4月10日(日)。あの「ゴー宣道場」に出た。初めてだ。いや、ゲストとしては初めてだ。
「ゴー宣道場」が始まった頃は、何回か聞きに行ったことがある。その頃は、東中野駅前の骨法道場で開いていた。
小林よしのりさんと骨法道場の堀辺正史先生が意気投合し、現代の松下村塾を作ろう。と思ったようだ。2ヶ月に一度くらいずつ開いていた。
講師は堀辺先生と小林さん。それに時々、いろんな講師を呼んでいる。(「師範」と呼ぶ)。その時の記録はもう2冊の本になっている。
そのうち骨法道場では手狭になって、今のところに移った。品川区大崎にある人事労務会館3Fだ。ここは広い。200人近い人々が集まっていた。
それに、この200人。厳選された人々だ。だって、申込順に入れるのではない。初めから抽選だ。凄い。申し込みは10倍とも20倍とも言われている。
私もゲスト講師だから入れたが、一般参加で申し込んだら、とても抽選に入らない。
初め、骨法道場でやっていたと書いた。
小林さんは骨法の堀辺先生を尊敬し、大いに影響を受けていた。今描いている大東亜論、戦争論…なども、堀辺先生に刺激を受けて描いた部分が大きいようだ。
私も堀辺先生からは、とても大きな影響を受け、教えてもらった。
その堀辺先生が急に亡くなられた。それで、この日の「ゴー宣道場」は「追悼 堀辺正史氏。武士道と現代日本」だった。
正面に堀辺先生の遺影が置かれている。その前で、堀辺先生の思い出、思想。どんな影響を受けたか。現代日本にどんな影響を与えたか。などを皆で話しました。
小林よしのりさんの他、切通理作さん。高森明勅さん。笹幸恵さん。泉美木蘭さんの4人のレギュラー講師(師範)がいる。司会は笹さんだ。私はゲスト講師。
「鈴木さんは堀辺先生と親しかったし、もの凄い影響を受けていたというので、ぜひ話して下さい」と小林さんに言われたのだ。
場所も分からなかったが、骨法道場の幹部の人と東中野駅で待ち合わせ、連れて行ってもらった。助かった。1人ではとても行けなかった。
この日、私は2冊の本を持って行った。1冊は、『大武道』(vol.2)です。
堀辺先生の最後の講演が載っている。『葉隠』について語っている。亡くなる前日の発言だが、素晴らしいし、教えられる。
疲れた様子などは見られないし、武士道について熱く語っている。写真も出ている。目も輝いているし、翌日亡くなるとは思えない。
「ゴー宣道場」では、この本を紹介し、ぜひ読んでほしいと言った。
もう1冊の本は、私の『夕刻のコペルニクス』(Ⅲ)(扶桑社)だ。2000年3月にでいる。
週刊「SPA!」に私が「夕刻のコペルニクス」を連載していた。それをまとめたものだ。
この〈Ⅲ〉に堀辺先生のことを書いた。堀辺先生は愛国者であるが、決して「小さな愛国者」ではない。排外主義者でもない。
又、「日本のものは全て素晴らしい」と言う、今の保守派、右派の人たちとも違う。
日本の歴史を見るのでも、暗い面や悪い面もしっかりと見つめる。その上で、今の日本、これからの日本を考える。
今の保守派の中には、「日本は悪いことは何一つやってない」「世界中は日本に感謝している。中国、韓国だけが例外だ」と言う人がいる。
こんな脳天気な「愛国主義者」ではない。日本の暗い面、至らない面をもしっかり見ている。歴史を見る勇気がある。そこは、保守派とは全く違う。
堀辺先生には、格闘技、そして歴史観について教えてもらった。
私は、学生時代から合気道をやっていて3段だった。
初めて会った時、そのことを言ったら、黙って私の手を取り、関節を極める。
ギャーッと叫んだ。「これが関節技です」と言う。本物の関節技を教わった。
この後、少し、実際に骨法道場で習い、教えてもらった。
又、体を通じて武士道の歴史、日本の歴史について教えてもらった。
堀辺先生とは対談をしたり、いろんな本や雑誌で骨法道場のことを書いた。
でも、『夕刻のコペルニクス』に書いたのが、一番衝撃的だったようだ。反響も大きかった。
この『夕刻のコペルニクス』(Ⅲ)では、堀辺先生のことを大きく取り上げている。それも、3週続けて書いた。その3つのタイトルだが。
「首狩り族・日本人、蛮行をいかに昇華させたのか」
「錚々たる格闘家が堀辺正史師範に教えを乞うた」
「北一輝が夢想した「国民、天皇『進化論』とは」
1つ目は衝撃だった。又、3つ目も、ちょっと今なら大変かもしれない。
堀辺先生は北一輝が好きで、よく読んでいた。北は、「天皇も進化する」と言っている。
日本人も、国家も、進化しなくてはならない。そんな中で、左翼運動はなぜ自滅していったのか。先生に教えられて、私は再び北一輝全集を読み直した。
又、当時、格闘界の大物たちが骨法道場に通っていた。アントニオ猪木、船木、獣神サンダー・ライガー、ライオネス飛鳥などだ。
そんな格闘家に技を教えていたのだ。凄い人だと思った。
それと同時に、とても勉強家だし、理論家、思想家だ。これだけ学び、研究している格闘家はいない。
それに、整体も教えているし、体のことは何でも分かる。
私もよく電話で聞いていた。又、肩や腰などが痛い時は、実際に行って治してもらった。又、腰痛に悩んでいる多くの人々を紹介し、皆に感謝されている。
さて、『夕刻のコペルニクス』(Ⅲ)の話だ。先生と話をしていて、一番驚いたのは、「日本人は首狩り族だ!」と断言されたことだ。
そんなバカな。自虐的だ!と思った。
テレビなどで、「首狩り族」が紹介されるのは、アフリカの奥地にいる人々だ。それも、もういない。
しかし、先生は、そういう人々は、100人かその程度の数だ。日本では関ヶ原の合戦で10万と10万が戦い、その人たちが全て、相手の首を狩り合ったのです。と言う。
アフリカなど問題になりません。日本こそ「世界一の首狩り族です」と。
ウッと思った。悔しいが反論できない。「日本人は元々、首狩り族です。日本人は特別な偉い民族だと思ってるかもしれないけど、違います」と言う。これにはショックだった。
日本人は昔から平和的な民族で、礼儀正しいと、日本に来た宣教師も書いてるじゃないか。それなのに…。
〈日本人は戦いで敵に勝ったら首を狩って持って帰ったんです。ナマ首をどれだけ持って帰ってきたかが戦闘証明書になるわけです。我々は首狩り族の子孫なんです。その遺伝子が我々の中にずっと生きているから、今日の柔道の中に首を絞める技として残っているんです。また30秒押さえ込んだり一本というのも、そのくらい押さえ込んだら首を狩れるということなんです〉
ゲッ、そうなのか。確かに「首を絞める」のは柔道だけだ。世界のどこの格闘技にもない。首狩り族の子孫だからだ。
でも、そんな暗い、残酷なものは日本の歴史の中の「例外」じゃないのか。
その例外を強調するのは自虐史観じゃないのか、と恐る恐る質問したら、ピシャリとこう言われた。
〈いや、決して例外的なものではありません。それに切腹の歴史もあるし、仇討ちの歴史もある。これだって残酷です。鈴木さんも愛国者なら、明るい面だけでなく、暗い面も両方、見詰める勇気を持たなくてはダメですよ。明るい面だけを見てハシャいでいるのは狭くて卑屈な愛国心です。間違ってます〉
ただ、先生の話はこれだけでは終わらない。日本人は、この残酷な「首狩り族」を進化させたという。
〈でも、単なる野蛮にとどまらなかったんですよ。〈進化〉があったんです。そこが日本人の偉いところです。殺人術は剣道になり、武士道になったんです。自分の行動に命をかけ責任を取るというのが切腹ですし、武士道です。残酷ですが、それだけの責任感・義務感を持っていた。今の政治家にそんな責任感を持ってる人はいないでしょう〉
そうか。そういうことなのか、と思いました。
この「進化」については、北一輝から学んだという。
北一輝は、右翼のカリスマだ。しかし、右翼に限らず、一般の人も、日本人は天皇を慕い、天皇を中心に日本の歴史はあった」と思ってるだろう。
だが、北はそれはウソだと言う。
「日本人はずっと天皇を蔑(ないがし)ろにしてきた。天皇を島流しにしたりして、「乱臣賊子」ばかりだと。
だから、堀辺先生に言わせると、我々日本人は「世界最大の首狩り族の子孫」であり「乱臣賊子の子孫」になってしまう。
どこに日本人の誇りはあるのか。ただの反日・自虐じゃないのか。
確かに、天皇を島流しにした人間はいた。戦いを仕掛けた将軍、武士もいた。
でも、それは〈例外〉だろう。日本の天皇は萬世一系で、ずっと国民に慕われてきたではないか。
しかし、北一輝は言う。
〈所謂(いわゆる)『萬世一系の天皇』とは現天皇を以て始めとし、現天皇より以後の皇位を萬世に伝ふるべしと云う将来の規定に属す〉
そうか。過去のことを、ほじくって言い争っても仕方ない。現在、そしてこれからの問題だという。多分、当時の右翼の人も反発しただろう。
しかし北の目は〈将来〉を見ている。
北によれば国民も、天皇も進化するという。
萬世一系どころではない。民族も国境も越えて、人間が神に近づくという。
将来、人間は法律で強制されなくても道徳は本能化し、汚らしい排泄作用や交接作用もなくなり、『類神人』になるという。
これだけの想像力を持った革命家だったのだ。北一輝は。
堀辺先生は若い頃に北一輝を読んで感動し、北の言った〈進化〉とロマンに魅せられて武道をやり、〈進化〉した骨法を作った。
「歴史の見直しを始めたのも北の著作をむさぼり読んだからです」と堀辺先生は言う。
4月10日の「ゴー宣道場」では、そんな話をした。
堀辺先生に教えてもらったことがとてつもなく大きい。とても喋り切れない。書き切れない。
ちょっと疑問に思うことがあると、すぐ堀辺先生に電話をして聞いた。又、先生の方からもよく連絡があって、中野の「ルノワール」でお会いした。
武道のこと、日本の歴史のこと、人間という不思議な存在のこと、ありとあらゆることを聞き、教えてもらった。
自分にとっては、極めて貴重であり贅沢な時間だったと思う。
「ゴー宣道場」でその話をし、思い出しながら、これだけの先生はもう出ないだろうな、と思った。
だから、その報せを聞いて、全国から集まるんですよ。私も20年ほど前に一度、来たことがあって、圧倒された。再び見て、感動でした。
栗原さんは、新潟県新発田でやっている「大杉栄メモリアル」で知り合いました。大杉栄の研究家であり、大学でアナキズムを教えています。
大杉栄についての本もあるし、学生に対する奨学金の過酷な現状を糾弾した本もあります。新書では『現代暴力論』も書いてます。今、最も注目される作家です。
特に、この伊藤野枝がいいです。詳しいし、文章がいい。その〈現場〉に我々がいるような臨場感があります。
昔、竹中労や平岡正明が書いて、若者の心を揺さぶったあの文章のようです。
どうやって文章を勉強しているのか、といった「作家の秘密」も聞きました。
又、大杉栄や伊藤野枝は、今こそ読まれるべきだ、といった話になりました。
終わって、近くの店で二次会。大いに話が盛り上がり、遅くまで飲みました。
私もそこに出席し、藤本敏夫さん(元全学連委員長)や、小林興起さんと出会った。とても貴重な場を作ったくれた人だ。
他にも、通産省の官僚や政治家も出ていて、世界が広がった。そんな時の話を、懐かしく、しました。
食事も、美術館のレストランで済ませ、アートな1日でした。
『井浦新の美術探検=東京国立博物館の巻』(平凡社)、石鍋真澄訳の『カラヴァッジョ伝記集』(平凡社)、杉本美帆子の『イラストで読む奇想の画家たち』(河出書房新社)を買ってきて、今、読んでます。皆、面白いです。
夜、テレビのニュースで驚いた。熊本で大地震だ。大変だ。熊本には何度も行ってる。とても心配だ。
そんな高い万年筆を使っていたのか。直って又、書けるようになった。嬉しい。これから、どんどん原稿を書けるでしょう。
又、鉛筆を使うことが多くあり、それで思い切って電動鉛筆削り機を買った。高いし、ちょっと贅沢かな、と思ったが、仕事に必要なものだし。本と文房具にはお金を使っていいのだ。
石川啄木は、洋書を初め、本を買い漁った。金を乱費した。でも、その本は全て読んで、勉強していたという。ドナルド・キーンの『石川啄木』(新潮社)を読んで知った。
本のためなら、アパートの部屋をもう2つも借りる人もいるし、本に金を使う人は、皆、いい人なんだろう。
大阪で私の読者会をやった時に出た人が、「金曜日の中野読者会に出るので、ぜひ来て下さい」と言われて。
金曜日もよく頑張っている。今、週刊誌はどこも大変だ。そんな中にあって、金曜日だけは講読料が切れても、読者の方から8割以上は次の誌代を送ってくるという。こういう雑誌は他にない。
私も、いろいろ書かせてもらったり、坂本龍一さんとの本を作ってもらったり、お世話になっている。読者との「対談」を作ったのは、こういう「読書会」を全国でやっているからだ。感心しました。
中野区社会福祉会館で。講師は「週刊金曜日」の北村肇さん。〈「安倍改憲」をぶっ飛ばすために〉。私も喋らされました。皆、熱心だ。感心しました。
家に帰る途中、東中野に降りて、ポレポレ東中野に寄る。「無音の叫び声」の上映は終わっていたが、原村政樹監督と赤坂憲雄さん(民俗学者)のトークだけを聞く。
終わって、近くの店に誘われて飲みました。
①4月10日(日)午後1時から、「ゴー宣道場」にゲスト講師として出ました。品川区大崎の人事労務会館。「追悼 堀辺正史氏。武士道と現代日本」。堀辺先生のこと、武士道、そして日本について話しました。小林よしのりさんの右は司会の笹幸恵さん。私の左は泉美木蘭さんです。
⑬「次の映画に出てくれ」と突然言われました。「前に撮ったのは18年前だから、次回作はきっと18年後だよ」と寺脇研さん。じゃ、私は90じゃないか。動いてたらいいですよ、と言いました。監督は、「いいシナリオ書きますから」と言ってます。
⑭4月9日(土)午後1時から、「武蔵浦和コミュニティセンター」第7会議室で、「埼玉市民ジャーナリズム講座」で話しました。テーマは「討論の自由と政治」。コーディネーターの門奈直樹さん(立教大学名誉教授)。初めに私が1時間、講演。
⑯門奈さんが持ってきてくれたのです。25年前に2人が会った大阪よみうりテレビの台本です。1991年(平成3)の2月23日、猪瀬直樹さん司会の「パラダイム91」。テーマは「緊急対談! 和平なるか湾岸戦争」でした。「その時のビデオを家でもう1回、見てきました」という。
そして、その時の台本を見せてくれた。しかし、25年前の台本なんてよく持っていたもんだ。メモも書かれている。
⑰門奈さんはイギリスにも住んでいて、いろんな研究をしていた。日本のように「愛国心を学校で教えよう」なんてことはない。その代わり、市民(シチズン)として立派に生きることを教わる。それを教師が教える教科書だ。
左は、「Global citizen ship」と書かれたテキスト。右は、「Teacher's guide」です。Responsibilities、rights & diversity」
⑳時間前に着いたので、会館の内を見学しました。この「武蔵浦和コミュニティセンターの中には、老人福祉のフロアーがありました。いいことです。なぜ、それが「武蔵浦和荘」なんだよ。
そしたら、近くにいたご婦人が教えてくれました。「埼玉県では老人福祉のセンターは、皆、○○荘と言う名前がついてるんです。東京もそうでしょう」。そうか。寅ちゃんのひかり荘。私のみやま荘。それに、マカロニほうれん荘。…皆、老人福祉施設だよ。
㉛トークが終わって、関係者で。森鴎外の曾孫さんですね。左は。この前、ビデオを見ました。お話を聞かせてもらいたいです。栗原さんの隣は平田君ですね。長野から来てますね。後ろは、蜷川みほさんですね。そして、坂元ユージンさん。