一体、この本は何なんだ! と思った。こんなことを書いていいのか。
いや、それ以前に、そんなことがあったのか。そんな〈計画〉だけもあったのか。
それですぐに読んでみた。本のタイトルはこうだ。
『三島由紀夫 幻の皇居突入計画』(彩流社。1800円)だ。
日本には三島を研究し、議論する人は多い。何十人。いや何百人だろう。
自分の本や原稿の中で三島について、事件について触れたことがある人は多分、何万人といるだろう。
でも何万人もの作家・編集者がいたとしても、こんな「危ない題の危ない本」をかける人は他にいないだろう。「三島事件は昭和史における大きな謎だ」 と言う。
さらに帯には、こう書かれている。
〈謎の解明には檄文の読解が重要である。
檄文こそが謎解明を阻んでいる壁である。
政治的にではなく文学的に、
西欧的な知の枠組みのなかで、「三島」を解剖する〉。
ウーンと唸った。
表紙は三島と「楯の会」だ。国立劇場の屋上でやった「楯の会」のパレードだ。
それにしても、このタイトルと帯だ。三島について詳しい、あるいは書いたことがある人でも、皆、この問題では口を閉ざし、黙り込む。
私だってそうだ。三島に関しては、何千冊という本を読んできた。
しかし、この「突入計画」を正面から取り上げた人はいない。言及するにしても、「そういえば、そんな噂はあった」というくらいだ。真正面から取り上げることはない。
いや、取り上げるには余りにも「危ない」テーマなのだ。三島や「楯の会」は、そんなことを考えるはずはない。そう思って、その先に進もうとしない。
私だって、そうだ。そんな「噂」はあった。しかし、それは現実にはない。「2,26事件を研究していて、自分たちも…」と一瞬、思ったことはあるのかもしれない。
しかし、「いやいや、時代が違う。そんなことはできない」と思い、やめたのだろう。私も、ずっとそう思ってきた。
それに、たとえ「一瞬、思った」にしても、その先には進まない。これは怖い話だ。
しかし一体、誰がこの本を書いたのだろう。
読み始めた。そして最後まで読んだ。文章はうまいし、高級な推理小説のようでもある。
目次を紹介しよう。読んでいて、我々は何か大きな勘違いをしてるのではないか。そう思った。
では目次だ。
はじめに 「三島事件」は計画変更の結果だった
第一章 事件1年前まで、三島は憲法改正を主張していなかった
第二章 文学作品創作と同じ方法論で行動計画は練りあげられた
第三章 楯の会を作るために、祖国防衛隊を構想してそれを壊した
第四章 昭和44年10月21日、決起計画はすべて紙屑になった
第五章 挫折を乗り越えて自衛隊乱入へ--楯の会会員のために
第六章 本来の計画は皇居突入だった
第七章 皇居突入計画と絶対者への侵犯
おわりに 三島由紀夫を相対化するために
今、こうして〈目次〉を写していても、背筋がゾゾーッとする。恐ろしい。
あの自衛隊での決起、あれは、「計画変更の結果」だったという。「本来の計画は皇居突入だった」と。
初め、この〈目次〉を読んだときは、「そんな馬鹿な!」と思った。「そんなことは絶対にありえない」と思った。荒俣宏の『帝都物語』のように小説として書くべきことだろう、これは。と思った。
はっきり言って、舐めていた。半信半疑という言葉があるが、〈半分〉ではない。全面的に疑っていた。全く信じていなかった。
ところが、読み始めたら、やめられない。この本が、私を離さない。やめたくても、やめられない。
そして一挙に読んでしまった。本の中に魔物がいて、引き込まれ、脱出できなかった。そんな感じだ。
自分の感情、思想、体験から見て、「そうだ」「その通りだ」と思える読書は、読書としてのレベルが低い。
「そんな馬鹿な」「いや、違うだろう」と思い、自分に襲いかかってくるものが、より高いレベルの読書だ。
さらに、全く思ってもみなかったことで圧倒され、説得し、今まで自分が考えた一切を破壊され。それこそが「最高の読書」だ。
人は一生のうちに、そんな体験をすることは、ほとんどない。レベルの低い読書のために、レベルの低い甘いささやきをして売ろうとする本が多いからだ。
その意味では、この本は、最高度のレベルの高さだ。
「そんな馬鹿な!」「三島や楯の会がそんなことを考えるはずがない!」「俺はその時代に痛んだ!」「三島も楯の会の人間も、随分と知ってるよ!」と叫びたい。
正義や真実は我が方にある。そう確信しながらも、なぜか、自分の確信が、グラグラと揺れ、打ち崩されていく。ヤバイ!と思った。
「三島や楯の会のことを知ってたつもりでも、お前の体験なんて、たかが知れている。もっと広い視野で見ろ!」。そう言われているようだ。
誰だ、こんなことを言うのは。でも知らない人だ。
それにしても、これは今までの三島研究とは全く違う。
多くの人は、チラッと「噂」は聞いても、瞬時に、「ありえない」と否定した。あるいは、それを考えるのが怖かったのかもしれない。
長年、運動をやってきた自分自身が否定される。そう思う。「自己保身」かもしれない。
じゃ、この本を書いた人は、〈活動家〉ではないだろう。「活動家は自分の活動からしか学んでない。それではダメだ」と言われているようだ。
三島を「自分の理解できるレベルに落として、理解してはダメだ」と叱られているようでもあった。
「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がある。私は、自分の活動からは学んでない。愚者なんだろう。
じゃ、この著者は〈歴史〉から学び、そして、三島を再発見したのか!
私の三島理解、三島事件への理解が、ガラガラと崩れる。大変だ。大崩壊だ。
最後のページに書かれた著者のプロフィールを読んだ。アッと叫んだ。
もしかして、私の弟ではないか。
そうか、本を出すとは聞いていたが、これが、そうだったのか。
余りに凄い内容だったので、ボーッとなって、弟の名前も忘れていたのだ。
では、著者紹介だ。
〈鈴木宏三(すずき・こうぞう)〉。1945年 仙台生まれ。現在山形大学名誉教授。1968年 東北大学大学院文学研究科修士課程(英文学専攻)修了。山形大学教養学部、人文学部教授。2004年退職。専門は、17世紀英文学、とくにジョン・ダンの研究。他方で、兄・鈴木邦男(元一水会顧問)の影響で、三島事件にも関心を持ち続けてきた。三島を政治的にではなく、文学的とくに西欧的な知の枠組みのなかで理解することが必要だと考えている〉。
イギリスのメタフィジカル・ポエムの研究をしてると聞いていた。私は全く分からない。ジョン・ダンも知らない。
著者は子供の時から優秀で、東北大学大学院を出て、山大の教授になった。
「宏三」の名が示すように三番目の男だ。一番上の兄も東北大学で、工学部だ。そこを出て、自動車会社に勤め、そのあと商社に勤め、アメリカの支店長を長くやった。
真ん中の兄だけは、頭が悪くて、東北大学には入れそうにないと思い、東京の私立に行った。
上と下の兄弟が優秀で、自分だけがダメというコンプレックスからか、後に右翼運動に行く原因になったようだ。
だから、「愚かな兄」の影響で三島に関心を持ったのではない。
むしろ、こんな形で三島を理解したんでは三島はかわいそうだ、と思ったのだろう。英文学者としてそう思った。
右翼運動家はその狭い世界からしか世の中を見ない。その限界がある。
そこを軽々と飛び越えて、西欧的知の枠組みから、三島を客観的に見た。
そして、三島は本当は何をやりたかったのかを考えた。
ウーン、と私は唸りましたね。こんな形で三島や楯の会を見た人はいない。
実際、私だったら、とても書けない。「運動家としての限界」があるからだ。
今は、隋分と自由になったとは思うが、この「限界」はずっとついてくるようだ。
これは、いろんな人に読んでもらいたい。そして、そうした人たちと話をしてもらいたい。
私の本ではとてもこうはいかない。私もショックを受けている。
これから三島について考える時、この本が、どうしても気にかかる。こ
れからは、私の本の「著者紹介」には、こう書かれるかな。
「長年、右翼運動をやってきたが、老年になって、弟の本に影響を受け、大転換をした…」と。そう思わせる本だ。
「じゃ、兄弟対談を!」と無責任に言う人がいるが、嫌ですよ。私は、とてもかなわない。
子供の時から弟の方が勉強ができ、字もうまかった。習字を習ってたにもかかわらず、私はずっと字が下手だ。
だから、カバンや大事なものに名前を書く時は、自らの字の下手さを恥じて、弟に「書いてくれよ」と頼んだ。こんなことが沢山あった。
又、弟から来た年賀状を見て驚いた。「母は会津出身で、会津を舞台にしたNHK大河ドラマの主人公と似た気性だった。大河ドラマを見ると母のことを思い出す」と。
エッ、知らなかった。母は弟にはそんな話をしてたのか。イデオロギーに凝り固まった愚かな兄では言っても分からないと思い、言わなかったのだろう。
又、秋田県横手の「たいまつ」の、むのたけしさんとは父はよく会って酒を飲んでいたという。これも全く知らなかった。
むのさんは私も尊敬してるし、話を聞いたこともある。
でも父と知り合いだったとは知らなかった。
父は横手の税務署長だった。新聞記者のむのたけしさんは、いろんなとこに行き、いろんな人と話し取材した。だから税務署の署長にも会いに行ったのだろう。
しかし、そのことを父から聞いたことはない。
こいつは言っても無駄だ、考えが狭いから、と思い、聡明な弟にだけは話したのではないだろうか。
そんなこと、あんなこと…を思い出した。三島事件という「昭和史の謎」に挑戦した本を読みながら、私は、もう一つのパラレルワールド「鈴木家の謎」を考えていました。
ともかく、衝撃的な本です。もう、これ以上の「三島本」は出ないでしょう。
悔しいが、愚かな兄では、逆立ちしてもかないません。
夜中の1時近くになって、やっと解散。楽しかったです。
終わって、タクシーで六本木へ。去年の3月に私をソウル大学に呼んでくれた朴先生が来日し、セミナーに出席する。それを聞きに行く。国際文化会館。「アメリカと語る日中韓=だから“日中韓”の絆の再発見」。
パネラーは4人。ジェラルド・カーティスさん(コロンビア大学名誉教授)。朱建栄さん(東洋学園大学人文学部教授)。朴喆熙さん(ソウル大学校 国際大学院教授、日本研究所所長)。石川好さん(作家)。とても貴重な話で、勉強になりました。
終わって、朴先生ともお話ししました。石川好さんとは久しぶりです。
6時、文京区民センター。「参院選・東京選挙区 増山れな」応援団集会。沢山の人が来てました。私も応援団として、挨拶しました。
③6月3日(金)には、この本が発売されます。私の『愛国心に気をつけろ!』(岩波書店)です。岩波ブックレットの1冊として出ます。580円です。〈日本への愛を汚れた義務にするな!〉と表紙には書かれています。さらに、〈「愛国運動」に身を投じてきた著者が、排外主義が高まる社会に覚悟をもって挑む〉。
⑧5月7日(土)。静岡に行ってきました。午後6時から、スナック「バロン」15周年記念パーティです。「バロン」マスターの植垣康博さんと。連合赤軍事件に参加、逮捕され、27年間も獄中に。出所後、静岡でスナックをやって15年。ご苦労さまでした。
⑨植垣さんと息子さんの龍一君。右翼の結社「黒龍会」から採ったのかと思ったら、「中国の黒龍江ですよ」と。奥さんが、その近くの出身の美女です。だから息子さんもイケメンで、頭もいいです。小学校5年ですが、女性にモテるし、告白されたり、手紙をもらったりします。でも、「女なんて、メンドーくせえよ」と言ってます。お父さんにテレビを見て質問します。「ソーカツって何?」「本当にあんな酷いことをしたの?」「人を殺したの?」。
⑫私も挨拶しました。「もう20周年はいらない!」「飲み屋のマスターから解放しろ!」と叫びました。皆は、ポカンとして聞いてません。手前、左は山平重樹さん(作家)。右は岩井さん。右端は植垣さん。何と、自分で司会をやってます。他に人がいないのでしょうか。
⑬タレントの愛さん。飛松さんです。愛さんの事務所には、他に、心ちゃんがいます。私と3人集まって、「愛国心だ!」と言って騒いでます。かなるちゃんも加わると、「愛国心かな?」になります。そうか、岩波ブックレットも、4人が揃って、「〈愛国心〉かな?」にしたらよかったかな。でも『愛国心に気をつけろ』もいいですね。最近は、『鈴木邦男に気をつけろ!』と言われてます。うん、そんな本も作りたいですね。
⑭〈「深川の人形作家」石塚公昭の世界〉展に行ってきました。江戸深川資料館で。5月6日(金)に。三島、乱歩、川端などの人形を作ってます。さらに、その人形と写真・絵を組み合わせ合体した作品も発表しています。左は石塚さん。作品は三島と、金閣寺です。いいですね。迫力があります。
⑲「帝都探検隊」の人たちと、行ってきました。上野にある国立科学博物館は、皆、知ってますよね。私も時々、行きます。その附属として、「自然教育園」があるんです。上野から離れた目黒に。隣りには「東京都庭園美術館」もあります。自然が残っているし、手つかずのままに保存しています。
㉒「東京の中心。等々力(とどろき)には大渓谷があると聞きました」と、帝都探検隊の人が言います。荒俣宏の『帝都物語』の愛読者なのでしょう。等々力といえば、自由が丘、白金のすぐ隣りです。東京の中心であり、高級住宅街です。そんなとこに“渓谷(けいこく)”なんてあるはずがないよ、と私は答えました。でも、あったんですね。等々力から歩いて5分。まるで〈地下帝国〉のように、その渓谷はありました。
㉔「等々力の滝」です。昔は、もっと大きくて、ここで修験者は滝に打たれて修行したそうです。凄く大きな滝で、その音が轟々ととどろき渡ったそうです。それで「等々力」(とどろき)」という地名になったそうです。全く知らなかったですね。
㉖目黒雅叙園では、「百段 生花展」が開かれてました。「百段ひな人形」も素晴らしかったですが、この生花も素晴らしかったです。中は撮影禁止です。ロビーのところだけ撮れました。何と、ダイナミックな生花なのか。驚きます。
㉗5月11日(水)上野・東京都美術館。若沖展に行きました。切符を買うのに30分。さらに入場するのに3時間、並びました。人の列が1キロ以上も続きます。カバンの中にあった5冊の本を全て読んじゃいました。昔、学生の頃、「ミロのヴィーナス」や「モナリザ」を見るために並んだことを思い出しました。あの時はもっと長時間、並んだのかな。若沖はいいですね。テレビ、新聞でも大々的に取り上げられてます。日本には他に絵師はいないように…。
㉛去年の3月、私をソウル大学に呼んでくれた朴先生が来日すると聞いて、喜び勇んで行きました。5月12日(木)18:00〜20:00。六本木の国際文化会館。岩崎小彌太記念ホールです。そこのパネルディスカッションに、朴先生が出たのです。
まず、大河原昭夫さん(日本国際交流センター理事長)が挨拶。そしてパネルディスカッションが始まります。
連続セミナー〈だから、“日中韓”--絆の再発見。第8回「アメリカと語る日中韓」〉です。
(左から)ジェラルド・カーティスさん(コロンビア大学名誉教授)
朱建栄さん(東洋学園大学人文学部教授)
朴喆熙さん(ソウル大学校 国際大学院教授、日本研究所所長)
石川好さん(作家、元新日中友好21世紀委員会委員)
㊲高間響さんと寅ちゃんも来てました。高間さんは劇団「笑の内閣」の主宰者。「ツレがウヨになりまして」は大評判になりました。「ぜひ韓国でもやったらいいんじゃないか」と私も勧め、ソウル大学の朴先生に紹介しました。
韓国に対するヘイトスピーチ、日韓問題を扱ってるし、これはいいと思います。それを上演し、皆で考える。何とか実現できたらいいですね。「あれっ、寅ちゃんも。どうして?」「鈴木さんからメールがあったんですよ」。「あれっ、そうだっけ」。
㊴私の百円ショップで買った時計が、壊れた。時計は大丈夫だがベルトが切れた。時計の修理に出したら、ベルトだけで3千円以上取られそうだ。だから、新しく買った。思い切って3ヶも。でも、時計3つを買っても300円だ。安い。その話をしてたら寅ちゃんが、これ見よがしに見せびらかすんです。6万円の時計を! 「3万円以下は時計と言わないんです」と言う。なんだ、ゴミ屋敷に住んでるくせに。