熊本の大地震のニュースを見て、心が痛む。
毎日、テレビのニュースを見、新聞を読んでいる。
あの堅固な熊本城も石垣が崩れ、崩壊しつつある。どんな強敵が来襲してもビクともしなかった熊本城だったのに。
私は熊本には何回か行っている。一番最近では、熊本刑務所に行き、その後、熊本城に登り、そして田原坂(たばるざか)を見て、その記念館を見た。
タクシーには随分と乗った。でも、それだけの価値のあるところだと思った。
どんな強敵にも耐えた熊本城が、地震で大きく崩れている。あの美しい城が、崩れている。
熊本地震で崩れるとは加藤清正も思わなかっただろう。
あっ、あの時、見たんだな、と思い出した。つい昨日のことのように思えるが、そんなはずはない。
「年表」を見てみたら、10年ちょっと前のようだ。
2007年(平成19年)の1月1日に、よど号事件のメンバー、田中義三さんが亡くなった。多分、その2年前だろう。田中さんの面会に熊本刑務所に行ったのは。とすると、今から11年前か。もうそんな前か。
1970年に、よど号ハイジャックが起こり、赤軍の9人は北朝鮮に亡命した。
この後、ずっと彼らは北朝鮮にいると思われた。しかし、結構国外に出ていたのだ。
ヨーロッパのいろんな反戦集会に出たり、リビアのカダフィが主宰する青年集会に出たり。
又、日本からも多くの人が激励に行った。居ついて、奥さんになる人もいた。
「よど号」グループの田中義三さんは、タイ、そしてベトナム、カンボジアなどに行っていた。経済活動をしていた。
「自分たちは近く、日本に帰る。その時の経費だけでも稼がなくてはならない」。そんな使命感で行っていた。
現地の人と一緒に、貿易などの仕事をしていた。
だがアメリカの察知するところとなる。「こいつはハイジャック犯だ」と。
そのことで、カンボジアの警察に伝えて、逮捕させるわけではない。
アメリカは、自分だけで、いきなり田中さんを逮捕した。
そして、タイに連れて行き、そこで裁判が始まった。容疑の「ニセ米ドル事件」はタイで起こっていたからだ。
でも、田中さんは全く関係してない。タイはアメリカの圧力に負けずに、中立の裁判を貫いた。
この時、宮崎学、塩見孝也、雨宮処凛などが中心になり、「田中義三激励ツアー」を組織した。毎回、40人以上の人たちが、タイに行った。どんどん増えた。
タイの裁判所はアメリカの圧力を撥ね返し、「ニセ米ドル事件」では、田中さんに何と「無罪」を言い渡した。
しかし、ハイジャック事件があるので、日本に強制送還された。
そして、「よど号」の裁判が始まる。
私も「証言」した。こんな優秀な人をこれから何十年も刑務所に入れるなんて、「国家の損失」だ。早く出せ! と。
でも、有罪となり、田中さんは熊本刑務所に送られた。
入獄してすぐ、私は面会に行った。つい昨日のことのように覚えている。だが、もう11年も前なんだ。
熊本刑務所に面会に行った時だ。
朝一番の飛行機で行き、最終の飛行機で戻ってきた。空港からバスを乗り継いで刑務所に。
会ったら田中さんの目が真っ赤だ。「鈴木さんに会えると思うと、昨日は全く眠れませんでした」と嬉々として言う。
あっ、いい人だなと思った。〈親友〉だと思った。
こんな人と大学時代に知り合っていたら、北朝鮮だってどこだって行っただろうなと思った。
当時の学生運動の人には、そんな魅力的な活動家が多かった。
時間を忘れて、田中さんとは話し合った。
面会が終わってからは、そうだ、ここまで来たんだから、熊本城に行こう。と思い、行った。又、田原坂も行った。
ここは西南戦争の時、西郷軍と政府軍が戦った主戦場だ。
田原坂記念館を見て、さらに、三島由紀夫が『奔馬』を書く舞台になった神社や記念館にも行った。
久しぶりに又、行ってみたいと思ってる時にこの大地震がきたのだ。その熊本が大変なことになっている。心が痛い。
そして政治の世界でも激動が起きようとしている。「一強多弱」の体制が変わりつつある。
北海道では強力な野党共闘ができ、自民を倒そうとしている。
又、全国の「反自民」の勢いの前に、初め自民がやろうとしていた「衆参同時選挙」はなくなった。
TPPの審議も持ち越しになった。「憲法改正」の無理押しもできなくなるだろう。…と、そんな動きについては「だいありー」や「写真説明」を見てもらいたい。
やたらと忙しくて、自分の仕事もできない。
でも、6月には岩波から本が出る。そして、5月1日には、「アンソロジー『テロル』」(皓星社)が出る。
又、バタバタと動いている中で、いろんな人に会い、刺激を受け、学んでいる。
昔から本を読んでいた、民俗学者の赤坂憲雄さんに会った。シールズの奥田愛基さんに会った。元札幌市長の上田文雄さんに会った。
もっともっと多くの人に会い、本を読み、そして、自分を大きく鍛えていきたいと思う。
甲野善紀さん、佐野史郎さんに会って、特にそのことを感じた。
吉田松陰は言っていた。学び、勉強するとは何か。尊敬する人に出会い話を聞くこと。そして、自分の知らないことを本で読むこと。この二つだと。私も、そう思いますね。
このあと、「呼びかけ人」からのアピール。人が多いので「3分」で、と言われ、「もう2分」「もう1分」「オーバーです」と、紙が出てくる。大変だ。
佐高信、河合弘之、古今亭菊千代、奥田愛基、神田香織、松井久子…など。私も挨拶しました。
国会議員も大勢来てました。有田芳生、松木けんこう、日本共産党の小池晃、穀田恵二…などなど。皆、譲り合って共闘し、自民に立ち向かっている。大きな風が吹いている。「CHANGE」日本だ!
集会は5時まであり、そのあと、溜池山王へ。ANAコンチネンタルホテル。ロシアに行っている木村三浩一水会代表の代理で、この会に出る。
2千人以上が集まっている。もの凄い熱気の集会だった。「為公会と語る集い」。麻生太郎さんが代表。副代表は鴻池祥肇さんだ。鴻池さんと挨拶した。
途中で出て、車で、文京シビック小ホールへ。6時から月刊「創」主催でやっている集会に出る。こちらも、もの凄い人で、立ち見も出ている。
〈「安田純平さんの生還を願い、戦場取材について考えるシンポジウム〉だ。多くのジャーナリスト、評論家が出て、議論している。
シリアに義勇兵で行って、重傷を負い、帰国した青年の話もあった。
終わって、打ち上げ会に。多くのジャーナリストに会う。夏の参院選に出る増山れなさんにも会う。社民党から出る。張り切っていた。
夜、最終の電車で帰る。
第1弾は「闇市」。
第2弾は「街娼」。第3弾は「人魚」。そして第4弾がこれだ。鈴木邦男編「テロル(TERROR)」。日本のテロに関する決起文、獄中記…など、歴史的文書、名著を集めて1冊にした。そして私が解説を書いている。
怖い本だ。でも、きちんと見つめるべき歴史だ。石川啄木「ココアのひと匙」。内山愚童「入獄記念」。安重根「自叙伝」。朝日平吾「死の叫び声」などなど。難波大助、中浜晢、古田大次郎、金子文子…などの文も。山口二矢、三島由紀夫などの文も。とても貴重な本だ。
私も緊張し、苦労して「解説」を書いた。
福島みずほさん、内田樹さん、増山れなさんなどに挨拶し、8時半までいて、急いで高田馬場へ。
今日は一水会フォーラムだ。二次会にだけは参加しようと車で行く。一水会フォーラムの講師は本間達也さん(医学博士・医療法人生愛会代表)。「昨今の日本人の死生観を考える=医療とナショナリズムの視点から」。
本間さんは、福島でお医者さんをやっている。若い時は、民族派運動にも関わっていたという。いい話だったと皆、感動していた。
来月、「レコンキスタ」に講演内容が出るので、私は、それを読むことにする。
二次会でも人が多く、話も盛り上がっていた。「老人医療」は皆、身近な問題なので、必死に考え、話している。
終電で帰った。
ここでこんなに人が入ったのは初めてだ。甲野さんの力だ。そして佐野さんの力だ。
「武術と芝居・映画」。どう関係あるのかと思ったら、「肉体を使った表現」としては同じだ、という。
それに、2人は何と、25年前からの知り合いだという。本で、甲野さんの武術理論に感動した佐野さんが会いに行ったのだという。
7時から10時半まで、ずっと熱い話が続く。
終わって、2人と話しました。
佐野さんは若松映画にも出ていたし、私も何度か対談、トークをさせてもらった。
甲野さんは、最近亡くなった骨法の堀辺先生の話をした。お互いに認め合っていた。ぜひ対談してほしいと思っていた。
「前に一度、お会いしたことはありませすが」と甲野さん。この代官山でも、お二人で話ししてもらいたかったのに、残念だ。
この日は、甲野さん、佐野さんという異色の顔合わせのせいか、聞きに来た人の中でも、あっと驚かされた人がいた。
マジシャン、ボクサー、空手家、お相撲さん、そして、「グラバカ」を主宰する「寝技世界一」の格闘家・菊田早苗さんだ。
菊田さんは佐野さんと以前からの知り合いで、芝居もよく行ってるという。意外な出会いがあり、驚いた。
ついつい話し込んでいて、終電でやっと帰る。電車も凄い混みようで、殺人的ラッシュだった。
①北海道5区補選の野党統一候補・池田まきさんを東京から応援する集会が4月19日(火)、開かれました。午後1時から衆議院第一議員会館第6会議室で。私も呼びかけ人になってます。超満員でした。
初めに、元札幌市長の上田文雄さんが講演。ご自分の選挙を振り返って、野党〈共闘〉を考えます。テーマは、〈一本化で日本を変える。「教えて、上田さん」〜共闘実現への道筋〉。
②「呼びかけ人」9人が、正面にズラリと並んだんです。満員だから、それはいいのですが、写真は撮れない。部屋の中を見渡しても写真を頼める人はいない。仕方なく、自分で撮りました。正面に並んだ「呼びかけ人」を、横から撮るのです。
神田香織さん(講談師)が話してます。その前は、隣りにいる古今亭菊千代さん(落語家)が話しました。神田さんは、「落語家のあとは講談師。これじゃ、まるっきり寄席ですね」と皆を笑わせながら、応援の弁を述べます。
④高野孟さんが挨拶しています。それを私は後ろからカメラに撮ってます。なんか変なアングルですね。知り合いの人に頼んで、写真を撮ってもらおうと思ったんですが、「会社だ」「仕事だ」「転んでケガをした」…という人ばかりでてんてんてん。誰も来れなくて、私が撮ってます。だから、こんな写真になるんですよ。
⑤元札幌市長の上田文雄さん。山口二郎さんと。山口さんは元・北大の教授。今は法政大学の教授です。今度、野党共闘で出る池田まきさんは「私の教え子です」と山口さん。元札幌市長の上田さんとは初対面。でも、「坂本龍一さんとの対談本読みました」と言われました。いやー、嬉しいですね。今度、どこかで対談できたらいいなと思いました。
⑥SEALDs(シールズ)の奥田愛基さん、講談師の神田香織さんと。シールズの人は何人か会ってますが、奥田さんとは初めてです。そう言ったら、「僕は鈴木さんの本を中学生の時から読んでましたよ」と奥田さん。思わず、「本当かよ!」と言いました。
奥田さんのお父さんはキリスト教の牧師さんで、奥田さんは、そんな境遇にも反発し、政治の本を読みだした。そんな中で、読んだという。お父さんは牧師さんだから、愛基という名前を付けたのか。「愛する基督(キリスト)」だよ。「いえ、そんなことはありません」と言ってたが、きっとそうですよ。牧師さんなんだから。
⑦多くの国会議員が来てました。松木けんこうさん。それに日本共産党の小池晃さん、穀田恵二さんに会いました。全国で進んでる「野党共闘」では、共産党の力が大きい。よくやっている。「随分と寛大になって、譲ってますよね。偉いですね」と言ったら、穀田さんが、「いや、そんなことはないですよ」。「小池さんは腹が出てきたと言われてますが…」と言ってました。腹が大きく人間も大きくなったんでしょう。
⑨4月19日(火)は、「野党共同候補 池田まきさん支援集会」に出て、夕方6時から、ANAインターコンチネンタルホテルへ。木村三浩一水会代表に頼まれていたので。「ロシアに行っていて、いないので、代理で出て下さい」と言われていたのだ。
でも、何の集まりだろう。「為公会と語る夕べ」と書かれている。国会議員の集まりのようだ。もの凄い人だ。2千人くらいいる。
⑪と思っていたら、麻生さんの隣りに鴻池祥肇(こうのいけ・よしただ)さんが。そうか。鴻池さんは麻生派のNo.2なのか。それで私がここに来た理由が分かりました。
鴻池さんに挨拶しました。「木村代表がロシアに行ってるので、私が代理で来ました」と。「申し訳ないですね。先輩を使っちゃいかんですね」と鴻池さん。いやいや、鴻池さんは、度量の広い人だ。一水会が安保法制について抗議に行った時も、キチンと会って話を聞いてくれた。早大の剣道部だったし、腹が据わっている。それに、選挙で、こんな難しい名前を多くの人に書かせて、当選するんだから、もの凄い支持があるのだと思う。
⑬今日は忙しい。「野党共闘の池田まきさんの応援集会」に出て、次には麻生さんの集会に出た。前の集会では、「野党共闘頑張るぞ!」と、皆でこぶしを上げました。でも麻生派の集会では、「野党共闘を許さないぞ!」「打ち破るぞ!」と言ってこぶしを突き上げました。
そして家に帰ろうとして、ハッと気がつきました。あっ、もう一つ集会があった。月刊「創」がやっている。「ぜひ、出てくれ」と言われていた。それで、もう終わり頃だったが、行った。「創」主催。文京シビック小ホール。〈「安田純平さんの生還を願い、戦場取材について考える」シンポジウム〉だ。超満員だった。壇上には、パネラーが。
⑮マスコミも何社か来てました。NHKもいます。まさかNHKは放送しないだろう。「資料映像」として撮っておくのだろう。と思ってましたが、何と、翌日、昼前のニュースで流してました。「創」主催のシンポジウムがNHKに出たなんて、初めてでしょう。それだけ大きな問題なんだ。
⑯シリアに行って義勇兵として戦ってきたという青年が発言してました。よく生きて帰れたものだ。このあと、彼と、いろいろ話しました。どこかで、じっくり話を聞きたいです。彼の体験は1冊の本にまとまって発売されてます。鵜澤佳史『僕がイスラム兵士になってシリアで戦ったわけ』(金曜日)。当日、売ってたので、買って、今読んでます。
⑱「あっ、鈴木さん!」と言われました。増山れなさんでした。芸大出のアーティストです。学生時代から個展を開いて、それが売れてました。夏の参院選には社民党から出るそうです。凄いですね。これもアートですね。
㉒終わって。原村監督。赤坂憲雄さんと。このあと、居酒屋で飲みました。「あっ、昨日と同じとこで、同じ席だ」と思いました。
赤坂さんの本は昔から、読んでました。又、かつて民俗学がブームで、まるで革命のように本が出たことがあり、私も随分と読みました。その頃の話を聞きました。「実は私もルーツは会津なんですよ」と赤坂さん。そうなんですか。又、ゆっくり話を聞きたいです。
㉕私は学校の授業があって、途中から出席しました。人、人、人で、全く立ってるとこも歩くとこもない。終わって、福島みずほさんに挨拶しました。そしたらその後ろで、ピースサインをしてる人が…。背後霊でしょうか。いやいや、内田樹さんです。お茶目ですね。