前に発表した宗教対談第一部は、たくさんの反響をいただきました。ありがとうございます。予告通り、第二部の発表です。
第二部は、アーチャリーも参加しての『邪宗門』です。ぼくも随分影響を受けた本です。それに、世界中の人が『邪宗門』は凄い、と言います。
『邪宗門』のどんなところが人々を惹きつけるのか、そして、そこから見える現代の課題は何か、ということを話してみました。
アーチャリーは、オウム真理教という強烈な体験から、『邪宗門』を読み解いています。それでは、始めましょう!
高木今日は、松本麗華さんに来て戴きました。麗華さんは、ぼくたちには想像もできないようなすごい宗教体験があるわけですが、それを踏まえていろいろ話してみたいと思います。
鈴木宗教体験って、生まれたときからですね!
高木麗華さんは、オウム真理教の中で育ったわけですが、自分の家庭が、「宗教」だということを認識していましたか?
松本父が宗教だと言っていたので、宗教なのだろうと認識はしていましたが、今振り返ると、生活の一部だったと言ったほうがしっくりきます。
高木生活の一部、という感覚は一般の人には、なかなか感じ難いと思います。そのへんから次の本に進みたいと思います。高橋和巳の『邪宗門』です。ぼくは好きな小説ベスト10に入ります。そして、東大教授が学生に読んで欲しい本の第8位にも入っています。誰もがすごい本だというし、死ぬまでにもう一度読み直したいとも言います。でも、なかなか手が出ないですよね。すごい小説だけど、読むことが苦しいんですよね。
鈴木少しでも宗教を考えたことのある人は、みんな『邪宗門』は必ず読みますよね。
高木鈴木さんは『邪宗門』はいつ読みました?
鈴木大学生の時に箱入りの全集を買って読みました。そして、高橋和巳は魯迅なのか、と思いました。魯迅の生き方も破滅的だよね。小説もあんまりハッピーエンドじゃないし、その辺も魯迅だと感じましたよ。それに、中国文学を専攻してますよね。文章が断定的なのは漢文の影響でしょう。高橋和巳は、学生運動に関わったりもしています。そして、謙虚です。謙虚を通り越して破滅的です。当時の学生には、そういうところが良かったんじゃないですか。
高木オウムの人も読んでたんじゃないですか。これはすごい教科書になりそうですよね。
松本オウムの人で、邪宗門を読んだことがある人はあまりいないと思います。学歴の高い一部の人は読んでいたようですが、一般には読まれていなかったのではないでしょうか。恥ずかしい話ですが、わたしも今回はじめて知りました。
鈴木以前、オウムの幹部の人たちと話をしたけど、『邪宗門』は読んでますっていう人は結構いましたよ。やっぱり自分の問題だと思うんでしょう。そして、全共闘の人たちは読んでたっていうよね。
高木右翼も左翼も、『邪宗門』はテキストだって言うんですよ。方法論としての『邪宗門』ということかもしれません。また、高橋和巳は、ドストエフスキーが好きだったというのもよくわかりますね。そして、埴谷雄高と気が合ったというのもわかります。『邪宗門』は、答えを出していない小説です。読み手に対して「あなたがこの状況になったらどうしますか」という問いかけをしている観念小説ですね。ところで、生長の家では、『生命の實相』が聖典の扱いですが、オウム真理教にそのような指定図書はなかったんですか?
松本指定図書というと、オウムの出版物の体験談や宣伝を除いた部分になると思います。出版された本は、経典、説法、漫画、雑誌、新聞と種類も冊数も豊富でした。故事成語を仏教的な概念を取り入れて解説した面白い本もありましたね。父は『麻原彰晃の世界』という父が話したことをまとめた本をわたしに読んで欲しかったみたいですけど、結局、1巻しか読まなかった。(笑)
高木それは聖典って扱いなんですか?
松本聖典って言い方はしなかったですね。「教学」って修行はあったんですけど、それで何を読むのかっていうのは個人の自由でした。私がよく読んでたのは『STEP TO真理』(麻原彰晃/オウム)です。これはルビをふってもらって繰り返し読みました。
高木繰り返し読んだってことは、いい本だったんでしょう?
松本いえ、これを何度も読んだ理由は、国語の勉強で一日に本を3ページ読まなきゃいけないってノルマがあったからです。この本は字も大きいしマンガもあって読みやすいし・・・
一同(笑)
鈴木オウムには、先生はいっぱいいるよね。みんな頭いいし。
松本悪ガキだったので勉強しなくって。字が読めるようになったのが小学校3年生くらいのときです。あいうえおから勉強し直しました。
高木では、『邪宗門』を読んでみてどう思いましたか?
松本今、まだ途中なんですが・・・悩まされてます。
高木『邪宗門』は、1966年から1967年にかけて朝日ジャーナルに連載されたものです。高橋和巳は、京大で中国文学を専攻して、全共闘運動に参加して『憂鬱なる党派』(新潮社)などを書いてます。1967年に助教授になるんですが、2年後には辞職します。そして更にその2年後の1971に39歳の若さで死んでしまう。
鈴木三島より若かったんだね。
高木埴谷雄高とか、小松左京が同世代ですね。高橋和巳は、なぜ大本に興味を持ったんでしょう。大本は、小説の中では、「ひのもと救霊会」という名前です。宗教を通じて国を良くしようという活動です。そうしたことが、全共闘への同調になり、『邪宗門』の執筆に繋がったのでしょうか。
大本は、その活動が治安維持法違反と不敬罪で、解散命令を出され、全国の教団施設・建物・碑石類を撤去され、亀岡の聖地は、ダイナマイトで跡形も無く破壊されたんです。大弾圧ですよ! それに、信者の墓石から大本の称号を削り落としたりもしています。今では考えられません。そして、信じられないことに大本開祖の出口なおの墓から柩を共同墓地に移して、人々に頭を踏ませなければならない極悪人として、柩の腹のところに墓標を建てたりしています。時代的には、二・二六事件の頃ですが、そんな実際の事件をモデルに『邪宗門』は書かれています。
松本『邪宗門』から興味を持ち、大本教に対する弾圧について、わたしも少し調べました。教団施設の破壊費用を大本教に請求したことを知って、そこまで徹底してやるのだと驚きましたね。一方で、大本教は戦争に荷担しなかった数少ない宗教でもあったようです。戦後、この弾圧に対する損害賠償が認められたようですが、復興で苦しんでいる国民のために賠償権も放棄したようですね。結局は税金で支払われるものだからと考えになったようです。弾圧され、大変な目にも遭わされたのに、出口さんは徹底して宗教に生きた方だという印象を受けました。
鈴木ぼくは結構はまって読みました。大本は、軍人とか右翼の大物頭山満とかに期待されてたのに弾圧されたのは何故だったんだろうってところに関心もありました。それに、この小説では主人公が最後、戦って死ぬんじゃなくて抗議の餓死をするんだよね。俺たちも国家に弾圧されたらこうなるのかなぁ、って思いましたよ。
高木国家の弾圧って、当時身近に感じました?
鈴木いや、そうでもなかったけど、そういうこともあるのかなぁって思いましたね。いつか我々も弾圧されたらこうなるのかな、というのはどこかであった。でもそれはやっぱりリアリティのある話じゃないけどね。
高木どこの国でもそうでしょうが、国に弓を引くのはすごく罪が重いんですね。人を殺すよりも罪が重い。大逆事件もそうです。みんな死刑になってしまう。この小説でも、教団は、宣伝や出版に力を入れ、当時の社会不安もあって、百万人以上の信者を獲得します。でも、そんな教団の成長とともに、国による締め付けが始まります。新聞や教典が発禁になったり、開祖の墓が天皇陵に似ているとして改築が命じられたり、その果ての大弾圧です。オウムとよく似てますね。
松本オウムが社会に受け入れられなかった一番の理由は、出家制度と考えています。出家制度は、日本の価値観を否定したのかなと。既存の家族愛を否定し、資本主義を否定し、欲望を否定しました。出家制度は新たな社会システムだったので、反発が大きかったのでしょうね。
鈴木オウム真理教は、大学も作ろうとしたんだよね。
松本そうですね。幼稚園から大学までの一貫教育を考えていたようです。「真理学園」ができるという話だったので、同世代の友達ができると楽しみにしていたんですけどね。さすがに手を広げ過ぎだったのでしょう。まったく、実現しませんでした。
高木教義を広めるために、教育を通じての共通言語が必要なんですね。幸福の科学も大学を創ろうとしてダメだったんですよね。国は怖かったんじゃないですか。
鈴木それもあるのかなぁ。
高木例えば、ぼくが教祖だったとしたら、思想を統一したいと学校は絶対に創りたいと思うでしょう。大本は、二度の弾圧を受けますが、一回目の弾圧の後、谷口雅春先生は大本を辞めて、生長の家を設立するんですね。
松本そういうことがあったようですね。大本では武器とかは持ってなかったけれど、この小説では武器を持っていたという設定のようですが、どういう意図があったのでしょうか。大本教は今はどういう形で活動しているのでしょうか。
高木今も宗教法人大本としてありますよ。布教はもちろんですが、農業・芸術・エネルギー・平和・福祉という活動をしているようです。信者も増えているようですね。
松本公安調査庁発表によるとアレフも増えているらしいです。しかし、実際は離れていく人が200人で、入信する人が100人みたいな、総数は減っているけど、入信者がいるので、100人増えたって報道されているようです。
高木じゃあ実質は減ってるんですか。
松本もうなくなる寸前じゃないですかね。やはり会社でも宗教でも芯が一本ないと厳しいですよね。
高木それは、教祖の存在というか力によるんでしょうか。「玉の力」というか・・・。玉を手にしたものが天下をとるみたいな・・・。今なら、「アーチャリーを奪え」でしょ。(笑)
松本でも私、後継者じゃなくてアレフからは悪魔って言われてますよ。
高木それでも、奪って、身内に入れてしまえば、「アーチャリーが戻ってきた」になるんだよね。
松本あー、悪魔がまともになった、って言われますかね。やはり思想的に近いと考えていた人間が実際は違うスタンスだと分かったので、許せないのかもしれません。私は社会に関わりたいので、アレフに行くことはないですが。
高木今まで同じところにいた人が、別の価値になるっていうのは悪なんです。何でもそうですね。「玉を奪え」って論理で言うと、アーチャリーを奪ってしまえば一大教団ですよ。求心力があるし、復活の可能性がある。だから公安としてはマークするでしょう。
松本私に求心力はないですし、公安がマークしている理由は違うと思いますが、ほんとに組織はウンザリです。『邪宗門』も組織ですよね。内紛の仕方とか、両方が正義になるっていうのとか、こういうのあったよね~って思いながら読みましたね。
高木似てますね。言うこともやる事も考え方も両方が正義を信じて、その正義を主張するが故に自縄自縛に陥っている。言えば言うほど動けなくなっていく。布教の方法なんかも、出版でした方がいいとか、自らした方がいいとか、メディアを使った方がいいとか、組織が大きくなると方法論も変わってくる。
松本ここに書いてある通りなんです。「口々に開祖のお筆先の断片を引用して自分を正当付け、権威付けることに汲々としている」。みんな、切って貼って、好きなところを持ってきて、自分のやりたいことを主張するんです。それぞれがそれぞれの、「これが麻原彰晃の意思だ!」が作れちゃうんですよ。そこでぶつかって、「俺が正義だ!」って戦いをやるんですよね。『邪宗門』の中でも「教祖のお筆先は何も書斎で書かれたものではなく、頼ってくる人々それぞれの事情を汲んで、聞き手に合わせて説かれた教義」って書かれていますけど。
高木教祖がその人に合わせた言葉で喋って、それを記録させると、その次には、都合の良いように使われてしまうということですね。
松本そうですね。
高木そういうことって、普通の会社でもあることですね。利益をあげようとか社会に貢献しようとか、目的は同じなのに方法論が違うだけで敵になってしまう。それで潰しあってしまう。
松本もったいないですよねー。行くところは一緒なのに。また会いましょう、って柔らかさがあれば、世界はもっとよくなるだろうに。
高木それを考えてるのが『邪宗門』だと思います。天理教でも生長の家でも、宗教について書かれた本を読むと同じです。今の政治の数の論理も同じでしょう。
松本どんな宗教でも、政治でも、許容する力があれば、もっと生きやすくなりますよね。これは、日本人の価値観の問題だと思われますか。それとも日本人に限らず、人間が抱えている問題と思われますか。
高木人間の問題の気がしますね。それはイスラムでも同じだし、アメリカの資本主義経済の方法論も同じ。資本や金融を神だとしたら人間がどう動くかを考えたときに、同じように内紛が起こる。経済も、芸術も同じ。芸術の場合は個人に還元される話だけど、派閥が出来たり、そうすると方法論の差異が争いや感情の行き違いを生み、またそれが換金され始める。お金が絡んでくる。大本もオウムも、お金が絡んでくると違う方法論の人が出始める。
松本もったいないですよね。
高木もったいないけど、トップの人としてはお金がなければ団体を運営出来ないとか、そういうことを考えなければいけない。麻原彰晃さんが教団の運営やお金のことをどう考えてたかはわからないけど。
松本教団がお金に困ってた、って感じはなかったですけどね。
高木全国からお金が集まってくるんでしょ?
松本教義としては、自分のものを所有するというのはそれだけとらわれて生きるってことだから、それを手放せれば手放せるほど、精神的に自由になるという考え方でした。だから、布施をされる側が嬉しいから布施をさせるわけではなく、布施する側が楽になるために、とらわれている自分を手放すために、進んで差し出す。
高木本当にそう思えたら楽でしょうね。
松本全部脱ぎ捨てるっていう感覚ですね。
高木自由だよね。出来ればそうしたいくらい。
松本たぶん、そういうのが出家だったんじゃないでしょうか。それが、父の逮捕後の教団では逆になってしまった感じがしました。教団運営のためのお金、みたいな。なんだそりゃー!って。
高木やっぱり、『邪宗門』に似てますね。
松本似てますね。ちょうど教主が逮捕されてるところから始まりますが、父の逮捕後の教団に似た雰囲気を感じました。教主がいない間は、娘の阿礼さんもあまり尊重されなくて、教主が戻ってくると扱いが変わるという、父親ありきな感じが、そうだろうなーって。この時代が情景として浮かぶように書いてあるし、人物が毎回フルネームで出てくるから読みやすいです。なんで読み進まないかは不明です。(笑)
高木文章自体は確かにちょっと難しいよね。
松本電車でちょっと読んでると、また読み直さなきゃいけなくなっちゃうからかな。
鈴木じゃあずっと電車に乗ってればいいじゃない。地下鉄に乗ったら千葉まで行っちゃうとか。(笑)
①「座・高円寺」で、〈ドキュメンタリー・フェスティバル〉「…出逢い・発見」が開催されました。2月7日(日)から11日(木・祝)まで。2月7日(日)は午後7時から、「井浦新セレクション」で、緒形拳主演の「ネイチャリング・スペシャル。印度漂流=生と死の大地・神々の饗宴」が上映されました。そして、上映後、この映画の監督の山崎裕さんと井浦新さんのトークイベントが行われました。とても良かったです。緒形拳は「MISHIMA」で、井浦さんは「11.25自決の日」で、共に三島由紀夫を演じてます。その話も興味深かったです。終わって、楽屋に井浦さんを訪ねて、いろいろとお話をしました。
⑭時計をなくして、「ドンキホーテ」で1500円の時計を買いました。それもなくして、100円ショップに行ったら、何と、ありました。100円で作れるんですかね。でも、もう10日になりますが、元気で動いてます。ありがたいです。
⑮2月11日(木)。学校の「読書ゼミ」で、この本を読みました。凄い内容です。「エホバの証人」に入信した女性の洗脳、離婚、暴力、自殺未遂…脱会。と苦悩に満ちた半生をつづっています。高木尋士さんにも読んでもらい、「宗教対談」番外編でもやりましょう。
坂根真実さんの『解毒=エホバの証人の洗脳から脱出したある女性の手記』(角川書店)です。
⑯佐野和宏監督・主演の衝撃作「バット・オンリー・ラヴ」の試写を見ました。2月9日(火)13時から、渋谷の映画美学校試写室で。2011年に下咽頭ガンで声を失くした佐野さんが自身と重なる主人公を演じます。「佐野の映画を見たい!」とプロデュースを手がけたのは寺脇研さん。ともかく凄い映画で、圧倒されました。
㉘2月17日(水)午後7時より。代官山の「晴れたら空に豆まいて」で、上祐史浩さんとトークをします。テーマは、「未来を切り拓く思想」〈テロ・暴力…。混沌の時代を生き抜くには?〉です。2月5日の長野でのトークに続き、さらに突っ込んだ話をしたいと思います。