5年目の「3月11日」がめぐって来た。
この日、〈第5回 東日本大震災「祈りの日」式典〉が憲政記念館で行われた。多くの人が参列し、祈りを捧げていた。
黙祷。朗読「稲むらの火」。そして世話人代表・村上正邦さんの挨拶。
「わたしは3月11日をわすれない」。「大勢の被災者が5年目の凍てつく厳冬に耐え続けているのです。惨禍が再び起きない強靭な国土を建設しなければなりません」と言う。
続いて、亀井静香さんを初めとした国会議員の挨拶。復興状況報告。被災地代表挨拶…と続き、休憩を挟んで、第2部は被災地復興ドキュメンタリー映画「サンマとカタール=女川とつながる人々〜=」の上映。2時間近い映画だが、この日は20分のダイジェスト版の上映。
女川はサンマの水揚げが日本一だ。今、サンマ漁を中心に、建物、輸送も復興し、活気を取り戻しつつある。
そこには地元の人々、全国の人々の応援があった。さらに、カタールから100億もの義援金が送られ、大きな支援となった。
そうした交流、支援、友情を描いた映画だ。5月7日(土)から上映されるという。20分ほど見ただけだが、実に感動的な映画だ。
3月11日が近づくと、新聞もテレビも震災、原発事故が中心になる。
でも震災が主になり、原発はあまり問題になってないようだ。そのことをしっかり考え、日本の将来を議論すべきだろう。
そのためにも「3月11日」は、「祈りを捧げる日」にして休日にしたらいい。
2月11日は「建国記念日」として祭日とするように運動が起こっている。「3月11日」も、そうすべきだろう。
祈り、かつ、静かに日本のこれからを考える日にしたらいい。
今、荒俣宏の『帝都物語』(角川文庫)を読んでいる。再読中だ。
10年以上前に出た本だ。出てすぐに読んだ。全11巻だ。映画も全て見た。
映画では出てないが、文庫本の第7巻からは何と、三島由紀夫、森田必勝氏が登場し、魔人・加藤と闘う。
1970年に自決した三島は、今度は女性として生まれ変わり、再び加藤と闘う。魔人・加藤は平将門の霊を呼び起こし、日本に闘いを挑む。
そして言う。日本では10年後、壊滅的な大地震が起きるであろうと。その前に、三島たちとの闘いに決着をつけるのだ。
今、読み返してみると、示唆的なところが多いし、考えさせられる。
日本はアメリカと闘う時に、神社界・仏教界は一致して、アメリカに霊波を送り、アメリカを呪殺しようとした。それは本当にそういう計画があったという。
この小説でも、そのことが詳しく書かれている。このことは池口恵観さんからも聞いた。
凄い霊力だったという。高い塔を建てて、そこから呪いの霊波をアメリカに送る。凄い発想だ。
「でも全く効果はなかったんでしょう」と私が聞いたら、恵観さんは言う。「いや、実際にルーズベルトが殺されました」
終戦前にルーズベルトが死去したのは事実だ。それが日本から送られた呪いの霊波で死んだとは知らなかった。
昔は、霊や呪いも実際に力を持っていたのだろう。でも、それ以上の「呪いの言葉」が今は、発せられていると内田樹さんは言う。
メールなどで発する「死んでしまえ!」という呪いだ。呪いが流行した平安時代よりは、今の方が、「呪いの言葉」で満ち満ちている、と言っている。
災害に遭い、でも、仲間や多くの人たちの励ましの言葉で力づけられた人は多い。〈言葉〉が人を救うのだ。
でも、別の方面では、穢い言葉、憎しみの言葉が簡単に人に投げつけられている。外国人に対しても、「憎しみの言葉」(ヘイトスピーチ)を投げつける人がいる。
カタールや台湾だけでなく、数多くの国々からの支援によって、東北は救われ、徐々に復興しつつある。
又、多くのボランティアの人たちも行って、復興を手伝っている。「女川にも来て下さい。来て、見てくれるだけでもいい。復興の現状が分かります」と女川の人たちが言っていた。
私も、震災直後は木村氏たちに連れられて福島や女川にも行った。
信じられない光景だった。町が丸ごと、なくなっている。海に流されて、海に浮いている家もある。
今、5年経って、どこまで復興が進んでいるのか。まだまだ家に帰れない人も多い。
仙台の高校の同窓会に行った時も、犠牲になった人、家が流された人の話を聞いた。胸が痛い。
こんな地震が多く、津波のある国なのに原発を造ったのが間違いだった。
それなのに、「もういいだろう」と政府は、原発を再稼働させようとしている。又、それを支持する国民も多い。
女川の人たちが言うように、皆、東北に行って、自分の眼で見るべきだろう。
3月11日は、政府主催の追悼式典はあるが、民間の人が行けるのは、憲政記念館で行われる「祈りの日」だけだ。いや、他にもあるかもしれないが、皆が行ける場を作ったらいい。
そして「祈りの日」として休日にし、祈り、日本のことを考える日にしたらいい。
この日は、多くの人々に会った。
中でも驚いたのが、沖縄の喜納昌吉さんに会ったことだ。元気だった。
前に選挙に出て敗れた。それで民主党からも離れたようだ。
「沖縄で又、集会をやりますから来て下さい」と言われた。
沖縄サミットの行われた年に、「裏サミット」として喜納さんが中心になって沖縄で集会をやった。
日本の学者、活動家だけでなく、アメリカからも、ネイティブの人たちを呼んで話してもらっていた。
ネイティブの人たちがアメリカの建国の英雄たちに、むしろ思想的な影響を与えたという。自然と共生する知恵だ。それを独立宣言やアメリカ憲法に入れた。
さらに、時間が経って、日本がアメリカに敗れた時、アメリカ占領軍は日本人に憲法を押し付けた。
「押し付け憲法だ」。が、その内容は、アメリカの憲法だし、その前のアメリカのネイティブな思想が入ってきたのだという。壮大な話だ。このことは、ベアテ・シロタ・ゴードンさんからも聞いた。
そうか。日本国憲法にはアメリカのネイティブの思想や理想が入っているのか。…と驚き、感動した。
この時、鎌田東二さんもいたし、いろんな人たちが来ていた。
夕方、浜辺で集会をやった時、多くの人の前で絵を描いている黒田征太郎さんに会った。久しぶりだった。
黒田さんは阿部勉氏と仲良しだった。ゴールデン街で私も紹介された。又、ぜひ会いたいものだ。
さらに、そこの浜辺で、高校の後輩にバッタリ会った。教会の牧師をしていた。そんな人もいたんだ、と驚いた。
多くの人と出会い、多くのことを教わった沖縄集会だった。ぜひ又、やってもらいたい。
そうだ。最近、そんなことも思い出して書いたな。
実は、年末から、ずっと苦闘していた。本当は12月末か1月に渡す予定だったのに、遅れに遅れた原稿があった。それも、いくつもあった。
年末から年始めだというと、「足掛け2年」もあるし、「できるだろう」と簡単に考えてしまった。
愚かだ。力不足でできない。遅れに遅れ、やっと書いたものもある。遅れすぎてボツになったものもある。
いかんな。もっと、頑張ってやんなくては、と思った。反省、反省の今年だ。
『帝都物語』は、全11巻を読み返して、高木さんにも読んでもらっていて、もう、6巻まで読んだという。
もの凄く面白いし、精神的・霊的闘いがあり、三島も闘う。
では、「その話をしましょう」ということで、4月頃にやるつもりだ。
それと、伊藤整の『日本文壇史』は全40巻で、まだ続いている。40巻まで読んだので、それを高木氏に送った。
着いたら、もう、5、6巻は読んでいると言う。これも4月には対談するつもりだ。
それと「高橋和巳全集」全20巻を買った女性がいる。この人と高木氏と私で、高橋和巳論をやりたい。
高橋和巳を読むことは、私の学生時代、右翼活動時代を思い出し、読むことにもつながっている。
又、先週書いたが、私がとてもお世話になった骨法道場の堀辺先生が亡くなった。
4月10日には小林よしのりさんが、追悼の集会を開き、話をするという。私にも出てくれと言うので、お引き受けした。
一緒に、話をする。堀辺先生の武道家としての面と同時に、思想家・歴史家としての面も話してみたい。
私に、どれだけ話せるか不安だが、大きな影響を受けているし、それは今でも同じだ。
自分で書いたり、喋ったりしてるものの、中のかなりの部分が先生から教えられたことだ。
私の新しい本が出るたびに、先生に送っていたが、いつも電話をして、感想を言ってくれた。
自分の足りない所も教えてもらったし、次のテーマを何にするか、なども教えてもらった。
それは貴重な教えとして、今も心に大きく残っている。
体を動かし、武道を通して得た思い、思想というものは、とても大きいと思う。
「体」と「心」が分離した人が書いたものは、武道論でも、歴史でも、物足りない。
その点、先生は毎日、道場で若者を教え、自分も鍛錬し、そして、歴史書を読み、歴史を解釈し直してくれる。
「鈴木さん、中野で会いましょうよ」と電話があって、よく喫茶店で会っていた。
武士道の話、政治の話、それから、人間としての「生き方」について、随分と教えてもらった。
「武士道」について本を書きませんかと出版社に言われていたので、よし、堀辺先生に質問して、それを中心にして本を書こうと思っていた。
それはダメになってしまったが、今まで教えてもらったものを思い出しながら、この世での闘い方について、生き方について考えてみたいと思っている。
堀辺先生に武士道について教えてもらったので、 内田さんや甲野さん、榎木さんにも話ができたし、身をもって稽古をつけてもらい、学べたと思う。
それらも、少しずつまとめて本にしていきたいと思う。
その前に、去年の暮れから引きずっている原稿をキチンと仕上げなくちゃ。頑張ってやらなくちゃ。
寒い季節ももう終わるし、今月は、おひな様をかなり見た。次は桜だな。そして、勉強、勉強だ。そして原稿だ。
5時半、赤坂ACTシアター。三島由紀夫作、宮本亜門演出の「ライ王のテラス」を見る。よかったです。感動です。
5年前、震災の直後に大阪に行って、三島の「わが友ヒットラー」と「サド侯爵夫人」を見た。2つの芝居を共通の役者が演じる。
あれも感動的だった。そのことを思い出しながら、今回も見ました。
①みやま荘は埼玉に近いので、「テレビ埼玉」が映ります。埼玉の美しい自然、お祭り、イベントが毎日紹介されてます。鴻巣(こうのす)の巨大なひな祭りが紹介されてました。ピラミッド型です。これは日本人として、ぜひ見なくちゃと、行ってきました。3月6日(日)です。早起きして、行ってきました。
⑫鴻巣は、市内を歩くと分かりますが、「ひな人形」の製作、販売の店が、随分とあります。ここで、ひな人形を彫り、全国に売ってました。
又、ここは宿場町で、商人を通してひな人形を全国に売ってたそうです。この店では、「日本一大きい 壱番親玉」と「三人官女」を並べてます。
⑮鴻巣で「ピラミッドひな壇」を見て、東京に帰りました。サントリー美術館で見ました。「欧米を感嘆させた明治陶芸の名手(ファンタジスタ)」「没後100年 宮川香山展」を見ました。凄い陶芸ばかりでした。どうやって彫るのか分かりません。
⑳目黒雅叙園で、3月4日(金)。雅叙園では毎年、この季節に、「百段雛祭り」をやってます。百段を上る途中に、幾つかの部屋があり、雛人形が飾られています。毎年、違うおひな様が飾られます。今年は、岩手県を中心に、宮城、福島のひな人形がそろいました。日本一のひな人形展でしょう。 「目黒雅叙園の百段ひな人形」は。
又、「埼玉県鴻巣のピラミッドひな壇」も最高ですね。それにもう一つ、(千葉県)勝浦の「階段ひな人形」が凄いです。これは、神社の階段に実際に、ひな人形を飾ります。壮大なひな壇です。この3つを見たら、「日本のひな人形」をマスターしたことになります。