ハラハラ、ドキドキの1週間だった。
2月26日(金)、劇団「再生」が、2.26事件の芝居をやり、その前に「再生」代表の高木尋士氏と私のトークがあった。
あの雪のクーデターから80年。三島由紀夫は10才で、この事件を体験した。それが後々の運動へと方向づけられる大きな契機となる。
私にとっては1960年の山口二矢だな。賛成・反対という態度を超えて、〈右翼〉の衝撃を感じた。そして巨大な疑問符を与えられた。
「愛国心」とは究極のところ、人を殺す所までいくのか。その疑問を考えながら、右翼の運動に引き込まれていった。
そんな原体験を含め、今、2.26をどう見たらいいのか。真剣に考え、話してみた。
2人のトークのあとの芝居は、これ又、素晴らしいものだった。
ここまでやるのか、と思った。芝居の限界を超えた。言葉が、動きが、その一つ一つが、思想であり、哲学だった。それは容易にテロリズムの刃にもなる。そんな鋭さを感じた。
2月27日(土)は、1時半から「国賠ネットワーク」交流会に出た。杉山寅次郎さんに誘われたのだ。
全国から大勢の人々が集まっていた。冤罪で苦しみ、戦っている人がこんなにも大勢いるのかと驚いた。
28日(日)は、朝、東京を出て、新大阪で乗り換えて西宮へ。「前田日明ゼミin西宮」に出た。
前田さんに会いたかったし、ゲストの木村草太さん(憲法学者)にもぜひ会いたいと思っていた。
9条関係の雑誌や団体に頼んで、「草太さんに会わせてくれ」「対談させてくれ」と頼んだが、ダメだった。連絡を取ってくれない。
草太さんは首都大学東京の准教授で、それにテレ朝系の「報道ステーション」に出ている。その人が「右翼と対談するわけがありませんよ」と言って連絡してくれない。ガッカリした。
そんな時、西宮で前田さんと対談するという。これはぜひ、聞きに行かなくちゃ、と思って行ったのだ。
初対面で会ったら、「『アエラ』で取り上げてもらって、ありがとうございました」と言われた。
数年前、草太さんの『憲法の創造力』を書評したのだ。とても面白かったし、私が持ってない鋭い問題意識がある。左右の単なる「擁護」「反対」論を超えている。
そうだ。今回、西宮に行って草太さんに会いに行くと決意した日、何と、他の雑誌で草太さんと私の対談をやりたいという。「対談」がやっと実現したのだ。
(それも、この次の日に実現した。多くのことを話し合った。又、「少数派の権利」はなぜ守る必要があるのか…などについても話し合った)。
28日(日)は、夜遅く、東京に帰った。そして、少し、ウトウトしていたら、もう朝だった。
29日(月)は、又もや草太さんと会う。
この日は朝早く出かけて、首都大学東京に行く。
昨夜は西宮で会ったのに、東京に帰り、そして今日、再び。いや、初めての対談だ。
さらに、この日の夜は、片山杜秀さんと対談。片山さんは日本の保守思想、ファシズムに就て詳しい。慶応大学の教授でもある。
私は、むしろ、勉強しながら、話を聞き、話し合いました。
次の日、3月1日(火)は札幌だ。この日ほど心配したことはない。
だって、札幌は大雪で、吹雪いているという。飛行機はどんどん欠航している。
前の日もそうだ。朝早くから羽田に行って、ともかく、飛び立てる飛行機に乗ってくれという。
しかし、羽田に行くと、結構、安定している。11時の便に乗れた。
ただ、「札幌で降りられない場合は羽田に引き返します」と言う。
大変だ。私は必死で祈りましたよ。その甲斐あって、無事、札幌に着いた。
柏艪舎の人たちと食事しながら、今日の進め方を考えた。
でも、鳩山さんはまだ来ない。鳩山さんが来れなかったら、始まらない。鳩山さんは羽田発2時だという。
私の乗った昼の便は、何とか飛び立ったが、それからあとは、大混乱だ。吹雪いていたし、次々と欠航になった。
ありゃ大変だ。鳩山さんが着けなかった場合、どうするか。誰も考えていなかった。
2人が来れないのならば、皆、諦めがつく。2人が来れたら文句なしに開ける。又、鳩山さんだけでも来たら皆、満足する。「鳩山さんの話を充分に聞けて、かえってよかった」と言うだろう。
問題は、私だけが来れて、鳩山さんが来れないケースだ。最悪のケースだ。
これだったら、「何でお前だけが来たんだ!」と、私は来たことを責められる。暴動になる。とてもやってられない。
だから、その時は、「中止」にして下さいと、頼んだ。
深刻な顔を突き合わせて、「その時」のことを考えていたら、電話だ。
鳩山さんが札幌に着いたという。「うわー、バンザーイ!」と皆が叫ぶ。
あとは、全てがうまくいった。3月1日(火)の札幌時計台は超満員でした。
鳩山さんも大満足だった。「ここはいい」「歴史の重みがある」と言う。
又、「今日は、初めに1時間話し、そのあと鈴木さんと2時間も話し合った。夢のようだった」と言う。
でも、元首相なのだから、いくらでも講演のオファーがあるだろう、と思った。でも、「5分で挨拶お願いします」というのばかりです」と言う。
「今日は長く話す機会を作ってくれてありがたかった」と鳩山さんは言う。こちらこそ、ご迷惑をかけ放題ですみませんと言った。
じゃ、「札幌時計台」で又、やりましょう。今年か来年の春、やりましょう。私もそれまで必死で勉強してきます、と言いました。
鳩山さんとは何回か対談して、それが本にできたらいいですね。
札幌から帰ったその当日、3月2日(水)だ。夕方から足立正生監督の映画「断食芸人」の上映があり、そのあとトーク。
この日は足立監督と太田昌国さん、金子遊さん、そして私だ。
足立監督にとっては、これはまさに「革命」的な映画だ。
左翼の思想を捨てて、大衆に迎合した。活動家の鋭さをなくした。堕落した。と言われることもある。
若松監督と足立監督。二人はとても仲がいいし、一緒に映画も作っている。二人とも、危険な香りを持った中年だ。危険な中年だ。
でも、あえて違いを探すなら、あくまでも足立さんは真面目だ。自らの志を曲げない。ブレたと思われたくない。
ところが若松監督は、時々、わざと不真面目になる。志だって曲げてみせる。娯楽作品でいいじゃないかと居直る。どう見られたって構わない。そんな、ヤケになったところがある。
「連合赤軍」を撮った時は、左翼の仲間は大絶賛だった。
しかし、次に三島の映画を撮った時は、皆、驚き、失望した。「どうして若松監督が右翼の映画を作るのか」と批判する人もいた。
それに対し、若松監督は弁解しない。「批判する奴はしろ」「離れる奴は離れて行け」といった感じだった。そして確固とした「若松映画」を撮ってきた。
ところが、若松監督は急死した。ここで足立監督の心の中に大きな革命が起こったのだろう。「俺がやるしかない」と。
そして今回撮った「断食芸人」は、今までのような、イデオロギー色の強い、生真面目なものではない。思いっきり、楽しく、面白い。そして、「どうとでも見てくれ!」という居直りがある。
今までの足立ファンからしたら、「何だ、大衆路線に妥協して!」という声もあるだろう。「娯楽に堕したのか!」とも。
でも、何とでも言え。オレは若松監督がやれなかったことをやり遂げてやる。そんな鬼気迫るものを持って作った映画だと思う。
3月2日(水)夜、ユーロスペースに行って、「断食芸人」の上映のあと、トークがあった。足立監督、太田昌国さん、金子遊さん、そして私が出た。
私は以上のようなことを言った。私個人の思い込みかもしれない。しかし、当たっていると思う。
さらに次の日、3月3日(木)の夜は、バロン吉元さんと荒俣宏さんのトークを聞いた。
荒俣さんには初めて会った。感動して、『帝都物語』の話をした。
荒俣さんの『帝都物語』は、私は11巻全部読んだ。映画も全部見た。
本を読んでいて一番驚いたのは、この小説の中に、突然、三島由紀夫と森田必勝氏が出てくるのだ。そして、魔人・加藤と闘う。
これは文句なしに凄いと思った。嬉しかったし、又、こういうフィクションの中に、三島・森田が出てくる。そして大活躍をする。
「楯の会」の人や、関係者で、この本を読んだ人は皆、感動していた。荒俣さんの〈愛〉を感じた。
そう言ったら、「それを聞いて、こっちの方が感激しました」と言う。
三島・森田を自分の小説の中に出すことには随分と悩んだ。「そんなことをしたら、右翼に襲撃されるぞ! と言う人もいて、とても心配してたんです」と言う。「鈴木さんにそう言ってもらって嬉しいです」と言う。
さらに、バロンさんとの関係も聞かれたので、バロンさんの「柔侠伝」のファンで、このマンガには、右も左も多くのファンがいますよ、と言った。
元連合赤軍の植垣さんも大ファンで、それで、静岡のスナックの名を「バロン」にしたのだ。バロン吉元さんから取っている。
又、右も左も、マンガや小説にとても影響を受けている、という話をした。「今度、そういう話をじっくりしましょうよ」と言ってくれた。
ありがたい。どんどんと、大きなネットワークが拡がったようだ。
3月1日、私は札幌時計台で鳩山さんと話した。二人で話すのは、初めてだった。二人で話をして、噛み合うかな、と不安だったが、とてもいい方向に行った。
今、ほとんどの政治家は、「現実問題」だけで忙殺されている。現実のいろんな問題、選挙のこと、お金のこと、どう思われてるか…と、それらに忙殺されている。
しかし、鳩山さんは、常に理想や夢を語る。それが、現実を離れていると言って、「宇宙人だ」と批判されることもある。
沖縄の米軍基地について、「少なくとも県外だ」と言って批判を浴びた。
又、ウクライナのクリミアに行って、クリミアの住民投票を支持した。
韓国の刑務所跡に行っては、膝をついて祈った。
それらは一つ一つが、「反日的だ」「売国奴だ!」と言われた。
しかし、理想を持っていて、夢を語っている。そんな話をする場があまりなかったのだろう。熱く語ってくれた。
そして演壇から降りて、皆のすぐ近くまで来て、語っていた。訴えていた。
鳩山さんには又、来てもらいたい。そして、叶えたい夢や理想をどうやったら生かせるのか、考えてみたい。
5月はアーチャリーだ。
7月は、「刺青クリスチャン」の鈴木啓之さんだ。
元ヤクザの人たちが、ヤクザを辞め、キリストの教えの下、信仰生活を送っている。多くの本を出している。又、世界中に「布教」に行っている。映画にもなっている。
いろんな本を読んだが、最近読んだ『刺青クリスチャン 親分はイエス様』(講談社+α文庫)が一番手に入りやすいと思う。
どこの本屋にもあるし、9人の元ヤクザの組長や幹部が語っている。涙無くしては読めない。本当に凄い人たちだと思う。
7月も大いに楽しみだ。普通なら会えない人たちにこうして会えるのはとても幸せなことだと思う。
私も、もっともっと勉強して、それらの問題に立ち向かい、多くのことを吸収したいと思っている。
終わって、一旦、家に帰り、仕事。
夕方、家を出て、6時に神田の「学び舎・遊人」へ。片山杜秀さん(慶応大学教授)とトーク。「対論・安保法」〈安保法制、そしてこれからのニッポン〉について話す。
片山さんは、2月20日の「菜の花忌」でパネラーをやっていた。司馬遼太郎は小学生の時から愛読していたという。凄い。そして、『未完のファシズム』で、司馬遼太郎賞を取っている。そのことで「菜の花忌」のパネラーに呼ばれたと言う。安保、そして日本の独立が話のメインだが、司馬遼太郎、そして吉村昭の話になる。この2人の偉大な作家はぜひ読んでほしい。とても知的刺激があり、面白いトークだった。
終わって、近くで打ち上げ。前日は西宮へ行って、日帰り。今日は朝、草太さんと対談し、夜は片山さんとトーク。
あっ、そうだ。明日は札幌だ。早く帰って寝なくちゃ。と思いながらも、12時まで、飲んでしまいました。
⑧3月28日(日)、「前田日明ゼミin西宮」を聞きに行きました。今回のゲストは木村草太さん。憲法学者で、首都大学東京の准教授です。今、テレ朝「報道ステーション」のコメンテーターをやってます(木曜日に)。
⑫2日連続、草太さんと会ってます。前日は西宮で講演を聞きました。今日(2月29日)は「週刊金曜日」の対談です。
草太さんの『憲法の創造力』はとてもいい本で、感動しました。人権、少数派の権利、9条について。など、多くのことを話しました。
⑳2月26日(金)、劇団「再生」では、2.26事件を取り上げた芝居をやりました。この日は初日で、芝居の前にトークがありました。劇団「再生」代表の高木尋士さんと私です。「今、2.26について思うこと」。三島事件、2.26、憲法などについて語りました。
㉕3月3日(木)。バロン吉元さん(漫画家)と荒俣宏さん(作家)のトークがあると聞いて、行きました。とてもよかったです。左が荒俣さん。右がバロンさん。司会はバロン吉元さんの娘さんのエミリー吉元さんです。