますね。
高木『生命の實相』の戯曲編ではキリストやブッダも出てきますが、他の宗教を否定しないんですよね。だからすんなり入ってきた。他の宗教を下に見たり、違うと言ったりしないで、全部を認めようとする。まさに「万教帰一」ですね。
鈴木『生命の實相』も『人間の運命』も、宗教を勧めるための本じゃなくて、文学書だってところに価値があると思います。
高木大河ドラマですよね。「ジャン・クリストフ」とか「チボー家の人々」みたいな。人間の生き方を語る物語ですね。
鈴木そうです。物語ですよ、宗教は。聖書もコーランもそうでしょう。そういう大河小説は読む価値がありますよ。人間が生きていること自体が奇跡で宗教なんだから。一人一人が読んで、感動して、自分はこうしようと思う。それでいいんじゃないかと私は思うんですよ。
同じ考えの人たちだけで集まると、過激な方向にいったりするんです。例えば、北朝鮮のチュチェ思想は立派だからそれさえ信じていればいいと言われます。北朝鮮の人民はみんなそれを信じている。いろんなものを見た上でそれが正しいってわかるんだったら良いけど、最初からそれしか選択肢がなくて、それが良いっていうは良くないんじゃないかと思います。堕落したり失敗したりして、その上でこれが一番良いって思えればいいんじゃないかな。
高木論理は科学的に構築されている。だから正しい。ここまできちんとしてるんだ、と。あとは人が動けばいいんだと。
鈴木お前は道具だ、ってね。そのためには人を集めなくちゃいけない。真理を広めていって、一般人民にも教えなくちゃいけない。だから100人、1000人と集めなきゃいけない。ということは、自分が必要とされてるわけじゃないんですよ。数として必要とされてるだけでしょ。突き詰めたら思想運動や宗教運動は、動員の理論ですね。
高木個人的に一人ずつが悟れば、問題は何もないのに、それを人に伝えようとしたり、集団になろうとした時点で教団になる。言葉を持てば言葉自体が力になる。
鈴木強制的に人に勧めたり、力関係で従わせたりするのは宗教じゃないと思う。一人一人が本を読んで悟っていればいいと思うんですよ。宗教に触れたことでプラスになることは多い。僕は高校3年間キリスト教の学校で、反発ばかりしていたけど影響は受けてるんだね。
そういった意味でも、たとえ知識としてでも宗教は教えておいた方がいいと思いますよ。それに、ドストエフスキーとかトルストイとか読むのに、聖書を読んでないとわからないじゃないですか。世界の美術や建築を見てもそうだし。キリスト教について知識としてでも教えてもらっておいて良かったと思いますよ。
⑩「最近読んで感動した本」を皆が発表します。この人は、何と、「乃木坂46」の何とかさんの写真集が世界一だと言ってました。「それは本を読んだことにならないよ!」「眺めただけだろう!」と、皆、あきれてました。
⑱東京新聞、毎日新聞、朝日新聞、埼玉新聞…と、全国から新聞、出版社の人が来てました。仙台の河北新報の人も。挨拶したら、「あんたのお兄さんと同級生なんだ」。ビックリしました。横手高校から秋田高校に移り、そして、ストレートで東北大工学部に。だから「お兄さんは、とても頭が良いんです」と。そうですね。「賢兄愚弟」です。