うちの近所に住んでいる寅ちゃんに誘われて、国賠訴訟の全国大会に出た。
そこで、埼玉で市民運動をしている人を紹介された。その人に、いきなり講演を頼まれた。
4月9日(土)に浦和で講演してくれませんか、と。
いいですよと返事した。あとで、メールがあって、実は4月2日(土)にも集会があるんですが、そこにも出てもらえませんかと言う。
予定は入ってないはずだ。大丈夫。行きますよと返事をした。
でも、あとでハッと気がついた。ヤベッ、ニセコのスキー合宿に申し込んでいたんだ。
でも、浦和の集会は、パネラーが5、6人いるようだ。じゃ、私1人くらい欠席しても構わないだろう。
そう思って、「先約があったんで行けません」と浦和にメールした。
しかし、向こうも事情が大きく変わったようだ。
5、6人いたパネラー予定者が次々と、来れなくなった。それで、「門奈さんと鈴木さんの2人しかいません」と言う。
「鈴木さんが欠席したら、シンポジウムになりません。対談もできません。何とか出席して下さい」と言う。
それで、仕方ない。2日(土)の夜に帰る予定だったのを、急遽、昼の飛行機に変えて、浦和集会に出席した。
ハードな合宿で体が痛い。スキーを久しぶりにやってみようか、と軽く思ったのが甘かった。
子供時代、青春時代はスキーをよくやっていた。
一度覚えたものは、いくらブランクがあってもできるはずだ。という確信があった。自転車と同じで、いつだってできると思っていた。
それが違ったと分かったのは、スキーを履いて、リフトに乗ってからだ。
スキーをするのは20年ぶりかな。いや、30年ぶりかな。
でも、昔やってたから、できるはずだ。と思っていた。
しかし、今のスキーは昔と違う。短くなってるし、幅が広い。
さらに靴が全く違う。怪我をしないように、足首をしっかり固定する。歩くのも大変だ。
それに、一度、転んだら、起き上がるのが大変だ。ストックを使って、必死にあがいてみても、立ち上がれない。
仕方なく、スキーから靴を切り離し、それから、もう一度、スキーを履いた。大変だった。
これも、ミッション・インポシブルだ。せっかくのチャンスだ。
怖がっていてはダメだ。体ごと挑戦しなくては、と思い、自分を叱咤したんですよ。
前に、伊豆の大島の傍の島に行って、野性のイルカと一緒に泳ぐプロジェクトに参加した時も、命懸けだった。
ロクに泳げないのに、潜水の特訓を受けて、深海に潜る。
いやー、怖かった。下を見ると、海底まで百メートル以上ある。底がきれいに見える。
海底を海ガメが泳いでいる。歩いている。そこまで見える。
何やら、超高層ビルから飛び降りるような気分だ。アベノハルカスビルから下を見た時、その時の記憶が甦った。フラッシュバックだ。
あの時は必死で泳いだ。イルカの群れに入って泳ぐこともできた。
でも、息が続かない。体力が続かない。
やっとの事で船に這い上がった時は、疲れ切って、ゲーゲー吐いてしまった。でも、ミッションは完ぺきに果たした。
そうだ、戦争直前のイラクに行った時も、危険を冒して行った。
外務省からは「渡航禁止」と言われてたのに、あえて、それを無視して行った。
もし何かあっても自己責任ですから、救出しないで下さいと言って、出国した。
北朝鮮に行った時も、悲壮な覚悟だった。
その他、(ここでは書けない)もっとヤバイこともあった。危ないミッションの数々を果たしてきた。
それに比べたら、スキー合宿ぐらいで、ビビっていてはダメだ。
目の前には大きな山がある。羊蹄山だ。周りも山がある。美しい大自然だ。そこで、2日間、スキーをやる。
スイスイと滑れると思ってたのに、初歩から手間取る。
必死に挑戦しました。その傍を、小学生がスイスイと追い抜いていく。ストックも持たないで軽快に滑っている。
又、スノーボードをやってる子供もいる。うまい。
中には、転ぶ人もいる。でも足を揃えて、あとは、ビョンと、飛び跳ねる。
そして、再びスノボーの上に乗る。凄い!とても私にゃできないよと思った。
1日目はあくまで初歩だ。コーチにも、変な癖がついてると直された。
よし、明日は、思い切り、スピードを出して滑れるだろう。と思っていた。
ところが、浦和からのメールだ。
「門奈さん1人じゃ、シンポジウムにならない。だから何とか出て下さいよ」と言う。
それで仕方ない。早く切り上げて、浦和に行こうと決心した。
次の日は、昼の飛行機で千歳を出る。
羽田に着き、一度、家に帰ってから浦和に行く。浦和駅東口にあるパルコの9Fだ。そこにあるコミュニティセンターで集会は開かれている。
広いホールが参加者で満員だった。パネラーの門奈直樹さんに紹介される。
「初めまして」と名刺を渡したら、門奈さんも名刺をくれる。「でも鈴木さんとは以前にお会いしてるんです」と言う。
エッ、どこで? 「大阪のテレビ討論会で会いしました」と言う。「たかじん」かな。違うと言う。
じゃ、10年ほど前かな。「いえ、25年前です」と正確に言う。大阪よみうりテレビで、猪瀬直樹さんが司会をやってたと言う。
「ああ、あの厳しい番組か」と思い出した。
持参していたノートパソコンで調べてみたら分かった。本当に25年前だ。1991年(平成3年)だ。
1月17日に米・英など多国籍軍がイラク空爆を開始し、湾岸戦争が勃発した。その年だ。
2月24日には、湾岸戦争が地上戦に突入する。その前日の2月23日、大阪よみうりテレビに出たのだ。
「パラダイム・'91」で。テーマは「緊急対談! 和平なるか湾岸戦争」だった。
司会は猪瀬直樹氏。厳しくも、強引な司会だった。
パネラーは、加瀬英明、色川大吉、辻元清美、門奈直樹…と、豪華な顔ぶれだ。そこに私も出たのだ。
どんな話だったか。全く覚えてないが、激しい討論、厳しい司会だったと思う。
そうだ。4月2日の浦和の集会だ。そこで門奈さんに会い、25年前のテレビ討論会を思い出したのだ。
本筋に戻す。浦和で何の話をしたのか。まだ言ってなかったね。
実は、野党議員を励ます集会だ。〈私たちの手で選挙共闘を!〉と銘打ったシンポジウムだ。
今の自民の暴走をどうやって止めるか。安保法制、憲法改正をいかに止めるか。
それには、今夏の参院選で野党に頑張ってもらうしかない。
だから、野党を激励し、選挙協力をやれ!と圧力をかける。そんな集会だった。
又、民進党、社民党、生活の党などから、闘う決意・宣言文が読み上げられる。
又、子育てママ、奨学金で苦しんでいる学生などが挨拶し、苦境を訴える。
これは具体的だし、その闘いが、よく分かる。
そうだ。この一週間ほど前には、やはり、似た集会があった。
3月24日(木)、憲政記念館のレストランで5時から行われた集会だ。
〈戦後最悪の政治危機! 変革を目指す野党国会議員と語る会〉。
この日は、野党議員が20人以上も参加していた。会場は、国会の近くだし、議員も来やすかったのだろう。
しかし、4月2日は、浦和だから、皆、来れないのだ。
参院選を前にして、2つとも、かなり熱い集会になった。
さらに、こうした集会は、他でも開かれるという。
これはぜひ、国政の場にも反映してもらいたい。
浦和では、市民運動の人たちも含め、多くの人たちと話し合いをした。
全体の会議、シンポジウムが終わってから、小さく別れて、分科会のようにして話し合った。
さらに、打ち上げでも、飲み屋で、熱く語り合った。
連日、家に帰るのは遅いし、朝も早い。あまり寝てない。仕事が終わらないので、朝までかかってやる。大変だ。
翌日、4月3日(日)は、河合塾コスモの入塾式。
そして、4日(月)は大阪だ。最後にこの大阪の報告をしよう。
日本における現代アートの代表的存在の森村泰昌さんの個展・イベントに行ったのだ。中之島にある国立国際美術館だ。
この日は、招待者だけの内覧会。そしてオープニング・パーティだ。大きな美術館だ。とても奇抜なデザインで、森村さんのアートにはピッタリだ。
〈森村泰昌:自画像の美術史=「私」と「わたし」が出会うとき〉だ。
自らが名画の登場人物に扮し、名画の中に入り込んで、主張する。ゴッホ、フェルメール、レンブラント…の絵の中に入り込む。それを再び、「絵」として展示する。
又、自らが有名な画家になり切って、〈美術史〉を語る。
絵はどれも素晴らしいものだった。映画も2時間以上あるし、素晴らしかった。
「美術館に来た人にだけ見せるのじゃ勿体ない。一般の映画館にもかけたらどうですか」と森村さんに言いました。
「ウーン、考えておきましょう」と言ってたが、ぜひ実現させてほしい。
他にも、「三島由紀夫になり切って演説する映画」。そして、ロシア10月革命でのレーニンを描いた映画。今回の「美術史」と、この3つを1セットにして売ったらいい。あるいは全国の映画館で上映する。
今までの展示会の内容もぜひ映画にし、DVDにしてもらいたい。
森村さんと初めて知り合ったのは、三島の映像からだ。
森村さんが三島になり切って、大演説をする。本当に三島の演説を聞いているようだ。
そのうち、「今の美術界はこれでいいのか!」「それでも美術家と言えるのか!」と絶叫する。
「自分の世界」のことに移して、憂い、絶叫するのだ。凄いと思った。〈本気〉と〈芸〉の境目が分からない。
それ以来、森村さんの展示会は大体見てるし、何度か対談もした。
その一つは『美術手帖』に載ってるし、森村さんの本にも収められた。光栄なことだ。
まさに、世界が認める天才だ。こうした天才と同時代に生きているというのは、幸いだ。
私も、もっともっと勉強し、森村さんと又、対談ができたらと思っている。
又、『美術手帖』で対談させてもらった。これは光栄だったし、いい記念になった。
「ちょっと話があるんで、もう一つの会場に来てよ」と言われ、6時から「臨界の美術論Ⅱ」をやっている第二会場に行く。
何と、船を借り切って、元造船所跡地の展示会場へ行く。名村造船所跡地だ。凄い。
森村さんは世界に誇る天才だ。森村ワールドを堪能し、最終の新幹線で東京に帰りました。
⑥ニセコは、とてもきれいな町で、おしゃれな店が沢山あります。外国人の別荘も沢山あります。外国の人も大勢見かけました。まるで、スイスかオーストリアに来たような感じです。
前にこのニセコの町長さんだったのが逢坂誠二さんです。今度会ったら、「スキーに行ってきました」と言わなくっちゃ。
⑧4月2日(土)は、予定を変えて、早目に切り上げて、昼、東京に戻りました。夕方、6時から浦和のシンポジウムに出ました。浦和駅東口のパルコ9Fにある「浦和コミュニティセンター」で、〈私たちの手で選挙共闘を〉というシンポ・市民集会です。
第1部は、門奈直樹さん(立教大学名誉教授)と私が、20分ずつ講演。その後、トークです。
⑮これは次の日です。4月4日(月)、大阪に行きました。中之島にある「国立国際美術館」です。
面白いデザインの建物です。左にゴッホの絵が。でも、本当は、現代アートの森村泰昌さんがゴッホに扮して、描かれたものです。そうした奇想天外なアイデアで、「森村ワールド」を作っています。
4月5日(火)から6月19日(日)に行われる「森村泰昌・自画像の美術史」の前日で、この日は特別内覧会。オープニング・パーティです。それに呼ばれたのです。
⑯森村さんのアートを堪能しました。「森村泰昌・自画像の美術史」には、サブタイトルがついてます。〈「私」と「わたし」が出会うとき〉です。なかなか哲学的、実存的な問いかけです。オープニング・パーティの前に、森村さんが挨拶しています。
⑳同時に3ヶ所ほどで展示会をやってるそうです。「第二会場にも行きましょう。それに話もあるし」と森村さんに誘われ、行きました。
地下鉄で行くのかな。タクシーで割り勘で行くのかな。と思ってたら、船でした。中之島は元々、島ですから、船があるんです。市内遊覧の船には乗ったことがありますが、こういう船は初めてです。
㉕ゴッホの「仕事部屋」がありました。あれっ、私はアムステルダムで「ゴッホ美術館」に行ったけど、なかったな。
「いや、これは晩年、ゴッホが住み、そこで亡くなった場所」だ、と言います。近くにいた美術家が教えてくれました。
㉙5年ほど前、『美術手帖』で森村さんと対談しました。〈お茶と芸術〉というテーマで、話し合いました。実は森村さんの実家はお茶屋さんです。この近くなので、行ってみました。
お茶は、いろんな地方のお茶をブレンドして、その店のお茶を作るんだそうです。子供の頃から、そんな光景を見て、この天才芸術家が育ったのかもしれません。
㉛2人の対談は『美術手帖』に出たあと、森村さんの本に収められました。『なにものかへのレクイエム=20世紀を思考する』(岩波書店)です。
表紙の絵はロバート・ケネディ殺人犯のオズワルドでしょう。勿論、森村さんが扮してます。左の、逮捕する刑事も森村さんですね。
㉞東中野から中野に行く土手は、全部桜です。そのすぐ下は菜の花です。白と黄色の巨大なカーペットのようです。「これは素晴らしい!」ということで、ここ最近、東中野から乗る人が急激に増えてます。
又、JRも東中野から中野間は、この時期だけ、ゆっくりと走ります。皆さんもぜひ、見て下さい。
㉟この陸橋にも名前があるんです。「桜川橋」というんですが、あるいは昔は、ここが川だったのかな。桜と菜の花がきれいな川だったのか。あるいは、川はないけれど、桜や菜の花の見事さが、「まるで川のようだ」と驚かせたんでしょうか。